第26話 「衛兵」
第二十六話 「衛兵」
この世界をゲームで例えるなら、体感型大規模多人数参加型ロールプレイングゲーム(サンドボックス)だろうと昨日まではそう思って疑わなかった。
カント要塞に入ってからは、それに加えてステルスゲーム要素が追加されてしまったようである。ちなみにステルスゲームとは、派手な戦闘を避け、なるべく敵に見つからないように行動し、隠密作戦を成功させていくゲームである。
ガードポストから冒険者ギルドまで直線距離で約100メートル。しかもそこまでのルートを遮るものはない。せめて障害物があればコソコソ隠れながらステルスモードで目的地を目指せるのだが、如何せん隠れる場所も物もない。この世界に段ボールがあるかどうかわからないが、せめてその代用品でもあればなんとかなりそうなのだが……
なぜ冒険者ギルドを目指すのかといえば、単純明快冒険者になるためである。冒険者になると様々な冒険者特典が得られるとのことで、西カロン地方で活動するにあたってはある意味必須といえるものなのだ。
しかし、走れば15秒で到達できるような簡単なルートの攻略にかれこれ4日を要しており、しかもその目的が未だ達成されていないどころか、これからもされる見込みが全く立たないのである。
カント要塞に入ってすぐの取り調べに丸1日を要し、釈放後2秒で別の衛兵に確保され、その日だけでもう10回以上こんなことが続いた。
真っすぐ向かうとすぐ捕まってしまうなら――と、裏から回り込もうとしても結局見つかってしまう。どうやっても途中で捕まって牢屋に戻されてしまうのだ。
4日目の今日も釈放された途端に捕まって、今日も今日とて囚われの人である。
「はぁ~、こんな展開になるとは思ってもみなかったなー」
この状況には正直ため息しか出ない。自分のカルマがこんなにもひどい扱いを受けるとは想像もできなかった。
ライドは、ある程度こうなることを予想していたようだが、ここまでひどいとは流石に思っていなかっただろう。
そういえば、自分と一緒にカント要塞の門をくぐった賄賂、いやお土産のシカ肉は、その務めを果たすことが遂に叶わず、衛兵たちに没収され美味しくいただかれたとのことだ。
「いやしかし、牢屋ってなんか妙に落ち着くな……安心する」
うまくいかない現実がある一方で、奇妙でポジティブな発見もあった。牢屋の中が妙に居心地が良いのである。
故郷であるエグザール地方は永らく流刑地として利用されてきた。そのエグザール地方と西カロン地方を隔てる山脈がプリズンウォールマウンテン――監獄城壁と呼ばれていることからもわかるとおり、そこは巨大な監獄というわけである。
ようするに監獄生まれの監獄育ちの監獄っ子というわけで、だからこそ牢屋の中は故郷と同じ匂いがして、とても居心地良く感じてしまうのだろう。ここまで不当な扱いを受けていながらも、あまりイライラしないのは、そういった背景があるからではないだろうか。
400年以上の昔、西カロン地方全域を支配していたプラーハ王国においては、親の罪は子も背負い、刑期が長ければ何代にわたってもその刑期を全うしなければならないという、とんでもない法があった。
永久犯罪者を始祖に持つ、その子孫である私ミリセントは、生まれながらにして先祖代々受け継いできた刑期を継承する現在進行形の罪人という扱いになる。しかし、流刑地の解体にあたって免罪や恩赦というわけでもなく、なし崩し的に罪はなかったことにされてしまった。
つまり無罪放免――ということになるのだが、実はそう単純なはなしではなかったのである。
流刑地であるエグザール地方は、現在ピュオ・プラーハという国の領地であり、私ことミリセントの所属もまたピュオ・プラーハということに一応なる。
この状況の元凶である始祖ヴァイセント・ヴィールダーの罪は、西カロン全土を掌握していたプラーハ王国時代のものである。今のプラーハ王国は、国土は三分の一、国名まで代わってしまっている。これだと、罪を償うべき相手が有耶無耶になってしまう。つまり、罪はあるのだが誰に対してなのかが分からなくなり、刑期だけがミリセントという人型になって歩き回っているということである。
