第8話 「能力検証」
第八話 「能力検証」
目が覚めると、世界が逆転していた。
空が大地に、大地が空に。
いつものように起き抜けの金縛りにあうが、今朝は一段と身体がつらい。
なぜこんなにつらいのかと思ったら、昨日ブリッジしたままの姿で目を覚ましたからだ。
えいやっと気合を入れて身体を引き起こし、日課のラジオ体操をはじめる。
ちゃんとあの音楽を口ずさみ、ナレーションもばっちりだ。子供のころの記憶というのは、どんなに年をとっても覚えているものである。
駅の住人と挨拶をかわしつつ、何人かが見よう見まねでラジオ体操を真似ているのをしり目に、最後までやり通して深呼吸で終わる。
学生の時分、工場でバイトをしていたときに、毎日ラジオ体操をしていた。何でこんなことしなければならないのだろうと、正直はずかしかったが、おっさんになると羞恥心がなくなって全然平気になる。
自分だけのことかもしれないが、大人になるってことは、子供のころ恥ずかしいと思っていたことが、恥ずかしくなくなること――というのが持論である。
少女の小さな身体に1日でもはやく慣れるために、脳の切り替えスイッチとしてラジオ体操を利用したわけだが、今のところそれが上手くいっているようだ。
ちなみに第二もバッチリ覚えている。
今日もお天道様が出ている。向こうと違って、直視しても目が痛くならない優しい光だし、何より大きいのが特徴だ。機嫌が悪いと出てこないという困った性質があるが、別に出てこなくても空が暗くなることはない。朝焼けも夕焼けも別の誰かがやっている演出なのだろう。
この世界では、季節の移ろいというものがないが、天候の変化はある。
風が吹くのは風神様のせい。
雷が鳴るのは雷神様のせい。
雪は冬将軍が降らせる。
雨はミズハノメが降らせるとのことだが、人間が飲んだ水分を雨として大地に返すのだそうだ。ということは、つまり、アレが降っているということなのか。
雨の多い土地が肥沃なのはそういうことだったのだ。
自分のルーツを学び、この世界の仕組みを学び、昨日はこの世界の人間の仕組みを学んだ。向こうと違い過ぎて頭がパニックを起こして気絶してしまった。思えば気絶など生まれて初めての体験かもしれない。
「さて、今日は何をしようか」
この駅にはテッサンとユーカのような夫婦が3組いる。合計8人いる中で、男は5人、女は3人なので、男2人が独身ということだ。残りの2人のうちテッサンの父のセンザンは奥さんを亡くして独り身である。もう1人はここでは一番若い、カーズ・サトゥーで、この人はいわゆる兵隊である。
駅から2日ほどのところにゴブリンが湧く洞窟があり、数が増える前に定期的に駆除するらしい。
ゴブリンはマナの影響で身体が大きくなったり、凶暴化したりして、さまざまなタイプのゴブリンに進化するのだが、エグザール地方特有のマナが枯渇している土地柄のおかげで、近隣のゴブリンはとても弱い。
マナの恩恵がないのは人間も同じだが、訓練された完全武装の戦士なら1人で問題なくかたずけることができるらしい。実際狩りに行くときは、駅の男たちも同行するので危険はないとのことだ。
「おはよう、ミリー」
噂の独身カーズが着込んだ鎧をカチャカチャいわせながら近づいてくる。
「おはよう、カーズさん」
「さんづけはいいよ。今までどおりカーズで」
「了解、カーズ」
覚醒後妙に礼儀正しくなったと評判のミリセントだったが、今のミリーも悪くはないが、昔のミリーも捨てがたいとのことで、なるべく昔のミリーにあわせている。
「どうしたん、そんな格好で?」
中世の騎士のようなフルプレートではなく、厚い革の鎧の要所要所を鉄板で補強したような、あまり格好は良くないが、動きやすさを重視した実用性のありそうな鎧である。
