5■塩戦争1
一方、塩田開発も順調に進んでいる。ノシュテットの街が活気づき、鍛冶工房では鍬や鋤の生産が行われ、木工房では荷車の生産にやっきになっている。一稼ぎした農民が村にお土産を買ったり、浮かれて街で酒盛りをして回る。塩田工事の規模が大きくなると、浜辺に屋台が出来て黒パンと干し肉だけだった昼食に彩を与える。
鐘四つの会議。
「本日は製塩事業について報告および議論したいと思います。
一つ目。製塩事業は無事最初の出荷となりました。市場価格がキロ当たり銀貨1枚だったのが、銅貨90まで下がりました。岩塩が駆逐される勢いです」
カロリーナの言葉にボリス・ニーダールが笑みを浮かべる。
「まだまだ価格は下げられます。遠方から運ばれ運送費の掛かっている岩塩には手の打ちようが無いでしょう」
「領民が混乱しないよう、ゆっくりやってくれ。ビルギット殿、次は外務官に塩を手土産として持たせて近隣の領地へ挨拶に行かせてくれ」
カナタは外務長官のビルギットを見る。
「はい、閣下」
「二つ目。塩田の拡大についてですが、そろそろ子爵領内の浜辺が足りなくなってまいりました。全てを塩田にするわけにもいきませんし、場所の適性もあります。沿岸に沿う他の男爵領に塩田開発を教えるか、土地の賃料を支払って借りようと思いますが、いかがでしょう?」
「教えるのは良いが、ただという訳にはいかぬだろう」
カロリーナの言葉にボリスが返す。
「タダではいけませんか?」
「ようはやる気を測るためだ。やる気があるなら金を払え、やる気が無いなら土地を貸せとな。その方が折衝の面倒が減る」
「なるほど、その通りですわね」
「それがいいと思う」
ボリスの意見にカロリーナとカナタが賛同する。
「三つ目、それに合わせ、男爵領の塩田管理をこちらで一手に引き受けるという方法を考えております。支出と収入だけ項目を分けておけば可能でしょう。どちらにせよ価格を連動させないといけませんので」
「そうだな。他の領地も、投資だけして管理を任せたい者は多いだろう」
「最後に、これはご相談なのですが、そろそろ他領のやっかみが始まるのではないでしょうか? 特に、岩塩を算出している領から。何事か起こるのではないかと思いまして」
「そうだな。ビルギット殿、地図を」
「はい、閣下」
ビルギットはレクセル王国の地図をテーブルに広げる。レクセル王国は北を険しい山脈、ノシュテットのある北西の一部を海、西を辺境の大森林、南西のごく僅か一部を海、南を山脈、東を大河に囲まれている国だ。南北およそ1200km、東西はその倍以上あり、東西に長い。横に長いのは西の辺境を開拓して延びたかららしい。
「岩塩は、南山脈中央にあるストールグリンド伯爵領と、北東の端にあるリッテングリンド伯爵領が主な産地です。ですので、挟まれた中央部ではほぼ価格は安定し、北西、つまりノシュテット近辺が一番価格が高くなっております」
ビルギットの説明にカナタは頷く。
「塩の産出にはは国税が掛かかるのか?」
「はい、辺境地域なので一割ほどですが」
「では、価格競争しても、辺境の大半と王都までの大半の市場は制圧できそうだな」
皆黙って唾を飲みこむ。
これは国を横断する貿易戦争なのだ。
「ということは、何か文句を言って来るとしたら、ストールグリンド伯爵領でしょうか」
カロリーナは息をつく。
「それについては、適当にあしらっておけば大丈夫だ」
カナタはソファの背に深くもたれ、天井を見上げる。
「大丈夫とは、どういうことです?」
「そのままの意味さ。大したことはできやしない」
