10■塩戦争再び2

 次の日の午後、カナタ、シーラ、ソフィア、カロリーナは粗末な馬車で城を出た。

 ビルギットが朝一で予想進軍路を割り出してくれた。その道筋は、前回と同じく、辺境に掛からぬよう、ヴェストラプラ侯爵領を縦断する街路に沿っている。

 カナタにはそれが意外に思える。ヴェストラプラ侯爵と新たなストールグリンド伯爵の間に友誼が無ければ軍を通すなどできないからだ。


「敵は意外と仲間が多いな……」


 あの正体を掴ませぬ侯爵が一体何を考えてストールグリンド伯爵軍の通行を許しているのか。伯爵が代替わりしたばかりだというのに、しかも、次男がカナタたちを襲ったことで棚ぼたで伯爵の地位を得た長男にすんなりそれをさせるというのが理解できない。かといって、前回と同じく、侯爵軍が攻めて来るというわけでもない。


 そして、数日後の夜、ストールグリンド伯爵領軍と遭遇する。

 シーラは馬車を脇道に寄せ、その横をストールグリンド伯爵領軍が進んでゆく。外務官の報告通り、一頭立ての小さな荷馬車を30人ちょっとの小隊が囲むように行軍している。あの荷がそれを囲む小隊の荷なのだろう。

 これでは確かに手が出せない。まず、食料があまりに分散され過ぎていて焼き討ちの効率が悪すぎる。1000の連隊で小隊が27、4000人ならその4倍の108ある。108の荷に向かってそれぞれ数人で火をかけるわけにもいかない。荷を狙ったとしてもそれを守る人のほうが多すぎる。

 さらには、ストールグリンド伯爵領軍に呼応したリッテングリンド伯爵軍も同じことしているとなると、さらに27ある。

 100名しかいない外務直属の諜報工作部隊でこれをすべて焼き払うのは無理だ。


「随分念入りだな……」


 カナタの言葉にシーラが御者台から振り向く。


「どういうことです?」

「うむ、このような形で行軍されると、食料だけ焼き討ちすることができんのだ」

「トルネン殿の落ち着きようも分かります」


 ソフィアが説明し、カロリーナが呟く。


「シーラ、将軍らしき人間はいたか?」

「いえ、見てないです」

「前回首を取られたから、意図的に隠れているのかもしれない」


 カナタは不安を押し殺しつつ、そう呟く。


「とりあえず、今は寝よう」


 カナタ達は出来る限り、昼間は馬車の中で寝て過ごした。



 夜になり、ストールグリンド伯爵領軍は道の脇で野営を始める。


「馬車は離しておけ!」


 小隊長が叫び、馬車が等間隔に離して置かれる。

 上空に真っ黒い雲が現れ月を隠した。


「おい、こりゃ、雨が降るぞ……」


 兵士たちが空を見上げていると、ぽつぽつと雫が落ちて来る。


「テントに戻ろう」

「寝台を組み立てないと寝れないぞ! 急げ!」


 そんな時、雷が馬車の一台に落ち、馬車の荷が一瞬にして炎を上げる。

 遅れて轟音が鳴り響き、周囲のものが吹き飛ぶ。


「雷が落ちたぞ!」


 続けて2発目、3発目と雷が馬車に落ち、食料が燃えてしまう。

 次は何もないところで荷馬車が発火する。


「何が起きてる?!」


 そして次、違う荷馬車が炎を上げる。


「これは魔術攻撃だ! 荷を守れ!」


 誰かが叫ぶ。

 兵士たちはそれぞれの担当の荷に戻り、辺りを警戒する。

 その中の兵士の一人が荷に触れる。

 6台目から火の手が上がり、周囲の兵士を巻き込んで燃える。


「ぐああああ!」


 兵士が地面を転がり炎を消す。


「誰か消してくれえええ!」


 火の着いた兵士が走り出し、もう一つの荷へと突進する。


「来るな、こっちへ来るな!」


 カナタは『変装』で兵士の格好をし、『幻影』で自分に火が着いているように見せていた。

 右に炎、左に風、炎風……!

