第6話 「円卓の死神」
第六話 「円卓の死神」
死後の世界、冥界には様々な呼び名がある。
黄泉、常世、幽世、彼岸、そして地獄などである。
日本古来の神道や土着の信仰、また、インド中国を経て輸入された仏教など、本来はその原典となる教義に基づいて独自の体系になるはずだが、永い年月を経て混ざり合い、融合して民間信仰として独自に発展してきた。
日本は古来から良いとこ取りの習慣があるようで、結婚式は神社や教会なのに葬式はお寺だったり、他国の宗教的行事であるお祭りを娯楽や商売に取り入れたりと、良い意味で節操のない国なのである。
そんな日本という国なのだから、死後の世界もそれにもれず異教異文化が混在した良いとこ取りの世界になったのは想像に難くないだろう。
死後の世界、冥界は様々な区画と施設がある。
代表的な区画といえば地獄で、それを管轄するのが裁判所である。その地獄や裁判所も様々でそれぞれに役割が細分化されている。
昨今の人口増加に伴い、裁判所や地獄のお世話になる者たちが後を絶たず、冥界の中で最も混雑しているエリアとなってしまった。
事の発端は、この裁判所と地獄の機能不全からだった。
司法を司る死神、『安倍 浄妙(あべのじょうみょう)』は、この状況を打破しようと、他の死神に問題解決のアイデアを募り、『橘 頼蔵(たちばならいぞう)』からの提案を受けて、改革を実行した。
これが賽の河原のアサイラム化計画である。
この計画は、原型となるアサイラムというゲームを創った、プログラマー河上和正をスカウトした10年前から既に始まっていたが、河上の失踪後急激な仕様変更が強制的に行われてしまう。
当初の計画から大幅に仕様が変わったことで、計画の実行者である頼蔵も状況を把握できなくなったが、10年間の試行錯誤で、おおよその仕組みを把握することができた。
現状、安定したアサイラムだが、計画実行者の頼蔵しか知らない情報もあり、それが、中田 中(あたる)を利用したキーアバターである。
頼蔵はこのアサイラムを創るにあたって、自分に強力な権限を付与できるキーアバターを組み込むように河上に命令していたのだ。しかし、その後に河上に失踪され、アサイラムが大幅に改変されてしまったわけである。
アサイラム開始から約10年の月日が経ち、ついにキーアバターが設定された。
これはオンラインゲームでいうところのオープンベータテストが終わって、正式サービス開始といったところだろうか。
サービス開始当初はトラブルに見舞われることが多いのだが、このアサイラムでも例外ではなかったようだ。
案の定、大問題が発生してしまったのである。
この問題に対処するために、急遽、アサイラムに関係している死神に召集がかけられた。
冥界の片隅に、主に裁判所や地獄で働く獄卒がよく訪れる繁華街の一画に、ひと際目を引く高級中華料理店がある。そのVIP専用個室に5人の死神が円形の回転テーブルを囲んでいた。
「あー、今日集まってもらったのは他でもない。私が発案し、頼蔵が実行したアサイラムに関する緊急の事案についてだ」
集まった死神たちに挨拶をするのは、司法を司る死神、安倍浄妙である。
容姿端麗、切れ長の鋭い目に細い眼鏡と、見るからに仕事のできる女性という雰囲気を醸し出している。長身で長い黒髪を無造作に1本に束ねている。オシャレには無頓着でいつもスッピン、声もハスキー、口調も女性らしさの欠けらもないせいで性別をよく間違われる。
会議に召集された面々は、橘 頼蔵、平伴達磨、藤原壇重朗、源菖蒲丸と浄妙の計5人である。
頼蔵はともかく他の3人は怪訝そうに、豪華な中華三昧を目の前にして、手はずっと膝の上においたまま、回転するテーブルを黙って見つめている。
この会議は当初、頼蔵が招集しようとしたのだが誰も集まらず、浄妙に頼んで彼女からの招集という形になった。
浄妙は計画の発案者でもあるので無関係ではないのだが、これに関しては頼蔵の不手際の後始末をさせられているようなものである。それにしても、浄妙の名前だとすぐに人が集まるのは、彼女の誠実な人柄のおかげであると同時に、頼蔵の日ごろのおこないの結果だといえる。
「どうした?遠慮なく食べてくれ」
「…………」
