5■ワイバーン伯爵1
春、芽吹きの季節。植物は萌え、様々な動物が蠢きだす季節である。
そして、それは魔物も同じだ。
カロリーナ・カンプラードは四の鐘の後、執務室にて長官クラスの報告を受けていた。シーラは背後に立って控えている。
「ワイバーン、ですか?」
ワイバーン。翼竜とも呼ばれ、長い尻尾に毒を持ち、体長10数メートル、翼を広げた幅も10メートルを超え、二足で歩行する竜の亜種である。
「襲われたのは山脈に近いリッテンスコグ村です」
警備兵長テオドル・テグネールが報告する。
「もうすこしワイバーンについて説明をお願いします」
「はい。毎年この季節になると、子育ての為の餌を探し、山を下りて来る個体がいるのです。通常、牛や羊、馬。時には人間が襲われることもあります。一度農村部を襲った個体は味をしめ、何度も下りてきては農村に被害を与えます」
「毎年のことなのですか……」
「はい。しかしながら、先の戦争の為、兵士が領都の治安を守るだけの数しかおらず、農村部を警備する兵士が足りていない状況でして」
「つまり、ワイバーンの問題があるのに、そもそも兵士が足りていないということですか」
カロリーナは考える。
「……ノシュテット子爵領から資金を借りることはできませんか?」
テグネールは言いにくそうに言う。
「それはわたくしの裁量から外れますわね」
カロリーナはあくまでもストールグリンド伯爵領の代官であり、ノシュテットに対して何の権限も持っていない。
「農村部の警備が足りていない件についてはなんとかしましょう。しかし、ワイバーン退治をするための余剰戦力を雇っておく予算は難しいですね。冒険者に依頼するというのはどうでしょう?」
「わたしは、ワイバーン退治は警備兵にとって重要なことと考えております。ワイバーンの皮は丈夫で、兵士の鎧などに使うのです。毎年、この時期にワイバーンを倒し、その材料で兵士の為の新しい防具を新調しております」
「冒険者のワイバーン退治が活発になれば、市場から調達するのも簡単になるのではないかしら?」
「鎧だけの話ではありませぬ。ストールグリンド伯爵領の紋章は二匹のワイバーンです。ワイバーン退治もできない兵を持ってストールグリンド伯爵領を名乗るなど正直恥ずかしい想いがございます」
テグネールの様子は必死だ。
カロリーナは外務長官トマス・トルネンへと視線を移す。
「トルネン殿はどうお考えになります?」
「テグネール殿と同じ気持ちです。しかし、領庫のことを考えると、閣下の意見に賛成せざるを得ません」
トルネンは即答する。
カロリーナは内務長官ステファン・ストールへと視線を移す。
「ストール殿は?」
ストールはしばし黙考するた。
「テグネール殿と同じ思いでございます。しかし、領庫を預かる身である立場では、閣下の意見に賛成するほかありませぬ」
「出す金は無いが、ストールグリンド伯爵領の矜持も捨てられぬ。そのあたり、皆さんの意見としては共通すると考えてよろしいかしら」
三人は頷いた。
「分かりました。それに関しては少し時間をください。ストールグリンド卿とも相談いたします」
カロリーナは内務長官へと視線を移す。
「ところでストール殿、被害に会った領民には何か手当を与えていますか?」
「いえ、とくには……」
内務長官ステファン・ストールは口ごもるように答える。
「では、牛を失った者には牛を、羊を失った者には羊を与えるよう整備してください。人を失った家族には、適度な見舞金を」
「分かりました。早速法案を作製いたします」
■
夕食の時間、カロリーナは先ほどの話をカナタに伝える。
「うーん、ストールグリンド伯爵領の矜持ねえ……」
カナタは天井を見上げて唸った。
「斬って捨てるには三長官とも想い入れがあるようで、可哀そうに思えまして」
カロリーナはそう言って最後の一口を口に入れる。
「カロリーナちゃんはすごく優しいんです!」