もとのおっさんの身体なら自分も着れそうだと思いつつ、この少女の小さな身体には無理だとすぐに理解できた。
「もうすぐゴブ穴の駆除にいくから、その準備だ。暇なら調整に付き合ってくれ」
「がってん承知。で、何をすればいいの?」
「いつも通り、って今は忘れてるのか、適当な棒で攻撃してみてくれ」
「まかせろ!」
獲得した木材の資源から少量を取り出し、細い木の棒を再構成する。
何もない宙空から突然出てきた木の棒をカッコよくキャッチして構えるミリセントを見て、おおっと声を上げて驚くカーズ。
「えい!やー!とー!」
間髪入れずに軽く棒で何度も叩く。
カーズは小さな丸い鉄の盾でそれを受ける。
元々訓練されている兵士なので技術向上のための訓練ではなく、防具の不備を見つけるための調整である。
それを理解した上で、さらに小さなゴブリンの攻撃を想定して、下段中心で素早く動きながら攻撃する。その動きに合わせて巧みに盾を使って攻撃を防ぐカーズ。
「ふー、やるなミリー。すぐにでも冒険者になれるんじゃないか?」
鎧に問題ないことを確認したカーズは、兜を脱いで一息入れる。
「冒険者?」
冒険者……なんという甘美な響き。異世界転生ではないが、限りなくそれに近い状況で、冒険を意識しないわけにはいかないだろう。
「どうやったらなれるの?」
「街に行けば、ギルドがあるからそこでって、そういえばミリーは手帳ないんだったな……」
「それがないとダメなの?」
「どうだろう?手帳の再発行とかも聞いたことないし、そもそも手帳ってなくせるものなのか?」
この世界にも冒険者というシステムがあり、西カロン地方では治安維持や問題解決など、社会的に必須な存在なのだそうだ。
「手帳って誰が発行するの?」
「発行というか、赤ん坊とセットって感じかな」
この世界の誕生の仕組みは昨日教えてもらったので理解しているのだが、何か納得できないところがある。
命という概念が向こうの世界とは根本的に違う。ここでは死んでも蘇生できるし、本当に死にたくなったら手帳に死期を書いて自分で決めるのである。
死んだらどうなるかという生者にとっての永遠の課題が、ここでは既に答えが出ているのだから、この世界の住人にとっては何も不思議なことではないのだろう。
しかし、ここは死後の世界の中に存在する異世界で、死者のすべてがここにいるわけではない。ほとんどの死者は地獄に堕ちるのでここにはこれない。
ここに来る死者は親より先に亡くなった子供がメインで、他は地獄などで働く獄卒や、地獄に堕ちず極楽浄土へ迎えられた良い人たちである。
つまり、このカーズや他の住人は良い人たちなのだ。
冥界には、人間だけではなく、妖怪や神様など概念の存在もたくさんいると頼蔵から聞いている。死神自体が概念みたいなものだし……
そういう暇を持て余した存在が、この世界――頼蔵の言うゲームの中に大勢遊びにきているとのことだ。
ただ、この世界に入るとこの世界の住人としてキャスティングされて、強制的にロールプレイをさせられるとのことで、例えばカーズが、冥界の誰なのかというのは本人でもわからないのである。
ここからは予測だが、鬼籍本人手帳に記される名前は、元の人間が鬼籍に入った時の名前がそのまま使われ、それが表に出さない本当の名前である諱であり、その名前をもとに決められた字が通名として普段使いされるのだろう。
目の前のカーズで例えるなら、通名は『カーズ・サトゥー』だが、これは『カズ・サトウ』で、つまり彼の本名は『佐藤 和』なのではないだろうか。
まぁ、これはあくまで予測の範囲の妄想でしかないのだが、名前で前世が何者なのかある程度予測できるのかもしれない。
ミリセントという名前に何か意味があるのかよくわからないが、このアバターは初めから存在する既成のアバターで、他の人たちとは少し違う存在なのだろう。