死神同士は基本的に干渉しないのが慣例にもかかわらず、そういうことに一番うるさそうな司法の死神が、人を集めてご馳走を振舞うという初めての経験に、何か裏があると勘ぐってしまうのは当然といえるだろう。
「安心しろ、頼蔵のおごりだ。しかも、最上級無限フルコース&飲み放題付きだ」
「ちょ!まっ!」
「うおおおおおおおおおおおおおお!」
頼蔵のおごりと聞いた瞬間、伴が勢いよく料理に箸を伸ばす。
皆、店の料理のすべてを平らげるつもりで最初からクライマックス状態で遠慮なく食べ始める。
「頼蔵、カルマ落としは重要よ」
菖蒲丸も頼蔵の財布を空にする気満々である。
「この程度で頼蔵のカルマが落ちるわけないだろ!うはははは」
「くそ!少しは遠慮しろ!」
「で、頼蔵何をやらかしちゃったの?」
「お前ら、まだ状況がわかってないのか?アサイラムは完全に閉ざされたんたぞ」
「そんなこと皆知ってるだろ」
「いや、分かってない!何も分かってない!」
常に高圧的で相手を見下し舐めた態度をとる頼蔵が、何やら悲痛になって声を震わせている。
頼蔵のただならぬ雰囲気に3人は思わず箸を止めた。
「……完全に閉ざされた?」
壇が頼蔵の言葉を小声で繰り返す。そして、何かに気づいて箸をおき、何もない宙空を指で上から下になぞる。
すると半透明のコンソールパネルが現れる。
このパネルはアサイラムの外からエージェントに指示を出したり、設定などの操作をしたり、様々な情報を取得するときに使用する、死神専用の操作端末である。
表情を変えない壇が、珍しく難しい顔でパネルを操作している。
伴と菖蒲丸は、壇のただならぬ様子を見て、飲み食いをやめて固唾をのんで見守る。
壇は何度も何度も同じ操作を繰り返しているように見え、伴も気になって自分の操作パネルを出して確認する。
「わかったかチビ。今置かれているこの状況が」
頼蔵がこんなセリフを言う時は、勝ち誇って相手を見下す尊大な態度をとるのが常だが、今は真面目な表情である。頼蔵にこんな顔ができたのかと驚く菖蒲丸。
浄妙はそんな4人を眺めながら静かに食事をしている。彼女は頼蔵から事前に説明を受けていたので驚かないが、もちろん関心がないというわけではない。
「な、なんてことだ……」
「お、おい!これはどういうことだ?エージェントが操作できないぞ!」
「何度も試したけど、やっぱりエージェントのアクセスに制限がかかってる」
「何故だ?これじゃただ見てることしかできないだろ!」
「頼蔵、説明してやれ」
壇と伴の疑問に対し、浄妙が頼蔵に説明をするよう促す。
菖蒲丸は参加表明はしたものの、まだ正式に参加していない。というよりも先ほど伴や壇とわかれたあとに、頼蔵の呼び出しがあり、無視していたらすぐに浄妙から招集がかかったので、アサイラムを試す時間がまったくなかったのである。
「キーアバターが、アサイラムのゲートを閉ざすカギと決めたのはこの俺だ。河上にそう命じて作らせたんだ。」
「そのことと、今の状況に何か関係あるの?」
頼蔵の言はエージェントにアクセスできない理由とはまったく関係のないはなしだった。
「このキーは、オープンなアサイラムを閉鎖するだけのものではなく、マスターキーとなってアサイラムを支配する存在として作らせたんだ」
頼蔵主導で始めた事業なので、強い権限を持つことは当然の権利といえるが、それを指示された河上は、言いなりになるフリをして様々な細工を施して、どこかに消えてしまったのだ。
「しかし、アサイラムが閉じた途端、こちらのほとんどの権限がはく奪されてしまったわけだ」
河上が上手だったのか、頼蔵が間抜けだったかは聞くまでもないだろう。
だが、他の機能に何の影響もなく、ただ世界が閉じるだけと思い込んでしまった油断は、伴や壇も同じである。特に壇は世界を早く閉鎖したがっていただけに、ショックは大きかった。
「……河上にまんまと騙されちゃったんだね。これは一本取られちゃったよ。カギが閉まってもエージェントはそのまま当たり前に動かせると、無意識にそう思い込んでしまった……くぅ~、ちくしょう!」
最初は冷静に呟いていた壇だが、最後は声を荒げた。壇はこのアサイラムというゲームをとても気に入っていた。それだけに、この状況は誰よりも許せないようだ。
