6■ワイバーン伯爵2

「来ました、ワイバーンです!」


 近衛兵の一人が山の方を指さして叫ぶ。一行はその先を見上げる。

 両翼10m以上、頭部から尻尾の先は20mはあり、長さの半分を細長い尾が占めている。その巨体は滑空すると村の真上を旋回し、獲物を物色しはじめる。鱗は黒光りし、日差しを受けてギラギラと輝く。


 カナタは事前に警備兵長テオドル・テグネールから説明を受けていた。ワイバーンが上空を飛んでいるうちは、動きが速く魔術や矢がなかなか当たらない。当てられても堅い鱗と皮に守られ大した傷にはならない。自らが強い毒腺を持っているため、毒はほとんど効かない。


 ただ、敵意を示すことで、地面に引き寄せることはできる。

 その際の、滑空からの後ろ脚の鋭い爪の一撃が一番恐ろしいらしい。牛を掴んで運ぶくらいの大きさと力だ。人間など一ひねりだ。それを躱しつつどうにか至近距離での弓の斉射と魔術により、翼を破って飛べなくさせるのが先決だとのこと。 

 飛べなくさせても、噛みつく牙と、鞭のように振り回される尻尾の毒針が脅威で、それで何人も亡くなっているとのこと。

 毒の血清は数本預かっている。


「領民は家に入れ!」


 近衛の指示に村の人々は慌てて家に閉じこもる。


「近衛はフェリシア嬢を守れ! 皆は牧草地へ移動、引き付けるぞ!」


 カナタが叫ぶ。

 その声に呼応し、カロリーナが弓を引き絞る。堅い鱗を通るかは分からない。だが、少しでもダメージを与えられた方が良い。

 いける!

 矢が放たれ、ワイバーンの飛ぶ先へと軌跡が伸びる。そして、下顎に刺さる。


「お見事!」


 近衛たちが声を上げる。

 ワイバーンはこちらを敵と認識し、急降下してきた。その後ろ脚の爪を開き、カロリーナ目掛けて滑空する。

 爪は一本が肘までほどあり、掴まれたら即座に内臓まで貫通するだろう。

 カロリーナの前にシーラが立ちふさがり、鬼切丸を構える。

 カナタとソフィアはその左右に展開し、紐でナイフと竹筒が繋がったものを構える。

「カロリーナちゃん、伏せて!」

 シーラの声に合わせ、カロリーナが横に飛んで地面に伏せる。

 シーラは極限まで集中する。

 敵の力を上へと受け流す!

