第43話 「強者の驕り」

第四十三話 「強者の驕り」



 かれこれ20回目を迎えるアサイラム対策会議において、ある一つの重要な取り決めが行われた。

 その取り決めとは、これまで定期開催だった対策会議を不定期とする――という、たったそれだけのものだった。しかし、それはこれまで20回続いた定例会食会が終わりを告げるという意味でもあり、一部の食いしん坊にとっては非常に深刻な問題で、これを惜しむ声があったのは言うまでもない。


 この会議を定期開催としたのが、死神がエージェントを介してアサイラムに介入できるタイミングが10日毎という制約があったためである。

 これまでの定期開催では、エージェントの行動と世界情勢を観察しながら次の行動を模索し、予測して最良の結果を生み出せるように想定して指示していくというものだった。そのため、追加の支持や修正は10日後にならないと出せないのがネックになっていた。

 そんな場当たり的で事後処理的な定期開催の会議を不定期開催にした理由は、これまでバラバラに活動させていたエージェントを、機能的に結びつけて効果的に命令書を発行できる情報網が完成したからである。

 この情報網の中枢に指示を出せば、瞬時に各エージェントに伝達される。これにより、10日毎という制約に縛られる必要がなくなり、命令書を5人の死神間でシェア出来るようになったのである。


 このような状況になれば、必要な時に招集する不定期開催とするのが効率的かつ合理的だろうという考えになるのは自然な流れである。

 今後は、積極的に状況を作り出せる立場になり、展開が早まると予測できる。

 ただ、これには少し問題があった。それは、必要に迫られれば連日会議を開くことも十分あり得る話であり、場合によっては会議の頻度は格段に上昇する可能性が出てきたことである。

 死神の一部というか主に男3人が、調子に乗って会議を毎日招集しかねない。ただいたずらに会議を増やして各自の死神としての仕事を疎かにすることはできない。よって、会議招集の要請に際しては5人の死神の満場一致を条件とすることになった。




 医事を司る死神、源 菖蒲丸は憂鬱だった。

 同じく死神であり、アサイラムに関して共闘関係にある橘 頼蔵、平 伴達磨、藤原壇重朗の3人のことを考えると頭が痛い。彼らオタクは不定期開催となれば毎日のように会議を招集してくるに違いないのだ。これは単なる決めつけではなく確信である。

 そして次の日、案の定アサイラム対策会議の招集がかかったのである。

 菖蒲丸は大きなため息と同時に頭を抱えた。このまま毎日会議に明け暮れる日が来てしまうのは気が重い。

 10日毎の定期開催では生ぬるいと豪語していた頼蔵らにとって、不定期開催は毎日ゲーム三昧、飲み放題、喰い放題のパラダイス。今頃、水を得た魚のように3人で結託して、会議の会場を選定しているに違いない。


「昨日の今日だというのに……」


 新興を司る頼蔵から配布されたスマートフォン端末に送られてきたメッセージを確認する。

 橘 頼蔵は性格が破綻している狂人と呼ばれている死神であるが、新興という人間社会の最先端にいる存在であるため、死神業界だけではなく冥界全体に持たらされる彼からの恩恵は計り知れない。背に腹は代えられずに仕方なく付き合う死神も少なくはなく、かく言う菖蒲丸もそうした中の1人なのである。

 思えば、頼蔵とは長い付き合いである。これは頼蔵だけではない。伴や壇も、そして浄妙も同じである。

 何故、彼らと長い付き合いかと言えば、司る概念がとある一点において共通事項となってかぶっており、本来バラバラに行動する死神を一つの集団にまとめていたからである。

 頼蔵の最新技術、伴の暴力、壇の外交、菖蒲丸の医事、浄妙の司法。これらに関係する事象とはつまり戦争である。

 あの世や死神の概念が確立する平安時代から鎌倉時代になると、この5人の死神は常に行動範囲を共有し続けることになる。江戸時代に一時的に平和になって文化系の死神が台頭したが、その後の明治以降がどうなったかは現代人の記憶にも新しいところだろう。


