2.土方の錬金術師編
第25話 「カント要塞」
Asylum(アサイラム)ー亡命者たちの黙示録ー
第二十五話 「カント要塞」
旅に出たのはこれで何度目だろうかと、見慣れない風景を見てふと立ち止まり、空を見上げて少し物思いにふけてみる。
あたりを見渡してみても自分以外の人間どころか、動いている生き物が見当たらない。そんな風景の一部になって独りで佇んでいると、世界から取り残されたような気持になって無性に寂しさが込み上げてくる。
普段一人でも寂しくもないし、むしろ一人がいいとすら思っているのに変である。
旅は自分を見つめなおすよい機会なのかもしれないが、孤独のバイアスが正しい判断を妨げているという事実も往々にしてあると思う。実際、寂しがり屋でもないのに、こんな気分になるのだから一人旅などするものではない。
はるか遠く、霞んで見えなくなるまで続いている轍に立って、来た道を振り返ってみる。そこにも見慣れない景色があった。あそこはさっき通ってきた道なのに、見る角度が違うとまったく別の景色だ。
考えてみれば当たり前のことで、普段こんなことを考えもしないのに、一人でいるとつい余計なことを考えてしまう。そして考え過ぎておかしな方向に進んだりもする。
一人旅は自分を見つめ直すよい機会になるというが、それは必ずしも良いことばかりとは限らないだろう。
旅に充足を感じるのは、日常に何か不足を感じている裏返しかもしれない。
実際問題、何度かある旅の中で、本当に思い出に残っているのは片手の指で数える程度しかなかったりするし、特に定番の観光地を巡る旅では、得るものよりも徒労感の方が多かったように思うのだ。
「かわいい娘には旅をさせろ……か」
小さい頃は身体も小さく世界もとても狭かった。だから同じ町でも、隣の地区の公園に行くだけで大冒険だった。広場ごとに遊ぶ子供たちの顔ぶれが違っていて、ある意味外国に行った気分を味わえた。
交通機関の発達によって世界が狭くなる以前は、隣り町に行くにもそれは旅であり冒険だった。
「あの頃がなつかしいな……」
振り向いてしまったせいで帰路に見るであろう景色を先に見てしまった。家路の楽しみを一つ失ってしまったのではないかと少し後悔した。
ネタバレは見ない主義なので、今後は振り返らないと小さな決意を秘めてみる。
「……ぷっ!いやー我ながら、柄にもないことを考えてるなー」
1人になるとこうなる――の良い見本である。知人に聞かれでもしたら、死ぬまで言われるような黒歴史案件である。
私の名前はミリセント。姓も名もないただのミリセントで、それ以上でもそれ以下でもない。本当にただのミリセントで、今は旅の少女、いや美少女となっている。
思春期特有の中二病的な何かを発症しているように見えるだろうが、実は中身はだいぶくたびれたおっさんである。
それにしても、中身が外見に引っ張られるのかどうかわからないが、最近少女っぽく振舞い始めているような気がしないでもない。
生まれてこのかた半世紀近く不細工だったせいか、世間からもそういう扱いを受け、自分もそれに慣れ切っていた。外見にふさわしい――のかどうかわからないが、ぱっとしない人生を送ってきたわけである。しかし、外見が代わるだけでこうも気分が代わってくるのかと不思議に思う。気分どころか性格もなんだか積極的になっている気がするが、気のせいだろうか?いや気のせいではないだろう。
もし、このことが最初から分かっていれば、もっと外見を良くする努力を常日頃から気を付けていたらもう少しマシな人生を送れたかもしれない。
外見が良いということは、単に周囲の印象を良くするだけでなく、自分自身の向上心や自尊心をプラスに持っていく効果があるようだ。もちろん、向上心よりも自尊心が勝り、うぬぼれたりするなど内面が汚れてしまったら元も子もないのだが……
