10■サンダール商会2

 早朝、カナタは中庭側のバルコニーに降り立ち、驚いたラーベに事情を説明し、次の馬車までラーベ邸で匿ってもらうことになった。


「分かった。次のヴェストラプラ侯爵領行きの馬車に乗れ。5日後だ」


 ラーベはカナタの目を見なかった。ラーベなりに後悔があるのだろう。シーラも一緒に話を聞いていたが、いつも底抜けに明るい彼女が無言だ。

 3人の表情は優れない。カナタは己の間抜けさに、ラーベは己の不甲斐なさに、それぞれ敗北を受け入れていた。

 ただ、シーラが何を思っているのか、カナタには分からなかった。


 移動の当日まで、勉強になるかもしれないと、ラーベから帳簿の手伝いをさせられた。カナタは真面目に取り組む。契約書の数字を帳簿に書き写し、サンダールでの仕入れの数を確認して突き合わせる。まだ届いていない品がどれなのか確認する。



 そんな数日を過ごしていたあるとき、ラーベが言った。


「どうせなら、シーラを連れて行ってくれないか? シーラが言うにはカナタは冒険者として一流らしい。しばらくは商人としては動けないだろうから冒険者に力を入れたらどうだ?」

「俺はシーラほど腕利きじゃないので、やり方がセコいだけですよ。それに、シーラがどう言うか……」


 あれだけカナタに懐いていたシーラだというのに、このところ、どこかよそよそしくて何を考えているのか分からない。



 夕食の頃、シーラが冒険から帰ってきた。三人は同じテーブルにつき、食事をする。


「なあ、シーラ。良かったら、カナタに着いて行っていいぞ? カナタはしばらく冒険者家業をやるしかないからな」


 ラーベがそう言うと、シーラが俯いたままフォークを置く。細い肩が震え、ぽたりとテーブルクロスに涙が落ちた。


「どうした、シーラ?」


 シーラは唇を歪め、歯を食いしばり、嗚咽を堪えているように見えた。鼻を啜ると席を立ち、ダイニングルームを出て行く。

 カナタはシーラを追って階段を上る。登り切ったところでシーラが自室に入るのが見えた。ドアの前に立ち、声を掛ける。


「シーラ」


 答えは返ってこない。


「なあ、シーラ……」


 カナタはドアの横で壁に背中を預け、ずるずると腰を下ろした。


「何か言ってくれよ」


 カナタは廊下に座り込んだまま返答を待つ。廊下のガラス窓には日没後の暗い空の青が見える。いつの間にかシーラを大事な人間だと思っていることに気づいていた。

 だから、待てた。

 いつまでも待っていれそうな気がした。



 徐々に空の濃い藍が黒へと移ろう。カナタは孤独だった。孤独が悪いとは全く思っていなかった。だが、それが悪いと分かった時には決定的なズレとなっていた。ズレてしまうのは一緒にいる人がいないからだと、シーラは言った。まったくその通りだと思う。

