7■社交界1

「はあ、面倒くさいなあ……」


 執務室にて、カナタがため息をつくと、カロリーナが笑う。


「面倒くさくても、貴族の務めの一つですわ」

「そうだぞ、フィアーグラン卿をないがしろにもできまい」

「なにがあるんです?」


 カロリーナ、ソフィアの言葉に、シーラが首を傾げる。


「社交シーズンだ。貴族は冬は王国王都のナラフェンに集まって夜会で交友する。辺境伯主催のパーティーもあってな、世話になっている貴族が集まるのだ。国王のパーティーの方は戦争で時期が過ぎてしまったが、辺境伯の方はサボるわけにもいくまい」

「……知らない人と話すの嫌だ」


 カナタはどんよりとした気分で呟く。

 カロリーナはカナタの手に手を重ねる。


「いつものように毅然としていればよいではありませんか。面倒かもしれませんが、苦手には見えませんわ」

「王都ナラフェンにはノシュテット子爵の上屋敷があって、そこを使えるらしいぞ」


 ソフィアはやる気満々だ。


「ずいぶんソフィアは元気だな?」

「わたしはフィアルクロック男爵でもあるからな。行かない訳にもいかんだろ?」

「ああ、そうだった」

「父もかなり前に出立しています」


 カロリーナの父も王都へ行っているらしい。


「でも、10日もかかるのは嫌ですね」


 シーラが言う。そう、正式にとなると、それが面倒なのだ。


「馬車一台で転移して行けるならいいんだけどな。さすがに正式に出立するのにそれはできないし……」

「じゃあ、走って行きましょう。馬車より速くつくと思いますよ!」

「それはシーラだけだ!」

「ふむ、馬車一台で無理に押し通すという手もあるのではないか? 婚約者とはいえ、そのうち二人は近衛兵筆頭と、近衛魔術師筆頭だ。下手な護衛より役立つだろう」

「おお、それはナイスアイデアだ!」



 というわけで、カナタ一行は周囲の反対を無理に押し通し、馬車一台でノシュテットを出発した。

 予め目を付けていた茂みに馬車を入れると、馬車を亜空間収納にしまい、そこにある転移陣を描いた石から馬と四人で転移する。一行はこれまた国都ナラフェンの近くに設置しておいた転移魔術陣に到着すると、再び馬車を取り出して乗り込む。シーラが御者だ。

 ノシュテット領の紋章がでかでかと描かれた馬車から、ちらりとミスリルの証明書を見せるだけで四の城門を通り抜ける。

 そのまま大通りを進み、三の城門で証明書を見せ、貴族の上屋敷のある三の街へと入る。


 三の街は、中央広場を除けば、二の壁側は親王邸、侯爵邸、辺境伯邸、道を挟み伯爵邸。三の壁側は男爵邸が並び、道を挟み子爵邸。という配置になっている。

 王国の西に位置する辺境領主たちの上屋敷は、それが反映されているのか、西側に位置する。ソフィアのフィアルクロック男爵邸も、カロリーナの父のオストラスクーゲン男爵邸も同じく西側にあり、さらにはフィアーグラン辺境伯邸も近く、どこも徒歩数分という距離だった。


 屋敷に着くと警備兵2人が出迎え門を開ける。シーラが屋敷の車回しに停めると、子爵邸のホールのドアが開き、執事、家政婦が出迎える。馬車から降りると御者が馬車を運んでゆく。