それからというもの、カロリーナとボリスはじわじわと塩の価格を下げていく。それでも塩の利益は膨大なものだ。
カロリーナは執務室にボリスを迎え、状況を報告していた。
「投下した資本はほぼ回収できました。ここからは売れば売るほどに利益が出ます。他の男爵領も軒並み浜の貸し出しを約束しましたわ」
「それは良かった」
「ただ、商人たちが徐々に値下げしているのを気づき出したようで、買い渋りが出て在庫が増えております」
「それでは、在庫に合わせて価格を下げてしまいましょう。そうでないと領外への輸出が進みません」
「はい、わたくしもそれがよいと思います」
塩は在庫が安定する範囲で銅貨85枚から5枚刻みで、数日で60枚まで下げられる。一斉に商人たちが動き出し、ノシュテット産の塩の公売に集まる。一度は銅貨60枚まで落ちた金額であったが、商人たちの購買に支えられ、金額は銅貨70枚まで戻る。そして、徐々に、65枚に安定していく。
ノシュテット産の塩は辺境の市場を席捲し、あっという間にストールグリンド産の岩塩を駆逐してしまうのだった。
■
「なんだと? 岩塩の価格が暴落しているだと!」
ストールグリンド伯爵フレデリク・フランセンは自領の内務長官の報告に怒気を上げた。その肥満で肉のついた頬を震わせている。
「はっ、ノシュテット子爵領で海塩の生産が進んでいるらしく、辺境地方の市場が取られ、在庫がだぶついております……」
「なんとかならんのか!」
「至急、生産量を下げるしか……」
「馬鹿者! 貴殿はおめおめと引き下がれと言うのか!」
「しかし、他に方法が……」
「なんでもいい! 生産量を下げずに済む方法を考えろ!」
「はっ……」
内務長官は汗が滲む額をハンカチで拭いながら伯爵の執務室を出る。ああは言われたものの、生産量を下げる以外の方法など思いつかない。
「閣下はああ仰るが、どうしたものか……」
そこへ外務長官トマス・トルネンが通りかかる。老年に差し掛かろうというのに細身で背の高い紳士だ。
「どうしたのだ青い顔をして。また閣下に無理を言われたか?」
「ああ、ひどい無理を言われたのだ……」
内務長官は先ほどの件について説明する。
「なるほど。それは無理な話だな。価格など市場に任せる他ない。それを何とかしろなどと……」
「であろう?」
「しかし、まったく方法がないではないぞ」
「なんと、そんな方法があるのなら教えてくれぬか?」
「それは内務ではなく、外務にて処理するしかあるまい。蛇の道は蛇と申す」
トマス・トルネンは黒い笑みを浮かべる。
「というと?」
「脅すのだ。ノシュテット子爵をな。リッテングリンド伯爵との連名でな。さっそく閣下の許可を取ってくることにしよう」
■
晩秋の頃、ストールグリンド伯爵からの使者がノシュテット子爵領へとやってきた。使者一団は謁見場にて軽く頭を下げる。
「跪まずかぬのは敵意あってのことか、ストールグリンド伯爵領外務長官トルネン殿」
カナタは玉座から指摘する。
「これは異なことを。ストールグリンド伯爵領へ戦いを挑んでおられるのは閣下の方ではありませぬか」
「ほう、どうしてそう思う?」
「海塩を生産し、その価格にて岩塩に戦いを挑んでおられる。兵を損耗するのも金を損耗するのも、同じ外敵行為かと存じます」
「しかし、それは市場の理というやつだろう。別にストールグリンド卿に対して思うところはない」
「思うところがあろうがなかろうが、ストールグリンド伯爵領の害になっておりますれば、それは変わりませぬ。ここに、ストールグリンド伯爵領とリッテングリンド伯爵領からの連名で、塩の生産規模を半分にするよう要望書がございます」
