冒険者の街クリプト編

第46話 「絡み合う因子」

第四十六話 「絡み合う因子」


 東に見えるカロン海河の濁流の波霧から昇る太陽は、天頂にあって大地に光の恵みをもたらすと、やがて西のプリズンウォールマウンテンの山影の向こうに去っていく。

 世界の誕生から連綿と続くこのサイクルに、誰も疑問の余地を挟むことを許されていない。


 ここは西カロン地方に存在する城塞都市のひとつ、自由交易都市クリプト。


 冒険者の街ともいわれる城塞で囲まれた街の日の出は遅く、そして日の入りは早い。太陽がもたらす光と温もりの恵みは、無垢の大地に住まうものよりも少ないが、そのかわり、安全という素晴らしい恩恵を与えてくれた。


 城壁よりも高い建物に囲まれた、冒険者ギルド前の噴水広場は、まるで円形闘技場の中心にいるかのような錯覚を覚える。

 ここから見上げる空は狭く、プリズンウォールマウンテンが見せる日没前の幻想的な景色の存在を、どこか遠いおとぎ話のような存在にさせている。


 冒険者区と呼ばれるクリプト西端の狭いエリアは、文字通り冒険者関連の施設が集中しているが、さらに行政、商業、ガード関連のギルド本部がひしめく街の心臓部にもなっている。

 重要施設が集中している関係上、城壁は他よりも厳重に設計され、中央の商業エリアと境界線が防御城壁となって冒険者区を丸ごと隔離しているような状態である。

 冒険者ギルドは、冒険者区と商業区とを別ける分厚い城壁の中に存在する。いや、城壁内にというよりも、城壁そのものが冒険者ギルドといった方がわかり易いかもしれない。

 この区画の西端には巨大な城門があり、西のガスビン鉱山へ向かう際はこの城門をくぐることになる。

 北のピュオ・プラーハに続く王国門と、南のカント共和国に出る豊穣門、そして、ガスビン鉱山に向かう西門と、クリプトには計3つの門が存在することになる。

 ちなみに、西門は王国門や豊穣門のような城塞門ではなく普通の城門で、冒険者関係者以外でこの門を利用する者はほとんどいない。何故なら、この先のガスビン鉱山都市はゴブリンの支配下にある廃墟しかないからである。その廃墟を抜けたとしても無法者や傭兵などアウトローに支配された旧ヴァスカヴィルの街しかない。裕福なクリプトから行商人が行ったとしても、失うものはあっても得る物はないだろう。

 中立都市国家群と商売をするなら、ダーヌ川を経由するカント共和国を間にはさむしかない。


 冒険者の街クリプトでは、冒険者の活動域としてガスビン鉱山以外に海底トンネルがある。

 この海底トンネルがクリプトの地下にあり、冒険者ギルドの施設の地下にその入口がある。

 海底トンネルの実際の入口部分は、旧市街区の真下にあるので、冒険者ギルド地下からそこまで地下通路が長く続いている。この地下通路は、ただの通用路ではなく、主に冒険者相手の様々なサービスを提供している地下街になっている。

 魔物の侵入に対する防御や、戦利品の管理、クエストアイテムの回収、消耗品の配給サービス、帰還冒険者のコンディションの確認や治療など、地下街は検疫所としも非常に重要な役割を担っている。

 戦利品等も直接地上に持ち出すことは禁止されており、一旦ここに預けて検疫し、ギルドの受け取り用の専用ボックスから戦利品を受け取るというシステムになっている。

 万が一、地下トンネルから凶悪なモンスターが流入した場合は、この通路で撃退することになり、そのための各種防御兵器や罠が多数設置されている。

 モンスターの中には食糧としての価値があるものも多く、解体回収業者等も地下街で待機している。大物を退治した冒険者は、そうした回収業者に連絡して手数料を払って回収してもらうことになる。

 大人数の探索ギルドを作って討伐から回収までを自前でやるところもあり、その代表が攻略組と呼ばれる東征ギルド連合である。

 地上に引き揚げる大型エレベーターが8基備わっており、地上部分は冒険者ギルドと提携した加工業ギルドの施設となっているので、回収、解体、売却等の各種手続きは効率的に行える仕組みになっている。

 クリプトの大きな特徴は、旧市街区からの拡張段階から、海底トンネル攻略を予め予定して建設された計画都市ということである。


 狭苦しい冒険者区の中央には小さな噴水広場があり、冒険者たちの待ち合わせや交流の場になっている。

 剣と魔法のファンタジー作品では定番の光景だろうが、土地の限られているクリプトでは、広場といっても広々とした贅沢な空間ではなく、当然噴水も立派だが決して大きくはない。

 四方を高い建物で囲まれているせいもあり、広場は円形闘技場か野外円形劇場といった雰囲気が漂っている。

 噴水には彫像や彫刻といった装飾品はなく、中央に丸いテーブルが3段ほど積み上げられて、その一番上に丸い球が飾られているだけの簡単なものだ。水が噴き出ると書いて噴水だが、球体から申し訳ない程度の水が出ているだけである。

 噴水のプール部分は狭いが縁の幅が広く、噴水自体が一段高くなっているので、ちょっとした舞台になっている。噴水広場を円形劇場に例えるなら、この噴水が舞台といったところだろうか。

 実際、人材募集や告知をしたい者は、この舞台に立って声を張り上げる光景をよく見かける。噴水の設計者の意図は不明だが、そこまで計算に入れていたのであれば大したものだろう。


