第12話 「弱肉強食の世界」
第十二話 「弱肉強食な世界」
それは、ある晴れた日の早朝のことである。
テッサンの仕事場で例の馬車の調査をしているところに、突然カーズが弓とクロスボウを持ってあらわれたのだ。
「おい、ミリー。シカ狩りにいくぞ!」
「シカ?」
「そうだ、シカだ」
「シカっていうと、あのシカのこと?」
「シカっつったら一つしかないだろ?どのシカのこといってるんだ?」
「いや、その、麻疹とか?」
「なんだハシカって?捕って食えるのか?」
「あ、いや、なんでもない」
食えるってことは、シカというのはやっぱり動物の鹿のことなんだろう。
それと、今の会話でこの世界には麻疹という病気はないらしいという、どうでもよい豆知識を得ることができた。
「シカ狩りってどこで?」
「ミリーの山だよ」
「私の山?」
すとーんとした自分の胸元をみる。
「その山じゃなくて、あの山はミリーのご先祖様が造った山だからな。お前の山であってるだろう?」
ちゃんとつっこんでくれるカーズはイイやつだと改めて思ったのと同時に、衝撃の事実をサラッと教えられる。
「おお!あの山は私の山だったのか!」
「放っておくとシカだらけになって、草木が食い荒らされるからな。定期的に駆除しておかないとな」
「なんか駆除すること多いね」
つい最近ゴブリンの駆除をしたばかりである。
「普段はハンターにも手伝ってもらうんだが、今のミリーがいれば問題なくやれるだろう」
「ハンターって元は罪人の看視者の人たちだっけ?」
「ああ、今はカントの国境付近を守ってるんだが、もう完全にそこに住み着いて狩人になってるよ」
「私はハンターたちと顔見知り?」
能力覚醒以降、記憶が飛んだという設定で話をすすめているものの、知り合いかどうかの事前情報はあったほうがリアクションがとりやすい。
駅に来てから住人の8名と、白馬運輸商会のサダール・サガ以外の人間は見ていないのだが、合計何人なのかはまだわからないものの知り合いリストにハンターという新たなメンバーが加わるということである。
「ミリーの家が山にあるわけだし、当然ハンターとは顔見知りだぞ」
「あー、たしかに!」
言われてみれば、あの山にずっと住んでいたことになっているわけなので、この山で行われる狩りについて知らないはずがない。
「どっちがいい?」
狩りに出るかの有無は問われず、一緒に行くことが既に決まっているらしく、ショートボウとクロスボウを提示される。どちらかを使えということだろうが、矢の先端が吸盤のおもちゃの弓なら使ったことはあるが、クロスボウはさすがに使ったことはない。
「銃とかないの?」
狩りというと銃を真っ先に思い出し、迂闊にもそれを口にしてしまった。銃という概念が存在しない世界かもしれないことを先に考えるべきだった。
(あ、まずい!)
「ケミストリー銃か?マナもないのに使えるわけないだろ」
(あ、銃あったわ!)
銃はどうやらこの世界にもあるらしいが、聞きなれない単語も出てきたので、こちらが知っている銃とは何かちがうようである。
「ケミストリー銃?」
「化学錬金術の兵器だろ?最新兵器だが……よく知ってるな」
「い、いやー、ああいう飛び道具あれば狩りも楽かなーって」
「狩りで銃なんか使ったら獲物が粉々になるだろ」
「で、ですよねー」
焦りを隠しながら笑ってごまかす。
この世界の時代的背景がまだはっきりとしない。時代背景といえば会話の中でも普通に横文字が出てくるが、冥界のルールなのか、この世界のルールなのかはわからない。ただ、橘 頼蔵と名乗った死神が現代のスーツを着たサラリーマンのような格好をしていたので、冥界というのは江戸時代とか平安時代とか特定の時代に限定された世界ではないことは伺える。
言語体系も世界設定も最近のゆるいファンタジー世界の設定なのだろう。
それにしてもケミストリー銃とは何だろうか?化学錬金術?大きな鍋をぐるぐるーっとする錬金術とはちがうのだろうか?興味があるが、今は狩りの方が先なので、暇な時聞いてみようと思う。
「うーむ、クロスボウは重いなー、やっぱりショートボウにしよう」
シカ狩りに使う武器はショートボウに決めた。クロスボウは弦を引っ張らなくて楽かなと思ったが、いざ持ってみるとものすごく重く、何より一度撃ったら堅すぎて弦を引くことができない。
