第31話 「銀輪隊商警備」
第三十一話 「銀輪隊商警備」
朝起きるのは苦手だ。
毎朝のことなのに、必ず起きなければならないのに全く慣れない。つまり苦手なのだ。
心地よいベッドのぬくもりをいつまでも独り占めしていた。この最高のひと時を誰にも邪魔されたくない。
でも、早く起きないと会社に遅れてしまう。あれ?会社じゃなくて学校だったっけ?どっちでもいいか……
ずっと心地よいベッドの中でまどろんでいたい。
家族と暮らしていた時は、そういえば誰も起こしてくれなかったっけ?朝食は用意されていたが、それだけだった。1人で起きて、1人で寝坊して、1人で慌てて急いで食べて、走って家を出た。それを家族は嘲笑っていた。私が笑われてそれで家族が満足なら、私もそれで満足だった。
独りになってからは、気を遣う家族もおらず気が楽になったが、朝寝坊が出来なくなってしまった。
卒業して、就職して、姉が自死し、私は首を吊った。
あれ?これって誰の記憶だろう?
今の私は、私だけの英雄を探し求めて旅をしていたはずだ。
さっきのは私の記憶ではない。でも、何故こんなにも鮮明に、そして懐かしく思えるのだろうか?
私は一体何者なんだろう?
「……ラ!……ィラ!」
誰かが私を呼んでいる。誰かが私を起こしている。起きたくないな……でも、起きなくちゃ会社に遅れてしまう。
会社?あれ?また誰かの記憶が混ざっている。
「…クィラ!アクィラ!」
あきら?あれ、あきらって誰だっけ?
ぼやけた視界の外から声が聞こえた。すぐにその声の意味を理解できなかったが、中空を漂う微粒子が一気に集束するように意識が覚醒した。
あっ、アクィラか……これは私の名前だ。
これが正気に戻るという感覚で良いのだろうか?
覚醒したと同時にアクィラと呼ぶ声の意味を思い出して、条件反射のようにその声の方に顔を向けた。
その人を見た瞬間、それが誰かがすぐにわかったが、最初に頭によぎったのは彼の名前ではなくこの言葉だった。
この人は違う。
鉄兜でほとんど隠れているその顔を覚えている。兜を脱いだらもしかしたら誰か分からなくなるかもしれないが……
「アクィラ?正気に戻ったか?俺だ、フィミオだ?覚えているか?」
「……フィミオさん?」
なぜ、この人ではないと思ってしまったんだろう?脈絡がつかめなくて、物語を途中から読み始めてしまったかのようなもどかしさが残る。
「どうやら戻ってきたようだな」
「……戻った?私どこかに逝ってましたー?」
ガードのフィミオ・ティシガーラは、何かにとり憑かれたように頑なに少女を放そうとしないアクィラに対し、やむを得ずストップシャウトで制圧してしまったのである。
ガード固有のスキルの一つであるストップシャウトは、相手にかかった強化スキルや魔法を打ち消し、行動を制限する強力な効果がある。まともに喰らえば気絶するし、アクィラは間近でそれをやられて1分ほど意識が飛んで座ったまま気絶していたのである。
頭がはっきりするにつれ、なんとなく話の流れを思い出してきたアクィラ。
「ようやく正気に戻ったか?」
まだ状況がはっきりと分かっていないアクィラに、フィミオとは違う女性の声がかけられる。その女性にも確かに見覚えがあったが、印象はフィミオとはまったく正反対のもので、そこにいてはいけないものに出会ったかのような驚愕の声でこう叫んだ。
「げぇ!モンたん!」
「だ、誰がモンたんだ!」
変な愛称で呼ばれた女性が間髪入れず全身全霊で否定するが、このやりとりを見る限り過去に何度か繰り返された一種のお約束のようにも見える。
モンたんと呼ばれた女性は、ガードインスペクターのリッカー・モンブランである。この顔を見た瞬間露骨に嫌な顔をして勝手につけた愛称で呼ぶアクィラ。2人が顔見知りであることは最初のやりとりで理解できるし、一方が物凄く嫌がっている愛称を、一方がわざと呼んでいる――と、いう程度には「犬猿の仲良し」感が出ている。
「あるぇ?私何してたんでしたっけー?」
語尾が間延びするいつものアクィラの口調に戻っている。
「憶えてないのか?」
「…………」
アクィラは、はてなマークが頭の上に出ているような顔をしている。
そして、両の腕が何かを抱えていたような感触が残っていることに気付いた。そして、その痕跡を探すように鼻腔の残り香を追うようにくんくんと鼻を鳴らす。
これらの状況を元に記憶の再構築を試みるアクィラ。
「んー…………ああぁー!ミリさん!」