「第21回アサイラム対策会議の緊急招集の件……3人のうち誰の召集かしらね……」


 菖蒲丸はスマートフォンという便利なアイテムがあるなら、顔を合わせず遠隔会議が出来るのではないか? 更に言えば、医療行為も診察なら十分遠隔で可能ではないかと思ってしまう。


「えーと……」


 タブレット端末を愛用している菖蒲丸は、スマートフォンはあまり使わない。メッセージが来たことだけを確認し、作業はタブレットで行うのが彼女のスタイルである。

 慣れた手つきでタッチパネルを操作する。そして、受信したメッセージの発信者の意外な名前を見て思わず声を上げてしまう。


「え?」


 今の今まで発信主を頼蔵ら男3人のうちの誰かであると信じて疑っていなかった菖蒲丸は、招集をかけたのが安倍 浄妙だと知って困惑した。

 最初は何かの冗談だと思ってしまった。しかし、浄妙は冗談を言うタイプではない。ユーモアを司る死神と絶縁でもしているかのように、冗談とは無縁の彼女である。

 浄妙なりのセンスのないユーモアでなければ、誤送信という可能性もある。しかし、これも違うだろうという確信がある。情報伝達手段が飛脚とかそういう時代遅れの死神ならともかく、彼女は最先端を行く頼蔵と付き合いの長い死神の1人である。初めて端末に触れるわけでもない彼女が、誤送信などと云う凡ミスを犯すとは考えにくい。


「……アサイラムに何か異変があったのかしら?」


 以上のような理由から、こう考えるのが妥当であろう。しかも、緊急の案件に違いない。

 菖蒲丸は、食べかけのおにぎりをそのままにして、会場に指定された繁華街の高級寿司屋に急行した。




 不定期開催と決まった記念すべき第21回アサイラム対策会議の主催者の座を狙っていた橘 頼蔵は、浄妙が指定した特上の寿司屋『寿司斬舞』の個室の席で不機嫌を隠す様子もなく憮然としていた。

 同じような表情をしている伴と壇の様子から、彼らも頼蔵と同じ理由だろう。

 そんな3人の様子を見た菖蒲丸は、わかり易い彼らの幼稚な思考に呆れるだけだった。


「昨日の今日で申し訳ないが、緊急に協議したい案件が出てきたので来てもらったが……ん? 何故3人共不機嫌そうなんだ? 寿司斬舞はお気に召さなかったか? 回る方の寿司が良かったか?」


 死神というのは、冥界においては大臣クラスの接遇を受ける立場で、会食は別室のVIPルームが宛がわれる。これは焼肉屋でもお好み焼き屋でも寿司屋でも同じである。そして、複数の死神が参加する会食は上座のない円卓で行われる。頼蔵などは自分こそが死神の筆頭だとうそぶいているが、彼らの中に明確な序列はない。全員同列なのである。


「いや、別に……」


 神妙な浄妙の態度に、一番を取りたかったなどというちっぽけなこだわりを吐露するみっともなさを隠す頼蔵。


「さっさと会議を初めてヨ!」


 壇は不機嫌なまま会議の進行を催促する。


「取り敢えず、10人前を5人分!」


 不満を食欲で満たそうと円卓をドンと叩く伴。横で壇が1人分はサビ抜きと付け加える。少年のような姿の壇は、味覚も見た目相応なのだろう。ワサビの辛さは唐辛子などの刺激とは明らかにベクトルが違う。子供には難易度が高い。