クロスボウは想像以上に腕力を使う武器であることが理解できたが、この少女が単に非力なだけという要因もあるし、おそらくそれが一番の原因だろう。
まだおっさんの頃の感覚が残っていて、自分の持てる重量の感覚がいまいちつかめていない。
アニメやゲームに出てくる弓の戦闘というと、基本的に『攻撃は命中するもの』であるが、実際に弓で5メートル程度の離れた木の幹に弓を当てるのもかなりの訓練が必要だと、試射をして改めて理解する。
「ムキー!当たらん!」
「マナのサポートがないこの地方の狩りには熟練が必要だな……」
矢を外しまくるミリーを尻目に、弦の張りを調整しながらしみじみと語るカーズ。下手くそと笑われると思ったが、どうやら射手としての能力には最初から期待していないようである。
「冒険者だとバリバリあたるの?」
「熟練者になれば100メートル先の的にも百発百中だ」
「うへー!」
「必中のスキルなんてのもあるからな、西カロン地方の戦闘はこことくらべたらイージーモードだ」
「当たる気がしないし、当たっても致命傷にできる自信がないね」
「1撃で仕留めるのは俺もさすがに難しいな。だから毒を使う」
「毒!?」
「毒と言っても殺す毒じゃない。眠らせる毒だ」
「なるほど!それならプスっと刺さる程度で仕留められるというわけだね」
「そういうこった」
それを聞いて安心する。
「よし作戦開始だ!」
「おおー!」
50メートルほどの低くてなだらかな山森で、駅の風車から頂上まで約2キロメートルほどである。麓までは1キロメートルもない正に裏山という感覚である。
ゴブリン狩りの時とは違う、レザーアーマー姿のカーズが武器その他の荷物を全部持ってくれている。
カーズはこのミリセント――つまり自分の能力を高く評価しているようで、特に偵察、索敵など情報収集面での評価が高い。地面を瞬時に掘ったり埋めたりできる能力に関しても『すばらしい能力』だと太鼓判を押す。実際問題として、大人一人の1日の重労働を一瞬で済ませてしまうのは、奇跡といっても過言ではないのだ。
「よし、作戦は打ち合わせどおりだ」
「了解」
麓に着くと、二手にわかれお互い目視できるギリギリの距離をとってゆっくりと山を登っていく。
(広域調査)
例の能力で森の中を調査する。見えない地形、そして樹木や小動物の位置が一瞬で確認できる。そしてシカと思しき大きな動物を感知する。
(見つけた)
すぐに手を振ってカーズに知らせる。カーズはその場で姿勢を低くし予定通り待機にはいる。それを見て態勢を低くして、シカを中心にカーズと対角線になる位置まで静かに移動する。
途中何度か広域調査をしてシカとの位置関係を把握し、見つからないように迂回しながら一旦山の頂上に出て、今度はカーズのいる谷側へ向かう。
こちらに気づいたのだろう。草を食んでいたシカが急に警戒態勢になる。
(よし!)
そのタイミングで一気にシカの方向に走りだし、走りながら矢を放つ。
当然あたらないが、この不意打ちに驚いてシカはこちらにお尻を向けて、つまりカーズのいる方へ予定通り逃げだす。
「ガシュッ!」
クロスボウの放たれる音が聞こえたと同時にドスっという鈍い音がしてシカがよろめく。
「やった!」
このままシカが逃げても麻酔が効いてそのうち倒れるだろう。しかし、その予想に反してシカはそのまま、ヨロヨロと数歩進んでそのばで力尽きるように倒れた。
「よし!」
カーズも駆け寄ってきて同時にシカの周りに2人が集まった。
シカを見ると首にボルトが深々と突き刺さっていた。麻酔の有無に関係なくこれが致命傷になったようだ。
「シカでかい!」
改めて見ると大きい。奈良にいるシカよりも二回りほど大きい。
立派な角があり、オスだということがわかる。今まで広域調査だけでシカを見ていたので、実物を見るのが今が初めてである。
「これどうすんの?」
「とりあえず放血したあと内臓だけとりだしておくか」
手際よくシカを処理していくカーズの作業をよく見て勉強する。
「この地方はマナがないが、その分微生物がいないからほとんど腐敗しないんだ。だから、念入りに処理する必要もないのさ」
