第45話 「監視対象」
第四十五話 「監視対象」
私は今、死者の世界にいる。
死者の世界ということは、つまり、私は死んだのだ――と、一般的にはそいうことになる。
死とは何だろう?
真っ当な頭脳を持つ人間なら誰しも考えることだろう。
しかし、私は生まれつき真っ当な人間ではなかった。
人が当たり前に思考する物事の一切合切を意味の無いものとして扱い、周囲から狂人、変人、奇人、そしてロボットなどと揶揄されたものである。
死が命の終焉ではないことは、死んだ後なら誰もが理解できる真理だが、私は生前からそれを漠然と理解していた。
目に見えない繋がりが、脳を介さずに生まれつき理解できていた。
現に私は、死後もこうして意識が存在し、個は未だに失われていない。
死とは単に肉体、つまり物理限界との決別であって、個人は死後、量子の世界へと還っていく。目に見えないだけで、存在はそこにあるのだ。
このことを生きているうちに理解することができていれば、必要以上に死を恐れることもなかっただろうし、長生きが必ずしも素晴らしいことではないことがわかるだろう。人生観、死生観も大きく変化して、生きるのがもっと楽になったことだろう。
改めて死について考える必要は私にはない。全て理解している。
死とは物理法則からの解放だ。生命が長く存在していくために、個体を長時間維持するのではなく、子孫を残して種を持続させる手段として生まれたのが生と死なのだ。
古いものが棄てられ、新しいものが誕生する。それの繰り返し。ただそれだけのことで、実にシンプルだ。
肉体に縛られた意識は、量子法則の下に還る。
量子に還るということは、物理法則からの脱却を意味する。
私はそのことを、理論的かつ合理的に理解しているわけではない。ただ体感しているだけだ。
生きるということはどういうことか説明せよ――と、問われた時、答えは分かっているのに、それをどう説明すれば良いのか分からないのと同じで、他者に理解させる言葉を紡ぐ作業は中々に難儀なものだ。
そんな私からただ一つ言えることは、『一度死んで確かめればいい』という言葉だけである。
無責任かもしれないが、やってみれば嫌でも理解できる。
死んでみれば、人間の思考が如何に無駄だらけか理解できるが、それを生きているうちに知ることは不可能に近い。
唯一、生者と死者が交われる場所が存在する。
それは、日本では三途の川などと呼ばれる、あの世とこの世の境界線のことである。
三途の川は、民間信仰として定着しているイメージで、それに近い概念は世界各地に存在している。
天国や地獄、ましてや三途の川など存在しない! との主張も理解できる。
見たことがないのだから信じられないのも無理がない。ただ、人間の脳というのは、実際にその目で見たとしても先入観が邪魔をして、ありのままの真実を真実として受け入れられない。私はそれを人間の脳の欠陥と呼ぶ。
幸い私の脳は最初から欠陥品なので、正常な判断力を奪う先入観がない。本来これが生物の脳としては正常なのだろう。しかし、人間の脳は奇形的に肥大化し過ぎているので、正しい判断を阻む先入観を拭い去ることができないでいる。
私は、神も悪魔も幽霊も妖怪も死神も全て存在するものとして認識している。
存在しない確かな情報が存在しない限り、全て存在するものとして思考するのだ。
そのおかげで私は子供の頃から変人として扱われた。
この変人という定義が、単に精神疾患の一種としての変人であるなら、私はただの精神病患者になるだけである。そうなれば、異常行動を引き起こし、他人や社会に対し、大いに迷惑な存在となっていたことだろう。
しかし、私は他人と脳の構造が違うだけで、精神的な障害が何ひとつ存在していない。人とは違う考え方を持っているだけで、排他的でも攻撃的でもない。むしろ人との繋がりを持とうとして必死に人の感情を学んできた過去がある。
正常とされる人間が下す判断が、私にはとても正常とは思えず、何故、そうなるのかを必死に探し求めていた。
私は他者との結びつきを重視した。
特に家族との関係は大事にしてきたつもりだ。
そう見えないのは、相手にとって都合の良いお世辞や麗句を一切口にしてこなかったからだろう。クスリとも笑わない子供を見て、その子が内心では家族や社会を大切に思い願っているなど誰も信じないはずだ。残念ながら人間とはそういう生き物なのである。
人間とは、五感で得られる情報でしか他者を判断できないし、その判断も決して正しいとは言えない。
一歩引いて冷静に省みれば、間違いだらけだと認識できるはずなのに、社会という情報共有体に深く入り込むと、途端に正しい判断が出来なくなる。端から見れば滑稽極まりなく、そんな不思議な光景を子供の頃からずっと眺めてきた。
物心つく頃には、自身をAIに例えて行動を制御し、耳心地の良い言葉を口にする演技を覚えて実践し、偽りの社会人を演じ続けていた。
ゲームクリエイターという仕事柄メディアの露出が増えたので、見かけの上ではそれらしい人を演じてきたが、実際の私は無感情のままだったのである。
私は今、生と死の狭間にいて、そこに物理世界で構築したシステムをエンタングルメントさせた。
このシステムをアサイラムと呼び、今は逃亡の身となって世界を俯瞰しているだけの存在に成り下がっている。
自己紹介が遅れたが、私の名前は河上 和正。
時々、思い出したかのように独り語りを始めてしまう癖があるが、これは対人スキルを磨く訓練の一環で、一生懸命勉学に励んでいる生徒だと思って笑って許してほしい。そうでもしないと、対話の仕方を忘れてしまいそうなのだ。
私はかつて、天才プログラマーなどとメディアに祭り上げられた時期があったので、この名前や顔をどこかで見知った者は少なからずいるだろう。
ゲームクリエイターという肩書だったので、その方面では有名人だったかもしれない。
しかし、ちやほやされたのも束の間、散々持ち上げてくれたメディアに裏切られ、他言するのをはばかれるような私生活を暴かれて人間の屑と叩かれまくった。
