9■グリンド城騒乱1
カナタは青白んだ早朝の光に、目を覚ます。
床の上だ。右手は動く。左手も動く。右足、左足も動いた。
とんでもない悪夢を見た。オーケがなんだか分からない刺客だったとか、冗談にもほどがある。髪の毛はかいた汗でべたべただった。
「ひどい夢だったな……」
そう言って上半身を起こす。だが、床も手足も真っ赤な血に染まっていた。
夢ではなかったのだ……。
「起きたか?」
その声に首を動かすと、明るい窓際にオーケが立っている。
あの悪夢は現実だったのだ……。
「な、なぜ、俺の手足は付いている……?」
「わたしが治療した。また手足を失いたくなければ、お前の企みを言え」
カナタは首を振った。
「何を言ってるのか分からない。お前は一体何が目的なんだ?」
「それは決まっているだろう。魔王ディマを殺すことだ」
その言葉で理解する。
エルフは神を魔王と呼ぶ。そして、トールビョルンは神殺しだ。
こいつ……。
「おまえ、トールビョルン・トールリンか?」
オーケは目を丸くし、鼻で息を吹いた。
「ふん、良く分かったな……」
そう言ってにやりと笑う。
「じゃあ、俺が誰か分かるだろう」
カナタはそう言ってマクシミリアン・マグヌソンの姿になる。
「おまえ、訓練生の……」
「そうだ。伯爵の姿では街に出られないからな」
そう言って元の姿に戻る。
「ということは、互いに人物鑑定も鑑定偽装スキルもLV10ということか……」
オーケ、いやトールビョルンは息をついた。
「そうみたいだな」
「まあ、それはいい。それで、おまえは言う気になったのか?」
「俺がディマを名乗ったのはただの成り行きだ。もともと流浪の商人だった俺が貴族になるのに家名が必要だろうということで『ディマの悪戯』からとってつけただけだ。
俺は蛇の入れ墨の男達に何度も狙われている。それは多分、ディマを名乗ることと、空間魔術が使えることが関係するんだろ? それは、エルフが神を『魔王』と呼ぶことに関係する。違うか?」
「蛇の入れ墨の男達……、蛇か。その者たちに襲われたという証拠はあるのか?」
「ノシュテットの内務諜報の記録に載っている。必要なら見せよう。あと、そいつらが持っていた空間転移ができる剣がある。蛇の躯、蛇の体を殺したからな」
トールビョルンは部屋の出口側に移動する。カナタが外に出られないよう塞いだのだ。
「よし、結界を解こう。その剣を出せ」
カナタは大人しくその剣を出す。
トールビョルンはその剣を検分すると、カナタに返す。
「確かに、ディマ教の剣だ。お前がそのディマ教の尖兵とも考えられるが、その剣はまだディマの恵みを得ていない上層の蛇が持つ者だ。今の話から総合するとお前は敵とは思えん」
「教えてくれ、トールビョルン。なぜ、俺は蛇のやつらに狙われるんだ? どうしたらやつらを殲滅できる?」
「お前の言う通りであれば、前者はやはり、ディマを名乗り、空間魔術が使えるからだろう。後者は分からん。わたしもディマ教徒を殲滅しようとしているからな」
「じゃあ、信用してくれるか? できればやつらを殲滅するのに協力して欲しい」
「ふん、ディマの尖兵でないとは思うが確実ではないからな。しばらく監視させてもらうぞ。それ以外については近衛兵としてお前を守ってみせよう。そして、ディマ教のやつらはお前が協力せずとも殺して見せるさ」
トールビョルンはそう言うと、カナタの姿に変わり、部屋を出て行った。
■
シーラは少し遅くに目を覚ました。
ベッドから跳ね起きると裸足のまま姿見の前に立つ。泣き過ぎて目が腫れぼったい。
「いっか……」
浴室で顔を洗い、歯を磨く。
慣れた手つきで鎧を着ると、背中に鬼切丸を背負う。
昨日の優しいカナタを思い出し、ぬふふと笑う。しばらくはご機嫌に過ごせそうだ。
強くなるのはまた頑張ればいい。今日も近衛の選抜があるが、もし負けたりしてももう揺るがない。
でも、カナタを一番に守るのだけは譲らない。譲れない。それでいいと思えた。
身支度を終え、ドアに手を掛ける。新しい日の始まりだ。
ドアを開け、ぴょん、と廊下に出る。
その瞬間、嫌な感じがした。
シーラは咄嗟に腰を落とし、鬼切丸に手を掛け、廊下を見回す。
何ですかこの違和感……?
