2 フィアルクロック男爵領編

1■黒パンのメッセージ1

 その日は土砂降りの雨だった。

 晩春は雨が多く、湿度が高く、蒸し暑い。漆喰の壁に滴が浮き、幾筋もの流れが床まで伸びている。

 カナタはラーベ商会の応接室でヨン・ラーベと相対していた。


「これで、累計3000か」

「そうですね」

「他が真似をしだしたのか、フィアーグラン卿は値を渋ってきた。そろそろ潮時かもな」

「構いませんよ。正直なところ、毎日毎日ワンド作るのに飽きてきたところで」


 ヨン・ラーベの言葉にカナタは軽く首を竦める。

 3000というのは、非殺傷武器である熱風のワンドの売り上げた数だ。この取引により、カナタの財産は金貨2500枚に達しており、欲をかく気も起きなかった。


「……も、儲かりました? これで結婚生活も安泰ですね、カナタさん!」


 隣でシーラが露骨に色目を使う。


「ああ、シーラには関係ないけどな」

「夫婦になったら二人三脚じゃないですか」

「夫婦じゃない!」


 そんな二人をいつものことと気にしないラーベは、タイを緩め、襟を開けて指を突っ込み、ばふばふと風を入れている。


「しかし、こう毎日雨だと気が滅入るな……」

「涼風の魔道具でも作りましょうか?」

「いいな。でも、既にある。利益にはならない」

「じゃあ、湿気をとる魔道具を作りましょうか?」

「何、そんなものができるのか?!」

「ええ、できると思います」


 仕組みは簡単だ。水生成すれば空気から水蒸気が減る。それを容器に貯めて捨てられるようにすればよい。


「それは売れるぞ! ……と言いたいが、出来る頃にはこの雨も止んでいる頃だ。来年だな」


 晩春の長雨も、もう少し経てば終わるのだろう。


「いや、ちょっと待てよ……」


 ヨン・ラーベは急にソファから身を起こし立ち上がる。


「どうしたんです?」

「危なく儲けを損なうところだった!」


 そう叫んで応接室を出て行く。

 カナタも商人としてヨン・ラーベの行動に興味があり、それを追って事務室へと行く。


「小麦を買い占めろ! 南北東へ行って小麦を買い占めて来い! 時期的にぎりぎりだが例年より何割か高く買っていい!」


 事務所がにわかに活気づき、3人の店員が外に出る。馬の嘶きと蹄の音が屋敷の裏から表通りへ出てゆく。


「小麦が長雨で駄目になるということですか?」

「もう少し気づくのが早ければ良かったんだが……。とうに買い占められているかもしれん」


 麦は秋に撒き、初夏に収穫するものらしい。領都サンダール周辺は温暖なため、小麦が主な生産品なのだが、このあたりは湿潤過ぎ、雨が多い年は小麦がダメになるらしい。


「ああ、くそ、少なくとも気づくのがあと3日早ければ!」


 ヨン・ラーベは背凭れに寄り掛かり天井を見上げて嘆いていた。



 雨は予想以上に長引いた。別の仕事で他都市より戻ってきた部下からラーベは情報を集め、その被害地域が予想以上に広いことを知る。川が氾濫し、橋が流され、小麦が倒れて水浸しになっているらしい。ラーベは他の商売を一旦止め、小麦を求めその部下も派遣する。


「こりゃあ、2倍は越えるな……」


 ラーベは内開き窓を全開にして外を睨む。


「2倍って何がです?」

「もちろん小麦の価格だ。あいつら、うまいこと買い付けられたらいいんだが……。失敗してもこれは俺の失態だな」

「そんなに上がるものなんですか?」

「通常、都市部の食料は周辺地域で賄われる。だから、都市部から離れれば離れるほど、運送費が嵩むから安く買い叩くしかなくなる。ところが、こんな大雨の場合、領都に近いほど小麦は全滅、遠いほど生き延びている。数が少ない上に輸送費がバカにならない。値段が上がろうが誰も文句は言えないさ」