 そうやって、火の着いた兵士に偽装し、7台目に火を放ったとき、水を掛けられた。


「大丈夫か?!」


 カナタは慌てて自分の火の幻影を消す。


「あ、ああ、助かった……」


 カナタは少し狼狽えて答える。


「おまえ、どうして火傷をしていない?!」

「ちっ、気づかれたか……夜の帳」


 暗い月夜の下、さらに濃い闇が辺りを包みカナタは姿を晦ます。


「全部で7台か……」



 カナタ達は次の日も同じことを繰り返すが、警戒されていた為、ソフィアの魔術での3台のみだった。

 それ以降、警戒が強まったので、リッテングリンド伯爵軍の荷を焼きに移動する。

 結局、焼け石に水だった。



 カナタは執務室でビルギットの報告を聞いていた。


「ヴェストラプラ侯爵領北部でストールグリンド伯爵軍、リッテングリンド伯爵軍が合流しました。それぞれ、前回と同じく4000と1000。計5000です」

「警備兵団長殿、敵の食料はどの程度持つと思う?」


 カナタはサンテソンを見る。


「報告された量でしたら半月は持つでしょう。さらに後続も来ておりますから長期戦覚悟かと」


 結局のところ、フィアーグラン辺境伯軍を待つ他なさそうで、カナタは歯噛みする。


「フィアーグラン卿はいつごろ到着しそうだ?」

「3日後、兵6000が到着予定です」

「3日後か……。6000も居れば圧勝だろう」


 そのとき、ドアを激しくノックする音が聞こえた。入れと言う前に男は入って来て叫んだ。


「ヴェストラプラ侯爵軍が挙兵しました、その数6000!」

「なんだと?!」


 カナタは思わず立ち上がり、呆然とする。背筋に冷たいものが這う。


「こちらに向かっているのか?」

「いえ、真西に、辺境伯領へ向かい行軍しております。気付いた辺境伯軍は領堺へと転進しました。恐らくは辺境伯軍をけん制する動きかと思われます!」


 執務室がざわめく。

 続いて別の外務官が入って来て報告する。


「フィアーグラン辺境伯より伝令が来ました!」


 カナタはその書状を恐る恐る開いてみる。


『去年の凶作のせいで追加の兵が出せぬ。

 各都市の僅かな備蓄をかき集めてはいるが穀物の輸送は時間がかかる。

 間に合わないと思ってくれ。

 健闘を祈る』


 そう、去年は大雨で辺境の麦が凶作だったのだ。カナタはそれが縁でフィアルクロック男爵を経てノシュテット子爵などになっているのだ。

 敵陣営にそれを分かって指示している奴がいる。ヴェストラプラ侯爵まで敵に回っており、本気でカナタを潰す最強の一手。

 事態は想定を遥か上回る危険な状況になってしまった。


「反面教師を得たストールグリンド伯爵同盟軍5000と戦うことになるのか……」


 カナタは力なくソファに座り、頭を抱える。

 子爵領の警備兵上限は1000だ。一兵たりとも損耗するわけにはいかない。ノシュテットの街を囲む城壁を守ろうとすると、最低限の数でしかない。いくら籠城しようが、5倍の相手に負けない方法が思いつかない。

 誰もがその重大さを理解し、無言となる。唾を飲む音だけが響くような静けさだ。


「カナタ、あと三日だ。悩んでも仕方あるまい。われらが動いてなんとかするのだ!」


 ソフィアが鋭い口調で叱咤する。

 彼女の言う通り、他に手が無い。腹をくくって戦うしか無い。まだいける。まだ、あのオーク軍と戦ったときのような絶望には届かないし、あれほどの強敵はいない。相手は数が多いだけの人間でしかないのだ。


「そうだ、オークキングより強い人間なんていない」


 カナタは顔を上げて皆の顔を見渡す。

 シーラ、ソフィアは顔を輝かせる。

 カロリーナは微笑む。

 ニーダール夫妻は苦笑する。

 サンテソンは目に光を宿らせる。


「戦って勝つぞ。次は、奇跡の魔術師とでも呼んでもらおうかな」



 ヴェストラプラ侯爵領とフィアーグラン辺境伯領の領境に、両軍6000が対峙している。

 フィアーグラン辺境伯アレクシス・サンダールは、ヴェストラプラ侯爵シーグムント・シルヴェンへを問いただすべく使者を送ったが、すぐ返事するという言葉以来、何の返事もない。