いつもと何かが違う感じ。
何です……?
血の匂い?!
シーラはゆっくりと廊下を歩く。
こちらだ。こっちから血の匂いがする。ほんの微かな匂いだがシーラの感覚を誤魔化すことはできない。シーラはカナタの部屋の前で止まる。ドアの微かな隙間から血の匂いが溢れている。
「カナタさん!」
シーラはカナタの部屋に飛び込む。むせ返るような濃厚な血の匂いが鼻に突く。部屋は大量の血でどす黒く汚れていた。
「カナタさん?!」
ベッドの向こう。窓の近くの床に、血みどろのカナタが横たわっている。
シーラは素早く駆け寄るとカナタの傍に跪き、脈を測る。
大丈夫、生きている。
そして、カナタの服を脱がせ、外傷がないか探す。血で汚れているだけで、傷らしい傷はない。
「カナタさん! 起きてください!」
「う、うう……シーラか」
「誰にやられたんです?!」
シーラはそう問うた瞬間、オーケの顔が浮かぶ。
カナタをこんな目に会わせられるようなやつは限られる。
怒りが湧き上がり、全身の毛が逆立つ。
「あ、あの野郎……ぶっ殺してやります!」
シーラは立ち上がる。
「まて、シーラ。治療は受けている。ただ血が足りなくて怠いだけだ。飯を食えば治る」
「治療したってカナタさんを斬ったことは変わりないです! 治療できるなら斬っていいんですか?!」
シーラはカナタが自分で治療したと思っていた。
「向うのちょっとした勘違いだ。俺はあいつを味方に引き入れたい。だから、余計なことをするな……」
「カナタさんを一番に守るって誓ったのに、これじゃ、これじゃ……」
シーラはカナタを抱き締める。
「大丈夫だ、シーラ、まだ俺は生きている。生きてるんだから」
■
カナタの貧血状態が回復するのに2日かかった。
やっと起きれるようになって、今度は中庭のランニングをする。
カナタはさほどすることが無かったので、リハビリに多くの時間を費やした。
ひいふう言いながらソフィアと肩を並べて走る。
それでも、もともとついていた体力だ。
また数日で元に戻っていた。
■
その日は新たな近衛任命の儀式があった。
「バートよ。そなたは我、ストールグリンド伯爵であるカナタ・ディマに命を捧げ、忠誠を誓えるか?」
「はい、主君の為であればこの命、盾となりましょう」
「では、バートを近衛兵に任命する。顔を上げよ」
新たに近衛に加わったのは、バート、カール、デニス、エッベという四人。
誰もシーラには及ばぬが、イェオリには匹敵する猛者だ。
これで近衛兵はシーラを含め、14人。まだ定員には程遠いが、三交代ができる数だ。
イェオリはこの際に近衛兵長の任を与えられ、ローテーションの管理を行うこととなった。
■
そして次の日の訓練、休憩時間。
「シーラ様やオーケもいるってのに、俺なんかが兵長で良かったんですかね?」
イェオリはカナタに訊いた。
「兵長は強さよりも統率と信頼だからな。なんとなくまとめ上げてくれているだろう?」
「真顔で評価されると恥ずかしいもんですね」
イェオリは顔を逸らし、美しい姿勢で弓を引くカロリーナを見た。
矢は炎に包まれ、池の中に立つ鉄の的に当たり、その池に落ちる。
「お見事! いやあ、代官様の弓は見ていて惚れ惚れしますねえ」
「惚れるなよ。俺のだからな」
そこへ走ってへろへろになったソフィアがやって来た。
「わたしも魔術を訓練する場所も欲しいのう。しばらくやっておらんからな」
「ああ、そうだな。魔術訓練なんかしたら、中庭が滅茶苦茶になっちゃうからなあ……。なあ、イェオリ、この辺に魔術訓練ができそうな場所ってないのか? 稲妻を落としても大丈夫そうなところとか」
「い、稲妻ですか……。うーん、グリンド城の近くは農村部が多いですからねえ……。他は森ですし……」
イェオリは腕組みをして考える。
「あ、そうだ。グリンド湖なんてどうです? あんまり魚もいない、沼みたいな小さな湖ですから。誰も文句言わないでしょう」
「それはいいな」
■
非番だった新米近衛兵の、バート、カール、デニス、エッベは、近衛兵の兵舎の倉庫に集まっていた。
魔術陣が描かれた紙を広げ、その四方に魔石を置く。
「右に歪み、左に歪み、転移召喚……」
そこに灰色の長いローブを着た司教スティグソンが現れる。
四人は跪き、顔を伏せる。
「予定通りにやれたか?」
「はっ!」
「決行日時はどうなっている?」
「明日の午後1時です」
「そうか、また呼ぶが良い」
それだけ言って、スティグソンは薄闇に掻き消える。
転移。