 人は孤独だとルールが分からなくなる。

 自分がどれだけルールから外れているのか、分からなくなる。

 一人にルールはない。二人以上いて、初めてルールができる。

 人は集い、争わないよう、支え合うよう、ルールを作ってゆく。

 それが大きくなると法になる。法は権利を保障し、安全を生む。

 一人に法は無く、安全も、安らぎも、支え合いもない。ただ生き延びる為の渇望だけしかない。

 そんな益体もないことが頭の中をぐるぐると回る。

 分かっているようで分からない。でも、その重みだけを感じることは出来る。



 軽い足音が聞こえ、ドアが開いた。


「いつまでそんなところにいるんですか?」

「悪かったな」

「入ってください」

「いいのか?」

「そんなところで座ってるよりいいです」


 シーラの部屋は飾り気がなく、ただ寝て起きるだけの部屋に見えた。


「で、何しに来たんです?」

「分からない」


 正直にそう言った。何を思ってシーラが泣いたのかも分からないのだ。だから、何をすればいいのかも分からない。


「分からないから、教えて欲しい。シーラが思っていること」


 シーラは驚いたように目を真ん丸にした。


「……分からないんですか?」

「ああ、分からない」

「こんなに悔しいのに?」

「何が悔しいんだ?」


 シーラが手を挙げる。ぺち、とカナタの頬を打つ。

 痛くはない。だが、とても痛かった。


「どうしてやられっぱなしなんですか? どうしてサンダールを出ないといけないんですか? 何がそんなに辛いんですか? どうしてそんな立場に甘んじているんですか?」

「……分かるだろ?」

「分かりませんよ! ぜんぜん分かりません! 伯父さんも、カナタさんも、何を言っているのかさっぱり分かりません! 何でそんなに辛そうにしてるんですか? なんで負けてるんですか? サンダール商会がどうだっていうんですか? どれもこれも、大したことじゃないじゃないですか!」


 その無神経な言葉にカナタは切れた。


「お気楽な冒険者じゃないんだよ! シーラには分からないかもしれないけどな、これは商人の戦いなんだ! それに負けた俺は、死んだも同然なんだよ!」


 カナタは目を剥き、そう怒鳴る。しかし、シーラはむしろ訝し気な顔をし、こう言った。


「それって、命を賭ける冒険者より、随分温くないですか?」



 ……あれ、と、思う。



「それの何がそんなに重要なんです? 毒を打たれて誘拐までされているんですよ? 商売がどうとか、そういう話じゃないんじゃないですか? そんなの、どうでも良くないですか? カナタさんがお金を儲けるかどうかより、カナタさんが生きるかどうかのほうが重要に決まっているじゃないですか!」


 冒険者では格上に勝てるようルール無用の戦いをしているというのに、商人となるとなぜか相手のルール無視に歯噛みし、自分はルールに縛られている。冒険者で魔物と命の奪い合いをしているのに、商人の社会的な死には敵わないと言っている。シーラはそれがおかしいと言っているのだ。確かにおかしいかもしれない。


「カナタさんならどうとでもできるのに何を言っているんです? そのサンダールって貴族は、ヒュージスネークより、魔物より強いんですか?」


 そう言われて困惑する。ヘドバル・サンダールも、エクレフも、ヒュージスネークより強敵ではないし、魔物じゃない。ただの人間だ。


「だけど」


 それでもカナタはシーラの言葉に頷くことが出来なかった。相手が犯罪的手法で責めてきたからと、こちらもとはいかない。


「それはできない……」


 そんな風に解決するわけにはいかない。そこは守らないといけない。相手が犯罪者だからと言って自分が犯罪者になることはない。

 シーラが愕然と目を見開き、口元を震わせ、まったく理解できないとばかりにゆっくり首を振った。

 倫理の問題だ。勝ち負けだけじゃない。

 カナタは数歩下がるとドアの外へと出る。扉を閉めたあと、押し殺した微かな嗚咽が聞こえた。それは納得できず抑えきれない何かを無理やり抑えているような、そんな泣き声だった。


 仕方ないだろ……。


 自分の中では決まっていたことでも、シーラが関わることで動揺した。シーラは真っすぐだ。あれほど素直に考えられたらこんなに困らなかったのに。

 じきにこの街を出てゆく。シーラとも当分お別れになる。最後に見たのがあんな顔と言うのも、この先鬱々とした気分にさせるだろう。お別れの時くらいは何か笑顔になってもらう方法を考えないといけない。



 あんなこと言うなんて信じられないです!

 次の日、シーラは早朝から不愉快の極みで家を出る。

 カナタが何を恐れているのか、そもそものところが理解できない。

 エクレフとヘドバル・サンダールを殺せばいいだけの話のはずが、良く分からないものを恐れて自縄自縛になっているようにしか見えない。

 シーラ・ラーベは家を出て西の城門を目指し、ぷんすか肘を張りながら速足に歩いていた。



「おい、いたぞ、あの銀髪の女だ……」


 五人組の男たちがシーラの跡をつけていた。店から出てきた銀髪の女の跡をゆっくりと追ってゆく。女が周囲を気にしている様子は無く、無防備に見える。全身を覆う革鎧越しに見える身体のラインは男達の劣情をそそる。

