第47話 「芸術とスキル」
第四十七話 「芸術とスキル」
歌――それは声を旋律にのせて繋ぎ紡ぐ音楽芸術である。
そう、歌は芸術である。
アニメ作品などにおいては世界どころか銀河まで救ってしまい、人類の切り札的な文化の一つとして扱われていたりする。
そう、歌は武器、文化は素晴らしい武器なのである。
それなのに……
それなのに、どうしてこうなってしまったのだろうか?
自由交易都市クリプトの西端の冒険者区は、厳重に隔離されている状況から、この区画だけを『冒険者の街クリプト』と分けて語られることが多い。
その冒険者の街クリプトは今、騒音レベルの奇声にまみれ、良俗に反するような珍妙な踊りが繰り広げられるという異常事態となっていた。
「(なんじゃこりゃ?)」
ピンクの髪の少女が1人、ポーカーフェイス――というより表情を失っている状態でその光景を眺めていた。
彼女の名前はミリセント。ただのミリセントであって、それ以上でもそれ以下でもない、ただの名前だけのミリセントである。
そのミリセントは今、噴水広場を一望できる特等席にいる。具体的には、冒険者区のガードポストの屋上である。
ミリセントの他にガード数名と、そしてナントの街以来の再会をした虹ノ義勇団の6人も一緒である。
ガードポスト内のホールは、誰でも入れるエリアだが、ガードとは犬猿の仲である冒険者は自ら進んで入ってくることはない。
武装して街中を闊歩する冒険者と、その抑止力であるガードが仲良しこよしなわけがないのだ。
そこにルーキーの亡命者とは言え、冒険者の端くれである虹ノ義勇団が入ってくるのは勇気がいる行為だろう。
しかし、ガードと既に知己を得ていたミリセントの同伴ともなれば、それを咎める者は、少なくともこのガードポスト内にはいなかった。
ガードポストに顔がきくミリセントは、何故か気に入られてついてくるユウナを追っ払おうとガードポストに来たはいいが、そのままユウナが付いてきてしまい、仕方がないので他の5人も呼んで、無理やりガードポスト内に連れ込んでしまったというのが、ダイアと別れた後の経緯である。
ガードポストの屋上に出たミリセントと他6人は、眼前に広がる噴水広場の人垣を見て思わず声を上げた。
リング状の噴水の舞台を中心に、少し離れて冒険者の群れがドーナツ状にひしめき合っている。地面から見る人壁とは違う人の波は壮観の文字しか思いつかないほどである。
こんな狭い広場によくもこれだけの人が集まったのかと感心すると同時に、これほどの数の人間が普段どこに隠れているのだろうと別の関心が生まれる。
ここにグレネードランチャーを打ち込んだら何コンボできるだろう――などと物騒なことを考えてはいけない。
そうこうしていると、やがて陽も落ち広場の喧騒が一気に終息する。そして、噴水広場は静寂に包まれる。
開放日を定例コンサートとして仕切っているであろう主催者らしき人物が短い挨拶をし、小さな拍手の波が広がる。
その波紋はすぐに融けて消えた。そして、コンサートは楽器の演奏から始まった。
「始まった……」
全方位観衆で埋め尽くされた噴水の舞台の上で歌や演奏、踊りが始まる。
虹ノ義勇団の6人は、まるで光に引き寄せられる羽虫のように、思わず聴き入って手すりから身を乗り出してしまう。
そんな周囲に1人取り残されている少女がいる。
「(……これは……どういうこと?)」
噴水の舞台から聴こえる堪えがたい騒音が鼓膜をえぐってくる。
マジックポイントが減らされそうな目も当てられない不思議な動きをする謎の生き物が数名いる。いや、よく見たら変な生き物ではなく普通の人間だった。
リング状の舞台に立って思い思いの歌や演奏、踊りを披露する開放日の主役たちの中に先ほど知り合ったダイア・ミューラを発見した。
彼女のよく通る高く調子のずれた声が耳に突き刺さってくる。正直、幼稚園のお遊戯レベル、いや、これと比較するのは一生懸命練習した園児たちに失礼だろう。
耳を塞ぎ、目だけでその様子を見て判断することを許してもらえるなら、ダイアの仕草はとても素晴らしいパフォーマンスといえた。
そのダイアの横で縦笛演奏者は、初めてリコーダーに触れて喜ぶ小学校1年生にも満たない残念なレベルで、とても人前で披露できる能力に達していない。
先ほどから正気を示すSUN値がゴリゴリと削られている感覚を覚える。視覚と聴覚のダブルパンチで眩暈がしそうである。何より、良い大人がこんな滑稽な芸を披露している事実に接している共感性羞恥で体中に鳥肌が走る。
この輪の中にあの可憐な少女ダイアがいるという事実も受け入れられない。
問題だらけの大問題のステージだが、それを受け入れている聴衆もやばい。
円形の噴水の舞台を中心に、ドーナツ状に観衆の輪が形成されている。その様子は2階建て相当の高さにあるガードポストの屋上からもはっきりと見える。
その観衆たちが今どんな様子で舞台上の演者を見ているのかおわかりだろうか?