 商人なら絶対に逃さないチャンスということらしい。カナタは今さら感たっぷりながら少し後悔する。


「新人には小麦は難しいな」

「小麦がダメなら大麦、ライ麦、いろいろありますよ?」


 シーラは慰めているつもりなのだろう。こういう優しさは彼女の美点だ。かといって、そう素直に受け止められるわけもないのだが。


「大麦、ライ麦、ねえ……」


 ヨン・ラーベが熱心に見ている外の風景をカナタも見る。いや、シーラの言にも一理ある。小麦の価格が上がれば、代替品としてランクの落ちるライ麦の価格も上がる。大麦は温暖でないと育たないので、小麦と地域を同じにするが、ライ麦は北方の作物だ。むしろそれは小麦に熱中している商人にとって、多少は盲点になるのではないか。

 よし、ライ麦を買ってこよう……。空間魔術はレベル5になっている。亜空間収納で2.5t運べるのだ。そして、魔術陣同士なら2.5t無制限の距離を運べる。これらを組み合わせれば大量のライ麦を運ぶことができる。

 思わず顔がにやける。


「なんですか? なんですか? なにするんですか?」


 シーラはその何かに便乗する気満々だ。ただ、領都に入れば何もないところから数トンの大麦が出て来ることになる。そうなればカナタが空間魔術を使えることがバレてしまう。


「ラーベさん、ちょっと、協力してほしいことが」

「なんだ。何か儲け話でも思いついたか?」


 その時、窓の外に上等な馬車が止まったのが見えた。来客らしい。店員が応接室のドアを叩き、書状を持ってきた。


「フィアーグラン卿からです」

「なんだと」


 ヨン・ラーベは店員から引っ手繰るように書状を受け取り、すぐさま読む。一通り目を通してから、カナタへと向き直る。


「熱風のワンドは安いところを見つけたので今後は値段を相談だと。ちっ!」

「仕方ないですよ。安売り合戦に付き合う気もしないですし」

「そうだな。ん……、あと、おまえと話がしたいから城に来いと書いてある」

「要件は書いてありますか?」

「いや、書いてない。こりゃあ、あのお友達案件かな?」

「嫌な予感しかしない……」


 カタナは気が重かったが、無視するわけにもいかない。



 雨に濡れて城に上がるのはまずかろうと馬車はラーベが貸してくれた。


「お招きに預かり参上いたしました、閣下」


 謁見場で膝を突いて最敬礼をしたのち、前回と同じ小会議室へ通される。フィアーグラン辺境伯アレクシス・サンダールは長いあご鬚をいじりながらどこから話そうか迷っている風だ。


「カナタ殿、雨の中わざわざご苦労。最近、雨がひどいな……」


 最初の一言は当り障りのない感じだ。


「ええ、小麦の価格暴騰が心配です」


 ついさっきの話だったので何の気もなくそう答えると、フィアーグラン卿の目が光る。


「ほう、カナタ殿はまだ駆け出しかと思っていたが、もう立派な商人と見える」

「いえ、先ほどラーベ殿とお話して初めて知ったところでして」

「商人どもはあちこちで小麦の買い付けをしているころだろう。ご苦労なことだ」


 フィアーグラン卿のその反応がカナタには意外に思えた。領政を司る辺境伯にとって、主食となる小麦の高騰は非常に忌むべき悩みの種で、それを商人のせいにするかと思ったのだが。


「どうした、意外か?」


 表情に出てしまったのだろう。


「はい、失礼ながら。為政者にとっては、商人こそが高騰する原因と見ると思っていました」

「正直でよろしい。だれか一人の商人が買い占め、不当な値段で売るなら問題だが、この広い領土で小麦を買い占めるとなれば現実的ではない。商人が値を吊り上げているように見えるが、実際は買う側だ。必要で足りない物なら高くても買うから値が上がる。物価抑制をしようとしても、備蓄を放出して少し値を下げるくらいが関の山だ」


 フィアーグラン卿は遠くを見るようにしてあご髭をすく。しかし、この話題がどこへ向かっているのかが分からない。


「カナタ殿、貴殿ならどう動く?」

「はあ……」


 カナタは少し考える。ライ麦について話して良いかについてだ。

 特に問題なさそうだと判断する。


「ライ麦を買って来たいと思ってます」

「そうか。辺境伯領最北に都市ノシュテットがある。魔術学院がある都市だな。その周辺ではライ麦の生産が盛んだ。特に、フィアルクロックという村では全面的ライ麦を作っておる。オデアン」


