第40話 日頃の感謝を込めて

「あ、そろそろ夕食の支度したくせえへんと」


 だいぶ涼しくなってきた9月も末のある土曜日の事。パソコンのキーボードを叩いて何やら作業をしていた真澄ますみがすっと立ち上がる。


 あ、そういえば言うのを忘れてた。


「待って待って。今日は外食にしない?いつも大変でしょ」

「これくらいいつものことやけど……」


 腕まくりをして夕食の準備をしかかっていたせいか、少し戸惑っている真澄。


「いいから、いいから。たまには、気分転換もいいと思うよ」


 少し強引にそう言う僕。


「なーんか、妙やけど。ま、ええか。それで、どこ行くん?」


 何やら疑わしげな視線をよこしてくるけど、さすがに確信は出来ないらしい。バレてもいいんだけど、せっかくだからサプライズにしたい。


「駅の向こう側にあるイタリア系レストランなんだけど……」

「なんや、普段のコウとは違うチョイスやな」


 目つきがさらに疑わしげになる。少し、苦しいか?


「僕も、最近はイタリアンに凝ってるんだよ」

「ほんまかいな」

「ほんとほんと」


 なおも疑わしげに僕を見つめていた真澄だけど、


「ま、ええか。ウチは場所わからんから、案内してくれるんやろ?」


 そう応じてくれたのだった。


 そして、手早く出かける準備をして、15分程歩いた先に、そのレストラン『アウトゥンノ 』はあった。


「なんや、ちょい豪華やない?」

「バイト代も結構入ったし。たまにはいいでしょ」

「ええんやけど、もう少しええ服着て来た方が良かったんやない?」

「割とカジュアル系のらしいから、たぶん、大丈夫」


 僕も真澄も、カップルがデートする服装としては恥ずかしくない格好をしている、はず。なんだか、自信がなくなってきたけど。


「あの、予約して来た松島ですけど……」

「ああ、19:00に予約の松島様ですね。お待ちしてました」

「んん?予約?」


 僕らの会話を聞いていた真澄が怪訝な顔をする。ま、さすがにここまで来たらバレるか。


「実は、今日は真澄と一緒にここで食べたくてさ。1週間前に予約してたんだ」

「なんや最近挙動不審やと思っとったけど、これが原因やったんやね」


 呆れのため息をつく真澄。


「だって、真澄は「別に気ぃ使わんでええよ」とか言いそうだし」


 以前にも、生理で体調が悪いのに、無理して夕ご飯を作ろうとした事があったし。


「否定でけへんけどな。でも、見た感じちょい高いんとちゃう?」

「コースで1人4000円、ってとこかな」

「結構高いやん!」

「バイト代、結構入ったから大丈夫だって。とにかく……」


 問答をしている間、少し気まずそうに様子を眺めている店員さん。ごめんなさい。


「そやな。今日は、ありがたく気持ち受け取っとくな」


 諦めたように言う真澄。どうも、彼女にとって、僕の夕食を作るというのは特別なこだわりがあるらしい。結婚する前には見られなかった一面だ。


 というわけで、予約した、窓際の席についた僕たち。


「ほぇー。ええ眺めやね」


 4階にあるレストランから下の景色を見て、感嘆の声を上げる彼女。


「でしょ。窓際からの眺めもいいって、口コミにあったし」


 僕も、同じように下の景色を見る。9月も終わりの今頃になると、周りはすっかり暗くなっていて、夜景が綺麗だ。と思っていたら、くっくっと押し殺した笑いが聞こえてくる。もちろん、相手は真澄。


