第34話 とある梅雨の夜に、僕は幼馴染と将来を語り合った
6月も中旬になろうかという土曜日の夜のことだった。
「なんか、悩みでもあるん?」
向かいに座る真澄に言われて、ハッとなる。
今は夕食の途中だ。
食卓に並ぶのは、出来たてのミートスパゲティに野菜のサラダ、それに味噌汁といったところだ。味噌汁だけ「和」で浮いているけど、そこは気にしてはいけない。 真澄の作るお味噌汁はとても美味しいのだ。
「別に悩みという程でもないんだ。気にしないで」
「せやったらええけど。何考えとったん?」
外は小雨がぱらついていて、時折、ダイニングの窓を濡らす。
真澄は微笑みながら、僕を眺めている。
僕の顔を眺めて何が楽しいのか前に聞いたことがあったけど、「コウが何考えとるんか想像するのが楽しい」というよくわからない答えが返ってきたのだった。
「ちょっと将来のことを考えてたんだ。真澄は今、幸せ?」
「なんや唐突やな」
そう言いつつも、特に動揺していない。
「いや、ごめん。特に意味はないんだ。単純な疑問」
「幸せやよ。コウと家族になれたし、大学も楽しいし」
「ありがとう。僕も幸せだよ」
真澄と家族になれたし、サークル活動も楽しい。
新しい友達も、昔からの友達も変わらずに居る。
ときにはしんどいこともあるけど、それは贅沢だろう。
「で、それが将来とどう関係するんや?」
「僕は幸せだけど、夢のためには何もしてないなって気づいたんだ」
「夢ちゅうと、歴史学者になりたいっていう?」
高校の頃に、僕の夢については話したことがあったので、真澄も知っている。
「そう、歴史学者。学者っていうか研究者と言う事が多いんだけど」
「細かいことは置いといてや」
「で、研究者……学者って何をすると思う?」
「難しい本書いたり、学会で発表したり、とか」
研究者の一般的なイメージは実際そういうものだろう。
「それも間違いじゃないんだけどね」
「ちゅうと、他にもあるんか?」
「一言でいうとね。人類が誰も知らなかった事を発見することなんだ」
「人類、とはまた大きくでよったなあ」
真澄も話のスケールが一気に大きくなった、と苦笑いだ。
「格好付けすぎだったね。でも、基本的にはそういうことなんだ」
「なんとなくはわかるんやけど。論文も、そういうもんやろ?」
「そうそう。特に、理系だと論文じゃなければ業績にならないんだって」
「先生が雑談でそんな事言っとったなあ。論文を書くのが仕事ですって」
その時のことを思い出しているんだろうか。
「その先生、ひょっとしてかなり凄い人?」
「ウチも詳しくないけど、世界的にも有名な先生らしいよ」
だろうなあ。
「でも、言葉が尖すぎて、ちょい怖い感じやな」
「そういう先生もいるよね。って話が逸れてる」
「ああ、そやったね。で、それとコウの悩みがどう関係するんや?」
話がつながらない、と言いたげだ。まあ、そうだよね。
「いや、ほんと大したことじゃないんだ。毎日、漫然と講義を受けてて、いつかそういう凄い先生みたいに、論文を書いたり発表をしたり出来るようになるのかなって。それだけ」
僕たちは大学1年生だ。
まず、基礎を身に付ける段階というのはわかっているつもりだ。
「ウチらが受けてる講義もそのための訓練と違うん?」
「それはそうなんだけど。僕が勝手に悩んでるだけ」
悩み事とも言えないんだけどね、と付け足す。
「コウも難儀なことで悩んどるね」
真澄は、仕方ないなあとばかりに言う。
「偉そうな事は言えへんけど。凄い先生も、最初はコウみたいだったんちゃう?」
「……!確かに」
わかっていたつもりだったけど、確かにそうだ。
「やから、焦ってもしゃあないんちゃう?コツコツやるしか無いと思うよ」
「ありがとう。ちょっと、すっきりしたかも」
「お安い御用やよ。しょーもない事でも、一人だと考え込むもんやし」
確かに、考えても仕方がない悩みだったかもしれない。
「そういえば、真澄はどうなの?化学者がいいかもとか言ってたけど」
高校3年生の頃に、そんな話をした記憶がある。
「ウチはコウみたいにはっきりした夢があるわけやないからなあ」
「そうだったっけ」
「化学者いうても、まだ何やるのか全然わかっとらんし」
「そっか。じゃあ、特に夢はなし、と」
考えてみれば、友達でも、そっちの方が普通かもしれない。
「ウチの夢は、ある意味、もう叶ってしもうてるから」
「叶ってる?」
はて、何のことだろうか。
「コウと結婚して、家族になりたいってことやよ」
そういうことか。
「そっか。ありがとう」
ストレートに言われて、妙に照れてしまう。
「いつもと逆やね」
くすりと笑いながら、真澄が言う。
「逆?」
「コウがウチを恥ずかしがらせる事多いやん」
「そういうつもりはなかったんだけど」
「やったら、なおさら性質が悪いと思うんよ」
そんな風に和やかに話しながら、土曜日の夜は更けていくのだった。
こうして、なんでもない事を打ち明けられるのも、真澄が家族になったからだろうか。
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