8■春分の宴2

 春分が近づき、街はどこかそわそわとした雰囲気に包まれる。

 皆が浮つくそんな数日が続いた。

 そしてとうとう、その当日となる。広場にも店の前にも屋台が出て、そうやって商売に走る人以外は仕事を忘れて昼間から飲み、食べる。


 そして、グリンド城のホールも同じだ。

 ノシュテットという北方と、ストールグリンドという南方の様々な食材が趣向を凝らした料理として仕上がり、酒も北方と南方のが揃っている。

 カナタたち四人は誕生節の花を胸元に飾っている。

 招待客の中にも誕生節の者はそれぞれ胸元に花を飾っている。

 カナタが舞台に立ち、手を挙げる。

 人々は談笑する口を閉じ、注目する。


「本日はわたしと婚約者の誕生節の祝いにおいでいただき感謝する。遠くからご足労された方、参加しつつも自らが誕生節の方、さまざまでありましょう。

 料理はストールグリンド古くからある料理と、北方のノシュテットの料理を用意してあります。本日はどうぞゆっくりと料理に酒に歓談に、楽しんでいってください。それでは皆さん、グラスを持って」


 皆戸惑っているようにグラスを持つ。


「春の誕生節のすべての人に、乾杯!」


 カナタがグラスの酒を飲み干すと、皆同じように飲み干す。

 どういうわけか拍手喝采で迎えられる。

 カナタは舞台から降りる。


「とってもカナタさんらしかったです!」

「ずいぶんと変わった挨拶だの! うむ、良かったぞ」

「こういうのも新鮮ですわ」


 カナタを迎えた3人が口々に言う。そういえば、挨拶の打ち合わせなどせずに適当にしてしまった。誕生節の挨拶にはお決まりの何かがあったらしい。


「しまった、事前に確認しておけばよかったか……」


「いいではありませんか。良かったですわ!」


 そこに現れたのは胸元に花を挿したフェリシア・フランセンであった。


「おお、フェリシア嬢、久しぶり。あなたも誕生節だったか」

「ええ、これで14歳になります。何か誕生節プレゼントは下さらないの?」

「いきなりおねだりか。参ったな……」

「冗談ですわ。でも、ここで実は用意してあったりしたら、惚れてしまうところでしたわ。あぶない、あぶない」


 そう言って歳に似合わぬ大人びた色っぽい笑みを見せる。


「そうか、俺もフェリシアからプレゼントを貰ったらなびいてしまうかもな」


 シーラとソフィアが背中を小突く。


「そ、その手には乗りませんわ!」


 フェリシアは顔を赤くしてそう言うと、逃げるように去っていく。

 あれは何なんだろう……。



「じゃあ、三人にプレゼントだ」


 それぞれ包みを渡す。


「ワンドですか?」

「シーラには魔石付き治癒のワンドだ。怪我をしてもそれですぐ治せるぞ」

「やったー! これで治癒師を待たなくて済みます!」


 シーラはぴょんぴょん跳ねて喜ぶ。

 ソフィアは包みを開けて中を見る。


「これはなんだ? ナイフか?」

「俺がずっと使っていたミスリルのナイフだ。魔術が使えるソフィアには身に着ける護身用の武器がいいと思ってな。オークキングの腕を切り落とした銘品だ」

「おお、確かにこの軽さなら常に身に着けられる」


 カロリーナは一際大きな包みを開ける。


「随分大きいですわね。一体何でしょうか?」


 包みを開き中を見る。そこには、魔石の嵌った弓があった。


「なんて立派な弓……」

「これは弓+2だ。命中と威力を補正してくれる。さらに、矢をつがえて打つと、矢が炎を纏うよう魔術陣と魔石を組み込んだ。狩りには向いてないが、護身用として一番攻撃力が高い火を選んだ」


