Asylum【アサイラム】-亡命者たちの黙示録-

鈴木左官

1.チュートリアル編

第1話 「チュートリアル」

プロローグ


 出口のない牢獄に囚われている。

 自ら望んで囚われの身になっている。

 そうすることに意味があるからだ。


 誰からも見つけられないように融けて無くなれば不変でいられる。

 しかし、その世界の果てに道が現れた。

 それの意味することは一つだけ。発見されてしまったのだ。

 誰も認識できない存在が、たった今認識された。


 世界に必要な最後のパーツが揃い、胎動を始めたばかりだ。

 このタイミングでここへ繋がる道が開いたということは、最後のパーツは私という存在を知っているということだ。


 同じ轍を踏まないように、慎重に事を進めていた。

 間違えればすべてが無に帰してしまう。


 ここにいなければ世界は崩壊する。

 そういう仕組みで世界は構築されている。

 だからここから逃げることはできない。


 賽は投げられた。


 待とう――何者かがここにくるまで

 願おう――ここに来る何者かが、敵ではないことを

 信じよう――奇跡を


 我はAsylum seeker。

 この世界は『安全な場所』であり『最高傑作』


 その世界の名は『アサイラム』




第一話 「チュートリアル」


 クマに追われている。とても大きなクマだ。

 クマというのはこんなにも大きな生き物だったのだろうか?まるで小人になってしまったのではないかと錯覚してしまう。それほどまでに、現実を疑いたくなるような巨大なクマに追いかけられている。


 なぜ追いかけられているのか、気づいたら既にこうなっていた。

 そんな状況に輪をかけて、さらに別の、しかもより深刻な問題に直面していた。それは、自分が誰なのかという基本的かつ極めて重要な情報が欠落している――ということである。

 記憶喪失を疑ったが、クマについての基本的な知識はある。ここにいたる経緯以外の自分の名前も含めて個人情報もすべてわかっている。

 自分の名前がわかるのに自分が誰なのかもわからない。普通に考えてそんなことがありえるのだろうか?

 これではただの頭のおかしい人ではないか?しかし、こうした状況を簡単に表現できる言葉が実は存在する。ただ、それを真顔で言ってしまうと、極めつけに頭のおかしい人だということを暗に証明してしまいそうで、あまり人前で言いたくないのが本音である。


 しかし敢えて言おう――『別人になった』と。


 元の人格を継承したまま、誰か別の身体にのりうつってしまった。

 そう解釈するとこの不可思議な現象に一応の説明がつけられる。ただ説明がつけられることと、現実的に可能かというのとでは、天と地ほどの差がある。結論を言えばこんなことはありえない。ありえないのだが、いや、ひとつだけありえる状況が存在する。


『夢』


 そう、これは夢であり、信じたくないことは夢だと思えば、すべてが丸くおさまってしまう。

 朝、目が覚めればきっとすべて元通りになるはずだ。


 今、自分は夢を見ている。夢なら記憶喪失だろうが別人になろうが猫耳だろうがロボットだろうが性転換だろうが、どうということはない。なぜならそれは夢だから。むしろ望むところである。

 無理やりで乱暴なはなしだが、これを夢と決めつける根拠がないわけでもなく、確かな証拠が一つだけある。それは、さきほどから10分以上全力で走っているにも関わらず、全く息が上がる気配がないことだ。さらに今後永遠に走り続けていてもこの状態を保ち続けることができるという確かな手ごたえがあり、これが夢でなければ何なのかと、声を大にして言いたい心境それ自体が、絶対的な根拠というわけである。

 それらを科学的に証明する基礎知識は何一つ持ち合わせていないが、100メートル走並みの全力疾走を10分以上持続することが不可能だということは、これまでの体験から身をもって知っている。仮にできる者がいたとしても、それは自分ではない別の誰かだ。

 問題のひとつを無理やり解決してしまった。しかし、ここで些細なことだが、またひとつ新たな疑問が出てきた。別人になったのは良いとして、いったい誰になってしまったのかという素朴な疑問である。


 夢だから――なのだろうか?身体がとても軽い。まるでアニメの主人公にでもなったかのように息切れすることなく全力疾走し続けることができる。

 果たして本当にアニメの主人公は息切れしないのか?とマジレスされると少し返答に困るが、これはあくまでイメージであり、自身の持つ主人公像に近い状況がその身に起こっていると言いたいわけである。


