9■オークキング・グラーン1
『蛇の鱗』若頭ペール・レイグラーフは、馬に乗り、部下を引き連れ、ノシュテットの西の森の中を進んでいた。ノシュテットから西は辺境。魔物の巣窟である。レイグラーフはそれが分かっていてあえて進んでいる。
「ボス! 前を!」
レイグラーフは部下の声に前方に目を凝らす。そこは深い森の中でぽっかりと空いた空き地のような場所だ。レイグラーフは覚悟を決め、その広場へと突っ込んでゆく。
不格好でいながら大きく大仰な建物が見える。それは人が住むには不完全で家とも建物とも言えない建物だ。
シンボリックで、神殿のようにも見える。ただ、その様式には人間の頭蓋骨としか思えないものがいくつも飾り付けられている。
オークの集落。
周辺には数々のオークが人間の作った剣を持ち、人間の作った酒瓶で酒を飲んでいる。その数は100、200ではない。
二回り体格の大きい、恐らくはオークリーダーと思われる個体が何十体も、さらに大きなオークジェネラルと思われる個体が数体見える。
オークたちは広場に飛び込んだ馬に乗った非力な人間二人をじっと見つめる。敵になるとはまったく思っていないのだろう。
しかし、何か奇妙だ。その視線が一か所に集まりつつあるのを感じる。
オークたちは、レイグラーフの胸元に下がる、『盟約の笛』の青白い光に釘付けになっていた。
レイグラーフはそのことで確信を得て胸元の笛を握り、それを思い切り吹く。高く歪な音が、森のどこまでも響き渡る。人の音感では中途半端としか思えない。
だが、オークたちは、立ち上がる。
その唸り声が辺境の森に響く。
不気味な神殿のような建物から、地を揺るがすような音が聞こえた。
建物前のオークたちが左右に割れる。
その奥から姿を現したのは、オークリーダーよりも、オークジェネラルよりも、さらに二回り大きくし、二本の牙が唇からはみ出し、髭を膝まで伸ばした個体だった。
その身長はゆうに3mに達していた。
「オークキング……?」
レイグラーフは思わず呟く。話には聞いていたがその存在を見たことがない。いや、大抵の人間が伝説の中でしか知らない存在だ。
オークキングは馬に乗るレイグラーフの前で止まり、片手に持った3メートルはある杖を地面に突き立てた。
「ナニモノダ、チイサキモノ」
レイグラーフはオークが人間の言葉を喋ったことに驚き、硬直する。そしてそのことが、馬上から話すのは礼を欠くと気づかされ、馬から降りる。
「わたしは、レイグラーフと申す」
「ワレハ、サイショのオークカラウマレタ10ノヒトリ、グラーン」
最初のオークから生まれた? 本当か? 本当ならいつの話だ?
グラーンの言うことに驚きつつも、レイグラーフは自分のなすべきことを考える。
「古き盟約をもって協力を仰ぎに来た!」
「ワカッタ、ノゾミヲイエ」
「東に小さき村がある。そこに、カナタ・ディマと名乗る男がいる」
「ディマ、ダト?」
グラーンはその黒目しかない瞳に不審な色を浮かべる。
「そう名乗っているだけだ。ディマを名乗る不届きものを成敗せねばならないが、その者は強力な魔術師で、仲間がやられた。オークの王よ、協力を願いたい」
レイグラーフ自身はカナタが具体的にどのような戦いをするのかは調べがつかなかったが、製塩法の騒ぎで魔術師だという噂が流れていたのは知っている。
「ディマヲナノルナド、フソンダ。ディマハ、オウダ。オウノナヲナノルナド、ユルサレン」
ディマ神が王だと? どういうことだ? いや、それを言うならそもそもオークが従う盟約とは一体どういう盟約なのだ……?