「菖蒲丸、ヤツを殺してくれ。そうすれば……」
世界を閉ざすキーアバターの中の人である、中(あたる)を殺害してしまえば、この状況は一先ずリセットできるはずだ。
中(あたる)の命を握っている菖蒲丸は、この状況ではしかたがないと頼蔵の頼みを聞くことにした。
「……まぁ、そういうことなら……」
現在キーアバターの保有者である中田 中(あたる)を殺せば、再びキーアバターの席に空白が生じ、アサイラムのゲームも再び開いて元にもどるはず。
ここにいる誰もがそう思っていた。しかし――
「ちょっと待て!」
その時、黙って話を聞いていた浄妙が箸を止めて場を制した。
「そいつを殺して本当にゲートが閉まる前の状態にもどるのか?」
「!」
それを聞いて、皆、はっとなった。
「話を聞いた限り、その河上ってヤツは、こちらの思考、行動を逆手にとっているように思えてならないのだが、気のせいだろうか?」
アサイラムに入るとアバターとして生まれ変わるというのも、死神が直接入ってきて追跡することをさせないための一つの仕掛けと捉えることもできる。
「……つまり、キーアバターを我々が処分することも織り込み済み――ということ?」
「ああ、端的に言ってそうだ。河上は閉じた世界をもう一度開かせようと仕向けて、実はカギを破壊しようとしているのではないか?」
「何故そんなめんどくさいことをするんだ?」
「まず今おかれている状況を整理してみよう――
1、今アサイラムは閉じている。
2、それによってエージェントが操作できなくなってとても困っている。
3、何とか前の状態に戻したい。
4、そのためにアサイラムを閉ざしているカギを抜いてしまえばいい。
つまりキーアバターの中(あたる)くんを殺せばOK。
と、今ボクたちは当たり前のようにそう考えた。
でも、浄妙さんの言うように、ボクたちがこの選択をするだろうと予め河上が予測していると仮定するなら――
なぜ、河上はキーアバターを消したいか?」
「単純に考えれば、中(あたる)を殺害したかったからか?」
「この仕掛けを施したのは10年前でしょ?それにこれまで1000人以上のキーアバターの候補がいたわ」
「中田 中(あたる)個人に対する怨恨はないだろうな」
「だね」
「いや待て、あのゴミクズはアサイラムの元プレーヤーだぞ?」
「当時一世を風靡したゲームなんでしょ?当時30代半ばの彼がプレーしていたとしても別に不思議じゃないわ。それに、キーアバターは女性に限定してたでしょ?中(あたる)がバニシング・ツインであることを知ってないとこんなことは不可能だわ。正直死神でないとあれは発見できないわ」
「自分の作ったゲームのプレーヤーなら、感謝こそすれ恨みなど持たないだろ?」
「クレーマーとか、ゲームが終わるキッカケを作ったとか?」
「河上をスカウトした頼蔵ならわかるでしょ?2人に何か遺恨はあったの?」
「……ない」
自分で問題提起をしてすぐ否定する愚かな頼蔵である。
これを話題そらしのいつものパターンと察した伴が、鋭いツッコミをいれる。
「あ、頼蔵!お前何か隠してるな?」
「そもそも、河上は頼蔵の眷属なんじゃないの?だったら、処分してしまえば……」
菖蒲丸が核心を突く。
「……」
「おい!頼蔵なんとか言え!」
「……眷属化は解除してる」
「アホだなお前!何で解除するんだ!」
「大方取引でもしたんだろ。アサイラムで絶対的な権限を与えるかわりに眷属を解除しろと要求された――違うか?」
「…………」
怒りを通り越して皆あきれて黙り込んでしまう。
皆思い思いに頼蔵を罵ると、気が済んだのか頭を切り替えて話を続ける。
「河上は自分の世界に閉じこもりたかった――何のため?」
「逃げる?違うな……なんだろう?」
「……頼蔵、何か心当たりはあるんだろ?全部吐いて楽になれ」
浄妙が頼蔵の目が泳いでいることに気づき自白を促す。これについては菖蒲丸に心当たりがあったので、頼蔵のかわりに暴露する。
「どうせ頼蔵のことだから、河上をスカウトするついでに、家族も皆殺しにしたんでしょう」
これですべて合点がいった。皆一様に『あー』と納得している。
4人の蔑視線が頼蔵に注がれる。
