第37話 幼馴染の気持ち ~Side 真澄~

 今日は7月1日の金曜日。布団から顔を出して窓の外を見ると、雨だ。けど、こういう日も嫌いじゃない。私は松島真澄まつしまますみ。大学1年生だ。大阪出身なので今も関西弁をしゃべっているのだけど、物事を考える時は標準語になっていたりして、そんな自分がちょっぴり不思議に思える事がある。


 朝ごはんの支度をしなければいけないのだけど、彼-今は旦那であるコウ-が寝ているので、しばらく寝顔を見つめていたくなる。こうして、寝顔をちょっと見るのは、彼より早起きな私のちょっとした楽しみだ。起きているときは、ほんとに色々なことを考えている彼だけど、寝ている時は子どものようで、それがちょっと可愛い。さて、朝ごはんの支度をしないと。


 ご飯はタイマーをセットしてあるので、味噌汁と焼き魚、お漬物の準備といったところ。最近は味噌汁も、彼をぎゃふんと言わせたくて、前より出汁に凝るようになっている。味噌汁は出汁が命なのだ。焼き魚は近くのスーパーで買ってきたアジの開きをグリルで焼く。タイミングさえ間違えなければ、まず失敗することはない。一通り出来るまで約15分といったところか。お漬物は最近、浅漬の器具を使って作っているキュウリの浅漬だ。だいぶ手際がよくなってきたと思う。


「コウー、ごはんやよー」


 寝室に呼びかけると、寝起きの彼が「今行くー」と返事してくれる。彼が顔を洗って着替えるのを待って、一緒に食事を始める。


「いつもありがとう、真澄。助かるよ」

「もう。ウチも作りたくて作ってるんやから」


 彼はたびたびこう言ってくれる。私は本当に作ってあげたくて作ってるだけなのだけど、それでも感謝してもらえるのは嬉しい。


「今日の味噌汁、また美味しいね。いつもより深みがあるけど」

「ふっふー。なんやと思う?」

「うーん。なんだろ。今まで味わったことないけど」

「アゴって聞いたことあらへん?」

「トビウオのことだっけ」

「そうそう。さすがにコウやったらわかるか」


 コウは博識なので、さすがにすぐ正解にたどりつけたようだった。こうやって工夫をしたら、きっちり気づいてくれるところも嬉しかったりする。


「今日は金曜やから、明日休みやな」

「どこか行きたい?」


 一緒にいつものように通学しながら、明日のことを話し合う。


「ウチはコウと一緒やったら、どこでもええよ」

「それはそれで困るんだけどな」

「それやったら、歌舞伎座かぶきざ行ってみいひん?」

「歌舞伎座?僕もちょっと興味があるけど、真澄がってのは意外」

「せっかく東京おるんやし、良いと思わへん?」

「うん。じゃあ、明日は歌舞伎座に行こうか」

「お昼は近くで食べよか」

「確か、築地も近かったはずだし、魚とかどう?」

「ええね。じゃあ、魚系っちゅうことで」


 そんな風にして、なんとなく休日のデート先を決める。そして、いつの間にか、私の学部棟と彼の学部棟の境へ。


「じゃ、また後でね」


 ということで別れることになったけど、よく、彼と一緒の学部棟に行って講義を一緒に受けたいなと思うことがある。時間をできるだけ一緒に取ってくれようとしているのに、これ以上は言えないから我慢しているのだけど。


 午前中の講義が始まる。今日は苦手な線形代数の時間だ。コウに教えてもらって、ある程度わかるようになってきたけど、まだ苦手意識が克服できていない。文系学部で履修してもいないのに、わかるなんて反則だ。昔から彼は、知りたいと思った事をとことん追求する人だったから、無理もないかもしれないけど。


 お昼は同じ学部の友達と食べることも多い。そして、決まってコウの関係についてからかわれる。


「で、昨夜はコウ君との夜の営みはどうだった?」


 同期の友達の中で一番下世話な話が好きなアキ(22話参照)が聞いてくる。もう、そういうのは勘弁して欲しい。新婚夫婦が毎日夜の営みをしていると思っているのだろうか。それに、コウはそういう欲求が少ないせいか、毎日求められることはない。