「そうか、受け取るだけなら受け取ってやろう。もう用が無いなら帰れ」
「なんと、子爵殿は伯爵の連名の要望を無視するおつもりか!」
「無視するのもまずいか。では、市場の何たるかも分からぬ愚かなストールグリンド卿に、塩を減産しないと破産するぞと、わたしから忠告書を書いてやろうか?」
トルネンは顔を真っ赤にし、唇を怒りに震わせる。
「この流民上がりの田舎子爵め!」
その暴言に焦る外務官がトルネンを引き留める。
シーラを筆頭に、近衛兵が一斉に剣に手を掛ける。平民が貴族に対して暴言を吐くのは不敬罪に問われ、場合によっては死罪と国法で決まっている。
「よい、トルネン殿の戯れだ。剣を収めよ」
近衛兵が剣を収める。
「見ておれ田舎子爵めが、後悔することになるぞ!」
「そうか、分かった。では退場願おう」
ストールグリンド伯爵領外務長官トマス・トルネンは次の行動について考えた。
■
次官クラス以上がカナタの執務室へと集まった。
「あそこまで本気とは思いませんでしたわ」
「心配事がふえましたな」
カロリーナとボリスはため息をつく。
「カロリーナは何を心配している?」
カナタはそう問う。
「縁のある領地にノシュテット産の塩に高い税を掛けるよう働きかけるとか……」
「塩の輸出先はほとんどが辺境伯領だ。フィアーグラン卿相手ならそのようなことは心配ないだろう。ボリス殿は?」
「塩田を破壊する工作を行う……でありましょうか」
「それも大丈夫だ」
「と、申しますと?」
「ま、今はそんなあるかないか分からない先のことは気にしなくていい」
軽い調子のカナタに、ソフィアとボリスは不審な目を向けるも、確かに今考えることではないと納得する。
しかし、あるかどうか分からないそれは起こった。ある夕暮れの会議、カロリーナは重い口を開く。
「塩田の一部が破壊されました。夜のうちに犯行があったようです」
「被害は全体のどの程度だ?」
カナタはソファにもたれたまま尋ねる。
「塩田自体が広いため、被害は1割程度です」
「塩田修復の為の手配は終えているのだろう?」
「はい、修復は既に初めており、3日あれば終わります」
「そうか、なら良い」
「警備兵の駐屯地を作って見回りをさせますわ」
「その警備費用と、修復費用、どっちが高い?」
「警備費用です……」
「じゃあ、警備は無しだ」
彼女の隣の内務次官ボリス・ニーダールは内心不満なのだろう、表情を曇らせる。
「このままむざむざと塩田を破壊されるのを見過ごせと仰るのですか!」
カロリーナは自分が主導で進めた事業であるためもっと露骨で、いつも涼し気な笑みはどこへやら、語気を荒げてカナタに食ってかかる。
「考えてみろ、それだけの範囲を夜中に荒らすために人を雇ったとする。どの程度金がかかると思う?」
「持久戦では相手の方が被害が大きいと? でも、それとこれとは別です! 塩田が壊されれば生産量も落ちます!」
「カロリーナの気持ちは分かる。そもそも塩田事業を始めたのはわたしだ」
「はい……」
「悪いようにはしない。ビルギット殿、例のものを持ってきてくれ」
「はい、閣下」
外務長官ビルギット・ニーダールは部屋を出て行く。苦い沈黙が流れる。
カロリーナは奥歯を噛み締め、目を細める。
少し経って、ビルギットが紙のロールを持って戻って来て、テーブルに広げる。
「……これは!」
カロリーナの目が大きく見開かれ、カナタを見る。
「ストールグリンド伯爵領の岩塩採掘場の地図だ。外務の方で調べさせておいた。ニーダール夫妻は下がってくれ。婚約者三人と話したい」
