第44話 「クリプト観光案内」

第四十四話 「クリプト観光案内」



 私の名前はミリセント。ただのミリセントであってそれ以上でもそれ以下でもない、ただの名前だけのミリセントである。


 紆余曲折を経てようやくたどり着いた大都市クリプト。最初から予想していたとおり、罪人同然の扱いを受け今日も今日とてガードポストの留置所暮らしである。

 牢屋暮らしがすっかり板について、もうずっとここで暮らしてもいいんじゃないか? と、つい考えてしまいそうな、そんな安心感を覚え始めた流刑地育ちの流刑地っ子の自分が怖い。

 この特殊なカルマ事情を知らないガードさんたちにとっては、こんないたいけない少女でも凶悪犯に見えるらしく、初対面なのに物凄い形相で怒鳴られ、罵られた揚げ句、捕縛されるという日々を過ごしていた。

 多い時で1日30回以上もガードに挨拶代わりのストップシャウトを喰らいまくっていた。

 1日3回職質された――と、SNSに何故か自慢げに投稿する輩がいるが、流石に30回以上捕まったと自慢する投稿は見たことがない。この記録は当分というかもう二度と破られることはないだろう。

 まぁ、こちらは何も悪いことはしていないので、取り調べを受ければすぐに無罪放免となるのはわかりきっている。

 下手に逃げたり抵抗したりすれば、それだけで公務執行妨害的な罪状で、本物の犯罪者になってしまうのだから、ここは大人しく捕まるのが正解なのだ。


 しかし、ガードに対して有効だった『大人しく捕まるノーガード戦法』も、相手が冒険者になると話がかわってくる。

 この冒険者については、言いたいことが山ほどあるのだが、話が長くなりそうなので、一先ず置いておく。

 これから冒険者ギルドに行って冒険者になる手続きをする予定でいるのだが、最初に釈放されてから事ここに至るまで、実は一筋縄ではいかない状況が続いていて、停滞を余儀なくされていた。

 その経緯について何も話していなかったので、今日はその説明をしながら、クリプトの街を案内をしていこうと思う。


 この世界の今日が、何年何月何日何曜日なのかはわからないが、クリプトに到着から10日が経過したのは間違いない。

 すっかり住み慣れてしまったガードポスト内の留置所から重い腰を上げ、豊穣門の前で北を向いて立っている。

 このエリアのガードとは既に顔馴染みになっているので、もう捕まる心配はない。空いている牢屋を苦笑まじりに、でも快く貸してくれる――そんな仲になってしまっていた。このエリアであれば大手を振って通りを歩くことが出来るだろう。

 既にいくつかの区画を踏破しているので、それぞれの区画を管轄するガードたちにも顔が利くようになった。近隣の住人にも悪い意味で認知されてしまったが、ガードと顔見知りというのが知れ渡って危険視されなくなったのは良かった。それだけクリプトにおけるガードの信用が大きいことがわかる。

 これで、少なくともクリプト中央から東側のエリアにおける自由な行動は保障されたとみていいだろう。


 大勢の人でごった返えしていた豊穣門とは対照的に、城門を挟んだクリプト市街側は比較的静かだ。見かける人は街を出てカント共和国方面へ向かう商売関係の人たちや豊穣門で取引をする仲卸業者くらいだろう。

 手荷物以外の貨物は、豊穣門のクレーンを使ってクリプト城壁内倉庫に運んでもらえるらしいので、門をくぐる人たちの姿はとても身軽で軽快だ。

 豊穣門は一応国境という扱いなので、入国手続きは厳重で面倒らしく、隊商で働く人たちは、長期休暇以外で豊穣門からクリプトには滅多に入ってこないそうだ。

 ゲームの様に気軽に街と外とを行き来できるわけではないらしい。

 そういう事情もあってか、豊穣門のクリプト側は思ったほど人の出入りはないというわけである。


 前方の街並みの向こう側に城壁が見える。

 豊穣門のすぐ前方に見える城壁は、反対側の――つまり北の王国門に連なる城壁だろうか? え? 近くない? クリプトって思ったより狭いの? と、思ってしまうかもしれない。実際、最初にこの光景を見た時は、クリプトせっま! と、思わず口に出してしまったほどである。