「そういえばゴブリンの時もそんなこといってたね」
「連中は病原菌の塊だけどな。その点シカは違う」
「内臓はどうするの?」
「ハンターなら持ち帰って何かに利用するだろうが、この内臓はこのまま捨てる。そして、他の獣たちのご馳走になる。ハンターのいうところの『山の恵みのおすそ分け』ってやつだ」
「すごいねカーズ、狩人みたい」
戦士というよりも狩人みたいな軽装のカーズを素直に称賛する。
「こういうのは全部ハンターに教わったものさ。俺だって最初は何も知らなくてオロオロしていたよ」
「これで終わり?」
「ああ、ミリーのおかげで……ん?」
「ん?」
その時、何か獣の雄叫びのような音が遠く耳に入ってきた。
緩んでいたカーズの表情に緊張が走る。おそらく自分の表情も同じでカーズも同じ感想を持っただろう。
「……山の向こうだな」
「索敵範囲にいない……ということは隣の山だね」
この辺りには、熊の他にもネコ科の猛獣もいるらしい。駅に来られるとまずいので、そうした脅威を排除するのもカーズの役目である。
カーズはシカの前足と後ろ足を束ねて持ち上げると、そのまま肩に担いで山を登り始める。
「ミリー、先行してくれ」
「了解」
山を駆け上るにつれて音が大きくなり、やがてそれは獣が発する声だということがはっきりとわかった。そして何か聞き覚えがあるような既視感を覚える。
(何かが戦ってる?)
声は1つ、いや2つか?いやもっとだ。大きく聞こえる2つの声以外に小さく幼い声も聞こえてくる。
「ま、まさか!」
あのクマの親子か?だとすれば何と戦ってるんだ?
山を登り終え索敵すると、隣の山の斜面で2頭の大きなクマが追いかけっこをしているのが見えた。
「く、熊の子殺し!」
前にテレビで見た映像にそっくりな光景がそこにあった。
2頭の大きなクマが向こうの山の斜面で追いかけっこをしている。しかし、その2頭だけではなく、よく見ると小さな子熊が母グマよりも大きな――おそらく雄のクマにおいかけられているのだ。
母グマはそれを必死に阻止しようと雄グマに食い下がっているが、全く相手にされない。あの巨大な母グマよりもさらに巨大なクマに思わず息を飲む。
「どうすれば……」
居ても立っても居られず何とかできないかと持っているショートボウを見るが、こんなものではどうすることもできないと足元に乱暴に投げ放す。
『熊の子殺し』
この世界に生殖行為は存在しないが、それでも雄と雌が恋をし、夫婦になって次の命を生み出すサイクルは存在する。
子育て中の雌グマは雄を無視する。しかし、自分の子孫を残したい雄グマは、雌を我が物にするために、連れている子熊を殺してしまうのだ。にわかに信じられないと思うだろうが、これは現実世界でも行われている熊たちのリアルである。
人間の社会に当てはめると、子連れの女性と結婚するために、その子供を殺してしまうということで、普通に考えたら人殺しだし、女性は自分の子供を殺した男と結ばれ、その子供を産むということである。常識的に考えてこんなことはあってはならないことだ。
人間にとってとうてい受け入れられない許しがたいこの状況も、弱肉強食の野生動物にとっては当たり前の光景なのだ。
これは太古の昔から営まれる動物たちの世界の仕組みである。
自然の摂理に人間ごときが口をはさんでよいわけがない。
この光景を見て一瞬あきらめが心を支配した。
かなわない。自分には何もできない。無力だと……
いや、本当にそうだろうか?
自分に懐いてくれたあの子熊たちの命が無残に奪われることを黙って受け入れろというのか?
自問自答する。
弱肉強食だと?ふざけるな!自分が強者なら文句はないだろ!
全身に怒気が溢れてくる。
小利口になって、自分に言い訳をして、全てをあきらめて、理不尽を許容することなど今の自分にはできない!そうやって生きてきた、中田 中(あたる)という男はもう死んだのだ。
この状況を素直に受け入れるな!と自分の中の何かがざわめく。
その怒りは正当だ!抗えともう一人の自分が叫ぶ。
「くそ!人間だって自然の一部だ!」
決断した。一度死んだ身だ。何を恐れることがあるというのだ!
人間も自然の一部であり摂理の中にいる。人間だけがなぜその外にいなければならないのだ!