「ミリさん?ミリセントのことか?」
フィミオはすぐに彼女のいうミリさんが逃げたミリセントであることに気付く。
「そう!そのミリさんです!ミリさんはどこですか?」
「ミリーならガー……」
「うわああーうぉほん!ミリーはここにはいない。もう家に帰ったぞ」
素直なフィミオがミリセントの居場所を言おうとした瞬間、モンブランが慌てて迂闊な男の肩を叩きながらそれを遮った。この茶番に思わず下手くそか!とツッコミをいれたくなるようなごまかし方をするので、アクィラにはすぐにばれる。
「あー、今ウソをつきましたねー。ガードインスペクター様がウソなんてついていいんですかー?」
いわゆるジト目でモンたんを冷ややかに見る。流石のアクィラもこんな子供だましのウソには引っかからない。こう見えて実は意外と勘が良いのだ。
「う、ウソではない。その証拠に私に何かフラグが立っているか?」
嘘つきは泥棒の始まりなどと言うが、その一方で嘘も方便ともいう。
ウソをつくこと自体に善悪はなく、そのウソによって実害が出た場合に善悪が判断される。
おかしな表現になるが、ウソには良いウソと悪いウソがあり、それらを見破る便利なスキルも存在する。そして、そのカウンターである見破り阻止スキルも同時に存在する。
モンブランのいうフラグというのは、見破りスキルがあれば犯罪フラグと同様にカルマオーラで判断できるというもので、ガードという職業柄このスキルを保有しているものは多い。
モンブランはフィミオにウソかどうかを確認させる。この場合、ウソをついたことはフィミオにばれるが、ミリセントの居場所を教えないようにする策だというのはすぐに気付くだろうから、きっと話を合わせてくれるだろうという判断である。
しかし、急に話をふられたフィミオは、ウソの見破りスキルなどもっていなかったので、とっさに話を合わせることができずに、正直にそんなスキルはないと告白してしまう。
「この馬鹿者……」
右手で眉間を抑えながら軽く首を振って小声で罵るモンブランを見て、アクィラを騙くらかす策だと今更気づいてしどろもどろになるフィミオ。
彼のクソ真面目で素直な性格は恐らく一生治らないだろうし、彼にはもうずっとこのままでいてほしいと思う。
「んー、ガー……って言いかけたからー?」
モンブランの策を見抜き勝ち誇ったしたり顔のアクィラだが、すぐに腕を組んで考え込み始める。フィミオが言いかけた言葉にヒントがあると踏んだからだ。そして、ガーと言えば、通りの向こうに見えるガードポストが見えたのですぐにピンとくる。
「待て!アクィラ!護送の仕事はどうした?すぐに出発するんだぞ!」
立ち上がりガードポストに歩き出そうとするアクィラの肩を掴んで呼び止めるモンブラン。彼女がここに来た目的は、アクィラらに護送任務をさせるためであって、ミリセントをどうにかするなどどうでもいいのである。
アクィラはモンブランにそう言われて掴まれた肩を突っぱねることはせず、その場でピタリと立ち止まる。隊商に所属する正規の社員である以上、身勝手な行動は隊全体の利益に関わる問題である。例えバカで変態でも、そのくらいのことはわきまえているつもりのアクィラである。
アクィラが立ち止まったことを受け、モンブランは分かってくれたと思ってホッと胸を撫でおろすが、次の瞬間信じられないセリフを聞いた。
「……私、銀輪隊商警備辞めます」
「は?」
アクィラの突然の宣言に周囲は唖然とした。
時間を遡ること30分ほど前――
「ったく、あのリッカー・モンブランとかいうガーペ、ほんとムカつくよね」
ガーペとはガードインスペクターの略称である。
「まーまー、誰もやりたがらない仕事をするのが私たち愛される銀輪隊商警備でしょ?」
「それはまー、そうなんだけどさー」
ナントの街の東門に隣接する物資集積所に、銀輪隊商警備が保有する3台の高速馬車の列が既に出発の準備が整った様子で縦列待機をしていた。
陽が落ち暗くなってから出発する予定だったが、冒険者ギルドのお偉いさんの委任状を携えたガードインスペクターを名乗る生意気な女性が緊急の護送クエストを発注したということで、無理やりその仕事を受ける羽目になった。
急な仕事が入ることはよくあることなので、そのことで文句を言うつもりはないが、依頼人の尊大な態度が隊員たちの気分を著しく害して、大いに士気をくじいていたのである。
隊商は夕刻までオフとなっていたという事情もあり、早朝に決まった仕事の情報が全員にすぐには伝わらず、依頼人が勝手に決めた出発時間になっても人が半分も集まっていなかった。
依頼者であるリッカー・モンブランは、この状況に腹を立ててそのまま冒険者ギルドに苦情を言いに行ってしまったのが20分前くらいだろうか。
その間、早々に集まった隊員はずっと彼女の愚痴を聞かされていたのだから、ご愁傷様としかいいようがない。
先ほどからずっとガードインスペクターのあのいけ好かない女の陰口のような話題が続いているのは、そうした事情があったからである。
「行ったきり戻ってこないし……あの女の決めた出発時刻はとっくに過ぎてるよね?」
「ルーキーさんたちを呼びに行ったアクィラも戻って来ないし……きっとギルドでのんびり世間話でもしてるんじゃない?」
「まさか……あ、そういえば隊長もまだよね?めずらしいよね……何してるんだろ?」
「なんか、親父さんともめてたけど……」
「ああー、出発早くなって予定が狂ったとかなんとか言ってたかな……便乗するつもりだったんでしょうね」
「なんていうか、悪いことってよく重なるよねー」
隊商の車列の横で踏んだり蹴ったりだな、と世間話に夢中な2人の女性は、銀輪隊商警備に所属するミンキー・アーリィとリーン・オーガーの同期の2人である。
銀輪隊商警備の人員は、隊長のセージ・イノーエー、ショジー・ヤンネ、ユーサー・タヤンの男性3名と、ミンキー・アーリィ、リーン・オーガー、そしてアクィラ・フォレスロッタの女性3名の計6名である。
この隊商は、隊長であるセージ・イノーエー個人が経営する運輸会社で、儲けが薄く他の大手隊商が手を出さない輸送経路の定期便化とその巡回警備をカント共和国から委託されている。
収入の半分以上をカント共和国からの補助金で成り立っている非営利団体のようなもので、会社の看板は掲げているものの実質ボランティア集団である。
たくさんの荷物を効率よく運ぶ大規模な隊商を組むのは不可能なので、払い下げの二頭引きの中型オムニバスを改造した兵員輸送車のような高速巡行馬車2台と、同じく改造した小型コーチの指揮車1台の計3台が主な装備となる。
荷物の量によって出動台数を調整し、荷物が多い場合は各街でその都度荷馬車をレンタルして臨機応変に対応する。
屋根付きのオムニバスとコーチの編成のおかげで人員輸送に都合がよく、要人の護送や兵員の移送にも時折駆り出される。これはカント共和国との間で軍事徴用の契約があるためで、オーク上陸騒ぎでは歩兵のピストン輸送に大いに活躍した。
銀輪隊商警備の活動エリアはカント共和国南部が主で、仕事の内容次第では中部の自由都市クリプトまで足を運ぶ。
少量高速移動が売りで、他の物量を重視する業者とは競合せず、むしろ大規模な隊商では扱えない物件を大企業から委託されることが多い。
少数精鋭で業務をこなさなければならない関係上、隊員は全員従軍経験のある元軍人や傭兵である。
国からの補助金で給料は賄われ、最低限の月給は支払われるので、ある意味収入は安定するが安月給である。営業利益から隊商の維持費を引いて、そこで儲けが出れば、ボーナスとして支給される仕組みで、これでようやく人並みの給料となる。
隊長のセージ・イノーエーは儲けを度外視した善意だけのボランティア状態で経営をしており、この隊商に所属する者もまた隊長と同じくボランティア精神旺盛な変わり者ばかりである。儲けよりもやりがいや人間関係を重視する気のいい連中ばかりである。
アクィラも元民間軍事会社で従軍経験があり、彼らと負けず劣らずの変わり者で、給料は安いがとても居心地がいいので、この職場をとても気に入っている。
「ねぇ?いいかげん遅くない?30分以上経ったよね?」
東門の物資集積所からすぐにでも出発できるように3台の馬車が一直線に並んでいる。
その車列の中央の指揮者の中に昨日捕まえた盗人2人が厳重に拘束されている。厳重も厳重で、棺桶のような箱の中に入れられている。どんな悪事を働いたのか気になるところである。
他の2人の共犯者はそれほど罪は重くないようで、手だけ縛られた状態で最後尾のバスに大人しく座っている。この2人はもう観念しているようでがっくりと落ち込んでいたのが印象的だった。ああはなりたくないものである。
隊長と亡命者のルーキーたちを呼びにいったアクィラ以外の隊員4人が車列を見張っているが、他にリッカー・モンブランが連れてきた派遣ガード4名が神妙な面持ちで犯人の乗る馬車の周囲を固めている。
その様子を見て、ミンキーが応じる。
「確かに遅いわね……解散していいのかな……ちょっと聞いてこようか?」
「そうだね。見張りのガードさんたちもいるし、ここは大丈夫でしょ?おーい!ショジー!ユーサー!少し留守番頼むね。ちょっと遅いから呼んでくるよ」
ショジーとユーサーは御者をする馬車の馬の面倒を見ているところで、普段おおらかな彼らも時間には五月蠅い方なので現状には少し不満である。頼むと言って2人の離脱を許可した。
銀輪隊商警備に所属する男性3人のうち、隊長のセージ・イノーエーは未だ隊商の列に顔を見せていない。
時間や規則にルーズな隊員がいないことが自慢の銀輪隊商警備の中では、隊長のセージが一番時間にルーズな方だが、それでも今回のような大幅な遅刻は珍しい、というより長い付き合いの中でも初めてのことかもしれない。
エリートオークのような筋骨隆々の恵まれた逞しい体躯を持つショジーとユーザーは、その見た目とは裏腹に花や小動物を愛でるような心優しい性格である。これをギャップ萌えとでも言えばいいのか、或いは大男ほど実は心優しいというテンプレ通りとでもいえばいいのか、とにかくそんな感じである。
しかし、一般的には大男は強いというイメージなので、そのせいか何かと誤解されることが多かった。その巨漢から「こいつらはきっと強い!」と周囲から勝手に将来有望と期待をかけられ、地獄の特訓で泣く子も真顔になると評判のエリート部隊に無理やり編入されそうになって慌てて逃げ出してきた経緯を持つ。どちらも動物が大好きで、馬の世話や御者を言われなくても自ら率先してやってくれる。
2人の出身地はカント共和国第二の都市コンコードで、長男でもないし親の才能も受け継がなかった。カント共和国の男子の次男坊三男坊は、勉学が苦手であればだいたい軍人が農民の二択になる。2人は当時まだ出会ってはいなかったが、馬が好きで自分の愛馬が欲しかったので軍人の道を選んだという共通点があった。似た者同士の2人がすぐに意気投合してマブダチとなったのは言うまでもないだろう。
その後結局軍を退役して農夫となったが、ここで現隊長のセージと出会い、隊商警備会社の立ち上げに携わることになった。
一方、女性陣の方はと言うと、おとなしい気性の男性陣とは裏腹にミンキーとリーン共に若干男勝りな性格で、威勢の良い姉御肌である。おしゃべりで声が聞こえればだいたいこの2人という感じのチームのムードメーカーである。ここに同じくおしゃべりのアクィラが加入して、女性陣はより一層騒がしくなった。
戦闘においては、積極的で好戦的かと思ってしまうが、実は意外なことに石橋を叩いても渡らない超のつく慎重派である。輸送任務中は過剰なくらい神経質に警戒を怠らない。民間軍事会社を渡り歩く傭兵出身で、2人は知り合ってから意気投合して以後はコンビで活動していた。
傭兵部隊などに多く蔓延している楽観主義とその主義者たちにいやけがさして2人揃って組織を脱退した後、クリプトなどを中心に冒険者に鞍替えして活動していたが、銀輪隊商警備に便乗してカント共和国を旅した時に、盗賊の襲撃を持ち前の警戒心で察知して撃退に貢献した。この時の2人の索敵能力を高く買った隊長のセージの強い求めに応じ銀輪隊商警備に身を置く決意をしたのである。
「隊長、ほんと遅いな……どうしたんだろう?」
隊長のセージと一緒に銀輪隊商警備を立ち上げたユーサーは、普段ルーズだが隊商の行動スケジュールに関しては常に時間厳守であることをよく知っている。それだけに真面目に心配になってくる。
同じく立ち上げメンバーの1人でありマブダチのショジーも同じことを考えているのだろうか、少しそわそわして集中を欠いているようだ。
「ん?」
そこへ聞き覚えのある声が聞こえてきた。隊長の声だ。しかし、それはひとつではなく、誰かと口論をしているようだ。そして、そのもう一つの声にも聞き覚えがあった。
「隊長、おやっさんも……どうしました?」
もう1人は、隊長の父親マカト・イノーエーだった。
マカトはナントの街周辺で農場を営んでおり、カント共和国南西部の各農場や農業従事者を取りまとめる組合の理事長を務めている。
かつて冒険者もしていたという小柄だが腕っぷしには自信がある60歳手前くらいのまだまだ現役と息巻く活きの良いおっさんである。
先ほどから息子であるセージと激しく口論しているようだが、どちらかというと一方的に親父のほうがまくしたて、それを息子がなんとかなだめすかしているという印象である。
話を聞けば、この口論の元になっているのが、隊商の出発が半日早まったことに起因しているようで、ここでもあのガードインスペクターの身勝手な予定変更がたたっていた。
「親父、頼むからわかってくれよ」
「こっちは、夜に出発するからと聞いて、わざわざ頼み込んで夜の会合を昼に変更してもらったんじゃぞ!」
いかにも頑固親父といった甲高くよく通る声でまくしたてるマカト。
責任感が強く曲がったことが大嫌いな彼は、お役所の小役人にとっては一番相手にしたくない相手である。普通なら1週間かかる手続きを無理やり半日でやらせてしまうなど武勇伝に事欠かない。
それを知る周囲は、この名物頑固親父に農業協同組合や街の自治会、商工会などの要職に推して、役所との交渉の矢面に立ってもらっているというわけである。
扱いの難しい人物だが、仕事はきっちりやるので人望に厚く、「とりあえず困ったことがあったらマカトのおやっさんに頼もう」ということになって、気づけばたくさんの役職に就かされていた。
農業従事者ではその名を知らない者はいないと言われるマカトの息子である銀輪隊商警備の隊長であるセージとは、今は険悪な親子関係になっている。何故なら、マカトの農地の経営などの才を受け継いだにも関わらず、跡取りであるセージが隊商警備などの仕事を勝手に始めてしまったからである。国から運営資金を出してもらうなど、お役所嫌いのマカトにとっては、絶対に認められない蛮行ともいえる行為なのだ。
マカトとしては引き受けた役職と自身の農場の経営を同時にこなすのは大変な重労働であり、せめて農場の経営だけでも息子であるセージに任せたいと思っていた。そして、経験を積ませ各所の重役たちにも引き合わせていき、いずれは役職も全て譲って引退する予定だった。
嫁をもらい家族を増やして才能を受け就いた者に跡を継がせていく。そして、たくさんの孫に囲まれて死ぬのがマカトの夢なのだ。
セージにもセージの考えがあり、道楽で隊商警備をしているのではないことをいくら説明しても全く聞き耳をもってくれないので喧嘩が絶えない。
親の言うことは絶対だから逆らうな!黙って従え!というのは、どの時代どの世界でも往々にしてあることである。はっきりと才能がわかるこの世界では、それを効率よく引き継がせるという意味で、親と子の関係は非常に単純である。
だから、セージとしてもその流れに抗うつもりは毛頭なく、いずれ跡を継ぐつもりでいる。
今回のように急な予定に小回りの利く銀輪隊商警備のような高速巡行馬車を装備した隊商は非常に有用である。それを証明するいい機会だったが、さらなる急用が飛び込んで小回りの良さが逆に仇になってしまった。
マカトにしてみれば「それ見たことか!」というわけである。
時間はかかっても一定の時間的間隔で隊商が動いていれば、それにこちらの予定を合わせればいいだけのことである。
しかし、それだと何か月も前から隊商の予定を調べて予定表をつくり、遅れを考慮したマージンをとっておくなど、非常に面倒な作業を一年中強いられることになる。この煩わしさは、筆舌に尽くしがたく、それで苦労している父親を見てきたからこそセージは人の輸送を専門とする輸送業者を作るべきだと考え、それを訴えてその試験運用を国のお金でしているわけである。
小麦を西カロン地方全体に行きわたらせるという使命があるカント共和国では、大規模な隊商が多く参入できるように租税の優遇制度がある。しかし、その優遇措置のおかげで大手運輸業者は儲けを独占するために、新規参入を妨げる裏工作が常態化して、カント共和国の道という道は、商業で栄えた中部自由都市国家群に事実上支配されている状況なのである。
儲けを度外視した国民のための公共交通機関が必要だと考えたセージは、自身の隊商でその有用性を証明しなければならなかった。これが証明できれば国も本腰を上げるだろう。
こうした話を父としたかったセージだが、のらりくらりとかわされてしまう。
頑固者として生まれた以上、それを変えることはこの世界では容易ではない。この世界では生まれ持った自分自身の性格に従うのがルールなのである。
「1人は危険だ!次の便まで待っててくれよ!」
「10日も待てるか!プラナトの経営者会議は3日後なんじゃぞ!」
今日の昼にナントの街で行われる、こちらの都合で日程を変更した外せない会合に出席した後、夜にナントを経って港湾都市アリアドを経由してマカトの目的地である協同農地集積都市プラナトへ行く予定だった。
ナントの街からアリアドを経由してカント共和国の中央に位置するプラナトまでの標準的な隊商の時間的距離は5日ほどだが、小規模で高速輸送が売りの銀輪隊商警備なら約半分の2日で済む。プラナトに直行するのであれば、銀輪隊商警備の脚なら急げば1日で済む。
ここで各都市の大雑把な位置関係を説明すると――
カント共和国全体を大まかに正方形とした場合、対角線の中心がプラナトになり、左下の角がナント(カント要塞)で、右下の角がコンコード、その2つの街の中心あたりにアリアドがある。そして右上の角がクリプトとなる。
銀輪隊商警備の今後の経路は、ナント→アリアド→プラナト→クリプト→コンコードとなっている。
マカトの予定は、今日の正午ナントで行われる商工会の会合に参加し、3日後に開催されるプラナトの農場経営者会議に出席する予定である。
銀輪隊商警備は、マカトの日程に合わせてナントで約1日ほど出発を後らせて時間の調整をしていた。急な予定に合わせられる銀輪隊商警備の強みだったが、その万全の態勢がどこぞのガードインスペクター、隊員が言うところの通称ガーペのせいで全ての予定が滅茶苦茶にされてしまったわけである。
国からの補助金を当てにして活動している銀輪隊商警備としては、国や国と提携している冒険者ギルド(ガードはその中の1組織)の「お願い」には逆らえないのである。しかもこの時モンブランは、より強制力の強い委任状を予め準備していたというのだから、これはもう強制命令と同じである。
「ほれ、もう皆出発の準備ができとるぞ?はよ行け!ついでにもう戻ってくるな!」
「親父ぃ!いい加減にしてくれよ!まったく……」
大きな体を必死に小さく見せようと縮こまっているショジーとユーザーの前に来てプレートメイルの腹を、つまらなそうに手の平でペシペシと触るマカト。
この2人はもともと軍人を辞めたあとイノーエー農場で雇われていた経緯がある。
下働きの農夫も家族として一緒に食事をするマカトを、おやっさんと言って慕っているので、もう1人の頑固親父の前ではその巨漢もシナシナになってしまう。
「おやっさん、隊長を責めないでください。何かどっかのお偉いさんが急に予定に割り込んで……」
「それを何とかするのがお前らの仕事じゃなかったのか?まったく、肝心な時に役に立たなくてどうする?」
「すみません!ほんとすみません!」
おやっさんと言って慕うマカトには全くもって頭が上がらず、どやされて条件反射のようにペコペコしだす2人。マカトにとっては、2人は可愛い息子同然なので、怒鳴るにしても実の息子のセージとは違って声に愛情がこもっている。これは2人を見るマカトの表情を見ても明らかである。
「なぁ、予定ずらしてもらえないのか?なんならオレが直談判にいくからさ」
「馬鹿なことを言うな!ワシが頼み込んで予定を変えてもらったんじゃぞ?」
「だから事情を説明すれば……」
「犯罪者の移送など、ワシらに何の関係があるんじゃ!」
「おやっさん、隊長も落ち着いて……」
夫婦喧嘩や親子喧嘩というのは、親しいが故に遠慮のない感情がそのまま声の塊となっての殴り合いになる。そして、彼らにとってそれはいつもどおりであっても、端から見れば一触即発の緊急事態に見えてしまうのだ。
そばで見ていた派遣ガードたちが目を合わせないように背筋を伸ばして真面目に警護をしているのが印象的で、実際問題、激しく口論している場に居合わせたら関わり合いになりたくないという心理は痛いほどわかる。
ショジーとユーザーはある意味見慣れた光景で免疫があったし、ご近所も同様のようで特に驚く様子もなかった。
「いつまで馬車を待たせとるんじゃ!」
「あー、くそ!」
苛立ちを隠す素振りすら見せず罵るセージ。本当はこんなことをしている場合じゃないのだ。
時間通りがモットーの銀輪隊商警備にとっても、セージ個人にとってもこんなトラブルは初めてだった。これまでそれほど忙しくなかったおかげで、ほとんどスケジュール通りに事が進行していたが、これは運が良かっただけかもしれない。この仕事が成功して無事商売が繁盛するようなことになれば、このようなトラブルは少なからず出てきたことだろう。
それを思うと今のうちにこうしたトラブルを経験できたのは幸運かもしれない。
「わかったよ親父。で、プラナトまでの脚はもう決まったのか?」
「この立派な2本の足が見えんのか!元は冒険者でならした脚じゃ!プラナトまで3日もあれば十分じゃ!」
元冒険者であるマカトには自慢の健脚と剣の腕がある。この冒険者のプライドこそが彼の大胆にして豪快な態度を支える力になっている。
そもそも冒険者として活躍し獲得した富を元手に始めたのが農場経営である。たった一代で大農場主に上りつめたマカトの自尊心が、その辺に転がっている石ころと同じはずがない。
「おやっさん、それはさすがに不味いでしょ!」
「もういい年なんだから、ご自愛くださいよ~。おかみさんだって心配してるん……あっ!」
まるで実の息子の様に心配するショジーに続き、ユーサーも大切なおやっさんを心配したが、どうやら禁句を口にしてしまったようで、話の途中で慌てて両手で口を塞いだ。
待てと止められれば行きたくなるのが男であり、いい年と言われてカチンとくるのが正常な年寄りというものである。
「ユーサー、お主今何と言った?」
「いい年って言ったんだろ?何も間違ってないじゃないか?」
不用意な失言で青ざめているユーサーとの間に割って入っる実の息子のセージ。この後雷が落ちると身構える3人。これもいつものことである。実際、茹でたタコのように顔を真っ赤にしているマカトの怒りゲージはMAXである。
「…………ふん!」
しかし、今日はいつもと違った。抑えられる怒りの許容量を一気に突破したせいなのか急に冷静になり、ふんと鼻だけ鳴らして踵を返してしまう。
「お、おい、親父?どこにいくんだ?」
「会合に決まっておろう?お前たちも客を待たせるんじゃないぞ?」
急にどうしたんだと3人は思わず顔を見合わせてしまう。初めて見る反応にどう対応していいのか分からず立ち尽くしているといつの間にかマカトの背中は小さく遠ざかっていた。
「分かってくれたんですかね?」
「さぁ……」
「馬はあるんだし、大丈夫でしょう?」
まさか本当に歩いていくつもりではないだろう。
物資集積所では馬も販売しているし、借りることができるので問題はないだろう。しかし、ここで皆重要なことを忘れていた。マカトが馬に乗っている姿を1度も見たことがなかったことを……
「あのー、いつまで待てばいいんですかね?」
巨漢2人に挟まれた銀輪隊商警備の隊長に、先ほどから立ち番を強いられていた派遣ガードの1人が気だるそうに話しかけてくる。
内輪もめの3人もそこでようやく隊商としてのスイッチが入り慌てて対応を始める。まず、ここにいない他のメンバーの動向と全ての元凶であるガードインスペクターの動向を確認しなければならない。
予定変更を知らせにいったアクィラが戻らず、その後ガーペのモンブランが待ちきれずに呼びに行き、更にそれをミンキーとリーンが呼びに行き、隊長の父親マカトが来襲し、そして去って行ったというのが現状である。
「ルーキーたちとアクィラと、それとミンキーたちが冒険者ギルドに揃っていることか?」
「ですね」
「俺呼んできますよ?」
「いや、オレがいく」
ユーサーの申し出を丁重に断るセージ。押しに弱い彼ではモンブラン相手に荷が重く、ミイラ取りがミイラになるのが目に見える。
「もうちょっとだけ待っててください」
セージは派遣ガードたちに丁寧に断りを入れると、集積所で管理している馬を借りてそのままギャロップで駆け抜けていった。
これまでの様子を見て見ぬふりをしつつもしっかりと遠巻きに見ていた集積所の従業員が、何かを察して予め馬を用意していてくれたのは流石である。
冒険者ギルド前――
「ちょっ!アクィラ?銀輪辞めるって……マジ?」
アクィラが銀輪隊商警備を辞めるという宣言をした正にその時、同僚の女性2人がその場に居合わせてしまった。
決して軽い気持ちで言ったセリフではない。しかし、顔馴染みの声と顔に接した時、自分の発言の重大さに改めて気づかされたアクィラである。
「……っ、辞めます」
仲の良いミンキー・アーリィとリーン・オーガーに向き直り、一瞬しまったという顔をするアクィラだが、もう一度ガードポストの方に向き、今度は誰とも目を合わせずうつむいて、もう一度苦しそうに辞めることを宣言する。
普段聞かない思いつめたアクィラの苦しそうな声を聞いてただ事ではないとミンキーとリーンはお互い顔を見合わせてしまう。