 辺境伯の背後に控えた傍仕えオデアンがテーブルの上、カナタの目の前に丸めた紙を置く。卿は見てみろと顎で指し示す。カナタは恐る恐るその紙を開いてみる。


「これは……!」


 思わず正気かとフィアーグラン卿の顔を確認する。


「辺境伯として統括する地域の地図だ。地形は抜いてある。あるのは領界と主要道路と都市と村の位置だけだ。それほど貴重というわけではない。その程度の地図なら、各ギルドに交付してある」


 測量技術が未発達な場合、地図というのは軍事的に最重要機密であり、そうそう手に入るものではない。


「まあ、正確な写しはなかなか手に入らないかもしれん。そういう意味ではそれなりに貴重だろう。それを写して売ろうが一向に構わん」

「わたしに何をしろと……?」


 それが問題だ。先に貴重なものを押し付けておいて、どんな無理難題を押し付けられるのか、それが心配なのだ。


「わたしを見くびるな!」


 フィアーグラン卿が吠える。その声量は吠えたというのが正しいだろう。小部屋の中で反響し、頭がくらくらするほどだ。


「貴殿とは友誼を交わしたいと言ったはずだ。一方的に何かを押し付けたり、頼られたり、そういうつもりはない」

「申し訳ございません。閣下……」


 カナタは深く頭を下げる。


「うむ、それは友誼の証だ。カナタ殿にとって役立ちそうなもので、すぐ渡せそうなものはそれしか無かったのだ」


 カナタは改めて地図を両手で持ち、頭を下げる。


「有難く頂戴いたします」


 丁寧に鞄に仕舞いこむ。


「お、貰ったな?」

「……へ?」

「実は頼みがあってな」


 この糞じじい!


「まあ、そんな顔するな。大したことじゃない。と、思う……」


 おい……。


「ライ麦を買いに行くついでで良い。そのフィアルクロックという村だが、フィアルクロック男爵ボリス・ニーダールの領地だ。ボリス夫妻はここの官職にもついているため、フィアルクロック男爵領に代官を置き、夫婦ともどもこの領都に住んでおる。

 で、その娘、ソフィア・ニーダールが、数年前に都市ノシュテットにある魔術学院に入ったのだが、最近卒業し、同時に消息が不明となった。自分を探すなと定期的に手紙を送ってくる。ソフィア嬢は何かが気に入らなくて親から逃げ回っているらしいのだ」


 フィアーグラン卿はわざとらしく大きなため息をつく。

 この話をするためにここに呼んだのであれば、最初の雨の話題はここに繋げるためだったわけで、カナタはうまくその道筋に乗ってしまったということだ。地図まで用意させて断れなくするとは、完全に掌で転がされている。

 だが、どちらにせよ断れない案件だ。カナタは気を取り直す。


「その、ソフィア・ニーダール嬢を探して、連れてこいということでしょうか?」

「そんな大げさな話ではない。ソフィア嬢が何を考えているか、知りたいだけだ。それが分かったなら、貴殿の口からニーダール夫妻に伝えてほしい」

「出来るだけ探してはみますが、どうしてわたしに依頼するのです? 閣下にはたくさんの部下をお持ちかと思いますが」

「ニーダール夫妻は優秀でな、この領都で官職に留め置いているのはわたしなのだ。多少とも彼らの役に立ってやりたい。だが、そんな私情の為に他の公務に配置している部下を動かすわけにはいかんだろう」