以前遊んでいたアサイラムというゲームで使っていたアバターの名前がミリセントなのだが、きっとこれは偶然だろう……
いずれにしても、これからもし他の人と出会うことがあるのなら、名前に注目してみようと思う。
「ゴブ狩りはいついくの?」
話題をかえる。
赤ん坊と手帳がセットとか、どこの母子手帳かよ!とツッコミをいれたくなったが、この世界の仕組みについてはもういちいち向こうの世界と比較しても意味がないことをいい加減学習しなければならない。。
「テッサンとユーターかダガージの手が空いていれば……だな」
テッサンは固定でユーターとダガージのどちらかの手が空いていれば、その3人ですぐにでも行けるとのことである。
「私もついていっていい?」
「ミリーはいつもついてきてたぞ」
「あ、そうなんだ。それじゃー遠慮なくついていこう」
「ミリーは覚醒して、いろいろ便利な能力が使えるようになったんだろ?」
「え?うん、まー」
「ゴブ狩りに、なんかよさそうな能力あるか?」
「落とし穴は簡単に作れるよ」
「お、いいなそれは。落とし穴は有効な罠だが、掘るのがめんどくさいからな」
「穴に蓋をするとかもできるよ」
「ほほぅ!こりゃー楽な狩りが出来そうだな」
「おう!カーズ、鎧の調子はどうだ?お、ミリーもいたか」
タイミングよく、鍛冶仕事担当のテッサンがやってくる。鎧のメンテナンスなどもテッサンの仕事なのだろう。
「特に問題なさそうだ。それよりテッサン、明日出発しないか?ミリーがいれば楽な狩りができそうだ」
「ミリーにゴブ狩りできるのか?」
「落とし穴が簡単に掘れるらしい」
いかつい顔のテッサンにジロリと見られて、小さなVサインと笑顔を返す。
「ふむー、作戦はどうする?」
「まず、2人で行って、逃げたゴブ共を巣穴に籠城させる。そのあと煙玉放り込んで蓋をする。そこでミリーに巣穴の前に落とし穴をほってもらうって寸法だ」
皆まで言わなくても、煙で窒息しそうになって入り口に殺到するゴブリンを外に出すと同時に落とし穴に落とすという作戦だということは十分理解できる。
「なるほど、これなら戦う必要もないな」
「テッサン、槍と鉤竿用意してくれ」
「おおよ!で、出発はいつだ?」
「明日はどうだ?」
「オレはいいぜ。ミリーはどうだ?」
「いつでもOK!」
「よし、決まりだ」
定例ゴブ狩りの開催が決まる。
さっきは軽口を叩いていたが、いざ狩りに行くと決まって少し緊張してくる。
クマと戦った時は生き残るために必死で、緊張してる暇など全くなかったが、今回はこちらから危険に乗り込んでいくわけである。何事も初めては緊張するものだ。
カーズと別れたあと、テッサンと鍛冶場に向かう。
鍛冶場は例の四角い粘土をくり抜いたような独特の大きな建物で、半分は倉庫になって、その倉庫部分の広い壁が開け広げられている。炉や煙突など、鍛冶に必要な設備が壁と隙間なく繋がっており、この建物自体が最初から鍛冶場兼倉庫として作られたことが理解できる。
室内の炉のある側とは反対の倉庫側に古いというよりも、だいぶ破損して本来の役目を果たせそうにない王族とか偉い人が乗るような馬車が置いてある。修理中ともとれるが、手が付けられなくて放置されているといったほうが適当かもしれない。
鍛冶場と倉庫と車庫が一つの建物に収まっている。
その倉庫エリアに保管されている、木製の柄の先に鉄の槍頭というオーソドックスな槍をテッサンが武具箱から取り出す。
「ミリー、適当に鉤竿探しておいてくれ」
テッサンはそう言って、槍頭を研ぎだす。
「ほーい」
鉤竿は壁に無造作に立てかけられていたので、すぐに見つかった。
漁船などで大きな魚を引っかけて船に引き揚げる時に使う、でかい釣り針がついたような棒である。しかし、こんなもの何に使うのだろうか?