普通なら、この公害レベルの騒音と見苦しい踊りの不協和音に対し、激怒して罵声を浴びせ、物を投げてステージを止めさせようとするに違いないと思うだろう。
しかしだ。彼らはそのステージの様子を見て、しんと静まりかえっているのだ。
きっと、あまりの酷さに白けているに違いない! と、思うだろう?
いや、そうではないのだ。信じられないことに、彼らは、このステージの全てに聴き入り、そして見入っているのだ。
中には涙を流している者もいる。その涙の原因は、悲しみでも悔しさでも、もちろん怒りでもない。ただひたすら感動にむせび泣いているのだ。
ミリセントのそばにいる6人も同様に、目を瞑ってうっとりと演奏に聴き入っている。
アンなどは、『くはぁ~ 沁みるね~』などとほざきよった。
ミリセントは心情を表に出さないように、心を虚無にして周囲に同調するふりをする。
「(どういうこと? どうしてこうなった?)」
耳を塞ぎたい衝動を必死に堪えながら、同じセリフを心の中で何度も繰り返す。
本当にどうしてしまったのだろうか?
ミリセントの立場で言えば、彼らは完全におかしい変人集団に見える。あのステージ内容に対してこのリアクションは、明らかに正気を失っているようにしか見えない。
しかし、ミリセントはふと思いなおす。
この世界にきて何度も信じられない光景や逸話に触れ、その度に顔面の作画が崩壊しそうなレベルで驚いてきた。
そう、眼前に広がるこの滑稽なショーも、門外漢だから理解できないだけで、これがこの世界の、彼らなりの芸術に違いないのだ。
娯楽の少ない世界では、これが精いっぱいの芸能活動なのだ。彼らは悪くない。悪いのは社会なのだ! 彼らは被害者なのだ!