 ぎん、と甲高い音がし、爪が一本切り落とされ、宙に舞う。

 同時にカナタとソフィアの竹ワンドのナイフが翼に刺さる。


「ぐるるるるるるごろろろろろろ!」


 ワイバーンが痛みにもがきながらも再度空中へと上がって行く。翼には左右に一本ずつ、竹筒が刺さってぶら下がっている。


「よし!」


 カナタの声に応じたかのように空中でワイバーンの翼が燃え上がる。


「ぎりりりりりり!」


 竹筒は炎風の魔術陣に魔石を仕込んだワンドである。

 ワイバーンが悲鳴を上げ、空中でのたうち回ると、そのまま螺旋を描いて牧草地へと落下する。


「ソフィア、翼の火を消してくれ! 皮は防具の材料になるからな!」

「おう、右に水、左に風、風雨!」


 ソフィアの右手から風と水が渦巻きワイバーンを包む。熱で蒸気が吹き上がり、辺り一面が真っ白になる。

 そして、風が吹いた後には火の消えたワイバーンが残っていた。飛竜はこの機とばかりにカナタ達へと這い寄ってくる。

 シーラが我先にとワイバーン目掛けて飛び込む。

 あらぬ方向から鞭のような尻尾が飛び掛かってくる。

 極度に集中したシーラは見事その先端を切り落とす。


「偉いぞシーラ!」

「えへー!」


 激怒したワイバーンはシーラへと噛みつこうと首を伸ばす。

 シーラは剣を盾にそれをやり過ごす。

 がちん、と牙が打ち合わされる。


「シーラ堪えろ!」


 ワイバーンの動きは俊敏だ。人とのその極端な大きさの比は、そのまま噛みつく速度の比ともなる。それはシーラとしても正面から切り伏せるのが難しい攻撃だ。

 カロリーナが弓を引く。目を狙う。そのただ一点を狙って引き絞る。

 弦にかかった二本の指をそっと外す。風切り音とともに矢が放たれ、一寸違わずワイバーンの眼球を貫く。


「お見事、カロリーナ!」

「当然です!」

「ソフィア!」

「わかっとる! 右に水、左に風、冷凍!」


 続いてソフィアの魔術が炸裂し、空気中の水分が凍ってダイヤモンドダストが浮かんだ。


「右に水、左に風、冷凍!」


 カナタも同じく冷凍の魔術を使い、その風をワイバーンへと叩き付ける。

 ワイバーンの動きが徐々に鈍くなってゆく。

 攻撃はシーラが引き付け、動きはソフィアとカナタが鈍らせる。


「カロリーナ!」


 カロリーナはミスリルの剣を抜くと、素早くワイバーンの体の下に飛び込む。


「やああああ!」


 ミスリルの剣の連続突きで心臓と思われる部分を滅多刺しにする。

 傷口から血が噴き出す。ワイバーンの体がびくりと跳ね上がり、先端を失った尻尾がカナタの方へと振り回された。

 カナタは身を低く、それを鋭角に弾くようにミスリルの剣で受ける。

 尻尾が切断され、宙を飛ぶ。

 カロリーナは十、二十の突きを休まず連続で刺す。


「ぐららららららら!」


 ワイバーンは一際大きな咆哮を上げると、その首と尻尾を地面に叩き付けるように降ろす。

 ずしん、と地響きが起こる。

 それ以上、ワイバーンはぴくりとも動かなくなった。


「よーし、肉にも皮にも最低限しか傷を付けずにやったぞ!」


 カナタは伯爵演技も忘れ商人目線で喜びの声を上げる。


「久しぶりのカナタさんとの狩り、楽しいです!」

「オークキングと比べたら余裕だの」

「な、なんとか、やれましたわ!」


 シーラ、ソフィア、カロリーナもそれぞれ満足気だ。



「おいおい、本当にやっちまったぞ……」


 元分隊長、現近衛兵のイェオリはその様子を見て呆然とする。


「どうだ?」


 他の近衛がイェオリの背中を叩く。


「見事な連携だった……。シーラ様も、ソフィア様も、カロリーナ様も、皆強いが、伯爵様が一番と言われても良く分からなかったな」

「あの魔法のワンドを作ったのは多分伯爵様だ。伯爵様は流浪の商人時代にワンドを作って財を成したとシーラ様が言ってたからな」

「剣も魔法も使えて、ワンドも作れるか……。うむ、本当に最強なのかもしれないな」



 近衛兵から少し離れたところで、フェリシア・フランセンは腕組みしながら家の庇の下に立っていた。


「思ったより一方的な狩りで拍子抜けですわね……。しかし、」


 フェリシアは目を眇め、唇の端を上げ、不敵な笑みを浮かべる。


「シーラの化物じみた強さはともかく、他は、殺って殺れない相手ではありませんわ」



「近衛兵、ワイバーンの解体を手伝ってくれ」


 カナタの声にイェオリ含む四人の近衛が駆け寄って来る。


「シーラは皮を剥いだあとの肉を荷馬車に乗せられるよう、適度な大きさに切り分けてくれ」

「はーい!」

「近衛はシーラが切り分けた肉の皮を剥いでくれ」

「はっ!」

「ソフィア、気を付けて、シーラが斬った毒針を探してほしい」

「わかった」

「カロリーナは魔石を取り出してくれ。心臓付近にあるはずだ」

「承知いたしました」


 カナタは皆それぞれに指示を出すと、自分は手足の爪を切り落とす作業に入る。



 そして夜、村は広場に火を焚き、ワイバーンの肉を振る舞われ、祭りの如く賑わった。


「これはなかなか旨い肉ですな。独特な味が後を引きます!」


 村長は酔った赤ら顔でカナタの前に現れる。


「喜んで貰えてよかった。帰りの荷物を少し減らしたいからな」


 ワイバーンの肉はたしかに独特だった。鶏肉のように柔らかく味の濃さがある。鴨肉に近いが、脂身も赤身ももっと味が濃い。塩だけよりも、たっぷり香辛料をまぶした方がよく合うかもしれない。