「3人は放っておいていいわ。で、緊急の要件って?」


 いつもの様子の違う3人の考えていることが手に取るように理解出来ている菖蒲丸は、不思議そうにする浄妙に会議の進行を改めて促す。


「…………暗殺ギルドの情報網に、とんでもないカルマを持った化け物が現れたと報告があった」


「化け物?」


 男3人が、化け物というキーワードに反応して一瞬で血相が変わった。急に真面目スイッチが入ったかのように身を乗り出して話を聞く態度になる。

 浄妙は、急に喰いついてきた男3人に気圧されつつ、最近クリプトで起こった事件を説明していった。

 掻い摘んで言えば、豊穣門で『とんでもないカルマ』を持ったとある人物がガードによって拘束され、その後釈放されるものの別のガードに再び拘束されるというのを何日も繰り返した揚げ句、クリプト全域のガードに、その『とんでもないカルマ』広く認知されるようになったというのだ。

 その後、ガードと仲良くなった『とんでもないカルマ』は、拘束されずに済むようになったが、今度は冒険者たちが反応し出して、騒ぎが大きくなっているとのことである。


 以上の情報は、暗殺ギルドに潜入させている浄妙のエージェントからの報告である。

 ちなみに、暗殺ギルドの仕事はカルマの急激な変動を察知し不当なカルマブレイクを引き起こす危険因子をいち早く発見し、警告及び排除をすることである。そうした職務の性質上カルマには非常に敏感で、いち早く騒ぎに駆け付け、その後『とんでもないカルマ』を自発的に追跡調査していたのである。

 エージェントは就いている職業や性格に基づいて行動するように決められているので、これに関しては命令しなくても自動的に仕事をしてくれる。


「とんでもないカルマって具体的には?」


「限りなく黒に近い灰色のカルマオーラ。それも特大で街にいればどこにいるのかはっきりとわかるほどだ」


「どこからでも分かるオーラって、犯罪フラグが立っているってことかな?」


「オーラの見え方が完全に犯罪フラグなのだが、実際には犯罪を犯しているというわけではないらしいのだ」


 犯罪フラグと勘違いされてガードに捕まってばかりだが、次第にガード間でその特異性が認知されはじめ、その後は無為に捕まることは少なくなったらしいと付け加える浄妙。


「そんなカルマ見たことあるか?」


「人殺しの永久犯罪フラグみたいなものか?」


「それだと誰から見ても赤黒い穢れたオーラに見えるよね?」


「私のエージェントがクリプトにいるけど、その話は報告されてなかったわね」


 菖蒲丸のエージェントは、冒険者関連の施設が集中する西側の区画に常駐している。

 そのエージェントの名前はヤハール・ブッカー。職業はバトルヒーラーで、現在は仲間を失ってチームやパーティーを組めないでいる孤独な亡命者たちの更生に尽力している。


「ガードの件に関してはここ1週間の話で、冒険者のいる区画には侵入していなかった。ガードの管轄だったので暗殺ギルドは手が出せなかったが、自発的に追跡調査していて助かった」


 浄妙のエージェントは主同様有能らしい。

 ちなみに、彼女がクリプトに常駐させているエージェントの名は、イゾ・オーカダ。生前は人斬りなどと恐れられた暗殺のプロ?――である。


「旧市街の西、旧市街や商工業区から冒険者区に入って、一部の冒険者が過剰に反応して討伐しようと躍起になっている。特に落ちこぼれの亡命者たちが手柄にしようと執拗に追い回している状況だ」


 問題の化け物は、クリプトの中央からやや東寄りに位置する豊穣門や旧市街周辺で確認されていた。そのため、中央部から離れたクリプト西端の冒険者区に常駐している菖蒲丸のエージェントをはじめとした冒険者たちには認知されていなかった。

 街中のガードが犯罪フラグそっくりのダークカルマに反応していたため、暗殺ギルドの執行者たちも手が出せず遠巻きに見ているしかなかった。

 ガードの中に死神のエージェントを潜り込ませておけばもっと早く気づいただろう。しかし、正規ガードになるためのハードルが高く、しかもガードを監視するMPがいるので工作員を潜り込ませるのは至難の業である。