シーラはカロリーナの采配にいたく感動したようだ。
カナタもそれは理解できる。
「こういうのは領民の矜持でもあったりするからなあ。ほら、お国自慢とかに出て来たりさ。元兵士が、若い頃はワイバーンを倒したものだ、とか、なんとか言って。領民たちもそれを聞いて誇りに思ったりするんだろ」
「ええ、そういうものかと思います」
カナタの言葉にカロリーナが何度か頷く。
「払う金はない。しかし矜持は守りたい。贅沢なものだの」
ソフィアは他人事のように黒パンを齧る。
「えー、そんなこと言ってー。カナタさんが凄いことしたらソフィアちゃんだって嬉しいですよね?」
「ま、まあ、嬉しくない訳ではないが……」
シーラの強弁にソフィアがたじろぐ。
どうしようかなあ……。
カナタは考える。
「俺が一言、ノシュテットから資金を調達する、と言えば話は速いんだろうけど、それじゃ、誇りを金で買う為に他領に土下座するようなものだ。それはそれで矜持はどうしたと言いたくなる」
「そうなりますわね」
カロリーナが頷く。
「この件は少し考えさせてくれ」
「分かりました」
■
次の日のこと。
カナタが午前の訓練を始めたところ、予想もしないところから先触れがあった。
「フェリシア・フランセン?」
カナタは知らぬ名だ。フランセン家の親族であることは分かるのだが。
「前伯爵フランシス・フランセン様のご令嬢でございます。御年13歳であったと思います。現在はエストロット子爵であらせられるエーリク・フランセン様のところに身を寄せており、お子のいないエーリク様にとって後継者でもあらせられます」
侍従長が説明してくれる。
「そうか、元はここに住んでいたってことだな」
「……はい」
カナタが住んでいる内廷には、前々伯爵フレデリク・フランセン、その長男前伯爵フランシス・フランセン、次男エーリク・フランセンと、その家族が住んでいた。長兄の娘フェリシア・フランセンも同じくここで育ったのだろう。侍従長も長くその家族と付き合って来たはずだ。
「どのような人柄だ?」
「そうでございますね……。一言で言いにくいのですが、とても利発で、まるで大人と話をしているように錯覚してしまうような姫君でございました」
敵なのか否か、量りづらい。
フェリシアの父、長男フランシス・フランセンとカナタは戦争した。しかし、長男フランシスを殺したのは、サードラスロテット卿に担がれ城を取った次男エーリク・フランセンだ。そして、そのエーリク・フランセンをそそのかしたのはカナタである。
だがフェリシアは親を殺した次男エーリク・フランセンの元に庇護されている。
伯爵家の生活から追い落としたという意味ではカナタが仇となるのだが、次男エーリクに言いくるめられているのならともかく、大人のように利発な姫君となると、敵味方の関係が錯綜しすぎていて、フェリシアがどう考えるのかが全く想像つかない。
「会ってみよう。午後ならいつでもよいと返事してくれ」
「承知いたしました」
■
午後、謁見場にフェリシア・フランセンが現れた。
カナタは玉座から少女を見下ろす。傍らには代官カロリーナ・カンプラード、筆頭近衛魔術師ソフィア・ニーダール。そしてシーラを含む近衛兵3人がいる。
「お初にお目にかかりますわ。亡きフランシス・フランセンが娘、フェリシア・フランセンでございます」
緩く波打ち艶に光る赤い髪の美しい少女は、深いカーテシーをする。
従者の男は膝を突いて顔を伏せる。
彼女は大人びた表情で微笑んで見せ、そこに憎しみの影は一切無い。侍従長の言っていた通り、歳に比して大人びた雰囲気がある。
「そなたがフェリシア殿か。よく参った。それで、用件は何だ?」
「用件などございません。わたくしは閣下のご尊顔を拝しに参ったのです」
「というと?」
「別室で少しお話をさせていただければと存じます」
「いいだろう」
カナタたちは謁見場に付属した会議室へと入る。
奥にカナタが座り、シーラ、ソフィア、カロリーナが背後に立つ。
