第5話 「ミリセント」

第五話 「ミリセント」



 満天の星空は百点満点――これははたしてオヤジギャグになるのだろうか?

 間違ったことは言っていないし、イケメンが言えばそれはカッコイイ台詞になる。つまりオヤジが言うとどんな素晴らしいセンスのギャグもただのオヤジギャグになりさがるというわけである。

 どちらにしてもおっさんがギャグを人前で言おうものならどんな目で見られるか想像するまでもない。それをわかっていながらやめられないのがおっさんのおっさんたる所以である。


 なぜこんなことを言い始めたかといえば、実際に満天の星空が天上に広がっているからで、純粋にその光景に感想をそえてみたら、ダジャレっぽくなったので、これはダジャレではないことを誰かに分かってほしかったからである。


 独り取り残された少女の形をしたおっさんは、大の字になって夜空を見上げている。

 星以外の光源のない闇の世界は恐ろしい。昔の人は何も見えない暗闇に『何か』を感じて、それに様々な名前を与えた。それらは伝承となって今も語り継がれている。妖怪や死神などもそうした闇を恐れた人々の想像の産物ではないだろうか。


 夜も明るい現代社会において、闇といえば真っ先に思い浮かべるのが停電だろう。しかし、それでも完全な闇にはならない。

 あらゆるものから光が消えて本当の闇になったのは、東日本を襲ったあの大震災の時だろうか。

 あの時見た夜空は綺麗だったし、何か大きな力が働いて人類の叡智をすべて薙ぎ払って消し去った後のような無力感と虚無感は、これが本来の地上のありかたではないのかと、傲慢な生き方にお灸をすえられたかのように、魂がぎゅっと締め付けられた。


 ギャグのセンスは0点だが、百点満点の夜空に目を奪われている。


 クマの親子たちが去ってからどのくらい経ったのだろうか。

 時間を計れる手段が太陽の位置くらいしか思いつかなかったが、なぜか晴天なのに太陽と思しき存在をついに発見できないまま、夕暮れになって夜の帳がおりてしまった。

 ここがあの世ということなのだからお天道様がないのはある意味道理といえなくもない。だが、ずっと向こうの世界にいたわけだし、突然こっちの世界に連れてこられて、これが常識ですと言われても、そう簡単に受け入れられるものではない。

 しかし、文句ばかり言ってもしかたがない。ここは満天の星空に免じてひとまずこの状況を受け入れてみよう。


 昨日はやたら眠かったが、今日はほとんど能力を使っていないせいか、睡魔が寝坊をしているようだ。

 昨日から何も食べてはいないが特に空腹を感じていない。向こうの世界では、生きるために食事をして睡眠をとる必要があったが、こちらの世界はそれらが必要ないのかもしれない。

 何かすべての言い訳は『あの世だから』『既に死んでるから』で解決してしまいそうだ。

 ここは死後の世界で、住人は基本的に死んでいる人ばかりだ。自分は少しイレギュラーで例外なところがあるが、それでもこの世界の住人になっているということは、そういうことなのだろう。


 ちょうど良い機会なので少し頭を整理しよう。

 まず、橘 頼蔵という死神を名乗るあのいけ好かない男についてだ。

 向こうの世界にも、同じ人間とは思えない言動や行動をする者がいる。前の会社の上司にもそういう人がいたが、頼蔵はそれに輪をかけてさらにひどいヤツだった。


 頼蔵の言葉を真に受ければ、ここは死後の世界の『三途の川』のほとりにある『賽の河原』を魔改造した場所なのだそうだ。

 信じる信じないではなく、確かに彼の言う通りの現実ではない異世界が存在しているのは確かだ。だから頼蔵の言うことは、彼の人格の良し悪しに関係なく、正しいと受け入れるしかない。


 その上で頼蔵の話を精査すると、この世界は賽の河原の設定が背後にあるため、主役は『親より先に亡くなってしまった子供』たちである。そして彼らの敵役が積んだ石を崩してまわる鬼、つまり獄卒たちである。

 子供たちは賽の河原で石積みをしなければならないが、その石積みの業を、修行して少しずつ強くなっていく冒遣者に置き換えて、それに立ちはだかる敵モンスターを獄卒に見立てているというわけである。


