4■フェリシア・フランセン2
エストロット城の城主の執務室。
この危機にまたも貴族たち四人がソファに座り、顔を赤くしたり青くしたりしていた。
「なんと、談合が崩されただと!」
エーリク・フランセンはテーブルを叩いた。
「ええ、最初はマグヌソン商会という小さなところが高値を提示しまして、それきりだったのですが、その次からはノシュテット商会が入ってきました」
三人の男爵のうち、トゥンフロッド商会会頭トゥンフロッド男爵がそう説明する。
「ノシュテット商会というと、カナタ・ディマの手先と言われている商会だな?」
「マグヌソン商会という小さな商会を潰すのは簡単ですが、カナタ・ディマの関わるあの大きなノシュテット商会となると、我々でも手が出ません」
「いっそのこと、代官であるカロリーナ・カンプラードを殺してしまってはいかがです? 叔父様」
またも現れたのはエーリクの姪、フェリシア・フランセンである。
「おお、フェリシア!」
「わたくし少し調べてみたのですが、そのカロリーナとやら、ノシュテットで若くして上級内務官であったとのこと。ですから、政務に詳しく官吏を掌握するのが得意なのですわ」
「なるほど、そういう過去があったのか……」
「一方、カナタ・ディマは元流浪の商人。政務に詳しい婚約者を得ることで自分の地位を確保したのでしょう」
「うむ、そうかもしれんが、それがどうして殺すことに繋がるのだ?」
「であれば、そのカロリーナがいなければ、カナタ・ディマは官吏を掌握することが出来ません。官吏にはフランセン家の親族が多くいるのでしょう? カナタ・ディマに伯爵という名だけくれてやって、ストールグリンド伯爵領だけ取り返せば良いではありませんか」
3人の男爵と1人の子爵は目を見開く。
「ううむ、フェリシア嬢は機微の分かる鋭い娘であるとは思ってはいたが、これほどとは……」
トゥンフロッド男爵がため息混じりに感嘆する。
「うむ、フェリシアは賢い。我々の宝かもしれん。もちろん、私の宝ではあるがな」
エーリク・フランセンはどこか得意げだ。
「まあ、叔父様ったら!」
「しかし、どうする? あのカロリーナには常にオークキング殺しのシーラがついておる。そのシーラが別の仕事で外していても、雷槌の魔女ソフィアが侍っているというではないか。そのような者に勝てるような人間がおらん」
「ちょっとだけ、そのシーラとやらを外させることもできましょう。普段は執務室に居るのでしょう? カナタ・ディマが呼んでるとでも言って、一時シーラを外させれば良いではないですか」
「うむ、確かにそれなら出来そうだ」
四人の男達は既に事が成ったかのように喜ぶ。
「では、結果を楽しみにしていますわ」
フェリシア・フランセンはそう言って部屋を出て行く。
そのまま人気の無い使われていない奥の区画へと向かう。
角を曲がり、倉庫の一つへと入る。
「猊下、いらっしゃいますか?」
「ここだ」
薄暗い倉庫の一角の箱に座っていたのは、元ノシュテット司教スティグソンだ。
「伯父を焚き付けて参りましたわ」
「ふむ、よくぞそこまでやれたものだ。感心したぞ」
「猊下に協力して頂いた亡き父から、カナタ・ディマにそそのかされて伯爵の称号を奪ったのは伯父です。叔父はわたくしを好いておりますが、わたくしはそんな叔父を蔑んでおります。使うのにも躊躇が無く、やりやすいですわ」
フェリシア・フランセンは司教スティグソンを『使える』と思っていた。父が伯爵に成れるよう努力してくれた人間だからだ。それは結果、カナタの策により、次男を神輿にしたサードラスロテット卿が侵攻し、父は殺され、王の裁定により領地は取り上げられた。
叔父は不用意にカナタ・ディマを襲い、その罪で牢に入れられた。なのにその相手に踊らされ、サードラスロテット卿に担がれ、空いた伯爵領を襲った。何の力もなく、見苦しく使われただけの叔父が、伯爵領の支配者面するなどあまりに品がない。フェリシアは品の無い者を嫌った。
祖父については正直なんとも思っていない。可愛がって貰ってはいたが、あの性格は叔父と同じく品が無く好めなかった。父とは違う。父は愚か者であったが少なくとも正直者であった。
「そうか、ならよい。これでカロリーナ・カンプラードが死ねば、カナタ・ディマが前に出てこざるを得なくなるだろう。それだけでも随分殺しやすくなる」
「稀代の英雄、カナタ・ディマを舌先三寸で殺せる日を待ち遠しく思っております」
