7■春分の宴1
「そういえば、そろそろ春分ですわね」
夕食時、カロリーナは呟いた。
「春分がどうかしたのか?」
「ええと、あの……、わたくし、春分なんです」
カナタの言葉にカロリーナは恥じるように答える。
「わたしも春分です!」
「わたしもだ」
シーラとソフィアが追従する。
「カナタ様は?」
カロリーナはとても楽しそうにカナタを見る。
「何がだっ!」
訳が分からず叫ぶカナタに、三人は驚愕の顔を見せる。
「おぬし、まさか……」
ソフィアが眉根を寄せる。
「まさかもなにも、何の話をしているのかさっぱりだ」
「そういえば、常識が無いんだったの……」
「いいから教えてくれよ」
「春生まれ、いや、夏生まれと言うべきか。春分から夏至に生まれた者は春分に誕生を祝う宴をするのだ。同じように、夏至から秋分までに生まれた者は夏至に宴を開く。これを誕生節と言う」
「なるほど。じゃあ、多分春分だ」
辺境の草原で目が覚めてからそろそろ一年だが、今だ16歳で歳が変わらない。
念のため人物鑑定で調べると、誕生日は4月1日だった。
「でしたら、早速侍従長に伝えてないといけませんわね。伯爵の誕生節となれば相応の宴となりましょうし」
カロリーナが慌てて言う。
「なんだか、めちゃくちゃ楽しみにしてるみたいだな……」
「誕生節となれば街もお祭り騒ぎですわ。子供の頃からずっとそうですから、大人げなくもわくわくしてしまうものです」
「そ、そうだったのか……。まったく気づかなかったな」
「というわけで、誕生節の宴ではそれぞれ、プレゼントを贈ることになるのだ。忘れるな!」
ソフィアは満面の笑顔を浮かべる。
■
次の日の朝カナタは自室のソファに座って天井を見上げていた。
「うーん、誕生日プレゼントねえ……」
一体何を贈れば良いのか見当がつかない。かといって聞くのも野暮すぎだろう。
シーラは喜ぶものがイマイチ良く分からないし、『カナタさんをください、うぇへへ』とか言いそうだ。
ソフィアなら『そんなもの自分で考えろ!』と一蹴されるだろう。
カロリーナは『カナタ様から貰えるものは何でも嬉しいですわ』とか言いそうだ。それはそれで困る。
「高価なものを与えればいいという話でもないよな。金で解決するというのもなんだか違うな。こういうのは気持ちの問題だからな……」
そうなるとやはり、手作りか……。
魔道具を作るのなら、魔石付きなら必然、高価なものになる。
「よし、その線で進めるか……」
カナタは亜空間収納から竹ワンドを三つ、魔力インク、紙、ペン、そして、オークジェネラルの魔石を3つ取り出しす。
「えーと、こう、かな……光4、水6、土6」
治癒の魔術陣を作り、魔石とともに竹筒の中に納める。
「よし、これでスキルが無くとも治癒の魔術が使える」
これはシーラ用だ。
「ちょっと待てよ……」
シーラは魔術を覚える気が無いようなのでワンドを贈ることに意味がある。
ソフィアはそもそも、カナタより魔術の腕が立つ。
カロリーナはどうだろう。必要とあらば学んでしまうのではないだろうか。
「だめだ、考え直さないと……」
立ち上がり、部屋を出る。廊下の階段から、1階の中庭に面した吹きさらしの廊下へと降りる。
向こうからソフィアが走って来た。
「ふう、ふう、ふう……」
顎から汗がぽたぽたと垂れ、今にも倒れそうだ。
「ソフィア、がんばれ!」
「うむ!」
中庭を見回すとカロリーナが弓の練習をしている。その弓を引く立ち姿が美しく、カナタは思わず見惚れてしまう。
的の矢は何本も真ん中に刺さり、一本だけが少しだけ外れている。
「弓か……!」
天啓を受けたような閃きがあり、カナタは自室に戻り、街へと転移する。
■
マクシミリアン・マグヌソンとなったカナタは武器店へと駆けこむ。
「最高級の弓が欲しいのだが」
「最高級ですか。それでしたら弓職人のところへ行った方がよろしいかと存じます」
店主は仕入れ先の弓師を紹介してくれる。
東の街区の職人街へと進み、その一角の工房へと入る。壁には工程途中の沢山の弓が引っ掛けられている。職人たちの一人がカナタ気づいて見上げる。
