2-13 趣味(カナ視点)
「なんか飲み物入れてこようか?」
空になった自分のコップを掲げながら、赤月さんが訊いてくる。首をぶんぶん横に振った。
「いやっ、大丈夫です! ほとんど飲んでないですし」
結局緊張だったりなんだったりで一度も口を付ける暇がなかった。未だに私のコップの中にはなみなみとジュースが入っている。
「そう?」
「はいっ」
「じゃあ、俺、ちょっとドリンクバー行ってくるね」
「分かりました」
ドリンクバーに軽く駆けていく背中を見送りながら、私はさっき聞いた赤月さんの言葉を反芻していた。
――趣味って何なんだろうな。
あれはどういう意味だったのだろうか。趣味……。
「……さん、高倉さん!」
「え、あ」
思考の海に沈んでいて、赤月さんが席に戻ってきていたことに気づかなかった。心配そうに顔を覗き込まれる。
「大丈夫? 体調悪い?」
「いや、違います! ちょっと考え込んでしまって……」
「考える?」
「……その。さっき赤月さん、『趣味って何なんだろうな』っておっしゃったじゃないですか。その、どういう意味なのかなー、と」
訊いていいものなのか分からなくて、しどろもどろになって言うと、赤月さんはあはは、と苦笑した。
「ごめん、なんか意味深なこと言っちゃってたな」
しかし、すぐさま真剣な表情になった。心の奥を見透かしそうな目をしていた。
「高倉さんはさ、自分の趣味を受け入れてもらいたいと思う?」
「え?」
唐突な問いに戸惑う。迷いつつ答えた。
「うーん……受け入れてほしいです。傍にいる人一人でもいいので」
「そうなんだ。俺はね、正直どっちでもいいと思ってる。というか、そもそもの問いがおかしいと思うんだ」
「それは……受け入れる受け入れないってことが問題になってるってことがですか?」
「そうそう。だって、言っちゃえばたかが趣味じゃん?」
「た、かが……」
思わず言葉につまずいてしまった。趣味を中心に生活を送っている身としては、棘のある言葉だったからだ。何か自分にとって攻撃的な言葉が繰り出されるかもしれない、と少し身構えると、赤月さんは申し訳なさそうな顔をした。
「ああ、高倉さんのこと非難したいわけじゃないよ。ただ、趣味が
「……と言いますと」
「レモン掛けるのが好きな人もいるけど、嫌いな人もいる。要は『それを好き、もしくは嫌いって思う感性を持ってるかどうか』ってことじゃん。“嫌い”って、ベクトルは違うけど、根本は“好き”と一緒なんだよ。別に罪でも何でもない。だから、“好き”を尊重するなら、“嫌い”も尊重しないといけない。別に無理やり分かり合う必要はない。だから、小皿に分けて住み分けするんでしょ」
”嫌い”を尊重する。
波風を立てないことが重要な現代で、”嫌い”は排除される傾向にあるし、私自身”好き”しか眼中になくて、”嫌い”にあまり意識を向けたことがなかった。
赤月さんは「まあ、”嫌い”って感情は、何かをdisる免罪符にはならないけど」と付け足すと、
「結局のところ生まれ持った感性の違いだから、趣味をむりやり受け入れたりする必要ってないと思うし、そもそも受け入れるかどうかって話が出てくる時点でおかしいんだよ」
そこで、一度コーラを口に含み、飲み下した赤月さんは「それにさ」と続ける。
「受け入れたとして何になるんだろうっても思うんだよ」
そして、テーブルの端に置かれたペーパータオルを一枚引き抜くと、それにボールペンで何かを書き始めた。
まず右側に「マンガ好き」と書き、その文字を中心にぐるりと大きめの円を書く。それから、その円の中に「高倉さん」「赤月」と書き込んだ。これは、ベン図だろうか。
「今の世の中ってさ、こういう風に捉えられることが多いじゃん。一つのカテゴリーの中に、いろんな人がいっぱいいる、みたいに。他にも、『スポーツ好き』『ファッション好き』みたいなカテゴリーがいっぱいあって。でも、実際はそうじゃないと思うんだ」
今度は、左側に「高倉さん」「赤月」と書き、それぞれを囲んで、一部が重なるように二つ円を書く。そして、「高倉さん」の円の中に「人の話をよく聞く」、「赤月」の円の中に「誰とでも話せる」、重なった部分に「マンガ好き」と書いた。
「人間は一つのカテゴリーに入れられて、そのカテゴリーでどんな人か判断されることが多いけどさ、でも実際はいろんな要素を持った人間がいる」
「このベン図のことですよね? 赤月さんで言うと、『マンガ好き』のカテゴリーに入れられてるけど、実際はその『マンガ好き』っていうのは赤月さんを含むカテゴリーなんかじゃなくて、赤月さんを構成する一要素でしかない、ってことですか?」
一旦情報をまとめるため、自分の言葉で説明してみる。
「そうそう。それが時々重なる。で、いろいろある要素の内の一個だけでその人の判断なんてできないし、どうせその人を構成する要素の全てを知ることなんてできない。本人だって気づいてない要素があるだろうし。それでも関わるうちに見えてきた要素の中に、『この人は信頼できる』『この人を大事にしたい』って感情を一つでも見出せたら十分じゃないかなって」
赤月さんは一旦言葉を切り、鼻の下を手でこすった。そして、続ける。
「もちろん、見えない部分にどうしてもぶつかり合う要素があるかもしれない。今、高倉さんと俺はこうして友好的に喋ってるけど、そのうちお互いどうしても相容れない考え方が見えてくるかもしれない。でも俺は、高倉さんが愛理先輩の思いをちゃんと聞こうとして、佐々木さんのために自分の推理を愛理先輩に伝えることを躊躇ったって事実だけで、充分だと思ってる。俺はこの人に信頼は置けるんじゃないかって思って、今こうして友好的に喋ってる。
まあ、人間なんて分かり合える部分もあれば、分かり合えない部分もある。分かり合える部分だけしかない都合のいい人なんているわけない。それなのに、そういう人だけと関わりを持とうとしてたら、この世の人間関係全て滅亡しちゃうよ」
最後の言葉についふふっと笑いが漏れてしまった。つられて、今まで険しい顔をしていた赤月さんの表情も緩む。
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