 この、正面に見える城壁は、王国門の城壁ではない。

 まるでクリプトの中に別の城塞都市でもあるかのような錯覚を覚えてしまうが、それは錯覚ではなく紛れもない事実である。

 あそこに見える城塞都市の中の城壁は『旧市街区』と呼ばれいる城塞都市である。その名の通り古い市街地で、ここがかつてのクリプト創設当初の街の姿なのだ。

 一瞬、何を言っているのか分からず混乱するかもしれないが、この旧クリプトの外に街を拡張し、それを城壁で囲ったのが今の自由交易都市クリプトというわけである。

 単純に旧市街区と呼んで親しまれているが、正確に言えば『旧クリプト市街区画』になる。

 二重の城塞都市。これがクリプトの大きな特徴の一つである。


 旧市街区の広さはナントの街よりも少し狭い程度だろうか? しかし、閑散としているナントの街とは裏腹に、3階建て以上の居住用の高い建物(アパート)が林立しており、人口密度は比較するまでもない。

 旧市街区の城壁の外からでもはっきりと理解できるレベルで、ナントの街との規模の違いが理解できる。

 城塞都市というのは、スペースが限られている関係上、土地を有効活用するために建物が高層化する。見える範囲だけでも、5階以上の建物が数棟見える。

 上空から見た旧市街区は、円形に近い角の丸い四角形で、東西南北それぞれに門がある。この門にはかつて存在していたであろう堅牢な門扉は既に無く、自由に誰でも通り抜けることができる。

 この区画には政治的重要施設がないようで、警備は無くただの居住区として扱われているようだ。

 クリプトの運営に関係する中枢組織の施設の多くは、西側の冒険者区画に集中しているらしい。ちなみに、その重要施設の中に、この旅の目的地である大図書館があり、今日はそこを目指しながら観光案内をしているというわけである。


 旧市街区の特徴の一つとして、旧領主であるクリプト卿の子孫が盗賊ギルドを運営していることが挙げられる。

 盗賊ギルドといっても闇の犯罪組織というわけではなく、冒険者の職業の一つである盗賊(シーフ)の技能を取り扱う冒険者ギルド公認の職業組合である。

 盗み(スリ)や隠密、聞き耳といった盗賊の技能は、当然ながら悪用されやすい。また、盗賊という職業というだけであまり良い目で見られなくなってしまう。

 そうした風評問題を解決するためには、盗賊スキルを犯罪に使用しないと公言し、それを実行して信用を得るしか方法がない。そして、これを実践し信用を獲得したのが盗賊ギルドである。


 冒険者というのは、盗賊だけではなく戦士も魔法使いも、非武装の民間人にとっては犯罪者予備軍みたいなものであり、街の住人の信用を得るためにこうした専門職ギルドを立ち上げて規則を守り信用を得ている。ちなみに、盗賊ギルドだけでも複数あるらしいが、詳しいことはわからない。

 現時点で分かっていることは、冒険者の評判や地位向上の為に、互助組織である組合(ギルド)が多数存在しているということである。中には軍のように軍団組織を形成しているギルドもあるとのことだ。有名どころといえば、東カロン地方進出を目論む攻略組と呼ばれる『東方遠征ギルド連合』だろうか? 攻略組の噂話は、雑談の中で嫌でも耳に入ってきたので自然に覚えてしまった。

 ここクリプトでは、東カロン地方進出を目指す東方連合と、ゴブリンに占領されたガスビン鉱山都市奪還を目論む西方連合、どちらにも所属しないフリーランスと、大きく分けるとこの3つの勢力に分かれているらしい。勢力といっても互いに対立しているわけではない。ただ、人材の取り合いは活発なようである。

 ちなみに、ガスビン鉱山を保有していた旧ヴァスカヴィル領は、宗主国であるピュオ・プラーハの実行支配下になく完全な無法地帯になっており、どの都市にも属さない流れ者たちによって支配されているらしい。殺人犯など悪に属する者の巣窟と噂され、善良でか弱き美少女は絶対に近づいてはならない場所である。


 さて、冒険者ギルドに向かう前に、旧市街区に寄り道していこう。


 豊穣門の前から真北に旧市街区の南門が見える。石畳で舗装された立派な歩道が真っすぐ伸び、道の両脇に建設途中のアパート? と思しき高い建物がいくつか目に付く。

 旧市街区の中は新たに建物を建てるスペースがもう存在していないか、或いは建設の許可が出ないのだろう。よって、新築の建造物は旧市街区城壁の外しかない。

 職人や人足たちの掛け声が周囲に木霊して、とても景気が良さそうに見える。この様子を見る限り、クリプトは既に完成された都市ではなく、まだまだ発展の余地が多いフロンティアなのだろう。