 しかし、本来そんな単純な構造の世界に、外部からいろいろなものが流入してしまい、収集がつかなくなってしまったらしい。その侵入を防ぐ力を持っているのがこの少女らしいのだが、ご存じのように少女に適合する女性がほとんどなく、男性を利用するという裏技的な最終手段をとって、現在に至るという状況である。


 問題なのが、この世界に入ってしまうと、この世界の住人として記憶が改変されてしまうことである。

 そしてこの世界から出る――例えばこの世界で死ぬ――時は、この世界での経験は持ち出せないのである。

 唯一持ち出せるのが死神の代理人で、その代理人と接触して情報を受け渡せば、間接的に外部に持ち出せるというわけである。

 チュートリアルをクリアして、死神から派遣されたエージェントと接触し、情報を引き渡す――これが請け負った任務である。


 それらは、どこまでが本当なのかわからないが、とりあえず任務の半分は終了したことになる。あとは、この情報をどうやって伝えるかだが……


(……何か見落としているな)


 この世界にくると別人になってしまうらしいのだが、今のところ特にそんなようすは感じられず、おっさんの記憶のすべてがこちらの世界に引き継がれている。

 姿かたちは完全に変わってしまったが中身はそのままだ。ここは頼蔵の言っていたこととは明らかに違う点である。

 あの頼蔵が1から10まで真実を語っているとは到底思えない。真実のほとんどは隠蔽されて、上手く口車に乗せられている。そんなところだろう。

 こちらとしては、それが分かっていても拒否権はないのだからしかたがないが、おそらく頼蔵自身もこうなることを知らなかったのではないだろうか?


 チュートリアルクリア後の行動について何も指示がないということは、頼蔵側から接触してくるとみて間違いないだろう。

 いや、ノープランという可能性もある。何しろチュートリアルの内容すら知らないのだから。


(…………このまま見つけてもらえなかったらどうなるのかな?)


 馬鹿正直に相手の言いなりになる必要もないのでは?

 どうせ死ぬなら観光がてら、この体験を文字通り冥土の土産にするというのはどうだろう?

 考えてもしかたがない。一先ず人のいる場所を探しつつ、あとは成り行きでいこう。

 そうと決まれば時間が惜しい。さっそく探索に出よう。


 周囲は真っ暗だが例の能力を使うと、オブジェクトの場所は確認できる。つまり樹木や障害物が実質見えているのと同じである。

 まずは瓦礫を確認する。ほとんどが建築廃材だ。資源として確保しておけば何かの役に立つだろう。

 回収した瓦礫を確認すると、木材そのものは良いものらしい。他に金属が少量手に入った。

 石畳と基礎の跡を見るに、かつてここにはそれなりに立派な家が建っていたのだろう。時代と共に朽ち果て、残った廃材で掘立小屋を建てて寝床にしていた――というところだろうか。


 とりあえず周囲に散らばった瓦礫もすべて回収し麓を目指してみる。麓の方向はおそらくあのクマとの決着がついた場所の方角だろう。

 真っ暗な森の中は一見すると静かなようだが、耳をすますと様々な音が聞こえてくる。昼間、森にクマがいたときに隠れて息をひそめていた小動物たちが、出てきて活動しているのだろう。


 途中ブナの木を木材化してそのまま放置していた角材を見つけて回収する。さらに落とし穴の横をとおり、斜面のジャンプ台を探して見つける。昨日の出来事をおさらいしながら順調に麓に向かっているようだ。

 調査解析をしながらの歩みなので昼間の様に走り回ることはできない。より注意深く、より慎重に何度も調査解析をして、少しずつ前に進む。そうこうしているうちに新しい力に目覚めてしまった。


『広域調査』


 これは自分を中心に波紋のような波を発し、広がる波がオブジェクトに衝突すると、そのオブジェクトがハイライトされるという能力で、波はオブジェクトに衝突しても消えることなく広がり続けるので、建物内や障害物の陰に隠れているモノも発見することができる。

 潜水艦のソナーみたいなもので、夜間など視界ゼロなら文字通りソナーの役目を果たすだろう。

 試しに使ってみると、かなり広範囲に森の樹木の配置が、サーモグラフィーの映像の様に確認することができる。効果時間は1、2秒と僅かな時間だが、これはかなり便利なすごい能力ではないだろうか?

