第9話 「ゴブリン狩り」

第九話 「ゴブリン狩り」



「ミリー、ゴブリンは何匹いる?」


「えーと、見えてる5匹のほかに穴の中に8匹かな」


「穴の中までわかるなんてスゲーな」


「もしかしたら遠くにもっといるかもしれないけど、巣穴の周辺は13匹だけだね」


「いや、おそらくこれで全部だろう」


「何でわかるの?」


「ゴブリンは夜行性だ。昼間は巣穴に戻って寝ているもんだ」


「なるほど」


 ついにゴブリン狩りが始まった。


 ゴブリンの巣穴は、荒れ地のところどころに飛び出している大きな岩塊の一つにある。自然にできた洞穴というより、明らかに人為的に掘った穴のようである。ゴブリンに掘削技術があるとは思えないので、人間の手で掘った洞窟が永らく放置され、それをゴブリンが再利用したのだろう。

 この世界では、人気のない場所に穴を掘ると、何かが勝手に住み着くらしいので、それを目当てに採掘師が狩場としての穴を掘るらしい。

 資源の乏しいこのエグザール地方で、何か動物が住み着くように昔の駅の住人たちが掘ったに違いないとのことだ。


 全体的に見通しの良い荒野だが、デコボコして隠れる場所は多いので、襲撃する側には好条件である。

 まず、すばしっこい自分が索敵し、その情報を元にカーズが襲撃計画を立て、テッサンは荷物持ち兼カーズのサポートである。


「で、これからどうするの?」


 遮蔽物に隠れながらゴブ穴に可能な限り接近して、広域調査で物陰や巣穴の中、さらに周囲100メートルくらいを索敵して戻って報告する。


「ミリーはとりあえずここに隠れていてくれ」


「私も手伝えるよ」


「いや、ゴブリンは女子供とか弱そうなの見ると、それを狙う性質があるからな」


「オレたちだけなら巣穴に逃げるだろうが、ミリーを見ると間違いなく狙ってくる」


 ゴブリンがこちらを狙って分散してしまうと、巣穴に閉じ込める作戦がとれなくなってしまう。


「なるほど!了解!合図があるまで隠れてる」


「んじゃ、テッサン行くぞ!」


「おう!」


 2人は物陰からでると、ゆっくり並んで歩いてゴブ穴に近づいていく。

 13匹の群れは、体も小さく、武器らしい武器も装備していない、ゴブリンの中でも最弱の部類の個体のようで、訓練された戦士1人でも十分な相手だ。


 2人の背中を見送りながら物陰から固唾を飲んで見守る。

 ゴブリン特有のいやな臭いがここまでしてくる。巣穴付近は嘔吐したくなるほど匂うということだ。この臭いに慣れるために、ここで1時間以上留まっていたくらいである。ちなみにゴブリンは下等なほど汚くて臭いがきついとカーズが教えてくれた。


 巣穴の前で5匹のゴブリンが固まって寝転がっている。睡眠をとってるというより、退屈で暇を持て余しているという雰囲気である。

 襲撃に備えて警戒している様子もなく、そもそも人間に襲われることすら想定していない、ただの平凡なゴブリン一家なのだろう。

 この程度の群れなら何も問題はないだろうが、数が増えれば駅の方にも流れてくる可能性がある。だから早め早めの駆除というわけである。


「お手並み拝見――と」


 忍び足でもなく、普通に歩いてゴブリンの群れに近づく2人の姿は、かなり場慣れした印象を受けるし、実際そうなのだろう。

 足音に気づいたのだろう、寝転んでいたゴブリンが一斉に起き上がる。

 このゴブリンたちが戦闘経験豊富な猛者なら、武器を持って応戦の構えをするのだろうが、遠目にも明らかにうろたえている様子がうかがえる。

 もしかしたら人間を見るのも初めてなのかもしれないゴブリンたちは、テッサンの雄たけびを聞いて戦意喪失したらしく、慌てて巣穴に駆け戻っていく。

 