 ホールに入ると従僕、メイドが、一斉に並んで頭を下げる。彼らは子爵邸の機能を維持するべく、カロリーナが手配したものだ。


「執事のトマスでございます」

「家政婦のトーヴェでございます」

「これからは夏も遊びに来ることもあると思う。よろしく頼む」



「ソフィアとカロリーナはそれぞれ男爵邸に行くのか?」

「父も母もおらんし、何の手配もしとらん」

「わたくしは父に挨拶だけしてまいりますわ」


 カナタの問いにソフィアとカロリーナが答える。

 カナタ一行は傍仕えの男に荷物を持たせ、まずはすぐ近所にある、カロリーナの父、オストラスクーゲン男爵邸へと向かう。

 男爵邸は小振りながらもよく手入れされている。執事に案内されてホールに入ると、フィリップ・カンプラードがソファから立ち上がる。


「これはカナタ様、カロリーナ。それに婚約者の皆様も」

「王都へとやってきたので挨拶に参りました」


 カナタの傍仕えがノシュテット産の数々の干物とソフィアの焼いた黒パンを入れた籠を土産として差し出す。


「おお、そろそろ故郷の材料も尽きたころでしてな、有難い」

「お父様、お元気でいらっしゃいましたか? 王都暮らしはどうです?」


 カロリーナが父の手を取る。


「内務長官を務めていたときはこんなに長く王都にいることも無かったもので、かなり暇しておったところだ」

「あら、チェスの相手ならヴェストラスンプ男爵がいらっしゃるではないですか」

「ああ、最近はあいつとばかり顔を合わせておる。それに、フィアーグラン卿もな」


 カロリーナの言葉にフィリップはそう言って笑う。


「ヴェストラスンプ男爵?」


 カナタは小声でカロリーナに尋ねる。


「ええ、元外務長官殿ですわ」


 カナタの子爵着任時、腹立たしそうな顔でカナタを睨みつけていた老人だ。同じく近所にいるらしい。


「ニーダール夫妻がいてくれればもう少し楽しくなったのだがな」


 フィリップ・カンプラードはソフィアを見る。


「うむ、両親にはノシュテットの政務を押し付けてしまったからな」

「こうなると、カロリーナが内務長官というのも難しいのではないか?」


 フィリップの言葉にカロリーナが考え込む。


「そうですわね。このままでは事あるごとにボリス殿に押し付けることになってしまいます。かといって、内務長官になってまだ半年しか経たずに辞めるわけにもまいりませんし……」

「カロリーナが次官となってボリス殿を支えるというのはどうだ? それなら仕事を抜けてもそこまで責任に感じる必要もないだろう」


 俯くカロリーナにカナタが提案する。 


「そうして頂けると助かります」


 それでもカロリーナの顔は晴れない。やはり半年でボリスに押し付けることになるのが気がかりなのだろう。


「せっかくフィリップ殿を訪問したというのに仕事の話になってしまったな」

「お気遣いなく、閣下。もとから、娘と話すのは仕事のことばかりです」


 フィリップはそう言って笑う。


「そろそろ、私を紹介していただけないか?」


 奥から声がし、皆の視線が移る。そこに細い体に太い眉の貴族の男が立っている。


「申し訳ありません。ミルド子爵の嫡男ミーケル・ミルド殿がいらっしゃって、カナタ様とお会いしたいと……」


 フィリップ・カンプラードは申し訳なさそうに眉を歪める。恐らくたまたまカナタの来訪を知って無理にねじ込まれたのだろう。

 ミルド子爵とは、ノシュテット子爵領の東、ヴェストラプラ侯爵領の北端にある都市領なので、オストラスクーゲン男爵領と近隣のため、どうしても付き合いがある。ただ、フィリップ・カンプラードの反応を見る限り、今のミルド子爵とその嫡男はできれば付き合いたくない輩のようだ。