 いろいろなことを積極的に試すことで、能力が覚醒したりパワーアップするようなので、これからも積極的に使っていこう。


 ゆっくり慌てず、能力を試しながらしばらく歩いていると、空が白み始め、目に見える星の数がすこしずつ減っていく。

 そういえば星の位置はずっと同じだったような気がする。

 あの世は地球のような丸い惑星ではおそらくないので、自転による星や太陽の運行の仕組みがそもそもないのだろう。


「もうすぐ夜明けか」


 日の出まであと2時間はあるだろうか。これも向こうの世界の感覚なので、あの世ではどうなるかまだわからない。

 あの世にはお天道様がないので明確な日の出のタイミングがわからない。日の出の位置さえ分かれば少なくとも東西は確認できる。いや、それは地球のことであってあの世はそうとは限らない。もし太陽があったとして西から昇るということもありえるのではないか?


 丘の森から出ると既に周囲は明るくなって星は完全に見えなくなっていた。

 一夜が明けて、ここにきてから2回目の夜が明けたことになる。

 太陽の位置が分からないので方角が全く分からないのが地味につらい。方位磁針があればわかるのだろうかと思ったが、そもそもあの世に磁石が正しく北を指す磁場があるのだろうか?

 我ながら少し神経質すぎるような気もするが、全く知らない土地で行動するのに何かガイドのようなものが欲しいと思うのは我がままなことだろうか?


 森から出て視界が開けると、そこには草木がほとんどない荒涼とした大地が広がっていた。

 後ろを振り向くと今出て来た丘森の背後に昨日見た山並みが低く見える。

 丘自体の標高は50メートルもないくらいだろうか。向かって右側の傾斜がきつめのちょっといびつな三角形をしている。

 周辺の植物分布とは明らかに異なっている異質な山だが、今ここでいろいろ考えてもしかたがない。もう一度振り向いて大地を見渡すと、今度は向かって左に明らかに人工的な、独特の形状を持つ建物が見えた。


「あっ!風車だ」


 回っていない大きな風車が見える。その周囲に大小数件の建物が見える。

 村とまではいかない数世帯の集落――といったところだろうか。風車がある風景は、農園や牧場を連想するが、この一帯の大地はだいぶ枯れているようで、まともに経営できるとは思えない。


「さて、どうしようか」


 情報収集にはうってつけの場所だと思うのだが、ここにきて大きな問題に気づいてしまった。

 この少女とこの集落に住む人たちとの関係性である。

 あの丘の掘立小屋からこの集落まで直線距離で2キロメートルぐらいではないだろうか?あの小屋が少女の住処と仮定した場合、このくらいの距離なら行動半径に十分入っているだろう。つまりこの少女と集落の住民は顔見知りである可能性が非常に高いということだ。


 ゆっくり考えながら歩いてたつもりだが、集落がもうすぐ目の前まできてしまっていた。

 内と外を仕切るような境界線がなく、どこからが集落かわからず、建物から出て来た1人のスキンヘッドの30代半ばと思われる男性と目が合ってしまった。


「よう、ミリー」


 だみ声でミリーと呼ばれた。やはりこの集落の住人とは顔見知りのようだ。

 それにしてもミリーという呼び方に何故かなつかしさを感じる。


「お、おはようございます」


 急に声をかけられて、思わず他人行儀な挨拶をしてしまう。実際、中身のおっさんからすれば、この世界にいる人すべてが初対面で他人なのだ。


「はあ?どうしたんだお前、何か悪い物でも食ったか?」


 この反応を見るに礼儀正しく挨拶をするような間柄ではないことが理解できた。


「お、おいっす!親父、今日も精が出るなぁ!」


 思わずフランクに言い直す。


「お、おう?」


 明らかに変な目で見られている。

 やばいどうしよう。

 どうごまかそうか?