「シーグムントめ、白を切り通すつもりか……」

 フィアーグラン卿は目を眇める。

 ヴェストラプラ卿はこの場を膠着させ、領境を犯してなどいないと白を切るつもりだろう。

 だからといってカナタを助けに行けば、フィアーグラン卿が戻るよう進軍し、戦争が終われば平気な顔で賠償を払うに違いない。ストールグリンド伯爵がノシュテットから吸い上げた賠償金を使って。



 王都ナラフェン、ナラフェン城の王の執務室にて、午後の長官会議が終わるころだった。

「陛下、ヴェストラプラ卿とフィアーグラン卿が領境を挟み兵を構えておりますが、よろしいのですか?」

 老年に差し掛かろうという怜悧な女性官吏、王国内務長官ドリス・ドゥンケルスは問う。

「部下のいざこざにいちいち口を出さずともよい」

 レクセル国王レイフ・レクセルは宙を睨み、皺と節くれの目立つ指で白くなった髭を撫でる。

「しかし、辺境伯は国境を守る者です。領同士のいざこざに巻き込まれるなど……」

「そのような決まりがこの国にあるのか?」

「……いえ、ありません」

「辺境伯領は魔物がよく出るゆえ侯爵領より兵を3倍持てるようにしている。国境といえど相手は魔物では寝返りようもないのに、特権を与えてどうする?」

「……そうですが」

「そもそも、北も東も南も停戦協定を結んで2000年破られておらん。魔物相手だから停戦協定が結べぬゆえ、辺境伯などという爵位を作ったのだ」

 そう、レクセル王国は南北東と人の国に囲まれているが、2000年の間戦争は起きていない。辺境伯というのは、協定が結べない魔物との接触地域だからこそ与えられた爵位なのである。

「しかし……」

「王都には王国軍3万がいる。二侯爵と辺境伯が共に反旗を翻したとしても、辺境伯は魔物からの防備で全てを出せぬゆえ、合わせても対等にしかならん。我に反せぬ者たちにあれこれ言っても過剰な干渉であろう」

 レクセル王国の勢力は、王都の東オステルラプラ侯爵、王都の西ヴェストラプラ侯爵、さらに西のフィアーグラン辺境伯の三派に分かれが、レクセル王国は諸侯の兵を制限しつつ、王国軍の規模は諸侯の実動可能な合計に匹敵する体制をとっている。領主同士が争おうが、些事に過ぎないのだ。