「これはこれはミーケル殿、はじめまして。わたしがノシュテット子爵カナタ・ディマです」


 カナタは柔らかい物腰でそう言って右手を出すが、ミーケル・ミルドの様子がおかしい。

 ミーケルはある一点を見て呆然とし、頬を染めている。


「ミーケル殿?」


 カナタがその視線を追うと、カロリーナへと行きつく。


「カロリーナ、なんて美しくなったのだ!」


 ミーケルはカロリーナに走り寄ると、その手を両手で包み込む。


「随分お久しぶりですわ、ミーケル様。以前お会いしたのは成人前でしたね」


 カロリーナが嫌そうに笑顔を張り付ける。やっぱり嫌なのか。

 しばらくカロリーナを熱く見つめていたミーケル・ミルドだが、ふと我に返ると「失礼した」とだけ言って男爵邸から出て行った。



 その後、一行は子爵邸に戻ると、フィアーグラン辺境伯アレクシス・サンダールへ先触れを出す。

 すぐに来いという返事があり、一行は馬車にも乗らず徒歩数分の辺境伯邸へと向かう。

 そこは広大な前庭のある大きな屋敷だった。子爵邸の4倍はあるだろうか。門兵に名を明かし、玄関までの見事に手入れされた植栽を抜けると、ドアの前に執事が待っている。

 ホールへ入るとすぐフィアーグラン卿が立ち上がって迎える。


「おう、来たか。待っておったぞ」

「お久しぶりです、フィアーグラン卿」


 フィアーグラン卿はカナタの後ろに並んだ三人を見る。


「おお、一度に三人と婚約したなどとけしからん話は聞いてはいたが、シーラとソフィア、お主たちだったか。それに、そなたは確か……、一度会ったことがあるな」

「お久しぶりですわ、フィアーグラン卿。オストラスクーゲン男爵フィリップ・カンプラードが娘、カロリーナ・カンプラードです」

「おお、そうだった。フィリップの娘だ。最近はよくあやつとチェスをやっておってな。おっと、立ち話もなんだ、座ってくれ」


 辺境伯邸のホールは広く、ソファセットが六つもある。一行は一番奥のソファに案内され腰かける。


「カナタよ、そう言えば、塩の件では領内が一時混乱したぞ。辺境でも北側は塩が安くなって領民が喜んでおる」

「そうでしたか」


 フィアーグラン卿は戦争前にカナタと会ったことなどおくびにも出さない。

 カナタは笑って答える。


「どこかの国では海から塩を作っているとは聞いていたが、まさか、お主がそれをやるとは、そして戦争、鮮やかな勝利……」

「大したことをやったわけではありません」

「勿体ぶりおって。死人を一人も出さずにストールグリンド伯爵連合軍を追いやったらしいではないか。わたしに一報くれれば一軍を率いて駆け付けたものを」

「閣下には閣下のお仕事がありますゆえ、そのような些事に時間を取られるべきではないでしょう」

「お、些事と言ったな?」

「相手が愚かだったため、運よく簡単に追い払うことができました。そもそも多少とも賢ければ争いなど起こりません」

「わたしがノシュテットを攻めたら、どう出る?」


 フィアーグラン卿は悪戯っぽい笑みを浮かべそう問う。


「勘弁してくださいよ。わたしの中身はただの旅商人ですよ?」

「ただの旅商人にオーク軍は追い払えぬし、5倍の兵力を追い払えぬ。楽しかろう、こういう戦の話は」

「勝ち戦の想像なら楽しいですが、負け戦の話はしたくありませんよ、閣下」

「なかなか口を割らんのう。お主とは友誼を結んだ仲だと思ったのだが……」

「その割には随分と掌で転がされた記憶がございますが?」


 この老人に上手いことやられたことは多い。腹立たしさを思い出し、カナタは露悪的な気分になってくる。


「なかなか言うの。そのついでに言ってみろ。わたしがノシュテットを攻めたらどうする?」

「閣下を暗殺し、食料庫を焼きます。その後、兵はノシュテットに籠城し、わたしと婚約者を含めた少数精鋭でゲリラ戦にて指揮官を殺します。その後、軍にて敗残兵を追い立てます。それしか方法は無いでしょう?」