この少女、いや美少女の身体になって半年が過ぎようとしている。
留守をまかせたクマのクマゴローは今頃何をしているのだろうか?馬たちに苛められていないだろうかと少し心配になる。だいたいクマを苛める馬などいてたまるかと思うのだが、実際にいるので始末が悪い。あの馬たちは本当に何者なのだろう。
広大な土地とは裏腹に、できることが限られている地元エグザール地方において、一先ずやれることはだいたいやりつくした感があった。そこで、最後の選択肢として残しておいた西カロン地方進出を決断したというわけである。
これまで地図には描かれていないところばかり攻略してきたのだが、今回向かうカント要塞は、地図も存在する既知の場所であり、人の往来でしっかりとした道ができている。
これはもはや旅とよべるようなものではなく、ただの移動と呼んだほうがいいのかもしれない。
何はともあれ今回の旅は楽なものになるだろうと、一応フラグを立ててみるが、果たしてどうなるのか楽しみである。
この世界に現れて半年が経ち、この小さな女の子の身体にもだいぶ慣れてきた。寝起きによくある魂のズレ的な違和感はもう感じなくなった。
このまま女の子を続けていて、いざ元のおっさんに戻った時に逆のギャップに悩まされるのだろうか?
これは恐らく杞憂に終わるだろう。死神に命を握られている以上、元に戻るなどという選択肢はもうないのだから……
「さて、旅の続きを始めますか……」
疲れしらずの自慢の脚に再びムチを入れる。
これから向かうカント要塞は、カント共和国の最南端に位置する城塞都市だと聞いている。
カント共和国の最南端は、つまり西カロンと呼ばれる地域全体の最南端でもあるということである。しかし、西カロン地方の最南端だからといって、その地域を含む大陸全体の最南端かというと、決してそういうわけではない。そのさらに南にはどこにも属していない、強大な力を持つとされる蛮族がいる未開の土地が広がっているのだ。考えてみると未開の土地だらけで、出回っている地図が如何に限られた地域だけしか記されていないのかがわかるというものである。
実はその蛮族とは知己であり、エグザール地方を大きく西回りで踏破し、彼らと既に接触していたりする。だからもう未開の地ではなかったりするわけで、自分の持っている地図は、出回っている地図に比べ数倍の情報量があったりする。
自慢の地図だが、これを他者に見せたところで誰も信じてくれないだろう。こういうことは自分だけの秘密で、他人には黙っておくのが得策である。
やがてエグザール地方の国境に辿り着いた。
エグザール地方の国境検問所は、警備兵兼ハンターたちの集落を兼ねた小さな砦となっており、その先にあるカント要塞から見れば鼻くそ同然の規模である。
プリズンウォールマウンテンの南端に位置するエグザール国境検問所付近は、まだマナが存在しており、豊かな自然が残っている。そこに生息しているシカやイノシシなどの獣をハンターたちは獲物として狩り、獲れた肉や革をカント要塞に卸して生計の足しとしている。彼らはこんな生活をかれこれ数百年も続けているのだ。
「はるばるやって来たぜ、カント要塞!」
10日かけてようやくたどり着いたカント要塞の前で仁王立ちする。
身体が小さいのでせめて態度くらいは大きくありたいと、目の前の城壁に張り合ってみせる。
地理的に地元と一番近い他国の都市ということで、何かと噂の多いカント要塞だが、具体的にどんな形状をしているのかさっぱりわからなかった。今初めて実物をこの目で見ることができたのでとても満足である。しかし――
「思ったよりしょぼいな……」
カント要塞は、西側が山の斜面に接し、プリズンウォールマウンテンの南端を防壁の一部として利用するように建てられている。
蛮族の侵攻に際し、それを食い止めるよりも、いち早く敵を発見し本国に知らせを送るというのが主な役目らしく、高い物見櫓的な城壁塔が見える。