 そう言われてみれば確かにそうだ。公務で雇った官僚を私事で使う訳にもいかない。


「それに、【炎風】のカナタなら、魔術学院を卒業したソフィア嬢の関心も引けるかもしれんと思ってな」


 思いのほか【炎風】のカナタの名は冒険者ギルドで広まっている。ソフィア嬢が魔術学院を卒業したのであれば、確かに関心を引く可能性はある。


「見つからなければ罰するというものでもない。気軽に引き受けてもらえないか?」

「……わかりました、閣下」



「とまあ、こういうわけでして」


 ラーベ商会に戻るとすぐ、先ほどの話をヨン・ラーベに説明する。


「貴族の放蕩娘を探せ、ねえ……。仕方ない。手頃な馬車を用意してやろう。あと、シーラは御者ができるから連れて行っていいぞ。いい経験になるだろう」


 箱型荷台の二頭立ての馬車を馬込みで金貨40枚で売ってもらうことにした。鍵が掛けられてそう簡単に盗めないタイプなので少々お高い。


「そこで、というわけではないのですが、もしライ麦を買い付けることができたら取引したいのですが……」

「ほう、言ってみろ」

「ライ麦を買い付け、空間魔術で運んできますので、領都の外で荷を買って頂けないかと」

「なるほど、考えたな。確かに馬車以上に大量のライ麦を運んで来たら不審だし、売り捌くのも一手間だろう。分かった。粗利を折半だ」

「経費だって輸送費が殆どなんですから、こちらが7、ラーベさんが3でお願いします」

「それは欲深すぎだろう」

「一時的に貯め込んで、ゆっくり間を開けて運び込むことも可能ですよ?」

「ふん、分かった。そっちが7でいい。その代わり、もしライ麦が意外と売れなくて利益が出ない場合は、損失はカナタ持ちだぞ?」

「分かりました。それでお願いします」


 にやつく顔を抑えられない。おなじくにやつくラーベと顔を合わせる。契約書を交わし、二人は握手する。

 ふふ、これで大量のライ麦を運び込むだけで利益が……。

 サンダールに着た当初予定していた、空間魔術を使った商売がやっと進められるのだ。 



 一度雨が止んだのでカナタはラーベ商会を暇して北大通りを歩く。目的は文房具屋だ。水に強いインクが欲しい。


「それでしたら、こちらがよろしいかと」


 魔術陣を描くことが多い為、どうしてもインクの消費が多い。魔石を使えるよう回路化するには魔力インクが必須だが、自分で使う分には必要としない。もちろん、魔力インクの方が魔術陣を起動する際に抵抗が少なく使いやすいが、何せ高い。一瓶金貨1枚もする。

 それから北上し、外壁の近くへと来た。外壁際は舗装されておらず、地面が剥き出しになっている。そこで、なるべく平らで掌程度の手頃な大きさの石が無いか探し始める。10ほど拾い集め、埃を払って亜空間収納へ入れる。


「なにしてるんです?」


 ひょいと銀髪が揺れて視界に入る。いつものシーラのストーキングだ。


「ああ、俺たちの転移陣だよ」


 今までいくつも転移魔術陣を描いてきたが、レベルを超えて設置したものは古いものから無効になるという。鑑定によって空間魔術レベル分しか設置できない縛りが分かっているが、詳しい条件が分からないので、その実験をしないといけない。

 そのまま自宅に戻るがシーラが付いてきた。雨で冒険に出られなくて暇なのだろう。カナタは紙に5枚の転移魔術陣を描いて床に並べ、それぞれに飛んでみる。

 そして、既に設置してある自分の寝室の魔法陣に飛ぼうとした。


「無理だ……。人物鑑定の説明通り、新しいものじゃないと駄目らしいな」

「へー、ぴょんぴょんあちこちいけて便利だと思ったんですけど」

「いろいろ条件があるんだ。距離と重量と飛ぶ箇所と」


 紙の5枚を暖炉に入れ着火の魔術で燃やす。

 再度、寝室の魔術陣へと転移してみる。ぐわん、と視界が歪み、次の瞬間、寝室に立っている。足元に、随分汚れた紙の魔術陣がある。前の5枚を処分したから再び使えるようになったのだ。


「なるほど、使い捨ては出来ないということか……」


 これから北方へ出向くのならそれなりに設置場所を考える必要があると思ったが、それより、使った後、処分する方が面倒そうだ。魔術陣同士の転移であれば距離は問わないが、魔術陣を処分してから転移するとなると距離の制約がある。

 置きっぱなしで次の魔術陣を作るという手もあるが、魔術陣スキルを持つ魔術師などに見つかるといろいろと面倒なことになるだろう。



 二日後、雨は止み、馬車が納品された。厩を持っていないのでとりあえずはラーベ商会に預かってもらっている。空荷で移動するなど商人としてあるまじき行為だということで、売る商品をラーベに相談した。