そう解釈しなければ、こんなひどいカルマが野放されている理由がない。
罪を引き継いだだけで自分は何も罪は犯していない。決して善人だとは思わないが、だからといって誰にも害を与えていないので犯罪者ではないはずだ。しかし、罪人の子孫としてその罪を受け継ぎ、端から見ると犯罪者にしか見えないらしいのだ。らしいというあいまいな表現になってしまうのは、自分のカルマがどんな風に見えているのかさっぱりわからないからである。
ガードが反応するということは、犯罪を犯した人と同じようなカルマオーラということなのだろう。そもそも皆が見えているカルマオーラとやらが自分には見えないので、〇〇らしいとしか言いようがないのである。
カント要塞に来た初日のあの捕縛のあと、ここの衛兵トップのトゥール・サイト衛士長から事情聴取を受けた。この時、ご先祖様とピュオ・プラーハとの関係、自分のカルマの由来などを説明した。
衛士長はウソを見抜く才能があるようで、こちらの言い分を全て聞いてくれたうえに理解もしてくれた。
そこで犯罪とは直接関係のない意外な事実を知った。まずこの街の正式名称は『ナント』であるということ。思わず『何と!』と叫んで周囲から白い目で見られたのはお約束である。中身がおっさんなのでオヤジギャグを我慢することは不可能なのだ。最近は白い目で見られるのも快感になってきている。困ったものである。
そういえばカント共和国の名称の由来となったのがこのカント要塞で、紛らわしいから改名した――と、そんな話を前に聞いたような気がしないでもないがすっかり忘れていたようである。
皆が皆カント要塞と呼ぶので、それがすっかりデフォルトになってしまっていたようだ。この件には、実はカント共和国の人ですらナント呼びが馴染まず、ずっとカント要塞で通っているので気にしなくていいとのことだった。しかし、他国に行ったときは通じないかもしれないとのことである。留意しておこう。
衛士長のトゥールさんは温厚な人柄で、こちらのカルマに偏見を持たず中立の立場で対応してくれた。400年前の内乱でカント要塞の窮地を救った英雄の子孫と出会えて光栄だとも言ってくれた。
始祖ヴァイセント・ヴィールダーは、プラーハ王国側からみれば内乱を治めた英雄で、当時反乱勢力で現在は中立の勢力の連中から見れば極悪人ということになる。
彼は、一滴の血も流さなかったが、大量の器物窃盗による小さな罪が累積して永久犯罪者となった。戦争とはいえ大量殺人を犯して永久犯罪者となっていれば、完全無欠の極悪人カルマを引き継いでいただろう。もし、そうなっていれば、逮捕など生易しいものではなく、命を狙われることになっていたのは間違いない。
現在西カロン地方中央部に乱立する中立都市国家群は、プラーハ王国から離反した勢力で、ほとんどが反プラーハである。この地域では始祖ヴァイセント・ヴィールダーは当然極悪人という扱いになっていることだろう。
自分の立場も全国一律一定ではなく、どうやら地域差があるようで、反プラーハ勢力領内では逮捕はおろか問答無用で殺害される危険性もある。実際行ってみないと分からないので何ともいえないのだが……
最初に捕縛にきたあのおっかないガードのフィミオ・ティシガーラも、衛士長同様、実はとても気さくな良い人で、街を守らなければならないという強い使命感であのような態度をとってしまったと後から謝罪されてしまった。恐縮である。
彼ともう1人の正規ガードスィミーカ・アリィと合わせて3人の正規ガードは話のわかるとても良い人なのだが、他ははっきり言ってクズ野郎ばかりだった。
そして、そのクズの中でもよりすぐりのクズが現れた。
「おい、ミリセント!はやく牢屋から出ろよ。釈放だ」
「……」
派遣ガードの1人カツィ・クゥバーシがニヤニヤしながら、鉄格子の向こうでくつろいでいるところを煽ってくる。しかし、相手にはしない。
このカツィ・クゥバーシともう一人コジー・ホーダは、ガード権限を乱用し、何度も何度も捕まえてくる、ガードの風上にもおけないクズ野郎どもである。
ガード、つまり衛兵には大きく分けて2種類あり、一つは正規のガード、そしてもう一つが非正規の派遣ガードである。
ガードという職業は、正義感が強く不正とは無縁の人格を持つ者でなければ就けない職業で、ほとんどの者は天職としてガード職に自ら望んで就いている。
天職とは必要な能力と資質と双方を併せ持った職業である。ガードは人や街を守るという性質上、冒険など外征は行えないが、そのことに不満なくむしろそれを良しとする性格の者にとっての天職とえいる。
天職を選択できる者は、そうでない者よりも圧倒的に少なく、そこからガード適性のある者はさらに少なくなる。つまり、ガードは慢性的な人手不足で、それを補うのが派遣ガードである。
派遣ガードは、冒険者ギルドからの依頼、つまりクエストとして請け負う派遣業務で、天職とまではいわなくとも、真面目にクエストをこなしギルドから一定の評価を得ている冒険者であれば誰でも就くことができる。
不審者への職務質問や、犯罪者への対応など治安維持行動をすることで、評価ボーナスがあり、報酬や冒険者ポイントが加算される。
冒険者ポイントは、冒険者ギルドが発行するクエストの成功報酬として与えられるポイントで、一定のポイントをためることで様々な特典が得られるという冒険者サービスのひとつである。
このボーナスポイントがバカにならないようで、美味しく稼げるということから彼らはそれに味を占めてしまったのだ。
「ほら、釈放だ!早く出ろ!」
「……はいはい、わかりましたよー」
ガードポストにおいてガードの言うことは絶対である。拒否すればそれだけで犯罪に認定されてしまう。理不尽過ぎるこの状況に、もういっそのこと本物の犯罪者になってしばらく牢屋のお世話になろうとも考えてしまう。しかし、犯罪をおかせばカルマに悪影響を及ぼし、状況はより一層悪くなっていくのでここは堪えるしかない。
居心地の良い牢屋から無理やり出され、お天道様の眩しい外に放り出される。
「ストォォーップ!!へへへ、ここに怪しいヤツがいるぞ!」
そして、もう1人のクズ野郎であるコジー・ホーダがガードポストの前で待ち構え、釈放後すぐに捕まるという完全に詰んだ状態に陥るのだ。
これはゲームでいうところのリスポーンキル、リスキルだ。復活位置で待ち伏せしてキルを稼ぐ、マナーに反する行為である。
こんなことが合法的に行われ、何のペナルティもないというのであれば、ゲームとしては完全な無理ゲーで、クソゲー認定されるのは間違いないだろう。
しかし、ここはゲームのようでゲームではない世界だ。通報のしようもないし、本来通報して駆けつけてくれるはずのガードが率先して不正行為をしているのだからどうしようもない。
派遣ガードはこの2人以外にも10人くらいいて、初日は同じようなことをされたのだが、見かねた強面で誤解されやすいフィミオさんが注意したことで一旦は収まった。しかし、カツィとコジーだけは執拗にこのリスキル行為を辞めなかった。
治安維持行動が発動すると大幅に能力が強化されるガードと、それを運用するガードシステムは、冒険者ギルドの魔法インフラの一環である。
冒険者ギルドを採用した都市や自治体単位にガードポストを設置し、正規のガードを置き、足りないところに非正規ガードを派遣している。
ようするにガードというのは冒険者ギルドの下部組織で、正規も非正規も基本的には同等である。もちろん先任の正規ガードのほうが立場が上になるので、指揮系統は一本化される。
いずれにしても、ガードには強力な力と強大な権限があるので、本来であればその資質と資格を十分に備えた人材でなければ就かせてはならない職業といえる。
カツィとコジーは、先任のフィミオの命令は一応聞かなければならない立場だが、それでも不審者を捕らえるという大義名分がある以上、それを強制的に止めさせることはフィミオの権限では不可能だ。むしろ、正当なガードの権利権限を侵害する行為となってしまう。それを分かっていて敢えてやっている2人の狡猾さはあなどれない。