400年前のプラーハ王国で起こった内乱では、王国側に与した貴族連合の敗残兵が立て籠もった文字通り最後の砦だったらしい。その当時は本当に小さな砦だったらしく、200年前の蛮族との遭遇後急遽城塞化したという経緯を持つ。
西カロン地方の城塞都市では自由都市クリプトに次いで新しい。
プリズンウォールマウンテンの南端の岩山にへばりつくように城壁が東に延び、蛮族の侵攻が予想された南側の城壁だけが異様に高いという特徴がある。
エグザール地方の国境と定めている小さな木製の砦は、カント要塞の西側、プリズンウォールマウンテン南端を挟んだ目と鼻の先にある。
エグザール国境とカント要塞の城門との距離が100メートルもないので、高い城壁塔から国境の砦はおろかエグザール地方まで眺望できてしまう。
カント共和国とエグザール地方の国境は、物々しい警備はなく、双方の門は開け放たれて往来に制限はない。ただ、マナの枯渇したエグザール地方側は危険区域として進入禁止となっているので、許可なく入ろうとすれば当然呼び止められ追い返されることになる。
砦の向こう側のエグザール領内は、プリズンウォールマウンテンに沿った細い谷になっており、抜け道のような細道を抜けた先に人の手が入っていない原生の森や平原が広がっている。ここが国境を守るハンターたちの狩場である。このあたりまではかろうじてマナが存在しているが、その先は完全にマナが枯渇しており、急に景色が変わって荒れ地がどこまでも続くようになる。
蛮族がいるとされる南側は、見通しをよくするために木々が伐採され、そこに塹壕が幾重にも重なり、いたるところに拒馬が設置され、景観は完全に戦場のそれである。
過去に何度も戦争があった古戦場を錯覚してしまうが、ただの一度も戦火を交えたことはない。手入れがまったくされていないので荒れ放題だ。
この光景を見れば、南に向かおうとは誰も思わないだろうし、南方調査隊の再結成の話も全くないのが現状で、西カロン地方では、ここより南側は存在しないことになっている。
「ふむふむ、なるほど、さっぱりわからん」
それらのカント要塞周辺の知識を得たのは、カント要塞に入った後のことなので、初めて見るその光景は新鮮であるのと同時に、どうゆう状況なのかさっぱりわからない。特に南側の荒れ様は尋常ではない。『土方の力』できれいに片づけてやりたい気分である。
『土方(どかた)の力』――それは、物体、静止物に干渉し資源として自在に出し入れできるミリセント固有の特殊能力である。
人の大勢いる西カロン地方に行くにあたって、名乗りが必要な時のために自分のことを『土方の錬金術師』と決めた。そして、その力を『土方の力』と呼ぶことにしたのである。
この土方の力にかかれば、どんな難攻不落の要塞であっても問答無用でこの世界から消してしまえるし、元通りにすることも可能である。
「土方の錬金術師!」
土方とは土工などともいい、ようするに土木作業員のことである。この場合、土木の錬金術師のほうが分かりやすいと思うのだが、土方というワイルドさが自身の野生児属性とマッチして妙に気に入ってしまったのだ。
なぜ錬金術師かといえば、鉄から金を作る的な、あり得ないものを実現する技が、土方の力と一致しているからである。なにより、土木作業員と名乗るよりカッコイイのだ。
「あー、この要塞のレシピと資源、欲しいなぁ~」
両手を頭の後ろで組みながら物欲しそうにつぶやいてみる。目の前にそびえる要塞――を構成する資源を丸ごと手に入れるチャンスである。
この土方の力を使えば盗むのは簡単である。しかし、他人のものを奪ってしまえばそれは窃盗と同じこと。時価総額いくらになるかは見当もつかないが、盗ったら絶対にただでは済まない。
それは単に法的なものにとどまらず、カルマ的にも相当ヤバイことになるだろう。