ミリーに追いついたカーズも一見すると怪獣大戦争のようなその光景を見て驚いている。そしてミリーのただならぬ様子に気づいて一瞬ゾクっとする。
「今助ける!」
「お、おい!ミリー、待て!」
カーズに応じず斜面を駆け下りる。
(もう一頭の子熊はどこだ?見つけた!)
「ばか!逃げなさい!」
雄グマから必死に逃げている子熊をかばおうと食い下がる母グマのあとを、少し離れて追いかけるもう一頭の子熊が見えた。
自分たちを襲う雄グマは恐ろしいが母親と離れるのはもっと怖いことなのだろう。
「!」
しかし、ついに追われていた子熊が捕まってしまう。
噛みつかれてそのまま地面抑えこまれる。母グマが勇敢にも突進し引き離そうとするが、時すでに遅かった。どうみてもあれは助からない。
「逃げて!」
どうしていいかわからず、母グマを追いかけるしかないもう1頭の子熊。
1頭の子熊にとどめを刺したと確信した雄グマは、今度はもう1頭の子熊を狙う。母グマが間に入って阻止するが、一回り大きい雄グマを抑えることはできない。
「くっ、間に合わない!」
山から谷に降りてまた山を登らないとそこまで到達できない。どうやっても間に合わない。
「くそ!こうなったら!」
再構成の力を使い地面を一気に盛り上げる。その勢いを発射台にしてジャンプし、谷をまたいで隣の山に向かって放物線を描く。雄グマの進路に着地する瞬間、もう一度再構成で今度は大きな木材の塊を取り出し、落下する勢いに任せて叩きつける。
直撃はできなかったが、巨大な木材が落下する凄まじい衝撃に、雄グマも驚いてひるみ注意をそらすことに成功した。しかし、着地の勢いで雄グマの前を通り過ぎ子熊から遠ざかってしまう。
「速く逃げろ!」
怒号にも近い大きな声で叫ぶが、子熊はいうことを聞いてくれない。
こちらの思いとは裏腹に、恐怖に怯える子熊は母グマだけが頼りなのだろう、危険んな雄グマのほうに近づいてきてしまう。
それを見て雄グマは当初の目的を思い出し、こちらを無視して子熊に襲い掛かる。足場の悪い斜面でもお構いなしで、こういう時に四つ足は有利だ。
なんとか子熊を助けようと走る。
母グマと一瞬目が合う。
(ダメだ間に合わない……ごめん)
雄グマの鋭い牙が子熊に襲い掛かる。子熊の悲鳴があがる。
「ザシュッ」
その時、雄グマが噛みついた子熊を解き放ち、悲痛の声を上げる。
「ミリー!」
「カーズ!」
クロスボウを放ったカーズが斜面の下にいた。天の助けとはまさにこのことだ。
「はっ!子熊は?」
ぐったりとした子熊が斜面をコロコロと転がって落ちていく。
母グマとまた目が合い、その横を抜けて子熊の元にダッシュする。ボルトが肩あたりに刺さった雄グマが子熊にとどめを刺そうと執拗に迫る。母グマがそれを阻止するために間にはいる。
「ミリー!子熊を隠せ!見えなくしろ!」
「え?あ!そうか!」
谷まで転がってきた子熊を先回りして受け止め、地面を押し下げる。そしてその上にクッションになる繊維質を乗せ、その上に軽く土をかぶせる。
これで完全に子熊が消えたように見える。争いの元になっている子熊がこの世界から消えてなくなれば、その理由がなくなるのは道理である。
突然消えてなくなった子熊に茫然となった母グマを押しのけ、雄グマが鼻を鳴らして近づいてくる。
「もう、子熊はいないわ!」
巨大な雄グマを睨んで目を離さず、クロスボウを構えるカーズには手で撃つなと合図を送る。
その時、母グマが雌グマに変わっていることに気づいた雄グマは、完全にこちらに興味を失い背を向けて斜面を登っていく。
子供を失った母グマは、雄を受け入れる雌へと変化する。
どんなに心は悲しみに包まれていたとしても本能がそうさせる。
本能に抗えない。残酷だがこれが現実なのだ。
斜面を登り去ろうとする雌グマを追いかける雄グマ。
「待って!」
雄グマの肩に刺さったボルトを見て、それを抜くために追いかける。
「あ、おい、ミリー!危険だ!」
その行動に驚いて危険だと思って再びクロスボウを構えて静止を促すカーズだが、それを無視して2頭を呼び止める。
「君らは誰も憎んでないんだよね……ただ、本能がそうさせているだけなんだよね……」
2頭のクマはたった今起こったことを既に忘れているかのように、なんだか幸せそうである。
「ちょっと我慢してね」
そう言って一気にボルトを抜く。痛みで一瞬ビクっとした雄グマだが、こちらを向いて鼻を鳴らす。お礼をしたつもりなのだろうか?むしろ傷つけたこちらが悪いのに……
しばらく並んで歩き森に消えていく2頭を見送ったあと、穴に埋めた子熊のところに戻る。カーズは既にそこにいて、何かを拾っていた。
急いでかぶせた土を取り除き、地面を盛り上げて子熊を地表に出す。
子熊はぐったりしているが、ちゃんと息をしている。
「よかった」
「ミリー、これと同じ草を集めてくれ」
カーズが1枚の草の葉を見せる。さっき何かを拾っていたのはこれのようだ。
「止血の?」
「ああ、噛まれただけだから、恐らく外傷だけで済んでるはずだ」
「わかった!」
あの一瞬で、子熊の状況を正確に把握し、止血に効果のある薬草の知識も持っている。それにあの絶妙のタイミングの援護射撃。カーズは一体何者なのだろうか?