例えば殺人が合法な世界があるとしても、その世界に住む全ての人が殺人を犯すわけではない。もし合法的に人を殺しても、その殺した人の身内の恨みを買って合法的に復讐されるだろう。刑罰がないからといって何でもできるわけではないのだ。
法とは別に倫理や道徳によって支えられる社会と、それを円滑に動かすルールが存在する。そのルールの中で守られている人々にとって、それを破ることは容易なことではない。
しかし、それができる者がいる。他者を顧みず利己的になれる人というのは多くはないだろうが一定数存在する。それが冒険者という存在であり、あの2人カツィ&コジーなのだろう。
彼らはガードとしてゴミ以下だが、冒険者としてはかなり優秀な部類なのは間違いないだろう。
ただ、衛士長のトゥール・サイトさんには命令できる権限があり、正義感の強いフィミオは何度も上申してくれた。しかし、衛士長は渋い顔はしているものの静観する構えのようである。
その愚痴をフィミオが牢屋の鉄格子越しにぼやいているのを聞いて、何故かと聞けば答えは単純明快だった。
「衛士長は人が良過ぎるんだよな……他の10人と同じように、あの2人も必ず更生するって信じている」
正規のガードは皆、人間のできた良い人ばかりで、特に衛士長ともなると聖人レベルなのだそうだ。
しかし、仏の顔も三度までということわざにもあるように、聖人とはいえ人の子である以上、いつかは堪忍袋の緒が切れるにちがいない。
この話を聞いた時、思わずニヤリと悪い顔になってしまった。
「(むふふ、ここはひたすら耐えて耐えて耐え抜き、そして仏のトゥールさんに阿修羅になってもらうことで、2人への復讐とすることにしよう――ぐふふ)」
この決意以降、2人の不当な扱いに対し全く動じなくなり現在に至る――と、いうわけである。
「ほら、牢屋に入ってろ!」
「あっ痛っ!」
コジーに捕まって、たった今出たばかりの牢屋に叩き戻される。こんな出待ちをされたら隠れる暇もない。心の中で舌打ちをしつつ、おとなしく言うことを聞いて無抵抗で可哀そうな少女を演じて見せる。
フィミオの同僚で同じく正規ガードであり紅一点のスィミーカ・アリィも流石に同情の声をかけてくれる。正規のガードは本当によい人たちばかりで、そうやって声をかけてもらえるだけで救われたような気持になる。どこぞのゲームのガードとは大違いだ。
こちらとしては壮大な復讐を考えている悪党の風上にもおけないただの小悪党なので、そんな風に同情されるのはちょっとというかだいぶ心苦しいところではある。
「まったく……何回捕まればいいのか……」
とても居心地のよい快適な牢屋生活もだいぶ板につき、もはや他のガードよりもガードポストにいる時間が長くなってきているようである。
2人の正規ガード以外でも派遣さんたちとも和解し、時々牢屋越しに話もする。しかし、あのカツィ&コジーは相変わらずだった。
「今日で5日目かー」
ガードポストの隅っこにある小さな牢屋が我が家になって5日か過ぎようとしていた。
牢屋は2畳ほどで、窓はなく入り口側が全面鉄格子で外から中が丸見えである。奥側が段差になっていて寝床や椅子として使えるようになっている。その段差には小汚いラグが敷いてあり、今はその上に仰向けになって寝転がっている。
両手を組んで頭の後ろにやって枕代わりにして暇つぶしを演じている。何もしていないように見えるが、一応頭はフル回転させている。
西カロン地方の街や、街道の要所要所にある駅にはガードが配置されているそうで、ようするに、このまま旅を続けていれば常にガードとの追いかけっこが待っているというわけである。
今後恐らく行く先々でガードのお世話になって牢屋で過ごすことも多くなるだろう。何もしていないのですぐに釈放されるだろうが、牢屋との相性がすこぶる良いので、捕まるのにはほとんど抵抗を感じなくなってしまった。それはそれで困ったことだと思うが、どうしようもない。ここは発想の転換をして、どの街の牢屋が一番快適かというのを探す旅だと思えば気が楽になるのだろうか?