「なるほど、わたし自身の守りと、食料の分散が重要ということか」

「……本気で検討なさってます?」

「あたりまえだ。シーラに揉まれた近衛兵も選抜しなおし、オーク討伐に行かせとるわ!」


 辺境伯という地位にありながらそれに胡坐をかくこともなく、現実を受け入れ、素早く修正しようとする。アレクシス・サンダールとはそういう男のようだ。


「御見それ致しました」

「おぬしのような考えをできる者が、必ずしもおぬしのように腰抜けとは限らんではないか? んんん?」


 フィアーグラン卿の小憎たらしい言い草に、シーラとソフィアが噴き出す。カロリーナは笑いを堪えている。

 こ、この糞じじい……。

 糞じじい加減はまったくもって変わらずだ。



 翌日、ドアのノッカーが叩かれた。カナタは、シーラ、ソフィア、カロリーナとホールでお茶を飲んで過ごしていた。


「ノシュテット商会の使いと名乗る男が面会を求めていますが、いかがしましょう?」


 執事トマスが対応し、そう伝える。


「通してくれ」


 通された男は小奇麗な商人のような服装をしている。


「ノシュテット卿、いつもご贔屓にさせて頂いております。わたくしはノシュテット商会のクリストフと申します」


 もちろん、ノシュテット商会とはビルギット外務長官麾下の諜報部隊兼商人である。クリストフという名は偽名で、本物であると証明するための符牒だ。


「座れ。聞こう」

「わたくしは王都を中心とする担当でして、会頭より子爵の身の回りの品を揃えるよう言いつけられております」

「そうか、それはありがたい」

「まずは、ご婦人方の夜会のドレスの新調などから始めさせていただければと」

「ドレスですか?」

「そういえば、忘れておったの」

「一応、持ってきてはいたのですが……」


 カロリーナはともかく、シーラ、ソフィアは全く用意が無かったようだ。カナタはビルギットの配慮に安堵する。


「ありがたい、頼むとしよう」

「それと、一つお知らせが」

「言ってみろ」

「ストールグリンド伯爵領のお家騒動は次男優勢で進んでおります。その次男が、この王都ナラフェンに滞在しているらしいです。長男は味方も無く伯爵領で燻っているとか」

「良い情報だ。感謝する」

「以上でございます。他に何かあれば、またお呼びください」


 クリストフはそう言って支店の位置が記された地図をテーブルに置く。


「トマス、トーヴェ、特別扱いする必要はないが、要り用があればクリストフを頼れ。特にスープの素となる貝や白身魚の干物など北の食材はあそこが一番だ」

「「かしこまりました」」


 執事と家政婦はすぐに返事し、執事は地図を丁寧に手に取る。



 王都に着いて10日後、フィアーグラン辺境伯邸にて夜会があった。

 参加者の多くは辺境に位置し、古く辺境伯から土地を賜った子爵、男爵であり、その他は辺境と取引の多い王都の西側の貴族などである。そこは厳然とした身分差がありつつも、野心のある者はこれをチャンスと動き回る場所でもある。

 カナタはいつもの黒地に銀の刺繍の入った上下のいで立ちだ。シーラは同じく黒の生地に銀の刺繍のドレス、ソフィアは白銀に光る生地に黒の装飾、カロリーナは濃紺の生地に金色の刺繍があしらわれた衣装だ。ノシュテット商会の手配で新調したナラフェンの高級服飾店のものだ。


「フィアーグラン卿、お招きありがとうございます」

「よく来てくれた、ノシュテット卿よ」


 フィアーグラン卿がカナタと呼ばないのはここが公式な場だからだ。貴族の敬称はその領地で呼ばれるのが普通だ。


「みんな、注目してくれ。彼がオーク軍を追い払い、5倍のストールグリンド伯爵連合軍を追い払った、かの新しいノシュテット子爵カナタ・ディマだ!」


 なんてことを、このじじい……!