 数的には5対2でゴブリンが有利だが、武装や経験の有無というのは大きいのだろう。突然やってきたテッサンのあのいかつい顔で大声出されたら、普通の人間だってビビって怖気づいてしまうだろう。応援を呼ぶ暇もなく逃げだすゴブリンの気持ちはよく理解できるし、ほんの少しだけ同情してしまう。


 カーズは刃に厚みのあるショートソードで盾を叩いて派手に音を鳴らし、テッサンは穴の前で大声で何やら意味のない言葉を並べてがなり立てている。どこから見ても借金取りにしか見えずに、思わず苦笑してしまう。テッサンがゴブ狩りの固定メンバーなのは、相手をビビらせるために必要だからだろうか。

 駅の連中にしてみれば、このゴブ狩りは、危険を冒す戦闘ではなく、害虫や害獣駆除とまったく同じ作業なのだろう。


(広域調査!)


 念のため周辺にゴブリンがいないかを再確認する。そのタイミングでカーズがショートソードを振って安全を示す合図を送ってきた。


「お!」


 すぐさま物陰から飛び出して、全速力で2人のもとに駆け付ける。


「上手くいったね……っていうか、臭っ!」


 ゴブリンの巣穴の付近の臭いといったら、家畜の臭いとかそんなレベルじゃない。

 冗談ではなく汚物は消毒だ!と叫びたくなる。


「はは、いつも通りだよ。臭いも作戦も」


「あとは煙玉放り込んで、出てくるとこを叩いていくだけだ」


「でも、今回は打ち合わせ通り、ミリーに落とし穴を掘ってもらおう」


「了解!」


 テッサンが煙玉を3個投げ込み、落とし穴を掘る場所を指定する。

 打ち合わせ通り、巣穴の前に直径1.5メートル、深さ2メートル以上の穴を掘る。掘るという表現は適切ではなく、地面の土を分解収集して消すというのが正しい。

 それを見たカーズとテッサンは驚嘆する。これだけの穴を掘るのに大人2人でも数時間の重労働である。これを一瞬でやってのける芸当は、彼らの常識に照らし合わせると、文字通り奇跡のようなものなのだろう。

 掘った穴の土を利用して穴の周りに1メートルほどの塀を作って逃げられないようにアレンジする。


 これで罠は完璧である。


 ゴブリンたちは自分たちよりもはるかに大きい2人の襲撃者に驚いて、巣穴の奥に逃げ込んで息をひそめて恐怖に打ち震えているのだろう。

 ゴブリン狩りと聞いて、戦闘で彼らを打ちのめして成敗するという、ファンタジー作品の王道展開を予想していたが、これでは無抵抗の存在をただ殺すだけの虐殺と同じである。

 この状況だけを見れば確かに一方的な殺戮でしかないだろうが、この世界では、時と場合によって立場は逆転する。それを分かっているからカーズもテッサンも容赦をしないのだろう。

 仮にゴブリンが100匹に増えれば、今の駅の人員では到底太刀打ちできないのだから、これはやらなければならないことなのだ。

 これが、綺麗ごとが通用しない、この世界のリアルである。


 向こうの世界だって増え過ぎたペットは毎年何万匹と殺処分される現実がある。

 命はいとも簡単に奪われる。そしてそれと同じように簡単に生まれて増えていく。そしてそれは何もペットだけの話ではない。

 そもそも、我々人間は他の命を頂いて生きている。他者の屍の上に立って生活を成り立たせているのだ。

 同じ人間でも、国や民族、宗教によって命の重さが違う。

 命を奪うものの義務として新しい命を生み育てていかなければならないのかもしれない。しかし、自分はその義務を放棄した。

 今自分がここにいるのは、その罰なのかもしれない。

 もしそれが罰だとすれば、何を持って償いとなるのだろうか?

 ゴブリンたちに身を捧げ、彼らの糧となればいいのだろうか?

 それで何かが変わり、自分は許されて、新しい命として来世を迎えられるのだろうか?


