4■カナタの日常2
「最近、どこも貝の干物を売っておりまして……。どこも大量に貝を買い付け、ギリギリの値段で潜られるのです」
カナタこと、マクシミリアン・マグヌソンは、部下のウルリクより報告を受けていた。
「大手相手だ、仕方ない。こちらは大手に合わせて値付けしろ。そこは行きの経費を埋める為と割り切っていい」
「はい、会頭……」
「それと別に、タラなどの白身魚の干物を試しに持っていけ。貝で舌が肥えたなら、多少海の匂いがしても食いついて来るだろう」
「なるほど、それは良い考えです」
「利益は、帰り、ストールグリンド伯爵領からの胡椒で上げればいい。他にも、砂糖なんかも値段を見て買ってみてくれ」
「分かりました!」
■
それから20日後。
「なに、新しいスープの素だと?!」
ストールグリンド伯爵領フレデリク・フランセンは食いついた。
「閣下、これは白身魚の干物でして、海魚の中でも匂いの少ないものです。とても上品なスープが取れます」
「急ぎ、そのスープを作らせよ!」
フランセンは内務長官に命じる。
「そなたは料理人に助言を与えよ!」
「は、分かりました」
ウルリクは連れていかれた厨房で、いつも母がやっていたのを思い出して助言する。
「本来は、前の日から水に漬けておくとスープが出やすいのですが、今はそうは言っていられません。砕き、沸騰させたお湯に、白ワインと、生姜を少々入れて20分ほど煮てください」
料理人は頷くと黙々とスープを作る。
「もう少し水を入れても十分濃いスープは出ますよ」
ウルリクの助言に再度頷く。
「最後にリーキを幾片か入れてください」
スープが出来上がり、それはダイニングルームへと運ばれる。フレデリク・フランセンは何度も匂いを嗅いでから、そのスープをスプーンですくい、一口飲む。
「おおお、貝に劣らぬ旨さではないか!」
「ありがとうございます。貝の干物もございますが、ご入用ですか?」
「おう、全部買おう!」
■
それから20日後。
「伯爵とか言ってもちょろいですね! あんな基本的なスープで喜ぶなんて」
ウルリクはタラの干物と貝の干物を売り、胡椒と砂糖を買って戻った。
「うまいものは旨いからな。鶏と豚と牛とオークのスープしか飲んだことがない人間なら喜ぶだろう」
「はい。ノシュテットの海産物を売るのにとても好都合です」
「じゃあ、次はイカとタコだな。あれも良いスープが出るだろ?」
「いいですね!」
カナタの言うように、イカの干物も、タコの干物も順調に売れた。
■
カナタが昼食に向かおうと私室を出ると、そこに笑顔のカロリーナが待ち構えていた。
「午前中、どこへ行ってらっしゃったのです?」
そしてその後ろにも二人。
「うやむやにできたと思ったら大間違いだぞ!」
「ずるいです、ずるいです!」
「男とは時に一人になりたいものなのだよ」
そう誤魔化すように言ってスタスタと階下へ降りダイニングルームへと向かう。
二人はぷんすかと、カロリーナは楽しそうに付いてくる。
「カロリーナ、仕事はどうした?」
「今日は日曜日です」
そうだった、今日は日曜日だ。
「じゃあどうしてカロリーナが城にいる?」
「休日は婚約者と過ごしたいと思いまして、いけませんか?」
そう言って特大の笑顔を向ける。
「ぐっ……!」
これだけの美人に笑顔を見せられると破壊力が凄い。
カナタは振り払うようにダイニングルームの扉を開ける。既に昼食の用意ができており、影のような侍従長がドアの傍に控えている。
「侍従長、外してくれないかしら」
カロリーナの言葉に、侍従長は一礼して出て行く。
それ、俺の部下なんだけど……。
「さあ、これで話せるだろ?」
「話してください!」
ソフィアとシーラの剣幕とは裏腹にカロリーナはにこにことしている。
「ああもう、分かった言う。婚約してしまったし隠し事も無理だろ。というか、婚約したことにさせられてしまったというか……」
カナタは微妙に納得できない。
「隠し事ですか?」
「たしかにいつまでも隠すのは無理があろう」
「ですね!」
何事かと瞬きするカロリーナをソフィアとシーラが後押しする。
カナタは部屋の外の侍従長を気にして、カロリーナに手をこまねく。
彼女が隣に来たところでカナタは耳打ちする。
「空間魔術? ……空間魔術ってあの!」
「しっ。静かに」
カロリーナは両手で口を塞ぐ。
カナタは遠くの席に転移して見せ、歩いて戻る。
「まあ……! 午前中、部屋の中にはカナタ様はいませんし、見張っていても突然中から出て来たので、どうしているのかと不思議でした」
カロリーナはうきうきした顔で小声で言う。
見張ってたのかよ……!