「なんで笑ってるの」

「なんちゅーか、普段のコウってこういう所、選ばんやろ」

「それは自覚してるけど」


 高級という程のレストランではないけど、内装からきっちりしている、いかにもデート向きです、という所は僕には不釣り合いな気がして避けて来たのは本音だ。


「僕らも結婚したわけだしさ。気分を変えてみてもいいかなと思ったんだよ」

「確かに、新鮮やね。あんがとさん」

「いえいえ、どういたしまして」


 なんてお辞儀をしあっていると、僕までちょっと笑いが込み上げて来そうになる。しばし、ぼーっと外の景色を見ていると、前菜が運ばれてきた。


「えーと、なになに。カプレーゼ……ていうのか」


 コース料理の品目と照らし合わせて、目の前にある前菜の名前を認識する。トマトとチーズが何やら交互に並んでいて、トマトの赤が食欲を刺激する。


「料理部で一度作ってみたことあったわあ」


 一方、元料理部長らしいコメントを漏らす真澄。こんなのも作ってたのか。


「美味しい。チーズとトマトって結構合うんだね」

「うん。ウチらが作ったのよりも美味しいわ」

「それに負けたらレストランの人も悲しいと思うよ」

「そうやね。ちなみに、チーズもトマトも旨味が強いから、合わせるとええんやで」

「両方とも旨味成分がいっぱいあるよね」


 別に僕はグルメじゃないのだけど、「旨味」ってなんだろうと思って、以前調べたことがあったのだった。


 次に出てきたのはマグロのカルパッチョ。これは、食べたことはないけど、テレビでよく見るやつだ。洋風のお刺身という認識だけど、さて、お味は如何に。


「へぇ。ソースが違うだけで、全然違う味になるんだ」


 ちょっと変わったドレッシングをマグロのお刺身にかけたような、というか。シャキシャキの葉野菜(名称不明)も一緒に食べるといい感じだ。


「ウチも初めてやけど、口の中がさっぱりする味やね」

「わかる、わかる。酸味が効いているのがいいっていうかさ」


 その後も、ステーキやパスタなどが出てきて、美味しい美味しいと舌鼓を打ちながら、瞬く間に平らげていく僕たち。ゆったりと会話を楽しむより、つい料理に集中してしまったのは誤算だったけど、こういうのもたまにはいい。


「はー。こういう、ちょい高級なイタリアンって初めてやったけど、ええもんやね」

「実は不安だったんだけどね。満足してもらえて良かったよ」


 残すはデザートのみとなったけど、満足してくれたみたいで何より。


「後はデザートやけど……ケーキ、としか書かれてへんな」

「それは見てのお楽しみ」

「ああ、なんや予想ついたわ」


 くすっと笑って視線をよこす真澄。既にさんざんやったし、見透かされてるか。


 運ばれて来たホールケーキが載っているお皿には、


「真澄ちゃん。日頃の感謝を込めて コウより」


 とチョコで書かれた文字が踊っていた。


「……真澄「ちゃん」ってなんやねん!」


 あいにく、テーブル席で向かい合っているので、ツッコミをいれようにも届かない。と思ったら、いつの間にやら取り出したハリセンで頭をはたかれていた。以前に誕生日プレゼントとして送った奴だ。


「なんで、こんなところまでハリセン持参なのさ」

「コウがなんや企んどるのは気づいとったからな。念のためや」

「その執念に脱帽だよ。でも、ここで、真澄がじーんと感動してくれたらなあ」


 ま、仕方ないか。


「コウが、真澄「ちゃん」とか変なネタ仕込むからやで」


 不満そうに言う真澄だけど、その表情はとても楽しそうだ。感動して欲しかったというより、楽しく夜を過ごしたかっただけだから、別にいいんだけどね。


「それより、そこ。メッセージカード、読んでみて」


 その言葉に、急に警戒した表情になる真澄。


「なんで警戒してるのさ」

「コウの事やから、恥ずかしい言葉書いてるに決まってるんや。心の準備せんとな」


 深呼吸をして、息を整えているけど、僕のメッセージカードは爆弾か何かか。


「えーと、なになに。


 真澄へ。結婚してから、もうすぐ半年になるね。

 大学生で結婚なんて、少し不安だったけど、楽しく過ごせてほっとしています。

 真澄はいつも細かいところに気がついてくれて、そんな君にどれだけ支えられて

 来たかわかりません。それに、君が側にいるだけで、いつも楽しく過ごせて、

 結婚してよかったと思っています。真澄も同じ気持ちだといいな。


 今日の夕食は、僕からの、日頃の感謝を込めてのつもりです。

 ちょっと僕には似合わないチョイスになってしまったかもしれないけど、

 笑って過ごせるといいな。

 大好きな真澄ちゃんへ コウより」


 僕からのメッセージをじーっと読み進めているのを、僕は少しドキドキしながら待つ。言葉にしておいた方がいいと思って、照れを我慢して書いたのだった。


「~~~~~!」


 メッセージを読んでいる間に、顔がどんどん赤くなっていく真澄。


「もう、コウはウチを恥ずかしがらせるのが上手いんやから」


 しまいには、彼女は目からじんわりと涙を流していて、心のなかで「よしっ」と叫んでいた。


「それで、どうだった?」

「そりゃ、嬉しいに決まっとるやろ。もう」

「そっか。良かったよ」

「ここがレストランやなかったら、今すぐ……」

「今すぐ?」

「とにかく。続きはな」


 意味ありげな視線を送ってくる彼女に、なんとなく意図を理解した僕は、


「了解。続きは、部屋でね」


 そんな彼女を微笑ましく思いながら、それだけを言ったのだった。

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