 運送料分は確実に稼げるだろうということで、南方の産物、胡椒を、ラーベの知り合いの商会に売って貰うことになった。ラーベ商会からそう遠くない場所、同じ北通りに面する商会だ。


「ラーベの小僧がこの街に来た時も、あまりの若さにびっくりしたもんだが、それより若いのが来るとはねえ……」


 相手の商人は老年に差し掛かり丸々とした腹をしている。どんなに高いかと思ったが、1kg金貨3枚ということで、黄金ほどでは無いがかなりの値段だ。


「ラーベのやつは大丈夫だと言っていたが、本当に買えるのか?」

「ええ、買います。即金で」


 1kgの麻袋を200買い、金貨を600枚支払う。それでも荷台はまだスカスカだ。


「昔は、といっても俺の爺さんの時代だが、まだ胡椒が高くてね。それこそ金と同じ値段がしたって言う。金の無い駆け出しの旅商人は、荷物にならない胡椒から始めるのが普通だったらしい。応援する。頑張んな」

「ありがとうございます」



 さらにラーベ商会にて、水の樽、ワイン、堅いパン、干し肉、チーズ、リンゴやオレンジなど食料を載せ準備が整う。

 ラーベはわざわざ見送りに店を出てきてくれた。


「では、行ってきます」

「おう、頑張れ」

「ヨン伯父さん、お元気でー」


 カナタとシーラは御者台に乗り、出発する。

 広場を左に折れ、東大通りを通り東門を抜ける。

 雨の上がった草原はすっかり初夏の風が吹いている。



 シーラは御者としてやたらとこなれている。そこは流石商家の娘ということろか。


「カナタさん、荷馬車と人と、どっちが一日進める距離が長いと思います?」

「そりゃ荷馬車だろ?」

「ぶぶー! 同じくらいです。馬は時速6kmくらいで歩くのが一番楽なんですけど、2時間でちゃんと休ませてあげないといけないんです。歩き慣れてる人はそれほど休まずにずっと歩けますから。どっちも一日60kmくらいですよ」

「へえ……」


 シーラがちょっと賢いこと言ってるのが腹立つが、カナタは素直に感心する。


「もちろん、短距離なら馬の方が速いですよ」


 城門から出てすぐの幹線道路は真っすぐ東の首都方面へと延びる。

 しばらく進むと草原が終り麦畑と変わる。麦は長雨に折れて倒れて水浸しの様子だ。確かに小麦は暴騰するだろう。

 小さな集落を越えてすぐ、道は領内を南北に貫く道路と交差する。カナタは地図を確認し、そこを左折し北上する道を選ぶ。



 いくつかの集落を抜けると、しばらくはただ長い草の生える草原となる。道も両側から草に押し寄せられ獣道一歩手前だ。

 魔物の出る西側に領都のような大きな防衛拠点があれば、その背後を畑にできるのだが、一度領都から南北に離れてしまった場合、どこで魔物が出るか分からないのだろう。


「途中、御者のやり方を教えてくれよ」

「いいですよー」


 フィアーグラン卿から貰った地図によると、ライ麦の生産地帯である辺境伯領内最北の都市ノシュテットは北の海に面しており、目的地であるフィアルクロック村はそのすぐ東側に面している。ノシュテット市までおよそ600km、おそらく10日かかる。途中に領都に及ばないが開拓都市が幾つかあり、道はそれらを経由してゆくことになる。

 家出娘ソフィア・ニーダールの件もあるので、当面の目標はノシュテットとなる。


「ノシュテットに行けば、新鮮な魚が食べられるかもしれないな」

「鱒ですか?」

「いや、海の魚だ。海の魚は生で食べられるものも多いんだ」

「お魚を生で? えー!」


 魚を生で食べる習慣が無いのかもしれない。海の魚だとしてもなんでも食べられるわけではないが。


「極低温で冷凍すれば大抵の魚は生で食べられるんだけどな……」

「ほんとですか? どこでそんなこと知ったんです?」


 そう言われてみると、どこでそんな知識を得たのか分からない。すっかり領都の生活に慣れていたが、自分は記憶をなくしているのだ。今さらそんなことを思い出す。


「どこだったかな……」


 ともあれ、今は記憶がないことで困ってはいない。困ったところで記憶が戻るわけでもない。

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