 開いているというより、扉そのものが既に取り払われて久しく、全く用を為さなくなった大きな門をくぐりぬけると、そこには通りと呼べるような広い道の無い、密集した建物群が目の前に立ち塞がる。普通、門の先にも道が続いている景色を想像するだろうが、旧市街区の土地事情がそれを許さなかったらしい。

 はっきりと言ってしまえば、この城壁自体がスペースの無駄なのだろう。

 城壁を建築資材として再利用する方法もあったかもしれないが、どうやらこの城壁は急ごしらえの粗悪品らしく、詰みあがった石材は風化が進んで、品質はお世辞にも良いとは言えなかった。壊すのも面倒なので放置しているのだろう。いずれ、他の空いている土地も無くなれば、この古い城壁も撤去される運命にあるのだろう。


 旧市街区に入り、密集した高い建物群の隙間を縫って路地を北に向かって進む。入り組んでいて初見ではすぐに道に迷ってしまうだろう。

 たった今くぐりぬけた南門から先は道が狭く、荷車すら通れる道幅がない。よく刑事もののドラマで見る、犯人が逃げ込むビルとビルの間の汚い路地裏の通路のソレだ。

 高層のアパート群は、城壁沿いに密集しており、中央部に行くほど建物は低くなっていく。旧市街区の中央部に立つと、すり鉢状のスタジアムの真ん中にいるような不思議な感覚になる。程度の差はあるものの、ナントの街に似ていると思った。

 旧市街区の外から見ると、中はぎゅうぎゅう詰めの息苦しい場所ではないかと想像してしまうが、数ブロック中に入ると急に視界が開け、広い庭など狭い敷地を贅沢に利用している大きな屋敷が見え始める。

 この辺りは旧クリプト時代の上流階級が住んでいた区画だろう。ここから見える屋敷のどれかが盗賊ギルドなのではないだろうか? 一際大きい建物が恐らくソレに違いない。

 この辺りは古いが格式ある上品な街という雰囲気なのだが、ほんの少し東側のブロックに移動すれば一気に街の様子が変わり、貧困層が住むスラム街になる。

 旧市街区に限ったことではないが、クリプトの街は全体的に建物が密集しているので、路地裏を抜けた先がどんな場所なのか、実際に来て見るまで分からないことが多い。これは面白いと思う反面、とても恐ろしくもある。


 そんな昔の面影を今に残す旧市街区には盗賊ギルド以外にもう一つ大きな特徴がある。

 それは、旧市街区全体がガード圏外になっていることである。

 ガード圏外ということは、つまり城壁の外と同じであることを意味し、カルマオーラや犯罪フラグが見えないということになる。

 街の中なのに、ここではこの美少女の犯罪的な暗黒カルマオーラを他者から認識できないのである。

 それだけではない。本職の悪党が盗みを働いても、本物の暗殺者が誰かの息の根を静かに止めても犯罪フラグが見えないのだ。もし、それらの犯行を目撃してしまったら大声でガードを呼ぶしか、彼らの犯行を止める方法がない。

 これはどう考えてもやばい! 旧市街区は間違いなく悪がはびこる暗黒街ではないか! と、誰もがそう思うだろう? しかし、前述の盗賊ギルドが、治安を守る自治組織として機能し、抑止力となっているおかげで驚くほど治安が良かったりするのだ。


 それにしても何故、街の中にガード圏外があるのだろうか? その疑問をすっかり顔馴染みになってしまったガードの1人にぶつけてみたところ、意外なほどシンプルかつ納得のいく答えが返ってきた。

 元々、クリプトが作られた目的が、魔物の巣窟である海底トンネルの入口である地下遺跡の封印で、旧市街区の地下は今でも魔物たちの巣窟なのである。

 今現在、海底トンネル攻略のためにその封印は解かれており、安全のためにダンジョンの入口を西にある冒険者区に設定して経路を大きく迂回させている。

 旧市街区の地下には、真下に海底トンネルの入口と、海底トンネル本道と、冒険者区に伸びる地下通路が存在していることになる。


 こうした都市の立地条件では、一つ大きな問題が生じてしまう。


 それは、旧市街区をガード圏内として設定してしまうと、地下に巣くうモンスターの敵対的なカルマオーラを犯罪フラグと勘違いしてしまうということだ。

 これが、どういう事態を引き起こすかは容易に想像できる。旧市街区は常時犯罪が発生している状態で、犯人確保のためにガードがひっきりなしに現場、つまり海底トンネルの中にテレポートしてしまうことになるのだ。