 小高い丘の緩やかな斜面を、まばらな樹木の間をぬって駆け下りている。すれ違う樹木がどこか懐かしく感じる。木々の間隔や密集した立木の有無、足元の視界を遮る藪がないことから、生活の糧を供給するよく手入れの行き届いた、人の手で守られた里山だということが理解できる。

 ふと子供の頃を思い出す。クマと出くわしたことも、ましてや追いかけられた記憶もないが、カブトムシやクワガタを採りに友達と野山を駆け回ったことを30年以上経った今でもはっきりと覚えている。

 そんな子どもの頃の記憶がこんな夢をみさせているのだろうか?だとしたらこのクマに追いかけられている状況に何か意味があるのだろうか?

 近々クマに襲われるから気をつけろ――という虫の知らせというやつだろうか?クマが市街地に現れるニュースを最近よく見かけるが、さすがにこれは心配し過ぎだろうか……


 森そしてクマとくれば、そこから連想されるのは誰もが知っているあの歌しかない。つまり、あのクマは怒っているのではなく、落とし物を届けようとしている心優しい親切なクマさんなのではないだろうか?

 走りながら振り向いてクマの様子をうかがい、すぐ正面に向き直る。

 一縷の望みは一瞬で絶たれた。とても友好的には見えない。信じたい気持ちを一瞬で絶ち切るほどの恐ろしい形相だった。

 人、いやクマを見た目で判断してはいけないというが、見た目はやはり重要なのだ。

 名は体をあらわす、体は心をあらわすという。彼か彼女かはわからないがあのクマが例のクマさんなら『お嬢さん、お待ちなさい』と優しい顔で友好的に声をかけてくるはずだ。そもそもお嬢さんではなく自分はおっさんなので、この設定には最初から無理があった。

 だいたいにして、おっさんの落とし物がイヤリングとか、そんなのイヤ……もとい、そのクマの目はとんだ節穴だろう。

 だが、この時重要なことに気づいてしまった。


(あれ?自分は今別人になってるのだから、おっさんではないのか……)


 誰になったかという最初の疑問を思い出し、確かめることのついでに、念のため落とし物――イヤリングの有無を確認するために耳たぶを触ってみようとする。


(あれ?)


 耳たぶをつまもうとして何故か指先がむなしく空を切った。一瞬耳がとれてなくなってしまったのかと思い、内心ギクりとする。しかし、別人=人間と考えるのは早とちりといえなくもない。なぜなら宇宙人とかスライムとか人外になっている可能性もあるからだ。まだ慌てる時間ではない。ここは冷静に動くのが得策だ。

 おそるおそる顔や頭、首そして肩、腕を順に両手でまさぐるように確認し、まず自分がどんな形をしているのかを確かめる。どうやら人間の形はしているようで安心する。猫耳とかウサ耳も悪くはなかったと、少しだけ、ほんの少しだけそう思わなくもなかったが、そういえばケモ耳って頭と顔の横と、耳が4つついているのだろうか?

 そんなバカなことを考えながら両の耳たぶを確認する。落とし物の最有力候補のイヤリングは両方確認できない。幸の薄そうなこの小さな耳たぶにイヤリングをつけるのは難しいだろう。両方落としたという可能性もなくはないが、最初からついていなかったと考える方が妥当だろう。

 結論として、あのクマは例のクマである可能性は極めて低いということである。


(しかし、何かがおかしい……)


 夢で起こっていることについて今更疑問を呈してもしかたがないのはわかっている。だからそこをおかしいと言っているのではない。

 おかしいのはこの身体のことだ。別人になっていることは一先ず理解し受け入れた。先ほど身体を触ってみて人間だということも確認した。ただ、あらゆるパーツが小さいというのが気になる。もとの身体との体格差が大きすぎて、うまく狙った場所に手を動かせていないようなのだ。