 そして、その舞台を上手に活用する少女がいた。


「署名お願いしまーす!」


 冒険者ギルド前の噴水広場には、早朝にも関わらず、それなりに人はいるようである。


「署名お願いしまーす!」


 再び、少女が声を張り上げる。

 声は十分聞こえているはずなのに、周囲の反応は鈍く誰も見向きもしない。これは、関心がないというより、分かっていて敢えて無視を決め込んでいるといった様子である。

 狭い路地裏から顔を出してニヤニヤといやらしく見つめている者もいる。


「署名お願いしまーす! あと44名です! お願いしまーす!」


 広場を取り囲む建物の窓から、その様子を面白そうに眺める者もいる。少女の声より大きな音を立てて窓を閉めるいやがらせをする者もいたりする。

 少女は見るからに歓迎されていないようだ。


 噴水広場の東に見える要塞のような城壁門が冒険者ギルドである。

 この城壁が他の城壁と明らかに違うのは、ギルドマークが描かれた巨大な懸垂旗で飾られていることだ。

 その冒険者ギルドの反対側、少し遠目にクリプトの西門が見える。

 クリプトの西にあるガスビン鉱山に向かう際はこの門を抜けることになるだろう。早朝だと冒険に出発する者の背中を見ることができるが、帰還する者の姿はいないようだ。


 噴水から北に見える大きく立派な建物がガードセンター。南側に見えるのが商業・通商など各種ギルドが事務所を置くギルド連合のビルである。

 ガードセンターは正面から見ると要塞のような武骨な印象を受けるが、その背後に貴族のお屋敷のような立派な建物がゆったりと立ち並んでいる。その雰囲気は旧市街区と似ていると思う者も多いだろう。実際、そこは冒険者ギルドを立ち上げた貴族のお屋敷である。

 ギルド連合の周辺には冒険者区のガードポストや高級ホテル、高級マンションがひしめき合って建っている。

 他の区画よりも高層の建物が多く、一番高いもので地上7階に及ぶ。


「署名お願いできませんかー! よろしくお願いしまーす!」


 少女の悲壮感の籠った高くよく通る声が、林立する建物に反響する。

 しかし、反応は無いどころか、人の波は見えない力によって噴水の周囲を避けるような動きをする。そして、その表情は一様に険しく、中には露骨に悪態をついてくる有様だった。

 少女は、はぁとため息をついてその場に座り込む。


「(こりゃー無理ゲーだなー)」


 カルマで人を判断する冒険者界隈では、少女は完全に悪人というレッテル貼りがされてしまったようである。一度付いた悪い印象はそう簡単に拭いさられるものではない。

 カルマは、必ずしも善悪で判断されるわけではなく、性格や好みの傾向が似通っている者同士がカップリングされやすいようにするための、相性を可視化させているだけである。自分にとって相性の悪い人のカルマが悪く見えるだけで、実際の悪人か善人を判断するものではないが、多くは、悪い印象を悪そのものと決めつけてしまいがちである。

 本人は何も悪い事はしていない――はずなのだが、彼女のご先祖様に大罪人がいるらしく、その罪を代々引き継いでしまったらしい。

 それら少女に関する情報は、冒険者(冒険者免許証所有者)に標準で備わっているメッセージ機能で、全冒険者にギルドから通知がされており、3日間の署名活動中で、期間中の攻撃は禁止と指示が出ていた。

 噴水広場にたむろする冒険者たちのつれない行動は、つまり、少女の素性を知っての確信犯ということである。

 親の罪が子に及ばない――と、信じたいが、カエルの子はカエルと見られてしまうのが世間というもので、ほとんどの冒険者は彼女に良い印象を持てるはずがなかった。

 それでも、中には物好きもいて、お人好しグループで集まった冒険者パーティーの1つが、一昨日から始まった署名活動に対してすぐに行動を起こした。

 少女はこれは幸先が良いと喜んで、すぐにでも50名分の署名が集まると高を括っていたが、その後2日過ぎても残り44名で変わらぬ有様だった。


「…………」


 噴水の幅広の縁で仰向けになって空を見上げる少女は、いつの間にか真上にある太陽の光の眩しさに思わず手をかざして日除け代わりにする。

 陽が沈むまであと5、6時間というところだろうか? あと44名分の署名を集めるのは恐らく、いやほぼ無理だろう。

 あきらめムードをその身にまとう少女は、寝転びながら首を巡らし広場を見渡す。

 様々な装備の冒険者が、噴水から一定の距離を保ちながら思い思いに行動している。

 ランクの低そうな冒険者はだいたい見た目で分かる。

 経験と強さがそのまま冒険者ランクに反映するとは限らないだろうが、まだ顔に幼さが残るルーキーや、冒険者歴はそれなりにありそうなのに、薄汚れた装備をだらしなく着ている連中は、総じて底辺に甘んじている者たちで間違いないだろう。

 そういえば、署名活動初日に現れた冒険者パーティーもランクが低そうだった。まぁ、生き馬の目を抜くような冒険者の世界では、お人好しは後塵を拝するしかないということだろう。

 急がば回れとも言うし、自分たちのペースで進むのがちょうどいいのだが、得てして人は先を急ぎがちである。

 先を急ぎ過ぎて失敗を繰り返した冒険者のなれの果てが、あのルーザーたちなのだから、急がば回れの教訓は、この世で数少ない真理の一つなのだろう。


 少女と目が合った冒険者の1人は、いい気味だといった表情で口の端を吊り上げて、その場を去って行く。

 そんな冒険者の群れの中に、鋭い視線を広場に向けて何かを探っているような者がチラホラみえる。

 少女を監視しているのか、或いは、何かよからぬことを企んでいるのか? ルーザーとは違い、そうした連中は皆手練れに見える。何れにしても、真っ当な稼ぎをすることだけが冒険者ではないということだろう。