 その一言でわらわらと貴族どもが集まってくる。


「頑張れ」


 フィアーグラン卿は耳打ちして去って行く。

 最悪だ! カナタは心の底からフィアーグラン卿を呪いつつも笑顔で対応する。幾人も挨拶されるのだが、次から次へと来るものだから名前を覚えきれない。

 そのうちの誰かが、まだ成人前の少年を連れており、少年は憧れの人を見るような目でカナタを見て言った。


「ノシュテット卿はオーク軍を追い払い、5倍の兵力に勝ったと聞きました! どのようにして打ち倒したのかお聞かせください!」


 少年はキラキラした憧れの目でカナタを見上げる。仕方ない……。気が進まないなか、なるべく楽しませようとサービスする。しゃがんで子供と視線を合わせる。


「ああ、オーク軍の時は本当に死ぬかと思った。そこにいる婚約者のソフィアが雷の魔術でオークどもを撃ち、私が炎の風で焼き払い、強力なオークジェネラルを婚約者シーラが斬ったんだ」


 ソフィアとシーラが前に出て来た。それを見て周囲がどよめく。


「雷槌の魔女ソフィア殿と、オークキング殺しシーラ殿だ……」

「あのような可愛らしい姿で恐ろしい雷を落とすらしい……」

「あんな細腕で本当にオークが斬れるのか……?」


 そして、カナタの話の続きを聞こうと周りは静かになる。


「どうにかオークキングと対面したんだが、キングは強大で、わたしとシーラが致命傷を負った。なんとか逃げ延び、ソフィアが魔術で傷を治してくれた。だが、オークキングに勝てる方法が見つからない。見かねたフィアーグラン卿がオーク殺しの大剣【鬼切丸】をシーラに与えてくれた。それでなんとかギリギリ勝つことができたんだ」


 少年は眩しいものを見るようにカナタを見上げる。


「【鬼切丸】は聞いたことがあります。初代辺境伯がオークキングを斬った大剣です!」

「オークキングと比べれば、戦争の方がずっと簡単だった。城までおびき寄せ、工作兵を背後伏せておいて食料に火を点けたんだ。それだけで敵兵の気力は削がれた。そこで、ソフィアが敵兵を雷で散らし、シーラが敵将の首を取った。おかげで兵の一人も死なせずに済んだ」

「伯爵殺しだ!」

「奇跡の人だ!」


 それから何度も同じような話をさせられたが、カナタは嫌な顔をせずに付き合う。武勇談がひとしきり済むと、まだ成人にもならない少女を連れた男爵夫妻がそろりと近づいて挨拶する。夫妻の表情はどこか厭らしさが滲んでおり、少女はどこか怯えた様子に見える。


「ノシュテット卿はその若さでお盛んなご様子。是非うちの娘を第四夫人にしていただけないでしょうか?」


 何かと思えば縁談だ。


「結婚もまだだというのに、第四夫人など」

「むしろその若さであればうちの娘の方が釣り合いが取れるでしょう。婚約者は三人とも年上だというではありませんか」


 カナタはムッとする。シーラたちを侮辱された気がしたのだ。


「シーラとソフィアは共にオーク軍と戦った仲です。カロリーナとは共にノシュテット子爵領の執政を行ってきました。わたしはわたしを助けてくれる優秀な女性に惹かれることがあるというだけです。お嬢さんがオークキングを斬ったり、敵の一軍を追い散らしたり、領の内務長官になった暁には、考えさせて頂きます」

「ぐっ……!」

「まあ……!」


 男爵夫妻は憎々し気な顔でカナタを一瞥すると去って行く。少女が安堵の息をつくのが見えた。

 二度と来るな!