「浄妙さん、つまりこの化け物をどうするかってのをこの会議で決めたいわけだね?」


「ああ、まずは報告と思ってな」


「そんな悪党もどきなら、ぶっ殺しても問題ないだろう?」


 頼蔵が実に頼蔵らしい意見を言う。これはもはや思考によって生まれた意見というより、脳を介さない条件反射みたいなものである。


「浄妙さんがわざわざ緊急招集かけたってことは、つまりアレってことでしょ?」


「アレってなんだ?」


 敢えて具体的な単語を出さない壇の発言に、脳みそが筋肉で出来ていると噂されている伴が、これまた実に伴らしい反応で問いただす。


「メインキーかもしれないってこと?」


 これには菖蒲丸がいち早く反応した。


「うむ、頼蔵が言ったように、特異な存在が現れたのではないか?」


「何!」


「メインキーだと?」


 予想もしていなかったという反応を見せる伴と頼蔵。

 この2人は、自身のエージェントの育成と地固めの最中で、本来の目的であるメインキーの捜索の件を完全に忘れていた。これは、以前の会議で、メインキーの探索はもう少し準備が整ってから――という結論にもなっていたので彼らを責めるのは少し酷である。

 頼蔵の意見としては、メインキーは強大な力を持っているので、こちらから動かなくともいずれ必ず噂になると予想していた。その噂を聞き逃さないための情報網を構築する作業に重点を置いていたのが壇、そして浄妙であり、これがここ最近の対策会議の議題だった。

 もしこれがメインキーだとすれば予想より早く接触出来たことを意味する。


「とんでもないカルマってのは具体的にはどういうヤツなんだ?」


 とんでもないカルマという部分が強調され過ぎて、肝心な部分の説明が不足していたと反省した浄妙は、伴の質問に応えるかたちで入手している情報を各自の端末に送信して共有する。


「名前はミリセントで性別は女。年齢は……推定12歳から14歳か」


「女の子ってことは、メインキーである可能性は一応あるよね?」


 メインキーは女性でなければならないという条件があった。何故、そんな条件を付けたのかは、このアサイラムを創った今現在行方不明の河上和正という男にしか分からない。


「ミリセント? 姓は?」


「ただのミリセントね」


「それって、つまり……」


「どういうこと?」


 姓が無く名前だけの意味を知っている3人に菖蒲丸が問う。


「罪人の血筋にある者の特徴だね」


「親の罪を子供が背負うのか?」


 司法を司る浄妙がアサイラムの法制度に興味を示す。


「この世界のシステムは、能力を親から子へ引き継がせるようになっていて、自分の分身を増やすことが出来るようになっているんだよ」


「優秀な両親から生まれる優秀な子供を何世代もかけて強化して、最終的に最強のアバターを作り出すのさ」


 壇の説明に伴が補足する。3人のオタクたちによる解説リレーは、既に会議の風物詩になっていた。


「え? そんな長いスパンで考えるものなの?」


 子孫を作って継続していくゲームは実際に存在するが、菖蒲丸としては、そんな話は初耳だったので思わず目を丸くする。


「それを目的とするゲームじゃないが、理論上それが可能なシステムってことで、俺たちはそうやって手足として使えるエージェントを増やそうと思っている」


 伴の言葉に菖蒲丸はへぇと少し感心する。こんな方法で手駒を増やすなど、よく思いつくものである。


「アサイラムはただのゲームじゃない。獄卒達の保養施設としての役割を持つ恒久的な世界として作ったものだからな。永い目で見るのは当然だ」


「いやいや、アサイラムは新たな地獄として活用し、裁判所の負担を軽減すべきだ!」


 頼蔵の見解にすかさず伴が反論する。この2人は、アサイラムを将来どのように扱うかについて意見が対立しているのである。


「ああ?」


「何だ? 文句あるのか?」


 アサイラムは死神たちの娯楽の為に作られたゲームではない。これは事実で、この異世界空間の利用目的が裁判所の負担軽減という点においては一致している。しかし、具体的にどんな形に仕上げるかについての意見には相違があった。