「おっちゃん、おっちゃん、これ何に使うの?」
鉤竿を両手で持って掲げて見せる。おっさんの感覚だと余裕で持てる重さだが、この身体ではかなり重く感じた。
「ああ?あーそれは、落とし穴に落ちた死体を引き上げるためだろ」
「そのまま埋めちゃえば?」
「土が汚れるからだめだ。ちゃんと燃やさないとな」
「え?そうなの?」
「この辺の土地は見ての通りマナがすっ空かんで、死体が腐らなくてな。まー、アンデッドにならないって利点もなくはないがな」
マナは便利らしいが、死体をアンデッドにするらしい。
「そういえば、土地が広いわりに、農場も牧場も見当たらないね。これもマナのせい?」
「ミリーのご先祖様があの人工の山作ってくれたおかげで、いろいろ助かってるんだが、その後の世代にそんな力を持ったのが輩出されなくてな。人の手で土壌改良も過去にいろいろ試したらしいが、上手くいかなかったみてーなんだ」
やはりあの山は人工的に作った山で、始祖様はマジ半端ない能力の持ち主だったことを改めて知った。
それにしても、マナがとても重要な存在だということが理解できると同時に、なぜここにマナがないのか気になるところである。
「私のご先祖様って偉いんだね」
「まーでも、初代以外、ほとんど力が使えなかったらしいな」
「ほとんど?ってことは少し使えたの?」
「ミリーの死んだじいさんは、鍋とかドアの修理はできてたな」
「へー、修理なんてできるんだ。でも、それだとおっちゃんの仕事はあがったりだね」
「ミリーのじいさんの寿命がくるから、鍛冶仕事の交代要員でオレがここに赴任してきたんだよ。親父ははじめからオレをその後釜にするために、子供の頃から訓練所で鍛冶を勉強させられたんだ」
「おお!そんな歴史があったんだね」
「全く、全部忘れちまいやがって」
頭をかいてテヘヘ笑いでごまかす。
「ところで修理ってどうやるの?」
「俺に聞くな!」
「今のところ私にはできないみたいだし……人によってできることが違うのかな?」
「まーその可能性はあるだろうが……まずは修理の知識を身につければいいんじゃないか?」
「それだ!知らないことはできるわけがない!」
考えてみれば当たり前である。
「とりあえず、ゴブリンの件が片付いたら教えてやるよ」
「ありがとう、おっちゃん!」
ゴブ狩りに必要な物を揃え、ひとまず今日は解散となった。
特にすることもないので、外をぶらぶらしていると、やがて夕方になった。
東の空がオレンジ色に染まっている。空の藍色からのグラデーションがきれいだ。
それにしても、お天道様はまだ沈む気がないらしく、まだ頭のてっぺんにいる。
なんて怠惰なお天道様だ。規則正しい生活をしている向こうのお天道様を見習ってほしいものだと、しばらくながめていると完全に夜になってしまう。
お天道様だと思っていたら、いつの間にかお月様になっていた。何を言っているのかわからないと思うだろうが、事実なのだからしようがない。
満月の夜は、向こうよりもだいぶ明るい。どのくらい明るいかというと、照明弾より少し暗い程度にだいぶ明るい。この明るさなら野球とかサッカーも余裕でできそうである。
(野球か……)
スポーツというとだいたい野球を連想する世代である。地元のスポーツ少年団には空手と野球があって、高校で足を怪我するまでずっと野球一筋の野球少年だった。
今思うと、高校の選択がその後の人生を決定づけたといっていいだろう。
典型的な長男至上主義の一家の次男だったので、常に長男の真似をするような育てられ方をした。小学生まではそれについて何の疑問ももたなかった。しかし中学生くらいになると反抗期も手伝って、高校は敢えて兄とは違う方向に進んだのである。
大学に行かせる金はないと公言しているのに、兄と同じ進学校に行けという両親に反発して、学力的にレベルの低かった地元の公立工業高校へ進学した。