世界を敵に回したような形で、最期は家族共々地獄の業火に焼かれてこの世を去るはめになった。笑えない笑い話のように見えるが、これが本当の話なのでなおさら笑えない。
現実世界で生きていた頃は、古典コンピューター技術でプログラムをしていたが、この世界に来て、物理的限界を超えたことで、従来の古典的プログラム言語を用いることなく世界の創造が可能となった。
異常者と呼ばれた私の発想は、現実世界では到底受け入れられない狂気の領域だが、死んだことで私の妄想が正しかったことを自ら証明した。
この狂人と呼ばれた思考についてはまたの機会に話すとして、コンピューターやサーバーといった古典的技術を一切使用せずに構築したアサイラムという作品を見てもらえれば、私が如何に正しいかを理解してもらえるはずである。
今ここに存在するアサイラムは、古典コンピューター技術の限界から解き放たれた無限の拡張性を有している。
理論上は無限に世界を拡張し続けることができる。
しかし、世界を広くするということは、単に空間を増やすだけではなく、空間を埋める人的物的リソースも同時に拡充していくことを意味する。そうしなければ、虚無空間だけが広がる世界が出来るだけで、世界を作ることと矛盾してしまう。
ちなみにこの虚無空間を宇宙と呼ぶ。
古典技術においては、空っぽの世界を実在しているように錯覚させるまでが限界だった。ここアサイラムではリアルと同等の質量を持たせている。いや、同等ではなく、リアルを作り出せてしまうのだ。
それは、物だけではなく人も同じである。アサイラムに住まう住人のほとんどがエンタングルメントされた人工的なものではなく正真正銘の生命体なのだ。
この生命体の元となるのが、冥界の住人、つまり私と同じ現世で亡くなった命なのである。
エンタングルメントされた命は、亡くなっても無くなることはない。
子孫を残し無限に拡張し、互いにもつれあって関係性を積み上げていく。
最近、それらの概念である『絡合』が次世代の研究対象になっている。もはや、数学や物理では測ることの出来ない領域に学問が進んでいるのだ。
人間は宗教を文系と理系に分離するという愚かな選択をしてしまった。
何故、宗教が発生して、人は何故それを必要としたのかという、根本的な問題を無視して、事実と異なるからと境界線を引いてしまった。
数学なら数学、言語なら言語と専門化したことで、関係性によって生じるエンタングルメントを全く理解できなくなっている。私から言わせれば、人間は自ら望んで馬鹿になったとしか思えないのだ。
絡合によって繋がった一つの概念を、何故分野ごとに仕分けするのだろうか?
全く筋が通っていない。
話を戻そう。
アサイラムは無限の拡張性はあるものの、入れ物の大きさに比べてまだまだ空きスペースが多い。多いというより、ほとんどが空白だ。
ポリゴンで作られた世界など所詮は張りぼてに過ぎず、リアル世界を生きてきた人々にとって、説得力のあるリアルな空間を提供するには、もっと多くの因子を取り込む必要がある。必要なのは0と1ではなく、エンタングルメントされた生きた情報なのだ。
私がアサイラムの入口を開け放ち、誰でも自由にこの世界に入れる環境を維持し続けてきたのはこのためである。
蛇口をひねって、とうとうと容器に水を流し込むのと同じように、アサイラムの空きスペースをエンタングルメントで埋めていかなければならない。
このアサイラムは私が発案した計画ではなく、元々は死神たちによって考案された地獄拡張計画事業だった。
死神たちは、エンタングルメントを無意識に理解しており、呼吸するのと同じようにあの世とこの世を行き来する。ことなる2つの時間軸ですら往復できてしまうのだ。
彼らは自らに司る概念に縛られるという制約を受けることで、能力を向上させている。
一方、私は、やろうと思えば制約もなく何でもできる反面、自身の能力自体は低く、力に順位を設けるなら最下層に位置する。
だからこそ、死神との直接対決は絶対に避けなければならないのだ。
死神だけでは手に余る事業だったために、私はスカウト、つまり殺されて協力者として巻き込まれてしまった。
私は、死んだことで物理法則から完全に離脱し、死神という存在を認識した。そして、我々人間が活動する物理法則の下に、死神など人の意識とエンタングルメントされた量子法則の世界があることを知った。
日本を取り巻く、物理と量子、この世とあの世の関係性は、絡合で説明できるが、この概念は人間の脳では理解しずらいだろう。
イメージとしては、約37兆個の細胞によって構成された人間を思い浮かべるのがいいだろう。
細胞1個1個が生きている命であり、人間は37兆個の命の集合体である。
1人につき命は1つだと勘違いしている輩が多いが、実は無数の生命体が設計図通りに組み合わされて出来た生命集合体が人間(動物)なのである。そして、その設計図が生まれる仕組みを説明する際の学問が『絡合』であり、エンタングルメントとは、設計図どおりに部品の一つ一つが結びついていく状態を言うのだ。。
日本という文化を一つの生命と例え、人間を細胞の一つ一つと捉えるなら、死神は免疫細胞のようなものである。
免疫細胞は、異常な細胞や細菌を排除する役割を持つ重要な細胞だが、過剰な反応を示せば宿主を損なう場合がある。これと同じで、彼ら死神の過剰な行動は日本全体を殺してしまう可能性もゼロではない。
他の死神はともかく、頼蔵の考え方は、身体の健康よりも自分たち免疫細胞にとって快適な環境を作る――という、ある意味過剰・異常反応ではないか? 私が頼蔵に反旗を翻したのは、それが理由である。
死神の地獄拡張計画を知った当初は、その意義に納得し協力する気になったものだが、頼蔵のやりかたには強い不満があったので、計画そのものを乗っ取ってしまうことにした。