「武器屋の店主から紹介を受けてやってきたのだが」
「特注ですかい?」
「そうだ」
男は立ち上がると奥へと歩く。
「師匠、特注のお客さんですぜ!」
奥から出て来たのはすらりと背の高い金髪の優男だ。年齢が分からない。
「……エルフ?」
「ああ、エルフだ。エスビョルンという。弓と言えばエルフだろう? ヒューマンの弓職人でなくて良かったな。当りを引いたぞ」
エスビョルンの言っていることは自信と嫌味たっぷりなのだが、話し方と表情が柔らかいせいか、まったく嫌味に聞こえない。
「弓の上手い婚約者に、最高の弓を贈りたいのだ」
「上手いとは、どの程度だ?」
「スキルレベル8だ」
「おお、それはエルフでも年かさの者しか到達できない境地だ。歳はいくつなのだ?」
「この春分で22になる」
「ふむ、ヒューマンというのは時折素晴らしい人材が生まれるな。分かった、それで背の高さはどれくらいだ?」
カロリーナは女性としてはやや背が高いくらいだ。カナタは自分より10cmほど低い位置で手をかざして見せる。
エスビョルンは壁に立て掛けてあった長い木の物差しを取ると、カナタの手の高さを測る。
「5日くれ。値段は金貨20枚で、+2武器を作ってやる」
「+3武器は作れないのか?」
「作れないことはないが材料が無い。古代樹の枝と黒竹が必要なのだが、調達が難しくてな。材料持参なら作ってやるぞ?」
「いや、聞いてみただけだ。済まない」
「では、早速取り掛かる」
「ちょっと待ってくれ」
エスビョルンが背中を向け、カナタが呼び止める。
「どうした?」
「少し、細工をしたい」
マクシミリアンはその方法を説明する。
エスビョルンは目を丸くして興奮気味に聞き入る。
「それは面白い! このような面白い作品をつくる機会に恵まれるとは、大いなる樹に感謝だ!」
「エルフは『ディマの悪戯に感謝』とは言わないのだな」
「ディマだと……?」
エスビョルンの態度が急に変わり、顔に険が浮かぶ。
「何か不味いことでも言ったか?」
「エルフの前で魔王の名を出すな。いや、ヒューマンは神と呼んでいたか……」
「魔王……? 神……? ディマって何なんだ?」
「せっかくの名作を作る気分に泥を塗りたくない。もうその話はやめてくれ」
エスビョルンは踵を返すと工房の奥へと立ち去る。
マクシミリアンは取り残されたまま、しばらく混乱していた。
マクシミリアンは歩きながら考える。
神。
魔王。
蛇の刺青の男たち。
オークキング・グラーン。
なぜ自分は狙われているのか。
エルフはそれを知っているのかもしれない。
「トールビョルンに訊いてみるか……」
行く先を中央広場に変え、冒険者ギルドを目指す。
■
カナタは冒険者ギルドの受付嬢に、戦闘指南役をしていたトールビョルン・トールリンについて聞いたが、予想外の出来事が待っていた。
「いなくなった?!」
「はい、つい先日、用事が出来たと言って出立しました」
そもそも、いつまでグリンド市にいるのか分からない以上、いつかはどこかへ行ってしまうものだが、あれだけの腕だ。行き先を教えてもらえる程度には友好を深めておくべきだったかもしれない。
「くそ、また振り出しか……」
エスビョルンは明らかに気分を害していたし、弓が出来上がったとしても口を開いてくれるとは限らない。
いっそ、ディマと名乗るのをやめてしまうのはどうだろう。
いや、蛇の男達は、転移を、ディマの恵みと呼んでいた。それが知られてしまっている以上、今さらなのかもしれない。
■
カナタは夕食の食卓で、今日あったことについてソフィアに質問する。
「魔王、とな」
「職人のエルフがそう呼んでいたんだ。何か歴史上で思い当たる節は無いか?」
「神と混沌の時代が2000年前に終り、人類の歴史が始まった。歴史は2000年しかないからな。それまでは文字も無かったらしい。神について書かれた聖書だけが2000年前に書かれたと言われておる。魔王というのは、神と混沌の時代の話ではないか?」
何かがおかしい……。
どこかで記憶が食い違っているような……。
でもそれが何か分からない。何だ……?