「……我ながらアホだな……」
本当にこれでいいのかと自問自答するが、ある意味最も安全な場所にタダで泊めてもらえるというのは悪い話じゃない。
牢屋という施設は、普通の人が入るとそれだけで経歴もカルマも汚れてしまい、お試しで入ってみることすらはばかれる禁忌の場所だそうである。
一般的にはそんな扱いの牢屋に入ると元気になってお肌艶々になってしまう自分は一体何者なのだろうか?他の人とは全く違う景色が見えているような気がしないでもない。
それはともかく、ガードたちとの立ち話は、有益な情報の宝庫でこれからの旅の助けとなるのは間違いないだろう。
カロン海河の向こうにある東カロン地方で既に確立されている冒険者ギルドシステムは、魔法を使ったネットワークでギルド同士が結ばれ、個人情報と銀行口座を紐づけされた魔法決済システムによって、商取引がキャッシュレスで行われている。
まるで向こうの世界の電子決済のようなものが、既に実用化され一般化されているのである。魔法様様で、冒険者になればその恩恵にも預かれることだろう。だから今は問題を起こさず我慢なのである。
他に魔法によるメッセージ送受信サービスにより、遠隔地から商品の取り寄せも可能である。
個人情報が集約されている鬼籍本人手帳を、冒険者証明書と紐づけて一本化することによって冒険者ギルドが役所の役目も果たし、身分偽装による詐欺行為の抑止にもなっている。
そんな便利な魔法インフラシステムが、ここ西カロン地方にも輸入され既に定着しているという。
いろいろな情報を仲良くなったガードさんたちから聞き出してみたが、やはり鬼籍本人手帳の再発行の件はわからないとのことである。
この世界では人間は鬼籍本人手帳とセットで生まれてくるものなので、これがないということは、この世界の人間ではないのと同義ともとれる非常に重大な案件なのだ。
土方の力そのものは秘密なので、分解して資源にしたあげく、元に戻した紙キレを風に飛ばされて失くしてしまったことは内緒である。単純に失くしたことにして、あわよくば再発行をしてもらおうという算段であるが、前例がないのではたしてうまくいくのだろうか?
こんな感じで5日間の牢屋暮らしの中で、ガードさんたちからいろいろなことを教えてもらった。
ガードは街や要所に設置されるガードポストごとに独立した組織で、クリプトのような大きな街になると、ガードポストも複数あり地区ごとに管轄が決められるとのことだ。正規ガードはともかく派遣ガードのポイント争奪戦は、どこの街でもあるらしい。
カント要塞は街の規模としては小さい部類なので、ガードポストは1つだけである。
冒険者ギルドの本部がある自由都市クリプトが、ガードの派遣業務を一律管理し、派遣ガードは必ずクリプトから派遣されてくる。派遣されたガードは、現地ガードリーダーの配下となって、以後その指揮下にはいることになる。
ガードリーダーには部下に対する管理責任があり、ガードにふさわしくないと判断すれば、本部に交代要請や場合によっては逮捕も可能である。
そのことをスィミーカから聞いているので、トゥール衛士長がキレるまで今はじっと我慢してカツィ&コジーに好きにさせているのだ。
「まだかなまだかな、衛士長の堪忍袋の緒が切れるのまだかな~……ん?」
そんな6日目の早朝のことである。ガードポストには当直のスィミーカ・アリィしかいない。そこに衛士長とその後について見知らぬ若い女性が一緒に入ってきて、何も言わずそのまま牢屋の前を通りすぎて奥の部屋に入っていったのだ。
「…………」
トゥール衛士長を見送ったあと、鉄格子越しにスィミーカと目が合うと、彼女は足の動きが見えないほどの速さですすっとこちらに歩み寄ってくる。
「い、今の誰?」
「誰って、それ私に聞く?」
「そ、そうだったわね……ごめんなさい、つい気が動転して……」
「スィミーカってもしかして衛士長のこと?」
「ち、違うわよ。衛士長には奥さんがいるし……」
「え?それって、ふ、不倫?」
「ま、まままま、まさか?」
良い人をこじらせるとこうなってしまうのだろうか?堪忍袋の緒が切れなさすぎてとうとう現実逃避に走ってしまった――というのは、さすがにないだろう。
衛士長を良く知っているはずのスィミーカのこの反応からして、仕事場に女性を連れてくることなど一度もなかったのだろう。
「衛士長に限ってそんなことはないと……思いたいけど……」
「甘いなスィミーカさん」
「え?」
「衛士長とてしょせんは男」
ニヤリと悪い顔になって少し意地悪くからかってみるが、それを真に受けて急に慌てはじめるスィミーカ。基本真面目で正直なガード気質の彼女に冗談は通じないらしい。
「いやいや!衛士長に限って……でも……いやいや、そんなことは!」
と、一人顔を真っ赤にしてジタバタしているスィミーカを面白そうに見ていると奥のドアに人の気配がする。
こちらに来た時よりも速く元いた位置に戻るスィミーカ。彼女には足を動かさずに光の速さで歩ける特技があるらしい――と、錯覚しそうなほど見事な移動術である。
衛士長と正規ガードの2人はそれなりに長い付き合いなのだろう。それだけにこれまでなかった新しい人間関係の登場に彼女は少々面食らってるようである。
しかし、こっちはここにきて1週間も経ってないよそ者である。何の気兼ねもないので、鉄格子にかじりついてこれからおこる昼ドラ展開を予想して観察することにした。衛士長の奥さんがきて『この泥棒猫!』なんて神展開――もとい修羅場を期待してしまう。
ドアが開き中から出てきたのは衛士長ではなく先ほどの連れの女性だった。鎧を着込んでいるガードたちとは違い軽装で、普段着ではなく恐らく制服だろう。魔法使いなら杖などを持っていそうだが、書類を入れるケース以外特に持ち物は見当たらない。
「(あれ?もう帰るのかな……)」
こちらに一瞥だけ入れて通り過ぎた女性がスィミーカに挨拶をする。
「おはようございます」
「お、おはようございます!衛士長!今日は早いのですね」
「(え?)」
今、スィミーカが女性を衛士長と言ったが、気が動転して言い間違えたのだろうか?
「あの、さ、先ほどの女性は?」
「(ええ?)」
どういうことだろうか?間違いなくスィミーカが謎の女性を衛士長として挨拶をしているようにしか見えない。決して冗談を言っているようには見えないし、彼女がこんなおかしな冗談を言う性格ではないことは短い付き合いでもわかる。
聞きづらいことでもはっきりと尋ねる、生真面目ないつものスィミーカだ。
「(な、なんだこれ?)」
キツネにつままれる――というのはこういうを言うのだろうか?