 治安維持のための特別で特殊なガード能力が、この場合は裏目に出てしまうということである。

 そんなわけで、地下遺跡とそこから繋がる海底トンネル上の地上部分はガード圏外となっているというカラクリなのだ。


 さて、大雑把だが旧市街区の案内が終わったところで、クリプト全体の外観を少し説明しよう。

 自由交易都市クリプトを上空から見ると、鶏卵のような楕円形をしている。実際に上空から見たわけではないが、街角に掲示されている案内図にはそう描いてあるので間違いないだろう。ちなみに、卵の尖がった方が西、丸い方が東である。旧市街区の位置は卵でいえば卵黄のあるあたりだ。

 この街に来て初めて西カロン地方の地図と周辺の想像図のようなものを見る機会があったが、以前出会ったゴブリンの脱走兵のリーダーが地面に描いた落書きのような地図とほぼ同じだったのを思い出す。

 やっぱり、あのゴブリンリーダーは特別だ。元海軍エリート部隊の隊長らしいので、知能はそこらの冒険者よりはるかに上ではないだろうか?


 そういえば、これまで何度も名前が出てきた『西カロン地方』とは、一体なんぞや? と改めて考えてしまう。

 西があるということは、真ん中とか東とか南があってしかるべきだろうと考えている。これまで得られた情報の範囲では、東カロン地方の存在は間違いないだろう。

 世界の全容がまだほとんど見えてこない現状では、ここ東西のカロン地方が世界の中のどの辺に位置しているのかさっぱりわからない。

 しかし、西カロン地方周辺の広域地図を見たことで、何となく全体像を予測できるとっかかりができたような気がしてきた。あくまで気がしてきただけであるが……

 まぁ、大図書館を利用できるようになれば、もっと多くの知識を得ることができるだろうし、世界地図について考えるのはそれまでお預けでいいだろう。


 さて、脱走兵のゴブリンの地図を含め今得られている情報から想像すると、東カロン地方の地理的条件に近いのは恐らく北米大陸になるのではないだろうか?

 アラスカ州とカナダを含んだ大陸北部が東カロン地方と呼ばれる人類の支配領域で、アメリカ合衆国からメキシコあたりまでがオーク帝国が支配している地域と予測してみる。南米にあたる土地があるか現時点では予測できるような材料がないので何とも言えない。


 東カロン地方が北米。では、西カロン地方はどこになるだろうか?

 そのまま地球の世界地図に当てはめるなら、ユーラシア大陸の東端にある東シベリアのチュクチ半島が、西カロン地方に該当しそうだ。そして、カロン海河に該当するのがベーリング海峡ということにすれば、ちょうどぴったりはまる。

 細かい地形の違いはともかくとして、位置関係と面積の比率のイメージはなんとなく掴めるかもしれない。

 兎に角、広大な東カロン地方に比べ、西カロン地方の面積はだいぶ狭いことだけは理解できる。


 それにしても、エグザール地方より西は未踏の地のままであることに代わりはない。もしかしたら、本当にユーラシア大陸並みの巨大な土地が手つかずのまま残されているのかもしれない。或いは、別の文明が栄えているのかもしれない。

 少なくとも宇宙人がいる世界なので、地の果てには異種族異文化が存在していてもなんら不思議ではないだろう。夢が広がるというものである。

 こちらの用事が済んだら、西側を本格的に探索してみるのも悪くない。


 さて、話を戻そう。


 本来ガード圏内であるはずのクリプトの街の中に、ガード圏外が設定されている理由は先に説明した通りである。

 旧市街区とカロン海河の海底まで伸びるトンネルの上部、つまりスラム街や東城壁までは、カルマフィルターが作動せず、オーラは不可視にできる。

 ここで勘違いしないでほしいのは、オーラが不可視になっているだけで、カルマオーラがなくなったわけではないことである。

 この見えないカルマオーラを感知するためのスキルが別途存在し、売買契約などを専門に行う商業系の職業で、ガード圏外でもカルマオーラを可視化できるスキルを取得できる。地味なスキルなのでほとんどの人は取得していないようだが……。