 この世界では何者かによって定められた社会制度に則って命の価値が決められている。

 正直、この世界における命の価値は低いと言わざるを得ないだろう。そもそも、この世界の住人は命の疑似体験をしているにすぎないのだから、退場しても元の自分にもどるだけである。

 しかし、自分は少し違う。死神によって仮初の命を与えられているだけにすぎない。この命が尽きれば元の世界に戻されて、そしておそらくそこで命運は尽きる。


 たかが命、されど命。

 ゴブリン狩りでここまで命について思いつめる必要があるのだろうかと、自問自答する。

 こんなことで悩むなんて愚かなことだと言われるかもしれない。

 だが、全部割り切って、平気な顔で他者の命を殺めることに大きな抵抗を感じるのも事実なわけで、だからこそ命に対し無頓着であってはならないと思いたいのである。


 悪魔の襲来に恐怖し、怯えて逃げた巣穴のゴブリンたち。静かに息をひそめて、速く危険が去って、もとの安全な生活にもどれることを信じているのだろう。しかし、そんな現実逃避の願いもむなしく、充満する煙で呼吸が困難になり、身の危険を感じて悲鳴を上げ、それが広間にこだまして外に漏れ聞こえてくる。その悲痛な叫び声は次第に大きく近づいてくる。

 穴の入り口から大量の黄色い煙が勢いよくあふれ出す。色が見るからに毒々しい。これはただの煙幕ではなく、何か刺激成分がふくまれているに違いない。


 間もなく、ゴブリンたちは新鮮な空気を求めて入り口に殺到し、面白いように落とし穴に転げ落ちていく。

 我先に巣穴を飛び出す13匹のゴブリン。囲いを作って盛り上げた分を合わせて3メートルの深さの落とし穴の中でもがいている。最初に落ちたゴブリンは怪我を負っているに違いない。その上から次々に降ってこられて下敷きのゴブリンはたまったものではないだろう。


「テッサン、13匹全部落ちた!」


 広域調査で確認し、すべて落とし穴に閉じ込めたことを知らせる。

 テッサンは間髪入れずに、もう1個煙玉を今度は落とし穴に放り込む。刺激を伴う煙を吸って激しくせき込むゴブリンたち。ゴブリン同士が協力すれば出られる程度に深くはない穴だが、こうなると仲間内で助け合う余裕がない。

 かわいそうだが、これは相いれない2つの種族の宿命である。


 もうもうと立ち昇る黄色がかった狼煙のような煙。

 間もなくゴブリンの13通りの断末魔が途絶える。


「武器を汚さなくてよかったよ」


 一滴の血も流さず作戦が完了したカーズは満足そうにつぶやく。

 こちらの手を汚さない作戦に正直引き気味で、2人との気分的な温度差が激しいが、それを責められる立場でもないので、何も言わずに苦笑で応える。


 下等なゴブリンは非衛生的で、体液には人間に害悪な病原菌が大量に含まれており、返り血を浴びるだけでも危険なのである。死体を放置すると疫病が蔓延する可能性が高く、焼却処分するのが決まりなのだそうだ。

 2人がとても満足そうなのは、勝利に対する達成感ではなく、消毒作業などの後始末の手間が省けるという、それだけの理由だろう。


「終わった……のかな?」


 いろいろと思うところはあったが、いい加減頭を切り替えるべきである。郷に入っては郷に従えだ。


 テッサンは使わずにすんだ槍を置いて鉤竿に持ちかえる。

 最初は、落とし穴に落ちたゴブリンを槍でついて殺すつもりだったが、血でよごしたくなかったので、ここに来る途中で作戦を変更していたのである。


「1匹ずつ、それで引き上げるの?めんどくさくない?」


「しょーがねーだろ?他に方法がねーし」


「それじゃ私に任せて」


「あぁ?何をするつもりだ?」


「下がって見てて(再構成!)」


 落とし穴の周りの囲いを分解収集で排除し、今度は落とし穴の底に掘った土を再構成し一気に盛り上げる。先日のクマとの死闘で決めた盛土ジャンプ台作戦の応用である。

 それに、ここまできたら鉤竿も汚さないほうがいいだろう。


「おわっ!」


 落とし穴の底が盛り上がりゴブリンの死体の山が溢れだす。そこそこ勢いがあったので、数体の死体が宙に飛ぶ。


「きったねーな!」


 ゴブリンが飛沫のように足元に落ちてくる。世界一汚い噴水である。


(調査解析)


