3■初めての商売1

 冷たいものを感じ、顔を上げる。空は夕暮れに厚い雲が見え、ぽつりぽつりと雨が降っている。

 ここはスラムだ。そして所持金は銅貨20枚。

 何か考えがあるわけでもなく、カナタは雨を避けようと、半ば本能的に立ち上がり辺りを見回す。そこで、建物の外壁に薄く開いた内開きの小さな木窓を見つける。木窓は内側の閂が外れているらしい。

 カナタは空き家らしき建物内へと潜り込む。頭から中に入りつつ両手で窓枠を掴み、体をくるりと回して中に降りる。途端に強烈な腐敗臭がして眉を寄せる。1階は倉庫か店舗用途か、建物まるまる広い部屋だが、隅に蠅の集った腐った死体がある。先客だろう。

 鼻を摘まみながら部屋を見回し、街路と反対側の壁に扉があるのを見つける。扉は鍵がかかっており、鉄格子の嵌った覗き穴がある。向こうに行ければこの悪臭から逃れられそうだが、丈夫な錠前が掛かっていて入れそうもない。


「扉の向こうに行ければ宿代わりになるんだけど」


 雨は凌げどもこの悪臭の中で眠ることはできない。


「あ、そうか……。転移」


 体の中の流れがぐにゃりと歪み、鉄格子の嵌った穴の向こう側へと移動する。右手に2階へと昇る階段が見える。

 建物の2階から上は住居仕様だが、家具も何も無く、床は埃が積もっている。3階まで上がって各部屋を覗くが、どれも同じくガランとしている。どこで寝ても同じだが埃っぽいのが気になる。


 どこで寝ようかと迷っているところ、3階の廊下の突き当りで屋根部屋への梯子を見つける。惰性ではしごを上り屋根裏部屋へと上がる。そこには、粗末なベッドがあった。毛布の上は埃が積もっていたが、毛布を剥がすと真新しいシーツが見える。

 カナタは外開きの窓を開き、毛布をバタバタと叩いて埃を落とす。それをベッドに戻し、倒れるようにして眠る。



 目が覚めると朝だ。昨日と比べれば幾らかまともな気分に戻ってはいる。


「そうだ、銅貨20枚しかないのか……」


 現実を思い出した途端、何もする気が起きなくなりため息が出る。

 それでも、体は元気なのか寝ていても落ち着かない。上半身を起こし、ベッドに腰掛ける。屋根裏部屋を見回し、金目のものが無いのを確認し、息をつく。

 そして、何か気づく。何に気付いたのか分からない。だが、何かに気付いたのは確かだ。それが何なのか理解しようとするが、なかなか分からない。

 一方で、それに気づいてしまうのが恐ろしい気がする。とてつもなく、恐ろしく、甘美なこと。そんな予感。

 最初は直感的で朧気なものだったが、徐々に形を成してゆく。

 カナタの視線は床に転がる古びたバッグで止まる。


「そ、そうだ。マジックバッグがあった!」


 転移魔術陣が書けるのなら、亜空間収納魔術陣も書けるはず。それが魔術陣スキルの何レベルに対応するのかは分からないが、実際使える魔術スキルを魔術陣に落とし込むだけならそれほど高度ではないはず。

 亜空間収納魔術陣を習得し、中古のバッグに描き、マジックバックをつくる。マジックバッグが売れれば金貨100枚。いや、それは小売り価格だ。卸に売れば金貨65枚くらいだろうか。それでも2年は生活できる。


「たった一つで、金貨……65枚」


 カナタの目が血走る。亜空間収納陣がどれくらいの期間で習得できるかは分からない。だが、それができれば一気にまともな生活ができるようになる。成功した時の歓喜と、失敗した時の絶望が同時に押し寄せて来る。鼓動が全身で唸り心臓がはち切れそう。それを3つも売れば、金貨200枚。