「なにわともあれ、まずは広域調査でっと……ふーむ、城塞というだけあって、頑丈な城壁素材がたくさん採れそう」
土方の力の一つ『広域調査』は、自分を中心に周辺の物体を調査し、その場でどこに何がどのくらいあるかを大雑把に確認できる能力である。地中に埋まっている資源や、物陰に隠れている伏兵なども見つけ出すことができる。
また、周辺の急速な運動エネルギーの変化を察知して自動的に発動し、危険を報せる『自動広域調査』という派生能力もある。落石はもちろん、跳んでくる矢弾も察知する非常に便利な能力である。
物体に隣接しないと使えない『調査解析』は、物体を詳しく調べる能力で、例えば要塞を調査解析すれば、獲得できる資源の名称や量を知ることができる。この力は情報収集だけのもので、対象に物理的な干渉は行わない。広域調査や調査解析などの調査系能力は、窃盗扱いにはならないので使い放題ということである。
具体的な構造を調べ、その情報を丸ごと取得してしまえるのが『構造解析』で、これを行うとレシピが手に入る。カント要塞にこの能力を使えば、要塞の設計図が手に入ってしまい、必要な資源を確保していれば、同じものを複製することも可能である。これらは情報を盗むということで、完全に犯罪となってしまうのだ。
調べた情報に基づき、それを資源として自分のものにしてしまう力が『分解収集』で、物体の大きさや重さに依存せず、構造物や静止物を資源に変換して奪いとってしまうことができる。
予め構造解析をしてレシピを手に入れてさえいれば、奪いとった資源を使って全く同じものを出現させることも可能だ。
資源を実体化させる能力が『再構成』や『配置』で、これを使えばカント要塞を一旦消して、全く別の場所に移動させることも可能なのだ。
「これだけ大量の資源があったら、あんなことやこんなことが……」
貴重な城壁材を組み直して、綺麗な石畳の道路を作ることも可能だ。先日上下水道を完備させたので、自宅周辺を水の都のイメージで庭園のようなものも作れるかもしれない。それとも巨大な塔を作って全方位のパノラマ体験も悪くないだろう。
「あれをあーして、これをこーして……ムフフフ」
妄想が膨らんで、人目をはばからずニヤニヤして端から見たら頭のおかしな人になっている。
最初は戦闘に便利だな程度に思っていた力を、大規模な建設施工に応用してみたら世界が完全に変わってしまった。廃材などのゴミも宝の山に見えるようになり、誰のものでもない構造物はそのまま拝借して自宅にお持ち帰りも出来る。山だって海だってそのまま資源になってしまう。もう何でもありなのだ。
もちろん良いことばかりではない。他者の所有物を奪い操作する行為は犯罪で、刑法で裁かれるだけではなく、カルマにも悪影響を及ぼし、最悪カルマが穢れで人外の存在に堕ちてしまうかもしれないのだ。
考えようによっては、全てを敵に回して好きに振舞う悪人プレーという選択もできる。同じくカルマが穢れた悪者を集めて悪の秘密結社を結成し、世界を敵に回すなんてこともやろうと思えばできる。
地下ダンジョンを作ってそこで魔王のような存在となって立て籠もり、討伐軍を迎え撃つ!なんて、アニメやゲームのような展開も可能なのだ。
「……おっと!あぶない、あぶない」
危うくカント要塞を分解してしまいそうになる。
今ここであの城塞を消してしまえば、中の市街がむき出しになって住民は大騒ぎするだろう。それに城壁の上などにいる人は落下して大惨事になるところである。
単に自分が悪人になれば済む問題ではなく、大勢の無関係な市民を巻き込んでしまうのは本意ではない。そもそも、中の人である中田 中(あたる)は、遊びのゲームですら悪人プレーをするのに抵抗があるヘタレな性格である。