フェリシアはカナタ・ディマが憎いというわけでもない。そもそもカナタのことは話でしか聞いたことがない。父を殺したのはカナタに唆され担がれた叔父エーリクであると思っている。ただ、稀代の英雄を殺せたらどんなに全能感を得られるだろうと、その遊戯を楽しんでいた。
■
それから数日後のある日のこと。
カロリーナは執務室で書類のチェックをしていた。ソファにはシーラが座って黒パンを齧っている。執務室は静まり返り、紙をめくる音しか聞こえない。
城の内廷にカナタが訓練場を作ってから、カロリーナ・カンプラードは常に剣を佩くようになった。以前、『蛇の体』の大男が持っていたミスリルの剣の一つである。カナタが保存していたものを、訓練場を作った期にと渡したものである。
鞘をベルトに固定するのではなく、肩に斜めに掛けた紐に鞘を固定している。椅子に座っていても、ソファに座っていても、身から離すことなくいられるようにするためだ。
次は足手まといにならない。カナタの弱点にはならない。囚われのお姫様などまっぴらだ。そこにはカロリーナの決意が現れていた。
そこでノックがあった。
「入りなさい」
内務補佐官の一人が入って来る。
「閣下にお客様です。トゥンフロッド男爵がいらしておりますが、いかがいたしましょうか」
「先触れも無いとはどうしたのでしょう」
貴族が動く場合は通常、先触れが出されて相手の予定を確認するものだが、それも無しに来たという。
「すぐ会わせろとうるさく……」
「分かりました。連れてきてください」
「それと、伯爵様が、シーラ様をお呼びです」
「ん? わたひれすか?」
シーラは口の中の黒パンを噛みながら反応する。
「では、トゥンフロッド卿をお連れします」
「ふんふんふん~、すぐ戻りますねー」
内務補佐官は部屋を出る。シーラも浮足立って執務室を出て行く。
またしばらくして声がする。
「トゥンフロッド卿をお連れしました」
「入って頂戴」
「侍従長、お茶を持ってきて頂戴」
「かしこまりました」
トゥンフロッド卿が男を2人連れて入って来る。
シーラがおらず、男が3人。カロリーナは緊張の度合いを少し上げる。
「これはこれはカロリーナ閣下。ご機嫌麗しゅう」
「トゥンフロッド卿もご健勝のことと存じますわ。それで、今日は一体いかがいたしました? 随分とお急ぎの様子で」
カロリーナも席を立って涼しい笑顔を浮かべ挨拶する。
「ええ、ええ、あの、塩の公売のことでして……」
「お座りください」
恐らくは塩の公売を指名制に戻してほしいとか、空気の読めない無理難題を言いに来たのだろう。
トゥンフロッド卿は背後の男に目配せすし、一人ソファに座る。こちらと目を合わせずどこか緊張した風に見える。
カロリーナも座ろうとして腰をかがめたところで、その違和感が強烈なものに変わっていった。
まさか……!
2人の男がトゥンフロッド卿の座るソファを迂回し、左右からカロリーナに飛び掛かって来る。懐からナイフを取り出し、カロリーナ目掛けて振り下ろす。
カロリーナは素早く剣を抜くと、一人の攻撃を避けるよう左に動き、もう一人に斬撃を浴びせる。
「がああっ!」
ナイフを握った手首から先が宙を舞う。
「近衛兵!」
カロリーナは叫ぶ。
「無駄だ小娘! 近衛の数を減らしたのはお前たちだ!」
トゥンフロッド卿も胸元からナイフを取り出すと、立ち上がる。
恐らく、内部で関わった人間は複数に及ぶ。シーラをカナタが呼んでいるというのも嘘だ。
カロリーナは手首を切った男に肩からぶつかって床に転がす。ソファセットの間から抜けると、壁を背に二人を迎える。
「さあ、かかって来なさい!」
「小癪な!」
カロリーナは右前の構えで踏み込みと同時に鋭い突きを放つ。
男が辛うじてそれを弾く。
その間に飛び込んできたトゥンフロッド卿に右下から切り上げる。
卿はギリギリのところでナイフで弾き、後退する。
再度の鋭い突きを男に繰り出し、3度目の突きが男の脇腹を抉る。
「ぐお……」
男は腹を押さえ、その場から離れようとする。
カロリーナはそれを逃さず、再度の大きな踏み込みで男の体に剣を突き入れる。
「あが!」
男はその場に転倒する。
「馬鹿な、それなりの手練れを用意したはずだぞ!」
男爵は顔を青くする。
行ける!
トゥンフロッド卿がナイフで防御したらそれを手首ごと切り落とす!
ミスリルの剣ならいける!