と、必死に自分に言い聞かせてみるミリセントだが、脳が『んなわけあるかーい!』とツッコんでくる。
「(考えろ! ミリセント! これにはちゃんとした理由がある!)」
状況に慣れてきたミリセントは、目や耳の感覚を虚無にして思考に没頭する。
先ほど虹ノ義勇団から受けた説明を聞く限り、この開放日の催しのメインは、『疲労抜き』なのだそうだ。
疲労には、肉体的な疲労と精神的な疲労の2種類が存在し、前者は短いサイクルでコンディションが変化する一方で回復は容易であることに対し、後者は冒険者活動を続けると、ほんの少しずつコンディションが悪化し、しかも簡単に回復させることができない。
精神的疲労は、短期的には無視できるレベルの僅かな疲労だが、これが長期に及べば当然、気付かないうちに無視できないコンディションの低下を引き起こすのだ。
また、長期間に及ぶ野外活動は、文化的生活グレードを下げてしまうことにも繋がってしまう。
文化的生活グレードとは、人間が社会を形成するうえで最低限必要な教養レベルを基礎とした必要最低限の生活環境のことで、これが低いとミリセントと同様に、野生児や路上生活者という酷い扱いを受けることになる。
利用できる施設や売買契約に悪影響が出るので、冒険者は『冒険のし過ぎ』にも注意を払わなければならないのである。
「(……この光景、どこかで見たことがあるような……)」
雑音をありがたく拝聴し感動しているとなりの虹ノ義勇団の6人を見て、かつてプレーしたMMOを思い出すミリセント。
そのゲームは、戦闘をしていると次第にヒットポイントの上限が下がっていき、回復薬などでは回復できなくなってしまうという、疲労度システムを採用していた。
これを回復するには、酒場にいってダンスや演奏を近くで見ることである。
そのゲームでのミリセントは、戦闘に適さないが交渉や表現力の高い種族を選び、職業はダンサーを選択した。
人の集まる街の酒場で踊っていると、同業者も数名集まってきて顔見知りになった。そして、一緒にパーティーを組んでチャットをしながらお客さんを待っていた。
やがて、大きな銃を担いだ戦闘職のプレーヤーが酒場にやってきて腰を下ろし、ダンスを堪能し演奏に耳を傾けてくれる。
しばらくそうしていると、回復した戦闘職の冒険者は立ち上がって、お礼とチップを渡して去って行く。
疲労回復が必須なゲームデザインであったため、自動的に酒場に人が集まるという、プレーヤー間の交流を求める者にとっては理想的なMMOだった。
ちなみに、当時踊っていたダンスの内容は、大昔の洋ゲーということもあり、明らかにセンスが壊滅的で、他のプレーヤーとの会話の中で、回復どころかダメージを受けそうな珍妙なダンスだなと笑い合っていたことを思い出した。
ミリセントは思った。今見ている景色は、あの時のMMOと同じではないか? と……
「(なるほど、そういうことか……)」
ダイアたちは歌を歌っているのではない。彼らは、歌唱スキルや舞踊スキルを使っているに過ぎなかったのだ。
それらのスキルの発動条件が、歌唱スキルであれば声を出すこと、ダンスなら身体を動かすこと――というわけだ。
あくまでスキルなので、当人の実際の歌唱力や演奏力、表現力は無関係なのだろう。
師匠など誰かから指導を受けて学んだこともない冒険者や亡命者が、冒険者ポイントと交換してスキルをアンロックしただけである。そして、スキルの影響を受けた冒険者は、疲労が回復し、それを感覚で知るために感動や心地よさを疑似体験しているにすぎないのである。
マナ抗体が無く、スキルの影響を全く受けないミリセントにとっては、押し付けの感動体験などあるわけもなく、酷い有様を無理やり見せつけられているだけなのだ。
もし、これが料理スキルで作った料理なら、場合によっては食べてはいけないものを食わされることにもなりかねないということなので注意が必要だろう。
「(疲労抜きにもある程度コストがかかるということか……)」
歌や演奏、舞踊を主とした所謂芸能職と呼ばれる人にとっては、これが生活の糧になる重要なスキルだろう。
そこに素人が出て来て無料で疲労抜きをされては、これで飯を食っているプロにとって完全に営業妨害で、死活問題にもなりかねない。
