第7話 「2つのアサイラム」
第七話 「2つのアサイラム」
オレ、いや私の名前はミリセント。
ただのミリセントで、姓はない。なぜ、姓がないのかというと、この世界に姓という概念がないから――というわけではなく、この世界で恐らく、自分だけが名前しか与えられていない特殊な存在だから――
『特殊な存在』などと聞くと、自分は特別なんだと、ちょっといい気分になったりするものだが、特別にはいい意味と悪い意味があり、この場合、完全に後者のほうだった。
悪い意味で特別だとするならば、名前だと思っていたミリセントも実は名前ではなく、ただの識別名か或いは蔑称なのかもしれない。
実際、そうなのだからしかたがない。
この世界において、私に人としての価値はなく、その証明として姓が与えられないのだ。
『大罪人の血筋』
自分ではどうすることもできない、呪われた境遇。
もし私が純粋にこの世界に生きる住人として生を受けた者ならば、そのあまりにも悲惨な境遇に絶望して運命を呪っていただろう。
しかし、幸いなことにこの私は本当の私ではない。
元々悲惨な境遇からこの世界に無理やりやってきたので、大罪人の血筋など毛ほども感じない。むしろ開き直って第二の人生を歩む好機だととらえたい。
そして実際に開き直ってしまった。
だから私は私として生きることに決めた。
あれから1週間経った。
この集落――住民たちの言うところの『駅』では、私が何者なのかを知識として理解はしているらしく、それなりに覚悟はしていたようだ。
大罪人の血筋などと聞けば、どんな極悪人だと思うだろうが、見てのとおり、どこからみても完全無欠の美少女だ。
美少女――と胸を張って言いたいところだが、大罪人の子孫として生まれた境遇的にとても貧しかったのだろう、身体は小さく、張りたい胸も、自慢したいくびれもない、かなりフラットな体型をしている。頭が通ればどんな狭い場所もすり抜けられる自信がある。一言で言うなら「ストン」とした体型だ。
本物の女性の方的には、こういう体型をどう思っているのか全くわからないが、中身おっさんの感想としては、これで良かったと正直思っている。あまり女性的な体型だと、何やらいけない気分になって、脳がおかしくなってしまいそうなのだ。
夢の中や朝起きた時に、もとの大きなおっさんの身体の感覚が残っていて、パニックを起こして金縛りになったりする。
やはり脳が記憶している自分の身体のカタチはすぐに忘れることはできないらしい。
交通事故などで手足を失った人が、その失った手足の感覚が長い間残り続けるという『幻の肢体の痛み』『幻肢痛』に悩まされるという。
それとおそらく原理は同じだろう。ようするに、おっさんの大きな体の大部分がそぎ落とされたと脳が思い込んでいるのだ。
この身体で普通の生活ができるようになるには、もう少し時間がかかりそうである。
今朝も金縛りで目が覚めた。
脳がこの身体を忘れて理解していない。他人に言い聞かせるように自分の脳をなだめ落ち着かせる。しばらくしてようやく脳も『あっ、そうだ!自分は子供(女)なんだ!』と思い出して落ち着く。
ここ1週間はずっとこんな感じだ。
ここにきて最初の数日は、大罪人の血筋にまつわる記録が記された古書に目を通し、ミリセントのルーツについて学んだ。
今から約400年前、ここ『エグザール地方』の、『プリズンウォールマウンテン』をはさんだ東にある『西カロン地方』で、現在の国家体制になるきっかけとなったある事変に、ミリセントの始祖が関わっていたというのである。
西カロン地方は当時、『プラーハ王国』という単一国家に支配されていたが、時代と共に王家と親戚関係にある門閥貴族が肥大化し、その後塵を拝していた下級貴族との間で精神的な対立が生じはじめる。
そうした不満分子の急先鋒である『ガスビン鉱山』で財をなした商人出身の家系であるヴァスカヴィル家が鉱山の利権で得た財力で大きな軍事力を持ち、ついに宗主である王家に対して反旗を翻して、『ヴァスカヴィル帝国』を宣言して独立戦争が勃発したのである。
プラーハ王家をはじめ弱小貴族を吸収し支配下においたヴァスカヴィル帝国に対し、残存貴族が連合勢力を結成してこれに対抗した。
