What do you like?〜オタク探偵の事件日記〜

久米坂律

Case.1 白雪姫の苦悩

1-1 逃げ出した花嫁

 四年前ぐらいだろうか。

 あたしがバイトを始めたばかりの頃、世話をしてくれていた先輩はこう語った。


 いい? 優衣ちゃん。“好き”っていう気持ちって、人生を映す鏡なの。“好き”は、自分で選んで進んできた道の先に生まれるものだから。この選択をしたから、好きになったものがある。ほんの少しだけ選択が違っていたら、生まれなかった“好き”がある、みたいにね。

 私たちの仕事は、そんな大事な“好き”をお客様ご主人様、お嬢様から預かって、最高の形で具現化して提供することなの。だから、ご主人様とお嬢様の“好き”は、何よりも尊重してあげてね。

 たかがバイトかもしれないけど、覚えておいて。


 当時高校一年生だったあたしは、含蓄の深いこの言葉に、いたく感心したものだった。

 しかしながら、大学二年生になった今、先輩に一つ物申したいことがある。

 それは——。


 少し視線を下げる。そこには、でれでれとだらしなく緩んだ笑顔でこちらを見上げる女子。

「いやー、優衣ちゃん、今日も変わらず美少女だね! ちょっと吊り上がったおーきな猫目に、つんと尖った鼻、いや~かわいい。ハイツインテもかわいい~」

「……カナ、まじで帰れ」

 それは——何事にも限度があるということである。



 四月上旬の土曜日、時刻は昼下がり。

 東京にほど近い某県春木野はるきの地区に居を構えるメイドカフェ《ふれーず♡こんふぃちゅーる》は、数多の客で賑わっている。


 そんな中、あたしは五番テーブルに座るお嬢様、もとい厄介な知人の接客をしていた。

「帰れだなんてひどい!」

「ひどくない。何回も言ったよね? 気が散るから来んなって」

「でも、私、定期的にメイドさんの可愛い姿を愛でないと生きていけないから……」

 メイドあたしたちは麻薬か何かか。

 あたしは呆れた気分で目の前の女子、カナを見下ろした。


 高倉奏子たかくらかなこ。不健康に白い肌と、目を覆い隠すほど長い前髪の彼女は、あたしの高校時代の同級生かつ、大学の同級生かつ、同居人だ。

 しかし、カナを語るには、これだけの言葉では不十分だ。では何が足りないのか。それは、重度のオタクであるということだ。

 オタクの両親のもとに育ち、幼少の頃からサブカルチャーに触れ続けてきたカナは、よわいわずか七つでオタクとなったそうだ。現在は主に二次元、場合によっては三次元の美少女を愛でる日々を送っている。


 一度溜息を吐いてから、あたしは口を開く。

「というか、可愛いメイドなら、あたし以外にもいるでしょ。他を当たってもらえますかね、お・嬢・様」

「いやだ! だって、優衣ちゃんほど完璧なメイドさんいないもん!

 華やかな容姿に加えて、頭脳明晰、運動神経抜群のハイスペック。それでいてツンデレとか、完璧以外の何物でもないもん!」


 頭の良さと運動神経は、接客の質とどう関係があるというのだろう。それと、他の客にはちゃんと愛想よく対応している。ツンデレ対応をされているのはカナだけだ。それ以前に、そもそもデレた記憶などない。


「それに……優衣ちゃん以外のメイドさんに話しかける勇気がありません……。ごめんなさい、コミュ障で……」

「そーですか。でも、あたしも暇じゃないから、もう行くよ」

「優衣ちゃん、行っちゃうの?」

 カナが寂しそうな声を上げながら、テーブルの上のガラスを手元に引き寄せる。


 余談だが、《ふれーず♡こんふぃちゅーる》の意味はフランス語で「苺ジャム」だ(正確には「confiture de fraiseコンフィチュール・ドゥ・フレーズ」が正しいのだが)。そういうわけで、店のメニューには苺が多用されており、店内もまたピンクや赤で統一されている。カナが今引き寄せたのも、看板メニューの苺ミルクだ。