カロリーナは迷わない。最大速度の突きを入れる。
トゥンフロッド卿がそれを防御しようとナイフを突き出す。
今! 剣先を手首で返し、そして切り上げる。
しかし、
「うっ……!」
最初に倒れた男が残っている手でカロリーナの足へと切りつける。
カロリーナは蹴り足に鋭い痛みを感じ、そのままトゥンフロッド卿側へと倒れ込む。
二人は揉みあいながら上と下が入れ替わる。
トゥンフロッド卿は逆手に握ったナイフを振り上げる。
「お前さえいなければああああ!」
仰向けに倒れたカロリーナへ向かい、覆い被さるようにしてナイフを突き下ろす。
カロリーナは素早く首だけで躱し、ナイフが床に突き刺さる。
「わたくしはカナタ様の弱点にはなりません!」
右手のミスリルの剣を、のしかかる男の脇腹に刺す。
「ごはっ……」
トゥンフロッド卿が血を吐き、カロリーナの顔を赤く濡らす。そして、そのまま彼女の上へと倒れ、動かなくなる。
カロリーナは太った男の体を自分の上からどかすと、立ち上がる。傷ついた片足を引きずり、それをした右手首のない男の前に立つ。
「た、助けてくれ! 俺は、雇われただけで!」
「そう、雇われただけでしたの。では、何も知らないですわね」
カロリーナはそう言い、涼しい笑顔を浮かべる。右手首が返り、ミスリルの青白い光が閃く。
男の口にミスリルの剣が刺さる。
終わった……。
いや、まだネズミが一匹……。ドアのすぐ外に気配がする。何を狙っていますの?
わたくしが出て行ったらどうなります?
カロリーナは考える。もともとはトゥンフロッド卿たちを逃がす為の要員なのだろう。
もしわたくしが勝ったと知れば、死体を片付けるなどと言って、襲った男達の証拠となるナイフを回収でもするつもり?
カロリーナは音を立てず、そっとドアに近づく。
トゥンフロッド卿は接戦となって殺してしまった。情報を吐かせることができない。残りのネズミに賭けましょう……。
素早くドアを開く。そこには最初に連絡をしてきた内務補佐官がいる。
補佐官は出て来たのがカロリーナであること、そして彼女が血みどろであることに驚いたのか、目を丸くする。
「ど、どうなされたのです?! お怪我はありませんか! 速く、治癒師の元に!」
「あなたの話を聞かせてちょうだい」
補佐官は策謀が看破されたことに気づき、後退ろうとする。
次の瞬間、カロリーナの剣の切っ先が男の脛を抉っていた。
「うあああああ!」
男が床を転がる。
「近衛兵! 近衛兵はどこにいますか!」
カロリーナは叫ぶ。近衛兵は選定しなおしでシーラを含め9人しかいない。非番もいるため、今勤めているのは4人だけだ。普段からシーラが付いているカロリーナの付近には配備されていないのだ。
遠くから声を聞きつけた近衛2人と、侍従長がやってくる。
「何事ですか! その血は?!」
「大丈夫です。近衛兵、執務室にわたくしを襲った男たちの死体があります。この男は殺人未遂犯を手引きした者です。取り調べしてください。
侍従長、わたくしは今日のところ内廷に戻りますので、それを各長官に伝えてもらえます? 近衛の取り調べが終わったら部屋を掃除しておいて頂戴」
「わかりました!」
「承りました」
侍従長と近衛が引き受ける。
血塗れのカロリーナ・カンプラードは人目を憚らず、抜身の剣を持って歩く。
わたくしは、カナタ様の弱点にはならない……。
トゥンフロッド卿の血も、引き摺った左足の傷も、勲章のように思えていた。
内廷の入口を守る近衛2人がギョッとした顔で委細を訪ねるが、簡単な説明だけしてカロリーナは内廷へと入って行く。
その事件の激しさは主を守る近衛の口の堅さをも破って見せ、城内に広まる。
血塗れで剣を持つ姫君。
血塗れ姫。
皆がそう口にすることになる。
■
カロリーナは自分の治癒魔術で傷の癒し、浴槽を魔道具のお湯で満たし、スッキリと血を洗い流す。
着替えてホールに降ると、そこでは、カナタがシーラに石の床に正座させていた。
「シーラ!」
「ごめんなさいです……」
カロリーナは慌てて止めに入る。
「カナタ様、シーラに罰を与える必要はありません。わたくしも、カナタ様がシーラを呼んでいると聞いて、敵の罠だと察することができなかったのですから。罰を与えるならばわたくも一緒にお願いします」
「ん、その割には晴れ晴れとした顔をしているな?」
「ええ、カナタ様の弱点にはならないと決め、それが実行できましたから」
そう言って涼しい笑みを浮かべる。
「わかったよ。シーラもういいぞ」
「はいい……ごめんなさい」
「カナタ様。もう、わたくしを特別扱いするのはおやめください」
「でも、カロリーナに何かあったら、伯爵領の経営はお終いなんだぞ?」
「ええ、それは分かります。ですが、カナタ様はそれ以外の理由でわたくしを守るよう気を使っています」