「それより、ノシュテット卿の裁定の請求について返事をせねばならぬが……、戦況を見てだな」



 3日後、寒空の中、ストールグリンド伯爵同盟軍は予定通り、北側の海の除く東西南の外壁をぐるりと取り囲むようにして配置される。

 初戦は互いに弓を射掛け合い、ストールグリンド伯爵同盟軍は連結した高い梯子を掛けようとする。ノシュテット警備兵団はそれを倒し、射落とす。


「ソフィア、敵軍に雨か雪を降らせられるか?」

「出来ぬこともないが、この城も巻き添えを食らうぞ?」

「それじゃ駄目か……」


 この寒空で雨に濡れれば兵の士気はどん底になる。それを狙っても、自軍も同じ状態になっては元も子もない。


「近い敵に対して水魔術を使うことはできるが、程度が知れておるの」

「分かった。じゃあ、予定通り戦術級魔術でいこう。サンテソン!」

「はい、閣下」

「城壁に張り付いた敵に水を掛けてやるのはどうだ。多少は士気を削げないか?」

「良い案と思われます。早速水を運ばせます」

「人力で城壁に水を上げるのは厳しい。預けてあるマジックバッグを使え」

「はっ!」


 兵団長サンテソンは連絡兵を各大隊長へと走らせる。


「上に風、下に土、雷雲!」


 城壁の上で空を仰ぐソフィアの周囲に風が渦巻き、それが上昇してゆく。周囲の雲が引き寄せられ大きな黒雲を成す。


「上に風、下に土、雷槌!」


 眩しい光と共にストールグリンド伯爵同盟軍の一部が吹き飛ぶ。

 100もの兵が空中に放り出され、軍の一部に穴が開く。


「上に光、右に炎、左に風、爆破!」


 カナタの右手から小さな光が飛び出し、同盟軍の中に落ちてゆく。それは一瞬で爆発し、周囲に高熱の渦を作り出す。

 カナタとソフィアは城壁の上で位置を変えつつ、広範囲魔術を撃ち、同盟軍をズタズタに引き裂いてゆく。


「上に光、右に炎、左に風、爆破!」


 カナタが高スキル魔術を使うたび、体の中からずるりと力が引き出されてゆく。頭痛と倦怠を感じながら移動し、再び撃つ。

 敵はソフィアとカナタの魔術で混乱の極みとなる。


「逃げるな、落ち着け、大規模魔術などそう何度も使えん!」


 ストールグリンド伯爵同盟軍の指揮官は必死に兵士たちの動揺を抑えようと奔走する。


「上に光、右に炎、左に風、爆破!」


 その指揮官がカナタの魔術によって吹き飛び、地面に直径十数メートルの円形の焦げ目だけが残される。

 敵軍の梯子が壁に取り付き敵兵が上がってくるが、兵士はマジックバッグに入れた大量の海水を上から流す。押し流された敵兵が寒さに震えあがるのが見える。




 シーラは城門の一番小さい扉、小門から飛び出した。すぐ目前の敵兵に獣のように飛び掛かると一撃で首を刎ね飛ばす。


「伯爵殺しだ!」


 兵士の人が叫ぶとシーラから距離を取ろうと半円状に空間が出来る。

 誰かが弓を射かける。

 それに呼応したかのようにシーラは前方に突っ込み、敵兵を盾にする。


「弓やめ、同士討ちになるぞ!」


 シーラは一人一刀で敵を斬り、兵士の間を縫ってゆく。

 ただ無心で斬る。

 振り返らない。

 先を思わない。

 ただ目の前の状況に応じて、より速く、より効率的に斬る。

 ただそれだけを考え、斬る。斬る。斬る。

 二人同時に突き刺す。

 敵兵の剣ごと叩き斬る。

 一撃で盾を破壊し、二撃目で首を落とす。

 もっと速く、もっと強く。

 体中の力を隅々まで行きわたらせ、神経を尖らせ、感覚を研ぎ澄ます。


「あ、あんなの人間じゃねえ!」

「逃げろお!」


 シーラが進むと、進んだ分だけストールグリンド伯爵同盟軍は分断されてゆく。

 どこへ向かっているでもなく、ただただ、斬って、斬って、切り捨てた。

 脆い。

 でも、まだ足りない。

 シーラはいつの間にか全身に血を浴びて戦っていた。

 もっと強く、もっと速く!

 次に誰にも負けないように!

 いくらでも力が沸いてきた。

 100人であろうが1000人であろうが、いくらでも斬れる気がした。

 ストールグリンド伯爵同盟軍をすべて飲み込んでしまえばいい。

 その大剣は血の嵐となる。

 シーラが進むところに肉片が飛ぶ。

 血の雨が届くところ、触れれば即死する。



「上に光、右に炎、左に風、爆破!」


 カナタは次から次へと沸いてくる敵兵を見下ろしつつ、視界が歪んでゆくのを感じた。

 頭が痛い、体が怠い、眠い、意識が飛びそうだ……。

 くらりとして城壁の手すり壁に寄り掛かる。


「大丈夫ですか、閣下!」


 警備兵の一人が倒れそうになったカナタを支える。

 くそ、ソフィアはあんな小さな体で頑張っているというのに、何が違うんだ……?