「カナタ・ディマはノシュテット市の東の農村にいる。私が案内する」
「ノシュテットトハ、ヒューマンノオオキナシロノコトカ?」
「そうだ」
「ヒューマンハチイサイガ、ヒューマンノシロハオオキイ……」
グラーンは何かを考えている風に見えた。
「……シロハ、コワサナクテヨイノカ?」
「し、城は壊さなくていい!」
何を悩んでいるかと思えば。とんでもないことになるところだった。
「ワカッタ。メイヤクヲハタソウ!」
グラーンは、オオオオオ、と唄うような不思議な声を上げる。
周りのオークはそれに追従し、同じく声を上げ音程を合わせる。
森にオークたちの声が木霊する。
その不思議な音階は、笛の音と同じだった。
■
次の日の午前、ノシュテット卿は謁見の間にて、内務官メルケル・ヤンソンを叱咤していた。
「塩田の試作とやらはまだできんのか! グズグズずるな!」
ヤンソンは青くなって俯く。
「それが、その……。どうも、農民の供述に一部虚偽がありましたようで……」
「馬鹿者、だったらまた攫ってくればよかろうが!」
そうは言うが、村人を攫われ返されたのだ。次が自分の番となると次の決断ができそうにない。
そこに息を切らした警備兵が青い顔をして飛び込んできた。
「急報です! 閣下、西の森からオークの軍勢が現れました!」
「オーク? オークと言ったか?! 軍勢?!」
ノシュテット卿は飛び上がって叫ぶ。
「その数、およそ1000です!」
「1000だと? け、警備兵長を呼べ!」
「閣下、塩田は……」
「それどころの話ではないわ!」
謁見の前へ、警備団長が駆けて入ってくる。
「閣下、ただいま参りました!」
「警備兵長、オークの1000の軍勢が迫っているというではないか! 本当か?」
「はい。オークの軍勢は確かに1000に届く数であると、複数の分隊より報告が上がっております。こちらでは既に城門を封鎖するよう各部署に伝達しております。街には一匹たりとも入れません。ご安心を!」
「本当に1000も……。どうやってオークと戦うのだ?」
「警備兵はあくまで城と周囲直轄地の治安部隊でして、1000人程度しかおりません。1000人で1000のオークと戦うのは無理であります。籠城戦しかありません。その為の城です。同時に、周辺諸侯へ救援を求めます」
「そ、そうか、それしかあるまい……。おい、ヤンソン! そちからも意見はないのか?」
「はい、閣下。城内のパニックの鎮静を行い、外部と流通を断たれるため、城の備蓄を開放する必要があります」
「わかった、警備団長と相談し、良きようはからえ!」
「「御意!」」
■
ノシュテットの門が急に閉じられ始める。中門も、小門も。
入市しようと並んでいた商人たちが何事かと騒ぎ始める。
「どうなってる! どうして入れないんだ!」
「おい、入れてくれ!」
「ダメだ、オークの軍勢が来る! お前たちもどこかへ逃げろ!」
城門の上にいる警備兵の一人が叫び、その声に旅人たちは騒然となる。
「オーク? オークの軍勢だって? どこに逃げればいいんだよ!」
「1000のオークが西から来る。東だ! 東に逃げろ!」
「東?!」
「1000だって?」
「逃げろ、逃げろ!」
馬車も人も、速足で南東へ向かう街道へと殺到する。
■
アンドレ村長が血相を変え、男爵邸へと飛び込んできた。
その後ろにシーラもいる。
「領主様、大変でございます!」
「そんなに慌ててどうしたのだ?」
ソフィアが二人に駆け寄った。
「首都への街道がごった返しておりまして、話を聞いたところ、西の森からオークの軍勢が来ているとのことです! ノシュテット城は門を閉じ、籠城戦の構えだとか!」
カナタは立ち上がる。
「オークの軍勢?! 軍勢って、どの程度なんだ?」
「なんでも1000に届くとかで……」
「1000だと……?」
フィアルクロック村はノシュテットから数キロしか離れていない。
「オークの目的は何だ……? いや、その前に……。シーラ、ソフィア、見に行くぞ!」
三人は屋敷を出て馬に乗る。
とはいってもカナタは馬を操れないので、ソフィアの後ろに乗ることになる。
「どこを触っておる、この不埒ものが!」
「どこって、ここどこだよ!」
ぺったんこすぎてどこがどこだか分からない。
「乙女を辱めるとは何事か!」
すると、隣で馬を駆るシーラが顔を明るくする。
「カナタさーん! わたしのおっぱい揉んでもいいですよ!」
「うるさい、痴女!」
「えへー!」
「褒めてない!」
村の細道を南下すると、幹線道路で東へと逃げる人たちの群れと遭遇する。カナタ達は人の流れを逆走し、ノシュテットへと向かって行く。
「どこまでいくのだ?」
「この辺りで止めてくれ!」
ノシュテットがはっきり見える、1kmほど手前で馬を止める。既にオークらしき軍勢の影があり、城壁の上から弓が放たれているのが分かる。
しかし、
「あの軍勢、こっちの道に来てないかの?」
「城からの攻撃を無視してこっちにきてます!」
シーラは目が良いのだろう。軍勢を動きを捉えていた。言葉通り、影が大きくなり、幹線道路からはみ出すようにして行軍してくるのが見える。オークの軍勢はノシュテットを素通りしてこちらへと進んでくる。
その距離、既に500mに迫っており、カナタでもその軍勢の姿が分かった。ただでさえ2メートルはあるオークだが、オークリーダーやオークジェネラルらしきさらに大きな個体が数体見える。
「どういうことだ……?」
「おい、軍の先頭に人間がおるぞ! オークより小さいのでよく目立つわ」
オークの行軍にもし明確な目的があるのならば、その目的は誰からもたらされたものか?