当初数で勝っていた反帝国連合だが、雌雄を決する重要な戦いに敗れ、以後敗走を続けることになった。
最後の砦である『カント要塞』に立て籠もっていた反帝国連合に1人の男が現れる。
彼がミリセントの始祖である、西カロン地方の今の勢力図を形作った張本人にして大罪人のヴァイセント・ヴィールダーである。
ヴァイセントは、たった1人で包囲網を形成する兵たちの武装を消し去って敗走させ、その後も帝国の拠点を次々と武装解除させていき、1人の犠牲者も出さずに帝国を降伏させてしまったのである。
無血の勝利によってプラーハ王国は復活したが、全盛期の力は既になく、多くの有力貴族に離反され、領地は西カロン地方の北部とヴァスカヴィル旧領だけと大幅に縮小した。
帝国に最期まで抵抗した貴族連合の各貴族は連合国家となって、最後の砦であるカント要塞にちなんだカント共和国を建国し、西カロンの南側を支配することになった。
ヴァスカヴィル初代皇帝と同盟貴族は処刑され、プラーハ王国に帰順しなかった貴族はそれぞれの領地に戻って独立勢力となった。
また、帝国同盟貴族の旧領地は空白地帯となって都市ごとに自治権を主張し、どの勢力にも属さない中立勢力が割拠することになった。それらは吸収、合併、分裂を繰り返し、現在に至っている。
全てが終わったあと、穢れた暗黒のカルマオーラをその身に纏ったヴァイセント・ヴィールダーは、身柄をプラーハ王国に預け望んで罪人となった。
ヴァスカヴィル帝国のクーデターで国王である父と母親を失った若きプラーハの王女は、恐るべき力でもって西カロンを事実上征服したといっていいヴァイセントの投降に戸惑い、カント共和国の助力を求め協議が行われた。
反乱を治めた功績で無罪どころか本来は英雄として称えられてもおかしくないヴァイセントだったが、カルマが極限まで穢れて永久犯罪者となってしまっているため、法的には罪人として裁かなければならなかった。
カルマが見えるこの世界では、ヴァイセントのような特大の罪人カルマオーラを放置することはできず、プラーハ王国の権威を示す道具として利用してほしいという本人の希望もあって、プラーハ王女の名で流罪となった。
遡ることさらに50年前、つまり今から約450年前、プラーハ王国全盛期に、西方調査のためプリズンウォールマウンテンを越えて、西側の調査遠征が行われた。
この時見つけた荒野はエグザール地方と名付けられたが、山から西側はマナが枯渇した危険地帯で、危険な山越えのリスクもあって、エグザール地方の入植は行われなかった。
マナとは魔法の源であり、この魔法の力で生活の利便性が保障されていた当時の西カロン地方では、マナの枯渇は原始的な生活に戻ることを意味し、到底受け入れられないものだった。
さらに、特産品らしきものがまったくないエグザール地方は利用価値がほとんどなかったため、放置されていたのである。
そのエグザール地方を今回、流刑地として利用しようとしたわけである。
ヴァイセントの力によって西カロン地方北部から徒歩による危険な山越えをしなくて済むように、プリズンウォールマウンテンに馬車が通れる山道が作られた。
この山道によって、エグザール地方の物流が可能になり、さらにカント共和国設立後に、西カロン地方南部からエグザール地方への物流のルートも確保された。
エグザール地方の主権を主張していたプラーハ王国は南北をつなぐルートに宿駅を設け、そこに出先機関を兼ねた流刑者の監視所を置いた。
エグザール地方の山道が機能していた数十年間の間に、罪人が次々に送られ、エグザール地方には多いときで500人以上の罪人と監視がいた。
その後、経年による山道の劣化で通行の便が悪くなり、北側からの人と物の流れが滞りはじめる。南側ルートのカント共和国の影響力を恐れたプラーハ王国側は、国境付近に関所を設け、流刑者の看視者を国境警備にまわす。
彼らガーディアン(看視者)は食料の自給自足のために狩りを始め、いつしかガーディアンはハンター(狩人)になっていた。