「こら、寝るなカナタ!」


 ソフィアが近づいてきてカナタの足を蹴る。


「すまない、魔力切れで……」

「お主はどういう魔術の使い方をしているのだ!」

「すまない……」

「すまないではない、言ってみろ!」

「体の中を炎に変えて、混ぜて、手から押し出している」

「ちがう!」

「……違う?」

「それは一番陥りやすい間違った魔術の使い方だ。いいか、まず、吸うんだ。体の中心に向かって吸うんだ。それから変化させ、融合させ、吐くんだ」


 ソフィアは両足を離して立ち、両手を広げ、目を閉じる。

 そして十数秒、その状態で留まる。

 何かがソフィアに集まって行くのを感じる。

 そして目を開く。


「上に風、下に土、雷槌!」


 雷光が煌めき、城壁の下に落ちる。

 遅れて怒号のような音が轟き、兵士たちが散り散りに吹き飛ぶ。


「わかったか?」

「分かったと思う。やってみる」


 カナタはソフィアがやっていたように体を開き、中心に向かって『吸う』。

 体の外からじわじわと力が集まってくるのが分かる。

 頭痛が弱まってゆく。

 その体に充満した力を変化させてゆく。


「上に光、右に炎、左に風、爆破!」


 小さな光が飛び出し、城壁の下の地面に着弾する。かっ、と光が閃き、遅れて地響きのような音と熱風が広がる。


「こういうことか……。ありがとう、ソフィア」

「しっかりしろ、ノシュテット子爵!」



 あれから数時間後、敵の攻勢が弱まって来た。敵は士気が失せてしまったらしい。カナタとソフィアの大規模魔術、そして、鬼人のごとく剣を振るうシーラを恐れた兵士たちが及び腰になっているのは確かだ。

 太陽も地平線に顔を付けている。

 カナタは城壁の上で魔力切れの頭痛に悩まされながらもほっと息をついて座り込む。

 すぐ近くでソフィアが同じように蹲っており、そのまま寝てしまったようだ。


 シーラはというと、小門へと戻り、城内へ一歩入り、その場で倒れてしまう。警備兵が慌てて駆け付け、血みどろのシーラに水をかけ、怪我を探す。しかし、シーラは怪我一つ負っておらず、ただ疲れて寝ているだけだった。


 城内の警備兵たちも疲弊しきっていた。5倍の兵力相手に善戦し、膠着させたのだ。誰も彼もが疲れ切って、意識の深いところに足を掛けていた。


 カナタは城壁の上で壁にもたれて座り込んでいた。

 駄目だ……、これじゃ駄目だ……。

 カナタは朦朧した意識の中で考える。

 これじゃ勝てない……。ここで馬車を襲った『蛇の体』が来たら……?

 絶対に勝ち目が無くなってしまう。

 もっと、決定的な何かが必要なのだ。

 考えろ、考えろ、考えろ……。

 しかし、そのような方法は思いつかない。

 考え続けろ。

 捻りだすんだ……。

 蛇の体はシーラとソフィアでなんとかするしかない。

 だが、この5000人の敵軍もそれは同じだ。

 両方は相手に出来ない。両方揃った時、すべてが終わる。

 終わってしまう……。


 そのとき、冷たい気配がしてカナタは身を捻った。


 ぎん、と金属音が鳴る。

 カナタはそれを見上げる。

 まさか……。

 そんな……。


 『蛇の体』と名乗った黒いフードの男の一人がそこにいる。リーダーの男が、青白く光るミスリルの剣をこちらに向けている。切り落としたはずの腕がある。有能な治癒師がいるらしい。