「あの人、この前襲ってきた人みたいな服を着てます。きっと仲間です!」
「この前襲ってきたって、蛇の入れ墨をしていたやつらか?」
「はい、そうです!」
じゃあ、……。
「目的は俺か……?」
「なんだと?」
ソフィアが険しい顔で振り返る。
準備する時間を稼ぐために村に戻りたい。だが、戻れば村が決戦場にになり、村ごと破壊される。かといってここで戦ってあの軍勢に勝てるとも思えない。
どうする……? でも、決まってる。
「村を犠牲にはできない」
「そうだな」
「そうですね!」
シーラは身軽に馬から飛び降りるとバスタードソードを抜く。
「やれやれ、冒険者デビュー戦が、オークの軍勢とはな」
ソフィアもよっこらしょっと馬から降りる。
「済まない」
「謝るな」
「カナタさんが謝ることないです!」
カナタも馬から降り、そして、馬の尻を叩く。馬二頭は男爵邸を目指して走り出す。
ソフィアはカナタとシーラの一歩前に出ると、両手を天に掲げ、唱える。
「上に風、下に土、雷雲!」
強烈な風がソフィアを中心に渦巻く。
カナタもシーラも思わず目を細め、顔の前に手をかざす。
渦巻く風がどんどん大きくなり数十メートルの規模となってゆく。そして、上空に靄がかかったかと思うと、徐々に雲を集め、黒雲となってゆく。
「上に風、下に土、雷槌!」
稲光がオークの軍勢に落ち、雷鳴が轟く。オークの軍勢が弾け、100体に及ぶ死骸が飛ぶ。血と肉片が舞い上がり、一瞬遅れ、どす黒い血の雨が一帯に降り注ぐ。
「次の発動まで時間がかかる、ゆけ、カナタ、シーラ!」
「おう!」
「行ってきます!」
■
レイグラーフはオークキング・グラーンと共に最後尾を馬で進んでいた。怪しげな雲が浮かぶと、雷が轟き、オーク軍の先頭が弾けるのが見える。
「なんだあれは?!」
レイグラーフは思わず叫ぶ。
そこへ、先頭にいた部下が馬で戻ってきた。
「前方に、カナタ・ディマとシーラ・ラーベ、それに、元フィアルクロック男爵令嬢のソフィア・ニーダールらしき女がいます!」
つまり、これは既に戦が始まっているということだ。
「グラーンよ、立ちはだかる黒髪の男がカナタ・ディマだ!」
レイグラーフははるか前方を指さす。
「ソレヲ、コロセバヨイノダナ?」
「そうだ」
「ナラバ、コノママオシツブセバヨイ」
オークキンググラーンは大杖を持ち、微動だにしない。
■
カナタは右半身の中に炎、左半身の中に嵐を渦巻かせ、それを混ぜ合わせる。
『炎嵐』
様々な発火点を越える極高温の熱風が吹き荒れ、それがオーク軍を舐めると赤い舌のように炎が舞い上がる。数十のオークが火だるまになり、乾いた草木が発火し、戦場は火の海となる。
その火の海からオークリーダーが飛び出してくる。
シーラがカナタの前に立ち塞がり、脇構えから一気に水平に振り、両足を切断する。
続いてオークリーダーより大きな個体、オークジェネラルが炎の中より現れる。オークジェネラルは根が付いたまま枝を落とした若木の大棍棒を振り回し、シーラへと迫る。
シーラは体で躱すと、再度脇構えからの水平切りを行う。
オークジェネラルはそれを器用に棍棒で受け、反撃を繰り出す。
がん、と音が響き、シーラは大棍棒の直撃を剣で鋭角に受け流すと、その切っ先を切り上げる。
ジェネラルの手首から先が飛ぶ。シーラはさらに踏み込み、ジェネラルの顔面を剣先で抉る。巨体はうめき声も出さすにそのまま倒れる。
「強い……」
カナタは思わず声を上げる。あれは蛇の鱗の男と戦った時の技だ。シーラは一つの戦いから一つ学び、確実に強くなっている。それは、もう、オークジェネラルを凌ぐ強さになっていた……。
「負けてられないな……」
カナタは、自分も頑張らないと、シーラが離れていくような気がした。
『炎嵐』