死神が人間を殺すのは、冥界にとって必要な人材をスカウトするためで、勝手気ままに殺すわけではない。よく『いい人から先に死ぬ』という言葉があるが、これは事実であり、裏にこうした理由があるのだ。
頼蔵の普段の行いを考えれば、河上の家族だけはという命乞いを無視したり、言わなくていいことを言って怒らせたりと、遺恨を残すスカウトをしてしまったのだろう――と、容易に予測できる。
つまり、すべて頼蔵のせいだったのである。
「頼蔵、テーブルが少し寂しくなったな」
「おい、追加だ!第2ラウンドだ!もっともってこい!」
「私、飲み放題にないお酒が飲みたいなー」
「ええい、勝手に注文しろ!」
「ご馳走様ー」
第2ラウンド目が終了し、一旦テーブルをきれいに片づけ、ひとまず落ち着く。
「河上は頼蔵、強いては死神という存在そのものに恨みを抱いている可能性が高い」
「それもあるけど、河上さんは生前からひどい目にあってるよね?そっちの恨みも大きそう」
「復讐は確かにそうかもしれないが、河上はこの計画に対しては恨みとは別の興味があったように思える」
頼蔵が弁明するように、当時の河上について補足説明する。
生前、アサイラムという人気ゲームを創ったクリエーターである河上は、志半ばで失脚してしまった。夢の続きを見たいという創造者としての願望があったのは間違いないだろう。
「当時の状況からすると河上の無念は計り知れないわね」
当時の状況というのはスカウト前の生前の彼の待遇のことである。当時、彼へのバッシングはすさまじかった。そのことを考えると、河上が怨霊になって恨みの炎でその身を焦がしている可能性もある。
「同じ轍を踏まない。誰にも邪魔をさせないという強い意志を感じるね。頼蔵に対する復讐は、あくまでもオマケかな」
恨みと理性の狭間で葛藤しているのかもしれない。
「なぁ、さっきの壇の考証の続きだが――」
「なぜ、河上はキーアバターを消したいか――だよね?」
「おう、それそれ」
「河上は、キーアバターの中の人を殺したいのではなく、キーアバターという存在そのものを消したかったと考えるのが妥当かな?」
「何故、消したいか――ね」
「キーアバターは、アサイラムの外カギであると同時に内カギでもあるんじゃないのか?」
「というと?」
「河上がどこかに隠れているわけだが、その隠れ家のカギとか隠し通路への道しるべとかになっているのではないか?そのキーアバターってのが」
浄妙の鋭い考察に皆うなっている。
「キーアバターは初期の段階から準備していたものだ。その後、ヤツが行方をくらましたわけだが、今のアサイラムはその改造版ということになる。」
「なるほど、ようするに河上さんは大事なお家のカギを忘れちゃったんだね」
「忘れたというより、わざとオレたちにカギを握らせて、自ら壊すように仕向けた?」
「そう考えると、一応辻褄は合うわね」
菖蒲丸の一言に対し、浄妙が全体の意見をまとめる。
「今の意見をすべて鵜呑みにするのはどうかと思うが、一先ず今後の行動について考えるか。
1、このまま現状を維持し、ことの推移を見守る
2、元の状況に戻すためにキーアバターの破壊を試みる
――だ」
「多数決とる?」
「馬鹿か?そんなものとる必要ないだろうが!」
「んじゃ、満場一致でキーアバター破壊に決定!」
「な!何でそうなるんだ!」
「んじゃ現状維持で」
「うぐ!」
壇にバカにされてることに気づき言葉を飲み込む頼蔵。
この流れでキーアバターを破壊する選択肢はない。
「これでいいんだな?」
一応この会議の主催兼議長の浄妙が最終確認をとる。
「異議なし」
「しばらく、このままで情報を収集しよう」
「できればキーアバターの捜索も頼む。もしかしたらもしかするかも――だからな」
「頼蔵、皆第3ラウンドをご所望だぞ」
「うぐ……」
緊急事案についての話し合いが終わり、第3ラウンドが開幕する。
「今ざっと調べてみたんだけど、エージェントの直接操作はできなくなってるけど、指令書は送れるみたいだね。今、試しに指令書を出したら、次に出せるまで10日間のカウントダウンが始まっちゃった」
「アサイラム時間で10日に1回か……きびしいな」
「そうだね。何も指示できないよりもほんの少しマシってだけだね~」