「毒草と似ているから気をつけろ」
「了解!」
ゴブリン狩りの時からずっとカーズは戦闘を仕切っている。最初は、辺鄙な駅の護衛としていわば左遷させられてきたような札付きかと勘ぐってしまったが、マナがない――つまりスキルや魔法がまったく使えない土地で、単身で戦える一騎当千の勇者なのではないだろうか?
最近はそんなカーズを全面的に信頼していたが、今回の件でさらに信頼度が上がった。
カーズからもらった止血効果のある草を調査解析し、周辺に生えているそれらの草をピンポイントで一気に分解収集する。
一度分解収集された資源は元の形を失うが、成分が分離され資源として確保される。これを再構成すると、指定した形状で実体化する。
塗り薬として使うにはペースト状にするのがよいので、特に何かの形にする必要がなく、再構成すれば自動的にペースト状になった。
「カーズ!」
子熊の傷を見ているカーズに手のひらいっぱいのペースト状の薬草を見せる。
「よし、そのまま傷に塗り込んでくれ」
既に消毒はしてあるようで、子熊の周囲に血で汚れた布が散乱し、アルコールの独特の臭いが鼻をつく。
言われたとおり、噛まれた傷に薬草を塗り込む。子熊は痛そうに呻くがカーズにもういいと言われるまで、ひたすら練りこんだ。
「そのへんでいいだろう。あとは……」
「え?なに?」
もう安心だと思った瞬間だった。何もしていないのに突然広域調査の能力が勝手に発動したのだ。
初めての現象に戸惑うが、急速に接近する4本足の動物を察知して、思わずカーズに警告する。
「何かくる!」
カーズの背後に大きな猫というよりライオンの雌のような獣が猛然と接近し飛びかかってきた。
完全に油断していたが、自動で発動した広域調査のおかげで、この不意打ちに先手をとることができた。
「え?」
驚くカーズを尻目に襲い掛かる獣とカーズの間に割って入る。そして調査解析の能力を使い、相手を分析しつつスローモーション状態で優位をとる。
先ほど山から山へとジャンプし、高い位置エネルギーを利用した木材アタックを試みたが、それと同様に運動エネルギーと再構成を組み合わせれば、この小さい拳でも強打を打てる確信を持てた。
飛びかかる獣の下あごにアッパーカットをお見舞いする要領で、握った拳の先に鉄の塊を再構成させる。
腕力はないが、思い切り振りぬいたスピードのある拳の先の鉄の塊は、拳と同じスピードを持って獣の下あごを打ち抜く。
完全なカウンターアッパーを喰らった獣は、勢いよくひっくり返って倒れ、脳震盪を起こしたのか酔っ払いのようにフラフラと立ち上がり、逃げようとしたがついにそのばに倒れてしまう。
死んではいないだろうが、しばらくは目を覚まさないだろう。
「ふー、危なかったー……って、え?また?」
一難去ってまた一難を凌いだ瞬間、また広域調査が勝手に発動する。
また何かが接近しているとカーズに警告する。
「……はっ!カーズ、上!」
何か巨大な物体が空から高速で降りてくる。その方向を指さしカーズにしらせると、振り向いてクロスボウを構える。
「なっ!」
それは翼開長4メートルを超える巨大なワシだった。
(大きい!)