内務次官ボリス・ニーダール、外務長官ビルギット・ニーダールは、何も言わずに部屋を出て行く。
「このストールグリンド伯爵領の岩塩採掘場の近くに転移できるよう、既に転移魔術陣を置いてある」
「あはっ!」
「ほう?」
シーラの目が興味深そうに真ん丸に開かれ、ソフィアが楽し気に笑みを浮かべる。
「俺が午前中、ただ遊びにでも出てたと思ったか?」
カナタは深夜、転移魔法陣の入ったロケットを持ったウルリクの移動にタイミングを合わせ、ストールグリンド伯爵領に転移して転移石を置きつつ、地図を元に岩塩採掘場を調べていたのだ。
しかし、
「そんな面白いことに連れて行ってくれないなんて、酷いです!」
「一人で楽しそうなことをしおって、なんて男だ!」
シーラとソフィアがカナタに掴みかかる。
「え、なんでそんなリアクション?!」
「あらー」
なぜかカロリーナだけは楽しそうだ。
「落ち着け、落ち着けって!」
やっと二人から解放されたカナタは締まった首をさする。
「というわけで、今夜、四人で岩塩採掘場を襲う!」
「おおー!」
「やったー!」
「わたくしも行けるのですね?!」
■
深夜、カナタ、シーラ、ソフィア、カロリーナの四人は、ストールグリンド伯爵領にある岩塩採掘場の近くの藪に転移した。
採掘場の地図を広げ、小さな明りを魔術で灯す。岩塩採掘場は断層によって出来た高い崖に横穴となる坑道を掘ったものだ。周りは策で封鎖され、幾つかの小屋が見える。
「常に見回りが4人おるのか」
ソフィアが地図のメモを見て呟く。
「なあ、ソフィア、見張りを殺すことも無いだろうし、かといって、うまく気絶させるのは難しい。そんな時はどういう魔術を使えばいい?」
「麻痺か睡眠だろう。麻痺は風と土、睡眠は風と闇だ。高レベルほど掛かりやすく、持続時間が長くなる。あとは水魔法の濃霧に毒を混ぜるかだな」
「じゃあ、俺は睡眠だな」
「わたしは麻痺を使おう。二人掛ければ取りこぼしはないはずだ」
「それと、岩塩採掘坑を爆破したい場合、爆破魔法ってあるのか?」
「あるぞ。光と火と風だ。全てLV4もあれば使えるだろう。爆破は雷槌で代用できるのだが、穴の中には使えんな……」
「わたしも何かしたいです!」
「わたしくも何かしたいですわ」
話し込んでる二人にシーラとカロリーナが入って来る。
「うーん、今回は二人に出番は無さそうだな……」
「えー!」
「シーラはカロリーナを守ってくれ。もし、警備兵が逃げてきたらやってくれ」
「はーい……」
「仕方ありません……」
シーラとカロリーナはしょんぼりと答える。
「さて、どこまでやるかな……」
カナタは腕を組んで考える。それをソフィアは不思議そうに見る。
「どこまでとは?」
「いきなり壊滅的ダメージを与えるのも大人げないというか、可哀そうというか」
「そんな甘いことを言っていられるのか? 次の機会を与えたらガチガチに防衛するに決まっておろうが」
「確かにそうだな。そうなると殺さずというわけにもいかないしな……。よし、やってしまうか」
四人は頷く。
「おっとその前に。上に光、下に闇、変装」
カナタの姿が小さめのオークになる。
「姿を見られないほうがいいし、魔物のせいにしとけば楽だろう」
カナタは三人にも『変装』の魔術をかける。細っこいオーク、ちっこいオーク、グラマラスなオークが目の前に現れる。
「じゃあ、行って来る。すぐ終わるから」
オークの姿になったカナタとソフィアは静かに岩塩採掘場に近づく。
「右に炎、左に風、炎風!」
カナタの炎風が放たれ、木の柵が、ぼっ、と発火した。
