3 ノシュテット子爵領編

1■カロリーナ・カンプラード1

「ねえお父様、どうしてわたしは他の子たちと一緒に遊んではだめなの?」


 まだ十歳にもならない頃、カロリーナ・カンプラードは、父オストラスクーゲン男爵フィリップ・カンプラードに尋ねた。

 カロリーナの母は彼女がまだ赤ん坊のころに亡くなり、それからは乳母頼りで育てたが、フィリップはノシュテットの政務から帰るとカロリーナと一緒にホールのソファでお話をして過ごした。


「我々は男爵家であり貴族で、彼らはわたしの領地で働く領民だからだ。立場が違うんだよ」


 フィリップは子供だからといって、適当に誤魔化すようなことはしなかった。


「でもアンナは遊んでくれました」


 アンナというのは領民で乳母を頼んでいた女だ。


「それはお父さんが、カロリーナの面倒を見てくれるようアンナに頼んだからだ。金を払ってな」

「お金かー。じゃあ、貴族と領民だと何が違うの?」

「我々のご先祖様、カロリーナの祖父様のそのまた祖父様のさらに祖父様が偉業を成し遂げた。その代価として、そのときの子爵様よりこの土地を与えられたのだよ」

「だから、領民を集めて農作物を作らせるってこと? 土地を貸しているから、農作物を作らせて、税を取るの?」

「そうだ、良く分かったね」


 フィリップは時折、カロリーナの賢さに驚かされた。


「じゃあ、どうして今もわたしたちは貴族なの? 祖父様の祖父様が貴族でも、いまでも貴族なのはおかしい」

「貴族というのは、家に与えられるものだからな」

「変なの」


 カロリーナは両足を落ち着きなくぶらぶらさせる。


「そうだな、変かもしれない」


 カロリーナはあまりにも優秀だった。家庭教師を着けても何でも吸収してしまい、13歳になると教師の成り手を探す方が大変になった。


「家庭教師はもういいです、大したことを知らないんですもの。それより、お父様のお仕事について聞かせて頂戴。そちらの方が面白いですわ」


 カロリーナには反抗期らしい反抗期が無いまま、父を慕って父の仕事の話を聞きたがった。


「なるほど、ライ麦の方がこの辺りの気候には合っているのですね」

「うむ、しかし、ノシュテット卿は他領に売りやすいからと小麦に替えようとなさっておいででな」

「それでは領民の食事が足りなくなりません?」

「どうもノシュテット卿は目先の金に目を奪われているようだ」

「ノシュテット子爵は愚か者ですわね。そのようなお方に振り回されるお父様が可哀そうでなりません」

「こら、主に対してそういう言い方はするな」


 フィリップ・カンプラードは男爵であると同時にノシュテット子爵領の内務長官でもあるため、雇人としてノシュテット卿に忠誠を誓っているのだ。


「はい、二度としません」


 カロリーナはそう言ってにっこり笑って見せる。



 カロリーナが成人し15歳になるとすぐ官吏試験に合格し、ノシュテット子爵領の内務補佐官となった。同領内務長官であるフィリップ・カンプラードの娘であることは知れ渡っており、親の七光りと陰口を叩かれることになるが、しかし、カロリーナはすぐに才覚を表す。

 まず、恐ろしく仕事が速い。そして、速い分、多くの仕事をこなす。それを鼻にかけることもなく、不平不満を漏らさず、常に涼し気に微笑を浮かべ対応する。

 同僚内でも評判が良く、才色兼備と謳われることとなった。



 そして現在。

 その部屋は質素ながらも質の良い調度品が揃えられている。ノシュテット子爵領の内務長官であるフィリップ・カンプラードは、自室にて何度目かのため息をつく。

 悩んでいるのではない。もう決まったことだ。何度もそう自分に言い聞かせる。

 前ノシュテット子爵は、様々な違法行為を命令したり、違法状態を意図的に取り締まらなかった旨で更迭された。代々ノシュテット家に仕えてきたカンプラード家家長の胸中は様々な想いと苦渋で満ちていた。