私は所詮細胞の一種だ。だが、私の行動は、普通の細胞から逸脱したガン細胞のそれだった。
当然ながら免疫細胞から攻撃される運命にある。だから、私は、がん細胞だとバレる直前に頼蔵を騙して逃亡したのだ。
潜伏中は身動きができないので、私がいなくても自動的にアサイラムが拡充出来るようゲートをオープンにしておいた。
アサイラムとは通常の古典的コンピューターのように、いちいち指示する必要もメンテナンスする必要もない。ゲートをオープンにさえしておけば、リソースは無限に投入され勝手にエンタングルメントされていく。
異物混入を防ぐフィルターは死神の仕事であり、また、そうした異物が混入しても悪さをさせないように、予め強制ロールプレイというワクチンを設けておいた。
強制ロールプレイを強いられるアサイラムでは、強力な影響力を持つ異国の神や悪魔ですらも等しく一人の住人になってスタートする。
そうした仕組みを設定することによって、私は安全な場所から高みの見物を決め込むことが出来るわけだ。
見ているだけの簡単な作業だが、退屈でもあり、だからこそ私は独り語りをしながら余暇を満喫しつつ、自我を保っていたわけである。
この惰眠をむさぼるような状況を、これまでの10年と更にこれからの10年、最低でも合計20年以上続ければ、アサイラム内に十分な量のエンタングルメントが確保できるはずである。
10数年後、まだ空っぽだったアサイラムが、やがて物理世界と同等の質量を持つことになる。
その世界は、死者と生者の交わる異世界として、人類にとって当たり前に存在するインフラとなるだろう。
古典技術は不要になり、生産や消費といった概念すらも無くなり、あらゆる主義主張も無意味なものになるのだ。
しかし、そんな都合の良い世界は、存在したとしても古い対立構造で成り立っている国家群はそれを受け入れることはできないだろう。
人間の脳は自己利益を第一に考えて思考する。自分以外の誰かが得をするのではないかと直感すれば、無条件で拒否反応を示す。
だから私は考えた。かつてゲームクリエーターとして名を馳せた私らしいやりかたで、この世界に新しい技術革新を起こす――と。
それは、体感型ゲーム『アサイラム2』として、このアサイラムをリリースし、エンタングルメント・インフラストラクチャーを体験させることである。
人間は急激な変化を望まないし、仮に急変が起こればそこで多くの血が流れる。これは歴史が証明している。
だから、私はゲームというエンターテイメントという形で世間に広めるステルスマーケティングを展開しようと考えている。
このマーケティングは金儲けのためではない。せっかく新しい領域を開拓できる段階に技術が進んでも、それを受け取る側の準備ができていないのであれば意味がない。体験に勝る学びは存在しないのだ。
恐らく10年後には古典コンピューターはこの世から消えて無くなるだろう。そして新しい時代をリードしていくのがアサイラムなのだ。
そんなアサイラム計画は順調に推移している――はずだった。
異変は突然訪れた。
何の前触れもなく、開け放たれていたアサイラムのゲートが閉じてしまったのである。
何故ゲートが閉まってしまったかなど考えるまでもなかった。死神頼蔵がメインキーを取得してしまったのだ。
『メインキーを入手すればアサイラムを掌握できる』
私は頼蔵を騙す目的で、メインキーになるアバターをアサイラムの中に設定した。これがあればもう私は必要ない。だから眷属から解放して楽にしてくれと迫った。
最先端技術(と思わせた)の粋を集めたアサイラムに魅了された頼蔵は、私のフェイク情報を真に受けてくれた。
解放された私は、あの世ではなくアサイラムに逃げ込み、難解なメインキー取得クエストだけが頼蔵に残された。
メインキーの選定条件とチュートリアルの難易度をあり得ないほど高くしたことで、20年、いやそれ以上の時間を余裕で稼ぐことが出来ると高を括っていた。
しかし、完全に想定外だった。このギミックがたった10年で突破されてしまったのである。
頼蔵の無謀な挑戦によって夥しい数の屍が生産されたに違いないが、逃げるだけで私にはもうどうすることもできなかった。
それからの日々は、迫り来る刺客の影に怯えることしかできなかったのだ。
アサイラムのゲートが閉鎖されたということは、メインキーとなる人物がアサイラム内に存在しているということになる。
何者かが正規手段でメインキーに選ばれたのであれば、西カロン地方から隔離されたエグザール地方に出現するはずである。
何らかの理由で、偶然メインキーに選ばれてしまい、異世界転移というかたちでアサイラムに迷い込んだとするなら他のエリアに現れるので捜索は困難だろう。
頼蔵に委譲すると偽って用意していた管理者権限を利用し、太陽をスパイカメラとして運用して上空からメインキーの捜索を開始した。
予め出現場所を設定していたので、メインキーとなる人物はすぐに見つけることができた。しかも、見事にチュートリアルをクリアしてみせた。
チュートリアルクリアがトリガーになって、凍結していたエグザール地方が始動する。ちなみに、このエリアはメインキーがアサイラムから離脱すれば設定がリセットされ元の待機状態に戻る。
さて、ここで予想外の面白いことが起こった。
ロールプレイの強制トリガーである鬼籍本人手帳を破壊してしまったのである。
これにより、強制ロールプレイから完全に自由になり、現世の自我を保持したままメインキーとしての活動が可能となった。
しかも、メインキーの能力をその場で発見して、更に自力で開発していった。
チュートリアルをクリアするだけなら80点といったところだが、何のアドバイスもなく強制ロールプレイの縛りを自力で排除し、能力まで修得してしまった。これは予想外で賞賛に値する。満点、いや120点満点の評価だ。
まさか、自力で正解に辿り着ける女性がいたとは……しかも、年端もいかない少女が――である。
……
…………
………………?