 生物から静止物に変化したゴブリン。分解収集で資源にすると、有毒な汚物しか獲得できないようだ。下手に再利用するとバイオハザードを引き起こしそうなので、資源としての回収はあきらめる。


「これどうするの?」


「とりあえず、持ち物とか巣穴も探ってみるか」


 戦利品をあさるのは狩りの醍醐味だが、この汚く臭いゴブリンたちが何かいいものを持っているとは到底思えない。


「うげぇ、あの穴にはいるの?」


「この煙玉は消臭・消毒の役目もあるからな。おかげで巣穴もこの死体も今はだいぶきれいだぞ」


「入るならもう少し消臭・消毒してからのほうがいいだろう」


「なるほど、んじゃ後で入ってみよう」


「時々、金目のものがあったりするんだよな」


「まーほとんどゴミばかりだが……」


「先にゴブの処理するか」


 ゴブリンの死体の山から黄色い消臭・消毒の煙がまだ立ち昇っている。このまま消えるまで待てばいい。

 ミントのような香草の強い匂いが周囲に立ち込めているが、単に匂いでごまかすのではなく、ゴブリン臭に効果を絞った強力な消臭効果を持ち、さらに夜目が効くゴブリンのために催涙効果まで持つという優れものである。色がついているのは、普通の煙幕と区別するためである。

 錬金術でつくられたアイテムだそうで、この世界にも錬金術師がいることを暗に示してくれた。


 とりあえず、煙が収まるまで休憩となったが、テッサンはボロ切れを縫い合わせた手袋とエプロンをバックパックから取り出して装備しはじめたので、それを手伝う。

 おそらくゴブリンを入り口からどかす作業をするための準備だろう。


 ゴブリンたちは、上半身はほとんど裸で下半身にボロ革を巻いているだけの見すぼらしい格好をしていた。人間の顔と違い、目鼻口耳といった各パーツが異様に大きく頭髪はテッサンと同じでまったく生えてない。

 身体の色は暗い緑なのだが、皮膚全体に黄土色の脂が塗ってあるかのようなツヤがある。この脂が臭いの素であるのと同時に、よく燃えるとのことで、一旦体に火がつくとなかなか消えないらしい。ゴブリンは種族特性として火炎が弱点とのことである。

 格上のゴブリンになってくると、脂の分泌が減って燃えにくくなるらしいという豆知識を教えてもらった。


 これらの説明はカーズが丁寧に教えてくれる。ぶっきらぼうのテッサンとは大違いだ。


「ろくな物持ってねーな」


「ミリー、この辺の地面を少し削ってもらえるか?」


「ん?OK!」


 カーズの考えていることを察して、ゴブリンの死体の山のとなりに火葬用の2メートル四方の窪みを作る。

 綺麗な布でマスクをしたテッサンが、さっきの手袋とエプロン姿のままゴブリンの死体の山を調べ、調べおわったものからとなりの窪みに放り投げる。手袋はたちまち黄土色に変色するが、これを見るとゴブリンがどれだけ汚いのかがわかる。

 何かの牙や爪、或いは角のようなものでできた簡単な装飾品を見つけて袋に入れて持ってくる。これらは多少のお金になるようである。

 作業が終わると、使用済みの手袋やエプロン、マスクを死体の山に投げ入れ、マッチで火を着ける。


(マッチなんてあるのか、この世界には……)


 マッチはおそらく明治・大正時代には使われていただろうか?