豪、と風が渦巻き、さらに数十のオークが炎に巻かれる。
生き残ったオークリーダーが数体飛び出す。
『転移』
オークリーダーの背後に転移し、ミスリルナイフを一閃。脊髄を二つに切り分ける。
もう2体はシーラが真っ二つに切り伏せる。
炎嵐の魔術で進軍してくるオークたちを焼き尽くす。そして、生き残ったオークリーダーやオークジェネラルを仕留める。とにかく、1匹でも多く仕留め、この行軍を止めないといけない。
「下がれ! カナタ、シーラ!」
ソフィアの叫び声が聞こえた。
カナタとシーラは転進し、全速力でソフィアの方へと戻る。
「上に風、下に土、雷槌!」
雷雲が光り、轟音が鳴り響く。再度の雷がオーク軍を貫く。高圧電流に直撃したオークたちは即死し、急激に膨張した空気圧で弾け、100体を越えるオークが宙へとまき散らされる。
ソフィアは軍を壊せる戦術兵器だ。
シーラも、オークリーダーやオークジェネラルなどの強個体を倒す為の戦術兵器だ。
じゃあ、自分は? ソフィアやシーラを効果的に使えるよう、ザコのオークを処分してゆく掃除屋だ。
「ザコは消毒してやるっ!」
『土変形』
道を広範囲に陥没させる。オークたちが後ろから押されるようにして落ちてゆく。
『炎嵐』
その大きな落とし穴目掛け、炎の舌で蓋をする。
カナタは念入りにオークを殺してゆく。炎嵐の魔術を連発し、オークを焼き尽くして前線を維持する。
減らない、減らない、減らない。
まだ、もっと、もっと削らないと……。
それでも、オークの軍勢はまだ半分以上残っている。
まだ……、半分か……。
魔力が減って、倦怠感と頭痛が始まっている。
だめだ、しっかりしろ!
「上に風、下に土、雷槌!」
ソフィアの声が聞こえ、三度、空が光った。
前線はカナタとシーラに任せたのか、オーク軍の奥の方にそれは落ち、オークが舞い上がるのが見える。
「負けてられるか、炎嵐!」
ソフィアは確実にオーク軍をズタズタにしてくれている。シーラが強敵を倒してくれる。カナタはオークどもを焼きさえすればいい。誰かが一人欠ければその時点でカナタたちは負ける。そう誰かひとり欠ければ成り立たない。
ん、ちょっと待て……。
俺たちに役割があるように、この軍勢が軍勢足りえているのは、つまり、リーダー役がいるんじゃないのか?
オークジェネラルさえ統率する個体、つまり、
オークキングが……。
「ソフィア!」
「なんだ!」
ソフィアは腕を広げ、眼を瞑って何かを溜めていた。
「俺の役に代わって、前線を維持してくれないか?!」
「どうするんだ?」
「いまのままじゃキリが無い。この軍を統率している個体、オークキングを叩く!」
「ほう、今よりはマシそうなアイデアだな、乗った!」
ソフィアは両手を掲げると、魔術を切り替える。
「右に炎、左に嵐、炎嵐!」
炎が渦巻きオークどもを焼き尽くす。それはカナタより大きな炎の狂乱だった。燃え盛るオークと下草で辺りは火の海だ。
ソフィア目掛けて飛び出してきたオークを、シーラがカウンターで真っ二つにする。
「行って来る!」
カナタは走る。ここでボスを仕留めなければオークを全滅させる必要がある。しかし、到底3人では限界が来るのだ。ソフィアとシーラが耐えてくれる間に自分がなんとかしなければこの戦いは勝つことができない。
敵を迂回するように進み、オークが立ちふさがる。
「邪魔だ!」
カナタは数十メートル先へと転移し、立ちはだかるオークをやり過ごす。先へ、先へ……。
『転移』
それを繰り返すこと数回……。オーク軍の最後尾に3メートルを超すオークの個体を見つける。それは一目で分かる大きさであり、一目で分かる威厳があり、そして、一目で分かる脅威の塊であった。
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