12■塩伯爵

 あれから一月近く経った。ノシュテットの城壁は何とか持ちこたえている。

 蛇を処分したたため、カナタとソフィアは交代で城壁に立って敵兵を蹴散らした。

 だが、兵士も、カナタたちも、疲弊しきっていた。

 もうほんの一押しされれば瓦解する、そんな寸前だった。


「敵軍が引いていくぞ!」

「おお、何があったんだ?!」


 ストールグリンド伯爵軍だけが後退してゆく。まったく連携が取れていない動きだ。確かに何かがあったのだ。

 盟主たるストールグリンド伯爵軍が戦闘を放棄したため、同盟であるリッテングリンド伯爵軍にも動揺が見られる。各軍は、しばらくするとそれぞれの方向へと散って行く。


 それは、カナタとサードラスロテット卿との交渉から25日後であった。


「追撃だ、勝利は近い! 領堺まで伯爵軍のみを追って討て! 深追いは不要だ!」


 カナタは叫ぶ。


「はっ!」


 警備兵団長サムエル・サンテソンは理由も聞かずに敬礼をすると、城門を下りて兵をまとめる。

 兵士たちは喜び混じりの声を上げ、怒涛の如く城門を出る。

 誰もが何が起こっているか分からず、だが、ノシュテット卿が言うのであれば、それは希望だと考える。ノシュテット卿が勝利と言えば勝利なのだ。疲弊しきった体に力が漲り、兵士たちはその最後の力を振り絞って伯爵軍を背後から追撃する。

 ストールグリンド伯爵軍は焦っていた。もう軍と呼べるような編成も無く、ただ一目散にストールグリンド伯爵領を目指している。そんな状況で、背後から攻撃を受けたのだ。

 なすすべも無く、ストールグリンド伯爵軍はその数の半数近くを減らしたのだった。



 その夜、兵士たちには酒が振る舞われた。

 しかし、今回は一人も死なせずというわけにはいかなかった。警備兵団1000人のうち、100人以上が死亡、300人以上が重軽傷を負っていた。

 治療師が走り回り、怪我を治す。まだ戦争は続いている。それでも、勝利の喜びが萎むことはなく、兵士たちは酒を飲んで勝利を祝った。



 カナタ達は執務室に集まっていた。


「ストールグリンド伯爵領次男エーリク・フランセンが牢から解放され、それを擁立したサードラスロテット子爵がストールグリンド伯爵領へと攻め込み、兵のいない領都を占拠したようです」


 ビルギットがノシュテット商会経由の情報を皆に説明する。

 サードラスロテット卿は馬を乗り継いで自領へ戻り、すぐにストール市へと攻め込んだらしい。計15日で仕上げたというから驚きだ。

 その報が、ストールグリンド伯爵領から伯爵軍へ緊急の連絡が10日で届き、軍は転進した。これもまた馬を乗り継いできたのだろう。


「それで伯爵が慌ててストールグリンド伯爵領へと戻っていったのですね……」


 カロリーナが大袈裟に安堵の息をつく。 


「領都にいたときに、サードラスロテット卿に次男への訴え取下げの書類を渡しておいたんだ。本当にやってくれるとは思っていなかったんだがな」


 カナタは、ニーダール夫妻と警備兵団長サンテソン向きに嘘を言う。

 婚約者3人には既に説明してあった。



「なんということだ……!」


 司教スティグソンは歯噛みする。愚かな伯爵長男に食料の分散を指示し、侯爵軍を動かして辺境伯軍をけん制し、さらに『蛇の体』まで派遣したというのに、まったく予期せぬ方法で覆されてしまった。