軽い気持ちで西カロン地方にやってきたはいいが、何でもありな地元エグザール地方と違い、ここは異国であり能力行使は細心の注意を払わないと、知らずに犯罪を犯すことになる。これはもう土方の力は封印しなければならないだろう。
「そういえば……」
そして、ここにきて忘れていた超重要な案件を思い出してしまう。
「あ、思い出した……死神の任務のこと……」
そもそもこの世界に来た――と、いうより強制的に連行されて来たのは、死神から――たぶんすごい力があると思われるこのアバターの情報を持ち帰るためだったのだ。
あの時はまだ、この力については全く情報がなく、死神はその情報を得るために中田 中(あたる)を半ば捨て駒としてこの世界に送り込んだのである。
「やばい!」
元々死神の任務はすっぽかす気満々だったので、その件についてとやかくいうつもりはない。ただ、嫌なことは忘れよう、考えないようにしようと日々努力していた結果、なんと、その甲斐あってすっかり忘れてしまっていたというわけである。
忘れたまま街に出て死神のエージェントと偶然鉢合わせたらどうなるのだろうか?考えたくもないが、その時が命日になるのは確実だろう。
血の気がサーッと一気に引いていく。まるでムンクの叫びのような顔になって思わず顔面を両手で抑え込んで変顔になってしまった。
「どうしよう……せっかく見つからないように引きこもってたのに……」
旅の目的地候補に西カロン地方は最初からあったと思う。それを敢えて選ばなかったのは、死神に見つかる可能性があったからだ。
侵入禁止エリアであるエグザール地方に引きこもってさえいれば、身の安全は保障されるはず――という判断からそう自分で決めたのだった。
「何で忘れるんだ自分……とにかく、落ち着け!」
まだ慌てる時間ではないと、一度深呼吸して気持ちを落ち着かせる。
この世界に来ると、その世界に元々いた住人に乗り移り強制的にロールプレイを強いられることになる。本来なら自分もそうなるはずだったが、鬼籍本人手帳の中身を確認せず、土方の力で分解してしまったので、演じるべき台本がなくなってしまいロールプレイを強制されずに済んだのである。
これはゲームで言うなら想定外の裏技のようなものだろう。それだけ、このミリセントというアバターが特殊だということでもある。
鬼籍本人手帳とは、向こうの世界でいうところの戸籍情報など諸々の個人情報を集約させた身分証明書のようなもので、ここが『あの世』だから戸籍ではなく鬼籍というわけである。
そして、この世界に来た人は鬼籍本人手帳の内容を読んだ時点で、その手帳に書かれたアバターとなって、無意識にそのアバターの設定どおりにロールプレイをすることになる。
もし、自分も鬼籍本人手帳を読んで、このミリセントというアバターになりきっていたら、中の人である中田 中(あたる)の人格は消えうせ、ひたすら決められたキャラを演じ続けることになったはずである。
この状態のまま西カロン地方に行って、何も知らずに能力を行使して、その情報が死神に知り渡れば、いずれは中田 中(あたる)はミリセントだということがバレてしまう。
エージェントは何も知らないミリセントに好意的に近づき、ここに至る経緯を聞いて、チュートリアルを突破する手段を聞きだす。必要な情報を入手すれば、その時点で中田 中(あたる)は用済みとなる。
向こうの世界で生きている自分は、恐らく不要となって殺されるだろう。そして、ミリセントというアバターも同時に消滅する。
この世界から特殊なアバターが消え、隔離されているエグザール地方はリセットされ、次のミリセントに代わるアバターの登場を待つことになるだろう。
そこで、死神のエージェントが代わりにこのミリセントになって、事前に聞いていた攻略方法――ネタバレを基にチュートリアルを安全にクリアして、晴れてミリセントというアバターが死神のものとなる――以上、これが死神から教えてもらった彼らの計画である。