自分のセリフに何故か違和感を覚えた。
何かおかしなことを言っただろうか?
……
…………
………………少女?
何気なく口にしてしまった少女というキーワード。
私はチュートリアルのパーフェクトクリアを見て少し興奮してしまい、冷静さを欠いていたのかもしれない。
そのせいか彼女の異常さに気付かなかったようだ。
たった今、目の前で誕生したメインキーは、見る者に強烈な印象を与える鮮やかなピンク色の髪の小さな少女の姿をしていた。
現実に生きる日本人の姿とは程遠く、所謂コスプレというものかと納得しかけた。
私はその強烈な印象として目に焼き付いたピンクの髪に気をとられて、もっと重大な違和感から目を逸らされていたらしい。
彼女はどこから見ても『少女』なのだ。
少女の何がおかしいというのか? メインキーの条件の一つである『女性限定』に該当するのだから何もおかしくはないはずだ?
しかし、問題はそこではなく、もう一つの条件のほうである。
『アサイラムプレーヤー』
思い出してほしい。アサイラムは10年前のゲームである。
彼女が見た目通り12歳前後だとすれば、現役プレーヤー時代は2歳前後ということになる。
アサイラムというゲームは、リアルの個人能力をゲームに反映させるというこれまでにない試みをもってプレーヤーを選別し、選出してきた過去がある。
ゲーム内容的に高度で強固なコミュニティーを必要としていたので、社会人として未熟な年少者に対し敢えて高いハードルを設けてふるいにかけていた。
明確な年齢制限を提示していなかったが、選別によって最低ラインは概ね15歳前後となっていたはずだ。当時最年少クラスでアサイラムをプレーしていたとしても、この場に現れるのはそれから10年経った25歳前後の女性でなければ計算が合わない。
ここまで説明をすれば理解してもらえると思うが、ようするに、ここに少女がいてはおかしいのだ。
その鮮やかなピンクの髪の少女は、ずば抜けた身体能力で母グマの攻撃を全て回避し、地形を利用して非力をカバーして見事勝利してみせた。
勝っただけではなく生かしたままクマの親子とエンタングルメントを成功させもした。
動物と心を通わせる能力なんてあるのだろうか?
こちらの知らない何かが彼女には隠されているのか?
頼蔵の秘密兵器ということだろうか?
それとも……
私は注意深く少女を観察した。
そこで、ふと、その鮮やかな髪の色に既視感を覚え、記憶のデータベースにアクセスした。
あのアバター……どこかで見た記憶がある。
何故ここに人間ではなくアバターが現れるのかという謎は一先ず置いておき、記憶に合致したアバターの登録情報を調べるため、現実世界に残してきたアサイラムの物理サーバーの検索を試みる。
記憶が確かなら、あのヘアカラーは特別褒賞として授与したアバターのそれと同じ、アサイラムに二つとない特別なアバターで間違いないはずだ。
◇アバター名:ミリセント
そう、ミリセントだ。未だにその名を覚えている。
◇クラス名 :ビーストテイマー
なるほど、クマと和解したのはこれが理由か……
◆登録者氏名:中田 中(あたる)
◆登録者性別:男性
◆登録者年齢:4+歳
◆登録者職業:デザイナー
これまでアバター名でしか認識していなかったが、リアルはこんなおかしな名前だったのか……男性、40代後半……ということは当時は30代後半だろうか? そして、仕事はデザイナー……そういえば、このゲームにはクリエイター系の業種が意外と多かったな……
……
…………
………………男性?
ちょっと待て! 男性? 男性……だと?