 それも、スティグソン自身がカナタを排するべく押し付けた次男を使われてしまった。まさに策士策に溺れるといったところだ。


 長男もそのまま押し切って子爵領を占拠してしまえば良かったものを、本拠地を取られて狼狽え、追撃を受け、いたずらに兵を減らしての帰還だ。

 結局、万全の体制で待ち構えたサードラスロテット卿に敵うはずもなく、補給も途絶えてしまった長男は討たれてしまった。



 あれから一月後のこと、ノシュテット城、謁見の間。


「表を上げよ」


 跪いて深く頭を下げたストールグリンド伯爵領外務長官トマス・トルネンは、その疲れ切ったどす黒い顔を上げてカナタを見る。


「トルネン殿、お主は主君に恵まれないな」

「わたし自身の不徳にございます」

「これ以上の補償金を出せと言っても出せないだろう」

「はっ、そのとおりにございます」

「かといって何もなしというわけにもいかない。違うか?」

「そのとおりにございます」

「トルネン殿、しばらくノシュテットに逗留して頂けないか。その間に落としどころを考えたいと思う」

「分かりました。いつでもお呼びください」


 ストールグリンド伯爵領外務長官トマス・トルネンは今にも倒れそうな足取りで謁見場を出て行く。




 カナタは執務室に移動し、長官クラスと話をした。


「わたしには答えが出せません」


 外務務長官ビルギット・ニーダールは言う。

 カナタは内務長官ボリスを見るが、首を振る。

 警備兵長サンテンソンも俯いたままだ。


「カロリーナは?」

「わたくしにも答えが見つかりません」

「何を貰うかで悩むなんて、贅沢だのう……」


 ソフィアが茶々を入れる。


「何もいらないんですよね?」


 シーラが素直な意見を言った。


「いらないと言えば要らないが。あれだけ攻撃され兵が死んでいるのに、何も要求しない前例を作るのは良くないだろう」

「そう言われるとそうですね」

「じゃあ、宿題だ。また明日話そう」



 しかし、そこには意外な結末が待っていた。

 数日後の話だ。


「王の調停が下りました!」


 会議中に外務官が飛び込んできた。書状をビルギットに渡し、ビルギットはカナタへと渡す。

 カナタは焦る気持ちを抑えつつ、その蝋で封された書状を丁寧に開けて中を読む。


『忠義なる臣下ノシュテット子爵へ

 請求のあった調停を行う。

 しかしながら、戦争が終わってしまったため、前提条件が変わった。

 さらなる戦後補償が予想されるが、これ以上の補償は現実的に無理がある。

 ストールグリンド伯爵領が破綻するであろう。

 そのため、これ以上の補償は取り止めとする。』


「なんだと?!」


 ソフィアが叫ぶ。


「待て、まだ続きがある……」


 カナタは大きく息を吸い、その文を読んむ。


『ただし、この戦争の原因となったフランセン家から伯爵位を剥奪し、カナタ・ディマをストールグリンド伯爵に叙することとす。

 カナタ・ディマは、至急王に謁見を乞うこと。

 以上』


 誰もが驚きに言葉を発することが出来ない。

 カナタは呆然とし、ソファにもたれかかる。つまり、カナタはストールグリンド伯爵となり、かつ、ノシュテット子爵であるということだ。

 


 それから10日後、カナタは王都ナラフェンの王城に居た。

 王の謁見場は広大であった。近衛兵が右100左に100並んでいる。カナタはその広大な空間の中で跪く。


「表を上げよ」


 王の声が反響し、より大きく響く。


「カナタ・ディマよ」

「はっ」

「ストールグリンド伯爵領より攻撃を受け、多くの被害を受けたであろう。その補償と、寡兵でそれを退けた知略を評価し、貴殿にストールグリンド伯爵を授爵する。異議は無いな?」

「ございません」

「よろしい」

「儀式の大剣をここに」


 傍仕えが薄青く光る大剣を持ってきて両手でレクセル王に渡す。


「では、昇爵の儀を行う。頭を下げよ」


 カナタは頭を下げ、眼を瞑ると、肩に大剣が置かれる。


「カナタ・ディマよ。我、レクセル王に忠誠を誓うか?」

「戦があれば血の一滴まで戦い抜き、政変があれど血の一滴まで王に忠誠を尽くすと誓います」


 カナタは誓いの言葉を口にする。


「よろしい、そなたはノシュテット子爵に加え、ストールグリンド伯爵に任ずる」

 

 これでカナタは、ストールグリンド伯爵となった。



 次の日、王都ナラフェンのノシュテット子爵邸にて行った伯爵叙任の祝いの夜会のことである。


「せっかく俺が次男を立ててストールグリンド伯爵領を取ったってのに、ひどい仕打ちだな!」


 サードラスロテット卿はそう言って口を尖らせる。


「俺だってこんなの予想してなかったんだし、仕方ないだろ? あんな借金だらけの領地が欲しいのか?」


 カナタはそんなサードラスロテット卿を見て微笑みつつ躱す。


「それはそうだが……。しかし、塩の産地を二つ独占とは、まったくいい身分だ。おまえは今日から塩伯爵だな!」


 妬み嫉み混じりの笑顔でサードラスロテット卿は言うと、カナタの背中をパンパンと叩く。


「だから、塩田は教えるから」

「隣がおまえの領地なら、政治的なメリットが無くなった」

「出兵費用は出す。それで勘弁してくれ」

「お、聞いたぞ、忘れないからな!」

「酒飲んでるから忘れるかも?」

「じゃあ、わたしにも出兵費用を出してくれんか?」


 突然割り込んできた老人は、フィアーグラン卿だ。


「まったく、ヴェストラプラ侯爵軍が出て来たときはどうなるかと思ったぞ。さすがに自領を放置して助けにいくわけにはいかんからな」

「あれは予想がつきませんでした。まったく、冷や汗をかきましたよ」


 カナタはお金の話から遠ざかりたいので軽く触れるだけにしたい。


「はぁ……、去年の麦の凶作もあって、辺境伯領の領庫も危うくてな。出兵以外にも辺境伯領全土から穀物を輸送した輸送料もあるしな。ノシュテットの戦争に巻き込まれて出た経費をどうするのかと、内務と外務と警備兵団から責められてなぁ……」