クマもさきほどの獣も大きかったが、このワシの大きさは驚異的で、語彙力が完全になくなってしまった。
ご先祖様が造ったあの山の外は完全な弱肉強食の危険な世界だということを改めて知る。
調査解析でスローモーションにする。さっきはカーズが狙われていたが、このワシは子熊を狙っているようである。
そんな分析をしていると、カーズがクロスボウを放つ。スローモーション状態で、ボルトもゆっくりと飛翔している。
(これは外れる)
ワシの降下軌道とボルトの予測軌道がずれていることがはっきりと見て取れた。このままでは子熊がさらわれてしまう。
(再構成!)
すでに得意技になった再構成で子熊が伏せている地面ごと盛り上げる。
両爪を前にだして獲物をつかみ取る態勢になっていた巨大なワシは、目の前に大きな壁が現れ避ける間もなく激突する。
カーズの放ったボルトはむなしく空を切り、その後に衝撃波のような風圧がきて失神したワシが覆いかぶさってくる。
「はぁ、はぁ」
「おいおい、マジかよ……」
熊、獣、鷲の休む間もない三連戦に思わず真顔になってしまう。
「……もう、大丈夫みたい……」
「……」
もう一度、広域調査を試して周囲に脅威になるようなものがないことを確認する。
危険は去ったと言われたものの、クロスボウにすぐさま次弾を装填するカーズを見てさすがだと思う。しかし、彼もこんな状況は初めての体験だったのだろう。今まで見せていた余裕の表情はなく、頬が引きつっている。
警戒態勢を崩さないカーズを尻目に、盛り上げた地面を元にもどし子熊を確認する。どうやら眠っているようだ。
「ふぅー」
ようやく息をつけた。
「すごいなミリー、ははは」
「いやいや、カーズのほうこそ、あはは」
お互いの健闘を称えたあとは、変な笑いになる。
「この辺ってこんなに危険なの?」
「危険なことには違いないが、こんなのは俺も初めてだな」
「この子たち、カルマがあるよね……」
シカとは違い、さっきの雄グマも含め獣とワシにもカルマが存在しているようだ。カルマオーラは見えないが、調査解析でみると、状態が表示されるので、カルマがある動物だということがわかる。
「なぁ、ミリー。この子熊どうするつもりだ?」
「連れてかえっちゃだめかな?」
「……まぁ、とりあえず怪我が治るまでは面倒みるか……」
死闘3連戦で守った命である。今更殺せとはいえないし、そもそもカルマ持ちの動物を無下に殺せば自分自身のカルマに反してしまうことになるかもしれない。
「カーズならそう言ってくれると思ったよ!」
「で、他の連中はどうする?」
失神している獣とワシを順番に見ながら最後にこちらを向くカーズ。
「ど、どうしようか?」
「俺たちの領域を侵したのなら殺しても問題ないだろうが、この場合、俺たちが縄張りに侵入した側だからな……」
のびてる獣のそばにいき、顔をつんつんする。一見するとライオンの雌のように見えるが、生息域から考えるとそれはちがうだろう。豹のような斑点もないし、どうやらピューマのようである。
あのクマたちはハイイログマという種族で、ここにピューマとなると、この地域は北米あたりをモチーフにしているのだろうか。
「そういえば、ミリー。死んだ子熊はどうする?」
「あっ、そうだ……どうしよう?お墓を作ろうか……」
「オハカ?オハカって何だ?」
「あ、いや何でもない……」
そう、ここは冥界の中にある異世界である。現実世界で亡くなってお墓に入った者たちがくる世界である。当然カーズも亡くなった人であり、詳しい経緯はわからないが、死神頼蔵の言葉どおりなら、この世界が創られるにあたってNPC役として募集されてた極楽浄土で暮らしていた現役の亡者である。
死んでお墓に入る概念がない。改めてここがあの世なのだということを思い知る。
「ここは人間の領域じゃないしな。ここで死んだのなら、ヤツらに返すのが筋だろう」
ヤツらとは、ピューマと大ワシのことであり、彼らの胃袋に収めると言いたいのである。悲しいがしようがない。
「そういえばカーズ、シカは?」
「斜面の途中に置いてきちまったな」
「私、もう1人の子熊連れてくるから、カーズはシカを持ってきて」
「……了解」
こちらの意図を察してすぐにシカを取りにいくカーズ。
「カーズ、もっと右の方!」
「おう、サンキュー!」
