遥か彼方のファンタジー~異世界商人の金をめぐる冒険譚

風呂河修

1 辺境伯領都サンダール編

1■初めての冒険

 まだ太陽は南を回っていない。

 背後には辺境都市サンダールの高さ10mはある城郭と、締めきった西門がある。

 城壁の周りは日当たりの問題か草が短い。

 目の前には起伏のある鬱蒼とした草原が広がり、西の向こうに大森林が見える。あれが魔物の領域だ。

 カナタは草原で足を止める。

 足元は革のブーツと麻のズボン、上は麻のチュニックを着、背中に背負い袋、左肩に木の弓を引っ掛け、右腰には鞘に収まった短刀と矢筒がベルトからぶら下がっている。


「街の西側ってこの辺だよな……」


 カナタは辺りをきょろきょろ見回すと、周りに生える草に集中する。


「鑑定」


 視界全面に注釈が現れる。

 その一つに近づくと、説明文が現れる。



【ヒルラン草】レア度:10% 相場:銅貨10枚/1葉

 傷薬、解毒薬などの低級ポーションの材料。根を残して採取すると一月ほどで再生する。



 これは【魔動植物鑑定スキル】の働きであり、魔力が使用者の能力を強化してくれるらしい。全く持たない能力は強化してくれないので、能力が増えるだけなのだと思う。魔力を放出するスキルではないので消耗はしない。


 それはつやつやした肉厚の葉で、数本の葉が一束になっている。相場は小売り価格だろうから、売却額は銅貨6枚程度だろうか。

 冒険者ギルドの【木ランク】の義務は、月に銀貨50枚分の素材を、冒険者ギルドへ売却することだ。ということは、500枚よりずっと多く採取する必要がある。気の長い作業だ。


 だが、作業を始めてみると、鑑定スキルの使い勝手が良く、注釈をたどって片っ端から採取すればいいだけで、採取の進みが早い。

 頑張れば今日一日で一月分の納入義務が終わるかもしれない。

 銅貨10枚しかないことに焦りが極限状態だったが、少しだけ肩の力が抜ける。


「ふう、助かった……。よし、頑張るぞ!」


 とにかく、直近の生活費が無い。

 入市税、入市証の発行、宿代、紙とインクとペン、初心者用の弓矢、止血軟膏だけで全財産がふっとび、残りの財産は銅貨10枚しかないのだ。


 夢中になって草を千切り、背負い袋へ投げ込む。こういう作業をすると、弓と矢筒は軽くて動きの邪魔になりにくいことが分かる。


 鐘が三つ鳴るのが聞こえた。空を見上げると太陽が南中にいる。正午の鐘だ。

 それを確認したら、また採取へと集中する。ただ闇雲に注釈のつくヒルラン草を集める。それだけで生き延びられる。カナタは必死になってヒルラン草を毟る。


 鐘が四つ鳴った。

 夢中で採取していたところ、焦って周囲を確認する。遠くに数頭の野牛の群れらしき影が見えるくらいで他に気配はない。それを確認すると安堵の息をつく。

 門が閉まるまでまだ3時間くらい余裕がある。採取の続きをしないといけない。

 帰りの時刻を気にしながら採取を続ける。


 西の方から荷馬車に獲物を乗せた冒険者のパーティーが城壁の北側、南側へと移動しているのが見えた。

 太陽の角度からしてまだ日没には余裕があるが、街には西門と東門しかなく、西門は城に直通の為入れない。ここから東門まで1時間かかる上に、閉門ギリギリに戻ると門で並ぶ時間が増える。

 そろそろ潮時か。

 そう考え、背負い袋の口を閉めて立ち上がった時だ。


「たすけて、たすけてください!」


 声に振り向くと、冒険者らしき革鎧を着たすらりと背の高い少女が、くすんだ緑色の小柄な魔物の群れを引き連れてこちらに向かって来きている。

 腰まである束ねられた波打つ銀髪を振り乱し、恐らく本来は見目麗しいはずが、顔は恐怖に引き攣り涙と鼻水を垂らして大変なことになっている。


「はあ?!」


 ゴブリンを10匹も引き連れたトレイン。

 巻き込まれたら堪らない。カナタは急いで背負い袋を掴むと南回りで城壁に沿って走る。


「逃げないでください、たすけて!」

「おまえに構ってたら俺まで巻き添えだろうが!」

「新人なんです! こんなことになるなんて!」

「俺だって新人だ!」


 魔物は体内の魔石の魔力で強化されているらしく、あの小さいゴブリンでさえ人と同じくらいの力を持つと、冒険者ギルドの受付に聞いたばかりだ。

 そんな魔物10匹と戦うなんて冗談じゃない。


 カナタが持つ戦闘スキルは【遠隔武器スキルLV1】と【射撃スキルLV1】しかない。遠隔武器スキルは遠隔武器の攻撃力を上げる。射撃スキルは弓の攻撃速度と命中を上げるスキルだ。

 短刀だけだと近接戦闘のみになって危険なので、中古武器屋の主人に勧められ弓を購入した。冒険者ギルドの訓練場で練習してたら取得したスキルだ。


 カナタ、少女、ゴブリン、ゴブリン、ゴブリン、ゴブリン、ゴブリン、ゴブリン、ゴブリン、ゴブリン、ゴブリン、ゴブリン。

 前方に見えた同じく南回りで戻っていた若い冒険者たちは、こちらに気づくと一目散に東門の方を目指して逃げだす。

 冒険者1、冒険者2、冒険者3、冒険者4、カナタ、少女、ゴブリン、ゴブリン、ゴブリン、ゴブリン、ゴブリン……。


「あっ!」


 声に振り向くと、少女が草に足を取られ転倒していた。

 思わず足を止める。放置しても自分のせいではない。

 だが、目の前でゴブリンどもに蹂躙されるのを見過ごすのも気が咎める。

 だからといって、ゴブリンの群れをどうにかする能力は無い。逃げるのが正解だ。

 女を助けるのが男だとかそんなマッチョな主義は無い。目の前で誰かが死のうが自分の命の方が大事。


 それでも……。


 気付くと弓を構え引いていた。血が沸き立ち体は熱いというのに、頭だけは冷えている。先頭のゴブリンの喉に矢が突き刺さり、緑の体は仰け反ってその場で倒れる。1匹。

 次のゴブリンの開いた口に命中する。2匹。

 メッセージが浮かぶ。


『急所攻撃スキルがLV1になりました。クリティカル率+10% クリティカルダメージ+10%。』


 しかし、3匹目のゴブリンには矢が外れ、倒れた少女を通り過ぎ、カナタへと駆け寄る。

 カナタは慌てて弓を捨て、右腰の短刀の柄を握る。

 ゴブリンが棍棒を振り上げたとき、逆手に握った短刀を鞘から抜きざま振り上げ、その空いた右脇を撫でるように切り抜ける。


『利手武器スキルがLV1になりました。ダメージ+10%。

 斬撃スキルがLV1になりました。攻撃速度+10%。命中率+10%。』


 脇を深く斬られたゴブリンは大きな血管が切れたのか血をまき散らしながら草むらの上で転がる。3匹。

 次のゴブリンが錆びた剣を振り回して飛び掛かって来る。

 逆手のまま刃を滑らせて防御するが、その力強さに足がよろける。


『武器防御スキルがLV1になりました。回避率+10%』


 魔物を相手にする場合、吹き飛ばされて転がされたらお終い、という中古武器屋の店主の言葉を思い起こす。ゴブリンはカナタよりずっと小さいというのに、それでも力はカナタと互角の力がある。

 短刀を順手に持ち替え、ゴブリンの錆びた剣を何度か短刀の鍔で受けるが、そのたびに姿勢が揺らぐ。

 強い。魔物は人間より強い。


 くそっ、早く倒さないと!


 その時偶然にも攻撃を大きく逸らすことができた。今だ! 

 カナタは渾身の突きを放つ。腕を伸ばし、骨を固定し、体重を預け、前に進む。力が乗っているのが分かる。これが当たれば一撃で葬れる自信がある。

 短刀の切っ先がゴブリンの鳩尾に沈み、刃はそのままずるりと柄まで飲み込まれる。


『刺突スキルがLV1になりました。攻撃速度+10%、命中率+10%』


 これで4匹!

 そう思った時、ゴブリンの緑色の体が痙攣し、泡を吐きながらカナタを睨みつる。だらりと下げた右手の剣を急にカナタの腹に突き出す。

 脇腹に熱いのを感じ、力が抜ける。ふらついて後ろに下がるままに短刀を引き抜くと、ゴブリンは傷口から緑の血液を吹き出し倒れる。


「あっ……、がっ……!」


 左手で脇腹を押さえる。手が血で濡れている。カナタは恐怖し、脚が震える。

 落ち着け、落ち着け! 傷は浅い!

 ここで混乱したら死ぬぞ!

 痛みと血でパニックになる寸前でなんとか持ちこたえる。

 残りは5匹。後ろのゴブリンたちは脚を止める。既に4匹殺っているせいか魔物でも恐れが出るのだろうか、こちらの様子を伺いながら少しずつ後退ると、振り返りつつ遠ざかって行く。


「よ、良かった……」


 カナタがその姿が小さくなるのを見て安堵の息をついた時、


「きゃあ!」


 背後の声に振り向くと、ゴブリンが少女を背後から押え、首に錆びたナイフを当てている。そうだ、最初は10匹のゴブリンがいたのだ。いつの間にか1匹後ろに回られている。

 もう一度振り返ると、遠く離れていたゴブリン達が喜びに飛び跳ねながら戻ってくる。

 俺……、ゴブリンに騙されたのか?

 人質をとる知能があるのだ。

 やつらは背後に1匹回り込んでいるのをカナタに悟らせないよう、逃げる演技をしていたのだ。


「ギャッギャッギャッギャアア!」


 少女を取り押さえるゴブリンはカナタを嘲笑っている。

 カナタは人質を取られ、相手は残り五匹。傷を受け混乱寸前。

 ただ逃げるだけならできるかもしれない。でも、ここまで関わってしまったのに今さら逃げるのは、何かが踏みにじられるような思いがする。

 だが、この状況を解決できる力がない。そんな都合の良いものはない。何せ、自分は今日初めて魔物と会って、さっきだって己の力以上を絞り出して運よく対処できただけだ。


「ギャッギャッギャア!」


 少女を人質に取るゴブリンが涎をまき散らしながら嘲笑う。背後からは4匹のゴブリンが嬉々として駆け寄ってくる。

 利手武器スキル、斬撃スキル、刺突スキル、武器防御スキルがLV1になっただけだ。5匹相手に戦えるわけが無いし、そもそも人質が取られている。出血も続いている。

 背後のゴブリンが一斉に駆け寄ってくる。

 1匹が突出し、錆びた剣を振り回す。振りかぶり、下ろす。振りかぶり、下ろす。そうやってカナタの背中を目指す。

 逃げるなら、あと10秒ある。

 その女は自分にとってどうでもいい、ろくに知りもしない相手だ。その女が間抜けだっただけ。

 それで自分の命が助かる。ただその現実を受け入れればいいだけ。簡単なことだ。

 そう何度も言い聞かせる。

 5、4、3……。

 それでも、脚が迷う。


「ギャッギャアアアア!」


 2

 背後のゴブリンは錆びた剣を振り上げる。次に下ろすとき、カナタの背骨を折り、内臓をぐちゃぐちゃに掻きまわす為に。

 1

 そして、錆びた剣は振り下ろされる。

 0




 剣が人間の男に突き刺さる。

 ゴブリンがそう思った瞬間、錆びた剣は空振り、勢いのまま体が転がる。

 視界が回り、再び捉えた男は、いつのまにか人間の女の喉にナイフを突きつけていた仲間のさらに背後におり、その仲間の喉を素早く掻っ切った。

 緑の血が噴き出し、女の頭に降りかかる。仲間のゴブリンは仰け反って痙攣する。

「こういうふうに使えば良かったのか……」

 人間の男はそう呟くと、女を抱える。

「じゃあな、糞ゴブリンども」

 そして、二人はその場から跡形もなく消えた。




 カナタは少女を抱えたまま南側の城壁際に現れる。

 女を一旦地面に下ろし、草むらから転移魔術陣を描いた紙を拾い上げ、チュニックの懐に捻じ込む。何か危険があったら転移できるよう、ここに設置しておいたのだ。無暗に逃げてきたせいで距離が縮まり、女ごと転移することができたのは幸運だった。


「いてえ……!」


 チュニックを捲り上げ、腹の傷に止血軟膏を塗りたくる。血が出る割に傷は浅いようだ。軟膏が渇いて来ると血が止まった。

 転移魔術を思い出し一命を取り留めたが、二度も使ったせいで、頭痛と倦怠感がひどい。頭がくらくらして視界が狭まり、吐き気もある。


「くそ……」


 まだゴブリンどもと数百メートルしか離れていない。あと少しだけ頑張れ……。そう自分に言い聞かせ、女を背負い走り出す。




「助けて下さい!」


 やっとのことで東門に着き、警備兵の前で膝を突いて女を下ろす。女はいつからか気を失っていて、今では涎を垂らしながらぐっすり眠っている。

 ゴブリンの群れに追われたことを簡単に説明し、女を頼む。


『長走スキルがレベル1となりました。速度+10% 持続力+10%』


「朝、記録してもらってます。カナタです……」

 記録してもらうと日帰りの入市税はいらない。

「君、大丈夫か?!」

 とにかく気分が悪い。早く眠りたい。

 カナタは心配する警備兵を振り払うように門を潜る。


 宿へ戻ると、血の付いたチュニックとシャツを脱ぎベッドに倒れた。


■ 


 ゴーン、ゴーン、と鐘の音が二度聞こえた。・

 目を開けると埃で汚れた天井が見える。木窓の隙間から漏れる光は強い。鐘が二つだから、もう午前9時ということだ。


「痛っ!」


 体を起こそうとした瞬間全身に痛みが走る。魔力疲労はすっかり消え、腹の傷も塞がりかけているというのに、体中が筋肉痛だ。昨日、立ったり屈んだり、初めて戦ったり、女を抱えて走ったりしたせいだ。


「くそ、怪我より筋肉痛のほうがキツイとか、どんだけ体使ってないんだよ……」


 たかが筋肉痛、寝込んでいるほどじゃないはず。痛みを我慢して上半身を起こすと、左手の下にモシャっとしたものがあった。


「なんだこれっ!」

「うぐう……」


 銀色の毛の塊が呻き、動く。


「ひっ!」


 毛の塊が飛び上がる。


「寝てるところに何するんですか、窒息するかと思いましたよ!」


 昨日の少女が顔を上げ、そう訴える。口の周りとシーツに涎の跡がある。椅子に座ったまま頭だけベッドに乗せてそのまま寝ていたらしい。


「なんでおまえが俺の部屋にいるんだ?」

「いやあ、閂が掛かっていなかったもので」

「は? それは理由にならないだろ」

「あれ、何か噛み合ってませんね。どうしてでしょう?」

「俺に聞くな」

「ああ、ああ、そうでした。助けて貰ったお礼を言おうとあなたを探そうとしたら、親切な警備兵さんにこの宿に泊まっているかもしれないと言われたのです。来てみればビンゴ。しかし、閂もかかっていないじゃないですか。あなたはかなり顔色悪いし、うなされているし! これは看病しなければと勇んでいたのですが。…………日が沈み、眠くなったのです」

「子供か!」

「えー、もうこんなに、オトナですよ?」


 そう言って自分の胸を抱きクネクネする。

 こいつ絶対駄目な奴だ……。


「あ、ああ、心配してくれたみたいでありがとう。俺はもう回復して何ともないから、もう帰っていいよ」

「そんな遠慮しなくていいですよ。私が面倒見ますから、しばらく休養に励んで下さい」

「もう大丈夫だから」

「だったら、もっとイロイロと励みませんか? どうです? 子作りとか? ムッフ」


 何だこの暑苦しくキモい押し……。

 姿形は見目麗しいというのに、キャラによってこんな抵抗感のあるものになるのか。女性からしたらキモいイケメンという立ち位置だろうか。


「分からないやつだな、帰れっつってんだろ!」

「え、え、な、なんでそんな冷たいこと言うんですか! 助けてくれた時はちょっとカッコよくてグッときて、ジュンとしてしまったのに、今さらそんな!」

「いいから出て行け。勝手に人の部屋に入ってくんな!」


 カタナは少女の肩を掴むとぐいぐい押して廊下に出す。


「DV男ですか? DV男ですね?!」

「うるさい、二度と来るな!」


 扉を閉め、閂をかける。


 ひどいじゃないですか! 騙されたー! 酷い男に騙されたー! 訴えてやる! 棄てられた恨みを晴らしてやる!


 扉の外から怨嗟が聞こえるが、いつまでもキ〇ガイの相手はできない。荷物をすべて装備すると、窓を開き外壁を伝ってどうにか地面へと降りる。宿代も今日の分まで払ってあるし、このまま放置しよう。

 今はとにかく金が無いのをどうにかしないといけない。銅貨10枚しかないのだ。あの女から逃げるために宿の朝食を逃したのは勿体ないが仕方ない。

 カナタは昨日採取したヒルラン草を買取ってもらうべく冒険者ギルドのある中央広場へと向かう。


 東大通を進み街の中心部らしき直径200mはあろう円形の大きな広場にぶつかる。広場の中心には像が立ち、周辺部には屋台がいくつもあるのが見える。

 正面向こう側は警備兵が守っている高い城壁だ。彫刻の刻まれた大門、中門、小門があり、外の石壁より古く立派に見える。宿の女将が言うにはあちら側は貴族街らしい。

 街の中心部の大きな広場、そこに各ギルドの建物が面しており、一際大きいのが冒険者ギルドだ。

 一階はホールになっていて正面に長い受付カウンターがある。ホールには掲示板が並んでおり、素材の買取価格や依頼票が貼ってある。革や金属の部分鎧など軽装の冒険者らしき人達が掲示板を見て立ち話をしている。いかにも荒くれものの風貌をした者もいる。右手奥には食堂らしきものがある。

 手すきの受付担当を狙い、カウンターへ行く。


「昨日の今日で、すごい量ですね……」


 良く見ると、選んだわけでもないのに、昨日の受付係だ。


「ええ、たまたまうまく見つかったんです」


 ヒルラン草の葉は数えると840枚あり、買取価格は1枚あたり銅貨6枚。総計、銀貨50枚、銅貨40枚となる。これで今月の納入義務は超えたことになる。どうせ一か月近くヒルラン草は生えないから、一か月後までは放置するしかない。(所持金5050)


 ふう、と安堵の息をつく。これでまたしばらく宿に泊まれる。

 ギルドの中庭の井戸で服にこびり付いた血を洗ったが薄く染みが残った。



 次に、商業ギルドに年会費を払いに行こうと思い立ち冒険者ギルドを出るが、商業ギルドの前ではたと立ち止まる。

 カナタは何か商売でもできたらと、商人ギルドの木ランクにも登録していた。ギルドに加入すると契約書が使え、裁判があればギルドが後ろ盾になってもらえるからだ。

 今年の年会費金貨3枚を分割で月銀貨25枚払う必要があるのだが、今払うべきなのか? 

 銀貨50枚を手に入れて安堵していたが、宿代にするとたった10日分でしかない。自分の命運も10日とちょっとだと思うと全く安心出来ないと気づく。


「支払いは後だ……。くそっ、金がない」


 金、金、金、金……。とにかく金が欲しい。じゃないとまず生きられない。


「あ、弓忘れてた!」


 昨日女を助けた時に弓を失ったことを思い出し、頭を抱える。城外に出るならまた弓を新調しないといけない。


「君は、駆け出しの商人ですか?」

「え、あ、はい……」


 そうやって商業ギルドの前でうだうだしていると、目の前に身なりの良い若い男が現れ、そう問う。

 商業ギルドの前でぶつぶつと言いながら頭を抱えているのだ。そう思われるのも当然だろう。若い男は優し気な笑みを浮かべる。護衛らしき屈強な男二人を連れているところから、それなりの立場なのだろう。


「わたしは大手商会に勤めるエクレフと申します。よろしければ商談があるのですが」

「商談……?」


 エクレフという男の服はごわごわの麻ではない。織りの綺麗な綿のシャツの上に、刺繍の入った光沢のある裾の長いジャケットを着ている。


「ああ、あまり身構えないで下さい。実は、わたしも10年ほど前、商売をしようと村を出てサンダールに来たのです。一人では上手く行かなくて、結局商会に勤めることになったのですが。そういう思い出もあって、あなたのように頑張っている駆け出しを見るとつい応援したくなるのですよ」

「その様子だと、商会に勤めて成功しているようですね」

「ええ、まだ若いながら成果を上げ、給金をはずんでもらっています」


 信用していいのだろうか。悪そうな人間には見えないが。


「それで、商談というのは?」

「とある没落貴族の処分品の短剣をお譲りしようかと。わたしも鑑定できないので、恐らく高度な魔道具かと思います。鑑定されていないものを顧客に売るわけにはいきませんので、鑑定士に持っていくところだったんです」


 後ろの男から箱を受け取るとカナタに開いて見せる。柄尻に黒く透明な魔石が嵌り、刃には魔術陣が描かれているが、それがどういうものなのか、【魔道具鑑定スキルLV3】のカナタにも鑑定はできない。ただ、LV3で鑑定できないということは、それ以上の代物だというのはハッキリしている。


「……高いんじゃないですか?」

「鑑定前の物には値はありませんよ。わたしの裁量に任されています。幾らなら買えます?」


 目の前が明るくなる気がした。

 冒険者ギルドなら公正に鑑定して買い取ってくれるはず。銀貨50枚がどれくらいに化けるのか想像すると興奮を抑えられない。


「是非買い取らせて頂きます! ええと、手持ちは銀貨50枚です」

「分かりました。銀貨50枚で手を打ちましょう」


 エクレフは右手を出す。カナタはそれに応えて握手する。銀貨50枚を渡し、短剣を箱ごと受け取る。(所持金50)


「あなたが成功することを祈っています」


 人の好い笑みを浮かべ、若い商人は商業ギルドへと入って行く。




 カナタは急ぎ冒険者ギルドへ入り、カウンターにその箱を置く。


「買取をお願いします!」


 また同じ受付係がやってきて箱の蓋を開け確認する。彼女には鑑定できなかったのか、再度奥へと引っ込み、身なりの良い高齢のご老人を連れて来る。

 老人は短剣を見ると眉間に皺を寄せ、短剣の表と裏のに刻まれた文様を何度も確認する。


「……騙されましたね」


 老人はそう言って、残念そうな顔でカナタを見つめた。


「え……?」

「あなたは騙されたんです。これは使用者を燃やす短剣です。暗殺用の小道具ですよ。まともな市場に流せるものじゃありません。ギルドではこのように害のあるアイテムは破壊する決まりになっています」

「ええ……?!」

「よくある手口なんですよ。駆け出しの新人に、鑑定ができないから高価なものだと思わせ、問題のある商品を買わせる。恐らく売った人間は人物鑑定スキル持ちでしょう。相手が鑑定できないいわくつきを売って処分するのですよ。騙したという証拠は出しようがありませんから、勉強代だと思って次からは気を付けることです」


 カナタはその事実に愕然として肩を落とし、短剣を見つめる。

 残りは銅貨50枚。宿に泊まることさえできない。

 何より、騙されたという事実が重く圧し掛かった。

 文句を言ってもただの強がりにしかならない。鮮やかに騙され、金をもぎ取られた。契約書も交わしておらず現金でその場で買ったものに保証などないし、契約書があったとしてもエクレフという男が騙すつもりで売ったという証拠を立てることは不可能だ。



 カナタは冒険者ギルドを出て街の広場で立ち尽くす。

 せっかく採取で手に入れた銀貨50枚が……。

 元の木阿弥だった。カナタの肩に徒労感が圧し掛かる。

 ヒルラン草は一か月生えない。さらに西でヒルラン草を採取するとさらに魔物との遭遇率が上がる。昨日と同じ採取を、もっと危険な場所でしないと同じ金は稼げない。

 カナタはゴブリンの集団を思い出す。複数のゴブリンを相手に短刀だけで勝てる気がしない。弓矢は失った。弓を再度新調する金は無いし、弓があってもギリギリの戦いだった。


 金が無い。

 金が欲しい。

 金、金、金……。


 騙されたショックで前向きに考える気力を失っていた。

 何も考えたくない。ただ金への渇望だけが募る。

 広場の屋台の前を通ると、香ばしい匂いにお腹が鳴る。朝から何も食べていない。それどころか、思い返してみれば昨日の昼も夜も食べていない。途端に飢餓感に襲われ、我慢できなくなり、屋台でごろごろと大きな鶏肉のついた串を買う。本能のまま焼けた鶏肉にかぶりつき、串を屋台のゴミ箱に捨てる。

 1本銅貨30枚。残り銅貨20枚となる。(所持金20)


 ぼんやりとしたまま街を歩く。頭を垂れ、肩を落とし、ふらふらと進んで行く。

 南大通りは小売りの店が立ち並ぶエリアで、サンダールの住人が押し寄せ活気を見せている。

 そんな中、カナタだけは取り残されたような暗い面持ちで歩いてゆく。



 南の城壁に突き当り、賑わいを避けるよう人けの無い方へと向かう。



 辿り着いたのは、南西の外壁沿いだった。外壁と貴族街の壁に挟まれ三日月の尖った先の部分だ。

 誰が何をやっていようが、誰が死のうが、誰も気にしない。街のゴミ箱、スラムだ。

 痩せ細り、汚らしく垢に塗れ、蹲ったまま動かない人たちが何人もいる。

 中には死んでいる者も多く、蠅が集り、腐敗臭が辺りに広がっている。


 カナタは建物の隙間に入り、他の人と同じように壁際に蹲り、膝を抱える。

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