 噴水広場の南西エリアの一画に、7階建ての豪華なホテルが見える。

 見るからに富裕層向けと分かるそのホテルの5階、5つある窓の西端一つが開いている。

 その窓辺に座る男があからさまにつまらなそうな表情を隠そうともせず、片頬杖で広場を見下ろしていた。

 高級ホテルの上層階は、下層よりも数段料金が高く一般人には高嶺の花だが、高ランクの冒険者ともなると、年単位で契約する者もいるので空きが出来る暇もない。

 そんなゴージャスな生活をしている冒険者の噂を聞くと、さぞ、この界隈は景気が良いと勘違いしてしまうだろう。実際は、そんな部屋が少数に限られているのと同じように、豪華な生活が出来る冒険者もほんの一握りに過ぎないのだ。


「ずいぶん熱心だな」


 窓際で噴水広場を監視している男のいる部屋に、音もなく別の男が入ってきて声をかけてきた。


「あ? ああ、なんだイゾか」


「なんだとは、あんまりだな」


 なんだと揶揄されたイゾと呼ばれた男は、気を害した風もなく軽く肩をすくめるだけである。その様子から、いつもどおりの彼らのやりとりらしいことが理解できた。

 そのイゾと呼ばれた男は、背中の大刀を腕に抱くように持ち直して、空いている椅子には座らず、そのままドア横の壁にもたれかかる。

 城塞都市特有の狭い土地事情のせいか、スイートルーム以外のホテルの部屋は基本的に狭い。

 高級ホテルのミドルクラスの部屋でもそれは同じで、広場を一望できる窓際のリビングも大男2人が居合わせれば犬小屋のように狭く感じてしまう。


「ミリセントの監視か?」


 窓際の男は、視線はそのままに背後のイゾに問う。


「ああ、監視といっても、3日間の署名活動中だから、こっちは特に動きようがないがな……で、ゲザイは何をしてるんだ?」


 窓際の男はゲサイ。ゲサイ・カーガミという、謎の組織に所属するエージェントの1人である。

 そして、もう1人の男、彼の名はイゾ・オーカダ。イゾは、暗殺ギルドの執行者という肩書を持つが、ゲサイと同じ組織のエージェントも密かに兼任している。

 ゲサイは、表向き無所属の冒険者の1人として活動しつつ、裏では要人護衛や暗殺まで、普通の冒険者には出来ない汚れ仕事を専門に請け負う裏事の専門家である。要人護衛も、当然一般人の護衛などではなく、追われる身となったやんごとなき身分の人物などが対象である。

 暗殺ギルドに所属するイゾとは、本来敵味方の間柄だが、裏では同じ目的のために活動している仲間同士である。

 同じ組織に所属しているエージェントといっても、仕えている主は別々で、その主同士が同組織に所属していることで間接的に仲間状態にさせられている。だから表立って会うことは許されず、こうして裏で会うしかないわけである。

 ちなみに、組織名を持たない謎の組織の首領は5人いて、その配下に複数のエージェントが在籍している。エージェント同士は面識のない者も多く、イゾとゲザイのように面識があるのは珍しいことなのだ。

 隠密行動が得意なゲザイは、5人の首領の配下にあってバラバラに活動しているエージェント間の意思疎通を担う連絡役も努めている。イゾの前ではゲザイという真の姿を晒しているが、冒険者として活動している間は別人に成りすましている。

 ゲザイは常に自身の腕を試す状況を貪欲に狙っている。そして、今この時も標的が噴水広場に現れるのを静かに待っているのだ。


 イゾが暗殺ギルドに所属していることは前述の通りで、暗殺という物騒な名称だが、実は文字通りの意味とは少し違う。

 暗殺ギルドというのは、ギルドとして公然と活動する集団で、冒険者ギルドの関連組織の一つである。

 その役目は、冒険者のカルマの変化を察知して、未然にカルマブレイクが起きないように警告し、状況が改善しないと判断すれば殺害して被害を最小限に留めるという攻勢的な治安維持組織である。

 犯罪フラグなど被害状況が発生してから行動する防衛的治安維持組織のガードとは対極に位置するのが暗殺ギルドである。

 純然たる悪であり嗜むように人を斬るゲザイとは違い、イゾは公務として人を斬る。どちらも人斬りに違いはないのだが、正反対の立場にあることは覚えておいたほうがいいだろう。

 裏で同じ組織に属していなければ、お互い敵同士になっていたことだろう。何故ならゲザイは、人の命を奪うだけではなく、追い詰めて相手のカルマを壊すことも生業とする正真正銘の悪なのだから……


「ん?」


「どうしたゲザイ?」


「例の鴨が現れたようだ……それじゃ、オレは行くぜ」


「くれぐれもミリセントには手を出すなよ?」


「分かってる。ミリセントはただのエサだ」


 互いに主語が無いと意味が通じない短い言葉を交わす。彼らにはそれで意味が通じるのだからこれでいいのだろう。

 ゲサイは部屋から姿を消し、入れ替わるようにイゾの座ったイスの対面の席について噴水広場の監視を始めた。ミリセントの監視は、組織の命令でもあるが、怪しい人物を監視するのは、元々暗殺ギルドの正規の仕事でもある。