 何れにしても、ただ道を歩いてるだけなら一般人と見分けがつかないので、ここは、身を隠すにはもってこいの場所である。

 しかし、世の中そんなに甘くはなく、絶対安全とは限らない。

 旧市街地は盗賊ギルドの支配地域なので、部外者には風当たりが強いらしく、当然ながらこの美少女は余所者なので歓迎される理由がない。しかも、東に隣接するスラム街は治安がよろしくない。旧市街区の住民や盗賊ギルド、それにスラム街の人々からは当然いい顔されないどころか、背後に気を付けるレベルである。

 結局、ガードポストの牢屋の中が一番安全なベストプレイスになってしまうのか? いや、実はもう一かセーフティポイントを見つけてしまったので、丁度良い機会なのでここで紹介しておこう。


 その、とっておきの安全地帯を説明する前に、少しクリプトの特殊な構造について補足しておく。

 クリプトを取り囲む堅牢な城壁の東端部分は他の城壁よりも高くなっており、その先端部がカロン海河の海上に突き出している。その突き出た城壁の内部には、海水を汲み上げるための巨大な水車が設置されている。

 ダーヌ川流域から離れた位置にあるクリプトにとって、海水は貴重な水源である。この海水から塩分や他の不純物を取り除いて飲料水にする浄水施設が東の城壁内部に存在し、その施設を内包した東部城壁一帯が、他の城壁より一段、いや二段くらい高い台地状の高台を形成しているのだ。ちなみに、高台と旧市街区の城壁の間の居住区がスラム街となっているというわけである。

 この高台になっている東部城壁へは、スラム街から直接登れる道がなく、ここへの正規のルートは王国門か豊穣門のガードポストから城壁に登って大きく迂回していくしかない。

 一応、他の手段で登れなくもない。例えば、背の高い建物から城壁に飛び移ってよじ登る方法だ。スラム街に一際高い建物が一棟存在しているので、それを利用するのが最も簡単だ。

 冒険者が修得できる壁登りや跳躍系のスキルを利用すれば、比較的簡単にショートカット出来るだろう。冒険者でなくても壁登りの才能でもあれば余裕かもしれない。


 この高台の上は、小さな学校の校庭程度の広さがあり、西に目を向ければプリズンウォールマウンテンをバックに眼下に広がるクリプトの街を一望できてしまう。ここに公園でも作って展望台にすれば、立派な観光資源になるのではないかと思ったりする。或いは、ここに天守を築けば難攻不落の要塞になるだろう。

 そんな高台だが、そうすることが出来ない理由がある。この場所は浄水場というクリプトにとっての生命線ともいえる超重要施設の真上ということと、ガード圏外でもあるので、事実上の立入禁止エリアになってしまっていることである。

 まぁ、ガード圏外、つまり野外という扱いなので、立ち入っても怒られることはない。


 この場所は使える!


 ガードもいない。人気も無い。そして、通報されないガード圏外。しかも、とても見晴らしが良い。これは絶好の隠れ家なのではないだろうか?

 しかも、ありがたいことに雨風が凌げる大きな建物が都合よく建っている。

 これは、正に自分のために用意された場所だといっても過言ではない。


 この建物は、人が住む家屋ではないらしく、倉庫か或いは集会所だと思われる。中は広く、倉庫にしては荷物がほとんど置かれておらず。ガラーンとしている。

 集会所として利用するつもりなら、椅子とかテーブルなどがあってしかるべきだが、どこにも見当たらない。ただ広い部屋があるだけだ。

 入口の扉がかなり大きく頑丈だったので、何か巨大で重要な物を保管する目的で建てられたのではないかと、用途を推測してみるが、やっぱり答えが出てこない。

 施錠されていない扉を、どっこいしょと開けて空っぽの室内を見るまでは、何となく教会のイメージが頭を過ったが、気のせいだったようだ。

 建物の建っている位置は、高台広場の東側で、屋上に登れば360度のパノラマ風景を楽しむことができるかもしれない。

 石造りの大きな建物の用途がいまいちはっきりとしないが、居住のための施設ではないことは確かなようである。

 クリプトに何らかの危機が迫った時、例えば、戦争で籠城しなければならない状況に迫られた時に、ここを司令部として籠城戦の指揮を執る――とか?

