5■エストリン商会と蛇1

 数日後の夜、フィアルクロック男爵邸の扉を叩く三人の客がいた。それは乱暴で、扉ごとぶち壊そうとしているのではと思うほどだ。


「はい、どなたです?」


 屋敷から見知らぬ銀髪の少女が出て来たので、客たちは互いの顔を見合わせる。


「おれたちはエストリン商会のもんだ。おまえは誰だ?」

「この屋敷の護衛ですよ」

「代官を出せ!」

「はい。代官様ー!」


 そこへ現れたのはまだ20歳にもならぬ若造だ。


「騒がしいな。お前たちは何だ?」

「代官を出せと言ったんだ。若造はすっこんでろ!」

「新しく任命された代官カナタ・ディマだ。用件があるなら言え」 


 男たちは互いに顔を見合わせ、戸惑うが、代官だというのなら話ははやい。


「今日こそ耳を揃えて借金を返せるんだろうなあ。返せないなら、この契約書にサインしろ!」


 男が差し出した契約書には、作物を小麦に替えること、今後20年間、言い値で小麦を売ること、など、勝手なことばかりが書いてある。

 若造はそれを床に捨てて踏みつぶす。


「なっ! 貴様!」

「払えるぞ」

「借金を返せないなら!」

「だから、返せるぞ」

「え?」

「借用書の控えは持ってるんだろうな」

「あ、ああ……、ここに……」

「ほら、ホールの端のテーブルの上に金貨がある。数えろ」


 男たちは予想外の展開に驚きつつも、テーブルに進む。

 その上には煌めく金貨の山があった。男たちは勧められるがまま金貨を数え始める。その黄金の輝きは目を眩ませるには十分なものだった。

 へっ、数枚握ったって誰も気づきゃしねえだろ……。

 男の一人が金貨10枚ずつ並べつつ、手の中に5枚ほどの金貨を握り込む。しかし、


「痛いいたたたたた!」


 急に腕を捩じ上げられ、手の中から金貨が零れる。


「悪い手ですねー。捻り潰さないといけませんねー」


 それは銀髪の女だ。細く見える容姿からは想像もつかない力で、男の腕をあらぬ方向へと曲げてゆく。女の親指が手首の肉に食い込み、血が滲んいる。


「悪かった! 悪かった! もうしない!」


 しかし、女は男の言葉を何も聞いていない。


「この手はお金を数えるのに適していません」


 腕を男の背中で握ったまま、座っている椅子ごと男を背後に倒し、腰から素早くナイフを取り出すと手の甲に突き立てる。


「ぐああああっ!」

「貴様らっ!」


 一人の男が立ち上がる。男の前に若造が立ちはだかる。


「なんだ? どうした? 早く数えろ」

「うおおおおおっ!」


 男は拳を握り込み、殴りかかる。

 しかし目前で小僧は消え、男は太腿の後ろに熱さを感じる。力が抜けると同時に鋭い痛みが走り、立っていられず床に転倒する。いつのまにか背後に回られ、太腿をナイフで刺されたのだ。


「脚が、脚があああああっ!」

「座って金を数えろ。立つ脚は必要ない」

「テメエら、エストリン商会に逆らって生きていけると……」


 残りの男が吠え立ち上がる。と同時に、パン、と女が男の顔を張る。男はその勢いでひっくり返り、床を転がる。それは首が抜けるかと思うほどの衝撃で、多少目が回っていた。


「早く数えてください」


 女は倒れた男に屈みこんで言う。


「このやろう! エストリ……」


 パン、とまた頬を張られ、男は床の上をごろごろと転げる。


「もうおまえしか数えられるやつがいないんだ。早くしろ」


 若造は倒れた男に屈みこむと、血に濡れたミスリルナイフを男の頬にぺたぺたと当て、薄ら笑いを浮かべる。


「ひ、ひいっ! 数える、数えるから!」


 残った男は必死に金貨を数える。生きている心地がしなかった。ただ黙々と数え切る。そして、貸した側の控えの証文と、完済した旨を確認した証明書にサインをし、引き換えに、革袋いっぱいの金貨を抱える。