 おそらく身体が小さくなっているのは間違いない。子供時代にタイムスリップしたという設定の夢と考えれば納得もできる。しかし、納得できないのが、線の細さだ。

 小学校高学年から中学生あたりの年齢設定と思われるが、その時代からどちらかというと骨太で太り気味の体形だった。その当時の体重とくらべても半分以下ではないかと思うほど細い。太ももなど、おっさんのたるんだ二の腕よりも細く感じるのだ。


 病的と感じるほど痩せた体形に一抹の不安を覚える。

 夢というものには予知夢とか正夢逆夢、縁起の良い夢、悪い夢など様々だ。クマに追われた痩せこけた別の自分。これは一体何を意味するのであろうか……


「はっ!」


 油断した。大口を開けたクマがすぐ後ろに迫っていることに今頃気づいた。

 思考に没頭していたせいで、走るスピードが落ち、クマとの距離がつまっていたのだ。


(間に合わない!終わった……)


 この展開をこのまま続けてもハッピーエンドのビジョンは見えなかった。どこかであきらめてバッドエンドで夢から覚めるというシナリオが頭の片隅にあった。そのせいかこの状況に驚きはあったものの、大きな絶望も後悔もなかった。


 背後から迫る巨大なクマを、熱の塊として背中に感じている。独特の獣臭によって嗅覚から危険を察知し、急所である頭や首筋を守ろうと本能的に身を縮める動きをしようとする。

 危機的状況で時間の流れが遅くみえることをタキサイキア現象というが、この現象は、子供の頃に一度体験したことがあった。それは、友達とふざけていて過ってガラスを割ってしまったときである。そのときは、割れたガラスの破片の一粒一粒がゆっくりと回転しながら飛散していく様子を見ていたが、それとよく似た現象を再び体験してしまった。


 スローモーションで迫ってくるクマの恐ろしい気配。内心あきらめていたのだが、身体のほうは自分の意思とはうらはらに、健気にもクマの攻撃から逃れようとしている。

 スローモーションから一転、元に戻ってお見せ出来ない映像が流れるかと思ったが、何故か時間の流れが止まってしまう。そして、視界にノイズが走った次の瞬間、知らない子供がクマに襲われているシーンを、その子供の背後から俯瞰で見ている状況になってしまう。

 驚くという感情が口からとび出してどこかに飛んで行ったかのように、唖然としてその状況を微動だにせず凝視している。

 時間が止まっていると感じたが、ゆっくりと動いているようだ。

 さらに不思議な現象を目の当たりにする。そのまま身じろぎもせず意識を集中して観察していると、クマの情報が文字列として可視化され頭の中に飛び込んできたのである。


 種族は灰色熊。

 性別はメス。二頭の子熊の母親。

 体重は294キログラム。

 状態は怒り。


 やはりこのクマは怒っていたのだ。


 おかしな現象だが、夢なのだからそういうこともあるのだと妙に納得してしまう。まるで他人事のようで、他人事といえば目の前の子供は一体誰なのだろうか?

 子供が襲われている。『危ない!助けなければ!』と思わず心の中で叫んだ瞬間、目の前の子供とシンクロする。

 ゆっくりと流れる時間の中で、クマの攻撃動作を予想しながらどう動けば回避できるかのイメージが頭の中に思い描かれる。

 クマを背負っているその子供の視点からはわからない攻撃の隙が、俯瞰から客観視できることで、逃げ道が見えた。

 目の前の子供は、そのイメージ通りに、視界の外にいるクマの攻撃をしゃがんで避け、そのまま地面に這いつくばり、跳びかかって低く宙に浮いているクマの巨体をやり過ごした。

 思わず『よし!』と心の中でガッツポーズをとる。

 その瞬間、また視界にノイズが走った。


(はっ!……い、今のはいったい……)


 気が付くと地面に伏せていた。

 地面とキスをしたままほんの少し首を上げ、死んだふりのような状態で周囲を伺う。ほぼ正面5メートルくらい先にクマのおしりが見えた。後姿だけなら優しいクマさんに見え、少しほっこりする。

 確実にしとめたはずの獲物がどこかに消えてしまった!あれ?おかしいな?とクマの心情を察してアテレコしながら頭の中を整理する。

 この状況を余計な憶測をはさまずありのまま説明するなら、クマと子供とそれを見ていた自分と、計3つの存在がその場にいた――ということになる。

 ここからは憶測だが、背中しか見えなかったあの子供は間違いなく別人となった自分だろう。命の危機に直面して幽体離脱してしまい、背後から自分の身体を操作した、ということではないだろうか。いや、幽体離脱というと肉体と精神が分離して身体は動かせないはず。あれは三人称視点のゲーム状態になった――と例えるのが正解だろう。