 赤いストローに手をかけたカナは、「あ」と声を上げた。

「そう言えば、これ、まだ魔法かけてもらってないんだよねー。優衣ちゃん、魔法よろしくお願いします!」

「誰がやるか」

 あたしはそのまま五番テーブルを離れた。



 *****



「じゃあ、そろそろ帰るね」

「本当そうして。今すぐそうして。とにかくそうして」


 およそ三十分後。

《ふれーず》の入り口付近に立って、あたしはカナのお見送り、もとい追い出しをしていた。


「優衣ちゃんがひどい……」

「ひどくない。ほら、帰った帰った」

 手をシッシッと振ると、カナは後ろを振り返る。カナの後ろには、雑多に溢れ返るコスプレイヤー。

 そう言えば、今日は「サブカルデー」だったか。


 春木野地区は、世に言うオタクの街というやつだが、天下の秋葉原アキバには知名度も実態も到底及ばない。そのため、年に四回、季節ごとに「サブカルデー」と題したイベントを大々的におこなっている。らしい。詳しいところはよく知らないし、興味もない。でも、わざわざイベントをやることで、むしろ実態がお粗末であることを喧伝しているように感じるのは気のせいだろうか。


 基本的には二日開催で、コスプレイヤーが春木野第二公園に集まったり、ローカルアイドルがステージを披露したり、その他もろもろサブカル関連のイベントが繰り広げられる。

 今日は春開催のサブカルデー初日というわけだ。


 カナがカラフルなコスプレイヤー達に目を奪われているのを見て、これ幸いと続ける。

「ほら、サブカルデーやってんだし、見てきたら?」

「んー、そうだね。じゃあ、優衣ちゃん、バイト頑張ってね!」

 カナは口に軽く曲げた人差し指を当てて少し考える様子を見せると、笑顔で手を振って踵を返した。


 やっと帰った。

 カナの後ろ姿を見届け、店内に戻ろうとした時。


「ひゃっ」

 小さな悲鳴が聞こえた。続いてドサっという重たい音。

 思わず振り返ると、そこには地面に尻餅をついて座り込むカナ、そして、

「え……」

 立ち尽くす白無垢を纏った長身の女性がいた。


 白無垢の女性は、カナを前に慌てた様子で何度も頭を下げると、ぎこちなくばたばたと走り去って行く。

 綺麗なひと、だった。


 ……って、待て待て。どういう状況だ? おそらくあの女性とカナがぶつかったのだろうが、何故白無垢姿の女性がここにいる。あれか、この世で時々発生するとか言う花嫁逃げ出し事件なのか? 結婚式当日になって「やっぱり私、別の人が……!」みたいな。いや、そんなことそうそうあってたまるか。


 はっとカナを見やると、震えてへたり込んだままだ。慌てて駆け寄る。

「何、足でも捻った?」

 カナはカタカタ小刻みに震えながら、自らの手をじっと見下ろしていた。かと思うと、これまた震えた声で、

「優衣ちゃん……私、死んだ」

「は?」

 何言ってんだ、こいつ。


 あたしの顔を見たカナは、座り込んだまま腰のあたりに縋り付いてきて、喚き始めた。

「だってだってだって、あんな間近であの綺麗な顔が、視界にどーんって大写しになって、それでそれで」

「……」


 なんのこっちゃ。

 あたしが全く理解できていないのを理解できたのか、カナがありえないというニュアンスを含めながら噛み付いてくる。

「優衣ちゃんさっきの人知らないの⁉︎ yukiNoさんだよっ!」

「ユキノ……?」

「yukiNoさん‼︎ ズィマー様のレイヤーさんの‼︎」

 よく分からないが、怒られているようだ。

 しかし、知らないものは知らない。


「なぜか冬付近しかコスプレをしないことと、スタイルの良さから、人呼んで『八等身の白雪姫』‼︎ 私が勝手にそう呼んでるだけなんだけど。

 恵まれた高身長と色の白さがズィマー様の神々しさにぴったりはまってて、ほんとに綺麗。さっきのコス、八巻で出てきた白無垢だー……もう……尊いしか出てこない。美しすぎて無理」

「……」

 いきなり「尊い」以外の単語が出ていることは一旦見逃しておいてやろう。

 カナの言い方から察するに、さっきの白無垢はコスプレの衣装のようだ。ということは、あの女性はサブカルデーに参加しているコスプレイヤーらしい。


 それにしても。

 カナは体力が八歳児並で、基本的に走らないし、歩くのも遅い。つまり、ぶつかってきたのはあの女性の方だ。カナに頭を下げた後も、随分と慌てた様子だった。


 あの女性はなぜ、あれほどまでに慌てていたのだろう。

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