「10年は生きられるんじゃ……。は、はは……、いいぞ、いいぞ!」


 マジックバックを売って財を得る。金の心配なく生活する。想像が頭の中を駆け巡る。それはカナタにとって都合の良いことばかりだが、理性を興奮が越えている。

 カナタは鞄3つを拾い上げると埃を払い、恭しく抱きしめる。


 外で小石を拾ってきて建物の床に転移魔術陣を描きまくる。頑張って6つ描いたところで気を失う。

 目が覚めるとまた転移魔術陣を床に描きまくる。そして、気を失う。

 目が覚めると、転移魔術陣を描く。気を失う……。

 目が覚めるとまた転移魔術陣を描く。そして、気を失う。

 もう、何日経ったかも朧気だ。

 目が覚めると、転移魔術陣を描きまくり……。

 気を失う……。



『魔術陣スキルがLV2になりました。亜空間収納魔術陣 を習得しました』



 街の隅の空き家に籠って何日経ったか分からない。これまで、転移魔術陣を描いては魔力切れで倒れるのを繰り返してきた。正確な回数は覚えていない。

 もう後には引けない状況になっている。やるしかない。きっとできる。

 震える手で、古い鞄の内側にインクとペンで魔術陣を描く。内容は頭の中に浮かんでいる。それを書き写すだけだ。


「亜空間収納魔術陣 起動」


 魔術陣に指を触れ、集中する。鞄の中で魔術陣が光り、鞄の中が闇で覆われる。


「鑑定」


【マジックバッグ100kg】レア度:0.1% 相場:金貨100枚

 古代魔術文明時に作られた亜空間収納の魔術陣を内部に描いたバッグ。古代遺跡などから稀に発掘される。希少品ではあるが、大店の商会や高ランクの冒険者は持っている場合が多い。


「できたああああ!」


 小売での相場が金貨100枚。商人に売れば金貨50枚以上にはなるだろう。さらに二つ作ったところでまた倒れた。



 目が覚める。がばっと起き上がり、マジックバッグが3つあることを確認し、ほっと息をつく。窓を開け太陽の位置を確認する。まだ昼前の時刻だ。

 金貨300枚。おそらく商人に売れば金貨200程度。贅沢しなければ10年暮らせる額……。

 マジックバッグ三つを背負い袋に入れ、焦りと興奮ともつかぬ足取りで建物を出て、大通りに出る。ここ数日雨が降ったらしく道には水たまりが出きている。カナタは体から湧き上がる衝動のまま、水たまりも構わず踏み抜いて大通りを走る。

 体から無限に力が溢れるようだというのに、足元はふらついている。途中、何度も人にぶつかり怒声が上がる。広場を走り抜け、北の大通りを走る。

 少し行ってラーベ商会の看板が見えた。

 乱暴に扉を開けて中に入る。


「こんにちわ!」


 護衛だろうか。腰に剣を佩いた体の大きい男が出てきて不審な顔つきでカナタを見る。


「ああ? 何の用だ」

「ラーベさんに会いに来ました。ちょっと商談がありまして」

「ちっ、帰れ帰れ。会頭はいちいちおまえみたいのには付き合ってられないんだよ」

「ラーベさんはいつでも来いと言ってくれましたよ?」

「それはお前の勘違いだ。帰れって言ってるだろうが!」


 男の足が振り上げられ、カナタの鳩尾にめり込む。

 カナタは腹を抱え、一歩、二歩と後ずさる。


「出て行け、二度と来るな!」


 胸倉を掴まれ、店の外に押し出される。再度男の足が振り上げられ、カナタは吹き飛ばされ、水たまりの石の舗装の上を転がる。

 訳が分からない。どうして拒否されるのか。理由も良く分からず、ただ石造りの街の谷間から空を見上げる。通行人は汚いものを見るような目で倒れたカナタを見る。誰も咎めないし、誰も構ったりしない。誰も警備兵を呼びはしない。


 俺は、居ても居ない人間だ。


 人は流れる。雲も流れる。


 どうしてこんなことになっているんだっけ……。まず、立たないと。そう思ってから、体に力が入らないことに気づいた。あれ、なんで……。


 考えてみれば、あれから食べていない。激しいのどの渇きに気づいて外の井戸まで行って何度か飲んだだけだ。魔術を使い、寝て、魔術を使い、寝て、の繰り返しのまま、数えられない日々を過ごした。マジックバッグを作る為に夢中になっていた。ここまでは熱病に浮かされたように動き回っていたが、立てないほど体が衰弱していても当然だ。

 どうにか上半身だけ起き上がると、波立った水たまりの中に自分の顔が映っている。徐々に波が凪いで水鏡となる。

 そこにいたのは痩せ細った狂人だった。元々痩せ気味だが、頬がこけ、目がぎょろりと飛び出て、唇がカサカサに割れている。髪の毛は脂でべとべとで、まだ十代だというのに白髪混じり。