「……クズが」


 ゲザイの気配が消えたと同時に、牙をむくように罵るイゾ。

 顔も見たこともない、しかし絶対である『主』のためとはいえ、ゲザイのような人の皮を被った悪意と共闘しなければならないのは、耐えがたい苦痛と屈辱である。

 イゾは、堪らず綺麗な絨毯に吐き捨てようとして一瞬思いとどまったが、やはり耐えられずゲザイの去ったドアの方へ唾を吐いた。




 巨大な城壁型の建造物である冒険者ギルドの商業区側門から、冒険者ギルド側に一定の人の流れが起きている。

 今日は、週に1度のギルド前広場の開放日。この日は、芸能・芸術系のスキルを持つ冒険者が自由に噴水広場を使ってよいという日である。

 冒険者ギルドで修得したスキルは、魔法や剣技であっても決められた場所以外での使用は禁止されており、芸術・芸能・生産系の職業も同様に決められた場所でしかスキル使用は認められていない。

 街中で無秩序にスキルを使用すれば危険なので、この制限は仕方がないことだろう。

 ちなみに、生産職系がスキルを使用してよい場所は、仕事場や各種職業ギルド内で、路上で勝手に活動することはできない。


 そうした背景があるので、戦闘職系と生産職系は交流する機会が限られてしまう。これを円滑に行うための行事が『開放日』である。


「そういえば、今日、開放日じゃん」


 商業区からギルドの門をくぐり噴水広場に向かう、若い6人の冒険者パーティーがいる。


「ただで歌とか踊りが見れるんだよね! 楽しみだよー」


「劇場とか酒場には縁がない俺らからしたら、ありがたいよな」


「ジミーは、地味なんだからお店に入ってもバレないんじゃない?」


「流石にバレるでしょ」


 そんな仲間内のたわいのない会話を楽しむ6人は、『虹ノ義勇団』を名乗るルーキーの亡命者パーティーである。

 虹ノ義勇団は、先日までカント共和国の各都市を縦断する連続配達クエストツアーに従事するためホームであるクリプトを離れていた。

 このクエストの途中、ナントの街で緊急護衛クエストが発生し、これを無事達成させた虹ノ義勇団は、予想外の臨時収入というおまけ付きでクリプトに凱旋することができた。

 彼らの低い冒険者ランク的に法外過ぎる臨時収入の使い道に迷った6人だが、冒険者ギルドでは学べない専門職ギルドの高度な専門技術を獲得するための講習費用にあてることにして、今日まで別行動をとっていた。

 そして、その講習開けの今日が、たまたま広場の開放日と重なったというわけである。


「今日、歌の聖女さま来てるかな?」


「ダイアさん――だっけ?」


「たぶんいるんじゃない?」


「ただで疲労抜きしてもらえるんだから、僕たちみたいな万年金欠組にはありがたいですね」


「今度、ダイアさんのいる宿屋に泊まってみようか?」


「あそこ、最近人気で、1か月前から予約しないと泊まれないみたいよ?」


「マジか?」


 そんなとりとめのない彼ららしい会話を久しぶりに交わしながら再会を喜び合う6人だった。




 様々な思惑と視線が交錯する冒険者ギルド前の噴水広場に、鮮やかなピンク色の髪の少女が一人うなだれている。

 陽が傾き始め、円形闘技場のような広場は強烈な西日の影に覆われ始める。

 何となく空を見上げていた少女は、ふと自分だけに聞こえる小さな声で囁くように呟いた。


「あれ? 太陽ってあんなに規則正しく動いていたっけ?」


 地元のエグザール地方からはるばる西カロン地方に出て来てからずっと忙しい日々を過ごしてきたこともあり、こうして、ただボーっと空を眺めたのは久しぶりだった。

 ミリセントは、傾く太陽の軌跡に何か違和感を覚えた。

 エグザール地方にいた頃は、太陽は不規則に動いていたはずだ。いつ頃から、太陽が東から昇って西のプリズンウォールマウンテンの向こうに消えていくようになったのだろうか?

 よく見れば、まだ夕焼けにもなっていないのに青空の中に星が白く見えていることに気付く。


「うーん……ま、いっか」


 そりゃー、お天道様だって真面目に働きたくなる時もあるはずだ。

 と、その時、少女はそう決めつけてそれ以上は考えないことにした。何故なら、この世界では、もう、元居た世界の常識が通用せず、深く考えるだけ無駄なことを流石に悟っていたからである。


「あ、あのー、何かお困りですか?」


 自分の世界に入って心ここにあらずといったピンクの髪の少女は、不意に声を掛けられたことに驚いて、仰向けから一転素早く飛び起きた。


「は? え? あ、えーと……」


 署名活動中なのに完全に諦めてしまったので、声を掛けられることも想定の外に置いていた。そのため、咄嗟にどう対応してよいのか分からず、しどろもどろになるミリセント。


「ごめんなさい、急に声をかけたりして……」


 いつの間にかミリセントの前に1人の少女が立っていた。

 短めのダークブラウンのくせ毛を留める白いカチューシャが一番に目に飛び込んでくる。それくらい他が印象に残らない地味な女の子である。

 服装はベージュのロングスリーブのワンピースに白いエプロン姿で、冒険者区には似つかわしくない普通の街娘に見える。

 この区画に普通の女の子がいるのは不自然で、恐らく彼女も冒険者の1人なのだろう。

 飾りっけはないが清潔そうな白いエプロンは好感が持てる。第一声を聞いた印象も、他の冒険者やルーザーとは全く違い、見るからに善良そうだ。

 背格好からミリセントと同い年か1こ下くらいだろうか?