大罪人の血筋について学んでみて思ったことは、始祖であるヴァイセントの敵の武装を消し去る能力というのは、自分も使える分解収集の能力で間違いないだろう。
この能力は誰のものでもない自然にあるものについては制限なく使えるが、誰かが所有しているものにこの能力を使うと、カルマに悪影響がでるらしい。ようするに他人の物を盗む『窃盗』と同じ意味なのだ。
他者の所有物に対してこの能力を使い過ぎてしまったヴァイセントは、カルマが後戻りできないまでに穢れてしまった。これは留意すべき案件である。
彼が自分を犠牲にしてまで守りたかったモノとはいったい何だったのだろうか?古書にそれを示すような記述は見当たらなかったが、不幸な境遇にあった幼い王女に対する思い入れを感じずにはいられなかった。
そして、もう一つ重要なことだが、このミリセントというアバターにこれだけ壮大なバックグラウンドがあるという事実に驚かされる。
このアバターが設定されるまでの10年間、世界はずっと動き続けてきた中で、エグザール地方だけが、ずっと隔離された状態で、ミリセントというアバターの確定を待っていたというわけである。
始祖ヴァイセントの能力は戦争を終結させるほどの大きな力がある。彼は大人しく身を引いたが、世界を征服して魔王となることもできたはずである。
そしてそれは、その力を受け継ぐこのミリセントというアバターにも可能なのだ。
死神頼蔵が言った特別なカギとなるアバターというのは、どうやら本当のようで、頼蔵はこの力を欲していたということだろう。
少し身震いした。こんな責任の重いアバターを本当に自分が担当していいのだろうか?やはりすぐにでも頼蔵に返した方がいいのだろうか?
いや、あの頼蔵にこのアバターを渡してしまったら、この世界は間違いなく暗黒に包まれてしまうだろう。
エグザール地方は、プリズンウォールマウンテンをはさんで、西カロン地方との間に南北に経路がある。いずれも今は封鎖されており、完全に隔離されている。
当初の予定では、頼蔵のエージェントと合流することになっていたが、この状況では、向こうからこちらに訪れることはできないだろう。
合流する場合、こちらから会いに行かなければならないが、このアバターは大罪人の血を引く、限りなく犯罪者に近い犯罪者予備軍である。人の多い街などに行けば、捕まる確率がかなり高い。
エグザール地方は、流刑地として機能しなくなってから数十年の月日が流れた。それにともなって駅の役目も終わり、あと数か月でここは引き払われる。住人はお勤めを終えて故郷に帰っていくのだろう。
このアバターを頼蔵に渡さないために、ここでずっと独りで暮らしていくのも悪くない。向こうの世界でもずっとぼっちだったし、むしろ独りのほうが気が楽である。
そして、西カロン地方で再び戦争が発生した時に、さっそうと現れて、始祖様同様問題をチャチャっと解決してかっこよく去っていくのも悪くないだろう。
この世界を創った人の意図を考えれば、息詰まった世界をリセットさせる役目として、このアバターを設定したのではないか――と邪推したりもするが、そこまで深く考える必要はないだろう。今はただ、この特別な時間を楽しもう。
楽しむといえば、まだ発現してない能力が古書に記されている。今保有している各種能力を使い込んでいけば、いずれ使えるようになるのだろう。夢が広がるというものだ。
かつては500人以上駐留していた『駅』だが、当時の面影はなく、ヴァイセントが作った――らしい、粘土をくり抜いたような倉庫と風車だけが400年の間その形を保ち続けてきたという。
風車は大きな4枚羽根のいわゆるオランダ型のようだが、羽根車部分が老朽化で回らなくなって久しいという。
今朝は、その風車の下で目を覚ました。
丘森の掘立小屋で寝起きしていただけに、どんな場所でもぐっすり眠れるという特技があるようで、しかし逆にベッドでは落ち着いて眠れないという一種の天性の才能があるようだ。
また、ミリセントには、地面などで寝ると姿が消えるという固有の能力があることが住人の聞き取り調査で判明した。オンラインゲームでいうところのログアウトみたいなものだろうか?