「くそ、コンソールからアバターの削除ができなくなってるな。これはもしかしたら死んだらアウトかもしれんぞ。脳筋やチビのアバターは放っておいても大丈夫な設定になっているのか?」
「メインアバターはまずいかも……」
「俺もだ。メインの足利義輝は闇堕ちしそうだな……頼蔵は?」
「お前らバカ共と違ってメインは空けてある。他2人は既に永久機関モードだ」
「キーアバターの為に残してただけでしょ?メインは誰を投入するの?」
「お前ごときに教えるわけないだろ!」
3人の会話は、ゲーム好きのオタクそのもののようだ。
浄妙はこの会議に参加しているメンバーとは知り合いではあるが親密ではない。
そんな仲が悪そうで実は仲良し3人組の、専門用語まじりの意味不明の会話を珍しいものをみるように眺める浄妙が、となりの菖蒲丸に話しかける。
「あいつらはいつもああなのか?」
「アサイラムで仲良しになっちゃったみたいね」
「誰が仲良しだ!」
菖蒲丸の言葉が耳に入った3人の死神が、声を揃えてそれを否定する。
「10年やそこらでそんなに仲良くなれるものなのか?」
「だから仲良くない!」
それを無視する浄妙は、タバコケースから1本取り出し一服を始める。
浄妙の管轄である司法とは、法で裁かれた死、つまり死刑のことである。昔は処刑、自害などで死ぬ者が多かったが、今は死刑も少なく仕事がほとんどない。暇なので自主的に裁判所関係の仕事を手伝っている。
主に三途の川から裁判所まで大渋滞の中で起こるトラブルを未然に防いでいる。
常に人間界との間を行き来する頼蔵とはよく顔を合わせており、その際、この大渋滞を何とかできないかと頼蔵に相談したのが事の発端である。
そういった経緯があったので浄妙にも多少の責任があった。
浄妙は一服しながら、何もない宙空を指でなぞりアサイラムのコンソールパネルを出す。
「浄妙もアサイラムを?」
「ああ、さっきはじめてみた。やりかたは頼蔵から聞いた」
「え?何か面倒な手続きとかしなくていいの?」
「そんなものはいらん。菖蒲丸もやってみろ。頭の中で『アサイラム』って唱えながらな」
言われた通り、菖蒲丸も皆と同じように宙空を指でなぞる。すると、指でなぞった辺りに長方形の半透明のコンソールパネルが浮かび上がる。
アサイラムに参加の意思を表明するため、画面に右の手のひらでタッチして個人情報を登録しなければならないようだ。
頼蔵が外から持ち込んでくる新しい『何か』は、原理がよくわからないものが多く、未知の恐怖がある。しかし、新しい医療技術や機器を持ち込んでくれるので、助かっているという側面があり、その点に限っては菖蒲丸は頼蔵を一応信用していた。
一瞬ためらった菖蒲丸だが、意を決して画面に手のひらをあてる。
どういう仕組みでこういったことができるのか不思議だが、冥界は物理に支配された人間界と違って概念の世界であるため、空想や妄想がまかり通ってしまうのだ。
冥界では空想の産物を現実化して運用でき、これらは、新しい物・発想を輸入してくる頼蔵の力によるものが大きく、いくら人格が破綻していたとしても、彼の力で冥界の利便性が担保されていることにかわりはないのだ。
新規に始めた源菖蒲丸は、3人までエージェントを作成できる。
「誰にしようかしら……」
アバターの初期能力や成長度は、ベースとなる眷属の能力に依存する。しかし、だからといって、アサイラムの中に有能な眷属を投入してしまうと、冥界での仕事に支障がでてしまう。
死神の保有する『眷属』とは、死神が殺害した人間で、この行為を彼らはスカウトと呼ぶ。なぜスカウトなのかというと、死神はただ闇雲に命を奪っているのではなく、殺害対象を冥界に呼んで様々な仕事をさせるためである。
人間は死ねば三途の川を渡って裁判所へ向かい、地獄か極楽かに行き先をふりわけられる。どんなに優れた能力をもつ者でも、生前の行いが総合的に悪と判断されれば地獄に落とされ、罪を償った後、輪廻へと戻されてしまう。
善人ではないが、その能力に見どころがあるような者は、早死の運命を与えて、強制的に死神の眷属にしてしまうのが死神である。こうすれば、いちいち裁判所を介さずに冥界に直接呼び込んで居場所を与えることが出来るというわけである。