 ドアがノックされた。


「入れ」

「お父様、そろそろお休みになられたほうが……」


 娘のカロリーナ・カンプラードはその豪奢な金髪をまとめ、寝間着姿だ。


「おまえには分かるだろう? わたしの気持ちが」


 フィリップは聡い娘に対し、しばしばこういう話し方をした。


「心中お察しします、お父様」

「その割には顔が晴れておるな」

「お父様にもお分かりでしょう? わたくしはノシュテットの為に働いているのであって、ノシュテット家の為に働いているのではありません」


 名君とはほど遠いヴィクトル・ノシュテットが更迭された。公正明大で知られるフィアーグラン卿であれば、すくなくとも前子爵よりマシな人間を抜擢してくれるだろう。娘の顔が晴れているのは愚かな領主を厄介払いできたからなのだ。


「そうはっきりと言ってくれるな……。まったく、古い因縁に囚われているのは老人だけのようだ」

「こればかりは仕方ありません。お父様は先代からの忠臣、相応の責任と愛着と因縁がおありでしょう。まだ若輩のわたくしには考え及びもつかぬことです」

「それは、ヴィクトル様を導く責任もあったという皮肉か?」

「そういうつもりではございませんでしたのに……」

「もうよい。わたしも寝る。カロリーナもお休み」

「お休みなさい」


 娘は部下の中でも飛びぬけて鋭敏だ。娘は己の正しさを信じ、恥じるところのない人間だ。かといって、それを無暗に主張することもない。自分の意見が受け入れられるかどうかくらい周りを見て察することができる。おまけに親バカかもしれないが、美しいと断言できる。

 しかし、その正しさと優秀さと美しさが結びつくと、どうなのだろう。そのこと自体は良い。まったくもって素晴らしい。

 だがしかし、一体、娘と恋仲になれる男とはどのような男なのか。見たこともないような、娘よりも優秀な男なのか、それとも、とんでもない詰まらない男なのか。ただ、中庸な男でないとだけは言い切れる。

 それだけが、親として、フィリップ・カンプラードには不安でならなかった。



 ノシュテット子爵領。辺境地域の最北に位置し、レクセル王国では珍しく、内海に面した領地である。三重の城郭を持つ街と、周囲の農村を一纏めとし、西の魔物の森からその背後を守るように街があるため、村々は街の東に連なっている。

 人口は市内で3万人ほど、農村部を含めると6万人ほどになるが、農村部の一部が過去男爵領として授けられ、穴抜けになっている。


 次の日、ノシュテット城にて。

 新しく赴任するノシュテット子爵が到着する日とあり、城内は騒然としていた。細かいことは外務官しか把握しておらず、内務官の面々は噂しか聞いていない。どうせ顔合わせれば従わざるを得ないのだ。


 そんな中、内務でも、内務長官たるフィリップ・カンプラードだけは外務長官から情報を正式に受けていた。


「なんと、新たな子爵はまだ十代だと?」

「そうだ。噂では流民からの成り上がりの元男爵ということだ。まったく同じ貴族とは思いたくないものだ。その小僧はフィアーグラン辺境伯のお気に入りらしくてな、先のオーク騒ぎがあったろう?」