「おいひいれす! おいひいれす!」

「なんとも野趣溢れる味だな」

「しばらくこれを頂けるのですね。頑張った甲斐がありましたわ」


 シーラ、ソフィア、カロリーナもワイバーンの肉を気に入ったようだ。


「あれほど凶暴な魔物がこのように美味しいとは意外ですわ!」


 フェリシア・フランセンも舌鼓を打っている。


「テグネール殿が滋養強壮に良いと言ってましたわ」


 カロリーナの言葉に皆、納得したように頷いた。



 一方、近衛兵たちは此度のワイバーン退治の主役が誰かを議論していた。


「やはり、『ワイバーン殺し』はカロリーナ姫に与えられるべきだろう」


 イェオリはワイバーンの肉を頬張って主張する。


「うむ、最初に弓で気を引き、最後に心臓を八つ裂きにしたカロリーナ姫が相応しいだろう」

「『血塗れ姫』も強そうで良かったが、具体性に欠けるしな」


 他の二人がイェオリの意見に賛成する。


「では、伯爵様はどうだ。『ワイバーン伯爵』というのは」


 イェオリは調子に乗っていた。


「おお、それはいい。ストールグリンド伯爵領の開祖の話に通じるではないか!」

「いいぞ! ワイバーン伯爵。それは誰もが気に入るだろう」


 そこへ一人焚き火の揺らめく影を背負って近寄って来る。


「面白い話をしているな、仲間に入れてくれ」


 話題の人、ストールグリンド伯爵カナタ・ディマだ。

 近衛たちは立ち上がり、気まずく顔を伏せる。


「ワイバーン伯爵。良いじゃないか。気に入ったぞ。では、カロリーナのワイバーン殺しと、わたしのワイバーン伯爵。両方流行らせてくれ」

「はっ、承知いたしました!」

「ところでイェオリ」

「はいっ!」

「シーラより、そなたはシーラに次ぐ腕と聞いた。そこで、そなたにわたしとカロリーナの剣の指南をしてもらいたいのだ」

「閣下とカロリーナ姫にわたくしごときの指南など必要なのでしょうか!」


 イェオリは顔を上げ、直立姿勢となる。


「いやな、シーラは指南役としては強すぎて困っていたんだ」

「はあ……?」

「あれは人間の域を超えている。そうは思わないか?」


 戦士ジョブスキルを持っている時点でちょっとアレなのだ。

 イェオリは昼見たところ、剣、盾、のスキルがとても高かったし、戦士のスキルは無かった。


「それは身に染みて思いました……。シーラ様のような戦士に成れるものならなりたいです」

「では、指南役の任、受けてもらえるか?」

「はっ! わたしくごときでよろしければ、是非!」


 しかし、カナタが確認の為に再度見たイェオリのスキルに、


【ジョブスキル】

 戦士スキルLV1


 とあった。



 その夜、カナタ、婚約者たち、そしてフェリシア・フランセンは、同じ天幕の中でそれぞれの粗末なベッドで寝ていた。

 明りは高い位置にぶら下がった燭台の蝋燭が一本灯るきりだ。

 そして零時を過ぎ、おそらくは二時を過ぎたところだった。

 フェリシアはむくりと起き上がり、辺りを見回す。

 カナタも婚約者たちもよく眠っている。

 彼女は目が冴えていた。寝たふりをしてずっと時をすごしていた。

 胸元の懐刀を服の上から押え、高ぶる気を押さえる。

 こんな簡単に機会が巡るとは……。

 手が震える。

 脚が震える。

 息が震える。

 そっと寝台の上から降り、ゆっくりと歩く。

 僅かな砂利の音が靴底から聞こえる。

 今、ここで躊躇する必要などない。

 やってしまえばいい。

 一歩、一歩、ゆっくりとカナタへと近づく。