「どうしてこうなった……?」


 何かがズレている。そのズレはカナタにとっては微小なようで、現実にとっては致命的なものになっている。振り返り、思い出す。儲かると思ったのだ。しかし、タガが外れて、一緒にまともな判断力も失っていたようだ。

 生き死にでは呑まれることなく銀髪の女を助けられたというのに、金が手に入るという欲望には思い切り呑まれていた。

 商人はこんなものを乗り越えてきたのか? 俺は生き死にの方が得意みたいだ……。


 参ったな……。


「参ったじゃないですよ!」


 水溜まりに、空を背景に銀髪の少女の顔が映り込んだ。


「……勝手に唇読むな」


 カナタはうんざりした気分でそう呟く。


「なんでそんなにげっそりと痩せているんですか?」

「ちょっとな」

「なんでそんなに死にそうな顔しているんですか?」

「ちょっとな」

「サラサラだった髪もベトベトで白髪だらけじゃないですか」

「ちょっとな」


 少女はしゃがみ込むとカナタの頭を抱え込み、きつく抱きしめる。


「……な、何すんだよ」

「元気の出るおまじないです。お母さんがそうしてくれましたから絶対です」

「離れろ」

「ダメです」

「離れろって……」

「ダメです!」


 抵抗する力は無く、カナタはされるがままだ。少女の肩が震えている。


「おまえ、泣いてんの?」

「泣いたらダメですか?」

「何で泣くんだよ」

「好きな人がひどい目にあってたら、悲しいじゃないですか。そんなの、あたりまえじゃないですか……」


 どうして好きな人認定されているのか良く分からない。


「別に、ひどい目に会ったわけじゃない。ただ、ちょっと、ズレてただけだよ。ちょっと、笑われるような程度のことだ。泣くことじゃない」

「ズレてしまったのは、一緒にいてくれる人が居なかったからです!」


 当たり前のように言われたその言葉に、返す言葉が無い。心の底までその言葉が落ちて、その重みでさらに心の底が深くなるような感覚だった。


「……そうだな、そうかもしれない。おまえが正しい」

「おまえじゃなくて、シーラです」

「はいはい、シーラは正しい」


 それ以上言う元気は無かった。


「そうです。私はいつも正しいですから」


 何とも気恥ずかしいような、だが、大事な何かを知ったような、なんとも微妙な雰囲気の中、素っ頓狂な声が聞こえた。


「何やってんだシーラ? ……ん、おまえ確かカナタだったな。知り合いだったのか?」


 それはちょっと前まで求めていた人の声、ラーベ氏だった。



 シーラ・ラーベとヨン・ラーベは姪と叔父の関係だった。ヨンはもともとシーラの父親である兄が継いだ一族の商会で副会頭として働いた後に独立したらしい。シーラは商人の才が無く、護衛向きだということで、冒険者になって鍛えようとヨン・ラーベを頼って辺境に来たばかりだった。


「ったく、きったねーな。2階に風呂がある。お湯入れたから入れ!」

「宿に帰ったら体を拭きますよ」


 嘘だ。あまりに自分の状況が恥ずかしくてついそう言ってしまったのだ。


「駄目だ、今行って来い!」


 ヨン・ラーベの怒声にシーラが案内し、カナタはしぶしぶ浴室へ向かう。事務所の奥にある階段を上るとラーベの住居だ。スラムの空き家と同じような構造らしい。

 脱衣室で服を脱ぎ、浴室に入る。中は腰までモルタルの上にタイルが張ってある。そこにポンと無造作に大きな木製の浴槽があり、なみなみお湯が張ってある。

 他人の家の浴室に入るのはなんか変な気分だ。石鹸で頭を洗う。あまりに脂ベトベトで、5回洗ってやっと綺麗になる。体も2回洗った。垢を擦りやすいものがあればよかったのだが、綿のタオルだけだ。