「(いったい何が起こってるんだ?)」
もしかしたら、壮大なドッキリを仕掛けられている?という可能性もないことはないだろうが、彼らがガードであることを考えると、人を騙すという行為は絶対にしないだろう。
「(しばらく様子を見るか……)」
かじりついている鉄格子から離れ、寝たふりをしながら耳を澄ませる。そして、薄目でこれから起こる何かを見逃さないようにする。
「(スィミーカは幻術でも見せられているのだろうか?或いは、あの女が衛士長に化けている?だとすれば、衛士長が意図的にそうさせている?)」
なんとなく今後の展開が予測できそうだが、ならここは余計なことはせず黙って成り行きを見守るのがいいだろう。
「ああ、彼女はギルドの監査官ですよ」
耳に入ってくる謎の女性の声は、声真似をしている様子もなく彼女の肉声だと思うが、スィミーカには衛士長の声に聞こえるのだろう。目の前の人物が衛士長であることをこれっぽっちも疑っていない様子である。
これは幻術系の魔法だろうか?でも、だとしたらなぜ自分にはかかってないのだろうか?わざとかけなかった?一体なぜ?考えても仕方がない。
「なるほど、あの2人の素行についての調査ということですね?」
「ええ、彼らは少しやりすぎている感がありますので、派遣ガードとして問題ないか奥の部屋で待機してもらっています」
「なるほど!そういうことでしたか!了解しました」
ものすごく安心したように気持ちよく返事をするスィミーカ。素直な性格だから幻術魔法にかかりやすいのだろうか?と、いうことは魔法がかからない自分は素直じゃないということか。まぁ、確かにその通りだと思う……
スィミーカのいうあの2人というのはもちろんカツィ&コジーのことで、彼らの悪行の数々を第三者の立場で見てもらおうという衛士長の思惑が見える。
衛士長はホールの奥にある自分の席につく。その位置は牢屋の中からだと死角になって見えないが、衛士長は普段はそこに座っているので恐らく間違いないだろう。
スィミーカは衛士長の執務机とガードポストの入口、そして牢屋が見える位置にある席につく。ここが待機するガードの定位置で受付もかねる。
「(そろそろ、他のガードも集まってくる時間か……)」
この世界には休日はない。というよりも何時から何時まで働くという概念がないので、職業規定に則り各自の判断で働く時間や休む時間を決める。
たくさん働けば力を消費するので回復のために食事をしたり睡眠をとる必要がるが、のんびりしていれば疲れないので力は消費されずそのままずっとのんびりすることができる。
向こうの世界であれば、睡眠と食事は生きるために必須だが、この世界では必ずしもそうではないのである。
この世界に来た頃はそういう世界の仕組みに馴染めなかった。何せこのミリセントというアバターは疲れ知らずの野生児で、全力で何日も走り続けられるのだ。
走ったら息が上がって疲れるから休むという固定化された常識が邪魔をして、連続活動に抵抗があったが、長距離を移動しなければならない状況で時間的ロスを出さないように何日も走り続けたことがきっかけで、自分の身体的能力や特性を学び、使いこなせるようになったというわけである。
ガード達の活動はそれほど力を消費しないのだが、カツィとコジーは連日はりきってこちらを捕まえては釈放し、また捕まえるというガード活動を表向きには真面目に行っていたので、だいぶ体力を消費してしまったようで昨夜は自宅に戻っていた。
今日は、体力も回復してまた元気に取り締まり活動に精を出し、冒険者ポイントの荒稼ぎを始めることだろう。
しかし、これも今日で終わり、年貢の納め時である。ここまで我慢した甲斐があったというものだ。
「ちーっす!」
噂をすればなんとやら――ということで、先に顔を出したのはコジーだった。
朝早くからご苦労なことだが、そんなにも冒険者ポイントを稼ぎたいものなのだろうか?向こうの世界でも近所のスーパーのポイント10倍デーで、普段の3倍の買い物をする人もいるのだからしようがないことなのか。彼らにとって毎日がポイントボーナスデーということなのだろう。