 その一歩ごとに砂利がきしむ音がやけに大きく感じる。

 いや、それを聞いているのは自分だけだ……。

 だれも気づきはしない……。

 そして一歩、一歩とカナタの寝台へと近づく。

 目の前にカナタの寝顔がある。

 薄暗い蝋燭一本の火でありながらも、無防備な顔が晒されている。

 フェリシアは胸元の懐刀を服の上から押える。

 そして、懐へと手を入れる。

 服の中で懐刀を抜く。

 そうして、その無防備な寝顔を観察する。


「とっても無防備ですわ、閣下……」


 フェリシアは囁くような小声で話しかける。


「ふふ、可愛いこと。わたくしと三つしか変わらないのですから……」


 伯爵と言えども、たった三歳年上の少年。


「ここで、お亡くなりなさいな……」


 嗜虐趣味の悪い虫が呼び起こされ、唇の端が上がる。

 ここでカナタ・ディマを殺せば、英雄殺しの女になれる……。

 悪巧みが趣味でありながら、実際に人を殺すのは初めて。全身を快楽が包み、その緊張と興奮で体が震える。


「声を上げたら駄目。ダメなの。一切声も出さず、死んでほしいのですわ」


 胸元から懐刀を抜き、カナタの頸動脈にそっと触れる。


「あなたの死はわたくしがいただきますわ。それでなにもかも終りとなります」


 震える右手を左手で押さえ、頸動脈をに突き刺そうとする。

 ごそりと背後で寝台が動く。誰かが起きた。シーラだ。

 咄嗟に懐刀を胸元に隠す。

 フェリシアはぐっと奥歯を噛み締める。

 もう少しで英雄を殺せるという快楽に浸り、獲物を前に舌なめずりしてしまうなんて!

 己の至らなさに顔を歪める。


「ん? なんだ、フェリシアか?」


 カナタが目を開け、フェリシアを見る。

 フェリシアはにこりと微笑む。


「だって、カナタ様の寝顔が可愛くて」

「そうか。でもあんまり見ないでくれ」


 カナタはそう言って目を閉じる。


「カナタ様が眠るまで、見させていただきますわ」



 ワイバーンは巨体すぎて村人総勢で食べても2割も食べることが出来なかった。さらに3割を村に置いてゆき、残りの皮と5割の肉とを荷馬車で持って帰ることにする。肉はストールグリンド伯爵領名産の塩をたっぷり塗り込んで腐らぬようにした。


 馬車が城に戻ると警備兵長テオドル・テグネールが迎えに出て来た。


「おお、なんと。本当にワイバーンを仕留めて帰って来られたのですな!」

「カロリーナを政務から外して悪かった。これで皆の意にも沿う結果となっただろう?」

「ええ、ええ、もちろんですとも!」



 それから数日後、ワイバーン伯爵、ワイバーン殺しのカロリーナという二つ名が城で流行っているようだった。



「猊下、今戻りました」


 フェリシア・フランセンはエトスロット城の一角の使われていない倉庫に入った。


「どうだった?」


 薄暗い影のような老人、司祭スティグソンがそこにいた。


「もう少しでしたが、カナタ・ディマを殺すことができませんでした」

「失敗して、これからおまえはどう役に立つと言うのだ?」

「シーラは確かに人を越えておりました……。しかし、他の三人はそうでもありません。よく腕の経つ人間ならば、十分殺すことは可能です。シーラさえ引き離せれば、カナタ・ディマを殺すことができますわ」

「そうか。分かった。その意見を参考にしよう。『蛇の頭』を呼ぶことにする。しばらくはお前の出番はないぞ」

「はい、承知いたしました」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る