「あ、えーと、私は……あっ! そうだ! そうだった! 困ってます! すっごく困ってます!」


 見知らぬ少女の最初の質問に慌てて答えるミリセントは、冒険者になるための署名活動中だったことを思い出す。


「もしかして、署名活動中ですか? 良ければサインしますけど?」


「え? マジで? ぜ、是非お願いします!」


 わざわざ声を掛けてもらえると思っていなかったミリセントは、僅かな残り時間と少なすぎる署名人数のことも忘れて目の前の少女に協力をお願いする。

 木製の堅い下敷きごと署名用紙を受け取ったダークブラウンの髪の少女は、他の署名と空きスペースを見て何かを察した顔を隠そうともせずに率直に尋ねた。


「何名必要なのですか?」


「50名ほど……今日の日没までに」


「そ、そうですか……」


 曇った表情を見せる少女は、一見すると普通の街娘にしか見えないが、冒険者の証である免許証を用紙に重ねてサインをする。

 このように、冒険者ギルドの署名活動は、免許証を提示すれば簡単に出来てしまう。パーティーのリーダーなら、一回の作業でメンバーの人数分自動的に署名できたりもする。

 冒険者免許証は、生体認証されたセキュリティカードのようなもので、冒険者ギルドと提携しているお店の支払いや重要施設へのアクセスも簡単に行える。

 この世界での冒険者免許証及び鬼籍本人手帳は、現代でいうところの運転免許証やマイナンバーカードの機能を併せ持つお財布ケータイのようなもので、利便性は現実世界よりもこちらが各段に上である。


「ありがとう! えーと、ダイアちゃん?」


 受け取った署名用紙の名前を見たミリセントは一応確認を取る。


「あ、私ダイア・ミューラといいます」


「私はミリセント。ただのミリセントで、それ以上でもそれ以下でもない、ただの名前だけのミリセントよ」


「え?……そうなんですね」


 姓を持たないということは、この世界では罪人やその子弟、奴隷やペットといった身分を持たない者を指す場合が多い。

 何となく事情を察したダイアと名乗った少女だが、見下すような態度は一切見せず、名前だけのミリセントの隣に静かに座った。

 思わぬダイアの行動に驚いたミリセントは、無意識に身体を横に逸らしてしまったが、失礼だと思いすぐに元の位置に戻した。そして、それを待っていたかのように、ダイアと名乗る少女が急に自分語りを始めた。


「私は、訓練所に来たばかりの頃は、何の才能もなく冒険者にすらなれませんでした」


 かしこまって座るミリセントとは裏腹に、ダイアはリラックスしている。人との対話に慣れている陽キャタイプだろうか? 自分もこういう性格に生まれたかったと思うミリセントである。

 育ちが良いお嬢様が醸し出す隠し切れない滲み出る上品なオーラは全く感じないが、礼儀正しく謙虚な態度が、無作法で無教養な者が多い冒険者の中では、その清楚さや可憐さが際立っている。さしずめ荒野に咲く一輪の花、或いは砂漠のオアシスといったところだろうか。


「でも、今は立派な冒険者だよね?」


 訓練所出身ということは、彼女は親を亡くしてクリプトに連れてこられた亡命者で間違いないだろう。

 その辺りの事情については既に知識のあったミリセントは、話の続きが気になったので質問を投げかける。

 その問いに、謙遜を込めて「ええ」とだけ答えたダイアは、どことなく寂しそうな、そして懐かしそうな表情を見せる。

 そして、ダイアはそのまま話を続けた。


 冒険者になるために必要な能力値が規定値に満たなかったダイアは、亡命者訓練所を落第という形で退所させられ、豊穣門の輸送業者向けの小さな安宿の住み込みとして働くことになった。

 宿屋での働きぶりは真面目で客の評判も悪くはなく、そんな調子で半年ほどを下働きとして過ごした。1年前のことである。


「私、歌が好きで、仕事中でも休憩中でもずっと口ずさんでたの」


「どんな歌?」


「歌っていうか、メロディーっていうか、自分でも良く分からないけど、両親と過ごしていた昔の記憶なのかな? 無意識に出てくるの…こういう歌――」


 ダイアはそう言うと、『その歌』を口ずさんだ。


「ラーラララ、ラララー ラーラララ、ラーラーラー……って感じで」


 ラという音だけの少し調子のずれたゆったりとしたメロディで、最初の一節だけを囁くように口ずさんだダイアは最期にテヘっと笑う。

 その歌はダイアにとって何気ないいつもの歌だったが、それを聴いたミリセントは、思わず驚きの表情を見せてしまう。

 その表情は感動とは程遠い、聴いてはいけない歌を聴いてしまった――というニュアンスのものだった。


「どうしたの? 変だった?」


「い、いや、へ、変じゃないよ……と、ところで、その歌、どこで誰に習ったの?」


 すぐに強張った表情を元に戻し、苦笑いでごまかすミリセント。

 察しが良いのか、ただ鈍感なだけなのか、ダイヤもそれ以上は追及しなかった。


「……憶えてないの。私たち亡命者は、両親との悲しい死別の記憶を消されてしまってるから……」


「あ、ごめん」


「ううん、いいの。無意識に出てくる歌だから、きっと小さい頃にお母さんに教えてもらったのかもね」


 子守唄ではないかとダイアは思っている。


「…………(この歌、少し下手くそだけど、アレだ、有名なヴォーカロの歌だ、間違いない……」


 ヴォーカロとは、音声合成ソフトにキャラクター性を持たせてヒットしたDTM(デスクトップミュージック)ソフトの総称で、ヴォーカルとロボットを組み合わせた造語である。

 このヴォーカロで作られた曲が多数ヒットし、やがて一つの音楽ジャンルとして定着した。ミリセントの中の人もこのジャンルの曲をよく聴いていたので、ダイアの歌が何という曲なのかすぐにわかったのである。