ここは冥界なので別に眠らなくてもいいのだが、このミリセントの能力は非常に脳が疲れやすく睡眠は必須で、能力とのセットの特殊能力なのだろう。
起き抜けは身体と魂とのズレを感じるので、大きく伸びをしたあと日課のラジオ体操をする。
「おう、ミリー!もうだいぶ慣れたんじゃないか?」
長老の息子のハゲオヤジのテッサンが声を掛けてくる。
彼らにとって近所に住んでいたこのミリセントとは顔馴染みだった。
眠っていた大罪人の血が発現してしまったことで、記憶やらなにやらすべて吹っ飛んでしまった――ということにして、何とかごまかした。
そのおかげで彼らの知るミリセントを無理に演じる必要がなくなった。
ただ、できればみんなの知っているミリーでありたいので、聞き取り調査をしているところである。
「おっちゃん、おはよー」
言葉遣いは前からこんな感じらしい。
どうもこの娘は野生児らしい。どのくらい野生児かというと、放っておくとそのへんの地べたで平気で寝てしまう程度には野生児らしいのだ。
試しに地べたで寝ていても平気なので、そういう娘なのだろうと納得する。
いかつい顔をしているが、とても気さくなオヤジで、ミリーが一番懐いていたらしいし、今の自分もこのオヤジを好意的に見ている。
駅の住人は全員、ミリーに対して好意的で、なんというか元の世界よりも居心地がよかったりする。
「今日も勉強会でもするか?」
今日も今日とて勉強会である。
何を勉強するのかというと、皆の知っているミリセントについてである。
「望むところだ!」
無理に少女を演じる必要はない。童心にかえったつもりで普通にしてればいいのだ。ただ、一人称は気を付けなければならないだろう。間違えてオレと言ったら、おばさんたちにしこたま怒られた。野生児でもミリーは女の子なのだ。
それにしても頭の中で考えるときの声がもとのおっさんのままなのが気になるところだ。声に出すと女の子の声なのに、頭で考える時はおっさんのままなのだ。やっぱり心はおっさんなのだろう。
「おはよう、ミリー」
「おはよう、ユーカおばさん!」
テッサンの奥さんのユーカ・マツィオも挨拶しながら笑顔で近づいてくる。
旦那に負けず劣らずの気さくなおばさんで、自分のことはおばちゃんでいいよと笑って応じてくれるやさしいおばさんである。
ちなみに、テッサンの父親であり、この駅の駅長というか村長というか、一番えらい人が、センザン・マツィオである。
名前の傾向が微妙に日本語をくずしているような形をしているが、元は日本語の名前である。
西カロン地方では、諱(いみな)と字(あざな)の2つの名前を持つのが一般的である。
諱は本当の名前で普通は表に出さない隠された真の名前で、死後あの世で使う名前である。字は普段使う通名である。
こうした名前の制度は明治維新まで日本でも一般的につかわれていた。
鬼籍本人手帳にも、諱と字の2つが記載されている。
字が本人を識別するIDで、諱がパスワードの役割を果たし、様々な契約で利用される。パスワードである諱は、他人に知られてはならない大切な名前で、知られてしまうと不正な契約に自分の名前が使われるなど非常に危険である。
通常、鬼籍本人手帳の原本は、役所の個人の魔法金庫に預けて、諱を伏せた手帳の写しを普段持ち歩くのが一般的である。
西カロン地方では、所属する国や組織にとらわれない、個人情報を管理する共通機関があり、各都市でいつでも管理できる。これら個人情報インフラは、すべてマナを基にした魔法の力で行われており、マナの存在しないエグザール地方では、こうした手続きがまったくできないのだ。
その個人を証明し各種サービスを受けられる鬼籍本人手帳をミリセントは失くしてしまったのである。
通常魔法の力で保護されている手帳だが、ここがマナ枯渇地帯であることと、大罪人の血筋の能力が魔法の上位存在であるために起こった喜劇、いや悲劇である。