「空間魔術が失われたのはいつだ?」
ソフィアは目を見開き、そして宙を睨み、考える。
「わからん……。それがあったということだけが文献に残っておるが、いつ失われたのかは分からん……」
「じゃあ、空間魔術が活発だった時代について何か知らないか?」
「いや、分からん。転移と亜空間収納の遺物が残されているのみだ」
「歴史を知るはエルフのみ、か……」
そうだ、トールビョルン・トールリンは2000歳を超えていた。ソフィアが言う、歴史が始まるよりも前から生きていたのだ。そして、『神殺し』という二つ名を得ている。神は殺せる。そして、それはエルフにとって『魔王』なのだ。
何があったんだ……?
そして、それが狙われる理由に繋がっている気がする。
「ああ、くそ!」
思わず頭を掻き毟る。
「それにしても、シーラとカロリーナが遅いのう……。料理が冷めてしまうぞ」
ソフィアがぼやいた。
それに合わせたかのように、カロリーナが入って来た。
「遅くなって申し訳ありません」
「シーラはどうした?」
「シーラは、その、来ないと思います。自室に入ってしまいました……」
カロリーナは悲し気な顔でそう言う。
「何かあったのか?」
いつも元気いっぱいのシーラが凹むなど珍しい。
「それが……」
なぜかカロリーナも言い辛そうにしている。
「近衛の選抜で、シーラが負けたのです……」
■
それは凄まじい戦いだった。
一合目で木剣は折れた。
二合目で刃引きの剣が折れた。
シーラと選抜兵はそれぞれがミスリルの剣を抜き、三合目を打ち合わせる。
一振りごとに火花が散り、それが高速で打ち合わされるとかまいたち起こり、周囲の兵士の頬を微かに切る。
伯仲する戦いであった。
誰もが息を飲み、その結果を期待した。
僅かでありながら、だが確実な差がそこにはあった。
シーラは切り傷を負い、血を流す。
選抜兵は無傷だ。
その戦いは一時間にも及んだが、三つ目の切り傷を負ったシーラはとうとう負けを認めた。
■
カナタはシーラの部屋をノックした。
返事は無い。
「カナタだ」
ひとりにしてください……。
部屋の中から力ない声が聞こえた。
「わかった……」
■
次の日、カナタが朝食に食堂へと降りると、シーラがいた。
「おはようございます!」
「ああ、おはよう。もう……」
カナタは、もう大丈夫なのか、と声を掛けようとして、大丈夫なわけないと気づき、口ごもる。シーラは落ち込むと元気な振りをすることは分かっている。
「強いのが近衛に入ったらしいな」
「はい! 凄いんです。本当にすごいんです! もうわたしは負けないと思っていたのに、負けてしまって……」
「名は何という?」
「オーケという人です。浅黒い、この地方によくいる感じの背の高い男の人です」
シーラに勝つくらいだから、トールビョルン・トールリンではないかと疑っていたのだが、どうやら違うらしい。
「そうか」
カロリーナとソフィアもやってきて、4人で朝食をとる。
その後、カナタ、カロリーナ、ソフィアは中庭の廊下を走り始める。
■
二の鐘が鳴り、カナタはワイバーン騒ぎの際に近衛に抜擢したイェオリを呼ぶ。
イェオリは当番の際は常に内廷への入口を守るよう言いつけてあったので、すぐ呼び出せた。技術的には彼の剣と盾の腕は、カナタとカロリーナより少し上である。しかし、シーラと戦った時に得た戦士スキルがあるため、筋力の差、スタミナの差は圧倒的だ。
二人は交互にイェオリに稽古をつけてもらう。
カナタはイェオリに木剣を叩き落され、それを素早く転がって拾い上げる。
「まだまだっ!」
連続突きを放つが盾で鋭角に弾かれる。盾を持った相手というのはこれほど鉄壁なのかとうんざりするほどだ。
何度か交互に二人が戦い、休憩となった。
「伯爵様も代官様もこんなに強いんじゃあ、近衛なんていらないんじゃないですか?」
イェオリは微妙な顔つきで口の端を上げる。
「馬鹿言うな。お前たちがいないとゆっくり寝れないだろうが」