ギルドとしては彼らの権利を守るために街中での芸能スキルの禁止を求めるのは当然のことだろう。
しかし、それだと、貧乏な冒険者はより貧乏になってしまい、街中にルーザーやホームレスを増やす結果にもなりかねない。
行政側の冒険者ギルドとしては、それらの問題をまとめて解決するために開放日を設けたということなのだろう。
ダイアのように完全にボランティアでやってる者もいるが、そのほとんどは宣伝も兼ねているらしい。実際問題、普段冒険者区に顔を出さない芸能職たちも個々のスキルを披露してその有用性を宣伝できる。これは冒険者に顔を売るチャンスでもある。
ちなみに人気投票もあるらしく、ダイアは常にランキング上位にいるらしい。
ルーキーの6人にも顔が通っているのも納得だ。
「(しかし……)」
それにしても癒されるどことか疲労がかさみそうな自分史上最悪のコンサートを経験しているミリセントとしては、早くこの場から去りたい心境である。
コンサート自体は特に制限時間はないそうだが、スキル使用時間は2時間ほどらしく、その前後の時間帯で開放日は事実上の終了となる。
ただ、演者の所属や活動場所の宣伝タイムもあり、またここで人気投票も行われるので、催し自体は深夜まで及ぶ。
「あっ! 見て! ケージたちもいる!」
ミリセントの右側を占有するユウナが、何かに気付いて声を上げる。
「え? どこ?」
「……あ、いた! あそこ、あそこ! 一番手前!」
手前というのはステージ前のことではなく、ガードポストに近い観客の大外側にいるということである。
ケージが何か分からないミリセントだが、事情を聞くまでもなくユウナがすぐに説明してくれる。
彼は虹ノ義勇団の6人と同期、亡命者7127期生カシヤの1人で、カリスマ性の高い実質同期のリーダー的存在だそうである。
とはいっても、所詮は亡命者なので冒険者全体からみれば、実力も影響力も底辺に位置している。その底辺のトップといったところだろう。
ちなみに、虹ノ義勇団の6人は、ケージらが作った『紅蓮牙団(ぐれんがだん)』からはぶられた落ちこぼれ集団であることを自嘲気味に自称している。
今現在『紅蓮牙団』は、東カロン地方を目指す東征連合、所謂攻略組の中核ギルドに所属する有望株らしく、着実にそして急性に成長し、亡命者としては破格との評判であるとのことである。
余談だが、東に対し西を目指す集団も存在しており、彼らはゴブリンに支配されたガスビン鉱山周辺都市を奪還する西方連合を組織しており、一般的には東の攻略組に対し西の占領組と呼ばれている。
ミリセントは、かつての仲間を自慢げに話す6人を見て不思議に思った。自分たちをのけものにした紅蓮牙団に対し、恨み節の一つも出るかとの予想に反し、かなり好意的な様子である。これが同郷、同期、カシヤの絆ということなのだろうか? 或いは、彼らはカルマ傾向はバラバラだが、ハブられたことにすら気付かない単純なお人好しという集団ということだろうか? 何れにしてもガツガツ行くタイプのパーティーではなさそうで、ミリセント個人としては好感が持てるルーキーたちである。
ほとんどの冒険者らが敬遠していた署名活動にも1人を除いて快く応じてくれた事実からして、おそらく後者で間違いないのだろう。妬みや嫉みの心を持たずに同期の出世を心から自慢する彼らとの会話は、思いのほか心地よいものがあり、こんな最悪のコンサートの中で唯一の癒しだと感じるミリセントだった。
「立派な鎧着てるなー」
「ケージは将来ソージ様の右腕になれる器だってもっぱらの噂らしいよ」
「マジか! 私も向こうに着いていけばよかったなー!」
「今から行って土下座してきたら?」
「出来るか! そんなカッコ悪いこと!」
そんな仲の良い者同士が繰り広げる他意の無いからかい合いを尻目に、ミリセントはこれから先のことをふと考えはじめる。
冒険者になる目的は、冒険者ギルドが管理する大図書館で知識を深めるためである。具体的には、馬車に関する知識を得るためで、地元エグザール地方で保管している修理中の儀装馬車の不明素材を確認するためである。