生まれながらにして母親のお腹を痛めたという原罪を背負って生まれる人間は、一生をかけて親孝行でその罪を償わなければならない。
だから親孝行できずに死んだ子供はその罪を償うために賽の河原で石積みの業を背負わされるのである。賽の河原とは子供版の地獄というわけだ。
生まれた時から多額の借金を背負っている人間は、生きているうちにその負債を全額返済して、さらに善行を積んで預金を増やした者だけが極楽に行けるという、人生という名の無理ゲーをしている状態である。
しかし同じ人間でも上手く立ち回って成功する者もいる。これは何度も輪廻を繰り返し、人としての最善の生き方を学んだ魂を持って生まれた者だからである。
ミジンコから始まって食物連鎖のなかで淘汰されるごとに上位の生き物に生まれ変わり、やがて人間になる。これで魂が1巡したことになるが、経験の浅い魂は、なかなか良い人生を歩めない。一方、何度も輪廻を巡った経験豊富な魂は、要領よく生きる方法を無意識に知っているためヌルゲー人生を送ることができるのだ。
「みんな仕事を割り当ててるから、手の空いてる子は……いたかしら?」
菖蒲丸は伴や壇のような眷属コレクターではない。そもそも有能な医者をスカウトしまくれば、人間界は大変なことになる。このあたりのバランスは非常に大事なことで、殺し過ぎればカルマをため込んで死神から悪神になってしまう。そうなれば誰かに討伐され、誰かの眷属に成り下がるしかない。
死神もある程度は人間界の悪人を――スカウトではなく殺害したり、死の運命を無かったことにするなど、善行でもって殺しで増えたカルマを落とさなければならない。
死神も大変なのである。
菖蒲丸が保有している眷属には、医事関係で名を遺した偉人が数名いる。例えば、森鴎外、野口英世などだ。
彼らのようなトップクラスの能力を持つ眷属は、冥界で重要な地位に就いて鋭意活躍中である。このような偉人をアサイラムで浪費するのは非常にもったいない。
武を司る伴は、多数の剣豪を眷属として保有しており、アサイラム内には足利義輝や柳生十兵衛らを投入している。かなり大盤振る舞いである。
外地を司る壇は、外国で亡くなった著名な日本人、特に太平洋戦争で戦死した将兵を多数保有している。アサイラム内には栗林忠道を投入している。
ちなみに菖蒲丸の保有する野口英世は、元々は外地を担当する壇から譲渡されたものだった。
「ふーむ」
「どうした?わからんことでもあったか?」
悩んでいる菖蒲丸を見て、浄妙が声をかける。
「いえ、持ち駒がなくて……」
「なるほど。菖蒲丸は眷属のコレクション趣味はないのか」
「浄妙は?」
「私か?死刑になるようなやつをコレクションしてもしようがないからな」
「確かに」
「善良なやつが有能とは限らないし、悪党が常に正しく裁かれるわけではない」
例えば、誰かを守ろうとして人殺しをしてしまう。それは法的にはアウトだが、その行為自体は称賛に値するだろう。
司法によって裁かれた結果の死は、人間の本質的な善悪とは必ずしも一致していない。100の死の中に尊い死も存在する。浄妙はそうした者だけをスカウトするし、そうした者には一定の敬意をもっている。
悪行の限りを尽くした末に裁かれて死刑になる者は、そのまま冥界の裁判所で裁いてもらうのが最善なので、浄妙としてはそこには関与しない。
悪人コレクターなら話は別だが、浄妙にその趣味はなかった。
菖蒲丸は、自分がどのようなスタンスでアサイラムの世界にかかわるかを考えてみる。
「やっぱり、治療とかそっちよね」
自分の得意分野とは真逆の方向でアプローチするというのも選択肢の一つだが、菖蒲丸としては、やはり自分のフィールドで勝負したい。
アサイラムは用意されたシナリオを辿って最終目的を達成するような単純な世界ではない。その世界に入った時点で、その世界の住人となってそこで生活することになる。
アサイラムに限ったことではないが、この手のゲームにおける回復職の需要は高いだろうし、優秀な回復職は引く手あまただ。
職業はアサイラムに入る前の当人の能力や資質が大きく影響するので、誰もが自分のなりたい職につけるわけではない。優秀な人材は何にでもなれるが、逆に何にもなれない無能な者も多い。