 そのとき、背中を叩かれた。フィアーグラン卿だ。


「なかなか面白いことを言うのお。自分を助けてくれる優秀な女性な。確かにそれも良いだろう。しかし、本当に大事であれば、安全なところに仕舞っておきたくならんか?」

「まだ若輩者のわたしには今はこれが精一杯です」

「そうか。だが本気で挑発することではないだろう。あれでは反感を買う」


 フィアーグラン卿はそれだけ注意すると去る。

 確かに、本気で相手にするようなことではない。本来なら適当に誤魔化して流すべきところだったのに、ムキになってしまった。考え直さないと。

 もっと、軽やかに、微笑みを絶やさず。カナタは両頬を打って、酒に手を伸ばす。


 今さらながら、飯にありつけていないカナタは料理の皿を取る。辺境伯領の料理ということで、辺境の南北幅広い素材が使われている。

 濃厚な野菜スープで柔らかく煮たオーク肉は塩味だけでなく生姜と砂糖を使いコクがある。隣にはノシュテット産の貝の干物を蒸して戻したシチューもある。胡椒の効いた一口大に切られた野牛のステーキも素晴らしい。胡椒や砂糖はサードラスロテット子爵領の名産品だ。貝は言うまでもない。


「君がストールグリンド伯爵軍に勝った新しいノシュテット子爵かな?」


 背後から声がしてカナタは振り返る。

 上品で柔らかい物腰の初老の紳士は今までホールでは見ていない顔だ。


「はい、そうです」

「ああ、悪い。遅れて来たものでな。今さらあいさつ回りをしているところだ。わたしはヴェストラプラ侯爵シーグムンド・シェルヴェン。宜しく頼む」


 ヴェストラプラ侯爵領とは、王都の西にある丘陵地帯で、南北に長い広大な領土だ。南をストールグリンド伯爵領、西を辺境伯領に接する大貴族である。


「恐れ入ります。ノシュテット子爵カナタ・ディマです」

「ふむ、アレクシスがお前を引き立て、旅商人の身から子爵まで引き上げたとは本当か?」


 アレクシスとはフィアーグラン辺境伯アレクシス・サンダールのことだ。


「ええ、そのとおりです」

「先の戦争のいきさつは聞いたのだが、ノシュテット卿の口から直接聞きたくてな」


 カナタは快く応じる。海塩の減産を要求してきたこと、塩田が破壊されたことを説明する。


「ストールグリンド伯爵領の岩塩採掘場も破壊されたと聞いたが?」

「そうらしいですね」


 カナタは真顔でそう答える。


「まあ、良い」


 ヴェストラプラ卿はそれ以上突っ込まない。


「その後、塩の生産を止めないと戦争だと言ってきましたので、苦渋の選択をするしかないと、ぼかしておきました」

「それでまんまと冬の戦争にしたということか……」

「あとは食料を焼いて二日待ち、首を取って終わりです」

「事もなげに言うが、相手がストールグリンド卿でなければそうもいかなかっただろう?」

「足し算引き算ができて金を計算ができるなら、真冬に南の果てから北の果てに遠征などしません。それで勝てたとしてもたかが子爵領、何年かけて賠償させるつもりだったのか」


 カナタの言葉を聞いたヴェストラプラ卿は目を丸くする。


「なるほど、金の計算さえ出来ぬ愚か者に負けることはない、か。勝ってもなかなか戦費を補填できず、負ければなおのこと。ノシュテット卿は旅商人だったと聞いたが、本当に考え方が商人のようだな」

「貴族の方と接する機会が無いまま子爵になってしまったので、勉強不足で申し訳ありません」

「いや、興味深い。……面白い話を聞けて良かった。出来ればもう少しゆっくりと友諠を深めたいところではあるが、まだ挨拶が残っておる。また機会があれば話につきあってくれ」

「よろしくお願いします」


 カナタは去ってゆくヴェストラプラ卿の背中を見ながら考える。思えば一方的に喋らせられただけで、ただ情報を奪われただけだ。彼は一切自分のことも自分の意見も話していない。

 腹に何か貯めたまま吐き出さずにいられる人物なのだ。本当のところ何を考えているのかが分からない。そう考えると自分の未熟さに苛立ちを感じる。

 フィアーグラン卿が手を挙げ近づいくる。


「ヴェストラプラ卿はどうだった?」


 表情に出ていたのだろうか。卿は見透かしたようにそう問う。


「貴族というのは面倒くさいですね……」

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