 いや、ごまかしてどうする。


「きょ、今日もいい天気だねー」


「天気?いつも通りじゃねーか」


 作業着のような服に厚い革のエプロンをしているところを見ると鍛冶屋か何かだろうか。


「え?あ?そうだっけ?山の天気は変わりやすくて……」


「……お前どうしちまったんだ?おかしいぞ?」


「え?やだなーいつも通りっスよー」


「あー?」


 怪訝そうに歩いてきて、いかつい顔を近づけて値踏みされる。


「何を企んでる?また、何か悪戯か?」


「い、いやー、そんなことないっスよー」


「何だその変なしゃべりかたは、まったくガキは何考えてるのかさっぱりわからん」

 そう言って背を向けて去っていく。バカにされたと思って憤慨しているようだ。

 突然のこととはいえ、おっさんには少女の真似などできるわけがない。

 少しの後悔と罪悪感と巨大な疲労感でうなだれてしまう。


「……はぁ~、疲れた」


 今の会話で多少はこの少女について理解できた。

 まず、名前か愛称がミリー。集落の人たちとは顔見知りで、冗談を言い合える程度には仲が良いということ。そのため、敬語は使わなくていいようだ。口調が変だと言われたので修正してみよう。それと、天気はいつもこんな感じなので話題にはのせないほうがいい――と。

 過去に何か悪戯をしたかはわからないが、よそよそしい態度が何かの企みがバレないようにごまかしているように見えたのかもしれない。


 さて、第一関門は課題を残したものの、何とか切り抜けたと思う。問題はここからどうするかだ。

 任務を遂行するために聞き込みをするか?いや、聞き込みの前に何気なく住民と接触して情報収集したほうがいいだろう。この中にエージェントがいるかもしれないし、見つかればそこでめでたく任務終了だ。


 キョロキョロしていると今度は気さくで人懐っこそうなおばちゃんに声をかけられた。


「ミリー、ほら帽子忘れてるよ」


 そう言われて頭に手をのせて確認する。全然気にしてなかったが、普段は帽子をかぶっているらしい。


「はいよ」


 そう言っておばちゃんが近づいてきて頭にポンとのせてくれた。

 帽子というよりリング状で帽子としては不十分の簡単なつくりのものだった。


「あ、ありがとう」


「まぁ、ミリーがお礼を言うなんてねー、こりゃ明日は死体が降るわね」


 一瞬目を丸くしたあと、笑って去っていくおばちゃん。

 あの世では、槍ではなく死体が降ってくるのか。さすがあの世だ。


 ここで新しい情報を得た。普段お礼を言わない無礼な子らしい。自分としては、美少女、清楚、おしとやかなイメージを勝手に抱いていたのだが、とんだお転婆娘のようだ。中身がおっさんなので、その方があまり演技しなくてすむかもしれないので、釈然としないが結果オーライでいいだろう。


 大きな回っていない風車を中心に、それを囲むように家々がまばらに配置されている。家の並びに特に規則性は見られないが、建物の造りには統一性があり、このあたりの建物はすべて同一時期に建てられた印象がある。

 家というと、柱を立てて壁で囲い、梁を張って屋根を乗せるのが一般的だと思うが、ここの家は大きな粘土のかたまりをくり抜いたような単純な構造をしている。単純ではあるが、つなぎ目や隙間のない単一の素材でできているので、強度的にはむしろ優れているだろう。しかし、どうやって作ったのか疑問である。

 入り口や窓はくり抜いた場所に木枠をつけて木製のドアと窓を設置しているようだ。ざっと見たところガラスの窓は見当たらない。家というより倉庫か何かだろうか。

 ただ一軒だけ他の家とは明らかに違う木造の大きな家がある。これは他の家よりもだいぶ新しいと思われる。


 不思議な建物だなと近くの家を眺めていると突然大きな声がして、内心ドキっとしてあたりを見回した。


「テッサン!おいテッサン!」


 風車以外で一番大きな建物――この家だけ木造――の入り口に立っている初老の男性が誰かを呼んでいるようだ。そして、さっきのスキンヘッドの男性が、『何か用かオヤジ』と言ってその家に2人で入っていくようすが見えた。