今でこそ工業高校も農業高校もそれなりにいい学校として扱われていたが、当時、不良、暴走族、シンナー遊び、校内暴力などの全盛期で、中学、高校全体がまだまだ荒れていた時期である。工業高校など不良ばかりである。
中学の先輩に、そっちの業界に就職してしまった人がいる程度に、今とは比べ物にならない程、暴力が横行していた。学校の先生ですら平気で生徒を殴っていた、今なら絶対社会問題になる、そんな時代である。
進路を誤ったと思ったが、機械科の実習はとても面白かった。コンピュータのプログラムとか、溶鉱炉実習やエンジンをばらして組み立てたりなど、進学校では体験できないことをたくさん学べた。
野球部で足を怪我して部活を続けることができなくなり、心機一転、デザイン系の専門学校に進学し、デザイナーの道を歩んだ。
デザイナーなどと聞くと、何やら格好よさそうなイメージがあるが、長時間労働があたりまえにもかかわらず、残業代が初めから給与に含まれている状態なのに、一般的な職業の手取りにも満たないという、好きじゃなければやってられない職業である。
社会の底辺にいることを自覚し、早々に結婚、マイホームなど一般人の思い描く人生をあきらめる。
老後の為に貯金しろと、小さい頃から躾けられてきたおかげで、貧しく生きることになれていた。自分ひとり、老後のためにコツコツ貯金しながら、今の生活を続けていれば安泰な人生だろう。
と、そう信じて疑わなかった――父がボケるまでは。
社会の底辺にいる者に老後は存在しない。老いて身体や頭が衰えたらそこで人生終了である。これが底辺に生きる者の生き方だと悟ったのだ。
そうして、人生の軌道修正をしたらこの様である。
野球の話からずいぶん脱線したなと、お月様を見ながら物思いにふける。
まぁ、今となってはこの状況も面白いと思っている。
面白くない世の中を面白く生きる。だれかの辞世の句にこんなのがあったように記憶する。最終的に『まーそこそこ楽しい人生だった』と言って死ねたら、それが1番の幸福なのだろう。
いつの間にか、地べたに寝転んで月を見ながら、空に手をかざす。
まん丸のお月様を野球のボールに重ねて、頭の中でイメージする。木材と繊維の資源を使えば、野球の硬式ボールのようなものを作れないだろうか?
さっきカーズとの訓練の時、木材を再構成するときに必要な量と形をイメージして木の棒を取り出せたのを思い出す。
(それなら、丸い木の球を作れないかな?)
「あ、できた!」
かざした手の先に丸い木の球が出現し、そのまま重力に逆らえず落ちてくる。
「あ、痛たぁー!」
ピンポン玉より少し小さいくらいの木製の球が、おでこに落ちる。コツンと耳に心地よい音が出たが、かなり痛かった。
おでこをこすりながら身体を起こしてあぐらをかき、今度は繊維の資源を糸状にして毛玉にするイメージで取り出す。するとソフトボールくらいの糸の球が出てくる。
「よし!」
今取り出した2つの再構成品を一度分解収納し、今度は、その2つを同時に取り出してみる。木製の球を中心核として、それを糸でぐるぐる巻きにするイメージである。
「できた!」
これを革で包んで糸で縫えば、野球の硬球の完成である。
本物の硬球は、コルクやゴムの芯を毛糸で巻いて、牛革で覆って縫い合わせるのだが、とりあえずこのままでも投げるボールとしての役目ははたせそうだ。
立ち上がって、手の上でボールのようなモノの感触を確かめながら、手首のスナップをきかせてボールを軽く上に飛ばす。それをキャッチして、間髪入れず遠くに投げる。
女性の場合、いわゆる『女の子投げ』になってしまうが、中身は野球経験者なので、ボールの正しい投げ方はもちろん分かっている。
ボールの投げ方は、腕力ではなく、身体全体を使った運動エネルギーの効率的な伝達とリリースのタイミングである。身体の小さい少女でも、上手く体を使えば、真っすぐ速い球を投げることができる。
昔の感触がよみがえって、全身の毛が逆立つような快感を覚える。