「それはメインキーを手に入れた人が決めるってことにしたでしょ?」


 話の腰が折れそうなのを予見し壇が素早く仲裁に入る。彼は一応中立だが、どちらの意見に賛同するかと問われれば伴である。ちなみに、浄妙も菖蒲丸も公言は控えているが伴に賛同している。つまり、誰一人頼蔵に同意する者はいないのである。


「この世界の住人って、結局冥界にいる暇人たちのロールプレイでしょ? ゲーム内で死んでしまうとゲームオーバーだけど、それじゃーもったいないから子孫を残して周回プレーができるようになっているんだよ。せっかく育てたアバターが死んで終わりじゃ寂しいでしょ?」


 互いに睨み合いながら寿司を頬張っている2人に変わって壇が説明する。


「そ、そうなのね……」


 でしょ? と同意を求められても良く分からない菖蒲丸は、アサイラムが本当にゲームっぽく作られている世界なのだと改めて知ることになった。

 話の腰が完全に折られてしまったが、ミリセントという少女のご先祖様が大罪人であることは、一先ず会議の面々に共有された。


「ミリセント? の先祖が何かやらかしたという設定はともかく、本人は限りなく悪人に近い存在ということで間違いないな? だったら、このアバターは頼蔵にお似合いということにならないか?」


 つまりメインキーである可能性が高いということである。


「何でそうなるんだ!」


「メインキーは頼蔵がオーダーしたものだろう? 頼蔵に合わせて悪人にしたのではないか?」


「ああー! 確かに!」


 浄妙と頼蔵のやり取りの後に菖蒲丸が納得して、ポンと手を叩く。


「待て! 待て! お前らはバカか? 悪党が『俺様は誰が見ても悪党です!』と、アドバルーンを上げるわけがないだろう?」


「それも一理あるかもね」


 無条件で頼蔵をディスる菖蒲丸とは違い、壇はその主張に一応の理解を示した。


「オレのアバターは、犯罪行為を誰にも知られないことで、表向きのカルマは正常に見せている。悪党を演じるパワープレーは嫌いではないが、メインキーを手に入れるまでは問題を表面化させる気はないぞ」


「結局悪党にはかわりないのね」


 肩をすくめる菖蒲丸。


「このミリセントってヤツは、何故に悪党の看板背負ってクリプトくんだりまで来たんだ? ってか、こいつはどこから来たんだ?」


 いつものことだが、説明の途中に話が脱線したことで、ミリセントの詳しい情報が十分にされていなかった。


「えーと、彼女の出身はエグザール地方ね」


 入国を管理したガードポストからの情報なので間違いないことを付け加える浄妙。


「エグザール地方? あの魔の領域か?」


「魔の領域?」


 最初に戻ってミリセントの経歴を読み上げる浄妙に、頼蔵が横やりを入れて知識の浅い菖蒲丸が疑問の声を上げる。実は折った話の腰の半分は菖蒲丸のせいだったりすることが多いのだが、本人にその自覚はない。そして、その逸れた話を余計に逸らすのが頼蔵である。

 ちなみにそれを元に戻すのが、意外にも伴だったりする。ただ、この時の伴は、折れた話の腰を元に戻さず、必要な情報としてエグザール地方の現状の説明を始める。


「魔の領域というより、あそこは魔の源であるマナが存在しない危険地帯なんだ」


「あそこは人が住めない不毛な土地だとは聞いてはいたけど……」


 菖蒲丸は知識だけの存在であるエグザール地方をそう評した。これは間違いではなく、実際に土地は枯れていて大きな街を恒久的に運営できるような資源が確認されていない。

 少数であれば人が住めないほどでもないのだが、マナに依存する――例えばエルフや魔性生物にとっては死に直結するような過酷な環境であるといえる。これは、マナを自在に操るエルフらの真似をして冒険者を気取る人間たちにとっても同様である。

 具体的にどう危険かといえば、例えば非力な人間が重装備スキルで筋力と体力を相対的に補っていた場合、マナの枯渇によってスキルが無効化してしまい、自身の重装備に押しつぶされて大怪我、最悪死ぬといったようにである。