「そ、そこまで調べてたのか。なのによく不気味に思わなかったな」
「私室に秘密の出口があるのかと思ってました。城の主の寝室です。あってもおかしくはありません」
「なるほど」
今度探してみよう。
「それで、どこへ行ってたのです?」
ショックで誤魔化せるかと思ったら無理だった。
「ノシュテット市内に偽名で入って、商会を作ってた。そこで干物や胡椒の貿易をしている」
「偽名って、市の鑑定はどうしたんです?」
「鑑定偽装を使った」
「まあ!」
カロリーナは驚いた様子だが、ソフィアは呆れた顔をしている。
「ただお遊びで商会を作ったなどというわけでもあるまい。その目的はなんなのだ?」
うやむやにできなかった……。
「実は、お遊びで……」
「こら!」
「最初はお遊びで作った息抜きだったんだがな。ただ小さな商売をしても面白くないので、諜報活動を兼ねることにした」
「諜報活動とは? 内務にも外務にもそれなりのチャンネルはありますわよね」
カロリーナが正論を吐く。カナタには子爵としていくつかの情報チャンネルがある。外務官による正式なチャンネル、外務が指揮する裏の諜報チャンネル、そして、街中を探らせる内務の諜報チャンネル。
「あくまで保険だよ。大したコストじゃないどころか、商売しているだけだから利益は出している」
カロリーナはそれを聞いて考え込む。
「利益が出ているのでしたら、外務の諜報も商会にしてしまい、商人に偽装させるというのはどうでしょう?」
確かに、それができれば、運用の手間は増えるがコストは大幅にダウンするどこか、利益まで出るかもしれない。
「それはいいかもしれないな」
「カナタさんカナタさん、それはともかく遊びに行きませんか? 休日ですよ!」
シーラが会話をぶっちぎってそう提案する。確かに外務の件は今考えることでもない。今日は休日だ。
「わかった。じゃあ、王都ナラフェンでも行くか?」
「……ならふぇん?」
「王都にも転移魔術陣を置いたのか?!」
「まあ!」
シーラ、ソフィア、カロリーナの反応はそれぞれだ。
深夜にウルリクの様子を見に転移していたので、通り道の主要な都市に転移陣を置いたのだ。
「ナラフェンに行けば全ての最新の流行が分かりますわ!」
「ほう、流行とな?」
「なんか面白そうです!」
一番食いつきが良かったのはカロリーナだ。
「じゃあ、早速行くか。身分証を持てよ。王都の外に転移するからな」
三人は身分証を用意するとカナタの服に掴まる。
『転移』
『空間魔術スキルLVが6になりました』
そこは藪の中だった。
木々を潜り、一行は湖の畔に出る。
王都ナラフェンは大きな湖の一部に岬状に陸が突き出しており、そこに作られた街だ。岬の突端部にはナラフェン城があり、その手前に街がある。城壁はその岬の入口を囲うように幾重にも建っており、今いるのは、一番外側にある四の壁の外の西側だ。
四人は城壁沿いを歩く。城門では、貴族と準貴族しか持てないミスリルの証明書を見せ通る。カナタとソフィアは貴族で、カロリーナは男爵令嬢、シーラは騎士称号を持つ為、準貴族となる。ミスリル証明書の場合、入市税がないし、一の城門も自由に入れる。
「ノシュテットと比べると温かいですわね」
「少し汗ばんできおった」
「サンダールくらいあったかいです!」
四の街を進むと、女性向けの服屋を見つけ中に入る。
「これなんかソフィアによく合いそうです」
カロリーナが、服を手に取ってソフィアにあてがう。艶のある白を基調に黒の刺繍の入った長袖のワンピースでサッシュも黒だ。
「むう、ちと派手過ぎないか?」
「ソフィアちゃん、可愛いです!」
「カナタ様はどう思われます?」