「なんだこれはっ?!」
見張りが叫び、右往左往する。
「敵だ、何者かが魔術を使ったぞ!」
そこへ、175センチしかないオークと、ちっこいオークが現れ、魔術を唱える。
「上に風、下に闇、睡眠!」
「上に風、下に土、麻痺!」
毒の風が渦巻き、見回りの4人を巻き込む。警備兵たちはその場で倒れてしまった。
「よし、俺は坑道を爆破する。ソフィアは小屋をすべて燃やしてくれ。あれには採掘道具が入っている」
「分かった!」
カナタは坑道の入口に駆け寄る。
「上に光、右に炎、左に嵐、爆破!」
カナタの掌から放たれた小さな光が真っ暗な坑道に吸い込まれる。遅れて激しい光を放ち、破裂音をさせる。恐ろしい熱風が吹き荒れ、採掘坑の入口が吹き飛ぶ。
「こちらも終わったぞ!」
背後の小屋が三つ、炎に包まれ燃えている。
「ずらかるぞ!」
「おう!」
四人はカナタの私室に転移する。
「見ていただけですが、ストールグリンド伯爵の悔しがる顔を想像するだけで、とっても胸がすく想いです。カナタ様と一緒にいると、こんなに楽しい思いができるのですね」
そう言ってくつくつと笑うカロリーナの言葉に、シーラとソフィアは強く頷く。
「それは良かった。今回は魔術師二人がいれば足りたので、シーラとカロリーナの出番はなかったが、カロリーナは戦えるか?」
「剣は人並みには扱えるとは思いますが、近衛兵ほどの腕ではありません。スキルLV3くらいでしょうか。魔術はいざという時のことを考え、治癒魔術だけは学んでいます」
「じゃあ、治癒魔術を中心に魔術を磨いておいてもらえるか? その方が一緒に行動しやすくなる」
「分かりました。愛ある限り、夫の要望はどんなものでも聞き入れます。それが例え口では言えないような恥ずかしいことでも」
カロリーナは涼しい顔でそう断言する。
シーラとソフィアは顔を赤くしてカロリーナを凝視する。
「あ、ああ……、まだ夫じゃないんだが」
■
ストールグリンド伯爵の執務室。
「なんだと、岩塩採掘場が破壊されただと?!」
伯爵ことフレデリク・フランセンは、顔を真っ赤にして叫んだ。
一方、内務長官は顔を青くしていた。
「はっ、それが……」
「なんじゃ、はっきり言え!」
「小さなオーク2体が魔術を使って警備兵を昏倒させたと……」
「小さなオークだと?!」
「ええ、確かにオークだったと警備兵が言っておりまして……」
「ふむ、それは魔術かもしれませんな。変装をする魔術がございます。オークを見たことのある魔術師ならば実現できましょう」
ストールグリンド伯爵領外務長官トマス・トルネンは内務長官の後ろで控えていたところ、一歩前にでる。
「オークではないのだな? じゃあ、どこのどいつだ、岩塩採掘場を破壊した奴は!」
「分かりませぬ。……そろそろノシュテットの塩田を破壊した頃だと思うのですが、ノシュテットから我が領まで20日はかかります。あまりに日が近いので、連絡の方法が考え付きませぬ」
「……ぬう、だがどちらにせよ、それで利益を得るのは奴らだ!」
「しかし、どういたしましょう。証拠もございませんし、言いがかりと一笑に付されるだけでありましょう。こちらも塩田を破壊しておりますし、国王の調停も頼りにはなりますまい」
「ぐううううう、流民上がりの小僧がああああああ!」
フレデリク・フランセンは机の上の燭台を掴み、壁に投げつける。銀製のそれは壁に当たると三又の蝋燭受けの一本が折れる。
何度も机を殴り、蹴り、徐々にその眼は狂気に満ちてきた。
「やつらなど、捻り上げてしまえば良いのだ! そうは思わぬか、トルネンよ!」