 男はとてつもない重さの金貨袋を抱え、一歩一歩進み、どうにか馬車に乗せる。手を刺された男、脚を刺された男も背後に怯えつつ馬車に乗り込む。

 エストリン商会の馬車は逃げるように去って行った。



 エストリン商会の若き会頭カール・エストリンは剛腕という名が相応しい男だった。経済よりも、人の機微を操作することで、様々な出来事を商機に変えてきた。

 その中でも、借金をさせてその当人を操るという手が大好きだった。泥沼に片足を入れた人間が、酒と女に溺れ、借金をこしらえ、全身が泥まみれになって堕ちてゆく様を見るのは、それだけでも愉悦の極みだ。そういう意味では趣味と実益を兼ねた商売と言えたかもしれない。


 此度のフィアルクロック男爵領の代官エーギル・ニーダールの件も、愛妻を亡くしたと知った時から付け狙っていた。

 なに、簡単なことだ。妻を失った寂寥に耐えられず街で飲んでいるところに、偶然知り合った風の女をあてがい、前後不覚に酔わせて散財させる。

 また偶然を装い、同じ女をあてがい、また散財させる。

 三度目の出会いは運命で、恋が花開く。寄り掛かるところの無い人間と言うのは簡単に何かに寄り掛かるものだ。

 四度目以降は女が知るエストリン商会が経営するバー、レストラン、宿、を使って散財させる。そして、十度目以降、女は消える。女の仕事はここまでだ。

 女の肌に飢え、何かに寄り掛かりたいが寄り掛かる場所を持たない人間。ここまで行けばあとは簡単だ。ある時は世話好きを装った男が飲み屋街で仲間になり、そのままエストリン商会が運営する娼館へとなだれ込む。ある時は美人局。ある時はぼったくりのバーに引っ掛ける。そう、借金といえど、そのほとんどをエストリン商会が回収している金だった。


 こうやって、あらゆる手を使って自分の傘下の店に散財させ、その借金を盾にさらに何かを要求する。これがカール・エストリンの方程式だった。この方程式により、ノシュテットの数々の要人を抑え込み、官吏を支配し、男爵領の利権を根こそぎ奪って行った。

 だが、すべて順風満帆だったエストリン商会に影が差す。


「フィアルクロック男爵代官が金を返しただと?!」


 カール・エストリンは机を叩いて立ち上がる。


「それが、気味の悪いやつらで……。調べてみると、ニーダール家から爵位が剥奪され、カナタ・ディマとかいう聞いたこともない若造がフィアルクロック村の代官に代わっておりまして」

「ここまであれこれと工作を仕掛けてきたというのに、返されたとはどういうことだ! おまえたちは事前に察知できなかったのか?!」

「いえ、それが、たった3週間のうちに代わったみたいでして……」

「ぐうう!」


 代官エーギル・ニーダールが妻を亡くしたところを狙って酒と女を与え、堕落させ、その借金を集め、脅し、宥め、やっと首を縦に振り、あとはサインだけというところだった。それが、たった3週間でひっくり返されたのだ。

 これでは収穫の完全な独占ができない。独占ができなければ価格操作ができない。独占に眼を瞑ってもらっているノシュテット子爵への上納金も馬鹿にならないのだ。


「蛇の鱗に連絡せよ。もうやつらに頼むしかない……」

 


 次の日の朝、黒パンを食べながらカナタはあることについてシーラに相談した。


「昨日はあんな中途半端なやつらだったけど、次はプロが来ると思うんだ」

「何のプロです?」

「犯罪のプロだよ」

「あー」


 シーラは納得したようだ。


「それに対してどういう対策を立てたらいいか悩んでてさ」

「対策って、どういう意味です?」

「ゆっくり寝ていてグサリ、とか嫌だろ?」

「わたしは物音ですぐ目が覚めますよ?」

「あ、ああ……そうなの? ともあれ、こちらが二人なのは相手も知ってるからさ、4人、もしくは6人で来ると思うんだ。そうなると寝ぼけて相手にするの結構きついだろう?」