 やっとすっきりして、木製の浴槽に浸かる。


「はー、気持ちいい」


 記憶が無いので何とも言えないが、記憶にある限り一か月くらいは風呂に入っていない。目をつむって体を伸ばす。体をさするとやたらと細くなった腕が気になる。


『ズレてしまったのは、一緒にいてくれる人が居なかったからです』


 シーラの言葉を思い返し、何とも言えない気恥ずかしさを覚え、体の芯がきゅっとなる。

 カナタは言い返せなかった。あんな阿呆なシーラに言われたというのに、納得せざるを得ない重みを感じてしまった。


「たく、面倒くさい……」


 シーラをどう扱って良いのか分からないまま、それを保留し、先延ばしにする。息を止め、頭も全部お湯に潜水する。


「ぷはっ」


 お湯から顔を出すと、正面の壁に魔道具らしき石板が張ってあるのに気付く。



【お湯の魔道具(魔石消耗式)】レア度:10% 相場:金貨1枚

 火と水の魔術を融合し、お湯を作る。風呂桶一度あたりクズ魔石を1g程度消費する。



 なるほど、こういう魔道具があるのか。しかし、金貨1枚とは思いのほか安い。そんなに魔道具が普及しているのなら、宿にもあっていいと思うのだが。


「そうか、もしかして……」



【クズ魔石】レア度:一般 相場:銀貨5枚/g

 LV1魔術を持続的に使える魔石(10g程度)に満たない極小魔石は冒険者にクズ魔石と呼ばれ、魔道具を動かす消耗品として使われる。クズ魔石と呼ばれてはいるが、重量単価は金と同等である。



 燃料の方が高いのだ。風呂1回銀貨5枚とは、とんでもない贅沢をしている。お湯を沸かす為だけに魔術使い一人雇ってこの量のお湯を魔術で作ってもらうなら、それくらいの値段かもしれない。



 体が温まって、浴槽から出る。浴室の扉を開けるとそこは脱衣所だが、なぜか、四つん這いのシーラがこっそりこっそりと中に入ってきているところだった。こっそり過ぎて自分では周りに気づいていないらしい。

 何をするかと思えば、カナタの下着のシャツを摘み、それをゆっくりと引っ張ると鼻の傍に寄せ、くんくんと嗅ぎ、きゅーっと目をつむる。


「くっさー!」


 でろんと恍惚とした表情で呟くシーラ。

 カナタは無言でシーラを脱衣室から蹴り出し、ドアを閉め、鍵を掛ける。


「いるならいるって言って下さいよ! 見れなかったじゃないですか!」

「うるさい、この変態が!」

「着替えを持って来たんです。あれはちょっと魔が差して!」

「忍び込んでたじゃねえか!」

「じゃあ、この着替え、使用済みパンツと交換でどうです?」


 扉を開く。シーラの持っている着替えを引っ手繰り、チョイ、チョイ、と指先でこちらに誘い込む。


「え、いいんですか? うふふ」


 いそいそと踏み込むシーラをそのままにドアを思い切り閉める。ゴン、と音がした。


「顔があああ! 顔があああ!」



「とりあえず、スープを食え。しばらく食べて無さそうだからな。スープをたっぷり食って何ともないようならパンだ」


 食堂に案内され、ヨン・ラーベとテーブルにつく。

 シーラが鍋と皿を持ってきてテーブルの真ん中に置く。その美味しそうな香りのせいで、急に口の中に唾液が出て、腹がぎゅるると鳴る。

 シーラが深皿におたまで掬い、目の前に置く。根菜と干し肉のスープだ。ほんのり胡椒といくつかハーブの香りもする。震える手でスプーンを握り一口含む。こんな美味いスープは食べたことが無い。飢えて乾ききった体ではいくらでも食べられそうだ。


 五皿目を食べたところで満腹になる。枯れ木のような手足に血液が巡るのを感じる。それが済むと貪るようにパンを食べる。


「落ち着いたか。一旦横になるか?」

「いえ、大丈夫です」


 血液が巡り頭がハッキリしてきた。なぜここに来たのか、今まで自分がどのような状態だったのか、何をやらかしたのか、自覚できる。


「マジックバッグをたまたま、中古品から見つけたんです。それを目の前の利益に目がくらんで、食べるのも忘れて、あれこれあって、あっというまに素寒貧ですよ」


 ヨン・ラーベは真顔で聞いている。笑うことも眉を顰めることもなく、時折頷くだけだ。


「ま、詳しくは聞かないが、それが商人になったってことだ。商人の世界へようこそ」


 そう言われてカナタはぽかんと顔を上げる。


「商人なら誰しも、似たような経験はある。多かれ少なかれ、失う恐怖と得る興奮、商人ってのは常にそれが付きまとう。それで当たり前の判断を失うこともある。それで一気にすべてを失うやつもいるし、すべても手に入れるやつもいる。