 このジャンルの中でも1、2位を争う超有名曲だ。何度も聴いていたので忘れるはずがない。


「(ダイア・ミューラだっけか……三浦 ダイアかな? ダイアはダイヤモンドかな? キラキラネームかな? 或いは大和と書いてダイワとか? それはともかく、この子は生前、ヴォーカロの曲たくさん聴きまくってたんだろうな……)」


 見た目はミリセントと同じか少し下くらいだろうか? 親より先にこの歳で亡くなってしまったのはとても残念なことである。

 それにしても、まさかこの世界にきてこの手のジャンルの歌を聴くとは思わなかった。と同時に、驚きの表情を隠すことができず表に出してしまったのは迂闊だったと後悔するミリセントである。

 今後、亡命者と付き合う際は気を付けておこう。知らずにツッコミを入れたことで、そこから身バレする可能性がなくはないのだ。


「(ここに死神がいたら、正体がバレたかもしれないし……えーと、今のところ大丈夫そうかな……」


 周囲にこれといった大きな動きはない。

 広場に人が集まりだしているのは、ダイアと話しはじめた頃から気付いていたことで、身バレとは関係ないはずだ。

 昨日一昨日にはない人の動きなので、少し警戒してしまったが、逆にこの人の多さで自分が目立たなくなっているかもしれない。


「どうして、私にそんな話を? 今、初めて会ったばかりなのに……」


 ヴォーカロに反応してしまったことをごまかすために話題を変えるミリセント。

 ここで、そそくさと逃げてしまうとかえって不信感を買いそうだったので、このまま話を続けたほうが得策だろうという判断である。


「えーと、宿屋で働いた時のお客さんに吟遊詩人さんがいてね――」


「ふむふむ」


「その人が私の歌を聴いて興味を持ったらしくって、呼び止められて、色々身の上話とかしたら、なんか同情しちゃったみたいで、そしたら、眠っていた歌唱の才能を引き出してくれたの――」


 彼女は正式な冒険者ではないが、一応亡命者であることに変わりはない。

 亡命者とは、死亡などにより両親から才能を引き継げなかった子供たちのことで、そうした孤児たちを冒険者ギルドが引き取り、将来の冒険者候補として文字通り生まれ変わった子供たちである。

 しかし、ダイアのように冒険者に必要な戦える能力が足りずに、労働力として街に供出される子供も少なくない。

 冒険者としては落第の評価を受けても、もしかしたら、冒険以外の分野に才能があるかもしれない。

 その才能を見出してダイアの潜在能力を引き出したということだろう。

 最初に彼女の歌を聴いた時は、お世辞にも上手いとは思わなかったので、本当に些細な才能だったのだろう。

 それでも、才能の欠片であることに間違いはない。歌唱力はともかく、『ヴォーカロ好き』の才能は本物だったのだ。


「よかったね」


「うん――でもね、一度は訓練所を卒業したというか落第しちゃったから、再訓練は受けられないし、そもそも歌唱能力だけじゃ冒険者になれなくて……」


 ここまで聞いて、ダイアが署名活動に協力的な理由を理解したミリセント。


「ああ! なるほど! ダイアちゃんも署名活動したことがあったのね!」


 そう、彼女もまた、冒険者免許を取得するために、ここで同じように署名活動をした経験があったのである。


「私の時は、たくさんの冒険者さんに助けてもらって……だから私も署名活動には出来るだけ協力したかったの……でも……ごめんなさい」


 署名はダイアの分を入れてもまだ7名分である。


「気にしないで、私のカルマはホラあれだから……って、私と話してて大丈夫なの?」


「え? 何が?」


「私のカルマ見たらびっくりするよ?」


「私は他人(ひと)のカルマは見ないようにしてるの。別に誰かと一緒にグループを組んだり、外に冒険に出たりはしないし……それに、私の歌はできればみんなに聴いてほしいから」


「(うう、ええ子や……)」


 渡る世間は鬼ばかりのこの世界に、こんな天使のような子がいるとは夢にも思わなかったミリセントは、思わず目頭が熱くなる。

 自分よりたぶん年下なのにしっかりしてるし、無条件に応援してやりたい気分になる。


「あっ! 見て! あそこにミリセント発見!」


 と、その時、不意に自分の名を叫ぶ聞き慣れない声が割って入り、ダイアとのイイ感じの会話を強制的に中断させた。

 名前を呼ばれ一瞬、『あの』変態女の襲来かと身構えたミリセントだが、姿格好が明らかに別人だったのでホッと胸を撫でおろす。その大げさにも思えた安堵感は隣で見ていたダイアからしても、本当に心の底から安心していると分かるほどだった。

 しかし、あの娘は一体誰だろうかと不思議がるミリセント。名前呼びしてる様子から、明らかにこちらの顔を知っているという振舞いだが、その声の主の顔を見ても全く覚えがない。

 はて? どこかで会っただろうかと記憶を辿るが、やはり思い出せない。

 その声の主は女性、しかも自分と同じくらいの少女であることは間違いない。立て続けに女の子に声を掛けられるなど、生まれて初めての経験である。ついにモテ期がきたということだろうか?