「そうですね」

「いっそ天井裏で寝起きするか……」

「せっかくのお屋敷なのに天井で寝るのは悲しいです」

「それもそうだな」



 犯罪組織『蛇の鱗』若頭レイフ・レーンの仕事は人を殺す、嬲る、奪う、だった。毎週のように人の死を見、悲鳴を聞き、血の匂いを嗅ぎ、冷たくなってゆく死体に触れた。

 だが、レイフはその剃り上げた禿頭と特徴的な鷲鼻、頭部の蛇の入れ墨、そして舌のピアスといういかにもな見た目には似つかわしくなく、よく考え込む男だった。

 人を肉の詰まった人形だと言うイカれた殺人鬼は結構な数見てきた。だが、自分はそんな風には思えないし、人が死ぬのは好きじゃない。知り合いが死ねば悲しい。殺したやつの家族が悲しんでいるところを想像すれば悲しくなる。


 だから、こんなに殺していれば、自分はそのうち正気を失ってまともな判断も出来ない殺人鬼となるのではないだろうかと恐れていた。しかし、100人殺しても200人殺しても、イカれた殺人鬼にはならない。仕事では殺すが、人を殺したいと思ったことが無かった。

 そして、殺した数は500人となり、800人となり、とうとう1000人に達してしまった。それでも人を殺したいなどと思うことは無い。

 例え腹立たしい相手だとしてもだ。カッとなった殴り合いが殺し合いと呼べる状況まで発展したことはあったが、殺したいなどと思うことは一度も無かった。相変わらず、見知った人間が死ねば悲しい。相変わらず、殺したやつの身内が悲しんでいるところを想像すれば悲しい。何も変わらない。

 それでも、それでもだ、自分は1000人以上殺した。そのとき、天啓を受けたような気がした。これは、天職なのではないかと。人であり、正常なまま、ただ人を殺し、嬲り、奪う。それができる、才能というのがあるのではないか。自分はたまたまそれに恵まれているのではないかと。



 そこはスラム街の地下室から縦横に抜いた壁をくぐり抜けた先にある一室だ。


「不用心ですよ、旦那。あっしらと会うときはもう少し気を付けてもらわないと」


 犯罪組織『蛇の鱗』若頭レイフ・レーンはピアスの空いた舌をぺろりと出す。


「痛めつけて欲しいヤツがいる。ただ、殺す必要はない。契約書にサインできる程度には手足を残しておいてほしい」


 エストリン商会会頭カール・エストリンは憎々し気に吐き出す。


「人を嬲るなんて頭がおかしいんじゃないか?」

「ふざけている場合じゃない。至急、頼みたい」


 レイフは本気で言っていたのだがエストリンには通じないようだ。


「誰で、何人で、どれだけ強い?」

「フィアルクロック男爵領代官カナタ・ディマ。こいつだけ生きてればいい」

「ディマ……?」

「ディマがどうした」

「いや、なんでもない。続けてくれ」

「その護衛のシーラ・ラーベ」

「あとは?」

「その二人だ」

「たった二人か……」


 レイフは呆れたように首を振る。


「カナタ・ディマはイカれた殺人鬼だと部下が言っていた。そのシーラ・ラーベという女はやたら力が強いそうだ。生かすのはカナタだけでいい。二人はフィアルクロック男爵領の屋敷に二人だけで住んでいる。もし他にいたら追加報酬を出す」

「わかった」


 カール・エストリンは笑みを浮かべる。汚い仕事をやらせて証拠を残さないのはノシュテットではこいつらと相場が決まっている。


「前金、100枚だ」


 殺しだろうが嬲ろうが、『蛇の鱗』は一人金貨100枚で請け負う。そして、その半分を前金として要求する。エストリンは金貨の入った革袋をレイフへと投げる。

 レイフはそれを受け取ると隣の男に渡す。男は金貨を数え、頷く。


「よし、数日で仕上げる。それまでゆっくり待っててくれ」

「ああ、頼んだ」



 深夜、灰色に塗った馬車が海岸側の細道からフィアルクロック男爵領へと侵入する。馬車には御者を含め、男が5人。誰もが深く頭巾を被り、口元を布で覆って、人相が見えないよう工夫していた。