 エグザール地方に冒険者が立ち入りできないのは、入国管理上の手続きの問題よりも、命の危険があるからである。


「他に情報は?」


「合計100回以上ガードに拘束された甲斐があったのか、今はガードたちとは良好な関係みたいで、寝泊りはガードポストの留置所でしているようだな」


 犯罪フラグに似たカルマオーラのため、初対面のガードは規則に則って拘束するのは何も問題ではない。


「ガードたちとは仲良くしているようね……つまり、頼蔵のようなガチの悪人ではないと……」


「だね」


 さらっと酷いことを言う菖蒲丸に皆同意する。頼蔵もそうしたいわれ様に慣れているのかそのまま聞き流している。むしろガチの悪人などと評されたことに満足しているのではないだろうか?


「で、クリプトに来た目的はわかってるのか?」


「不明。でも、冒険者ギルドに向かっているのは確かなようだな」


「冒険者になろうとしているのか……」


「えーと、今、僕の運輸会社の情報を精査してたけど、最近ピュオ・プラーハはエグザール地方の管理を放棄したみたいだね。数か月前に……」


「何か関係ありそうだな」


 運輸や商業方面に情報網を持つ壇が、エグザール地方にまつわる噂を検索し、以上のような話がヒットしたことを報告する。


「あそこはピュオ・プラーハの領土だったのか」


「正確には領土を放棄したんじゃなくて、流刑地としての機能を解除したって感じかな」


「ほう、なるほど、話が見えてきたな」


「ようするに、流刑地にいた罪人の子孫が、釈放されてこっちに出てきたってことだろう?」


「田舎者が冒険者になるために都会に出てきたって感じ?」


「釈放ならカルマはリセットされるのではないか?」


 司法を司る浄妙が壇たちの結論に彼女らしい疑問の声を上げる。


「釈放というより、野放しにしたのか? 王国も杜撰だな。聞いてあきれる」


 ミリセントという名の少女の持つ異様なカルマの由来を会議は共有し、クリプトに来た理由は単純に職探しではないかと、一先ず仮説を立てる。

 刑期を終える前に刑務所が閉鎖され、無理やり追い出されて途方に暮れ、生きていくために職を探す。何の後ろ盾もない少女の将来の選択肢として冒険者を選ぶのは、この世界では決してあり得ない話ではない。実際問題として、親を失い将来の先行きが不透明な子供たちが、クリプトの訓練所に入って冒険者になるという現実がある。

 エグザール地方を出た少女が最初に到達するであろうナントの街で、冒険者ギルドを紹介され、カルマの問題から本部のあるクリプト行を勧められて現在に至る――というのが事の真相だろう。


「問題は、こいつがメインキーかってことだな」


「現時点では何とも言えないね」


「でも、メインキーって何かすごい力があるのよね?」


 具体的にどういった力なのかはわからないが、ただ一つ言えることは、世界を自在に制御出来る力らしい。


「化け物のようなカルマは、それになるのか?」


「いや、ならんだろ」


 化け物のようなカルマは、そのまま化け物と同義であり、つまるところ人類の敵である。


「頼蔵には合ってると思うけど?」


「カルマは自分の立場や所属を決定づける要素で能力じゃない!」


「或いはエグザール地方のエリア解放イベントというのはどうだ?」


 アサイラムをゲームとして正攻法で攻略する伴らしい発言である。


「別にあの地方は未開放ではないぞ。マナに頼る冒険者にとって危険というだけでな」


「冒険者じゃなければ今も入れるってこと?」


 事情をよく知らない菖蒲丸が率直に尋ねる。


「ピュオ・プラーハの許可があればな。実際、運輸会社が補給物資を運んでいる」


 エグザール地方の領有権は、旧プラーハ王国、そして今はピュオ・プラーハにある。しかし、実効支配をしていたのは旧プラーハ王国時代で、今はほとんど無人とかわらない状態である。