 あのオヤジの名前、或いはあだ名が『テッサン』らしい。『鉄さん』という愛称かと思ったが、初老の男性が彼の父親らしいのでさん付けの愛称ではないだろう。

 何かの用事で呼ばれただけなのか、もしかしたら自分に関係することだろうか?少し気になって緊張してしまう。




 大きな屋敷の一室。


 応接間のような大きな部屋に、髪の毛ふさふさの初老の男と、頭髪がキレイさっぱりない男が窓の外を見ながら何やら真剣な顔で話し合っている。


「息子よ、あれは何者だ?」


「あ?ミリーを忘れたのか?まだボケる歳じゃないだろ」


「あれがミリーだと?お前はあの娘のカルマを見たのか?」


「カルマ?」


 テッサンはカルマと言われて、目じりを軽くこすってからもう一度窓の外の1人の少女を見る。


「……んな!なんじゃこりゃ?」


「あれはミリーのカルマではない。別の何かのカルマだ」


 ミリーと呼ばれたその少女から限りなく黒に近い灰色のオーラが天高く立ち上っているのが見える。


 カルマ――それはこの世界の住人全てが持つ、個人を特徴づける一つの個性で、身体から炎のようにあふれるオーラのかたちとして目視することができる。

 カルマは一般的には業と訳され、その人間の善悪の目安とされる。しかし、ここでは単純な善悪ではなく、指紋のように個を識別する記号の役目をはたしている。

 人間性を可視化したものがカルマで、身にまとって見えるのがカルマオーラである。

 カルマオーラには色と形、大きさなど人それぞれ指紋のような違いがあり、ここで重要なのが、カルマオーラは一個人が特定の色形をしているわけではないことである。どういうことかというと、Aから見たBのカルマは赤でも、Cから見たBのカルマは青と、見る側のカルマの状態で相手のカルマオーラも違って見えるということである。

 カルマは絶対的な基準による善悪ではなく、相対的な基準で判断されるものである。つまり、善人から見る善人のカルマはキレイに見えるし、悪人から見る善人のカルマはひどく汚れて見えるということである。善人がキレイで、悪人は汚れているという単純な話ではないということだ。

 この世界のすべての生きとし生けるものにカルマが存在し、カルマがどう見えるかで敵味方中立などを判断できる。


 ミリーと呼ばれたその少女のカルマは、元はとるにたらないものだった。しかし、今窓の外にいる少女のカルマは以前とはまったく別のカルマだった。


「あの娘の様子に何か変わったことはなかったか?」


「さっき少し話したが、なんかいつもとはだいぶ様子が違ってたな」


 テッサンはそう答えながらもう一度目じりをこする。この仕草がカルマを見るためのスイッチである。常にカルマが見えている状態だと、オーラのモヤモヤで相手がよく見えなくなるし、人ごみだともはやなにがなんだかわからなくなってしまう。そのため普段は見えなくしておくのだ。これをカルマフィルターといって任意で切り替えることができる。


「これは恐らく覚醒した――ということだろう」


「か、覚醒?まさか、あの大罪の血が発現しちまったのか?」


「それ以外考えられまい。記録にある不変のカルマの特徴と一致している」


 テッサンの父と思しき初老の男が、古びたチェストの中から1冊の古書を取り出し、それが記された個所を開いて見せる。


「何だってこんな時期に……ここはもうすぐ引き上げだろうに」


「一族の大罪は書類上では放免となっておる」


「大罪の血筋が発現しちまったってことは、何にも赦されてないってことだろ?」


「確かにそのとおりだ。しかし、この駅を引き払うことはもう決定事項だ。今更どうにもならん」


「うーむ」


「悪いが皆を呼んでくれ」


「ミリーは?」


「……外で待たせておけ」


「……わかった」




 急に慌ただしくなった。住人たちが呼ばれ、何事かといったようすで、ぞろぞろとあの家に入っていく。


 絶対に自分と関係がある。勘とかそういう問題ではなく、状況的にそれ以外に考えられない。

 皆呼ばれたのに自分だけここに残れと言われた。嫌な予感がする。

 少女のかたちをしたおっさんの登場によって、この集落の秩序が乱されたのだ。

 広域調査で全部で8名の男女があの家の中で内容までは不明だが、何かを相談していることがうかがえる。

 これからどうなってしまうのだろうか?ポジティブに考えるなら、彼らは頼蔵のエージェントで、情報取得の準備をしていると捉えることもできなくもない。ただその場合、情報の受け渡しが終わった後に自分がどうなるかという問題もある。


 もう一つ考えられるのは、彼らの知るミリーという少女と中身が入れ替わっていることがバレて、そのことについて詰問されるというケースだ。その際どう事情を説明していいのかわからない。

 頼蔵の言葉をそのまま受け取るなら、この世界の住人は、元々は冥界の住人であるが、外の世界にいた記憶はなく、NPCとしての役割をもつ住人となっている。だから、いくら事情を説明しても理解してもらうことは、おそらく不可能だろうし、むしろ意味不明な話しをされて余計に怪しまれるだろう。