 彼らは殺人、誘拐、拷問、強盗、などを行う専門業者だ。その男の中に指揮役である『蛇の鱗』若頭レイフ・レーンがいる。

 馬車は村落の無い海側の荒れ地から屋敷に接近し、馬のいななきの聞こえない数百メートル離れたところで馬車を止める。

 そこに、屋敷を監視をしていた2人が合流する。


「報告します。標的二人は日没前に屋敷に入り、鐘六つで屋敷の灯りが消えました。一階窓には鉄格子があり、表側の厩は馬がいますので、裏口から入ると良いです」


 月明りの下、男たちは身を低くして屋敷に近づく。裏口の鍵を開錠し、7人が中へと入る。

 ホールへ行くと、3人が一階を捜索し、3人が二階を捜索する。

 レイフ・レーンはホールで部下の働きを待っている。

 各階、1人が廊下に待機して見張り、2人が部屋の中に誰かいないか探す。それを端の部屋から順にこなしてゆく。

 乱暴な真似はしない。物は壊さない。探し物をするわけでもない限り、下手に物はいじらない。それが、手がかりを残さない第一のコツだとレイフは信じている。

 しばらくして、部下たちがホールへと戻って来た。


「ボス、二階は誰もいません。屋根裏も同じく」

「一階も誰もいません。地下室も調べましたが同じく」

「夕方屋敷に入って、鐘六つまで明りが点いていたんだよな?」


 監視していた2人に向かい、レイフは言う。


「はい、夕方屋敷に入ったのを見ましたし、鐘六つまで明りが点いてました」

「ふむ…………間取りにおかしなところがないか、もう一度確認してこい」

「はい」


 3人ずつ、一、二階に散って行く。


 しかし、それらしい部屋は見つからない。見つけられないのか、そもそも存在しないのか。それは悪魔の証明だ。参ったな……こんなことになるとは。

 貴族の家だ、抜け道や隠し部屋があってもおかしくないと言えばおかしくないが、こんな辺境の男爵家にそこまで必要かね?


「いだっ!」

「すっころんでやんの」

「ははは」


 一人が木床の上で滑って転び、それを同僚が小さな声で笑う。


「何やってんだ」


 レイフが小さな声で叱咤する。


「この床、滑りやすいんすよ」


 だたの木床だ。余程ワックスでも塗り込んでいるのだろうか?

 レイフがしゃがんで床を指で触れてみると、何か軽い粉のようなものがうっすらと被っている。

 なんだこりゃ、砂とか土の汚れじゃねえ。匂いを嗅いでから、舐めてみる。


「麦……? ライ麦粉?」


 唾を吐き出し、レイフは屋敷を移動して確認する。ホールはどこもライ麦粉が撒かれている。二階に移動してみるが、廊下は全てライ麦粉が撒かれている。一階を調べても、廊下は全て同じだ。


「どういうことだ?」


 もし自分が床にライ麦粉を撒くとしたら……?


 ライ麦は黒パンの原料なので小麦のように白くない。グレーの床に撒いても夜だと見えない。しかし、それを昼間見れば確実に足跡は残って見える。


 つまり、フィアルクロック男爵領代官カナタ・ディマは襲撃を予見していた。だが、それがいつかは分からなかった。だから、毎晩このライ麦粉を撒き、自分は安全な場所で寝ているのだ。そして、足跡があれば襲撃のあった日が分かる。

 さらには、寝床を見つけられなかった襲撃者は、次はまだ起きている時刻にやってこざるを得ない。

 逆にカナタはその時期を絞り込むことができるようになるという訳だ。


「くそっ、舐めやがって!」


 いつ襲われるか分かってさえいれば対処のしようがある。このライ麦はそうも言っているのだ。


「出直すぞ!」


 屋外に出ると、交代制で常時見張りを二人つける。その見張りとの距離、10kmの岩陰でレイフ・レーンたちは野営をする。

 中に潜むことも考えたが、ここまでやるヤツだ、中にいることに気づかれれば、大人数で包囲されることもありうる。それは避けたい。この辺りは自警団しかいない。昼間は姿を晦ましにくいが、日没後すぐならいいだろう。相手の人数が多いようなら、それを見て、こちらも人数を増やすだけだ。

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