 だがな、一代で財を成すやつってのは、身の程を知らない取引を一度でも成功させたヤツだけだ。俺だって、それを経てこの店がある」

「……そういうものですか」


 当たり前と言われて安心したような、逆に怖くなるような、微妙な心持ちだ。


「それで、おまえはどっちなんだ? すべてを失ったのか、すべてを手に入れたのか? すべてを失ったったなら、うちで鍛えてやってもいいが?」


 そうだ、まだマジックバッグを見つけたとしか言ってない。


「ラーベさんと取引がしたいです」

「わ、わたしですか?!」

「シーラは席を外せ」


 真面目な顔で驚くシーラを、すぐにヨン・ラーベが嗜める。シーラは残念そうな顔でスープ鍋と皿を持って食堂を出て行く。


「どこかにマジックバッグがそれと気づかれず売られている。その情報料か? それなら売上の5%ってところだが」

「いえ、現物です」

「現物だと……?!」

「100kgもののマジックバッグ、いくらで買って頂けます?」


 ラーベの目つきが鋭くなる。小売価格の相場は最低でも金貨100枚だ。だが、金貨100枚の商品を売るには、それを買える人に届けることが出来る人間が必要だ。流通と小売りは、買いたい人に商品を届けるための仕事であり、その分の売却額が下がるのは仕方ない。ラーベに転売益が無ければそれを買う理由もない。


「魔石付きか?」


 何のことだ……? 思わず顔に出しそうになって慌ててポーカーフェイスを維持する。



【魔石付き魔道具】

 魔石を付けた魔道具。魔道具は所持者の魔力を消費して起動するが、魔術陣を魔石に繋げる魔術回路により所持者の魔力と関わりなく使用できる。

 あとから魔石回路を付けることも可能。



 鑑定はあくまで目の前のものにしか使えない。スキルについても、自分自身の能力に関わることにしか使えない。魔石付き魔道具について鑑定できたのも、運良くというか、魔術陣スキルに関連するものだったからだ。


「いえ、付いていません」


 答えるのに妙な間が空いてしまったが、ラーベはさほど気にしていないようだ。


「金貨50枚でどうだ?」


 ラーベはそう問う。知らないと思って吹っ掛けている。


「金貨80枚で」

「それは欲張り過ぎだろう。金貨60枚」

「金貨70枚。知り合いに売るだけで金貨30枚ですよ?」

「それだけ払える人物とコネを作るのにどれだけ金がかかると思っている? 金貨65枚だ」


 予想していた卸への価格へと収まる。これ以上は無理だろう。ラーベ氏を怒らせるつもりもない。


「分かりました。それでお願いします」

「カナタおまえ、商人ギルドには加入しているか?」

「はい。木ランクですが」

「そうか、それは良かった。契約書が使える」


 契約書が使えると何が良いのか分からない。ラーベ一旦部屋を出るとは商品売買契約の書式を2枚持ってきた。


『売人Aが、買人Bに、商品Cを、数量D、販売する。支払い期限はEとする。』


「支払期限は5割即金、5割を30日以内でいいか? 常に手元に現金がたっぷりあるわけじゃないからな」


 なるほど、契約書なら支払い期限の設定ができるのか。


「わかりました。では、商品を……」


 カナタは背負い袋から古い鞄を取り出す。ラーベはそれを手に取って眺める。


「ほお、思ったより状態がいいな」

「ところで、あと2つあるのですが、買い取って頂けますか?」


 カナタはもう2つの古いバッグを取り出す。


「……なんだと?!」


 ラーベの目が鋭くなる。若干険しいくらいだ。カナタにとって、売るなら一つで値を確認したかったからだ。


「よし、いいだろう、買おう。ただし、支払い期限を変えてもらう。2割即金8割を30日後だ」

「分かりました。その条件で」


 ラーベが手を出す。カナタも手を出し、お互いにしっかり握手する。


「良い取引だった」

「こちらこそ」



 ここに、金貨195枚という大商いが成立した。

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