アサイラムではリアルとアバターを極限まで似せるというコンセプトがあった。当然、リアルの性別と同一にするルールがあった。
しかし、男性プレーヤーの割合が高く、男女比があまりにも違い過ぎる結果となったため、体格や性別による有利不利が働かない職業に就いていた一部の男性プレーヤーに対し、希望者抽選で女性アバターになってもらっていた。
そうした事情があったので、アバターと中身の性別に相違があったとしても、ゲームのアサイラムでは決してありえないことではない。
しかし、それはあくまでゲーム内での話で、このアサイラムでリアル男性がメインキーに選ばれることなど絶対にあり得ないことである。
バグや事故の可能性を除けば、性同一性障害等の特殊な疾患の可能性も考えられる。しかし、このゲームに登録する際にそうした健康上の問題等も含めてチェックされている。
医師の診断書などで、疾患を証明できれば、アバターの性転換を許可していたので、もし彼がそれに該当しているなら登録情報に、チェックがあるはずだ。
ミリセントの中の人である中田 中(あたる)という人物は、やや体重オーバー気味だが身体的に重大な障害や疾患がない概ね健康な男性として登録されている。当然、同性愛者の確認項目にもチェックはない。
ミリセントは知名度がほとんどない凡庸なアバターだった。
しかし、アサイラム運営陣にとっては非常に重要な役割を果たしてくれた、言わばアサイラムにとっての恩人とされる特別なアバターだった。
何故、そうしたポジションに成り得たのか? 当時を振り返りながら少しだけ補足説明しよう。
アサイラムは数年掛けたベータテスト後、正式にサービスが開始された直後から世紀のクソゲーと評される最悪のスタートを切った。
ゲームの基幹である管理AIは完璧に機能していたにもかかわらず、明らかにプレーヤー側がアサイラムの遊び方を間違えていたのが低評価の原因だった。
商売上プレーヤーが悪いと流石に本音を言うことはできず、苦虫をかみ潰す日々を送ったスタッフも少なくはなかっただろう。
多くのプレーヤーの期待を裏切り、大量に出た離脱者がクレーマーにジョブチェンジし、SNSで悪評を拡散してくれた。
しかし、その一方では、一部のプレーヤーがアサイラムのポテンシャルに気付いて試行錯誤を積み重ねていた。
その中の1人がミリセントであり、彼は自身のSNSでアサイラムの考え方、AIの扱い方についての考察をまとめて公開していたのである。
ソロ専門の職業、ビーストテイマーであるミリセントは、SNSでもコミュニティに属さない一匹狼で、当然のように知名度が低かったが、その提言内容を発見した一部のプレーヤーは、それに沿った行動をしてみようと仲間に呼びかけた。
ここからアサイラムの潮目が変わった。
アサイラムは、自身のアバターにバックグランドやフレンドとの関係性を設定すると、AIがその内容に基づいたアバター専用の物語を自動構築してキャンペーンクエストとして発行するシステムを搭載していた。
しかし、多くのプレーヤーは自分だけに都合が良く、物理的にあり得ないようなバックグランドを設定してしまい、土地や国や文化、政治制度から習慣など、始めから設定されていたアサイラムそのものを徹底的に無視したのである。
その結果、アサイラムの世界から孤立したアバターが大量生産されてしまったのだ。
AIはそれらのアバターを完全に意味のなさない存在として無視したのは言うまでもなく、多くのプレーヤーは進行不能のバグに陥ったと勘違いして運営を叩いて炎上させていた。。
このAIの判定は仕様であり決してバグではなかった。
先に述べたように、アサイラムを理解していない輩が勝手に自爆していただけなのだ。
そんな初期の酷評の嵐の中、ミリセントは予め設定されていたアサイラムの文化的背景に沿った歴史をアバターにも付与して、AIの反応を見ながら何度も設定を変えたアバターを一から作り直すという地道で根気のいる作業に没頭していた。
そして、その作業過程とAIの反応を論文のようにSNSに公開し、キャラメイキングの具体的な例をいくつか挙げて説明していたのである。
制作者である私は、アバターにどのような設定を付与すればシステムが正常に作動するか、当然その答えを全て知っている。
しかし、敢えて沈黙し、プレーヤーがどう対処してゲームを進めていくのか興味があったので、バッシングを無視して沈黙のまま成り行きを見守っていた。
もし、アサイラム攻略の糸口を自力で見つけることができれば、評価は必ず反転するという確信もあった。
そして、その一番槍を打ち込んだのがミリセントだったのだ。
独自設定を組む際には必ずアサイラムの設定と関連付け、新たな設定を作る場合は、説得力を持つバックグランドを複数設定する。
出来れば大勢の人を巻き込んで、組織的に設定づくりをすれば、プレーヤーだけの国を作れる。
プレーヤーやノンプレーヤーに関わらず、個人を確立するためには周囲の認識と評価が重要になる。
行動に一貫性も必要で、その時々の報酬や評価の為に都合のよい答えを出すのはNGだ。
自分を認めて欲しいのであれば、他者を認め関連性を構築する作業を惜しまないことが肝要だ。
これがミリセントの出した答えの要約である。
また、設定文章の構築の仕方にも言及した。
AIの学習力を高めるために、固有名詞をマーカーで強調し、極力オープンチャットで会話する。
会話を聞いたNPC(AI)が学習して、それら固有名詞はシステムにフィードバックさせる。
一般化した言葉や固有名詞は関数として登録される。
設定文章を組む際は、単純にテキストとして入力するのではなく、関数化された単語や文字列を使って文章を構成する。
SNSの片隅に埋もれたミリセントの論文を発見したとあるプレーヤーの1人は、物は試しにやってみようと有志を募ってギルドを作り、100名規模の人海戦術で、ギルド王国を形成を試みた結果、それが見事大成功をおさめた。
これがきっかけでアサイラムは再び息を吹き返し、去っていったプレーヤーも戻り始め、さらに新規のプレーヤーも殺到し、登録審査に半年以上待たなければならなくなるほどだった。
プレーできない人たちは、プレー実況動画配信を盛んに閲覧するようになり、遊ぶアサイラムから観るアサイラムとして人気が拡大した。