入り口側の席にフェリシアが座り、背後に従者が立つ。
「わたくしは叔父を憎んでおります」
フェリシアは座るなりそう言う。
「わたしのことも憎いだろう?」
カナタは冷静にそう尋ねる。
「閣下を憎いかと言われてもよく分かりません。閣下は父との圧倒的な兵力差を前に、策略によって勝った、稀代の英雄です。一方、叔父エーリク・フランセンは、サードラスロテット子爵に担がれ、父を殺し、伯爵領を簒奪しました。あまりに品がありません」
「そのエーリク殿をそそのかしたのはわたしだぞ?」
「そそのかす者とそそのかされる者の間には、大きな差がございます」
「ほう、言うな」
「そそのかす者には知恵があり、そそのかされる者は愚かです。知恵あってそそのかすことで戦争に勝った者と、そそのかされるまま我が物顔で伯爵領を奪う者など、比べるに値しませんわ」
「しかし、わたしは結果的に伯爵という爵位を奪ったのだぞ?」
「それは王の采配であり、わたくしごとき小娘がどうこう言うものではありません。わたくしだって、それができる立場ならば、叔父より閣下をストールグリンドに据えたいと考えます」
「ふむ……」
「どうしても叔父が憎く、そして、閣下を憎むことができません。これはおかしなことでしょうか?」
フェリシアは目に涙を溜め、机を叩く。
「分かった。フェリシア嬢の気持ちは分かった」
「も、申し訳ございません……」
自分の醜態を自覚したのか、そう言って俯く。
カナタは胸のポケットのハンカチを抜き、フェリシアへと渡す。
フェリシアは無言で涙を拭う。
「それで、どうしたいのだ?」
「ただ、わたくしは閣下の敵ではないと知って頂きたかったのです。先日も、伯父は塩の談合などをやっておりました。そのような品の無い行為の側にいながら何もできないこの身を情けなく思ったのです!」
フェリシアは身を乗り出して訴える。
カナタはその勢いに引いてしまった。
「そうか……」
「ところで、どうしてあのように近衛が少ないのです?」
フェリシアは謁見場のことを言っているのだろう。
「選別し直し中だ。どこにフランセン家の刺客がいるか分からないからな」
「わたくしは違いますわ!」
「分かった。分かったから落ち着け」
「……申し訳ございません」
フェリシアは顔を両手で覆う。
大人びてはいるが、まだ年相応のところはあるようだ。
「衛兵も少ないようですが、例年のワイバーン退治はどうされるのです?」
「ああ、ちょうど困っていたところでな。兵が足りていない」
フェリシアは何度か瞬きすると、何かを思いついたように手を打つ。
「でしたら、閣下自らワイバーン退治に向かうのがよろしいですわね!」
「はっ?」
「ストールグリンド伯爵領は、もともと、ワイバーンを恐れて無人の野だったところ、ワイバーンを狩った英雄がその功を称えられ、伯爵領を賜ったのです。オークキングを倒したカナタ様、シーラ様、ソフィア様なら、ワイバーンくらい軽く追い払えますわ! そうすれば、ストールグリンドに誇りを取り戻せます!」
カナタは天井を見る。
シーラは目を輝かせる。
ソフィアは難しい顔をする。
カロリーナは目を見開く。
「なるほど、それは面白いかもしれないな……」
ストールグリンド領の矜持の為に伯爵自らワイバーンを倒すのならば、兵よりも効果がある。思いつきそうで思いつかなかった案だ。
「いい案じゃないか?」
カナタはカロリーナへと振り向く。
「ええ。良いと思いますわ」
「ワイバーンと戦いたいです!」
「皆が言うなら付き合ってもよいぞ」
シーラとソフィアも追従する。
「良い結果を期待しておりますわ!」
フェリシア・フランセンは満面の笑みを浮かべて去って行った。
■
珍しくカナタは婚約者たちを連れて執務室の夕暮れの会議に参加した。
「伯爵閣下自らワイバーンを倒すですと?!」
警備団長テオドル・テグネールは驚きのあまり叫んだ。
「婚約者たちも一緒だ。そう無理な話ではないだろう」