 カナタ渾身の魔術陣を使ったエンチャント弓だ。魔力も魔石が補給してくれる。


「まあ、なんて素敵な……」


 三人とも喜んでくれた。考えた甲斐のあるというものだ。と思ったのだが。


「ちょっとカロリーナちゃんのがいちばんよくないですか?!」

「そうだ、カロリーナのだけなんか手間がかかってるではないか!」


 シーラとソフィアから即苦情が。


「それぞれ一番必要そうなモノを贈ったつもりなんだが、駄目だったか?」

「それはそのとおりです。ごめんなさいです……」

「うむ、確かにそうかもしれん。悪かった……」


 二人はそう言って納得する。


「それと最後に、それぞれにロケットを贈る。中には魔術陣が入っている。これがあれば何かあったらいつでも駆け付けることができるから、常に身に着けてくれ」


 カナタはそれぞれにロケットを渡す。

 三人は各々、ロケットを握りしめ、笑顔を浮かべる。



「よう、ワイバーン伯爵!」


 突然声を掛けて来たのはサードラスロテット卿だ。相変わらず浅黒く精悍な顔つきで色男だ。


「耳が早いな。来てくれてありがとう、サードラスロテット卿」

「これはこれはお美しい婚約者たちも、ごきげんよう」

「カナタさんは友だちが少ないので嬉しいです!」

「そうだな。こやつは友達が少ない」


 シーラとソフィアがそう言い、カロリーナは苦笑する。


「そんな友達が少ない男は置いておいて、一人くらいわたしのところに着たらどうだ?」

「なんか信用できない感じです」


 シーラは首を傾げる。


「命を救ってもらったら考えても良いぞ」


 ソフィアは条件付きだ。


「卿はその方面で有名ですので、ご遠慮しますわ」


 カロリーナはサードラスロテット卿の噂を知っているらしい。


「サードラスロテット卿は女殺しで有名そうだな。いつまでも浮名を流していると相手が見つからないぞ?」

「三人も婚約者がいるやつに言われたくない!」


 卿はそう言うと豪快に笑って見せる。


「いい年して婚約者の一人もいない方がどうかしているだろう……」

「ところで、俺は夏だからな。覚えておけよ」


 誕生節のことだ。


「夏っぽいもんな」

「そうか、やっぱり夏っぽいか!」


 良く分からないが嬉しいらしい。


「ところで、塩田はうまく行ってるか?」


 サードラスロテット子爵領とは通商条約が交わされており、製塩事業を教える代わりに、ノシュテット商会がサードラスロテット子爵領の胡椒と砂糖の公売に入れるようにしてある。


「ああ、派遣されたノシュテットの内務官が上手くやってくれて、そろそろ市場に出せそうだ」

「それは良かった。多少は領庫が潤うだろ?」

「商圏がストールグリンドと被ってるからな。大した利益じゃない。まあ、多少だ。とはいえ、フランセン一家が追い落とされたせいで、そこまで大きな問題ではなくなったのだがな。隣の領にお前がいるなら、おかしなことにもなるまい」

「そりゃあ良かった」

「じゃあな、俺は他のご婦人様方と話してくる」


 色男は懲りないなあ……。



「カナタ様」


 その声に振り向くと、ニーダール夫妻がいた。ノシュテット子爵領内務長官ボリス・ニーダール、外務長官ビルギット・ニーダール。ノシュテットの代官も兼ねており、ソフィアの両親だ。


「これはニーダール夫妻。遠いところ来ていただいて申し訳ない」

「娘の誕生節でもあるゆえ、来ない訳にもいきません」

「そういうわけですわ」

「ノシュテットは変わりないか?」

「はい、特に何事も無く平穏に過ごせております」

「ノシュテット商会も利益が上がって拡大しておりますわ」

「それは良かった。何かあればいつでも連絡してくれ。ストールグリンドが落ち着けばそちらに行ける機会も増えると思う。わたしと話をしていてもなんだろう。ソフィアと話したらどうだ?」


 カナタはそう言って背後のソフィアに掌で指す。


「はい、そうさせて頂きます」

「むう、今さら親と何を話せというのだ……」


 喜ぶ親と対照的に面倒くさそうな娘。


「親孝行でもしたらどうだ?」



 次は誰かと見回すと、控えめに立っている紳士を見つける。オストラスクーゲン男爵フィリップ・カンプラード。カロリーナの父だ。


「フィリップ殿。ご足労を掛けて済まなかった」


 カナタはフィリップに駆け寄る。


「いえいえ、旅費まで出してもらって娘の誕生節を祝うことができるとは、贅沢なものでございますな」

「どうぞこちらへ」


 カナタはカロリーナのいる方へとフィリップを連れて行く。


「お父様、わざわざありがとうございます」


 カロリーナはフィリップの手を引いてホールの端にあるソファへと座る。



 カナタはふうと息をつく。何度やってもパーティーなど人の多い席は疲れる。

 その時、目の端にエトスロット子爵ことエーリク・フランセン、つまり前伯爵の弟の姿が目に入る。明らかに敵対しているが、立場的に来ない訳にもいかないのだろう。フェリシア・フランセンを連れて来たもの彼のはずだ。カナタ側としても挨拶しないわけにはいかない相手だ。