アサイラムのメインプレーヤーは、『親より先に亡くなった子供』たちであり、アサイラム内では親を失った孤児としてスタートする。彼らは子供なので総じて能力は低く、最初は訓練所で鍛えられた後、適性のある職業を推奨され、なんらかの職に就いた時点で晴れて冒険者として認められる。
彼らは亡命者というカテゴリーで他の冒険者とは区別され、初期段階では手厚いサポートを受けられる。
死神のエージェントとして派遣される眷属は、一般人よりも総じて能力が高く、そうした訓練課程を省略して、最初から熟練者としてスタートできる。
保有する眷属の中から適当な人材を選択すると、次にアバターの基本情報を入力する。名前や容姿など特にこだわりがなければこの操作は省略してよい。その場合、もとの姿や名前に似せたアバターが形成される。
次に職業の選択だが、眷属の能力から就ける職業が表示され、さらにその中から適性のある職業がピックアップされ、天職があればそれも表示される。
一覧にない職業も選べるが、その場合、訓練所からのスタートとなる。
天職に就くのがベストだが、天職は眷属の元の能力がかなり高くなければ発現しない。
菖蒲丸は、太平洋戦争中、駆逐艦で各地を転戦し、終戦まで生き延びた軍医の眷属を最初のエージェントとして選択した。
撃沈や長期修理による人事異動等で何度か乗艦を替えつつ常に最前線で軍医としての任務を全うし、最終的に乗る船がなくなって内地で終戦を迎えた人物である。医術だけではなく、勇気、体力、運にも恵まれた、偉人として歴史教科書に載るほどの人材ではないが、非常に優秀な人材が眷属の中にいたのは幸運である。
無名だが英雄的な働きをした人材は探せばたくさんいるのである。
それでも天職は選べず、適性は戦士系と回復系の職で、そのハイブリット職であるバトルヒーラーを選択した。
前衛として攻撃や盾役にもなれるヒーラーで、1人2役3役こなせる優秀なアバターとなった。
次にプロフィールだが、アバターの基本的な人格(性格、性質、資質)は、生前のものを引き継ぐ。彼の場合、医療に従事する者として献身的で、最前線での戦闘経験も豊富。勇敢なので、盾役(タンク)が性格的に合いそうだ。
基本的な性格は温厚で慈悲深い。ヒーラーとしての適性は十分だ。戦争中は軍部の無茶な命令に翻弄された経験から、無謀なチャレンジを嫌う。
生産系に適性はなく、生産職には向かないようだが、忍耐力があるので、過酷な環境での力仕事はこなせそうだが、バトルヒーラーというレアな職業が選べるのでそちらに絞ることにした。
このアバターの総合的な評価としては――
慎重で無謀なチャレンジは好まない、前線で献身的に戦うタンクヒーラー。
ポイントは『無謀なチャレンジは好まない』というところだろう。リスクを好まないのは生存率を上げる反面、苦難の先に得られる『何か』とは無縁ともいえる。
新しい能力が覚醒したり、専用のスキルを獲得しずらいタイプだ。
また、チャレンジ精神旺盛な仲間との相性が良くないかもしれない。
プロフィールを設定するときは、これを意識しなければならないだろう。
行動に一貫性を持たせるために、相反する要素を盛り込んではならない。例えば、無謀なチャレンジを好まないのに、プロフィールに『新しいことに挑戦するのが好き』などと書いてしまえば、矛盾が生じてしまう。
矛盾が生じると行動評価にプラスとマイナスが同時に発生し、総合評価は差し引きゼロとなってしまう。
クエストなどで、アバターがプロフィール通りに行動すると『行動評価点』が付与される。その日の行動評価点の合計で、アバターが総合的に評価され、それに見合ったスキルポイントを報酬として獲得できるという仕組みである。
レベル制ではないので、このスキルポイントがキャラを成長させる唯一の要素であり、アサイラムにおける成功のカギである。
つまり、行動に矛盾が生じると、クエストの報酬として通貨や名声などを獲得できても、アバターの成長に必要なスキルポイントが獲得できず、強くなれないということである。
チャレンジャーとの相性の悪さは困った性質である。
同じ場所で黙々と戦闘を繰り返すのが好きな者たちで集まった集団なら問題ないが、行動半径がせまくなってしまう。
ある程度、相反する性格の者たちと行動を共にできないと困ったことになる。