「ワイバーンは中隊規模の兵で退治するものですぞ?」
「あらかじめテグネール殿から戦術指南を受ける」
「しかし……」
「領の矜持と予算の不足。両方成り立つ良い案だろう?」
外務長官トマス・トルネンは一歩前に出る。
「なんとかノシュテット子爵領から援助を頂けないでしょうか……」
「おや、ストールグリンド伯爵領の矜持とは、人に頭を下げて借りた金で買うものなのか?」
「む……」
トルネンは口ごもる。
「初代伯爵はワイバーンを狩ってここに伯爵領を得たのだろう? 再度行えば領民の忠誠心も上がり、警備兵の志願者も増えるだろう」
「わかりました。ですが、十分にお気を付け下さい。ここで閣下に何かあれストールグリンド伯爵領はまた荒れます。もう……、懲り懲りなのです」
トルネンの表情は疲れ切って陰っている。ストールグリンド伯爵領は数か月の間に、フレデリク・フランセン、フランシス・フランセン、エーリク・フランセン、カナタ・ディマと、主を変えた。その負担は、すべて高級官吏の肩に圧し掛かった。それは想像を絶するものであったろう。
「分かっている。難しいと分かれば婚約者たちに任せるさ」
「……それはそれでどうなのだ?」
ソフィアが眉を寄せる。
「冗談だよ。さすがにそれはカッコ悪いな」
■
二日後、馬車は山脈沿いのリッテンスコグ村への途上にあった。
一台は伯爵一行でシーラが御者をし、その前後を守るように三台の荷馬車を近衛が御者をしている。
馬車は緩やかな坂を上りながらそろそろ村へ到着するころだ。
「しかし、どういうことだ?」
「今さらではないか?」
カナタの問いにソフィアが答える。
「今さらですね」
カロリーナが息をつく。
「発案者には見学するくらいの権利はありましてよ!」
フェリシア・フランセンが鼻息荒く主張する。
そう、どういうことかフェリシアが着いてくることになったのだ。どういうわけか、出発するときに近くにおり、どういうわけか、押しかけて馬車に乗ってきた。
「カナタ様の雄姿をこの目に焼き付けて語り草にしますわ!」
「あまりカッコ良くないところは端折ってくれていい」
「承知いたしましたわ」
フェリシア・フランセンは如才ない笑みを浮かべる。
「そろそろリッテンスコグ村です!」
御者台への窓が開いてシーラが振り返る。
皆、窓の外を見る。
麦畑の海原の向こう側に家々が見える。広場を囲むように家が建てられ、その外側に牛舎があり、放牧場がある。さらに外側が畑となっており、畑は小麦、大豆、蕪、クローバーなどが育てられているようだ。
道の先に馬車に気づいた警備兵と村人が広場の入口に集まる。
馬車三台は村の広場の端に止められ、各々が馬車から降りる。荷馬車を御していた近衛三人もカナタ達の後ろに着く。
年かさの樽のような男一人と警備兵10人ほどがカナタの前に並び跪く。
「リッテンスコグ村村長でございます」
村長は丸い体を小さくして挨拶する。
「リッテンスコグ村警備兵分隊長イェオリと申します!」
挨拶した警備兵は11人の中でも一番年上と思われる三十代の男だ。この南方域で育ち浅黒く焼けた精悍な顔つきはサードラスロテット卿を思い出させるが、彼より余程実直な印象だ。
「ご苦労。わたしが伯爵領主カナタ・ディマだ。後ろにいるのが伯爵領代官カロリーナ・カンプラード、近衛兵筆頭シーラ・ラーベ、近衛魔術師ソフィア・ニーダールだ。そして……」
「フェリシア・フランセンと申します。元伯爵であったフランシス・フランセンの娘ですわ。本日はワイバーン退治を見学に参りました」
カナタの紹介に合わせ、三人が前に出た後、フェリシアは優雅にカーテシーをする。
「後ろの三人は近衛兵だ」
カナタは背後を振り返ると、近衛兵は敬礼する。
「このような寒村まで閣下自らおいでいただくとは。それも、閣下自らがワイバーン退治とは……。何もないところですが、ゆっくりしていって下さい」