「あ、ホントだ! ミリセントだ」


 最初に声をかけて走り寄ってきた少女とはまた別の少女の声が聞こえた。

 1番に走り寄ってくる少女の背後に4人、いや5人見えるが、その中の赤毛のショートカットにミリセントは見覚えがあった。


「え、えーと、虹の……なんとか団? だっけか?」


 ナントの街の冒険者ギルドに入ろうとした際、引き戸を開き戸と勘違いして押し倒してしまい、その時外れたトビラの下敷きにしてしまったのが、この赤毛の少女であるので流石に忘れようがない。

 なるほど、ここでようやく合点がいったとミリセントは心の中で手をポンと叩いた。この5、いや6人とは会話らしい会話はしていないが、アクィラとの間に起こった事件で、トラウマレベルの強烈な印象を与えてしまったのだろう。

 ミリセントにとって思い出したくもないあんな事件を間近で目撃してしまったのだから、顔を覚えられても仕方がないのだ。


「虹ノ義勇団だってば」


 ダイアと並んで噴水の縁に座っているミリセントに走り寄ってきた少女が顔を寄せて訂正してくる。顔をはっきりと覚えている赤毛の少女と違い、この娘はあまり印象がない。

 それなのに、馴れ馴れしいというか、ミリセントに対して非常に好意的な態度を見せる。てっきり悪い印象を与えてしまったと思っていたミリセントは、目の前の少女の好意的な表情に戸惑ってしまう。

 後ろの4人、いや5人は、それぞれ違う表情だが、露骨に嫌な顔をする他の冒険者と違い、概ね好意的な様子で近づいてくる。

 この状況にミリセントは少し混乱してしまう。


「知り合い?」


 知り合ったばかりのダイアから尋ねられるが、曖昧に返事をするしかないミリセント。知っているには知っているが、知人、友人か? と問われるとそこまでの関係性は出来ていないはずだ。


「うん、ナントの街で……ね」


「ナントの街かー、ずいぶん遠いところまで旅をしたのね」


「というか、そっちの方から来たというか」


「あ、そうなのね」


 ダイアが言い終わると同時に、虹ノ義勇団の6人がミリセントたちの前に出揃う。


「あー、えーと……私に何か用?」


 少なくともミリセントには用事はないので、虹ノ義勇団の要件を聞く。


「あんたこそここで何を――って、あれ? 貴女はもしかして歌の聖女さま?」


「はぁ? 急に何言ってんの?」


 赤毛の生意気そうな少女が、質問に質問で返そうとした瞬間、何かに気付いて急に態度が変わり、更に聖女さまとか変なことを言い出すので驚くミリセント。


「あんたじゃなくて、隣の!」


「ホントだ! ダイアさんだ」


「こ、こんなに近くで見るの初めて!」


 まるでアイドルに遭遇してしまったかのような5人の反応である。ちなみに、不思議な少女は相変わらずミリセントの前から離れない。


「あ、あの! 歌、聴かせてもらえませんか?」


「えーと、まだ時間じゃないので……」


 6人の中では一番無礼そうな赤毛の少女が、予想通り無礼なお願いをし、さらに予想通りの塩対応をされる。


「アン! 日没までまだ少し時間があるし、ダイアさん困ってるでしょ?」


 義勇団のリーダーらしき少女が有名人と出会って浮足立つ仲間を嗜める。

 ここで、この赤毛の少女の名前がアンだということを覚えるミリセント。


「後で歌いますので、もうしばらくお待ちくださいね」


 申し訳なさそうにするダイア。

 周囲に集まってくる冒険者や亡命者が遠巻きにその様子を見ているが、皆一様にいぶかしげな表情をしており、それを悟ってか虹ノ義勇団もようやく冷静になった。


「ミリセントは、ダイアさんとお友達なの?」


 名前を知らない少女に小声で問われるミリセントは、ダイアに一瞥を入れて正面に向き直る。


「さっき会ったばかりよ」


「へー、そうなんだー」


 ミリセントはいまいち状況が掴めていないが、ダイア・ミューラは底辺の亡命者ルーキーたちの間でも人気者らしいことは理解できた。


「そういえば、あんた、ここで何をしてるの?」


 改めて生意気なアンが先ほどと同じ質問を投げてくる。


「署名活動よ。冒険者資格の……」


「署名活動? 私たちも署名していい? ねーねー、みんなもしようよ!」


 ずっとミリセントの顔を凝視している不思議な雰囲気の少女が署名を申し出る。しかも、仲間を誘ってくれる。ミリセントとしてはありがたいのだが、何故この少女が自分に好意的なのか良く分からず、キツネにつままれたような顔をしている。


「ええー! なんで?」


 真っ先に不満の声を上げるアン。

 ミリセントは少しムッとするが、本来これが普通の冒険者の反応で、この不思議ちゃんが少しおかしいだけである。


「私も署名させていただきました」


 ここでダイアが署名したことを告げる。

 ミリセントはアンにだけ見えるように、ほんの少しだけ口角を上げてニヤニヤしてみせる。


「うっ! んじゃー私たちも署名しようか? あははは……」


「私は別に構わないわよ」


 と、リーダーっぽい少女。それに応じるように、他のメンバーも同意をする。

 少なくともアン以外は、ミリセントに対してネガティブな印象はないようである。アンも別に最初から負の感情があったわけではなく、ただひねくれ者なだけだろう。

 彼ら虹ノ義勇団は、ナントの街でミリセントのカルマオーラを見て卒倒した経験がある。

 この事件は、彼らにとって怒りや負の感情よりも、自分たちの決定的な未熟さを教えられたという、ある種の勉強と捉えている。

 だからこそ、クリプトに戻った彼らは、強くなりたいという思いが募り、しばらく遊んで暮らせそうな大量のクエスト報酬を、自身を磨くための投資に使ったのである。


「それ、貸してもらえすか?」


「ええ、あ、ありがとう」


 リーダーっぽい少女がミリセントの前に出て手を出して署名用紙を受け取る。

 2日前に署名した冒険者パーティーの時と同じように、リーダーが代表して署名する。

 返された署名用紙を見て、ミリセントは一応名前を読み上げる。


「えーと、リーダーのアヤさん?」


 名前を呼ばれたリーダーは、目を瞑って少し顎を下げて返事をする。

 雰囲気的に学級委員長や生徒会役員っぽいからリーダーなのだろうと予想していたミリセントの判断は正解だったようだ。


「ショーター?」


 この6人パーティー中4人の少女たちよりも華奢な少年が片手を挙げて答える。


「えーと、メープル?」


「はーい」


 6人の中で一番の巨漢の少女がニコニコしながら答える。

 巨漢といっても、太っているとかぽっちゃりしているとかではなく、柔道や陸上の投擲競技の選手のような引き締まった体躯をしている。

 口調が少しおっとりしている感じで、心優しい力持ちといった感じだろうか?