「……捻り上げるとは?」
「最後通牒を突きつけろ! 同時に我が領と懇意にしている周辺の領に協力を仰げ!」
「まさか……」
「そのまさかだ、戦争だ!」
■
その20日後のことだ。午後の謁見で、ストールグリンド伯爵領外務長官トマス・トルネンが現れた。
「はるばる遠方よりご苦労。市場を理解せぬ愚かな主君の説得はうまくいったかな?」
カナタがそう言うと、トルネンは以前と同じどころか、礼もせずに玉座のカナタを見上げる。
「これはお戯れを。本日は、ノシュテットがストールグリンド伯爵領の岩塩採掘場を破壊した件についてお話に上がりました」
「どういう了見でそのような言い掛かりをつける? それより、ノシュテットの塩田を破壊したのは貴殿たちか?」
「それこそ、言いがかりにすぎませぬ」
「ほう、言いがかりと言うか。互いに言いがかりと言っていても埒が明かない。それで、貴殿はそれを解決する何かを持って来たのだろうな?」
「はい、わたくしはそれを持ってまいりました。これは最後通牒です。速やかに製塩事業を辞めぬ場合、ストールグリンド伯爵領を盟主とする連合軍がこのちっぽけなノシュテットに向けて進軍することになります」
「それは戦争ということかな?」
「そういうことになりますな」
謁見場にいたノシュテットの高官達がざわめく。
カナタは静かに目を閉じ、俯く。そして、数十秒、黙りこくる。再度顔を上げたとき、その表情は悲し気なものだった。
「こちらは新参の流民上がりの子爵風情。そちらは代々続く伯爵家。他領の協力も段違いだろう。勝ち目などあるまい」
「ご理解されているようですな」
「分かった。全面対決は望むところではない。我らも苦渋の選択をしよう」
同席していた内務長官カロリーナは唖然として目を見開く。
ここで負けるのですか……?!
そういう苦い思いが胸の中で渦巻く。
「それは良かった。では、その旨、ストールグリンド伯爵にお伝えいたします。では、ごきげんよう」
ストールグリンド伯爵領外務長官トマス・トルネンは勝ち誇った顔で翻り、謁見場を出て行った。
■
ノシュテットの高官達が集まり、カナタの執務室へとなだれ込む。
「わたくしは納得がいきません。フィアーグラン卿に協力を求めれば、戦争になったとしても勝てるのではないですか?!」
「なんだあれば、わたしは認めんぞ、カナタ! たった3人でオークの軍勢を退けておいて、人の軍に平伏するつもりか!」
カロリーナが本気の目でカナタに迫る。
ソフィアは不満をぶちまける。
シーラは黙ってカナタを見ている。
ニーダール夫妻も黙って事の成り行きを見守っている。
「はっ、ははは!」
カナタは笑った。笑って、言った。
「製塩事業を辞めると言ってないだろ? 苦渋の選択をすると言っただけだ」
「なんと?!」
「まあ!」
ソフィアとカロリーナは呆れたような驚いたような顔をする。
「おめでたいやつらだよ。念書もなく脅せたと思って去って行きやがった。こちらが製塩事業を辞めなかったとして、やつらがそれに気づくまでどれくらいかかると思う?」
カナタは愉快そうに口の端を上げる。
「もしや、時間を稼いで冬を待とうというお考えですか?」
「そういうことだ」
カナタの返事に、カロリーナはニコリと笑う。
「会議中失礼します。フィアーグラン卿からノシュテット商会経由で手紙が来ました……」
外務官が青い顔をしてその書状を出す。外務長官ビルギットが受け取り、カナタへと渡す。
『面白い商会の使い方をしておるな。
ところで、わたしに説明しないといけないことがあるのではないか?