 或いは、天災や人災に見舞われた際の避難所という可能性も考えられる。


 奥に進むと横倒しの長テーブルが、薄っすらと埃を纏わせている。

 天窓から差し込む光が中空を舞う粒子状のチリに反射させている光景は、長い間人が来ていないことを暗に教えている。

 長テーブルの天板の上面が入口の方向に向いている。まるでテーブルを盾にして侵入者と戦ったというのだろうか? その痕跡が見つかるかと、周囲を見渡しても戦痕らしきものはどこにも見当たらない。

 それにしても、隠れる場所のない広い部屋で、入口からの視線を回避するには絶好の配置だ。恐らく昔ここに誰かが来て、普通に置いてあったテーブルを横倒しにして身を隠していたのかもしれない。


 さて、クリプト東部の事情はだいたい把握してもらえただろうか?

 富裕層の占める割合が多めの旧市街区と低所得者層のスラム街が隣り合うという、独特な社会が形成されており、商工業が中心の西側の区画とは奇妙な温度差がある。

 このエリアの北側城壁には、王国門という南と豊穣門と対になる城塞門が存在している。今現在も戦争状態にあるピュオ・プラーハ王国と国境を接する重要な場所であるため、入国審査が厳しく人の往来も少ない。特にこれといった見所もなく、人の出入りも少ないのでクリプトでは一番静かな場所ではないだろうか?


 次はクリプトの西側の様子を見ていこう。


 大半を居住区で占められている閑静な東エリアとは対照的に、クリプトの西側はとても賑やかで活気に満ち溢れている。

 中央に大きな通りが東西に伸びており、生鮮食品や日用雑貨等を扱う露店がひしめき合って、昼夜を問わず人が集まる自由市場になっている。

 この中央通り沿いに大型の店舗やホテルが立ち並び、その周辺が繁華街となって広がり、城壁付近に近づくにつれて各種生産工場が軒を連ねるようになる。

 豊穣門から搬入された物資を集積する一次問屋が豊穣門のすぐ西側にあって、ここから物資が各地区に配送される。

 豊穣門から西の冒険者区周辺まで、クリプトの城壁南側はそうした物流関係の業者が多く集まり、そこに隣接するように一次加工業者が集まって工業地帯を形成しているというわけである。

 カント共和国産の小麦と、南海の島国カナーラントから輸入される大量の鉄を扱う業者がこのエリアに特に多い。

 クリプトの主食は小麦から作るパンで、その生産もこのエリアで行われる。大きな鍛冶屋は火を取り扱う関係で副業でパン屋も兼ねていることが多く、低所得者層にただ同然で配られている鈍器になりそうなクソ固いバゲットはここで作られている。勿論、普通のパン屋も数多く店を出しているので、美味しいパンはそちらで買うといいだろう。

 ちなみに、見た目は美少女でも、商売人には客を見る目があるらしく、犯罪者扱いされている私は門前払いされる。まぁ、店に入る前に先ずは買い物できる程度のお金を手に入れる方が先なのだが……


 工業地区と呼ばれる南西部とは逆の北部がどうなっているかと言えば、店舗や居住に使われる雑居ビルのような建物が立ち並ぶ、所謂下町を形成している。

 雑居ビルのような建物の中に、飲食業や服飾業、それらを生産加工する業者なども集まって少し小汚い庶民向けの繁華街といった様相だ。

 路地は狭く入り組んでいるので迷いやすい。雰囲気は旧市街区の居住区に似ている。個人的にこの雰囲気は好きである。


 中央通りの自由市場は、指定エリアなら誰でもお店を開ける場所で、工業地区や繁華街からも支店を出していたり、更には冒険者が戦利品を取引する場所にも使われるため、常に大勢の人で賑わっている。

 フリーマーケットという言葉には無条件で興味をそそられる。特に何を買うでもないが、見て回るだけで面白い。

 これは、リアルの話だけではなく、ゲームの世界でも同じだ。

 大勢の人が参加するMMORPGでは、ゲームシステムのサービスであるオークションを介さず、個人間のトレードで売買を行うことが多い。

 人の多い場所にバザー専用のサブキャラを並べて立たせておけば、誰かが覗いて気に入れば、その場で買っていく。中々手に入らないアイテムは高額に設定されているが、意外と掘り出し物があったりするので、ついついウインドウショッピングに夢中になってしまうのだ。