アクィラがルーキーたちを迎えに行って30分以上が過ぎている。この間にガードインスペクターのリッカー・モンブランと合流したのだろう。恐らくそこで何かがあったのだ。
ミリセントの存在をしらない銀輪隊商警備の2人は、原因がモンブランにあると信じて疑わなかった。結論を言えば、これはあくまでミリセントとアクィラの問題で、隊商の出発を待たされているモンブランもまた被害者になるのだが、前後の脈絡を省略してこの場だけを見てしまうと、そのように考えてしまうのはある意味自然な流れかもしれない。
「ちょっと、あんた!アクィラに何したのよ!」
仲間想いのミンキーは短い銀髪を逆立てて凄い剣幕でモンブランに詰め寄る。
これは完全に言いがかりで、自分の問題だと自覚するアクィラが疑われたモンブランをかばう。
「待ってください。これは私の個人的な問題なんです」
難癖をつけられたものの、咄嗟の反論に窮してたじろいでしまったモンブランだが、アクィラの援護で気を取り直し食って掛かるミンキーを突っぱねる。モンブランは強く出られると意外と弱い。
そこにフィミオが割って入り、場を落ち着かせようと順を追ってこうなった経緯を「かくかくしかじか」で説明する。
普通に説明しただけでは、かなりの時間を有しそうな情報量も、説明省略スキルを使用すると余計な憶測を挟まずにストレートに情報が一瞬で伝達される。
ガードは事情聴取などの聞き取り作業や、仲間との情報共有や上司への作業報告などを頻繁に行うので、このスキルは必修となっている。
また、フィミオは、ここにいるモンブランやギルド員、銀輪隊商警備とも知己があり、ガードという立場的に仲裁にはうってつけの人材といえる。
「つまり、待ち人が見つかったっていうこと?」
「……はい」
詰め寄ったモンブランを置き去りにしてアクィラのそばに駆け寄るミンキーとリーン。
アクィラの慧眼の天賦を知る2人は、フィミオからの説明と併せて一定の理解を示すことができたが、だからといってはいそうですか、おめでとう!とはいかない。
一時の感情で誤った判断をしてしまうことがある。もちろん辞めずに済む選択肢もあるかもしれない。ここは一先ず冷静に話し合った方がいいだろう。そもそも組織の長であるセージに何の断りもなく一方的に辞めるなど到底認められるわけがない。
2人は恋愛相談でもする先輩や友達のようにまとわりついてアクィラをその場に押しとどめる。
そこに銀輪隊商警備の隊長セージが馬に乗って颯爽と駆け付ける。
出来過ぎのタイミングだが、この場の停滞を考えれば、隊長がここに来る理由はすぐに理解できる。
「どー!どー!」
フィミオは素早く馬を止めて、問われる前に若干イラついた雰囲気を醸し出しているセージに対し「かくかくしかじか」で気勢を制して説明の余計な手間を省く。
冒険者や街の住人のいさかいの仲裁は慣れたもので、フィミオのおかげで余計な論争にならずに済ませることができた。
馬から降りる前に事情を把握したセージはアクィラの前に立つ。
「隊長、すみません……」
一度顔を上げてセージの顔を一瞬見た後、申し訳ないという顔ですぐに下を向いてしまうアクィラ。
このしおらしい姿だけ見るならミリセントもアクィラに対する評価が変わったかもしれないが、当人は今悠々自適に牢屋の中の居心地の良さを満喫していた。
「アクィラ、本当に辞める気か?そのことエリーさんは承知しているのか?」
「うっ……いえ」
セージの口からエリーという恐らく名前、それも女性のものと思われる名前を聞いてビクっと身体を震わせるアクィラ。
「アクィラはエリーさんの奴隷だろう?悪いがアクィラの一存では契約の変更はできないぞ?」
アクィラの身分は、エーリカ・ベルリーンの奴隷である。
ここにいるほとんどの者はそのことを知っていたし、奴隷というのが誰かの所有物という立場を指すものであり、卑しい身分ではないことは十分理解している。
ただ、この場に居合わせている、先ほどから話題についてこれずすっかり蚊帳の外になっている亡命者のルーキー6人にとっては意外としか言いようがなかった。
あの鬼神の如き強さの彼女が奴隷とは、主はいったいどんな人なのだろうか?
彼らの長い一日は始まったばかり、そして悠々自適に牢屋ライフを満喫するミリセントの長い一日もここからはじまることになる。
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