 老人はがっくりと肩を落とす。ノシュテットに派兵するならともかく、自領を守るための派兵となったため、カナタから金を貰う根拠が無い。地方を統括する以上、下の爵位の者を保護する立場でもあるため、そこはあまりケチなことは言えない。


「わ、分かりました。借りにしておきますから!」


 カナタが慌てて言うと、フィアーグラン卿の目が光る。


「お、言質は取ったぞ。これで貸しは幾つになるかな? はっ、どうやって返してもらうか楽しみだ」


 このジジイ……!

 カナタは引き攣った笑顔で内心やられたと歯噛みする。これだからまったく食えないジジイなのだ。


「わたしの預かり知らぬところで伯爵なんぞになりおって、今まで評価して引き上げてやったわたしに感謝しても良いのだぞ? んん?」


 そんなカナタの悔しさを見透かしたように、さらに今までの貸しを仄めかし、厭らしい笑みを浮かべる老人。


「も、もちろん感謝しています」


 くっそ……。


「しかし、外から見ると、またか、というところだな」


 フィアーグラン卿は宙を睨む。


「……またか、とは?」

「伯爵領を借金漬けにして、金で伯爵領を買ったたようなものだ。ほら、フィアルクロック男爵になった時と同じだ」


 老人はあっさりした調子で、とんでもないことを言いだした。


「ははは、まったくだ! さすが年の功と言うべきか、フィアーグラン卿の仰ることは真実を穿ちますな!」


 サードラスロテット卿は腹を抱えて笑う。卿も渦中にあったわけで外からの視点では見れていなかったようだ。


「王の調停ですよ?」


 カナタは不満げな顔で辺境伯を睨む。


「おぬしに負けて借金漬けにされた上、さらに負けて借金が倍になりそうな地など、誰も欲しがらんだろうに。レクセル王だってお前に金を払う為に直轄地になどしたくないわ。あそこまで徹底したら、カナタ以外にストールグリンド伯爵領をやれる人間がおらんだろ」

「そうそう、やりやすい相手を挑発して戦争で勝ち、計算づくで借金を負わせて金で買った。そう揶揄されること間違いなしだ。カナタは稀代の英雄にして、金に汚い成り上がりと言われているからな!」


 フィアーグラン卿の言葉に、サードラスロテット卿が乗っかりニヤニヤする。


「こちらは被害者なのに、まったく無責任な……」


 必死にあがいてきた時間をそんな風に見られているとは心外だ。


「貴族というのは、国王の下、上が詰まっているからな。自分が上がるより他人を下げる方が簡単だ。外からどう見えるかに気を付けないと、思わぬところで足を引っ張られるぞ。そこが利益を手に入れて上へあがれば良い商人と違うところか」

「貴族なら、自分を周りにどう見せたいのか常に意識して行動しないとな。俺だって、女好きのぼんくらと周りに思わせることで動きやすくしているが、実際のところ、女相手の方が情報を集めやすいからそうしているだけだ」


 フィアーグラン卿、サードラスロテット卿は先達として良いことを言っている風だが、これを機会にカナタをからかいたいだけにも見える。


「はいはい、先輩方の仰るように気を付けますよ。

 それにしても、借金で縛って領地を買うってのはいい案ですね……」


 カナタはいいことを聞いたとばかりに目を輝かせる。

 フィアーグラン卿とサードラスロテット卿は思い切り引いていた。



「昨日はひどい目に会った……」


 次の日、カナタはホールでぐったりとソファにもたれていた。結局妬ましさ半分からかい半分、辺境伯と子爵に大量に飲まされたのだ。


「仲の良いお二方であれですから、敵対していた貴族たちはとんでもない嫉妬をしているでしょうね」


 カロリーナは涼しい笑みを浮かべる。


「嫌なことを言うなよ」

「流浪の商人の身から一年経たずに伯爵ですもの。嫉妬しない人はいませんわ」

「俺のせいじゃない」

「そんな風に拗ねても可愛いだけですよ。ふふふ」


 カロリーナの笑顔が深まる。


「春に男爵、夏に子爵、冬に伯爵……。この調子では、秋には侯爵、来年の夏には国王だの」


 ソフィアはお茶を飲みながら不謹慎なことを言う。


「やめてくれ」

「カナタさんならそうなりますよ。絶対です。どこまでついていきますよ!」


 シーラは楽しそうだ。


「まあ、そうならないといいのだけど」

「絶対になりますよ!」



 こうして、商人であり、冒険者であり、貴族であるカナタの、金をめぐる冒険譚は続いてゆく。

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