「それよりも、そのミリセントってのは何か特殊な能力を使った痕跡はないのか?」


 これが一番知りたい情報である。


「逃げ足……」


「は?」


「やたら逃げ足が速いという以外いたって普通の女の子ね……」


 街中での戦闘行為は基本禁止であるが、模擬戦や決闘など双方の合意による戦闘はその限りではない。しかし、相手が罪人であれば話は違う。腕に自信がある冒険者であれば、実力で制圧しても問題ないどころか、冒険者ギルドから感謝状と副賞が与えられる一種の英雄的行為である。

 そして、この副賞を目当てにした冒険者や亡命者らがミリセントを捕らえようと必死に追い回している状況である。


「でも変だね……ガードがスルーするようになったってことは、ミリセントは別に犯罪者ではないんでしょ?」


「そういえばそうだな……犯罪者ではない一般市民に対して抜剣したら、逆にそいつに犯罪フラグが立つはずだ」


「つまり、ミリセントはやっぱり犯罪者ってこと?」


「まるでモンスターみたいだね……でも、ガードがスルーしているし……」


 ガードが見逃すということは、モンスターや犯罪者の類ではないのは確かである。


「ということは、やっぱり一般市民という扱いだよね……」


 そうなってくると、一般市民であるはずのミリセントに一方的に攻撃しても何もペナルティがないのはおかしい。

 アサイラムを誰よりも理解していると自他共に認める壇も思わず唸ってしまう案件である。

 これまで話をしながらも常に寿司に手が伸びていた男3人が腕を組んで考え込みはじめてしまう。菖蒲丸にしてみれば、そこまで深刻に考えなくてもいいだろうと思うのだが、アサイラムマスターを自称する彼らにとって、この不可解な状況をそのままにしておくのは沽券にかかわる問題なのだ。


「もう少し様子を見つつ情報収集に努めるか? メインキーの件も含めて今すぐに結論を出す必要はないだろう?」


「…………」


 浄妙が議長として会議を仕切ってみるが、頼蔵、伴、壇の3人は何かブツブツいいながらコンソールとにらめっこ状態から動かなくなってしまう。あらゆる可能性を模索して必死に頭を回転させているようである。

 このシーンだけを切り取ってみれば、真面目に仕事をしているように見える。


「その勤勉さを普段から発揮していればいいのに……」


「菖蒲丸はどう思う?」


 呆れる菖蒲丸に浄妙が尋ねてくる。主語がないので何についての質問か一寸迷う。男3人の有様についての感想など求めているわけでもないだろうし、恐らくメインキーについてのことで間違いないだろう。


「そうね……」


 菖蒲丸はふと思案に耽る。

 メインキー獲得のために利用した中田 中(あたる)という中年男性は、今は何事もなかったかのように元の生活に戻っている。

 脳にあった腫瘍はそのまま残っているのを確認している。

 もし、この腫瘍が綺麗さっぱり無くなっていればチュートリアルは失敗したということになり、生まれなかった中(あたる)の双子の姉妹は、そこで確実に亡くなることになる。

 彼女(腫瘍)が存在しているということは今も生きていることの証明であり、中(あたる)の姉妹はアサイラム内にいると思われる。

 頼蔵の言う通りであれば、メインキーは凄い能力を引っ提げてこの世界のどこかに現れるはずだ。

 ミリセントという化け物がそれなのかはまだわからないが、時期的にその可能性は高いと思われる。しかし、化け物じみたカルマオーラが、頼蔵の求める能力とは少し考えずらい。

 彼女に『あなたは死神が派遣したテスターですか?』と聞いてもチンプンカンプンだろう。何故なら、アサイラムの世界に来た時点で別人としてロールプレイを強制されるからだ。だから問うとすればこうだ。

 

『あなたはどんな困難を乗り越えてきましたか?』


 である。


 ここで、彼女が経験した具体的な話を聞ければ、恐らくそれがチュートリアルの内容で間違いない。

 必要な情報を得られれば中田 中(あたる)はもう用済みである。頼蔵は嬉々として彼を殺害し、頼蔵だけに許されたメインキー獲得のチュートリアルの最後の一回を自身のエージェントを遣って挑戦するだけである。