「ユウナ?」


「はい!」


 目の前の少女がミリセントの目を見たまま返事をする。


「(この子、ユウナって言うのね)」


 ミリセントは、ここでようやく目の前の馴れ馴れしい少女の名前を覚えることができた。

 一応彼ら虹ノ義勇団とはナントの街で面識があるので、もしかしたら既に名前を聞いていたかもしれない。ただ、当時はアクィラの件で頭が一杯だったので、全く彼らの印象がなかった。

 自己紹介されているのに、名前を憶えていないのは無礼だし、20年ぶりに偶然街で会った高校時代の、友達とも呼べない程度の付き合いの友達の名前を思い出しながら立ち話する時のモヤモヤがようやく拭い去ることができたような安堵感を覚えるミリセントである。


「えーと、ハヤタ?」


 先ほどから妙に気になっていた少年が返事をしながら手を挙げる。

 この少年からは、何となくアクィラと同じ匂いというと失礼になるが、ただ者じゃない何かを感じているミリセントである。

 思わずハヤタの顔をじーっと見つめてしばらくそうしていたが、気を取り直して、最後に「残りはアンね」と素っ気なく締める。

 これで、13名の署名が集まった。しかし、これではまだ全然足りない。


「ありがとう。助かったわ」


 ミリセントは、無理と分かっていたが彼らの好意に対し素直に礼を言って頭を下げた後、ほんの少しほほ笑んで見せた。


「あ、いや、別に……」


 それを見てアンがドキっとし、最初に署名を渋った自分の狭量さを後悔した。

 アンは強い者には大人しく従うが、自分より立場が下の者には強く出る性格で、それが態度によく現れる。何事も否定から入りやすく、先ほどの態度もダイアの不興を買ったようで後悔していた。

 他の4人は、そんなアンとは裏腹に、普通に良いことをした気分になっている。ただ、リーダーのアヤは署名の少なさを見て色々察した様子で黙っているだけだった。


「人が増えて来たわね」


 そうこうしているうちに周囲の建物は夕焼けのオレンジ色に照らされる。

 広場は完全に影に隠れ、すっかり薄暗くなってきている。

 西のプリズンウォールマウンテンと城壁や建物のおかげでクリプトの日没は速いのだが、周囲が薄闇に包まれる前に、建物の窓や街灯から光が灯り街は賑やかになってくる。

 ミリセントは昨日、一昨日ここで日没を体験したが、その時は、ここまで人が押しかけてはいなかった。

 今日はまるでお祭りか何かの催しがあるかのような様相である。


「今日何かあるの?」


 ミリセントは率直に疑問を口にし、これにはダイアが答えた。


「今日は、噴水広場の開放日で、芸能系のスキルを自由に使っていい日なの」


「へー、そうなのね……」


 週に1回の開放日に、ダイアはこうして歌いにくるのだと説明する。

 ミリセントは、豊穣門で旅芸人が路上で何かしていたと記憶していたので、ここでも同じように自由にしていいと思っていた。

 そのことを口にすると、芸能系のスキルで食べている人もおり、素人がスキルポイント稼ぎのために路上で芸を披露すると、商売の邪魔になるので禁止されるようになったと教えてくれた。

 それには虹ノ義勇団も初めて聞いたのかへーと納得していたようである。ちなみに、当然といえば当然だが、彼らの中に芸能系のスキルを持つ者はいない。


「そろそろ行こうか」


 アヤがパーティーメンバーに声を掛ける。

 周囲に上級冒険者も集まってきて、駆け出しの6人は居心地が悪くなってきたようである。皆もそれを察してリーダーの提案を素直に受け入れた。


「んじゃ私も行くわ。ありがとねダイア。みんなも」


 ミリセントが立ち上がってその場を去ろうとするとダイアが呼び止める。


「もしよければ歌を聴いていって……」


「もちろんそのつもりよ。ここだと邪魔になるし後ろの方で聴くわ」


「ありがとう。頑張って歌うね」


 片手を上げて去って行くミリセントの背中を見送るダイア。

 戦闘能力皆無で歌唱スキルしかない彼女は、とても冒険者とは呼べない中途半端な存在である。

 週に1度、豊穣門から足を運んで歌いにくるこの噴水広場は、そんなダイアにとっては完全にアウエーでいつも心細い思いをしていた。

 冒険者になれずにいたピンクの髪の少女は、ダイアにとって貴重な同世代の友人となりうる存在かもしれない。だから、勇気を出してミリセントの隣に座り、普段誰にも話さない身の上話をしたのである。

 ここで別れたらもう二度と会えないかもしれない。そんな一抹の不安が過る。

 今日はここで歌わず、このままミリセントの後を追おうか? いや、それはできない。

 自分の歌を楽しみにしている冒険者がたくさんいるのだ。

 ダイアは、人ごみに消えるピンクの髪の少女を見送った。ここで歌っていれば、またすぐに会える。と、そう思いながら……


 ダイア・ミューラ。彼女は明日、クリプトから姿を消すことになる。

 彼女にとってクリプト最期のコンサートが始まろうとしている。

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