 この世界の時代背景がどうなっているのかまだいまいち把握できていないが、錬金術が存在しているようだし、はっきりと〇〇時代!と言い切れるようなものはないのだろう。

 服装や使っている道具、生活レベルなどから中世よりもずっと時代は進んでいるものの、現代とはほど遠い時代遅れな、いわゆる前近代的な時代だと思われる。

 今着ている自分の服装を見ても、いわゆる洋服的なものであり、駅も和風な印象はほとんど感じられない。


 そういえばこれまで自分がどんな服を着ているのか気にしていなかったので、改めてファッションチェックをしてみた。

 薄い黄緑色で、袖を絞った五分袖で身体にフィットしたチュニックの上に、首元をぐるっと囲むような高襟の、とても丈の短いジャケットを羽織っている。

 幅の短いコルセットを複数のベルトで固定しているせいか、腰がキュッと絞られてチュニックの裾が少し広がってミニスカートのように見えなくもない。

 薄茶の丈の少し長いショートパンツとニーハイの黒いソックス、膝下まである革製の頑丈なロングブーツ。そのブーツの外側に締め付け用の小さなベルトがいくつも並んでいる。

 肘下まである長い指先がない手袋をしており、甲の部分など外側の生地を厚めに補強している。

 ピンクのショートカットの頭に載せるだけのようなリング状の帽子は、伸縮性がありヘアバンドやハチマキのような使い方もできる。

 肌の露出は、顔と指先、肘下と太もものほんの一部だけで、野外活動に適した服装であると同時に、動きやすさも重視された、非常に機能的な服装といえる。これはある意味、軽装備の究極形といっていいだろう。


 まぁ、何はともあれ、時代背景についてツッコミをいれるのは無粋だろう。そういうものだと受け入れるしかないのだ。


 想像以上によく燃えるゴブリン。強烈な異臭がしばらく続いたが、それも次第におさまっていく。

 神妙な気持ちになって思わず手を合わせてしまう。

 ゴブリンたちの冥福を心から祈るつもりは毛頭ないが、なんとなく手を合わせたくなるのは偽善なのだろうか。


 それを見たカーズが不思議そうに声をかけてくる。


「何してるんだ?ミリー」


「え?いや、なんとなく……」


 手を合わせる仕草を不思議そうに見るカーズたちを、逆に不思議に思ってしまったが、忘れていたこの世界の事情を思い出し納得する。

 この世界の住人は、向こうの世界で弔われて鬼籍に入った人たちで、死者の冥福を祈るという概念がそもそも存在しないのだ。


「まぁ、カルマに影響ないのなら別にいいが、あんまり変なことはするなよ」


 自分の置かれてる立場的に、このミリセントというアバターが最初から持っていた特性や個性に反することはなるべくならするべきではない。これはカーズの言う通りである。


「まぁ、こいつらカルマがないから、別に何やっても問題ないだろうが……一応な」


「え?そうなの?カルマないの?」


「ゴブリンが、ってことじゃなくて、この地方にいるゴブリンはな。こいつらは動いてる人形みたいなものだ」


 カーズから教えられたこの情報には心当たりがあった。

 先日、クマとやりあった時、調査解析で相手の状態を確認することができた。駅の住人も同じである。しかし、ゴブリンに関してはそうした情報がまったく得られなかったのだ。

 また新しい情報を得た。

 この世界に住むあらゆる生き物には、カルマを持つ者と持たざる者がいるというのである。カルマは魂とかゴースト、或いは『中の人』などと言い換えた方がいいかもしれない。


 カルマという概念はとにかく難しい。昔遊んだアサイラムというゲームも、プロフィールとカルマの縛りによって行動が抑制された。

 この世界にも当然道徳の概念は存在するだろうが、それは社会全体の秩序を守るための規範ではなく、あくまで個人や同じカルマ帯の間でしか道徳は成立しない。

 カルマによって一定のバイアスがかかると、個人やコミュニティー重視の狭い世界でしか交流できないと思われるが、個々人の行動がはっきりとわかるため、かえって集団としてちょうど良い距離感を各人が持てて、社会秩序が保たれるのである。

 これはゲームアサイラムで、実際に体験したことだった。

 この世界がアサイラムかどうかはわからないが、少なくともカルマとプロフィールの縛りが同じであるなら、この世界の社会秩序もまた似たようなものになるだろう。


「そろそろ中に入っても大丈夫じゃないか?」


 2人からゴブリンやカルマについての講義を受けている間に、結構な時間が過ぎていた。


「了解!」


 待ちに待ったダンジョン探索である。


 ゴブ穴の中は3メートルほど進んだところで鉤状に折れ曲がってすぐに奥の広間に出る。ダンジョンとよぶには規模が小さすぎるが、それでもこれは立派なダンジョンである。

 通路が鉤状になってるのは、外の光が奥の広間に直接入ってこないようにするためだろう。つまりこの穴は、暗いところが好きな『何か』が巣穴にしやすいように掘られたということである。