現在ピュオ・プラーハの領地であるエグザール地方に越境を許されている白馬運輸商会のサダール・サガ氏の依頼で、この修理業務を請け負っているミリセントとしては、何としてもその情報を入手して帰りたいところである。
大図書館を利用できない以上、別の手段で情報を入手するしかないが、誰かに頼んで馬車に関する本を借りて来てもらうか、本の持ち出しが不可能なら必要な情報だけ入手してもらうという方法もある。或いは、クリプトの街で馬車に詳しい人に直接取材をするという方法もあるだろう。
兎に角、当初の予定が狂ってしまったので、もうしばらくクリプトに滞在して、情報収集をすることになりそうである。
「そろそろ終わりかな……」
「みたいね……」
噴水広場から見える狭い茜色の空は、いつの間にか闇夜となっていたが、魔法の灯りで彩られたクリプトの街の夜空は、闇夜と呼ぶには明る過ぎた。楽しいイベントに夢中になっていた者達は、夜になったことすら気付いていない様子である。
かく言うミリセントもその中の1人で、かつて居た世界の都市部の星のない空を思い起こさずにはいられなかった。
噴水を取り囲む人垣の輪も、外周からちりじりと崩れ始め、残っているのは宣伝熱心な演者や熱心なファンたちばかりである。
ミリセントは帰っていく虹ノ義勇団を見送るとそのままガードポストの入口に1人残る。
理由は、安全な留置所で一夜を明かす前に、署名に協力してくれた歌の聖女様ことダイア・ミューラにお別れの挨拶をしようと思っていたのである。
流石歌の聖女様などと呼ばれているだけあって、彼女を取り巻く人の輪は最期まで開放日の噴水広場に残り続けていた。
特に待ち合わせをしているわけではなく、人垣が消えて無くなるまで勝手に待っているだけのミリセントは、その光景をただぼーっと眺めているだけだった。
「(おや?)」
その時、1人の男がふらっと近づいてきて人垣の中に埋もれると、数分後にダイアと思しき少女の姿が男と共に人の輪を抜け出してそのまま冒険者区から商業区の方へと立ち去っていくのが見えた。
名残惜しそうなダイアの熱心なファンたちも、時間も時間なので仕方がないといった様子で見送っている。
ミリセントから見えるその光景は、ファンに取り囲まれたアイドルと、それを必死で逃がすマネージャーの図に見えた。
最後に挨拶できなかったのは心残りだが、ダイア側にもいろいろと事情があるのだろうと納得したミリセントは、一つ小さなため息をついてそのままガードポストの留置所で休むことにした。
後日、ダイア・ミューラの失踪を知ったミリセントは、何故あの時彼女の後を追わなかったのかと後悔することになる。
その後、思いもよらない場所で2人は再会するが、それはまた別の話である。
開放日と言う何の芸もないいたって普通の名前の催しが終わった次の朝は、祭りの後の何となく物悲しい雰囲気も情緒もなく、いつも通りの日常がただ始まろうとするだけだった。
もっと気の利いた名前にすればよいのにと思うミリセントだったが、奇妙な開放日の光景を思い出しながらガードポストの前で一人たたずんでいる。
噴水広場は相変わらず人の流れはまばらで静かだった。
アニメやゲームの世界によくある冒険者ギルド前の広場は、あちこちに露店があってそれに引き寄せられる人だかりで賑わうのが定番になっている。
喧騒の中に流れる旅芸人の歌や演奏が華を添え、そんな楽し気な雰囲気が財布の紐を緩くし、その油断に付け込む悪意も見え隠れする。
犯罪行為を見逃すまいと衛兵が目を光らせる傍らで、盗賊ギルドが会員募集の勧誘をする。
そんな光景を想像していたミリセントとしては肩透かし感が強かったが、冒険者区はクリプトの中枢部でもあり、規制が強くなるのはある意味現実的といえるだろう。
ガードの中枢であるガードセンターがある区画であるにもかかわらず、ガードポストも広場に隣接している厳重な警戒態勢にあり、どこで誰が監視しているのかわからない緊張感が漂っている――ような気がしないでもない。
まぁ、冒険者同士の取引はギルドを挟んで隣接する自由市場でやればいいし、許可されたお店なら芸能スキルは自由なので、街全体で見ればそんなに息苦しいものではない。
「しかし……」
署名活動中の安息の3日間が過ぎ去り、ミリセントにとっては苦難の始まりという息苦しい展開がこの後待ち受けているのは明白である。