「そういうのはノーコメントやって言うたやろ」

「そこはなんとか、ますみん」


 アキはしつこいけど、ノーコメントを貫けばそのうち諦めてくれる。そんなこんなで昼食を挟んで午後の講義。今度は物理だ。物理もまた、高校の頃と内容が違って色々と戸惑うばかりだ。こういうのをあっさりとわかる人は、研究者に向いているんだろうな。淡々と講義を受けたら、ようやく放課後。コウと待ち合わせて一緒に帰る。


「真澄は今日はどうだった?」

「いつも通りやで。アキの奴はまたしつこかったんやけど」

「アキって、真澄の友達の?」

「ほんっと、しつこいんやで。夜の営みとかそんなん聞いてくるし」

「そ、そうなんだ」


 コウも引いているようだ。


 帰ってきたら、少しの間休んで、晩ごはんの支度をする。冷蔵庫の中を見ると、切れそうな食材があるから、明日買いに行かないと。


 結局、残っている食材で、納豆パスタを作ってみることにした。人によっては苦手そうだけど、これが結構美味しい。ちなみに、納豆とパスタにコンソメスープを入れたのに加えて、鰹節を添えてスープパスタ風味にしてみた。


「へえ。納豆のスープパスタ仕立てっていうの珍しいよね」

「ちょっとアレンジしてみたんやけど、どうや?」

「納豆のネバネバがなくて、食べやすいよ。面白いね」

「そっか。良かったわあ」

「真澄の腕は信頼してるから、そんなことで不安がらなくても」


 彼はそう言ってくれるけど、やはり旦那に初めて出す料理は口に合うのか気になるものなのだ。


 食後はゆったりと、ダイニングでテレビを見たり、本を読んだりとまったりとする。コウが何やら熱心にタブレットに向かっている。


「コウ、何読んでるんや?」

「ん。歌舞伎の歴史とか、ちょっと知っておきたくってね」

「別に知らなくても楽しめると思うんやけど」

「でも、知っておきたくなるんだよね」

「もう、コウはいっつもそうやね」


 彼が何かを知りたくなったら没頭するのはいつものことだ。そういうところも、昔から変わってないなと思う。たまに、もうちょっと会話に応じてくれてもいいのに、と思うけど、こうやって何かに没頭するのを見ているのも好きだった。私には、そこまで没頭するようなものが無いし。


 私は私で、明日のデートで、歌舞伎座以外でどこに行こうか考えておく。よくあることなのだけど、行く先以外のスケジュールについては彼はすっぽ抜けてることが多いし。歌舞伎座のある東金座~築地辺りで、いくつか良さげな店をチェックしておく。


 23時を過ぎると、ゆっくりとお風呂に入って、寝床に入る。そんなときでも、コウは相変わらずタブレットに向かっていた。


「コウ、もう寝えへん?」

「もうちょっと、もうちょっと」


 私はそろそろ眠くなってきたのだけど、彼は相変わらずの調子。こうやって、「もうちょっと」を言うのも何度目だろうか。そして、30分くらいした頃。


「コウ、もういい加減寝えへん?」

「あと、もうちょっと」

「やったら、あと5分な」

「わかった」


 きっと5分で終わらないだろうと思ったら、案の定だったので、消灯する。


「わ。本読めないんだけど」

「そろそろ寝えへんと」

「そうだね。諦めるか」


 タブレットを手放して、私の手を握ってくれる。寝る前の、こうやって、お互い手を握り合っている時間がたまらなく気持ち良くて好きだ。


 結婚してからの毎日は、こうやって平穏に、幸せに過ぎていく。ほんとに、怖いくらいに幸せだ。まだ早いけど、いつか、子どもを生んで、家族が増えるんだろうか。なんていうことも時折考える。


(子どもの事よりも明日のデートやね)


 明日のデートの事をなんとなく考えていると、いよいよ意識が遠ざかってきた。おやすみなさい、コウ。

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