「おい!衛士長の前だぞ!」
そんなことを思いながら何気にコジーの出勤の様子を眺めていたが、突然スィミーカが声を荒げる。
コジーのふざけた朝の挨拶が気に食わないというのもあるだろうが、衛士長に対し不敬だと言いたいわけだろう。
朝早いこともあって衛士長がいるとは思わず油断していたコジーは、慌てて衛士長にかしこまって挨拶をし直す。
自分より立場の下の者には高圧的に、その一方で目上の者にはへりくだる。こういう人間は向こうの世界にも大勢いたし、どの世界でも同じなのだと思うと複雑な気分ではある。
「うぃーっす!」
続けてガードポストに入ってきたカツィもコジーと全く同じことをして、同じようにスィミーカにたしなめられ挨拶をし直すというマヌケを演じている。
この2人は似た者同士で気が合うのだろう。
「おい!釈放だ!早く出ろ!」
同僚に叱られた腹いせで、怒りがこちらに向くのは当然のことだろう。納得はできないが今は我慢するしかない。
「うわっぷ!」
文字通りつまみ出されるように、ガードポストの外に投げ出される。
無様に地面に投げ出されてしまったが、敢えて愚鈍を演じている。そうでもしないと、生意気だの反抗的だのといらない反感を買って余計に被害が大きくなってしまうからだ。
「(バカなやつら……)」
変装したギルドの監査官が見ていることも知らず、いつもどおりのリスキル行為を始めるコジー。カツィは既に外で待機していて秒で捕まってまた檻の中に戻される。
「…………」
「何か言いたそうだな、スィミーカさんよ」
あからさまに眉をひそめるスィミーカの横を通り過ぎるカツィは、文句があるならはっきり言えと言わんばかりに睨み返してくる。実際問題として彼らの行動はガードとして間違いではなく、職務上正当な行為として認められるのでカツィは悪くない。
しかし、正義が我にあるからとそれを笠に着て強権を発動する行為が倫理上非難されるのもまた当然ともいえる。
ガードの規則がどうなっているのかよくわからないが、そうした倫理に反する行為は許されるのだろうか?そのあたりがグレーゾーンだから、わざわざ監査官を呼んで直に判断してもらおうというのが衛士長の考えということか。
グレーゾーンの案件ならいくらでも言い逃れできるだろうし、カツィ&コジーはそれが上手いので厄介なのだ。だからこそ、反論の余地を許さないために、雇い主側のギルドの責任者に現場を押さえてもらうという衛士長の思惑なのだろう。
トゥール・サイト衛士長は、ただの人の良いおじさんなどでは決してなく、超有能で衛兵にしておくにはもったいない人物なのだろう。
「お前らまたやってるのか……」
もう1人の正規ガードのフィミオ・ティシガーラが夜間警備から戻ってきて、早朝から行われるカツィ&コジーのリスキル行為に眉をひそめる。しかし、2人はニヤニヤ笑っているだけで態度を改める様子もない。
「(最後のチャンスだったのにな……)」
カツィ&コジーがここで行動を改めれるのであれば、今後の展開は大きく変わっていただろうが時すでに遅しである。彼らはあまりにも楽にポイントを稼ぎ過ぎたことで、感覚がもう麻痺しているのだ。
その後何人かの派遣ガードがやってくるが、普段この時間にいない衛士長が既に席についていることに特に大きな疑問を持つ者はいないようである。
この後起こることの前兆がこれだったのだと、後から彼らは思い起こして納得するのだろう。
「(さて、牢屋から高み――いや低み?の見物と決め込むことにしますか)」
決して対岸の火事の出来事ではないのだが、結果はもう目に見えるので安心して風呂に入ってこれるというものだ。
などと敢えてフラグを立ててみたが、分かっていて立てるフラグは、必ず折れるものと相場は決まっているのだ。
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