アレクシス・サンダール』
カナタは頭を抱える。
ノシュテット商会がカナタの手下であるか揺さぶっていることについては別に問題ない。
領地間戦争となってただ一都市の問題で済ませるつもりか? 卿は恐らくそう問うている。
「はぁ……。いや、何でもない」
ビルギットに見せると転移が使えなくなる。すぐに一人で向かうべきだろう。
■
カナタは馬車ごと辺境伯領都サンダール郊外へと転移し、シーラを御者に市外から入った。
幾つもの門を抜け登城するとすぐにフィアーグラン卿の執務室へと案内される。
「ふむ、現れたか、カナタよ。オデアン、何日だ?」
「15日です」
傍仕えのオデアンが影のようにひっそりと立っている。
「安全経路で1日も無駄にせず主の元に届くか。おぬしの商会は有能だな」
辺境伯の老人は生き生きとした眼でカナタを見る。少し得意げなのが腹立たしい。
ったく、厭らしい爺だな……。
カナタが来るまでの日数でノシュテット商会を量っていたのだ。都市間を行き来する商会に金を払って手紙を頼むのは珍しいことでないが、あくまで荷の動きのついでなので普通は最短で届いたりはしない。最短でカナタに届くなら、カナタの商会であると確信できるというわけだ。辺境伯相手にノシュテット商会を使った工作はできないぞとも釘を刺してる。
カナタは腹立たしさ紛れにその話題を無視する。
「申し訳ありません。高々一都市を治める子爵が、地方を統べる伯爵と戦争になるかもしれません。この度はフィアーグラン卿にご迷惑をかけるかと……」
「そもそも、A地域の長が、B地域の一都市に戦争をふっかけるとなれば、B地域の長が黙っている訳が無い。これが本来の筋だ」
言われてみればその通りだ。そもそも地方と一都市が戦争になるのがおかしい。
「だが微妙なところでな。代官を派遣しているならともかく、おぬしは独立した所有権を持つ領主で、塩の利益をわたしへ回しているわけでもない。利権に関係のない辺境伯は黙っていろというのも一理ある」
塩を寄越せとば助けてやるとでも言うのかとも思ったが、フィアーグラン卿の表情にそういう気配はない。
「地方政治に協調して貰わねば困るが、それ以外は領主の裁量となる。だが迷惑かけるなら先に知らせるのが筋だろう?」
「はい、申し訳ありません」
フィアーグラン卿の言葉にカナタは視線を下げる。
「戦争は勝てるのか?」
「ええ、恐らく」
「なるほど……」
卿は鋭い眼光でカナタをまじまじと見ながら伸ばした顎髭を撫でる。
「……な、なんでしょう?」
「貴族の仕組みを理解していなかっただけのようだな。返り討ちできる目算はあるから対立が大きくなることに躊躇が無かった。いきなり手紙が来て間違いがあったかと焦って来たってところか。……ふむ、いいだろう。必要なら援軍を呼べ。もちろん後で戦費は頂くぞ」
フィアーグラン卿はカナタの思惑を量る為に、正論を説き、表情を見ていたらしい。何だか裸にされた気分だ。
「は、はあ……」
カナタは間抜けな顔をしてしまう。
「せっかくだからここで教えてやろう。世の中で、何を知るのが一番難しいと思う?」
「……神の御心とか?」
「そんな大げさなことでない。それは知るのが難しい以前に会うのが難しい。会えるなら意外と分かるかもしれん」
「……分かりません」
「それだ」
「……は?」
「自分が知らないことが何なのかを知るのは難しい。他人が知らないことが何なのかを知ることも難しい。全く知らぬことはその存在さえ想像できぬ」
老人の生き生きとした表情が、分かったか? と問う。
至言と言えなくもないが、どこにこの話が繋がるのかが分からない。
カナタは記憶の中を探ってみる。
あ……!
「わたしはおぬしが何を知らないのか知らぬ。おぬしが戦おうとしている方法もわたしは知らぬ。だから、適当に正論でも説いて反応を見るしかない」
自分が何を知らないかについて常に気を付けなくてはいけない。それは相手についてもそう。知っていることだけで判断するのは傲慢だ。フィアーグラン卿はそう説いてるのだ。
「ご忠告、痛み入ります……」
「ちなみに、ストールグリンド卿はわたしに何も言ってきておらん。勝手にやっていいぞ」
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