 これでメインキーは頼蔵のものである。

 ただ、頼蔵がメインキーをゲットしてしまうと、このアサイラムは彼の思い通りのくだらない世界になってしまう。

 伴などはそれを全力で阻止したい立場で、頼蔵よりも早くメインキーと思われる女性を確保し、チュートリアルの内容を聞き出して頼蔵との交渉材料にするつもりだ。

 伴も頼蔵もまだ地固めが万全ではなく、そんな中途半端な時期にメインキーが現れるのは内心迷惑に感じているのかもしれない。

 そんな悩みを抱えつつ、ここでミリセントというこの世界のルールが適用されない少女の存在が立ちはだかったのだ。

 冒険者ではないということは一般人ということになるが、犯罪者の子孫はその一般人には当てはまらない。ガード圏内で攻撃してもペナルティが発生しない特殊な存在ということになる。

 この事実は、アサイラム歴10年以上の3人のゲームオタクにとっては完全に寝耳に水で、常識が通用しない規格外の存在が、これまで確認できなかったことに相当のショックを覚えているようだ。

 全てを理解していると自負していたオタクの矜持など菖蒲丸には理解したくもないところだが、自分の知らない病気を別の誰かが知っていれば、医事を司る死神としてみれば面白くないのは事実であり、彼らの気持ちの一端くらいなら理解を示すことができる。


「そうね……私たちも、そして全知をうそぶいていた頼蔵たちも知らないことが、まだまだアサイラムに存在しているということだけは分かったわ」


「うむ、エグザール地方もそうだが、これから向かうはずの東カロン地方。その東カロン地方に存在するとされる冒険者ギルドが目指している南方海域。我々の知る世界など全体に比べればこの米粒程度なのだろうな」


 浄妙はそう言って寿司下駄にこびりついた酢飯の一粒を割り箸で器用につまんで口に運ぶ。


「さて、今日のところは一先ずここまでにしておくか。連中はまだまだ議論が足りないようだが、我々は会食を楽しもう」


「そうね」


 これを合図にして、これまでお茶と寿司だけだった円卓の上にアルコールが追加される。


 第21回アサイラム対策会議の中身は、緊急の報告と情報収集をするだけで具体的な取り決めはされなかった。

 翌日開催された第22回アサイラム対策会議において、ミリセントの重点調査のために指令書を一枚消費し、その後数回の会議を経てある結論を導き出した。


『ミリセントはメインキーではない』


 特殊な生まれによる最悪のカルマを持ってはいるが、それ以外は平均以下の人間。逃げ足以外に見るべき優れた能力は確認出来ず、戦闘力に至っては皆無である。マナの存在しないエグザール地方で生まれたことでマナ抗体が無く、マナに関する一切合切が無効というのもネガティブと判断された。

 特殊なカルマも逃げ足の速さも魔法が効かない体質も、今のところオンリーワンで特別だが、やはり頼蔵の想定している世界を作り替えるような大きな力とは程遠い。

 以上が、メインキーではないと判断した理由である。


 死神とは司る力を使い誇示する存在である。能力を抑えたり隠すということは、彼らにとっては自らの存在を否定するのと同じことである。だからこそ、ミリセントという小人も同様に自らの能力の全てを発揮して生きていると思い込んでいる。

 しかも、このアサイラムという世界が、入ったら最後、強制的にロールプレイを強いられると思い込んで、まるで疑っていない。

 もし、人格も記憶も全て引き継げるのであれば、死神自身がアサイラムに乗り込んでいける。それが出来なくなってしまったからこそ、わざわざエージェントを派遣するという面倒くさい手続きをしてゲームに間接的に参加しているのである。


 彼らは知る由もないだろう。

 頼蔵のオーダーした凄い能力というのが、この世界の全てを資源に還元して再利用できる力であり、強制ロールプレイというルールですら壊してしまう能力だということを……

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