「ソフィア!」


 カナタは反射的にソフィアの身を案じる。背後を振り返った瞬間、ソフィアの姿が火に包まれた。


「うがっ! 右に水、左に水、水生成!」


 じゅう、と蒸気を上げながらソフィアが石の床を転がる。


「ソフィア、大丈夫か!」

「問題ない、気を取られるな!」


 ソフィアの服はボロボロになり、煤で汚れている。顔は火傷で爛れ真っ赤な血が滲んでいる。


「くそっ、既に城内に潜伏していたのか!」


 警備兵たちが黒フードの男二人に気づき、遠巻きに囲む。

 カナタから見ると、リーダーの男の向こう側に警備兵がいる。背後にはソフィア、ソフィアの向こう側に細い男、さらにその向こう側に警備兵。

 ソフィア側の細い男が何事か呟く。警備兵たちが発火し、炎に呑まれて地を転がり回る。

 カナタは敵の背後に警備兵がいるため、魔術を放つことができない。


「おまえたち、下がれ! 炎嵐!」


 男は背後に飛び退ると、警備兵を掴み、身を入れ替える。そして、警備兵たちをカナタ側に蹴り飛ばした。


「なっ!」


 三人の警備兵が火に包まれる。

 男はフードの端を焦がしただけで、悠々とした足取りでカナタの方へと戻ってくる。


「これで邪魔者はいなくなったな……」


 男が呟く。

 カナタは男の右側に転移する。

 しかし、今度は予測され、剣でナイフを弾かれる。


「ちっ!」

「きさま、どこでディマの恵みを得た?!」


 男が叫ぶ。

 ディマの恵み……? なんだそれは。

 もしかして、転移のことを言っているのか?

 転移を知っている? だから、転移する俺の動きを予測できるのか……?


「くそっ、躱せるなら躱してみろ!」


 カナタは転移する。

 背後、側面、背後……。

 転移してナイフで切りつけるが、悉くを剣で弾かれる。




 ソフィアと細い男は互いの攻撃に難儀していた。

 ここは城壁の上で、城壁の内外に手すりのある通路状になっている。

 相手の魔術を躱すのに、前後にしか避けられないのだ。

 それゆえ、互いの攻撃も躱し方も単調にならざるを得ない。

 相手の魔術が発動したら、後ろに飛び退るか、前に出て効果範囲から逃れるか、どちらしかないのだ。


「右に水、左に水、水生成!」

「右に水、左に水、水生成!」


 互いに自分の体を水に濡らし、先に炎風の魔術を軽減する。


「右に水、左に風、凍結!」


 ソフィアの魔術が濡れ切った細い男を取り巻く。

 空気中の水分が凝結し、キラキラとしたダイヤモンドダストが舞い、男を中心として渦を巻く。

 これが決まれば相手の体温を奪い、動きを鈍らせることができる。


「右に炎、左に風、温風!」


 男は咄嗟に防御となる魔術を放つ。

 ダイヤモンドダストが消えて霧散する。


「右に炎、左に風、炎風!」

「右に炎、左に風、炎風!」


 ソフィアも敵も炎風の魔術を唱え、そして石床を背後に転がって範囲外から逃げる。

 互角だ。攻防は同じことを繰り返し、集中力が切れた方がやられるような、ギリギリの展開となってくる。


「右に水、左に風、凍結!」

「右に水、左に風、凍結!」


 互いに同じ魔術を発する。

 体が濡れている状態では凍結の魔術のダメージが大きい。


「右に炎、左に風、温風!」

「右に炎、左に風、温風!」


 それを互いに打ち消し合う。




「そこだ!」


 リーダーの男の剣が宙を斬る。


「あがっ!」


 そこに転移したカナタは腹部を斬られ、血を迸らせながら石床を転がる。


「ちっ、浅かったか!」


 男は追ってカナタに剣が突き立てる。

 しかし、カナタは無理矢理体を転がし、すんでのところで回避する。


「ソフィア、大丈夫か!」

「自分の心配をしろ!」

「上に光、右に水、下に土、治癒!」


 カナタは左手を裂けた腹部に当てる。


「させるか!」


 男は転がって逃げるカナタを追うように突きを連打する。


「がっ!」


 肩が抉られ、血が噴き出る。怪我を負ったことで、均衡が崩れた。

 カナタは起き上がり、男の剣をナイフで受ける。


「くそっ!」


 武器の重さが男の方が上なせいで、押し込まれる。

 何度も突きを放たれ、それをなんとかナイフで弾いて躱す。

 こんなことできたっけ……?


『武器防御スキルがLV4になりました。回避率+10%』


 視界にメッセージが浮かぶ。


 それじゃ足りないだろ!


 集中力は限界まで高まっていた。男の刺突を紙一重で防御し、そして、皮一枚を切られる。


「くそ、無理だ! ソフィア!」

「分かった!」

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