 カナタは速足でエーリクへと近づき、挨拶する。


「これはこれは、エトスロット卿。いらしていただけたとは」


 エーリクはびくりと肩を震わし振り返る。


「お、おお、ワイバーン伯爵ではありませぬか!」

「北方の料理はいかがです? お口に合いましたか?」

「とてもおいしゅうございました。特にあの大きな貝柱のシチューは誠に……」

「それは良かった。ノシュテット商会が扱っている。是非、懇意にしてもらえると助かる」

「ノシュテット商会!」


 エーリクは口髭をぶるると震わせる。


「そ、それでは閣下。良き誕生節を。わたくしは少し知り合いと話さねばなりませんので……」


 エーリクは逃げるようにして人ごみに隠れてしまう。

 まあ、仕方ないか……。

 一通り挨拶すべき人とは話したと思う。

 シーラ達がいる場所へと戻る。

 ソフィアも、カロリーナも、ソファに座って親と話をしている。

 しかし、シーラの姿が無い。カナタは会場の中を歩きシーラを探すが、どこにも姿が見えない。

 そして、バルコニーがあることに気づいて、そちらへと速足で歩く。

 メイドとぶつかりそうになり、トレイの上の倒れそうなグラスを押さえる。


「も、もうしわけありません!」

「いや、問題ない」


 そのままバルコニーへと向かい、半開きのガラスの嵌った戸の外に出る。シーラは黒いドレス姿で手すりに寄り掛かり、暗い夜の帳を見つめている。

 カナタが背後に立つと、シーラは素早く振り返り、腰を落とす。


「カナタさん……?」

「どうしたんだ、シーラ。ソフィアやカロリーナを見て、ホームシックになったか?」

「いえ、そんなんじゃありません」


 そう言って再び手すりにもたれ、真っ暗な空を見上げる。


「じゃあ、オーケのことか?」


 細い肩がびくりと震える。


「やめてください、その話は……」

「なんでだ? いいだろ。シーラよりちょっと強いヤツがいた。それだけだろ」


 シーラは俯き、ぶるぶると全身を震わせる。そして振り向く。


「わたしは! わたしはカナタさんの一番になりたかったんです! 一番です! カナタさんを一番守れる人間でいたいんです! 一番守れるんじゃなきゃダメなんです! それが、それが、あんな……」