「うん、ソフィアの黒髪に合うと思う」
「そ、そうか。ではそれを頂こう……」
ソフィアはおずおずと店員に渡す。
「シーラにはこれでしょうか」
ソフィアとは逆に、黒を基調に銀の刺繍の入ったツーピースで、下はゆったりと幅の広いパンツだ。近衛として身動きが取りやすいものを選んでいるようだ。
「髪の色が映える色を選んでいるのか? いいと思う」
カナタはカロリーナの合わせ方が分かってきてそう答える。
「やったー、これにします!」
「わたくしはどうしましょう……」
カロリーナは他人のものはすぐ合う服を見つけるというのに、自分の服となるとオロオロとしてなかなか決まらない。
カナタは濃紺に金の刺繍の入ったツーピースを取り、カロリーナの胸元に当てがう。
「これなんかどうだ?」
「おお、良いのではないか。そなた、女性の服を身立てられるなど意外だな」
「とってもいい感じです!」
ソフィアとシーラも賛成してくれる。
「いや、なんとなくカロリーナの金髪に合うかなって」
「ではこれを頂きますわ」
カナタは金貨を6枚出し、釣りをもらう。ささやかな家族なら3か月分の生活費だ。貴族は金がかかる。
次に、服屋の店員に美味しい甘味を出すことで有名な店を訊き、そこへと向かう。
「お、おいひいれす!」
「おお、うまいぞこれ。これなんだ?」
「とっても美味ですわ」
カナタは自分が食べているものを見る。クレープのような生地に生クリームとカスタードクリームが交互に挟まっている。ミルクレープというほど重なっておらず、クリーム層が厚い。
なんだろう、これ……?
その後、防具屋で、女性がドレスの中に着れる薄手の防具を3人とも買う。
本屋ではソフィアの勧めでカロリーナが魔術本を買っていた。
帰ろうとしたとき。宝石店のガラス窓の向こうに指輪が見えた。シーラが駆け寄ってそれをじっと見る。
「綺麗ですー!」
まあ、婚約したんだものな……。
カナタはそう思って三人を連れて店内に入る。
「なかなか太っ腹だな!」
「買って頂けるのですか?」
シーラにはダイヤモンドの指輪を。
ソフィアには黒い石の連なるネックレス。
カロリーナにはロイヤルブルーサファイアの指輪を。
「む、どうしてわたしだけネックレスなのだ?」
「それは魔石のネックレスだ。つけていると、魔力枯渇の際、そこから魔力を補充できるらしい。指輪だとそれほど容量がないみたいだから」
「おお、お主分かっておるの! そうだ、こういうのが欲しかったのだ!」
「本当はみんな魔石にしたかったんだが、シーラは魔術使わないだろうし、カロリーナに黒は似合わなそうだと思ってさ」
「これだけ大きなダイヤモンドなら、敵の攻撃を受けられます!」
「攻撃受けちゃダメだろ!」
「とっても美しいサファイアです。ありがとうございます」
カロリーナはいつにもまして笑みを深める。
「喜んでもらえて良かったよ」
『転移』
四人が城に戻った頃には既に夕暮れ時だ。
「わたくし、城に住みます。こんなに楽しいことを見逃したりするわけには参りません」
戻った途端、カロリーナが宣言する。
「もう好きにしてくれ……」
■
次の日、夕暮れの会議で、諜報活動についてビルギットに話をする。諜報員を商人にするというものだ。
「それは名案ですわ、閣下。商売で経費削減になるなら、もっと規模を大きくすることも可能です」
「そうか、じゃあ、ノシュテット商会とでも名付けて適当な内務上級官を会頭に据えてくれないか? 白身魚やイカやタコの干物も売れているからそれも加えて」
「分かりました。さっそくかかります」
「カロリーナ、関税の項目を魚介類の干物全般にまで広げてくれ」