村長の言葉にカナタは頷く。
「本日すぐにワイバーンが現れるとは限りません。簡素ですが天幕と寝所をご用意しましたのでお休みの際はそちらにどうぞ」
分隊長イェオリは村の広場の端にある大きなテントを指さす。直径5メートルはありそうな大きなものだ。
ちっ、何がワイバーン退治だ……。
分隊長イェオリはここしばらく農村の警備に配置されていたため、戦争に参加することが無かった。そのせいで、カナタ・ディマがどういう経緯で伯爵になったのかろくに知らなかった。馬鹿な小僧の伯爵が物見遊山に来たのだと思っており、これを一種の災難と捉えていた。
側近も、代官だの近衛だの言うが、全員婚約者だというではないか。三人とも美人で羨ま、いや、けしからん。
その気持ちが出てしまったのだろう。伯爵に対して険しい顔つきをしてしまう。
「ん? 分隊長イェオリ、何か不満か?」
「いえ……」
それでも正直な性格が災いして、しかめっ面を変えることが出来ない。
「いや、不満なのだろう。罰することはない。言ってみろ」
随分年若い伯爵で、イェオリよりも背も低く体も細い。どうにも気にくわない。
「分かりました。では、言わせて頂きます。ワイバーンは本来、中隊規模で退治するものです。100人の兵士でワイバーンになんとか勝てるのです。それを、閣下とその婚約様と、たった三人の近衛だけで、どうしようと言うのですか?」
「おまえは近衛の選抜にはいなかったのか?」
カナタ・ディマがそう尋ね返すが、イェオリは何の話かと眉を顰める。
「わたしはこの一年、農村部の配置でしたので……」
「そうか。おまえが分隊長なら、他の兵士より腕が立つのだな?」
「はい、もちろんです」
「ならシーラに稽古をつけてもらえ。訓練用の木剣くらいはあるのだろう? シーラ、ここにも近衛候補がいるぞ」
「はーい!」
「な、何の話ですか?」
あの婚約者の女と稽古?
あんなに細い女と?
俺が近衛に抜擢される?
「他の者は木剣を持ってこい」
カナタはイェオリの隣の兵士に言った。
「ワイバーンが来るまでの余興にもなるだろう」
村の広場を使っての稽古が始まる。
イェオリは盾と木剣を持ち構える。
シーラは木剣のみを持って構える。
「盾をシーラ様に、誰か!」
「いえ、盾はいらないです!」
イェオリは腕に自信があった。貴族の子弟ばかりの近衛兵など打って伏せることなど簡単だと思っていた。そしてその近衛兵の筆頭がこの娘だという。イェオリが結婚していれば娘もそれくらいの歳になっていたかもしれない。
そんな相手が、盾などいらないと言う。
たかが一兵士と、舐められたものだな……。
どれだけ技術があろうと、あの細い体では、体重と膂力でこちらが圧倒する。動きを捉えさえすればタックルするなり、盾を打ち付けるなりで態勢を崩し、そこから一撃でおしまいだ。
イェオリは伯爵から不興を買おうと手加減する気は一切無い。こんな馬鹿げた物見遊山に付き合うくらいなら本気で叩きのめして追い返してやる。そう、本気で思っていた。
「ではいきますよー」
シーラはそう言って剣をぶんぶん振る。
「こいっ!」
シーラが飛び込む。
その一撃を盾で押し切り、地面に打ち倒して、木剣を喉に突き付け、終り。イェオリはそうイメージして盾を構える。
しかし、
何だ……?
シーラの下から掬い上げるような斬撃は緊張に満ち、その姿勢は力強い。
違和感を覚えつつ盾でその一撃を受け止める。
強い?!
衝撃が体中に響く。
盾を持った左腕が肩から持って行かれそうになる。
盾を身に押し付け体で抑え込もうとするが体が浮き、足が滑る。
うそ、だろ……!
次の瞬間、空が見える。
空は回り、麦畑が見え、そして地面が見える。
「ごああっ!」
イェオリは数メートル吹き飛ばされると地面の上を勢いよく転がる。家の壁にぶつかり、そこで回転が止まった。
「なんだあれは!」
「人が吹き飛んだぞ!」
村人も、残りの警備兵も声を上げる。
何が起こった……?!