スティグソンが次に現れたのはエトスロット城であった。
目の前には小さな椅子に座った少女、フェリシア・フランセンがいる。
フェリシアは立ち上がると深いカーテシーで挨拶する。
「そちらの手はずはどうだ?」
「準備万端でございますわ、猊下」
「近衛に入れた蛇が2日後の1時に決行する。時刻を合わせよ」
「わかりましてございます。精兵100にて突入いたします」
「では、ぬかるなよ」
司教スティグソンは魔術陣の上から消えてしまった。
■
その日の午後、バート、カールが内廷の扉前の番、デニス、エッベが巡回の番だった。
デニスとエッベが城内を隈なく歩いていると、正面から警備兵長テオドル・テグネールが歩いて来るのが見える。
二人は道を開け、敬礼する。テグネールも敬礼を返し、彼らの横を通る。デニスは素早くテグネールの背後に回ると、頭を両手掴み、180度捻る。テグネールは頸椎を破壊され、即死し、だらりと体が下がる。
エッベは他に誰かいないか周囲を警戒し、デニスは素早くテグネールの死体を引きずると近くの倉庫の中に隠す。
そして、二人は何事も無かったように巡回を続ける。
■
今の時間、内廷にはカナタ・ディマとソフィア・ニーダールしかいない。
内廷番のバートが内廷のドアをノックする。
メイドが顔を出した。
「代官様が伯爵様をお呼びだそうだ」
メイドは頷くと中に戻り、ホールにいるカナタへと伝える。
「そうか。行って来る」
「おう、行って来い」
カナタの言葉にソフィアが返す。
カナタは内廷のドアを出て城の方へと速足で歩いて行く。
バート、カールは素早く内廷のドアを開けると、ホールへと突入する。
ソフィアがいない。
「なにごとですか?!」
「ソフィア様はどこだ?」
「自室にお戻りですが……」
バートは剣を抜く。青白い光を纏うミスリルの剣だ。
「伯爵様の内廷で剣を抜くとは何事です!」
メイドは声を上げるが、バートの剣の一振りで首が飛ぶ。血が吹き上がり、体が倒れる。哀れな首は血の跡をつけながら床を転がって行く。
バートとカールは走り、階上へと駆け上がる。予めメイドを買収して確認していたソフィアの部屋へと突入する。
「なにごとだ!」
窓際の椅子で本を読んでいたソフィアが立ち上がる。
男たちは何も言わず、ソフィアを取り囲むようにじりじりと進む。
「近衛に敵が混じっていたのか?!」
ソフィアはミスリルの短剣を抜き、構える。
「右に炎、左に風、炎風!」
ソフィアは魔術を唱える。
「右に水、左に水、水生成!」
「右に水、左に水、水生成!」
バートとカールは予め何度もシミュレーションしていたように水の魔術を唱え、左手を突き出す。限られた容積しかない室内で水蒸気が爆発し、100度を超える水蒸気が辺りを包む。
窓が吹き飛び、内開きのドアが爆発の風で締まる。
「右に水、左に水、水生成!」
ソフィアは咄嗟に体を水で冷やす。
まただ……。また顔に火傷を負ってしまったわ……。
目だけは咄嗟に守ったものの、高熱の蒸気に晒され、顔の皮膚が沸騰して破裂し、真っ赤な肉が露出している。
「上に風、下に土、麻痺!」
突き出した左手から毒霧が噴き出す。
バートとカールは逃げる場所の無い中、ソフィアへと突っ込む。
「ぐっ!」
小さな体はバートにタックルされ、床にねじ伏せられる。
バートがソフィアを抑え込み、カールはミスリルの剣を振り上げる。
「ここで死ねるかあああああ! 右に炎、左に風、炎嵐!」
ソフィアが叫ぶ。
「馬鹿なっ!」
「建物内だぞ!」
バートとカールは咄嗟にドアの方へと後ずさる。
炎風の上位魔術、炎嵐。
辺り一面を1000℃を超える嵐を吹き起こす。
元あった水と空気が膨張し、元の数十倍となる。
爆発音とともにドアが吹き飛び、バートとカールは火だるまとなり廊下へと放り出される。
部屋は、家具は、炎で燃え盛る。
真黒な煙を上げ、燃える。
■
トールビョルン・トールリンこと、オーケは兵舎の窓際で春の陽気にうとうとしていた。そして、爆発音を聞く。続けてイェオリがノックも無しに部屋に飛び込んできた。
「内廷で何かあったぞ、出る用意をしろ!」
「なんだ?」
オーケは不機嫌にぼやく。
「やれやれ……」
一応、カナタ・ディマを蛇から守ると言ってしまった以上、行かない訳にはいかないだろう。オーケは素早く甲冑を着るとヘルメット無しに部屋を出る。
「急げ急げ急げ急げ!」
イェオリが非番の近衛たちを叩き起こす。
兵舎を出ると、不審な集団が門兵と押し問答をしている。
なんだあれは……?