「分かりました、閣下」
それからというもの、ノシュテット商会は海産物を売り続け、その販売網はレクセル王国の版図を網羅する。
移動する商人と常駐する商人。彼らは交代しつつノシュテットへと戻り、情報を集めて来る。そして、街を巡るたび、貴族に謁見するたび、新たな情報がノシュテットへともたらされる。
海産物を商材とする商会はノシュテット商会と競合する。しかし、この商会の戦いは茶番だ。なぜなら、ノシュテット商会=ノシュテット子爵領の本当の利益とは、輸出関税だったからだ。
■
「お父様、ノシュテット卿がお呼びですわ。昼食を一緒に取りたいと」
カロリーナ・カンプラードは自宅に戻るとホールのソファでうたた寝している父フィリップ・カンプラードを起こす。
「ノシュテット卿だと? 一体わたしに何の用だ」
フィリップは仕事を辞めてから一気に老け込んだ。このところノシュテット市に行くことも無くなり、農村の男爵邸に引き籠っている。毅然とし全身に神経を張り巡らせた精密な木彫り細工のようだった男が、徐々に枯れ木のようになってゆくのを、カロリーナは心配する。
「悪い話ではありません」
「となると、お前も話の内容は分かっておるのだな……」
「はい」
「ならばゆこう」
ノシュテット城の最奥にある内廷、その食事室にフィリップ・カンプラードは招かれていた。
「オストラスクーゲン卿、いや、フィリップ・カンプラード殿。今日は急な呼び出しに応じて頂き感謝する」
「いえ、閣下」
「今日はお願いがあってお呼びした。本来こちらから伺いたいところだが、あちこち動くと周りがうるさいのだ。済まない」
「閣下自ら来ていただくなどとんでもございません。余生を過ごす暇な老人などいつでもお呼びつけ頂ければと存じます」
老人というにはまだ若いフィリップ・カンプラードだが、仕事をやめて目的を亡くした男は確かに老人に見える。
「実は、カロリーナ殿と相談した結果、婚約したいと考えている。そこで、フィリップ殿に許しを頂きたい」
既に婚約したことになっているのだが、農村に引き籠っていたフィリップは知らない。
フィリップ・カンプラードにとってまさに青天の霹靂であった。まったくそのようなことなど望んだこともなければ予想したこともなかったのだ。
「カ……、カロリーナが、閣下とですか?」
「カロリーナ殿はその才幹を含め、人物もその美しさもわたしにとって特別な方だ。なにより、わたしを好いてくれる。それでは理由にならないだろうか?」
「わたしからもお願いします。お父様」
フィリップは気が遠くなりそうなところ、額の汗をハンカチで拭って正気を保つ。どのような男がカロリーナと恋仲になるのか。それだけが心配でならなかったのだが、まさか新しいノシュテット子爵と婚約することになるとは……。
「わたしがとやかく言えることではありません、閣下……」
フィリップが感じていたのは喜びとも不安とも違う、何か運命と呼べる奇妙な何かだ。
「オストラスクーゲン男爵として、内務長官として、この一生をノシュテット家に忠誠を捧げて来た身としては、いささか数奇な運命に思えます。前ノシュテット伯爵が排され、新たな子爵であるカナタ・ディマ様と娘が……。これこそ、ディマの悪戯でございますな」
「この婚約の件は、どちらかと言えば、カロリーナの悪戯だが」
「それは言わない約束ですわ」
ちなみに、ソフィアの両親ニーダール夫妻とは既に話を済ませている。
シーラは、何やら複雑な顔で「結婚の時でいいです」と言っていた。
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