 フィリップ・カンプラードの驚きに、外務長官は声を潜めて言う。外務長官は男爵位を持つ為、同じく男爵であるフィリップだからそういう言い方をする。


「それと関係するのか?」

「あのオークどもを追い払った三人の長が、その小僧だというのだ。はっ、ばかばかしい!」

「オークどもを追い払ったというのが本当であれば、子爵に叙するだけのことはあるが……」

「フィアーグラン卿が耄碌しただけかもしれんぞ?」

「これ、口を慎まんか」

「なに、誰も聞いてやしない」



 夕暮れ近く、フィアーグラン辺境伯領の紋章がついた馬車が三台、ノシュテット市に到着する。東門から街に入り、西進して西側にあるノシュテット城へと入る。


「ふぁあああ! やっと着いたなあ」


 カナタは凝り固まった背を伸ばし、欠伸をする。

 中央の馬車にはカナタ、シーラ、ソフィアの三人組が乗っていた。


「ですね!」

「長かったな」

「そうだ、ソフィアに訊こうと思って忘れていた」

「なんだ?」

「ソフィアは何か仕事をしたいか? 官吏になりたいとか」

「ふむ、興味はないこともないが、フィアルクロック村のこともあるしの。身動きがとりづらくなるのも良くないであろう」

「そうか。確かに身動きしやすい立場のほうがいいか……。じゃあ、近衛魔術師とでもしておくか」

「ふむ、それが良かろう」

「はい! わたしは?」


 シーラが手を挙げる。


「ああ、シーラはもう近衛兵と決めてある。ほら、フィアーグラン卿を守っている甲冑の人たちがいたろ? あの立ち位置だ。俺を守る役だ」

「はい、カナタさんを守ればいいんですね。じゃあ、いままでと一緒ですね」

「そうだ」

「しかし、馬子にも衣装とは言ったものだの……」


 ソフィアはカナタを見て呟く。

 カナタはこの日の為に朝から貴族らしく、やたらとひだの多いシャツの上から銀の縁のついた黒いジャケットを着、その上にマントを羽織っている。


「失礼なやつだな」

「カナタさんはいつでもかっこいいです」

「シーラはいい子だ」

「ふむ、そうやって奸臣にそそのかされ暗愚な領主とならねばよいが……」

「うるさいな!」



 フィアーグラン卿の兵士に見守られ、カナタたちは入城する。

 外務官らに案内され、謁見の間に通される。カナタは赤い絨毯を進み、跪き首を垂れる官吏たちと近衛兵の間を進み、玉座へとつく。

 シーラ、ソフィア、そしてニーダール夫妻は横に控えている。


「面を上げよ」


 顔を上げた官吏たちはカナタを見てどよめく。更迭されたノシュテット子爵の後釜に据えるというのにあまりに若すぎるからだ。

 そして、そのうちの一人、内務上級官メルケル・ヤンソンは青ざめる。

 どうして、フィアルクロック男爵であるはずのカナタ・ディマがいる?!

 メルケル・ヤンソンは、フィアルクロック領の住人を買収して失敗し、拉致して取り戻され、とれた証言は嘘で、何から何までカナタに掌で転がされてからそれほど月日は経っていない。


「わたしが新しいノシュテット子爵カナタ・ディマだ。フィアーグラン卿より、ノシュテット子爵領の統治を任された。しかし、わたしは若輩者ゆえ、知恵も経験も足りない。皆の者から教えを乞うこと多々あるだろう。その際は快く教授願いたい」


 最初の一言を聞いて、半数の人間が安堵の息をつく。少なくとも、知らないくせに引っ掻き回すような先代子爵とは違うのだと。


「先日までフィアルクロック男爵であったわたしが子爵を授爵されたのには相応の理由がある。先日この街はオークの軍勢に悩まされたと思うが、それを、わたしと、そこにいる、騎士シーラ・ラーベ、そして現フィアルクロック男爵にして稀代の魔術師ソフィア・ニールダール、この三名でオークキングを倒し、オークの軍勢を追い返した」

 重臣たちよりどっと声が漏れる。

「噂は本当だったのか!」

「いや、とてもじゃないが、三人でなど……」

「嘘を言っているに決まっている」

「静まれ!」

 ここでカナタは声を張り上げた。

 叱咤されることに関して、よく訓練された官吏と近衛兵だ。ぴたりと口を閉じ、カナタを見る。

「近衛兵!」

「「はっ!」」


 10人の近衛がざっと右手を胸に当てて敬礼する。


「そこにいるシーラとお前たちとを戦わせようと思うが、どう思う?」


 新しい子爵は、その力を証明しようとしているのだと、近衛兵たちは理解する。


「とても良い案だと思われます!」

「そうか、では、シーラになまくらの大剣を貸してやってくれ。それと、治癒師を呼んで来てくれ」

「はっ!」


 近衛兵の一人が謁見場を出て、一人が壁際にかかった装飾の大剣をシーラへと渡す。

 シーラはそれを何度か振ってから、カナタへ向かって頷く。

 近衛兵に連れられ、謁見場へ長いローブを羽織った老人が入って来た。


「では、近衛兵全員と、シーラ、戦うが良い」


 近衛兵がカナタを見る。


「なんと、女一人に多数でかかるなど……」


 謁見場はざわめいた。


「気にするな。治療師を呼んだはおまえたちのためだ」


 さらにざわめきは強くなる。


「危険だ。近衛兵以外は下がれ」


 重臣たちは遠巻きに近衛兵たちを見守った。



「終わりだ。治癒師、近衛兵たちを急ぎ頼む」


 勝負は1分も掛からなかった。シーラの剛腕が圧倒し、なまくらの大剣で近衛兵を吹き飛ばしてしまった。あっという間に全員治癒師送りだ。


「オークキングは、このシーラと、そこの魔術師ソフィア、そしてわたしで倒した。疑義のあるものはいるか?」


 カナタは謁見場を見回す。そこに脂汗を垂らしながらも歯噛みする老人を見て取る。


「貴殿は外務長官だったかな」

「……はっ」

「無理してわたしのような新参の若造に仕える必要はない。長年前領主に仕えた忠義や矜持もあるだろう。辞めなければこれからずっとわたしの命令を聞かなくてはならないぞ?」