 明るい外から洞窟に入って角を曲がると目が慣れずに完全に闇の世界になる。先頭を進むカーズが前方に何かを放り投げる。それが地面に落ちると卵の殻が割れるような乾いた音がして、次の瞬間小さな光が拡散していく。

 これは光を発する小さな虫で、夜間行動するときは、この虫を瓶に詰めてランプのかわりにする。

 光苔が大好物で、適当に放してしまっても光苔を見せればすぐに戻ってくる。光苔が好きすぎて自分も光り出してしまったお茶目な虫なのだ。


 光虫が周囲に散って壁にとまると、部屋全体が淡いやさしい光に包まれる。

 この世界に住む人にとっては見慣れた光景なのだろうが、ここにきてまだ10日も経っていない身としては、とても幻想的に見えてしまう。これぞファンタジーといったところだろう。


 ほぼ円形の広間は壁側にゴブリンの寝床とおもわれる草やボロキレが雑に並び、中央に樽や木箱、その他廃材が無造作に置いてある。


「なんか秘密基地みたい……」


「なんだそりゃ?」


「いや、なんでもない」


 テッサンの質問には答えず周囲を見渡す。


 子どもの頃の記憶が不意によみがえる。

 拾ってきた廃材で何かを作ってやろうと息巻いて、仲の良い近所の友達と一緒に頑張ったものである。結局、秘密基地と呼べるような立派なものは作れなかったが、廃材が何かの役にたつのではないかと蒐集してしまうのは、子供もゴブリンたちも同じなのかもしれない。


 樽1個と、同じ大きさの木箱が3個、使い道のないガラクタが入っている革の大きな袋が1枚。目ぼしいものはこれくらいだろうか?

 中身はともかくとして、樽や箱はそのまま収納用に再利用できそうである。


「お宝入ってるかな?」


「ゴブリンのお宝なんてたかが知れてるさ」


 テッサンは笑いながら箱の1つを開けようとする。


「むぅ?こいつ封印されてるぞ」


「本当か?」


「どういうこと?」


「貨物として遠くに運んだりする荷物ってことだな」


「つまりお宝?」


「いや、まだわからん。こういうのはだいたい保存のきく野菜とか乾物ってのが定番だからな」


「でも、なんでそんなものがここにあるの?」


 ゴブリンがどこかから運んできたとも思えないが、ゲーム的に考えれば洞窟の奥に立派な宝箱があったり、ダンジョンとはそういうものと無理やり納得するしかないのだろうか?

 この世界の常識は向こうの世界から見れば非常識だらけである。そういうものだと割り切るのもいいが、ここはゲーム攻略のための知識として知っておきたい仕組みである。


「オレらにもよくわからんが、どっかで紛失したものが出現するといわれてるな」


「どっかってどこ?」


「エグザール地方は、プラーハとカントを繋ぐ裏道で、昔は物流もあったんだ。昔の落とし物が出てきたのかもな」


 相変わらずデタラメな世界であるが、突然、無から有が生まれたわけではないので、一応その原理には納得できた。


「テッサン、業者か貴族の焼き印とかあるか?」


「……この印は、亡命した貴族の紋章だな」


「それじゃ、紛失物でも盗品でもなさそうだな」


「おそらく200年以上前のだろうし時効だな」


「ああ、時効だな。俺たちで頂いても問題ないだろう」


「だな」


「ん?」


 時効ということは持ち主はもう存在していないということではないか?だとすれば、分解収集や構造解析しても犯罪にはならないのではないだろうか?


「あ、ちょっと中調べていい?」


「できるのか?」


「まーね」


 それを聞いて箱の前の場所をゆずってくれるテッサン。


(調査解析!)