どうせ死が待っているならと、冥土の土産にこの異世界ライフを満喫したほうが有意義だろうと考えた。
それなのに、調子に乗って危険な西カロン地方に入り込もうとしているのだ。
膝が崩れ落ちてそのまま地面に手をついてがっくりとうなだれる。しかし、次の瞬間何かに気付いてシャキッと立ち上がる。
「待てよ? バレなきゃいいのでは?」
とてもシンプルで的を射た結論がでた。
死神はまだ能力者であるミリセントが、中田 中(あたる)であることを知らないはずだ。
西カロン地方では、土方の力の使用を禁止にする縛りを設ければ、死神に目を付けられることは恐らくないだろうと思う。
お金を払えば実質無料的な謎理論で、能力を使わなければ実在しないのと同じと考えればいいのだ。
「ふむー、土方の力もそうだけど、言動にも気を付けた方がいいよね……」
バレなきゃ問題ないというのは確かにそのとおりだが、それは能力行使だけではなく、言動などにも当てはまるだろう。
例えば『スマートフォン』などはこの世界に存在しない――と思う。断言できないのは宇宙人のような高度な文明を持った存在が手の届く場所にいるからである。ただ、少なくとも西カロン地方の文明レベルはせいぜい大航海時代までである。
スマホのない世界で、スマホのような現代の道具や固有名称、或いは流行語やギャグなどをポロっと口にしてしまえば、そこから身バレの危険性が出てくる。
この世界の人にとっては、聞きなれない意味不明の言葉でも、現代とリンクしている死神やそのエージェントは聞き逃さないだろう。
「めんどくさいけど、言葉にも気を付けないとね……」
確かに面倒くさいが、能力を使わないこと。言葉に気を付けること。この2点をしっかりと守れば、恐らく――いや、絶対に気付かれることはないだろう。
「よし!これでいける!」
これで心置きなく西カロン地方に向かうことができそうである。
「……リー、おい、ミリー?」
「……ん?え?はっ!」
安心して気が緩んだ瞬間、そこでようやく誰かに呼ばれていることに気付いてハッとなった。思考に集中し過ぎて完全に油断していたのだ。
「おい、ミリー!」
エグザール国境検問所とカント要塞を繋ぐ道から少し離れた場所で、カント要塞を望みながら一人大騒ぎしているところに、知り合いのハンターであるライド・バンドが近づいてきていた。
「あっ、ライド!」
「はるばる遠くから来たのに、もう行くのか?」
「そのつもりだけど、何で?」
「本当に行くのか? そんなカルマで街に出て、どうなっても知らんぞ?」
「大丈夫! 問題なし! やばくなったら逃げればいいし!」
ライド・バンドは、エグザール国境警備隊の一人で、騎乗する馬の能力を引き出す馬術の『才能』を持つ狩りの名人である。
才能というのは、先天的に持っている能力のことで、その上位版が『天賦』となる。この天賦の才を持っている者は非常に稀なのだが、こうした天性の才は必ずしも良い面ばかりではなく、悪い方の才能も当然ながら存在する。
例えば『滑る』才能がある者は、どんなに面白いことを言っても延々と滑り続けることになる。もし、こんな才能を持って生まれてきたら、普通の人は耐えられないだろう。しかし、滑り芸の達人になれる可能性があるので、才能をどう扱うかは本人次第なのである。
これと似た様なものに『特技』や『達人』などもあるが、これらは訓練で身に着けるもので、例えば、馬術を才能として持っている者と、訓練して身に着けた特技としての馬術と、同じ馬術でも2つの系統が存在することになる。
「いや、ガード(衛兵)をなめないほうがいいぞ? どっからでも飛んできて、強制的に拘束されるからな?」
「またまたご冗談を~……って、マジ?」
「マジだ。カルマオーラで判断するから隠れても無駄なんだ。ミリーのカルマは絶対犯罪者と同じ扱いを受けるに違いない」