「今日は何が知りたいんだい?」
「うーん、カルマの見方?」
「カルマは目じりを少しこすればみれるよ。やってごらん」
そう言ってユーカおばさんが目じりをこする。すると大罪人の特大オーラを間近で見てしまいびっくりして、すぐに元にもどす。
クスリと笑いながら見よう見真似で目じりをこするが何も起こらない。
「おかしいね~」
「やっぱ手帳を失くしたのがまずかったんじゃないのか?」
「元々そういう体質だったとかは?」
「それもあるかもしれんが、かなり不便だな」
「最初からなかったと思えばどうってことないよ」
ケラケラ笑って見せるが、実際1度もカルマオーラを見たことがないので不便かどうかの判断はしずらい。今まで見れたものが見れなくなるのは不便だろうが、最初から見れないのだから別に問題ない。だいたい向こうの世界ではそんなもの見れないのがあたりまえなわけだし――
このように楽観的に考えられるのにはもう一つ理由がある。能力を使って対象のコンディションがある程度分析できるからである。
しかし、相手が自分をどう見ているかの目安をカルマオーラとして目で見れるのは、無用な争いや誤解を未然に回避できて実はとても素晴らしいことではないかと思う。
それにしても、敵味方、中立などが確認できるという仕組みは、MMORPGのキャラクターの名前の色で識別するシステムと似ているような気がしないでもない。
死神頼蔵は、これをゲームといっていたが、本当にゲームそのものが異世界転生してしまったのだろうか?
(……アサイラム)
ここに着てからというもの、常にアサイラムの影が脳裏をよぎっている。
過去に遊んだ個人的神ゲーとどこか似ている。気のせいだろうか?
(そうだ、アサイラムの要素がこの世界にもあるか、それとなく話題をふってみよう)
「ねぇねぇ、手帳にはどんなことが書いてあるの?」
「まぁ、名前とか家族構成とか、職業、所属、役職とかか?」
「ふむふむ、ほかには?」
「あとは、人格評価と所信表明か?あとは経歴評価って感じか」
「へー、その所信表明って何?」
「何って、ようするに自分自身の生き方つーか、生き様つーか……なぁ?」
テッサンはどう説明していいのかわからず、となりの嫁さんに助け舟を求める。
「人格評価っていうのが、親とか保護者とかが決める『そういう人であって欲しいという願い』みたいなもので、所信表明は『自分で決めるなりたい自分』で、人格評価と所信表明によって『選択してきた自分の行動の結果』が経歴評価――って感じかねぇ~」
(やっぱりだ。アサイラムのアバターシステムにそっくりだ)
アサイラムでは、自分の分身であるアバターを作成する際、ランダムに発生する人格ベースから気に入ったものを選び、大量にあるキーワード候補を組み合わせて、プロフィールを作る。
完成したアバターはAIによって診断され、そのアバターの成長を促すキャンペーンクエストが生成される。
これをクリアしていくことでアバターは成長していくのだが、プロフィールの作り方に不備があると、AIは正常に診断することができず、支離滅裂なクエストを作り出してしまう。
キャラ設定を盛り込みすぎて、性格と行動に矛盾が生じ、一つの選択肢でいくつのも違う評価が重なって、ほとんどのケースでマイナス評価でバッドエンドになってしまう。
そのため、アサイラム初期の評価は超のつくクソゲーで、メディアやユーザーの評価が0点という前代未聞のゲームになってしまったのである。
このクソゲーぶりがゲーム配信者の目にとまり、どうすればクエストを高評価でクリアできるかを競って検証しあうようになり、その中で、神展開になるケースが発見されていき、時間の経過とともに評価がうなぎ上りに上昇し、0点評価をくだしたメディアが謝罪して評価を覆すなど、界隈ではちょっとした事件になった。