「……暇を頂きたく存じまず」


 外務長官はそう言って頭を下げる。


「他にも辞めたい者はいないか?」

「はっ、閣下」

「貴殿は内務長官だったかな?」

「内務長官フィリップ・カンプラードと申します。前領主の祖先の代から使えて参った者です。閣下には何の不満もございませぬが、忠節というのはそう簡単に変えられるものではございませぬ。辞めさせていただきとうございます」

「そうか、残念だが見事な心掛けだ。よろしい。……他にいるか? 外務長官殿も内務長官殿もこう申されてる。遠慮などいらぬ」


 メルケル・ヤンソンは震えながらカナタと目を合わせないようにする。外務長官も内務長官も男爵だ。辞めても食う宛はある。しかし、官吏のヤンソンにそんなことを言えるだけの経済的余裕は無かった。

 しかし、……


「おや、これは久しぶりではないか、メルケル・ヤンソン殿。先日は世話になったな」


 謁見場の視線がヤンソンへと集まる。ヤンソンは脂汗が噴き出るのを感じた。


「お、おひさしゅうございます……」


 ヤンソンは乾いて引き攣った笑いを浮かべる。生きた心地がしない。これからどのような制裁を加えられるのか、気が気でない。辞めたところでその追及を免れるとも思えなかったのだ。


「ヤンソン殿、貴殿は辞めるなよ。やってほしい仕事があるからな」

「は、はい、閣下! もちろん辞めませんとも!」

「それにしても、内務長官と外務長官がいないと仕事に差しさわりがあるな。なりたい者はいるか?」


 謁見場がまたざわめく。そんな方法で人事を決めるなど聞いたこともない。

 内務長官フィリップ・カンプラードの娘であり、若くして内務上級官であるカロリーナ・カンプラードは即座に手を挙げる。10年も20年も待ってはいられない。こんな馬鹿げた人事だからこそのチャンスだと直感する。


「貴殿は?」

「元内務長官フィリップ・カンプラードが娘、内務上級官カロリーナ・カンプラードと申します」

「内務長官と外務長官、どちらになりたい?」

「内務長官になりとうございます、閣下」

「では、カロリーナ殿、貴殿はこの領で何がしたい?」

「それはもちろん、閣下への忠誠と、領民の幸せですわ」

「具体的には?」

「漁業資源の活用、塩田の整備、小麦にこだわらぬ穀物増産、官吏への賄賂の排除、数えると指がたりません、閣下」


 カロリーナにとって、ずっと進めたくて進められないことだった。漁業資源は内陸の人間には売れないと言われ、塩田は途中で頓挫、ライ麦を下等と扱う領主、蔓延る賄賂。自分が上に立たなければ進まないことが沢山ある。


「よろしい。では、貴殿を内務長官に任ずる」


 容易く認められた。そのことで官吏たちが声を上げる。カロリーナは新しい時代の新しい子爵がここにいるのだと実感し、心が躍る。


「では、外務長官になりたい者は…………いないようだな。では、ビルギット・ニーダール殿、貴殿を外務長官に任じる」


 ビルギットは元々辺境伯領の外務上級官である。


「喜んでお受けいたします」

「ボリス・ニーダール殿」

「はっ!」

「貴殿を内務次官に任ずる。カロリーナ殿を補佐するように」


 同じく、ボリスは元内務上級官だ。


「その重責、お受けいたします」


 カナタは謁見場を見渡す。


「ほかに何かしたいという者はおらんか?」


 謁見場は静かだ。


「では、フィアルクロック男爵ソフィア・ニーダールよ、ここへ」

「はい」


 ソフィアはカナタの前に出ると深いカーテシーをする。


「貴殿を近衛魔術師筆頭に任ずる」

「承った」

「下がって良い」


 ソフィアが下がる。


「騎士シーラ・ラーベよ、ここへ」

「はいっ!」


 シーラは革鎧姿のまま、カナタの前で片膝を突く。


「貴殿を近衛兵筆頭に任ずる」

「分かりました!」

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