「でも、ほら子供だよ? 虫も殺せない、いたいけのない少女だよ? 美少女だよ? いくらガードでもそんな非人道的なことできる?」
ボケたつもりだがライドに華麗にスルーされる。鍛冶屋のおっちゃんはちゃんと突っ込んでくれるが、ライドのスルースキルは高く厄介である。
「ミリーのカルマは悪目立ちするからな。カント共和国領内に入った瞬間、ガードがすっ飛んでくるぞ」
「げぇー! マジかぁ~」
「いいか? ガードに止められたら大人しく言うことを聞いて従うんだぞ? 留置所送りだが、最長で3日間だからそれまで我慢すれば晴れて釈放――って流れだ」
「ええー! 何それ! めんどくさ!」
「それだけミリーのカルマはヤバいんだよ。ここで問題起こしたらもう二度とこっちには入れなくなるが、それでいいのか?」
「…………」
端から見ると聞き分けの無い娘を諭そうとしている父親――と、いう風にも見えなくもない状況である。ただ、これを本人たちの前で言えば、おそらくライドは親ではなくせめて兄にしてくれと苦情を言ってくるに違いない。
「今言ったことちゃんと守るんだぞ?」
「……うん、わかったー」
渋々了承するしかない。どうせ、おどかすために大げさに言ってるだけだろうから、ここはライドの顔を立てる意味でも大人しく言うことを聞いておいてやろう。
背を向けて、ライドから見えないようにニヤリと悪い顔をする。
だいたい、ライドは良い人そうに見えて実は悪党なのだ。何せ、つるっぱげのおっちゃんのことをハゲと直球で呼ぶのだ。聞いてるこっちが申し訳ない気持ちになる。ハゲをハゲというのは絶対にいけないことで、だからライドは悪い奴なのだ。
「……ほら、ミリー。餞別だ、これ持ってけ」
落ち込んでいるフリをしている背中にライドが同情するように声を掛けてくる。そして、先ほどからずっと気になっていた、小脇に抱えていた大きな紙の包みを無造作に渡される。
「ん? ちょっ! なにこれ? 重ぉ!」
何気なく無造作に渡された紙の包みは持ってみるとずっしりと重く、思わず身体のバランスを崩してしまったが寸でで持ちこたえた。
向こうの世界のおっさんの身体ならこのくらいは片手で余裕だっただろうが、今は女性、しかも少女の身体である。重量は同じでも重さの感じ方が全然違うのだ。
「上等なシカ肉だ。ハゲのところに持っていってやれ」
「(また、おっちゃんのことをハゲって言う……)」
おっちゃんと呼んで親しんでいたテッサン・マティオは、エグザール地方では一番お世話になった気のいい鍛冶屋の親父である。ちなみにハゲではなくスキンヘッドという立派なヘアスタイルの一つである。
「あっ、そういえば、おっちゃんって今カント要塞にいるんだっけ?」
「ああ、たぶんな」
「たぶんって……わからんのかーい! どこにいるか分からなかったら配達しようがないでしょう!」
「別にハゲに渡す必要はないさ。それは、職質された時に配達だと言い訳するのに使うための小道具だと思えばいい。何ならガードの買収に使ってもいいぞ!」
ライドは悪い顔になって、とんでもないことを言い出す。
「んな!(やっぱりライドは悪党だ!)」
「カント共和国の連中は肉に飢えてるからな」
「何で?」
「国土の大半が小麦畑だから、それ以外の特産品がないのさ。だから俺たちの獲ってくる獣肉が大人気なんだよ」
「なるへそ……」
西カロン地方はもともとプラーハ王国という単一の国家だったが、400年前のクーデターで、プラーハ王国は分断され、食糧庫の役目を果たしてきた南部穀倉地帯はそのままカント共和国として独立してしまったという経緯がある。
しかし、西カロン地方の住人は食糧の大半を南部穀倉地帯の小麦に依存していたため、国境線は変化しても食糧供給の仕組みはそのままにせざるを得なかった。