人格と性格と職業などが一致し、かつ相乗効果が出るように、プロフィールを設定すると、クエストが正常に展開することが判明し、それらのモデル事例が出揃ってくると、一気にユーザー数が増加した。
アサイラムの基幹である、アバター判定AIが優秀で、通常人間の作業で行う追加要素やデバッグを完全自動で行い、これまで数か月ごとだったバージョンアップが、数日ごとに行われる革命的なゲームとなったのである。
このゲームを作成し世に送り出した河上和正氏はトップクリエーターとして脚光をあびた。
さらに、プレーヤーたちも切磋琢磨して新しいアイデアや技術を磨いていく。
アクションRPGであるこのゲームでは、PKなどプレーヤー同士の戦闘も奨励されていた。当初は弱い者いじめや追いはぎ目的のPKが多かったが、やがて腕に覚えのあるプレーヤー同士の決闘、チーム対抗戦、ギルド対抗戦、レイド戦争へと発展していく。
対人戦は他者を殺すという性質上、悪人ロールプレイをするプレーヤーから広まった文化なので、当然このコンテンツを楽しむプレーヤーはゲーム内で犯罪や悪人など低カルマ帯が多数を占めていた。
その一方で、そうした殺し合いを好まない平和を重んじるプレーヤーたちもいて、彼らは数的には圧倒的に多く、上位プレーヤーが自警団的な組織を立ち上げ、弱者のサポートを積極的に行っていた。
様々な主義信条を持ったプレーヤーが一つの世界でごちゃまぜになっていたにも関わらず、一定の秩序が保たれていたのは、自分自身でアバターを設定し、その設定に縛られた行動を強いられるという、アサイラム独自のゲームシステムによるところが大きいだろう。
(ふーむ、やっぱりこの世界はアサイラムだよなー)
自分でプロフィールを書き、自らの行動を縛る。
カルマによって人間関係に一定の制限。
カルマブレイクの危険性にともない、求められるモラルある行動。
生活水準や嗜好品のコンディションへの影響。
これらが、ゲームのアサイラムとこの世界との類似点である。
「私の手帳ってどんなこと書いてあったんだろう?」
この世界がアサイラムなら、これから先このアバターもプロフィール通りの行動をしなければならないだろう。
大罪人の血筋が覚醒し、別人になってしまったとしても、基本的な人格までは変わっていないはずだ。
中田 中(あたる)ではなく、ミリセントとしての最適解を探さなければ、今後、良かれと思った行動でカルマブレイクを引き起こしてしまうかもしれない。
「他人の手帳なんて夫婦どうしだって普通は見せあわないからねぇ」
ユーカが旦那のテッサンを見ながらしみじみと言う。それだけ鬼籍本人手帳は重要なのである。
「そういえば私が子供の頃ってどんな子だった?」
「今でも子供じゃねーか」
「そうじゃなくて、赤ちゃんの時とかは?」
「赤ん坊?どうだったかしらねぇ?」
「10年、いやもっと前か?コウノトリがあの丘にミリーを運んできたんだよ」
「そうそう、そうだったわねぇ~」
「コウノトリって、いくら私が子供だからってそんな……」
コウノトリが赤ちゃんを運んでくる――これは明らかに2人にからかわれていると思ってしまった。しかし、2人は真顔である。口裏合わせてこちらを担いでいるようには見えない。
赤ちゃんと聞いて両親に関しても気になったので聞いてみる。
「そういえば私の両親は?」
「あの丘にはお前のじいさん1人しかいなかったな。もう死んだけど」
「んじゃ、どうやって私が生まれたの?」
「いや、だからコウノトリが……どうしたおかしな顔して?」
悪い冗談のように最初は思ったが、なんだか自分がおかしくなったのではないかと疑い始める。
ここにきてからずっと、この世とあの世の違いにカルチャーショックを受けているような気がする。
(そうか!)