 胃が痛い。クマと死闘を演じていた時の方が気は楽だったかもしれない。

 逃げるという手段も頭の片隅にはあったが、問題を先送りするだけで何の解決にもならない。何よりもう逃げたり隠れたりせず、堂々とお天道様の下を歩きたいという思いが強いのだ。お天道様はないが……


 しばらく頭を抱えていると、家の扉が開いて中に入るように言われる。

 いよいよかと腹をくくる。


(おじゃましまーす)


 声には出さず口の中であいさつをする。そしてキョロキョロせず目だけで周囲を確認する。

 広い玄関ホールの正面に上階にのぼる階段があって、ホールの両側に扉がある。向かって左側に案内されると、そこは応接室のような部屋で、皆思い思いの位置に立ってこちらをみている。

 男性5名、女性3名で一番若く見える男性でも30代だろう。子供は確認できない。なんというか、ここは家族としての営みはなく、仕事で集められた集団のように見える。


 皆不安そうな顔でこちらを見ているが、警戒心や敵対的なようすはまったく感じられなかった。むしろ心配や同情してくれている印象だ。

 一先ず安心して、緊張で少し怒っていた両肩が下がる。

 その様子を見た初老の男が声をかけてくる。この人が最年長者でこの集落のまとめ役なのだろう。


「お名前を教えてもらえないかな?」


 初めて会った人に尋ねる口調。この一言で理解した。中身が入れ替わっていることはバレている。ここは腹をくくって本当のことを言おう。


「……わかりません」


「身分を証明するものがあるはずだが?」


 鬼籍本人手帳のことだろうか?確かにあれがあれば自分の名前くらいわかるだろう。


「……自分でもよくわからないのですが、何か変な能力で分解――消えてしまいました。」


 少女の言葉ではなく、一人の大人としての回答をする。

 周りから僅かなどよめきが起こる。おそらく彼らの知るミリーのキャラとはまったく違った口調だったのだろう。或いは能力や分解というキーワードに対してだろうか?その両方ともいえる。


「やはりな……」


 やはり?これはどういう意味だろうか?この人、いやこの人たちは何か知っているのだろうか?


「ミリー、いや『ミリセント』これがお前の名前だ」


「ミリセント?」


 この名前を聞いた時、もう必要ないとしまい込んでいたいろいろな記憶がよみがえった。この名前には聞き覚えもあるし、愛着もある。これは、昔『アサイラム』というゲームで使っていたアバターの名前だ。


 なぜ、この名前なのだろうか?偶然だろうか?


 ミリセントという名前は外国人の女性にみられる名前で、特別でも特殊な名前でもない。だから単なる偶然かもしれない。

 この世界の住人の姓名の傾向がわからないのでなんともいえないが、一応日本という国のあの世なので、和風な名前をモチーフにしているような先入観があった。

 しかし、正規のルートでこの世界に参加していないので、これはある意味渡来人である事を意味しているという見方もある。そう考えると外人の名前なのはむしろ正しいのではないか?


 それでも数ある名前の中から何故この名前が選ばれたのか?

 偶然だろうか?それとも仕組まれた必然だろうか?

 或いは死神頼蔵の思惑とは別の――彼が隠している別の勢力の意思が働いているのだろうか?

 この世界に入る際、スクリーニング検査でもされて脳内を隅々まで調べられたのかもしれない。

 普通ならこの少女の身体にはリアル女性が入る予定だったはず。その際、その女性の名前や愛称、或いはそれをもとに改名したオリジナルネームが与えられるのではないかと推測してみる。

 しかし、実際入ってきたのは男だったので本名や本名由来の名前を付けることができず、脳内から印象に残っている名前が選ばれた――という推理はどうだろう?

 名前の候補に彼女とか好きな女性の名前が出てこないのは、もとからいないのでバグではない。


 脳内や性癖を覗かれた感じがして少し怖いというかはずかしいが、一先ずそういうことにしておこう。

 予想していたよりも複雑な設定がこの少女には隠されている――これだけは理解できた。

 そして死神は何か重要なことを隠している。それを見定めてみるのもおもしろいかもしれない。

 これまで受け身だった自分の中で初めて『面白そうだ』という前向きな感情が現れた。

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