甲冑を着こみ、エトスロット子爵の旗まで掲げている。
敵か?
そうこうしているうちにその集団は門兵を殺し、城の中へと突入していく。
「参ったな……非番だってのに」
近衛はエトスロット子爵領の兵士たちと戦闘になるが、近衛の数は9人しかいない。
結局は相手も30人ほど残して大半が城に入って行ってしまう。
「奴らを倒せ!」
イェオリが叫ぶ。
近衛兵は選抜された強い兵士である。通常の兵士30人ならば対等と言える。剣戟が交わり、皆が1人で2人分の働きをし、すぐに膠着状態になる。
オーケが少し手を下せばこの程度何ということも無かったろうが、彼の関心はカナタ・ディマにあった。
彼は戦闘状態を切り抜け、その集団から出て行く。
オーケは城の廊下を走る。
ふと、異臭を感じ、辺りを見回す。倉庫のドアがある。オーケが中に入ると、警備兵長テオドル・テグネールの死体を見つける。既に死んで、糞便と尿が漏れている。
「ちっ、何が起こっている?」
■
その少し前、カナタは執務室に来ていた。
「え、呼んでない?」
「ええ、カナタ様を呼んだ覚えはありませんわ」
「何かの手違いか?」
嫌な予感がして眉を顰める。
その時、爆発音が聞こえた。
「内廷の方だ!」
カナタは反射的に執務室を出て走る。
「何事でしょう?」
カロリーナとシーラもソファから立ち上がる。
そこへ、内務官が飛び込んできた。
「閣下、大変です! エトスロット子爵が兵を連れて城に侵入してきました! その数100名!」
「何ですって!」
「一直線にここへ向かっています! お逃げ下さい! まもなくここに! 来た、来た、うわあ!」
内務官は背後から斬られ、入口のところで倒れ伏す。
シーラがカロリーナの前に立ちふさがり、入口の近くに立って鬼切丸を構える。
「ここは通しません!」
「えーい、相手は二人だ、かかれ!」
廊下から男の声がする。エトスロット子爵エーリク・フランセンであった。
兵士は及び腰ながらも、決意して執務室になだれ込む。
「ふんっ!」
シーラの、人を超えた膂力での、鬼切丸の水平切り。
踏み込んだ兵士二人が真っ二つになる。
だが、それを盾にさらに四人が踏み込む。
斬る、斬る、斬る。
それでも兵士は入ってくる。
どごん、と低く音がする。入口とは違う場所だ。その音がどんどん激しくなってゆく。壁を抜いて包囲しようというのだろう。
ガラガラと音をたて、とうとう石壁が抜かれ、怒涛の如く兵士がなだれ込んでくる。
そちらにはカロリーナが立つ。ミスリルの剣を抜き、連続突きを放つ。
剣先が兵士の顔面を抉り、一人倒れる。
脇腹を抉り、二人倒れる。
しかし、相手は100人もいる。
シーラ側の兵は無理に突入せず牽制している。
いくらカロリーナも強くなったとはいえ、部屋に雪崩れ込まれて囲まれたら捌き切る自信が無い。
だが、今その強さを発揮しなくてどうする。
「わたしは廊下に出ます! カロリーナちゃんは耐えて!」
「はい!」
シーラはドアから廊下へと飛び出す。
鬼神のごとく剣を振り、背後の扉を守りつつ、兵を削る。
10から先は数えていない。
ただ、目の前の敵を殺す、殺す、殺す。
一振りで一人、二振りで二人。
弾き飛ばして五人を巻き込み、そして、まとめて斬る。
「ええ、何をやっておるか! 相手はたった2人だぞ!」
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