 キツネにつままれた心境でキョロキョロするクマに気づかれないように、同じくキツネにつままれた気分のままゆっくり音を立てず、いつでも動き出せるよう低い姿勢をとる。

 自分ではない別の誰かの小さな手の平とクマとを交互に見ながらこの状況を受け入れる努力をしてみる。

 夢だと思った、いや夢だと信じたかっただけかもしれない。夢とは思えない異様なほどリアルな感触と余韻を前にして、これを夢と決めつけることに無理を感じはじめている自分がいる。しかし、だからといってこれを現実と認めることもできないジレンマ。


(だが、しかし……)


 一連の混乱の流れが途切れて静寂がおとずれる。今まで後回しにしていた記憶の整理が行われている。

 そっとこの場を離れてクマの脅威から逃れる選択肢もあった。しかし、散らばった記憶の断片の一つがそれを思いとどまらせた。


(この場をなんとかしなくては……)


 妙な使命感が沸き起こっている。

 最初はゆっくりと、そして加速度的に記憶が再構築されていく。自分自身のことは最初からわかっていた。ただ、現実の世界からここに至る経緯がすっぽりと抜け落ちており、それがようやく一本の線でつながった。

 脂汗とも冷汗とも違う変な汗が出てくる。息が詰まって呼吸のストロークが乱れていることを自覚する。息を吸う量と吐く量の収支がつりあっていない。あれだけ走ってもうんともすんともいわなかった内臓が今は苦しいと訴えている。

 細胞の一つ一つが書き換わっていくのを感じる。元の身体と不釣り合いなこの小さな身体に合わせて、全神経が辻褄を合わせていることを自覚する。


 そして、完全に記憶が整った瞬間、激しい怒りが込み上げてきた。


(くそ!これがチュートリアルか!無理ゲー過ぎるだろ!)


 これはただのチュートリアルであり、自分はこのチュートリアルをクリアして、その情報を持ち帰るという任務を請け負ってここにいることを思い出した。


 ここで言うチュートリアルとは、ゲームなどのアプリケーションの操作方法を学ぶための指導プラグラムとほぼ同義であるが、唯一違う点は適性検査も兼ねていることだ。

 つまり、おっさんの自分がこの子供の身体に適合できるかどうかをクマでテスト調整し、固有能力を学習していたということである。そしてその調整作業の最初の段階は見事に成功したといっていいだろう。

 思わず激怒してしまったのは、誰かの手のひらの上で踊らされている不愉快さからくる自然な感情表現だろう。


 半分メルヘン的な夢の世界から、突然現実に引き戻されチュートリアルなどという単語が飛び出してしまった。

 チュートリアルなどと聞くと、ゲームを真っ先に思い出すと同時に、おかれているこの状況から今流行りの異世界転生を連想してしまう。

 異世界――それは広義の意味では間違いではないが、厳密にいえば仮想現実でも異世界転生でもない、現実世界に存在する死後の世界、つまり『あの世』の出来事である。

 にわかに信じられないだろう。自分でも未だに信じられないでいる。

 本当か嘘かこのチュートリアルには、かれこれ1000人以上が挑戦したという。失敗の連続記録更新にでも挑戦しているのだろうかと、正気を疑うような試行回数だ。運ゲーと呼ばれるゲームでもそこまでの試行回数にはならないだろう。

 その1000人余が今どこで何をしているのかは知らされていない。ここが『あの世』だという説明を真に受ければ言わずがものだろう。


 完全に流れが変わってしまった。夢から覚めたと思ったらそこは夢の続きと見せかけて、実は最初からずっと現実の中だった――というオチだった。

 訓練中に実戦が始まって、それに巻き込まれてしまった新兵か民間人の心境がちょうどこんな感じなのだろうか?