カロリーナは不服そうにじっとカナタを睨む。
カナタはそう言われると返す言葉もない。シーラやソフィアに比べ、カロリーナを守るべきものとして位置づけているのは確かだ。だがそうだとしても、シーラがほんの十分も離れることができないのなら、トイレにも行けないことになる。
「わたくしは、シーラやソフィアと肩を並べたいのです。一番年上でありながら一番守られる立場にあるというのが悔しいのです。まだまだではありますが、もっと強くなりますから、おねがいします」
カロリーナはそう言って頭を下げる。
「そう、だな……言い過ぎた。ごめん、シーラ」
「いいんですよ。賊にナイフを抜かせ、カロリーナちゃんが襲われたのは、誰がなんと言おうとわたしの失敗です。どのような理由があろうと、近衛兵筆頭としての仕事として恥ずかしいです。反省してます。
でもそんなことより、カナタさん、カロリーナちゃんを褒めてあげたらどうですか?」
シーラが珍しく口を尖らせて怒っている。
カナタはやっとカロリーナの誇らしい顔の意味に気づく。
また失敗した……。
「カロリーナ、君は強くなった。保護が無くとも悪漢を退治できるほどの強さを持っている。それなのに、守る守ると君の誇りを傷つけることばかり……失礼した。許してくれ」
「ええ、許して差し上げますわ」
カロリーナは笑う。
「まったく、お主はカロリーナに甘くてわたしに冷たくないか?」
後ろからソフィアの声がした。
「むしろ、わたしには常に護衛を付けておいてもらいたいわ。そうすればどこへでもふらふらと遊びに出られるというのに」
「ソフィアなら大丈夫だ。ちっちゃくて的が小さいからナイフもなかなか当たらない」
「お主は喧嘩を売っておるのか?」
■
エトスロット城の執務室にて。
エーリク・フランセンは怒り任せにソファから立ち上がりローテーブルを蹴る。
「トゥンフロッド男爵が逆に殺されただと?!」
商会を持つその他の男爵二人はなんとも気まずい表情を浮かべる。
「あの間抜けが! 男三人で襲い掛かって小娘に逆に殺されるとは! 馬鹿かっ!」
三人にトゥンフロッド男爵に対する憐憫の感情は一切ない。
「死者を侮辱するものではありませんわ。叔父様」
いつのまにかフェリシア・フランセンが執務室に入っていた。
「しかし、それもこれも、フェリシアの案だったのだぞ?!」
感情を抑えることなくフェリシアを責める。
「あら、伯父様。上手く行かなかったからといって、成人にもならぬ小娘に責を負わせようというのですか?」
「うぬう……」
「わたくしもカロリーナ・カンプラードという女を甘く見てましたわ。聞きかじる範囲ではそこまで腕の立つ者とは思っておりませんでした。オークキング殺しのシーラさえその場を離れればどうにでもなると。でもそれは、叔父様も同じではないですか?」
「……うむ、確かにそうだ」
「しかし、それなりの手練れを雇ったというのに、カロリーナ・カンプラードは三人に勝つことが出来ました。これは、こちらの思惑がどうというより、カロリーナの腕を褒めたたえるべきところではございません?」
「うむ、そうなるな。今では『血塗れ姫』などと呼ばれているらしい……」
「まあ、素敵な二つ名ですこと」
「そして、それでどうすると言うのだ?」
「幾つか案がありましてよ、叔父様。ただ、準備に時間がかかります。すぐという訳にはいかないでしょう。見通しがついたら、叔父様にご相談いたしますわ」
「分かった。お前だけが頼りだ。フェリシアよ……」
■
薄暗い倉庫の一室。
フェリシア・フランセンは低いカーテシーの後、顔を伏せる。
「申し訳ありません。猊下。カロリーナ・カンプラード暗殺は失敗に終わりました」
司教スティグソンは老いた顔の皺をさらに深め、眉を寄せる。
「カロリーナは思ったより腕が立つようだな……」
「はい、恐らくシーラ程ではありませんが、それなりの腕かと」
「で、お主は自分の責務をどう捉えている? どう役に立つと?」
「猊下の御手を煩わせる前に、カロリーナ・カンプラード、カナタ・ディマと会ってこようかと存じます」
「ふむ、会ってどうする」
「容易く殺せるならば殺します。殺せないのであれば、それがどの程度なのか、どうすれば殺せるのか、お伝えできればと」
「なんにせよ、役に立って見せるというわけだな?」
「はい」
「カナタ・ディマを殺せるようであれば、教会の地位も約束されるであろう」
フェリシア・フランセンは深く頭を下げると倉庫を出て行く。
司教スティグソンは薄闇に溶けるように消えてしまう。司教が座っていた木箱の上には紙に描いた魔術陣が残っていた。
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