 この自由市場の雰囲気は、そんな昔のゲームのプレイ経験を思い起こさせる。

 こんな世界で旅ができたらいいなと夢見ていたが、いざ、そんな世界にくると犯罪者予備軍なのだから、世の中そう上手くはいかないものだとしみじみ思う。

 ちなみに、最初に厄介な冒険者と出くわし、犯罪者と間違われて追いかけまわされたのが、この自由市場だった。


 ここで、また少し話が脱線してしまうが、丁度いい機会なので厄介冒険者について話しておこう。

 冒険者というのは、冒険者ギルドが発行する免許証を持ち、同じくギルドから発行される仕事をこなす者たちの総称である。

 仕事は多岐にわたり、モンスターの討伐から、食糧や生産素材の収集、或いは事件の調査、配達や護衛など様々である。これは、昨今のファンタジー作品における定番の設定といえるだろう。

 そんな冒険者も、当たり前のことだが、実力や運によって勝者と敗者に分けられてしまう。

 負け組の共通点は、失敗から学ばず、失敗に失敗を重ねて膨大な借金を抱えることである。ギャンブルに負けて、その返済の金を作るためにギャンブルをして自滅するパターンと同じである。

 死んでも復活できる保険を掛ける冒険者は、復活する毎に掛け金が増加する仕組みだ。亡命者のうちは死亡保険の掛け金は格安だが、正式に冒険者として独り立ちすれば、他の冒険者と同じ保険に移行する。掛け金が安いからと命を大事にせず、無茶な賭けを繰り返して無理やりランクを上げた亡命者は、冒険者になってから掛け金の額に絶望する。何故なら、冒険者ギルドから優遇されている亡命者時代の死亡数を見て保険の掛け金が決まるからである。

 借金苦に喘ぐ冒険者の返済に対して一応救済措置がある。

 『借金チャラにする代わりに、新米冒険者としてまた一から出直してきてね!』というのが冒険者ギルドの対応である。しかし、これはあまりにもきついペナルティのため、ほとんどの冒険者はここで心が折れてしまうのだ。

 そして、再起をあきらめた敗北者たちは、路地裏に引き籠ってガードの目から隠れながらこっそりと悪事に手を染めたり、反社会的組織の構成員に成り下がってコキ使われたりもする。最近よく聞く半グレみたいな感じだろうか。

 まぁ、こうなるのは、この世界だけのことではなく、現実の世界でも似た様なものかもしれない。一度足を踏み外してしまうと、更生が困難になってしまうのはどの世界においても共通なのである。


 自由市場に足を踏み入れた時、商売スキルを持つ者はカルマオーラを見ずとも、やばい人というのが分かるらしい。相手のカルマによって割引や割り増し、或いは取引そのものをお断りするとのことだ。

 そんな商売人たちの警告を聞いた冒険者たちは、カルマフィルータをオンにして驚愕する。中には気絶した者もいたかもしれない。

 こちらのカルマオーラを犯罪フラグと勘違いした冒険者らがすぐに反応してガードが呼ばれ、その場で拘束、そして連行されて取り調べを受けるという想定通りの展開になってしまった。

 これが、自由市場に初めて足を踏み入れた時の出来事である。

 事情を説明して釈放された後、同じような通報と拘束劇がテンプレのように何度か繰り返されて、流石に冒険者たちも事情を察してスルーしてくれるようになった。

 恐らくガード側も混乱を避けるために情報共有を積極的にしてくれていたのだろう。こちらを見る目は明らかに不審者を見るソレだが、いきなり攻撃をされることはなくなった。

 一安心と、ほっと胸を撫でおろしたのも束の間、悪化した状況は更に加速する。

 チンピラ化した冒険者くずれの厄介冒険者共は、捕まえて手柄にしようとして執拗に追い回してくるようになる。ただし、彼らは自身の持つ力の大半を借金の形にされている雑魚なので逃げるのは容易いことだった。

 彼らは、こちらが攻撃してこないことをいいことに、好き放題に攻撃してくる。目の前の弱そうな少女を攻撃しても犯罪フラグが立たないことを学習したチンピラ共は、どんどん行動がエスカレートしていった。

 さらに、攻撃を当てると冒険者ポイントが大量に獲得できるという噂がどこからか(たぶんカツィ&コジーだろう)広まると、伸び悩む底辺冒険者たちも一攫千金狙いで参戦して事態は更にややこしくなってくる。