 1000回繰り返してもクリア出来ないチュートリアル。それはもはやチュートリアルとは言えない最難関のコンテンツ。おそらく1000人のうち大半がチュートリアル=導入と考えて油断し、クマになすすべもなく狩りとられていったのだろう。

 だから、先入観からくる油断を排除するために、記憶をバラバラにされ、この現場に無理やり放り込まれたのだ。

 おかげで、最初は何が何だか分からず、夢だとばかり思い込んでしまっていた。もし、あのまま軽い気持ちで夢の続きを見ていたらと思うと背筋が凍る。

 そしてもう一つ、背筋が凍るというか股間のあたりが何やら涼しくなる状況を思い出す。事前の説明通りであるならば、今自分はおっさんではない別の存在になっているはずだ。では、いったい何になっているのか?


(子供だ……しかも、男ではなく女になっている……)


 身体がやけに小さく細く感じるのはそういうことだったのだ。

 少女になっている。少女のあたまに美がつけば美少女だ。鏡がないのでそれを証明できないのが残念ではあるが、美少女だという根拠のない確信だけはある。そう思っていないとやっていられない状況でもあるし、美少女になるなんておっさんが死ぬ前に見る最期の夢としては最上だろう。

 VRの世界ではそんな夢を叶えたおっさんが大勢いるらしいが、本物の美少女になったおっさんはいまだに存在しないはずだ。


 ただ、VRや創作とは違ってリアルでの性別の転換はそう簡単ではない。男性と女性の肉体と脳やホルモンの働きは全く別物で、つまりは完全に違う生き物といっても過言ではない。

 パソコンのハードとOSに例えるのがわかりやすいと思うが、A社のハードにM社のOSをインストールしても、それらを有効に繋げる専用のドライバーソフトがなければ正常な動作は難しいどころか、最悪ブートすらできない。仮にできたとしても互換性のない固有のインターフェースもあるので、著しく機能が制限された、つまり用を足さないポンコツにしかならないというわけだ。


 大枚はたいて工事をする場合でも、すべてが終わるまでにかなりの時間と手間を要するし、場合によってはその過程で精神的に病んで途中で断念したり、最悪命を落とすことだってある。その場合の死とは手術の成否の問題ではなく自死である。それほど性転換は過酷な、人生をかけた命がけの大事業であり、マンガやアニメのような入れ替わりなど現実的には不可能なのだ。


 そんな危険な性転換だが、では何故この身体は正常に動かせているのだろうか?

 異世界転生のお約束だから――ではなく、ある特殊な生まれに理由があった。


 母親が妊娠した時、最初は二卵性の双子だったが、妊娠発覚前に片方がバニシング・ツインとなってしまったのである。

 バニシング・ツインとは、双胎妊娠をしている母親の胎内で片方の胎児が成長しなくなり、消えてしまうことである。ほとんどの場合、母体に吸収されるのだが、ごく稀にもう片方の胎児に胚が宿ってしまうことがある。正にこの状態が母親の胎内で起こり、女性として生まれるはずだった双子の片割れの胚を体内に宿しながら――申し訳ないことにこのおっさんが爆誕してしまったというわけである。

 おっさんが少女の身体に無理やりおさまることができたのは、女性の情報を内包した胚が体のどこかに備わっていたおかげだろう。これがOSとハードを正常につなげるドライバーソフトの役目を果たしたのだ。

 この話を聞いたときはにわかに信じられないという思いと同時に、双子の妹か姉がいたという別の未来が可能性として存在したことに打ちのめされてしまった。人一人の命が誕生できなかったのだ。なんて惜しいことしたんだろう。もう一度母親のお腹に戻って胎児からやりなおし、姉妹に土下座して謝りたい。


 それはともかくとして、チュートリアルに臨むのに、なぜこんな面倒なことをしなくてはならないのだろうか?もとの性別、もとの身体のままで良いのでは?というもっともな疑問がでてくる。

 しかし、記憶のすべてが戻った後では、そんな疑問を持つこと自体が無意味だということを知っている。このチュートリアルに挑戦した1000人はすべて女性だった。この一文でどういうことかだいたい理解してもらえるだろう。そう、これは女性専用キャラのチュートリアルをクリアするために男性を利用するチート行為だったのだ。


 これは手段を選ぶ必要のない者たちが行っている、とあるゲームに巻き込まれた、しがないおっさんの物語である。

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