設定文章自体はゲームの外からでも考えることができるので、『オレの考えた最強設定でアサイラムをプレーしてみて』系の投稿が相次ぎ、『アサイラム』という名前が一つのコンテンツとして確立するようになる。
大人数を巻き込んだキャンペーンクエストがAIによって発行されると、その劇的な展開にプレーヤーもリスナーも熱狂する。そして、それを目撃した視聴者がその物語を文章や絵にするなど、二次創作が盛んにおこなわれた。
優秀な作品を書籍化するなどアサイラムが文字通りサブカルチャーの一翼となっていった。
アサイラム復活劇にゲーム業界を始め、その界隈は湧きに湧いたが、そこにミリセントを称える声はなかった。
我々、アサイラムの制作サイドとしては、ミリセントの功績を称えないわけにはいかず、彼の提言を基に物語風にアレンジした公式の冒険者手引書の販売を運営に打診した。
しかし、ミリセントの提言を基に成功者となったギルドの人気が爆発的に上昇していた背景もあり、有名になった彼らの隆盛をベースにした物語を作る方が儲けが出ると判断した販売サイドが、開発サイドの意向を途中で変更してしまう。
結局、当初の計画はお蔵入りとなった。
しかし、既に現行は出来上がっていたので、開発スタッフが自費で300部だけ刷ることにしたのだ。それらは同人誌としてイベント配布グッズとして利用された。
その後、この本がどうなったかは分からない。増刷の指示がなかったことを考えれば、結果は言うまでもないだろう。
開発側としては、そんな影の立役者ミリセントを功績大として、褒賞アバターの贈呈でその恩に報いようとした。
特別なアバターで、せめてゲーム内で有名になってもらおうと思ったが、結局ミリセントはソロ専のビーストテイマーを貫いて、サービス終了まで単独行動をとっていた。そのため、特別なアバターを知る者はほとんどいなかった。
その思い入れのある懐かしいアバターが眼下に1人佇んでいる。
これを運命的な再会というのだろうか? いや、これは偶然でもましてや奇跡でもない。私とミリセントというアバターの間には既にエンタングルメントが確立していたことによる必然なのだ。そう考える以外にこの状況を説明できる理由はなかった。
しかし、いくらエンタングルメントが確立しているからといって、性別条件を覆すことはできないはずだ。
彼がここに出現するために、私の知らない様々な条件をクリアしてきたはずだ。
何故、男性である彼が、女性専用の指定席に座ることが出来たのか?
さて……今後私はどうすべきだろうか?
異物として排除するか?
会って対話を試みるか?
或いはこのまま監視を続けるか?
いや、結論を出すのはまだ早い。
私としては、まだアサイラムにメインキーは必要ないと考えている。
つまり、メインキーが誰かなど関係なく、ミリセントにはここでご退場願うというのが、現時点で最も合理的な判断だろう。
しかし、彼は、アルティメット級のチュートリアルを見事にクリアし、鬼籍の罠をかいくぐって強制ロールプレイを回避した実績がある。
私のサポートもなくチュートリアルをクリアするとは、メインキーとして申し分のない。本来なら、私自身が天の声を演じてサポートする予定だったのだが、彼には全く必要なかった。これは実に素晴らしいことである。
当初の計画通り彼をアサイラムから追い出したとして、彼と同等かそれ以上の人材がこれから先、現れるかどうか不明である。
幾人か心当たりをピックアップしているが、到底ミリセントには及ばないだろう。彼には私自慢のAIの癖を見抜いた解析能力が備わっている。また、何の助言もなく自力で能力を発見開拓したセンスは、過去に様々な作品に触れて空想を膨らませて得た結果だろう。
学問のために学習をしているような頭でっかちには、このチュートリアルをクリアすることはできない。更に言えば、他の作品にも精通し、空想や妄想をベースに応用を効かせる能力も必要だ。
これまで、たくさんの質の良い作品を体験してきたのだろう。
この素質があればアサイラムの拡張を迅速に行うことが出来る。
私が彼のアサイラム入りを認知できていなかったということは、死神によって派遣されてきた可能性が高い。これの意味することは、ミリセントが死神側の者で、つまり私を捕らえるために派遣されてきた刺客という可能性が高いということだ。
会って話せばすぐに解決する問題なのだが、まずは敵かそうでないかを確かめなければならないだろう。
しかし、ミリセントが刺客であれば私は殺されるのは間違いない。厳密には死ではないが、頼蔵に捕まるということはそれと同義である。これだけは避けなければならない。
ミリセントという得難い人材を失うのも忍びない。ここは是非、確保しておきたいところであるが、さてどうしたものか……
結論は今ここで出す必要はないだろう。
彼がもし敵側にいるなら、いずれ死神と接触するために何らかの行動を起こすはずである。
それを確かめるために、しばらくは監視に努めることにしよう。
さて、こうしている間にもミリセントはエグザール地方に残された人々と交流を深め、様々な経験を積み、戸惑いながらも少しずつ成長しているように見える。
今のところ死神に課せられた任務を遂行するための準備行動をしている様子は見てとれない。
そして旅を始めた。
ついに死神と合流しようと思い立ったのか? しかし、向かった先は西カロン地方ではなく、未踏エリアとして待機中の西側へ移動を始めてしまった。
太陽や月の姿を借りて密かに追跡をしているが、ミリセントの思考までは可視化できないので何をしようとしているのかはっきりと見えてこない。
その意味不明な行動から、ミリセントは死神とは無関係か、或いは関係があるとしても無視しているように見える。
或いは、異世界転生か何かと勘違いして無邪気に楽しんでいるだけかもしれない。
現状の設定限界地点に境界線換わりに配置した崖を降りたミリセントは、驚くべきことに宇宙人の存在を設定し、アサイラムの認証を得てしまった。これで宇宙人や宇宙という存在がアサイラムに正式に設定されたことになる。
これは予想外だ。
現状の設定エリアの外側に新しいエリアが誕生した。これはミリセントの中の人、中田 中(あたる)の思考に一定の説得力があるとアサイラムが判断したのだ。
これをたった一人で行ったというのか?