北のピュオ・プラーハと中部の都市国家群は現在も戦争状態だが、カント共和国は永久中立国として食糧の安定供給と引き換えに不可侵条約を各都市と締結しているというわけである。
「ほら、さっさと行って捕まってこい」
「へいへい」
ライドが冗談交じりに意地の悪いことを言ってくるが、こっちは中身がいい年のおっさんなので、そんな煽りにいちいち腹を立てない。これが完璧な大人の対応である。
だいたい、何もしていないのに城門くぐってすぐ捕まるなど非現実的だ。
「(そういえば……)」
そういえば、ちょっと盗みを働いただけで鬼の形相でしつこく追いかけてくる衛兵がいたゲームがあったような気もしないでもないが、常識的に考えてそんなことありえないだろう。
と、ここでうっかりフラグを立ててしまったことに気付かず、意気揚々とカント要塞の門をくぐってしまったのが運の尽きだった。
「ストォーーップ!」
向こうの出口まで5メートルもある分厚い城門の中ほどで、突然右横から大声で止まれと怒鳴られた。
「おわっ!」
完全な不意打ちに跳び上がるほど驚いて、思わず反対の壁に自分からぶつかるように引っ付いてしまう。これはまるで道を歩いていたら横の生垣から突然犬に吠えかけられた時とまったく同じだった。
「薄汚い犯罪者め! 大人しく降伏しろ!」
「え? 何? 犯罪者って誰のこと? 私のころ? 降伏って? え? え?」
南門の通路の向かって右側、つまり東側は衛兵の詰め所となっていたようで、そこから衛兵が剣を抜いて飛び出してくる。
あまりの急に、持っていたシカ肉を落としてしまい、慌てて拾おうとしたら問答無用で止められる。
南門の中の西側の壁に背中を付けた状態で両手を上げたまま抵抗しないことを態度で示すが、衛兵は激怒したままこちらににじり寄ってくる。
何もここまで怒る必要はないだろうと、見てるこちらがドン引きするほどの怒りようである。
「抵抗すれば、容赦はしない!」
フルプレートに身を包み、顔がほとんど隠れてしまうフルヘルムの奥に見える衛兵の血走った燃えるような瞳が恐ろしい。白い歯が見えるがそれはもちろん笑っているのではなく、思い切り歯を噛みしめているからである。そして、興奮状態で剣を抜き、盾を構えたまま警戒態勢でにじり寄ってくる。不用意に動けば、間違いなく斬りかかってくるだろう。
「どうした? 何があった? って、うわっ! なんじゃこりゃ! ヘールプッ!」
騒ぎを聞いて慌てて詰所から出てきた衛兵が、こちらを見て同じような反応をする。さらにヘルプと叫んで応援を呼んでしまう。
「わ、私は何も――」
「シャーラァーップ!」
何故かシャウトするときだけ横文字で言う衛兵。気合の入った凄まじい声で叫ぶので思わず身体がビクっと反応してしまう。
「ひっー!」
まるで、化け物を見るような目でこちらを見る衛兵たち。元は小汚いおっさんなので他人からそういう目で見られるのには慣れているが、やはりほんのちょっとだけ傷つくというものである。
これがもし、このくらいの年齢の本物の少女ならどうなってしまうのだろうか? 怖くて泣きだすとか、最悪失神とかしてしまうかもしれない。
「大人しく言うことを聞け!」
「聞きます! 聞きます! 何でも言うことききます!」
完全にライドの言う通りになってしまった。こうなってしまったら、ここは彼の言う通りおとなしく捕まるしかないだろう。変に抵抗して殴られたり、心証悪くして牢屋にぶち込まれでもしたら目も当てられない。
「(どうしてこうなった? どうしてこうなったんだああああぁぁぁぁーーー!!!)」
手枷をはめられ詰所に連行されてしまう。
はるばるエグザールからやってきた少女ミリセントは、カント要塞に入ったその5分後には、衛兵の詰所で取り調べを受ける身となっていた。
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