 ちなみに、負け組を含めてルールの範囲であるならモラルに関係なく手段を選ばないタイプ冒険者のことをルーザーと呼ぶらしい。

 今現在、冒険者ギルド到達を阻んでいるのが、このルーザーたちというわけであり、彼らをどうにかするのが当面の目的という状況である。


 優秀で正義感のあるまともな冒険者たちは、この不当な冒険者ポイント争奪戦には参加せず静観を決め込んでくれている。そもそも、彼らには自分たちがやるべき仕事がたくさんあるはずなので、こちらに構っている場合ではないのだ。

 しかしだ。仕事がある冒険者も手が空けば、小遣い稼ぎをするかもしれない。危険なダンジョンに出ずとも、街中にボーナスキャラがうろついているのだ。静観している冒険者の中に、このチャレンジに参戦してくる暇人が現れるかもしれない。いや、現れるのは時間の問題だろう。


 実は、事態はひっ迫しており、悠長に街を散策している場合ではなかったのである。

 今日は、何としても冒険者ギルドに到達するという強い決意で、今まで連れていたイベちゃんとリコちゃんを豊穣門に預けて来た。流石に2匹のウリ坊たちを連れてのガチ逃げは不可能だと判断した。

 ガードさんたちは、このスワンプボアの赤ちゃんたちの可愛さにメロメロなので、大切にしてくれるだろうから安心して任せられる。


「さて、と……」


 今、カルマオーラが見えないガード圏外である東の高台からクリプトの街を見下ろしている。申し分ない眺めだ。

 背後に遠く聞こえてくるカロン海河の濁流の騒音。この場所が高台になっているのは、この騒音を防ぐ意味も含んでいるのだろう。非常に合理的に作られている街だ。

 高台にいるのは、これから冒険者ギルド強行突破作戦を結構するための一人作戦会議を開くためである。ここなら中央の自由市場の様子が丸見えなので、作戦が立てやすい。


「ふむふむ……よし、作戦は決まった」


 強行突破するだけなので作戦と呼べるほど大したものではない。

 その大したことのないミッション内容はこうだ。


 ここから一気にスラム街に降り、旧市街区の中央を東から西に抜ける。ここまではガード圏外なのでカルマフィルターでこちらを感知することはできない。また、城壁という遮蔽物で目視されることもない。

 そこからさらに真っすぐ中央のフリーマーケットエリアに入る。旧市街区の西門から伸びる通りは障害物もなくそのまま自由市場に繋がっている。恐らくここでルーザーたちに発見されるだろう。

 ここまでは何も問題はない。

 自由市場に入ればルーザーは必ず反応してこちらに向かってくるはずだ。多少頭が回る者なら見通しの良い場所で監視しているか、どこかで待ち伏せをしているに違いない。しかし、こちらには広域調査の能力がある。詳細はわからなくても、物陰に隠蔽している怪しそうな人影はすぐに見抜くことができる。

 こちらの特大暗黒カルマオーラは、カルマフィルターをオンにしておけば、街のどこに隠れても見つかってしまうので、隠れて追っ手をやり過ごすという選択肢はない。だから、こそこそ隠れず一気に走り抜けて、脚力勝負で追っ手をかわして冒険者ギルドに飛び込むのだ。

 そして、駐留するガードに一度捕まって、身の安全を確保した上で事情を説明して、冒険者になる手続きを手伝ってもらうのだ。

 完璧なミッションプランである。


 冒険者になってしまえば、流石にルーザーも手は出せないだろう。

 そして、晴れて冒険者になった暁には、大図書館で調べ物をして必要な材料の情報を得て、その素材をゲットできるクエストを斡旋してもらうのだ。


「さてと、そろそろ行くか……今日で終いにして、さっさと家に帰ろう」


 実家に残してきたクマのクマゴロウを思い出す。

 旅に出る前に作った上下水道設備が正常に機能しているかも心配といえば心配である。辺り一面水浸しになっていないだろうか?

 できれば、家に勝手に住み着いた馬たちは居なくなってほしいが……


「では……ミッションスタート!」


 その後、冒険者ギルドに辿り着くというミッションは、無事達成することができたが、肝心の冒険者になるという目的は遂に叶わなかった。


 やることなすこと上手くいったためしがなかったので、こういう結果になることは察しがついていた――と、後日そう振り返ることになるが、その斜め上をいく事態がその後に展開することは、流石に予測することはできなかった。


 クリプトで起こるイベントは、まだ始まったばかりなのである。

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