カナタは真面目な顔で答える。
「さっきだって、突きの合間に魔術を使われたら一瞬でこちらの負けですよ。代官様だって、遠くから出会ったら弓で一撃ですからね。これで剣を追い越されたらこっちが惨めですよ。俺も頑張らないと。シーラ様に稽古つけてもらって……」
そこでイェオリは言葉に詰まる。
シーラはミスリルの大剣、鬼切丸を構えたまま微動だにせず、既に一時間近く経っている。目を伏せ、ただ何かに集中している。
「昨日は大層驚きました。まさかシーラ様が……。化物ってのはいるもんですな」
「ああ、今日はそいつの近衛任命の儀があったな」
「もっと忠誠心を試せる試験があった方が良くないですかね?」
「どういうことだ?」
「どこぞの分からぬ者ってのは強ければ強いだけ、やっぱり不信感が出ますからね。あやしい、怖い、って思います」
「そうかもしれないな」
「考えたんですがね、なんで近衛が貴族の子弟ばかりだったのか。あれは、家があるから縛れるのだなと。何事か起こしたら主家も巻き添えになりますから下手なことはできません」
「なるほど。それは言えてる」
「特に俺ら市民出身で身よりも無い者は、何に忠誠を誓うって、そりゃ、近衛兵なんていう名誉と警備兵の倍もある給金に忠誠を誓う他ないですからねえ」
「本音が出過ぎじゃないか?」
「こりゃ失礼。今のは無かったことに」
■
午後、謁見場の玉座にカナタの姿があった。
オーケは若かった。まだ二十代半ばというところだろうか。背が高く、すらりとして見えるが、体は筋肉で厚みがある。肌は日に焼けて褐色で、ブラウンの髪は長く後ろで束ねられている。跪いた姿勢でありながらも英雄の風格が見える。
「オーケよ。そなたは我、ストールグリンド伯爵であるカナタ・ディマに命を捧げ、忠誠を誓えるか?」
「はい、主君の為であればこの命、盾となりましょう」
「わかった。では、オーケを近衛兵に任命する。顔を上げよ」
オーケはカナタを見て、不満げな顔をする。
「どうした、何か言いたいのか?」
「近衛兵筆頭に勝ったのであれば、近衛兵筆頭に成れるものだと思っておりました……」
謁見場がざわつく。
シーラはきゅっと唇を噛む。
「近衛兵筆頭は主君の傍に付き従う者だ。強さだけでなく、一番の信頼を勝ち取ってこそ。まだどこぞの誰かも分からぬ者に、寝所を守られても良い眠りにはつけん。そうは思わんか?」
カナタの言葉に、オーケははっとした表情を浮かべる。
「仰る通りでございます。妄言をお許しください。シーラ様にもとんだ失礼なことを申してしまいました。お許しください」
カナタは内心ほっと息をつく。シーラを超える腕を持つのだ。滅茶苦茶強い上に馬鹿で不満たらたらだったら面倒この上ない。
■
「イェオリ、どうだ、オーケのやつは」
次の日の朝の訓練でカナタはイェオリに尋ねた。
「まだわかりませんが、やたらと真面目というか、不愛想というか」
イェオリは特に階級の無かった近衛兵の中で、シーラやオーケなどの化物を除いて一番強く、そして分隊長であったことから、いつの間にか近衛兵のリーダー格になっている。
「真面目で不愛想?」
「ここを守るのだと言われれば無言で守り続けます。話し相手にはあまり向かないですね」
「それはイェオリが不真面目なのではないか?」
「そこまで期待されると困りますぜ?」
カロリーナが弓を射る。それは中庭の対角線上にある的のど真ん中に刺さる。
「お見事!」
イェオリが声を上げる。
カロリーナはにこりと笑顔を向けた。
「もう少し増えたら二交代制から、三交代制に変える。そうすれば多少は楽になるだろう」
「こりゃあ、楽しみだ」
「給料も減るがな」
「そりゃないですぜ、伯爵様」
「イェオリだけ二交代制にするか?」
「いえ、三交代でお願いします!」
イェオリは敬礼した。
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