「ふぁああああ!」
怪我で野球を辞めて、眠っていた――いや、あきらめてどこかに置き忘れてきた野球少年の魂がよみがえったような気がした。
思わずガッツポーズをして、遠くに投げたボールを探しにダッシュする。
ボールを探すのは簡単で、広域調査の能力を使えばすぐだ。
無駄な肉がなく、身体も柔らかくて、しなやかに動く。
当時ではできなかった、理想的なフォームでボールを投げられた。球威は劣るが、良い球の回転だった。
何といえばいいのだろうか?この身体は、脳みそまで運動神経でできているといっても過言ではない、すばらしい身体能力の持ち主だ。
100メートルほど走ってボールを拾う。
この一連の行動で何か新しい力に目覚めていないかを確かめるため、拾ったボールを見つめる。
『構造解析』
という新しい能力が目覚めた。
始祖ヴァイセントの残した古書にも記されているが、具体的な記述はなかった。しかし、使わなくてもなんとなく効果が分かる能力である。
考えてもしかたがないので、とりあえずこのボールで試してみる。
(構造解析!)
構造解析という言葉にそこはかとないロマンを感じつつ、能力を検証する。
あらかじめ資源として持っていたものを利用して作ったものなので、解析するまでもなく、ボールの構成要素は分かっているが、恐らくこれは未知のモノに対して使うことで、そのモノの構成要素を知る能力だろう。
ただこれは、調査解析と同じようにも思えるし、どこが違うのだろうかと少し首をかしげてしまう。
何か変化があると思い、脳内ストレージ内を深く探っても資源以外見当たらなかった。
「ふぅー」
一旦能力行使を中断する。
能力を発動中は脳の処理スピードが高速化し、相対的に時間の流れが遅く見える反面、高負荷がかかるため脳が非常に疲れるのだ。脳の疲労で眠くなったら危険信号である。
気を取り直してもう一度能力を発動する。
(あ、新しい項目が……)
さっきは深い階層まで調べていたが、灯台下暗しだった。一番手前に『設計図』という新しい項目が増えていることに気づいた。
(レシピってことかな?)
設計図の中を見ると、先ほど構造解析したボールと思われるものが登録されている。
(なるほど!)
だんだん理解してきた。
構造解析で得た情報をレシピとして登録し再現する能力だ。
再構成の場合、必要な資源を必要なだけ取り出し組み合わせて創るというプロセスを踏むが、構造解析で一旦レシピ化してしまえば、そうしたプロセスを省略して、一気にモノを出現させることができるというわけである。
この能力の利点は、一度レシピとして登録したものは、資源の許す限り何度も出現させることができることだ。つまり、ボールを100個一気に取り出すことも可能だということである。
「やばい!これはやばい!」
思わず、大きな声で叫んでしまった。向こうの世界の自分の部屋でこれをやったら、ぜったい壁ドンされるレベルの大声がつい出てしまった。
ミリセントになって、能力が使えるようになって、頭の片隅でこんな能力があったらいいなと思っていた能力が、今まさに自分のものとなった。
「投げたボールをいちいち取りにいくのは面倒だな……」
投げたボールをすぐに回収できるような力があれば完璧だと思い、もう一度投げてみる。
「ふーむ……流石にそんな便利な能力はないか……」
能力に関しては有効射程距離みたいなものがあるのだろうか?分解収集も構造解析も基本的に手の届く範囲でしか試したことがない。いい機会なのでいろいろ試してみよう。
さっき投げたボールはとりあえずそのままにして、レシピから直接ボールを1個とりだす。
それを地面に置いて各能力を順番に使いながら、少しずつ距離をとっていく。
使い慣れると有効射程距離が延びるかもしれないが、とりあえず現状を把握して、成長の有無やその度合いを比較するための基準点を作っておいた方がいいだろう。