外部から新しい因子を取り込んで、アサイラムに肉付けするという当初の予定でも10年かかった現状を、たった1日で成し遂げてしまった。
もうミリセント1人に任せておけば良いのではないか?
いや、それは早計というものだろう。1人の発想ではどうしても偏りが出るだろうし、何より発想の限界が来た時点で世界の大きさが確定してしまう。
無限の拡張性を謳うアサイラムがこじんまりとした世界になったのでは、ここまで苦労して作った意味がない。
何れにしても、高度な宇宙文明の概念付与によって宇宙が設定された。これにより、太陽や惑星、星の正常な運行が始まるだろう。
太陽を自由に動かしてスパイ衛星として使うことはもうじき不可能になるが、これは不便だが許容しなければならないだろう。
メインキーへのギフトアイテムが六分儀になったというのは、宇宙に造詣が深く天測の知識があったからか? 或いはそうした物語に多く触れて影響を受けたおかげだろう。
一先ず、宇宙と外洋が開拓エリアに認定されたのはアサイラムにとっては大きな進歩になるだろう。
何も示唆していないのに、誰に頼まれているわけでもないのに、アサイラム時代と同じように、たった一人で妄想と空想を味方につけて、世界を探求しはじめている。
やはり彼は得難い人材だ。一旦外に出すとしても戻ってこれるようなギミックを仕込んでおいたほうがいいだろう。
兎に角、彼が死神に与する存在ではないことが証明されなければ、これ以上先には進めない。今は彼の旅がどう終結するのか観察するしかないのだ。
さて、宇宙人やミュータントという新たな仲間を得て、無人となった駅に戻ったミリセントは、更なる成長を経て、今度は上下水道工事という大規模な土木工事を始めてしまった。
溢れる地下水を利用して枯れた土地を潤し、余剰分を乾いた西側の大地に送り出すという巨大なインフラ整備を瞬時に完成させてしまった。想像以上に能力を使いこなしている。
そして、ついに西カロン地方へと向かう準備ができたようだ。
ここでの行動で、彼が敵か味方か判断できるだろう。
冒険者になることが旅の目的らしいので、クリプトに向かうのは間違いないだろう。
私のアバターがクリプトに保管されているので、ミリセントに会うチャンスが訪れるかもしれない。
一方、気になる死神たちはといえば、回りくどい方法で情報ネットワークの構築に成功したようだ。これで効率よくアサイラムの攻略が可能になるだろう。しかし、如何せんアサイラムが閉じたこの現状では、人材確保の面で問題が生じるだろう。
エージェントに発行される命令書のやりとりを見る限り、死神たちはメインキーの所在を未だに把握している様子はない。恐らく何の手がかりもない手詰まりの状態だろう。こちらとしては好都合である。
死神陣営は、ガスビン廃鉱山都市ではなく、新天地を求めて東カロン攻略に比重を置いている様子で、メインキーの捜索は後回しということだろうか。或いは、東カロン地方にメインキーがいるという前提の行動か……
何れにしても、死神たちもアサイラムを楽しんでいるようで何よりだ。
ミリセントがナントの街を経由してクリプトへ向かった……
ナントの街では重要な出会いがあったようだ。
ミリセントと接触した幾人かにフラグメントが発生した。
メインキーと関わると、各アバターらに予め用意されたストーリーラインにフラグメントが発生し、その隙間から割り込むように別のエピソードの枝葉が伸びて、ストーリーに分岐が発生する可能性がある。
あくまで可能性であり、カルマの相性で派生の仕方も大きく変化するだろう。
この辺りのことは私にも予想はできない。
このように、メインキーにはアサイラムを動かす役目が備わっている。
メインキーは、ある程度周囲のアバターたちが成長し、キャストが出揃った段階での登場が望ましかった。
現状のアサイラム内のアバターたちは、まだまだ成長段階にあるし、何より量的にも質的にも充分ではないのだ。
ミリセントの登場は、現状ではやはり速過ぎだったかもしれない。
クリプトに到着したミリセントは、さっそくガードと接触した。
ガードは冒険者という暴力集団に対する抑制装置なので、一般人に対しては基本無害である。
カルマ傾向的にはガードはミリセントの天敵だが、冒険者でなければ永久的な敵対関係にはならないだろう。上手く立ち回れば味方につけることも充分可能だ。
ナントの街のガードリーダーと、豊穣門のガードリーダーが従兄弟同士だったことが幸いし、発行されていた身元を証明する書類がスムーズに伝達された。
こうしたミリセントの一連の行動から見ても分かる通り、彼は過去にアサイラム以外にもガードが上位存在として障害になるゲームをいくつも経験しているのは明らかである。
更に言えば、彼は自身のおかれた状況を正確に理解していることも大きい。
敢えて能力を封印していることや、隠れてクリプトに接近したこと、クリプトでは真っ先に身の安全を図るためにガードを味方につけたり、安全地帯を探すなど自身が悪者、或いはひどい差別を受ける側であることをしっかりと認識している。
自身を異世界転生者などと勘違いしている輩であれば、牢で一生を過ごすことになるかもしれない。
用心深いが臆病ではない。孤独を好むが、人と交わることが嫌いなわけでもない。一連の行動を見るとそのような印象を受ける。
クリプトの全ガードに面通しをし、セーフティーエリアを確保したミリセントは、その後、冒険者ギルドに向かう。しかし、その途中、底辺冒険者等に追いかけまわされた。
弱そうな少女が1人、犯罪フラグに似たカルマオーラを全開にして街のど真ん中を白昼堂々歩いているのだから、人を見た目で判断するような浅はかな連中にはカモがネギを背負って現れたように見えたのだろう。
しかし、かつてビーストテイマーを経験したミリセントは、迫害に対する慣れや耐性があるのか平然と対処している。
幾度もの死地を乗り越えてきたミリセントは、ルーザーたちの妨害を難なく切り抜け、見事冒険者ギルドに到達する。
しかし、これでミッションコンプリートとはならなかった。
ひとしきり騒ぎが収まると、ミリセントは冒険者ギルド前の噴水広場で何やら署名活動を始めた。
マナ抗体がなく、冒険者ギルドの主要システムである魔法インフラ装置が働かないミリセントは、通常の手続きでは冒険者免許証の発行ができない。しかも、身元不明でしかも怪しいカルマオーラを放っているのだから余計にハードルが高い。
冒険者ギルドの規定により、ガードセンターと冒険者ギルド双方の推薦が必要とのことだった。
既に根回しをしていたガード側から得た複数の推薦状を所持していたが、冒険者ギルド側にはナントの街の冒険者ギルドの推薦状だけである。
地方の出張所レベルの、しかも下級職員の推薦状では不十分となり、冒険者の推薦が必要となった――というのが、ミリセントが街頭で署名活動を始めた理由である。
3日間で50名の推薦を得ないと冒険者免許証の発行は出来ないらしいが、既に約束の3日目の段階で、署名の数は13名である。
13名は少ないと捉えるべきか、むしろ13名も、この得体の知れない犯罪者予備軍を推薦していると驚くべきなのか? 何れにしてもミリセントが冒険者になれる可能性は絶望的である。まぁ、この結果は想定の内なので何も驚くことはない。
ちなみに、13名の物好きの内訳は、6人のパーティーが2組とソロが1名である。その2組のパーティーのうちの1組は、ナントの街でミリセントと面識を得た虹ノ義勇団である。再会を喜ぶ6人だったが、当のミリセントはアクィラという女傑との強烈な出会いの印象が強かったせいか、彼らのことはほとんど覚えていなかった。しかし、この出会いで虹ノ義勇団との間にストーリーの派生が起こった可能性がある。
もう1名は、クリプトでは有名な歌姫で、歌で精神的疲労を癒し、コンディションの上振れ効果のバフを無料で振舞っている物好き、いや、ここでは天使のような存在である。
聖人と謳われている彼女は、ミリセントを不憫に思って余計なことをしてしまったらしい。悪人の助けをしたことで、彼女のカルマに悪影響が出たようだが、元々のカルマが善良に振り切っているおかげで、大したダメージではなかったらしい。むしろ高すぎるカルマを落とせるので都合がいいのかもしれない。
カルマは個人クエストの発行に影響を与えるので、どちらかに振り切れるのは、受けられるクエストに制限が出るデメリットにもなるのだ。
ミリセントにとっては残念な結果となっただろうが、こちらとしては好都合かもしれない。
西カロン地方はもうしばらくの間、冒険者たち、強いては死神たちの好きにさせておくのが良い。そうすれば、メインキーの捜索は後回しになり、安全に私と会う機会が得られるのだから……
途方に暮れたミリセントは、署名活動期間中の攻撃中止命令が解除され、再びルーザーたちに追われることになる。
ミリセントには悪いが、こちらとしては非常に都合が良い。
追われる身になったミリセントは、ガードポストかセーフティーエリアに向かうだろう。これで、死神に発見されずに、安全にミリセントに会うことができる。
さて、退屈な私の時間に、ようやく意味が生まれた。
今日は長い1日になりそうである。
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