思い出したと同時に、とっさに2人に背を向けて頭を抱えて考え込む。
ここは向こうの世界ではなく、死後の世界、つまり『生』の存在しない世界である。
男女の営みで子どもが誕生するという概念がそもそも存在しないわけで、この世界における新しい命の誕生とは、今2人が言っていたコウノトリのように、天からの授かりものなのだ。
頭がクラクラしてくる。
寝る必要もないし、食べる必要もないからトイレにいく必要もない。
新陳代謝の概念がないから当然、身体が垢で汚れたりしないから風呂に入る必要もない。そしておそらく寿命もなくて、プロフィールに死期を設定したりするのだろう。
しかもここは地球という丸い惑星ではないから、太陽も存在しない。
(……あれ?)
2人から背を向けて頭を抱えていたが、ふと視線をあげると、向こうの世界で見慣れた丸くてまぶしいものが目に入った。
(あれ?あれは太陽?この世界に太陽ってなかったんじゃ……)
この駅に辿り着く前に方角をたしかめようと太陽を探してついに見つけられなかった記憶がよみがえる。
「あ、あれ……」
わけがわからなくなって、山の稜線から顔を出した太陽を指さしながら、ゆっくり2人に振り向く。
「お天道様がどうかしたのか?」
「お、お天道様?」
「最近顔出さなかったけど、今日は機嫌が良さそうだねぇ~」
「え?機嫌?」
「そりゃーお天道様だってオレたちと同じで、機嫌がいい時と悪いときもあるだろ?」
「あ、あ、そ、そう……なんだ……」
言ったそばからまたカルチャーショックを受ける。
昔話や絵本、ギャグ系のマンガなどでお日様に顔があって人格まであったりするが、この世界ではそれと同じ感覚でお天道様がある種の生き物のように扱われているようだ。
顔の筋肉が引きつって頬のあたりがピクピクしているのを自覚する。
クマに襲われた時とはまた違った驚きに支配されている。何かこれまで経験して学んできたものがすべて否定されているようである。
「日の出ということは……向こうが東?」
「何言ってんだ。日の出は西からだろ?」
「ええええええええええええええ!」
もう驚かないと思っていた次の瞬間、また驚いて思わず地面に手をついてうなだれてしまった。
(そうか、あの世では西なのか……)
向こうの世界で太陽は西に沈むのだから、こっちの世界では西から昇るのか……当たり前といえば当たり前だが、何か釈然としない。
「だ、大丈夫ミリー?」
ユーカおばさんが駆け寄って心配してくれる。両親にもこんなに心配してもらったことがないのに、また別の意味でカルチャーショックだ。
「だ、だいじょうぶ……」
「覚醒しちまうと、そんなことまで忘れちまうのか」
ミリセントのあまりにも見事なうろたえように、テッサンも真顔になっていかつい顔が仁王のようになる。ぱっと見シャレにならないくらい怖い顔だが、それ以上にカルチャーショックが強すぎて、恐怖を感じなくなっている。
「はぁ~」
大きなため息が出る。
「ところで、2人に子供はいないの?」
脳の処理が追い付かないので話題を変える。
「既に申請はしてる。郷(くに)に戻ったらそこで受け取るつもりだ」
「え?赤ちゃんを受け取る?」
「赤ちゃんポストを設置すれば、配達されてくるよ。どんな子にようかしらね?」
「やっぱ筋肉モリモリの元気な男の子だな」
「私はミリーみたいな元気な女の子がほしいわ」
「いやーほんと楽しみだな」
「あ、あああ、赤ちゃんぽぉすとぉ?うぎゃああああああああああー!」
「お、おい!ミリーどうした?大丈夫かミリー?」
この世界はどうなっているのだと、ついに脳がパンクして1人バックドロップでブリッジしたまま気絶するミリセントだった。
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