物陰からこちらを伺う監視の目が既に集まっている。
広域調査の能力を使うと、明らかに『隠れている』姿勢の人間らしい影が確認できる。
静止物を詳しく調べることが出来る調査解析の能力とは違い、広域調査の精度は高くはない。ただ、建造物などを貫通して調べられるので、周辺にいる人間や動物の数は把握できる。
ここ最近のルーザーとの追いかけっこで、彼らのだいたいの人数も能力も把握しているので後れを取ることはない。
いくらやっても無駄なのに、執拗に追いかけてくるのはこちらが反撃できないことを知っているからだろう。このいやらしさがルーザーのルーザーたる所以である。
「(その努力を別の方向に持って行けばいいのに……)さて、と……」
冒険者区から出るためのルートは3つある。
一つは西門を抜けて外に出るルートだ。しかし、冒険者免許証がないと面倒くさい出国手続きをしなければならないし、その手続きを済ませて外に出れば、普通の冒険者と対峙する可能性が高くなる。ガードの手前大人しくしている冒険者も、制限が無くなれば遠慮はなくなるだろう。
ガードポストの情報によると、西方連合が常に行き来している場所なので危険とのことである。
もう一つの選択肢が、海底トンネルであるが、これは単に冒険者区を出るというだけの選択肢というだけの案で、今回は考慮する必要はない。しかし、いつかは入ってみたい場所ではある。
そして、最後であり唯一の選択肢が、冒険者ギルド門を通り抜ける方法である。ようするに入ってきた門から出るというだけのことである。
ギルド内には専属の警備のガードが待機しているので、飛び込んでしまえば身の安全は確保できるだろう。ここで署名用紙を返却し、商業区の中央自由市場に出る。
たった、これだけの簡単な作業である。
大手の盗賊ギルドが縄張りとする旧市街区までは追ってこないし、ガードが見張っている冒険者区では行動は起こさない。つまり、勝負はギルドを出た後だ。
「――と、いうわけで、簡単にルーザーを巻きましたとさ」
ミリセントの逃走劇は特に見所もなく、ルーザーたちの追っ手を何の問題もなく見事に振り切り無事旧市街区に辿り着くことができた。
ルーザーの中には落ちこぼれでそうなってしまった者以外に、自ら好き好んで身を落としている者もいる。そういったタイプのルーザーは多少頭が回り、一味のリーダー的な立ち位置にいるようだ。しかし、所詮はルーザーである。ミリセントの俊敏性にはまるで敵わなかった。
「ダイア……今頃豊穣門の宿屋で働いてるところかな……」
ダイアとは結局それっきりで、それだけが少し心残りである。
しかし、馬車の情報を得るためにもうしばらくクリプトに滞在するつもりなので、来週の開放日にきっとまた会えるだろう。
こちらから会いに行くという選択肢もなくはないが、宿屋の迷惑になるのでやめておいたほうがいいだろう。
などと考えながら歩くミリセントは、西門から旧市街区に入ってすぐ、人目をはばかるように城壁に沿って南門を抜けると豊穣門のガードポストに向かった。
その目的は、そこに預けていたイノシシの赤ちゃん、イベちゃんとリコちゃんに会うためである。
「今帰ったよー!」
豊穣門のクリプト市街側にあるガードポストの中で大人しく待っているイベとリコの2匹は、すっかりガードたちの人気者になっているようだ。
可愛いウリ坊たちに魅了されたガードの大男たちは、顔の筋肉が緩み切って正直気持ち悪かったが、その気持ちは痛いほど分かるので、彼らの名誉の為にも何もツッこまないことにするミリセントだった。
その様子を遠くから眺めている者がいた。暗殺ギルドの執行者、イゾである。
イゾ・オーカダは、一対一なら最強との誉れ高い暗殺ギルドの中でもトップと目される執行者の1人である。
暗殺ギルドは、怪しいカルマの動きを察知し、カルマブレイクを起こしそうな冒険者に対する抑止力であるのと同時に、意図的に自身のカルマを破壊するような危険分子を処理する役目を担っている。
イゾの視線の先にあるミリセントは、極めて凶悪なカルマオーラを放っているので、暗殺ギルドの監視対象となる理由は十分にあるのだが、彼は別の組織の指令によってそれを実行している最中だった。