献身的な性格なので、ある程度仲間のために我慢できるだろう。この場合プロフィールには、『仲間の為に自らを犠牲にできる』を組み込めば、『無謀なチャレンジは好まない』と『仲間のチャレンジ』は相殺されるが、『献身的』に加点されるはず。総合的にはプラス判定になるし、新たな挑戦をしたことによって、覚醒や専用スキルの取得につながるかもしれない。
あとは、生活レベルと嗜好だ。
生活レベルは――例えばプロフィールに『貴族の出』などと設定すると、活動資金などが自動的に振り込まれたりなど、資金面で優位にたてるし、最初から名声値が高いのでクエストなどにも事欠かない。また、高級な宿、食事を得られると、コンディションが大幅に上昇し、その状態でないと発動しないスキルが使えるなど大きな恩恵がある。
しかし、貴族であるためには、ある程度の生活レベルが必要で、安い家や安い飯では満足できずに、コンディションに悪影響が出る。
要するに貴族としての恩恵を得るためには、貴族としてのふるまいをしなければならないということである。
嗜好は、ようするに好き嫌いであり、例えば、好きな物を食べたり飲んだりすることでコンディションが上昇して、この状態でしか使えないスキルがつかえたりと、メリットが得られる反面、嫌いなものを食べたり飲んだりすれば、当然デメリットになる。
程度なども決められるし、まったく好き嫌いがないという設定もできる。
嗜好の傾向が似ている者同士は友好関係を築きやすく、そうした者同士で発生する特殊なミニクエストなどもある。
行動の優先度はアバターの人格で、後付けのプロフィールとの間に生じる矛盾がないかの判定が行われる。
行動ポイントは常に乗算、加点、相殺、減点、減算されていき、ポイントの収支が大幅に増減すると、カルマブレイクを引き起こす。
アバターの人格とプロフィールの総合的な指標が『カルマ』で、度を超えた矛盾行動によって、カルマが崩壊してしまう。これが『カルマブレイク』で、ようするに『キャラ崩壊』である。キャラ設定が崩壊したアバターは人格が改変され、プロフィールが書き換わってしまう。
もう一度カルマブレイクさせて、元の人格に近づけることは可能だが、完全に元通りになることはない。
善人から悪人になったアバターはもとの善人に戻ることはない。ただ、善人から悪人になってまた善人に戻ったアバターになるだけである。
善人から悪人だけではなく、悪人から善人になるパターンもあるし、貧乏人が金持ちになって貴族になるのもまたカルマブレイクである。
カルマブレイクは必ずしも悪ではない。ようするに違う自分に生まれ変わるということである。
問題なのが、このカルマブレイクで元の人格に備わっている絶対変えられない性質が変化してしまうと、アバターが自害してしまう可能性があることである。アバターはアサイラム内で――例えば戦闘で死んでも蘇生させることができるが、自害はアバターロストで二度と復活させることができなくなる。
いずれにしても築き上げた周囲との関係性が一転する可能性が極めて高い。
ちなみに、死神のカルマは、本来の意味の善悪のカルマだが、アサイラム内のカルマとは少し仕組みが違う。
「こんなものかしらね……」
アサイラムにカギが掛かる前は、エージェントの行動に対してリアルタイムで指示ができたが、今はもうそれは不可能である。
設定を盛り込み過ぎて矛盾が生じるアバターも、リアルタイムの修正でカバーできたが、今はもうそのようなカウンター技は使えない。
伴と壇のアバターにはそうしたリアルタイムに行動修正することを前提にしたピーキーなアバターもいて、それらのアバターはその後、カルマブレイクを起こす可能性が極めて高い。
とにもかくにも、菖蒲丸の楽しい?アサイラム生活がはじまるわけだが、この記念すべき最初のアバターは、この世界でどのような人生を歩むのだろうか?
頼蔵の頼みでもある、キーアバターの捜索にも個人的には興味がある。
人間界で見つけ送り出した中田 中(あたる)がこの世界のどこかにいる。
円卓(回るテーブル)の死神会議は閉幕した。
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