「む?これは瓶?あ、アルコールだ、つまりお酒かな?」


「この状態から中身が分かるのか、すごいな」


「これがもしワインだったら、ものすごい掘り出し物かもしれないぞ」


 200年物のワインということである。


(構造解析!――んーこれは赤ワインだね)


 ワインやウイスキーなどいわゆるお酒は、アルコールという名の化合物であり、この世界でいうところの加工品或いは静止物として扱われる。つまり、構造解析によってレシピが生成されるということである。

 問題は、構造解析は持ち主が存在する場合、窃盗になってしまうということだ。


「テッサン、今私のカルマどうなってる?おかしくなってない?」


「ん?どうした急に……」


 テッサンはそう言って、目じりをこする。


「んーいつも通りおかしいというか、デタラメなカルマだな」


「そーじゃなくて!犯罪フラグとか立ってない?」


「いや、犯罪警告も警報も出てないな。俺は衛兵でもあるから、周囲で誰かが犯罪を犯すとすぐにわかるんだ」


 兵士兼衛兵のカーズが、テッサンの代わりに犯罪について補足してくれた。

 静止物に対して調査解析を使うと、さまざまな情報と同時に所有者の情報も見ることができる。気を付けなければならないのは所有者が『不明』の場合である。これは所有者がいないのではなく、所有者の名前を知らないだけで、所有者が存在していることを示しているということである。

 所有者に関する情報が全くない場合が、これが『所有者無し』である。

 このあたりの線引きがわからなかったので、今回の検証は非常に役にたった。


 とりあえず赤ワインのレシピを手に入れた。ブドウを分解回収すれば、それを材料にして赤ワインをいつでも作ることができるだろう。

 ただ、200年前のワインがちゃんと飲める状態であればの話である。

 ちなみに、ワインの容器である瓶とそれを収めた木箱と緩衝材のレシピも手に入れることができた。


「さっそく味見してみるか!ガハハハ」


 飲む前からすでに酔っ払ったような下品な笑い方をするテッサン。戦利品を好きにするのは冒険者の特権と言わんばかりに、カーズもテッサンに同意する。

 どうやら2人とも酒はいける口らしく、さっそく木箱の封を解いている。


 お酒は決して嫌いなわけではないのだが、まったくといっていいほど飲めない体質なので、飲み会などでの飲酒は遠慮させてもらっていた。

 家で飲む分には気分が悪くなってもすぐに寝れるので、その限りではないが、敢えてお金を出してまで買って飲むことはしない。貰ったら飲む程度である。

 この体質は親ゆずりの体質で、兄に至っては一滴も飲めなかったりする。


 そんな家族のことを思い出している間に、2人はラッパ飲みで味見を始めている。


「くはあぁ!うめええええぇぇぇ!」


「こんな美味いワイン生まれて初めてだ」


「おう、ミリーも飲んでみろ!」


 1本まるごと渡される。

 テッサンは十徳ナイフのような便利な道具でワインの栓を開けてくれた。

 日本ではお酒は20歳になってからだが、ここでは関係ないらしい。

 体質的に飲めないだけで、お酒が嫌いなわけではないので、遠慮なく頂いてみることにする。

 とりあえず、軽く口に含んでゆすぐように飲んでみる。


「!」


「どうだ?美味いだろ?」


 自分の酒でもないのに何か自慢げなテッサン。でも、そんな自慢をしたくなる気持ちもわかりそうなほど、下戸の自分でも美味しいと感じる美味しいワインだ。


「美味い!」


 赤ワインというと独特の酸味があるが、それらがすべてに深みというかコクがあり、鼻に抜ける香りで二度おいしいという感じだ。

 それにしても、このミリセントという身体は元のおっさんと違って結構いける口らしい。いつもなら頭痛と動悸で気分が悪くなるが、今のところ全然大丈夫である。

 頭は空っぽ――それは自分のせいだが、身体能力が異常な少女だ。


 お酒がこんなにも美味しく、そして楽しいものであることを知った少女は、次の日、お約束の二日酔いの洗礼を受けるのであった。

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