 背丈と比較すると長い、腰に刺したバスタードソードだけが場違いに物々しい。

 女をつけるのは容易い仕事だ。中央広場へと南下し、西へ折れる。城門を潜り、城外へ出た。女は城壁に沿って北回りに進んでゆく。

 長い草の中、ぴょこぴょこ跳ねるように移動しているので遠目でも位置は掴める。まずは人気の無い場所へ行くまでゆっくりと追跡する。次第に森に近づいてゆくと、叫び声が聞こえた。女のではない、魔物だ。


「おい、やばいぞ! 女がゴブリンに取り囲まれてる!」


 男の一人が叫んだ通り、10匹近いゴブリンが奇声を上げているのだ。


「女がゴブリンにやられちまったら取引がパアだ。加勢するぞ!」


 シーラが目立つため、かなり距離をとっていたのが仇になった。男たちは走った。

 しかし、


「カナタさんの、馬鹿あああああああああああ!」


 シーラが叫び、バスタードソードが唸った。

 一撃一殺。ゴブリンの首が次々と宙を飛ぶ。


「なんだあいつ?!」


 男たちは冒険者ではなく、傭兵だったため、シーラがどういう人物か知らなかったのだ。戦いの場に到着した時には既にゴブリンは全滅しており、女はそそくさと解体を始めているところだった。


「周りに他の冒険者はいない。ここで捕えるぞ!」


 男たちは女の剣の腕に内心尻込みしつつも、5対1なら余裕だろうと四方から取り囲む。


「お嬢ちゃん、悪いことは言わないから、ちょっと付き合ってもらえないかな?」


 リーダーの男はゴブリンの死骸に蹲る女に話しかけた。


「残念ですが、好きな人がいるのでお断りします」

「いや、そういう意味じゃないんだが……」

「こいつ、察しが悪いな……」

「ああ、察しが悪い……」


 男は気を取り直して言う。


「分かりやすく言ってやろうか。痛い目に会いたくなかったら、大人しくついてこい」

「ああ、そういう意味だったんですね。わかりました」


 シーラは立ち上がると男の方へと歩いてゆく。瞬間、バスタードソードが掬い上げられ、風を切って唸る。切っ先が男の顔面を深く抉り、リーダーの男は悲鳴も上げる暇もなく絶命し仰向けに倒れる。

 男達はその現実を飲み込むのに数秒必要だった。そして、その数秒があれば、シーラの実力を舐めることはなくなった。


「こいつ、痛めつけてやれ!」


 間抜けな開幕ではあったが、男たちは傭兵であり、対人戦のプロだ。その技術は魔物を相手にする冒険者とは異なる。冒険者が、一撃必殺、体で躱すのなら、傭兵は盾で防御し、その防御の間隙から攻撃を行う。

 シーラの攻撃は速く、重い。男は身を固め、盾で受ける。恐ろしい力に態勢を崩されるが、防御に徹していれば一撃でやられるなどということはない。


「むう!」


 シーラは一人に連撃を加える。男は盾を持つ左腕が衝撃で痺れて感覚が無くなってゆくのを感じていた。とうとう防御が押し崩され、だらりと左手が下がる。

 チャンスだったが、背後からの攻撃を察知し、反転して剣を弾く。男たちは盾で身を守りつつ、交互に背後からの攻撃を仕掛けてくる。


「ずるいです!」


 一人が攻撃を挙動を見せ、それに反応したシーラがそちらに攻撃を仕掛けようとしたところで、さらに背後から攻撃が来る。包囲網を突破しようとしても、シーラの動きに合わせ、瞬時に包囲網が移動する。

 シーラはとうとう太腿を浅く突かれた。

 まずは囲まれている状況をどうにかしないといけないのだとシーラは気づく。最短の時間で一人を戦闘不能に追い込まなくては勝機は無い。多少の傷はポーションで治せる。

 そうと決まれば、


「やああああ!」


 一人に重い連撃を浴びせる。男の盾が徐々に下がる。大きく剣を振りかぶり相手が反応したところで、足元へと攻撃する。

 金属音が響き、ブーツの鉄の補強に当たったが、構わず振りぬくと男は転倒する。背後に三人が迫っているのを感じながら、転倒した男を飛び越え、振り向きざまに剣を振り下ろした。

 ぎゃ、と悲鳴が上がり、男の左腕が吹き飛んだ。


「包囲を崩すな!」


 男の一人が叫び、三人は再度素早くシーラを囲むが、一人減って前より捌きやすくなった。再度、同じように一人を潰そうと連撃を浴びせた時だった。


 見計らったように背後からタックルを受け、男より体重の軽いシーラはあっけなく地面に倒されてしまう。正面にいた男の剣が振り下ろされ、それを転がって躱すが、背後の二人が素早く迫って傷を受けていない方の太腿を刺す。

 痛みで素早く立ち上がることができない。掴んで離さなかった剣を振り上げ、男の太腿を深く斬る。

 だが、横っ腹にに重い蹴りを入れられ、体が硬直する。剣を持った腕を踏まれ、上に乗られ、身動きがとれなくなる。

 金属で補強したグローブの拳が振り下ろされ、シーラの頬にめり込む。何度も、何度も、顔を殴られ、意識が遠のいて反撃する気力が薄れていった。



「カナタ、ちょっと来い!」


 夕暮れ、手伝いで倉庫で積み荷の確認をしてたところ、事務所から声が聞こえた。ラーベの怒号と言ってもいい声だ。何事かとカナタは駆け足で事務所に駆け込む。


「こっちだ」


 ラーベに促されて応接室へと入る。正面のソファに座ったラーベの顔は血の気が失せてどす黒かった。ヘドバル・サンダールがまた厭らしい手を使ってきた他にありえないことだ。

 ラーベは黙ってテーブルの上に紙を滑らせ、こちらへと寄越す。恐る恐るそれを手に取って読んでみる。


『娘は預かった。娘の命が惜しくば、明後日の日没に金貨500枚を払え。

 金貨の入れた袋を居候のカナタという男に持たせ、北の森にある山小屋まで寄越せ。

 金を確認したら娘は解放してやろう。

 警備兵やギルドに知らせるな。

 胴体から離れた首がお前の店の看板にぶら下がるぞ』


 カナタと金貨500枚を寄越さないと、シーラを殺す。そう書かれている。


「ここまでやるのか……」


 腹の底から怒気が噴き出し、腸が煮えくり返る。あまりのことに体が震え、頭に血が上っていた。ぶちん、と、最後まで守っていた理性が吹き飛ぶのをカナタは感じた。

 ヘドバル・サンダールの形跡は無い。だが、ヘドバル・サンダールとエクレフ以外にこれを行う者はない。さらに厭らしいことに、娘は返すと書いてあるが、カナタを返すとは書いていない。


「シーラは今日は?」

「冒険に出ると言って朝出たままだ……」


 両手で額を抑えて俯くヨン・ラーベは疲れ切っていた。自分の娘ではないが、兄から預かった姪だ。責任を感じるのは当然として、冒険で命を失うのならまだしも、このような商戦に余波に巻き込まれた形となれば、悔いても悔やみきれないだろう。


「お前のせいだ! カナタ、おまえの、お、おまえが……」


 ラーベは机を叩いて立ち上がる。そして言い淀む。


「……すまん、おまえのせいじゃないな」


 そう言ってどかりとソファに腰かける。

 小さな抵抗を試みてきたが、結局のところこういう結末。これはカナタにとって一番避けたいものだった。しかし、こうなってしまうのなら、最初から……。


「ラーベさん、やっぱり、この街から逃げるのやめます」


 口だけは冷静にそういう。まるで自分の声じゃないようだ。


「おまえ……」

「シーラを助けて、解決します」

「どうやって?」


 ラーベは訝し気な、それでいて藁をも掴むような小さな希望を目に浮かべる。

 これは法を遵守する者同士の経済戦じゃない。やつらはゆるい法を掻い潜り、どうにでもなると高を括っている。人としての倫理、道徳が無い。金の為なら何でもやる、タガの外れた獣だ。


「任せてください。害獣は、狩るしかないでしょう?」



 カナタは応接室を出ると階段を駆け上がる。

 やつらが明後日の日没を指定したのは、ラーベ商会が現金で金貨500枚を持っている可能性が低いと見越してだろう。何かしら商品を処分して現金化する猶予を与えたのだ。

 また、ヘドバル・サンダールも、エクレフも、もし間違いがあって失敗しても己とは無関係だと証明できるようにしているはず。自ら取引場所に顔を出すことはないだろう。雇われた側も雇い主を知らずに行動している可能性さえある。


 カナタは3階の窓から身を乗り出し、屋上へと転移する。建物から建物へと屋上を伝って移動し、サンダール商会の正面の建物の屋上に身を顰める。体を伏せ、屋根の端からサンダール商会を監視する。



 しばらくして、ヘドバル・サンダールが出てきて、店の正面に泊った馬車に乗る。

 馬車が動くのに合わせ、カナタは屋根の上を渡り、時折、転移する。

 馬車は二の城壁の門の前で止まり、警備兵とやりとりした後、中門を潜る。

 カナタは城壁の上に転移し、ヘドバル・サンダールの馬車を見失わないよう、移動する。

 馬車は北、西、南へと弧を描いている城壁に沿って南に移動する。



 ヘドバルが大きな屋敷の門をくぐったのを確認すると、再びサンダール商会の正面の建物の屋上へと転移する。



 日が暮れ空がすっかり暗くなってから、エクレフが出てきた。同じように屋根伝いに追跡する。その結果、北の街の、カナタのアパートメントとそう離れていない、同じような建物の4階に住んでいることを突き止める。

 とりあえず、敵の居場所は突き止めた。


「あと2日。金に目がくらんで猶予を与えたことを後悔させてやる……!」


 シーラは恐らく城外にいたところを攫われたのだろう。そしてそのまま城外のどこかに監禁されている。攫った人間を一旦城内に入れて、また城外に出すとは考えられない。

 狩人や樵の日沈後の避難場所として頑丈な山小屋がいくつかあるらしいが、わざわざそれを移動するだろうか。


 カナタは屋根から屋根へと伝う。北の城壁の上へと目視で転移し、さらに城外へと降りる。月明りに輝く草原の向こう側に原生林の森が真っ黒い壁のように立ちはだかっている。

 北の山小屋はすぐに見つかった。森と草原の境界に小さな明りが見えたせいだ。頑丈そうな丸太小屋があり、木窓が開いたまま中の灯りが漏れている。

 カナタは丈の大きな草をかいくぐり、風に鳴る葉の音に紛れて小屋に近づきつつ、周囲の様子を伺う。小屋の入口が草原側に向いており、革鎧に身を固めた男が二人がドアの近くに立っている。このまま近づけば気づかれるだろう。小屋を中心に弧を描くよう、小屋の右側から森へと入る。


 森に入った途端、しん、と静まり返る。風が森に遮られ、音が木々に吸われている。カナタは草原から見て反対側までぐるりと回ると、そこから一直線に小屋へと近づく。小屋には頑丈そうな木の突き出し窓があり、足音を殺しながらその下に近づく。


「……なあ、やっぱりあの女やっちまおうぜ?」

「駄目だ。金を毟り取ったあとで売るんだ。せっかくの生娘、傷物にしたら安く買い叩かれるだろうが」

「でもよお、あいつのせいで1人やられたんだぞ? オレもおまえも、虎の子の高級ポーション無かったら危ないところだったろう。このままじゃ気が済まねえんだよ!」


 そして、人の肉を蹴る嫌な音と小さなうめき声が聞こえた。


「おい、やめろ! こら!」


 ばたん、と音がして一人駆けこんで来たようだ。


「何やってんだ!」

「こいつを止めてくれ!」

「離せよ、おまえらだってやりたいだろ? こんな若い上玉そうそう……」


 正面の警備の一人が小屋に入ったのを確認すると、カナタは素早く小屋の正面に回り、残りの一人の男の背後に飛び掛かる。左手で口を塞ぎ、右手のミスリルナイフが月光に光り首を真横に掻っ切る。熱したナイフでバターを切るように何の抵抗も感じない。