暗殺ギルドの執行者が、2つ以上の組織を兼任することは許されていない。つまりイゾは、身分を偽って暗殺ギルドに所属していることになる。
この事実を知る者は暗殺ギルドにはおらず、イゾ自身それを気取られないよう徹底した隠蔽工作を行っているのでバレることはないと確信していた。
実際問題、暗殺ギルド内のイゾの評価は高く、他の執行者からも一目置かれている立場で、尊敬の念すら抱かれているほど組織に浸透していた。
「なるほど、旧市街区を使ってヘイトリセットしているというわけか。ガードを味方につけているし思った以上に策士だな」
暗殺ギルドとは別のもう一つの組織からの命令でミリセントの監視の任にあたっているイゾは、通常任務を行いながら気取られないように立ち振舞っている。
カルマを監視する執行者らが街中をうろつくのはクリプトでは珍しいことではない。堂々と道端を歩いているイゾを見ても、周囲は視線の端に景色の一部として彼を捉えるだけで、何事もなかったかのように無視を決め込む。
街の一般住民にとっては、一番恐ろしいのが冒険者であり、衛兵(ガード)や執行者(エンフォーサー)は、基本的にクリプトの治安と秩序を維持する存在という認識である。
しかし、だからと言って彼らがフレンドリーな存在かというとそうではなく、クリプトにおける治安維持組織全般(それらをまとめてオーダーという)は、市民活動には深く関わらない。
ガードポストは現代でいうところの交番に近いもののように思われるが、困ったことはすべて冒険者ギルドや各種関連ギルドに持ち込むのがクリプトのやり方となっている。
各都市の運営方法は様々で、例えば北のピュオ・プラーハでは、王国アカデミーが問題解決の窓口となり、冒険者が少ない南のカント共和国では国軍がそれを請け負う。中央の中立都市国家群は、それこそ都市毎に運営方法が違い、さらに首長が変われば法も大きく変化するので、一例を挙げることすら不可能といえるだろう。
「む?」
フード付きで裾が地面を擦っている長い外套に身を包んだイゾは、巡回任務を装いながらガードポストを監視していたが、入口から見えていたミリセントが姿を消したのを見て、一先ず立ち去ろうと踵を返そうとした。
その時、城壁塔を兼ねるガードポストの屋上、つまり城壁の上にチラリとピンク色を見つけて目を細めた。
「東の城壁に向かうのか? なるほどそこがヤツの隠れ家か……」
一寸間をおいて口元に笑みを浮かべるイゾ。
「まさか、向こうからお膳立てをしてくるとはな……」
クリプトの城壁は一般人でも普通に登ることができ、通路として利用する者も少なくない。街中でいかがわしい勧誘やスリに遭遇するリスクを避けるために積極的に利用する者もいるくらいである。
そんな一般の人に安全と評価の高い城壁でも、東城壁は他の城壁よりも一段以上高く登るに不便で、しかもガード圏外、下にはスラム街が広がるなどの理由からほとんど人が訪れない場所となっていた。
ある意味、悪人が身を隠す場所として都合がいいともとれる地理条件だが、スラム街や旧市街を牛耳っているのが旧クリプト領主が運営する盗賊ギルドということもあって、悪党ほど近づきたくないエリアになっているという、いくつかの面白い条件が重なっているのがクリプト東城壁事情である。
クリプトの住人や冒険者などにとっては、東城壁=進入禁止エリアという常識が備わっているが、余所者には無関係のようである。
ガードや執行者は街中での戦闘を許可されているが、秘密裏にミリセントを調べよという指令をある組織から請け負っていたイゾとしては、騒ぎを大きくしたくはないのでただひたすら監視だけに徹するしかなかった。しかし、無人で、しかもガード圏外の東城壁なら話は変わってくるというものである。
イゾは城壁の上を走り去っていく少女の鮮やかなピンク色の髪を見送り、その後を追うように旧市街区へ姿を消した。
何かが確実に動き出している。
そこに、様々な因子が集まろうとしている。
ミリセントの一度目のクリプト滞在記は、これからがスタートである。
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