目が回る。このままでは次の攻撃が来る。
咄嗟に体を起こすが、脳が揺れてまともに立つことができない。
それでも盾と剣を構える。
何度も瞬きをする。
揺れが収まってくる。収まりきる前に前に出る。
「うおおおおおおおおおっ!」
叫ぶことで力を振り絞り、シーラへと駆け寄って行く。
渾身の一撃を鋭角に弾かれる。
もう一撃、さらに一撃。
どれも弾かれる。
盾に身を隠し、踏み込む。そして、盾を打ち付ける。
がつ、と重い衝撃が響き、打ち付けたはずの盾が逆に木剣で押し返される。
こいつ、人間か?!
音を立てて盾が弾かれ、体が無防備に晒される。
そして、流れるように木剣が盾の下から入ってきて左脇腹にめり込む。
「おごっ……」
その衝撃と痛みに体が一瞬止まる。
だが、盾だけは構えを戻して堪え、次の一撃を受ける。体に密着させず、その衝撃を逃がすようにして……。
「うおっ!」
盾を持つ腕ごと胸に叩き付けられ、その勢いのまま何歩も後退る。なんとか一撃の威力をギリギリ殺すことができた。
「この人すごいです! 二回目で衝撃を殺しましたよ!」
シーラが楽しそうにカナタに言う。
なんてやつだ、こいつは化物だ……。正真正銘の化物だ……。
正面から受けたら死ぬ。いや、真剣なら既に二度死んでいる。
それじゃだめだ!
再度、掬い上げるような一撃が来る。
イェオリはその斬撃を鋭角に盾で弾き、一歩前に出る。胸元が触れそうな超近接距離。
「くらえっ!」
イェオリは頭突きを放つ。
シーラも即座に頭突きを放つ。
ガツン、と音がして二人の額から血がほとばしる。。
しかし、力負けしたのはイェオリだ。その位置から数歩下がることになる。
「なんのっ!」
再度腰を下げ、シーラへと飛び込んでゆく。
突きから連続して後ろ回し蹴り。
シーラはそれを剣で逸らし、再び斬撃。
それを盾で鋭角に弾き、さらに連続突きを入れる。
シーラは5発の突きをすべて鋭角で弾き、踏み込む。
そこへシーラの鋭い突きが入り、イェオリの喉元で止まった。
「ま、参った……」
イェオリがここまで全力で戦ったのは初めてだった。
全身の力が抜け、地面へとへたり込む。
「合格です! カナタさーん、合格者が出ましたー! 強いですよ! いままでで一番強いです!」
シーラはぴょんぴょん跳ねてカナタへと手を振る。
息を飲んで観戦してた村人たちはやっと息を吐き、二人の戦いを褒めたたえる。
カナタは座り込むイェオリの前に歩く。
イェオリは震える足を何とか動かし、跪く姿勢になった。
「イェオリよ。おまえを近衛兵に抜擢する。帰りは着いて参れ」
「は……、はいっ!」
カナタはそれだけ伝えるとイェオリの前から去る。
村人たちはイェオリの戦いと近衛兵任命に拍手する。
近衛兵三人はイェオリに近づき、手を引いて起こした。
「ようこそ、近衛兵へ」
「あんな化物がいるんだな……」
イェオリは手を取った近衛にぼやく。
「多分、あんたがシーラ様に次ぐ二番だ」
「そうなのか?」
「俺たちは二度三度となんとか根性で立ち上がっただけだ。シーラ様の斬撃を受け流したやつはまだいない」
「そう、か……」
イェオリは自分の剣の腕に誇りを抱いていた。しかし、それはシーラによって粉々に打ち砕かれた。それでも、まだ誇りを持てる部分は残っていたのだ。
「だがな、シーラ様は伯爵様に何度も命を救われたと言っている」
「あんな化物より上がいて堪るか!」
「さあ、伯爵様が戦うところなど見たこと無いからな。ワイバーンが来ればそれも見ることができるかもしれない。今回はゆっくり観戦ができるぞ」
近衛はそう言って笑う。
「観戦? ワイバーン相手のそんな呑気なことを」
「俺たちは伯爵様たちがワイバーンを倒したあと、荷物を運ぶために呼ばれただけだ。手出しするなと言われている。だから、観戦だ」
「近衛なのにか……?」
イェオリは婚約者たちと談笑するカナタを見る。
伯爵様が、シーラ様より強い……?
ともあれ、ワイバーンを倒しに来たというのは本当なのだと納得した。
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