 そのまま男の首を抱え、死体を引きずって建物の横に転がす。こちらがあちらを一方的に察知し、あちらはこちらを察知できず、一方的に殺す。これが『狩り』だ。


「ったくよう、交代だ。外で頭冷やしてこい」


 カナタは耳を澄ましながら再度小屋の背後へと回り込む。


「あれ、あいつどこ行った? しょんべんか? おいこれ、血だぞ!」


 その瞬間、カナタは窓から中を覗く。男の二人が外に出て、最後の一人が声に反応して立ち上ってドアへと駆け寄っている。床には手も足も縛り上げられた銀髪の女が転がっている。


『転移』


 部屋の中に転移し、シーラを両腕で抱える。


『転移』


 再度転移した先は森の奥に置いてきた転移魔術陣だ。シーラを地面に横たえ、猿轡と手足を縛るロープをナイフで切る。猿轡を取って分かったが、相当殴られたようで、顔はどす黒く腫れ鼻血で口元が真っ赤だ。


「ひどい顔してんな、シーラ」

「カナタさん、カナタさん、カナタさん!」


 シーラにすさまじい力で抱きしめられ、カナタはゲフと息を絞り出す。


「待て待て待て、まだ終わりじゃない! ここで待っててくれ」


 人質がいなければやり方は増える。再び小屋へと近づくと、亜空間収納から弓矢とへび毒を取り出す。

 周辺を警戒する3人の男を小屋から遠い順に仕留めていく。男たちは敵がどこにいるかも分からず、毒矢を受け死ぬ。あっけない終わりだった。


「終わったぞ、手伝ってくれ」


 背後の森に声を掛けると、ガサガサと葉を揺らしてシーラがやってきた。

 小屋から離れたところに『土変形』の魔術で穴を掘り、二人でそこに死体を放り込む。


「1人やったんだって?」

「3人ですよ。でも、2人は回復されました」

「さすが【ゴブリン殺し】」

「えへ~」


 最後に穴を埋めて終りだ。


「俺の魔術のことは誰にも言うな」

「はい」

「じゃあ、俺はまだやることがある。シーラは日の出まで山小屋に潜んで……」

「嫌です!」

「は?」

「これからどこへ行くんです?」

「言えない」

「これから何をするんです?」

「言えない」

「つまり、言えないことを、サンダール商会にやりに行くんですよね?」


 アホな顔してアホではないらしい。どうにもやりにくい。かといってこの私闘を邪魔されるわけにもいかない。


「だったらなんだ」

「だったらって!」


 シーラはずんずんとカナタに近づき、顔を近づけて叫ぶ。


「わたしも連れて行って下さいよ!」

「へ?」

「わたしだって怒ってるんです! ほんとはあいつら全員やっつけたかったけど、カナタさんに取られちゃいましたし、わたしにもやらせてください!」


 カナタは予想外の言葉に唖然とする。


『カナタさんならどうとでもできるのに何を言っているんです? そのサンダールって貴族は、ヒュージスネークより、魔物より強いんですか?』


 シーラは最初からそう言っていた。だからといって、彼女が特別良識に欠けるとは思えない。法と道徳の捻じれに囚われ苛まれているのはカナタだけだ。ラーベだって、もしかしたら相応の力があるなら迷わないのかもしれない。この世界の法と道徳と力の関係とはそういうものなのかもしれない。


「ははっ……」


 なんとも間の抜けた気分だった。あれだけ悩んで守ろうと思っていた法だったが、その下にいる民衆は、ただ、良識を守っているだけで、法を守ろうとしている訳じゃないのだ。不当にやられたらやり返せ、良識を破る人間には制裁を、それが当然の感覚なのだ。なんだか今まで悩んでいたことが馬鹿馬鹿しく思え、笑いが込み上げる。


「はっ、はははっ! そうか、それでいいのか!」


 シーラは不思議そうに首を傾げ、カナタを見上げる。


「わかった。一緒に悪いヤツラに鉄槌を下してやろう」

「やったー! カナタさん、好き好き~!」

「おい、くっつくな!」

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