広域調査で、シカの場所を見つけてカーズに指示し、自分は子熊の遺体へ向かう。
子熊の亡骸は、一見すると大きな損傷はなく出血も見えない。ただ寝ているだけにも見えたが、触れてみればそれがもうただの子熊だった肉の塊だということが理解できた。
ほんのひと月前に、あの山で顔をぺろぺろされた、やんちゃなあの子熊である。
自然と涙があふれてくる。返事をしない亡骸に優しくなでてやる。
抱え上げると折れた首が普通なら曲がらない方向へ傾き、振り子のように揺れる。その首をもとの位置に戻し、抱っこするようにして、助かった子熊の元に戻る。
カーズも大きなシカを担いで来る。
「おーい」
羽根をひろげたままだらしなく気絶している大きなワシに声をかける。起きないので、羽根をもとの位置にもどして、仰向けにして寝かせる。
羽根を広げると端から端まで4メートルを超える巨大なワシだが、小さく折りたたむと全体的にコンパクトになる。それでも地面に立たせれば背丈は自分とほぼ同じになり、まるで皇帝ペンギンに羽根をはやしたような感じである。
表面積にくらべると体重はとても軽いのは、空を飛ぶ鳥の特徴で別に不思議なことではない。
しばらく見ていると、やがて足が動き、目を開け、首を動かして周囲を伺い始める。
「ごめんねー、これはお詫びのしるしよ」
そう言って、子熊の遺体を差し出す。
ワシは立ち上がって羽根を大きく広げ、片足で子熊の遺体をつかむと、しばらくそのままこちらの様子を見ている。
飛び立つのに邪魔だろうと場所を開けると、大きく羽ばたいて10キログラム以上ある子熊の遺体を軽々と持ち上げ悠々と去っていった。
そして、上空で2、3度旋回したあと山並みの奥へと消えていった。
「よし、次はピューマだね」
と、ピューマの方に振り向くと既に起きて低く伏せた状態でこちらを見ていた。ライオンの雌、或いはトラやジャガーなどとも違い顔がとても小さい。猫をそのまま大きくしたような印象である。
「お、おい!」
無造作に近づこうとしたためカーズが静止する。
「ごめんね、あのシカあげるから許してね」
しゃがんで頭をぽんぽんと撫で、鉄塊を喰らわせた下あごもやさしく撫でてやる。ピューマは気持ちよさそうに喉を鳴らしている。
ワンパンでのされた相手に服従の姿勢を見せるピューマ。弱肉強食の世界だけに強者には従うということだろうか?
ここに来た最初があの母グマとの戦闘で、その後仲良しというか、受け入れてくれた。この経験のおかげで、この世界の動物とはそういうものなのだろうと学習していた。
正直なところ、クマもそうなのだが、ワシもピューマも直接触れるのは初めてで、あの経験がなければ怖くて触れなかっただろう。
「さて、帰ろうか」
子熊のところにもどると、いつの間にか包帯が巻かれていた。カーズがしてくれたのだろう。
よっこらしょと抱きかかえてその場を離れると、ピューマはシカの前に陣取ってご馳走を堪能しはじめていた。
「すごいな、ミリー。もしかしてビーストテイマーの才能があるんじゃないか?」
「テイマー?」
「動物を手懐けて使役する職業だよ」
テイマーに関しては説明されなくともよく知っている。アサイラムでも選んだ職業はテイマーだったし、他のゲームでもビーストテイマーやドラゴンテイマーという職業があるなら、それを好んで選んでいた。
「私の能力だと相手のコンディションが分かるんだよね」
「いくらコンディションがわかるからって、あのでかいクマやピューマとか怖くないのか?オレは正直恐ろしかったぞ?」
「うーん?テッサンの顔よりぜんぜん怖くなかったかな?」
その想定外の返答に最初は目を丸くしたカーズだったが、そのあと堰を切ったように大爆笑をはじめる。
それでようやく緊張がほぐれた。
「ところで、名前は決めたのか?」
「名前?えーと、そうだなー……クマ、クマ、よし決めた!クマゴローだ!あんたは今日からクマゴローだ!」
先入観とは恐ろしいものである。調査解析で性別は分かっていたはずなのに、そのワンパクさから完全な思い込みだった。灯台下暗しとはこのことだろう。
これから先、長い付き合いになるクマゴローが雌だということを知ったのは、だいぶ時間が経ってからである。
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