 そう言って項垂れ、両手をだらんと下げる。ぽたり、と涙がこぼれ、石床の上に点を打つ。

 カナタはシーラの頭を抱きしめる。


「大丈夫だ。シーラ。お前が負けようと、お前が一番だ。お前が一番、俺のことを心配してくれてる。だから気に病むな」

「やめてください! そんなの、おかしいです!」

「やめない。おまえの母さんはこうしてくれたんだろ? 泣き止むまで、こうして抱いてくれたんだろ?」


 カナタはそう言って、優しくシーラの背中を撫でる。頭を抱き、何度も、何度も、背中を撫で、肩を抱く。


「ずるいです! ずるいです! そんなのずるいです!」

「ずるいかもな……」


 シーラはぼろぼろと涙を流す。それはもう、体の水分が無くなってしまうんじゃないかってほどにだ。

 カナタの胸元は涙と鼻水でびしょびしょになっていた。



 宴が終わった。

 許嫁の親である、ニーダール夫妻とフィリップ・カンプラードは内廷に泊めることになった。

 ソフィアもカロリーナも、親の部屋で一緒に寝ると言って早くに部屋に入る。

 カナタは残ったシーラを寝室まで送る。

 シーラはいつまでもぐずぐずと泣いていたが、徐々に収まっているように思えた。


「おやずみなざいでず……」

「おやすみ、シーラ。一緒に寝ようか?」

「今それをしたら、あっちのほうが我慢できなくなりそうです……」

「そ、そうか。シーラはブレないな」

「もう大丈夫れす……」

「ほら、涙を拭え」


 カナタはそう言ってハンカチを出し、シーラの顔を拭く。

 シーラは気持ちよさそうに眼を瞑っている。


「じゃあな」

「はい……」


 ハンカチをシーラに預け、扉を閉める。


 ふう、と息をつく。ただの誕生節のはずが、いろいろありすぎた。どうも気持ちが疲れている。

 再度、ふう、と息をついた。

 カナタは隣の自室のドアを開け、中に入る。

 そこで、自分以外の何者かの気配に気づいた。

 気配……確かに気配と言っていいかもしれない微かな違和感。



「上に光、光明!」



「右に結界、左に結界、整列結界!」


 カナタの魔術が発動する前に聞き覚えのある男の声が暗闇に響く。

 目の前には背の高い男、体が筋肉で厚く、浅黒い男。


「オーケ?!」

「この城の警備は杜撰だな。領主の寝室に入るのにこんなに簡単だとは……。まるで首を取れと言わんばかりじゃないか」


 オーケは野獣のように目をぎらつかせ、口の端を歪めてこちらを見ている。

 体が恐怖にびくりと痙攣する。恐らく自分では敵わないであろう、シーラより強い不審者と寝室で二人きり。本能的なところで背筋に寒気が這い上がる。


「内廷の入口の近衛はどうした?」

「眠らせた」


 殺さずとも入れるだけの手段さえ持っている。


「シーラ! 聞こえるか! シーラ!」

「無駄だ。結界の外には声は聞こえない」


 カナタは後ろ手でドアレバーを動かそうとするが、ドアレバーの手前で手が壁のような何かにぶつかって触ることができない。


「無駄だ。この結界内から出ることはできない」


 この男と二人きりで隔絶された?

 恐怖が一段階上がる。

 ぶるふると足が震えて来た。


 ちっ、亜空間収納……!


 体内でぐにゃりのとした感覚が、無い……。

 どういうことだ……?

 手の先に空間のつなぎ目が現れない。何故か武器が取り出せない。

 いや、それを考えても仕方ない。

 素手で敵にダメージを与える方法を考えろ!

 目つぶし……?

 それくらいしか思いつかない。

 だが、いける……。

 それが決まれば行動不能に追い込むことができる。そうすれば武器を奪うことだって可能なはずだ。

 カナタはオーケの背後に転移し、両の眼球を潰そうと考えた。


 転移!


 しかし、何も起こらない。 


「結界内の空間を整列化してある。空間魔術が使えまい」


 空間の整列化……?

 なんだそれは……。

 転移もできない?

 どうやってこいつに勝てばいいんだ?

 恐怖はさらに増し、体の震えは口元にまで上がって来る。唇が、顎が震え、カチカチと歯が鳴る。


「さあ、状況は理解できたか?」

「オーケ、貴様、な、何が目的だ!」

「目的だと? それは俺のセリフだ。何が目的だ? カナタ・ディマよ!」

「何の話だ……?」

「この状態でとぼけるのか? ディマを名乗り、たった一年で流浪の商人から伯爵となった男よ。おまえはディマ教の尖兵なのだろう?」


 何を言ってるのか分からない。


「ちょっと待て、ディマ教ってのはなんだ?!」

「だから人間は頭が悪くて困る。この状況でまだとぼけるのか? おまえは死ぬか喋るかしかないのだぞ?」

「そんなこと言われても、な、何を言われているのかさっぱりだ!」

「ええい、往生際の悪い。手足を切り落としてから聞き直そうか……」


 オーケが素早く踏み込む。

 それはシーラが見せるような一歩で数メートルを一跨ぎするような異常な速度だ。

 カナタは焦り、辛うじて床を転がって逃げる。

 だが、膝に熱い感触がした。体のバランスが崩れ、床に転がる。そこから素早く立ち上がろうとしたが、うまく立てない。


「あ、あれ……?」


 じわり、と痛みが遅れてやってきた。


「痛っ……痛い……、痛いぞ……」


 そして理解する。


 右脚の膝から下が、ない……。

 

「うあっ! 脚が、脚があああああああああ!」


 痛みよりも一瞬で足を切り落とされた恐怖でカナタは我を失った。


「どうだ、カナタ・ディマよ。喋る気になったか?」

「ひいっ! く、来るな! 来るな!」


 カナタは足を失ったまま後退る。

 暗闇に濃厚な血の匂いが漂ってゆく。


「答えろ、カナタ・ディマ! お前の目的は何だ!」

「やめてくれ! 頼むからやめてくれ!」


 オーケのミスリルの剣が闇の中で青白い軌跡を作りだす。

 左足が飛ぶ。

 急激な血圧の低下で目の前が暗くなってゆく。

 駄目だ、殺される、殺される!

 俺は訳も分からず殺されるのか?!


「まだ答えぬか!」

「や、やめろ! やめてくれ!」


 体をかばおうと突き出した左手が宙に舞う。


「あああああああああああああああ!」

「あと一本だぞ、話せ!」


 そして、右手が飛んだ。

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