そうした地味な検証作業を何度か繰り返した結果、現状の能力の詳細が見えてきた。
〇調査解析:静止物や動物の状態・資源を調べることができる
有効射程は10メートル
距離が離れるごとに精度が落ちていく
窃盗にはならない
〇分解収集:静止物を分解し資源として獲得できる
動物には無効だが、対象が死ぬと静止物になる
資源として細分化されるので元の状態にはもどせない
有効射程は接触状態状態から約5メートルの範囲内
他者の所有物の場合窃盗になる
〇再構成 :分解収集して獲得した資源を取り出すことができる
自分を中心に半径1メートル以内に出現
使い方を間違えると自分も巻き込むので注意
窃盗にはならない
〇広域調査:自分を中心に全方位にレーダーのような波を放射し
地形を把握できる
遮蔽物や地形で見えない範囲も確認できる
射程距離は100メートル
射程距離は今現在も拡大中
窃盗にはならない
〇構造解析:静止物の状態を解析し記録する
射程距離は接触状態
構造解析すると設計図(レシピ)として保存される
他者の所有物の場合窃盗になる
〇設計図 :構造解析した静止物を記録保存したもの
再構成の工程を省略し、1度レシピ化したものは
資源の許す限り無限にとりだせる
構造解析時に窃盗状態だと取り出したものもすべて
窃盗品扱いになる
「うーむ」
改めて整理してみると、主に物質を操作する能力のようである。
魔法のような力ではあるが、いわゆるマナを利用した魔法とは別の次元の力だ。
鬼籍本人手帳は魔法の力で保護されているそうだが、それをいとも簡単に粉砕してしまった。
また、始祖様の昔話にもあるように、1人で軍隊を打ち破ってることから、強力な武装や魔法からは無敵のようである。
ただ、大きな問題がある。
いくつかの能力――相手に干渉するものが窃盗や暴力といった犯罪行為になってしまうのだ。
この事実は、始祖ヴァイセントの永久犯罪者となった経緯を見ても明らかで、ミリセントはその負の遺産をそのまま継承してしまっている。
限りなく黒に近い鈍色のカルマ―オーラの意味するところは、最悪の一歩手前でリーチがかかっているということだろう。
構造解析は非常に便利な能力だが、迂闊に使うとカルマが穢れてしまう。
例えばこの駅で、誰かの所有物を無断で構造解析した場合、窃盗罪になってしまうが、優しい駅の人たちはきっとその罪を問わないだろう。しかし、そのこととは関係なくカルマの穢れは進行してしまう。
テッサンの父、センザン・マティオの言った不変のカルマとは、生き方を改めることで改善できるレベルを超えた、もう後戻りできないカルマのことである。
つまり、ミリセントはこれから先、どんなに善行を積んでもカルマを元に戻すことができないのだ。
問題はどこまでもつかということであるが……
「あと1回やらかしたらもうアウトなのかな……」
多少猶予がほしいところである。
これが例えばコンピューターゲームなら、あと10回とか3回とか回数がわかるのだろうが……
「ふわぁ~~」
急に睡魔に襲われる。
検証のために能力を少し使い過ぎたみたいだ。
いろいろな注意点が出てきたが、能力の使い過ぎは脳への負担が大きく、休息が必要になってくることも留意していかなければならないだろう。
「甘いものが食べたいな……」
そのまま地べたに寝転んで、叶わないささやかな希望を口にする。
向こうの世界のように、ポチれば何でもすぐに手にはいる世界ではない。
「でも……」
それでも、生きるのは楽だと思った。
少なくともここの住人たちはみんな優しい。
自分を否定するものがいない……
もうそれだけで十分じゃないか……
この時は確かにそう思った。
しかし、これは完全なフラグだった。
それを思い知ったのは、だいぶ後のことであるが……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます