第3話 「死神」

第三話 「死神」


 某県某所に全6部屋1Kの木造2階建、築5年目の比較的新しい小さなアパートがある。

 そんな単身者向けのアパートは、一時の仮住まいで使われることが多く、年末年始やお盆の長期休暇の時期になると、帰省や旅行などでもぬけの殻になる。


 某年大晦日の夜、そんな空っぽなアパートに1室だけ明かりが灯る部屋がった。

 必要最低限の家財と部屋の4分の1を占めるベッド。空いたスペースに小さなテーブルその上にノートパソコン。テレビやゲーム機などもある。一般的な単身者の部屋――というところだろうか。


 ベッドに1人の中年男性が死んだように眠っている。そして2つの影が男性の眠るベッドの横に静かに立ち並んでいた。

 それはどこか終末的で、末期患者が看取られるような、まるで病室を連想する灰色の光景だった。


「どうなっている?」


「……まだ戻ってこない。どうやら無事成功したみたいね」


「やはりな、これで私の推理が正しかったことが立証された」


「推理?1000回以上の試行の末の結果でしょ?そういうのは推理じゃなくて単なる実験よ。いや、実験にすらなってないわ」


「様々な仮説を立てて、そこから最適解を見つけ出すのにその程度で済んだということだ。そんなこともわからんのか」


「……ものは言いようね」


 ベッドの横に立つ2つの影は、1人は眼鏡にスーツ姿、この部屋には似つかわしくない営業マン風で中肉中背の男性。もう1人は白衣姿の医者か科学者風で紫色の長い髪の小柄な女性。

 会話の意味するところは不明だが、病院でもないアパートの一室で、白衣の女性と営業マン風の男性の組み合わせは、暗躍する裏社会の――例えば臓器売買などの犯罪行為の犯行現場を想起させる。

 後日、アパートから臓器のない男性の遺体が発見された――などということにならなければよいが……


「これでキーアバターの攻略の目途がたった。フフフ、実に喜ばしいことじゃないか、フハハハハハ!」


「でも、それは『アサイラム』――そのゲートにカギがかかったってことでしょ?この変化に他の死神もすぐに気づくんじゃないの?」


「ふっ、あの脳筋やチビどもが気づくわけあるまいよ」


 男の方はたいした自信家のようで、その相手をする女性はあきれて肩をすくめる。2人は歯に衣着せない、それなりに親しい関係のようだが、男女や上司部下の関係とも思えない。共通の仕事に従事している同僚或いは対等な仲間といったところだろうか。


 その自信家の男性の名前は『橘 頼蔵(たちばな らいぞう)』

 女性の名前は『源 菖蒲丸(みなもとのあやめまる)』


 2人は死神である。


「なるべく早めにコイツから情報をもらってやらんとな」


 頼蔵が死んだように眠っている中年男性を『コイツ』呼ばわりして、汚物でも見るような蔑視線を向ける。彼がいったい何をしたというのだろうか?


「中田 中(なかた あたる)……46歳と」


 菖蒲丸は持っていたクリアケースに収められた書類の束から彼のものと思われる1枚を抜き出し、経歴などを参照しながら、この『実験』の過去の被検体と比較検証をはじめる。

 それを見た頼蔵は、ニヤニヤしながら菖蒲丸に話しかける。


「知ってるか?菖蒲丸」


「ん?……何を?」


 頼蔵に目もくれず書類に集中しながら適当に応じる菖蒲丸。名前のような美しい青に近い紫の髪色が印象的で、眉目秀麗、誰が見ても美人と評される大人雰囲気漂う女性である。

 彼女の管轄は『医事』、つまり病気や怪我にまつわる死を担当する死神である。


「こいつのあだ名は『山本』だそうだ。」


 姓が中田で名前が中(あたる)、そのまま繋げると『中田中』で、これが上から読んでも下から読んでも同じということで、小さい頃からなぜか『山本山』と呼ばれていた。さらに省略されて『山本』、親しい友人からは『ヤマちゃん』などと愛称で呼ばれるようになり、本名からまったく連想できない別名を与えられてしまったのである。

 おかげで本名で呼ばれてもとっさに気づかなかったり、違うクラスの者からは卒業まで『山本さん』だと勘違いされ続け、同窓会で初めて本名を知ったなどという、面白おかしなエピソードにこと欠かない学生時代を送ってきた。

 あだ名というものは、たいていの場合子供の頃だけの話と思いきや、社会人になってからも先輩同僚や取引先でも『山本山』を連想されてしまい、速攻でその呼び名が定着してしまった。

 人生の中で本名の『中田』よりもあだ名の『山本』と呼ばれた回数の方が多く、中(あたる)本人も山本が耳になじみ過ぎて、山本家に婿入りしたいなどと本気で思っていた時期もあった。


「……あー、なるほど……」


 その話をふられた菖蒲丸はほんの少し考えたあと、すぐに察した。

 楽しそうにしている頼蔵に一瞥入れてまた書類に目を向ける。何がそんなに楽しいのかまったく理解できない。確かに面白いと思うが、わざわざ論って人に教えることでもないだろう。


「……ふん」


 クスリともしない美人だが愛嬌のまったくない菖蒲丸の態度を面白くなく思う頼蔵だが、彼女は別に愛嬌がないわけではない。ただ単に頼蔵にそうする理由がないだけである。


 頼蔵の死神としての管轄は『新興』である。

 時代とともに増えていく、過去にはなかった新しい死因を担当し、それぞれの管轄に振り分ける役目を担う。そのため、他の死神の上位にあると本人は勝手に勘違いしている。

 ほぼすべての死神から嫌われており、それを当人は自らの才能、能力、役職に対する嫉妬と思い込んで、むしろそのことを誇りにすら思っている救いようのない勘違い野郎である。

 菖蒲丸にいわせれば、嫌われる原因の99%は本人の破綻した人格によるもの――とのことである。


 死神はそれぞれの管轄――縄張りがあり、例えば菖蒲丸の場合、病人やけが人に対し生殺与奪を自由にでき、その分野に関しては他の死神は手出しすることはできない。

 仮に他の死神の縄張りを荒らすようなことをすれば、殺し合いに発展する極めて重大な事件となる。頼蔵のように敵の多い死神は間違いなく袋叩きにされるだろう。


「それにしても、まさか脳の中に別人の細胞が紛れ込むとはな。運がいいやら悪いやら。気の毒過ぎて笑いしかでない」


 中(あたる)の特殊な生まれに珍獣でもみるかのような頼蔵のヘラヘラした物言いにカチンとくる菖蒲丸。それは義憤というよりも、頼蔵の態度が生理的に受け付けないからである。

 バニシング・ツインは『稀によくある』程度の頻度で発生する偶然の事故だが、中(あたる)の場合は特に稀で、体内に紛れ込んだ胚が死なずに何十年ものあいだ生き続け、ある日突然眠りから覚めて細胞分裂を始めてしまったのだ。

 生命の神秘の一言で片づけられない極めて稀な事例といえる。

 不運なことに胚のある場所が脳の中だった。これ以上分裂が進んで胚が胎児になろうとして物理的に大きくなっていけば、脳を圧迫し精神や運動能力に障害をもたらす恐れがある。これは事実上の脳腫瘍と同じで、正に命の危機につながる爆弾を抱えて生きているというわけである。

 このまま放っておけば、高い確率で脳腫瘍と同じ症状で、いつか突然倒れてしまうかもしれない。独り暮らしであれば誰にも気づかれず、そのまま命を落としてしまうだろう。


 この不幸な中年、中田 中(あたる)の特殊な生まれによって自らの計画が思い通りにいこうとしているにもかかわらずこの態度である。この頼蔵の言動はあまりにも礼を失している。温厚な菖蒲丸もさすがに許せるラインを越えてしまいそうだ。

 たとえ相手が人間だろうと、恩人を冒涜するような態度には怒りを禁じえない。

 さらに言うなら医事を管轄する彼女の力でこの特殊な人間を見つけ出せたのだ。何らかの配慮があってもいいだろうし、そもそもお礼の一つもあってしかるべきではないか。


「ちょっと……え!?」


 菖蒲丸が頼蔵に物申そうとした瞬間だった。

 床に黒い渦が広がりその中から大男がぬーっと出てきた。


「よぉ!お二人さん、こんなところでデートかい?……あ、じょ、冗談だよ菖蒲丸、本気にするなって」


 出てきた大男は菖蒲丸の眉間に刻まれた深い縦ジワとどす黒い殺意をみて、本能的に命の危機を察しすぐに平謝りをする。


 床から出てきた大男の名前は『平 伴達磨(たいらのばんだるま)』

 その名を具現化したような身の丈2メートルを超える筋肉達磨の死神である。見た目通りの豪胆な性格で、『暴力』にまつわる死を担当する。

 通称は伴。鎌倉時代の僧兵の恰好をしており、大きな数珠をタスキにかけている特徴的な姿をしている。

 死神というより本物の僧兵にしか見えず、頭巾と七つ道具をうっかり忘れてきた武蔵坊弁慶といった印象である。

 死神の装束に関しては特にこれといった決まりはないようだが、伴は頼蔵や菖蒲丸のような現代の衣装は好まないらしい。

 ちなみに、現れたタイミングは偶然で、2人の争いを仲裁するためではない。

 間の悪さに定評のある伴だが、今回はその間の悪さが結果として仲裁になった。


「伴!貴様なぜここに?」


「それはこっちのセリフだ!死神が2人コソコソしやがって、何企んでんだ!あ?」


「お前ごときがでしゃばるな!この脳筋が!」


 彼らの関係性を知らない者がこのやりとりを見れば、一触即発いつ殴り合いの喧嘩がはじまるのかと肝を冷やすところである。しかし、これは彼らのいつものやりとりである。伴は頼蔵の無礼な言動をまったく歯牙にもかけず、むしろわざと冷静に応じ相手を苛立たせる。


「10年開けっぱなしのゲートにカギがかかったんだ、誰だって気づくだろ!どうせこの密会だってそれに関係があるんだろ?」


 伴のセリフを受けて菖蒲丸は冷ややかな視線を頼蔵に向ける。先ほど誰も気づかないと豪語したが、どの口が言ったのかと無言の圧力をかける。

 菖蒲丸の抗議の視線を感じながらも、頼蔵はその視線を頑なに無視して伴に対する言い訳だけを考える。

 頼蔵だけではなく同席している菖蒲丸にも嫌疑を向ける伴達磨。菖蒲丸としては密会などと揶揄されるのは許しがたい屈辱なので、ここは嫌疑を晴らすために全面的に情報を開示することを決める。


「ここに寝ている男がそのメインキーよ」


「菖蒲丸!!」


 菖蒲丸は伴の嫌疑に対し神速で秘密を暴露してしまう。隠しても何のメリットもないし、第一、頼蔵との密約を疑われるなど心外の極み、末代までの恥である。ここは一刻も早くこのくだらない疑惑を晴らしたかった。


 そもそもの問題として伴を侮って自分の行動が筒抜けになっている頼蔵の自業自得にこそ責任の所在があるのだ。菖蒲丸には落ち度もなければ、責められる筋合いもない。

 頼蔵の立場としては複雑である。同盟関係にもなってない菖蒲丸に対し勝手に同志だと思い込んで勝手に裏切られたと勘違いをしている。どれだけ自意識過剰なのかと菖蒲丸もいいかげんうんざりする。


「……男???メインキーって女じゃなかったのか?オカマでもいいのか?」


 メインキーは女性と聞いていたので意外に思い、中(あたる)に対しオカマ疑惑を向ける伴。


「いや、そういうわけじゃ……」


 菖蒲丸は頼蔵と無関係であることを示すためと、とりあえず不名誉なオカマ疑惑を晴らすために、中田 中(あたる)についての特殊な生まれと、それを利用したこと、そして、これまでキーアバター獲得のための10年に及ぶ無駄な実験の数々をすべて包み隠さず暴露する。


 それを聞いて2人の頭越しにベッドに寝ている中(あたる)を値踏みする巨漢の伴。


「なるほどねぇ~……で、情報だけ抜き取ったあとは例によって処分か?」


「当然だ!!」


「ふ~ん、頼蔵はそう言っているが、菖蒲丸はどうするつもりだ?」


「この男は私の患者(クランケ)よ、勝手なことはさせないわ」


「な!約束が違うだろ?」


「は?約束?私がいつ約束をしたの?」


「そ、それは……だが、これは私が依頼した案件だ!権限はこちらにあるはずだ」


「男を女にする薬を作れとか無茶な依頼に対して代案を出してあげた功労者たる私へ、まずは報酬が先じゃないの?」


「それは……ちなみに何が欲しいのか言ってみろ!たいていのことは叶えてやる」


「言ったわね……そうね、あなたの持っているエージェント枠の権利委譲はどう?」


「な!?馬鹿な!話にならん!」


「交渉決裂ね」


「ふん!どのみちそいつは死ぬ!自分の姉妹に脳を食われる共食いだ!ゴミにはお似合いの死にざまだ!」


 そう捨て台詞を吐いて伴が出現した時と同じような黒い渦の中に消えていく頼蔵。これほど捨て台詞が似合う男もそういないだろう。


「……い、いいのか?」


「何が?」


「何か重要な話を……つか、何でそんなに怒ってるんだ?」


 全てを理解したうえで颯爽と登場したように見えたが、実はまったく事情が呑み込めていない間の悪い伴。


「……」


 何故こんなにも怒っているのか?伴に言われてようやく冷静になる菖蒲丸。

 伴もこんなにも感情的になって怒気を露わにしている菖蒲丸をみるのは1000年以上の付き合いでも初めてなのでかなり驚いている。


「ごめんなさい……ついカッとなったわ。ところでなんで壇は隠れてるの?」


「ん?壇も来てるのか?」


「え?一緒じゃなかったの?」


「いや?」


 その2人のやりとりの間に、頼蔵が消えた場所からもう1人の死神が出てくる。

 ぬーっと出てきた伴の時と違い、一拍溜めてからポンっと飛び出してきた。

 伴達磨とは対照的な小柄な死神の名は『藤原 壇重朗(ふじわらのだんじゅうろう)』

 通称『壇』で、名前の印象とは裏腹に小学校中から高学年くらいの華奢な姿でよく女性と間違われる。

 開いているのか閉じているのかわからない糸目が特徴で、常に微笑んでいるようみえる。どんな状況でもその表情がかわらないという特技?は見方によっては嫌悪感を与えかねないが、陽気でおしゃべりな性格なため、そういったネガティブな印象がまったくない。

 くせ毛で黒髪の伴とは対照的にまっすぐな短銀髪の壇は、大正か昭和初期あたりの軍服風の黒衣を身にまとっているので、髪色がひと際目に飛び込んでくる。


「やぁ、別に隠れていたわけじゃないよ。なんか出そびれちゃってね」


 見た目通りの少年――少女ともとれる声と口調で言い訳をする壇。

 先ほどの白熱したやりとりの最中に現れるのはさすがに間が悪いと、隠れて登場のタイミングをはかっていたらしい。

 体格も性格も正反対の伴と壇だが、アサイラムでは共闘体制をとるほど気の合うコンビである。単独行動が主な死神たちのなかで、担当する管轄の関係性が強いためセットで動くことが多い。


「ついに始まっちゃったね」


「10年も無駄にして、おかげでいろんな連中が大量に入り込んじまった。一体この始末をどうつけるつもりなんだよ、頼蔵は……」


「外の連中はだいたい僕が把握してるけど、彼らに敵対の意思はないよ。アサイラムのシステム上、元の神格は引き継げないし」


「最初は確かにそうだが、もう10年経ってるからなー。元が良ければ頭角を現すだろ」


「しょうがないでしょ?下手に拒んで争いになっても僕じゃ勝ち目ないもん」


 交渉の達人である壇が武に劣ることは十分理解しているので、だれも彼を責めたりはしない。

 壇重朗は『外地』を管轄する死神で、日本の外にいる日本人の死を主に担当する。戦争をはじめ国外事案のすべてがその縄張りで、死神の中で最も活動範囲が広い。

 伴の管轄である『暴力』と壇の管轄する『外地』は主に戦争で協力関係がとれるので、この2人は死神のなかでは珍しい共闘関係を永らく続けている。

 外交に強い壇は、外国の死神をはじめ、神様、悪魔、魔物などとも面識がある。

 アサイラムでは彼らの流入に際しトラブルが起こらないように拒まず、敢えて公認して、その数や国籍を把握して管理監視している。


「壇はともかく伴はどうなの?あなた強いんでしょ?」


「三途の川よりこっち側なら負ける要素はないが、アサイラムは言ってみれば賽の河原そのものだ。あそこは川の向こう側つまり此岸、厳密には冥界ではないから能力に制限がかかっちまう」


「なるほど、人間界と同じで純粋な力比べになっちゃうのね」


「でもさ、そのおかげで、アサイラムが乗っ取られても、冥界には直接影響ないんだよね」


「そういえば、菖蒲丸はこのゲームには無関心だったな」


「ええ、でも今回の頼蔵の件で少し興味がでてきたわ」


「おぉ!いいね!そうこなくっちゃ!」


 壇は嬉しそうに参加する上での仕様や注意事項を記した説明書を菖蒲丸にわたす。

 外神――ガイジンが多く流入してしまっている以上、壇としては共に対処にあたれる仲間が1人でも多いに越したことはないので、菖蒲丸の参戦は大歓迎である。

 誰に頼まれたわけでもないのに、勧誘用の書類を常に持ち歩いていて、アサイラムの窓口係になっている壇は、頼蔵よりはるかに有能である。


「頼蔵は何をするつもりなの?――というか、みんなは何が目的でゲーム?――に参加するわけ?」


「菖蒲丸、さっきエージェントがどうのこうの言って頼蔵をゆすってなかったか?てっきり分かってると思っていたが」


「あれは、頼蔵がこの男にいろいろ吹き込んで何かさせようとしている時に後ろで聞いて覚えた単語を適当に言ってみただけよ」


「なるほどそういうことか。

 まず、頼蔵はこの男……女?オカマでいいのか――メインキーが、アサイラムを創った河上和正(かわうえかずまさ)の居場所に通じる文字通りのカギだと思っているのさ。」


「そそ、行方不明の河上さんを見つけ出し、このアサイラムの運営権限を奪おうとしてるんだ」


「奪ってどうするの?」


「奴の当初の目的通り、アサイラムを獄卒どもの娯楽施設にするつもりらしいが」


「娯楽施設?そんなことをするより、アサイラムを収容所にするほうが獄卒達の負担軽減になるんじゃないの?」


 この菖蒲丸の見解を聞いた2人は思わず顔を見合わせニンマリとした。

 菖蒲丸はアサイラムというゲームに参加していなかった。それでも、わずかな状況説明をしただけで頼蔵のやり方が間違いだと理解できている。

 伴と壇は、菖蒲丸が頼もしい味方になれる存在だとわかって純粋にうれしいのである。


「普通はそう思うわな。だが、頼蔵は自分の当初の考えを変えようとしないのさ」


「頼蔵は昔からそういうとこあるよね。自分の判断は絶対正しい――ってさ」


 まともな神経の持ち主なら、定員オーバーの裁判所と地獄の負担を軽減する方向で策を考えるはずで、これは、ここにいる3人の死神に共通の考え方である。

 一方、仕事の量はそのまま据え置いて、福利を手厚くして仕事の効率化をはかろうとしている――これが頼蔵の基本的かつ絶対無二と信じる方策である。

 頼蔵のやりかたは、確かに成果は上げられるが、現場からは避難ごうごうになるのが目に見える、まったくもって上から目線の考え方である。


「さすが菖蒲ちゃんわかってるぅー。

 裁判の順番待ちしてる悪党をアサイラムにぶっこんで軽くボコっておけば、閻魔も十王も獄卒たちだってもっと楽に仕事ができるのにね」


 壇の物言いは物騒だが、死神というのは冥界の秩序を守る守護神で、人間の味方ではない。むしろ敵対する側といっていい。


 裁判所は本来、刑罰を課すためだけの場所ではなく、罪人の更生を主目的とした施設である。しかし、日本人の人口増加に比例して悪人も激増し、裁判待ちの大行列が数十年単位で続いている状態である。裁判所は完全に機能不全に陥っている状況で、全国のお地蔵様を大動員しても追いつかない状態である。

 苦肉の策として、裁判を簡略化し、獄卒も24時間フル稼働できるようにシフトを組んで必死に対応している状況であり、これが地獄で起こっているリアルである。


 裁判所改革は、『司法』を担当する死神、安倍 浄妙(あべのじょうみょう)の発案で、ひっ迫する裁判所の現状を改善するために考案され、労務者の保養施設として頼蔵が計画実行した事業である。

 死神は冥界の維持管理をするために生まれたような存在で、それを実行するのは仕事ではなく本能である。

 頼蔵は新興を司る死神の本能に基づき、常に人間の世界を監視し、トレンドにも敏感だった。仮想現実や拡張現実、異世界転生など昔はなかった新しい技術や娯楽、さらに思想概念にも精通し、これを裁判所の業務軽減に利用できるのではないかと目をつけた。

 しかし、着眼点は良かったが死神には具体的にそれらを作り出す創造力はなかったのである。


 そんな時、人間界に転機となる事件が起こる。


 10年前、人間界で爆発的人気を博したアサイラムというゲーム・アニメの衰亡を目撃した頼蔵は、その生みの親である河上和正(かわうえ かずまさ)の作ったゲームを再利用できると判断し、彼を自らの計画を遂行させる適任者としてスカウト――殺害したのである。


 こう聞くと頼蔵は先見の明があるようにみえる――というか実際にあったのだが、行った改革の内容が斜め下だった。

 まず、裁判所や地獄で働く獄卒たちの労働環境をよくするという発想は素晴らしいことだったが、その方向性がまずかった。

 菖蒲丸たちの言うように、アサイラムという場所を罪人の一時収容所のようにして、裁判所に送る罪人の数を減らして獄卒の負担を軽減すればよいものを、負担はそのままで大変な業務に従事する獄卒に娯楽を与えてがんばる力をもたせる――というわけのわからない方針でアサイラムを初期設定したのである。


 具体的にどのような娯楽にするかを考えながらアサイラムの立地候補を探している時、ふと賽の河原の光景を見て頼蔵は閃いた。

 子供たちが石積みをして獄卒がそれを崩して妨害するというのが賽の河原の日常なのだが、そのいじめ的な行為を獄卒たちの娯楽として楽しめるゲームにしようと考えたのである。


 頼蔵はご存じの通り、他者をいたぶるのが何よりも楽しい――という、どうしようもない性格の持ち主である。さらに始末の悪いことに自分がそうなら他人も同じだと考えるタイプで、弱いものいじめをすればハッピーな気持ちになって仕事への活力が湧くだろうと真剣に考えたのである。

 彼なりの善意から生まれた発想で、本人はとてもいいことをしていると信じて疑わない。


 その頼蔵の歪んだ世界に都合がいいのが『賽の河原』で、そこに河上の作ったアサイラムというゲームをほぼそのまま移設したのである。

 亡くなった子供たちがゲームのプレーヤーとなって、気持ちよく遊ばせておいて、獄卒は子供たちを殺すPK――プレーヤーキラーとなって襲いかかる――という寸法である。


 アサイラム = 賽の河原

 プレーヤー = 亡くなった子供

 PK    = 獄卒(鬼)


 ――このいやらしいシステムが、アサイラムの初期の仕様だった。


 しかし、アサイラムを創るためにスカウト――殺した元ゲームプログラマー河上が、アサイラムの構築作業中に雲隠れし、その後頼蔵に提示された仕様を無視して、次々にオリジナル要素を付与していき、賽の河原――アサイラムは初期の構想とはだいぶかけはなれた、正に異世界となってしまったのである。


「最初の段階だと本当にたいした内容じゃなかったんだけど、途中からかなり自由にアサイラムに入ってこれるように仕様がかわっちゃったんだ」


「厄介なのが、この世界に入ると、その世界の人間として生まれ変わってしまうという仕様だ。俺たち死神もこの世界に入ればそうなっちまう。そうなると死神としての仕事が全くできなくなる。つまりこれは、死神を中に入らせないための仕掛けだな」


「なるほど、ただ隠れるだけじゃなく、死神の力を無効化することによって、追っ手がかからないようにする――と。河上ってやつ結構手ごわいわね」


「頼蔵は一刻も早く河上さんを捕まえてアサイラムを壊しちゃうか、自分の制御下に置こうとしているんだよ」


「俺としてはここを新しい地獄にしたいと思っている。無限に湧くやられるためだけにいるような雑魚役を罪人にやらせて、子供たち――アサイラムでは『亡命者』って言うんだが、そいつらが罪人――雑魚を殺しまくれば獄卒をだれ一人使わずに事実上の地獄として半永久的に機能させる――な?いい案だろ?」


「一石二鳥の案だとは思うけど、賽の河原が完全に意味をなくすわね。保守派は黙ってないんじゃない?」


「そこがネックだな。賽の河原は本来ガキどもが石積みの苦行する場所だからな。おれの案だと子供たちはヒーローになっちまう。制度が変わるってことだから保守派は認めたがらないだろう」


 賽の河原でなぜ子供たちが石積みの業を負わされるのかについては語らない。死神にとっては理由はどうでもよく、現状の冥界を維持管理するのが彼らの仕事であり存在意義なのだから……


「賽の河原を従来のままにするという一点では、リベラルな頼蔵と保守との間で共闘関係になれるわね」


「ただ、今はもうカギがかかっちゃったし、罪人をアサイラムに呼び込むことはもうできないよ。」


「俺としてはこのままかカギを開けておいてほしかったんだがな」


 そう言って寝ている中(あたる)を見る伴。


「でも、それだと外神(ガイジン)の流入に歯止めがきかないよ。僕としてはこれ以上の面倒はごめんだよ」


 そう言って伴と中(あたる)の間に立ちふさがって殺してはダメだと主張する。


「その外神ってのは今どのくらい来ているの?」


「数で言えばもう数千の規模だね。ただそれらのほとんどは無視してもいいレベルの雑魚で、問題は結構な大物がちょいちょい入ってきてることなんだ。」


「例えば?」


「守秘義務があるから詳しくは言えないけど、羽が10枚以上のヤツとか?」


「げっ!」


「大丈夫なのそれ?」


「現状未知な部分が多くてなんともいえないんだけど、中に入れば別のキャラになるってことで、僕たち死神と同じで元の力は完全に封じられるからね。大丈夫だと思う。まぁ彼らも別にここを占領しようなんて微塵にも思わないし、結局神様ってみんな退屈で死にそうなだけなんだよ」


「ひとつ気になるのが、俺たちが今活動できる範囲に、外神らしき連中がまったく確認できていないことだ」


「それって外から来た連中は別のエリアに隔離されているってこと?」


「僕たちが今活動できるエリアは『西カロン地方』ってとこなんだけどね、大きな河というか海を挟んで東側に『東カロン地方』の情報が確認されている。恐らくそこにいると思うんだけど……」


「10年間の成果として、西カロン地方はほぼ把握した。それにガキどももそれなりにできるヤツが台頭して、今その東に向かおうとしているとこだな」


「……なんか意図的に東西にわけられた……って感じね。気のせいかしら?」


「おそらく気のせいじゃないと思う。いずれどこかで鉢合わせる……河上って人はかなり周到に準備をしてアサイラムを創っているよね」


「何か執念のようなものを感じるな……おそらくヤツもこの世界で何かやりたいことがあるのかもしれん」


「それで、結局このゲーム?の最終的な目的って何なの?」


「俺の目標はゲートのカギを開けるか或いはその河上ってのを探し出して罪人だけ入れるように仕様を変えてもらうか――だな」


 アサイラム自体は必要なので、河上に対しては現状維持で、仕様だけかえてもらえばそれでいいというのが伴の意見であり当面の目標である。


「後者はいいけど前者は勘弁してほしいよ。ゲートが開いたらまたいろんなモノがなだれ込んできちゃうよ」


「いろんなモノって外神以外にも?」


「うん、いろいろ入ってくるよ。例えば――」


 今カギが閉まっているアサイラムだが、直前まで10年間カギが開いたままだった。

 その際、流入してきたものは――


 亡命者=亡くなった子供(賽の河原)

 亡遣者=植物状態の人間(中(あたる)もここに含まれる)

 異世界召喚者=普通の人間(ごくまれに紛れ込む)

 特殊アバター=死神(代理人)

 ドラゴン=竜(神話)

 魔獣・神獣=妖怪など(伝承)

 野生生物=動物霊

 ゴースト=浮遊霊や地縛霊、悪霊

 アーティファクト=付喪神

 PK=獄卒

 NPC=冥界の住人(上人、神様、善良妖怪なども含む)

 外国由来の神や悪魔など=未確認


 これらが今現在アサイラムを構成する人員である。


 カギがかかったことによって、今現在は亡命者とPK及びNPCだけがアサイラムに入ることができる。

 ちなみにNPCは極楽で暇を持てあます冥界の住人で、その中には人間だけでなく妖怪や神様なども含まれる。彼らは人間側の勢力に味方をしてくれる。


「こんなにいるのね」


「あくまでこちらで確認できた範囲だけどね」


「壇は基本的に伴と同じ?」


「そう、カギは開けないという条件付きで伴の味方だよ。菖蒲ちゃんはどうする?」


「……その前に、アサイラムでの私たち死神の注意すべきところを教えて。知らないことが多すぎてすぐには判断できないから……」


「僕たち死神は直接入ることはできない。いやできるんだけど、入ってはいけない。じゃーどうやってゲームに参加するかというと、代理人をたてるんだ」


「頼蔵が言ってたエージェントね?確かにこの権限移譲はとんでもない要求だったわね」


 先ほどの頼蔵とのやりとりを思い出し、知らなかったとはいえ、とんでもない要求をしたものだと苦笑する。しかし、まったく後悔はしていない。


「そうそう、信頼できる眷属でもスカウトした人間でもいいから、自分のやりたいことを代わりにやってくれそうなのを代理人として立てて、間接的にゲームに参加するのさ」


「代理人は死神1人つき3名まで。他に、NPCを10人配置できる」


「NPC?」


「ノンプレーヤーキャラクターといって、アサイラム内の町とか衛兵に守られた安全な場所に配置できるキャラクターさ。情報収集はもちろん、噂を流したり、商売をさせたり、クエストを配信したり、冒険以外のことならなんでもできる便利なキャラだよ」


「冥界の暇人たちが、このNPCになって自主的にガキどもを支援してたりするんだ」


「ゲームに参加する時に、必ずプロフィールを書かなければならないんだけど。これが超重要でね。

 性別、開始時の年齢、性格、好き嫌いとか細かく設定できる。

 ただあまり設定を盛りすぎると、融通がきかないとか、行動に一貫性がないとか、おかしなキャラになってしまうからご利用は計画的に」


「最初は勝手がわからんと思うから捨てキャラ作って試すといいぞ」


「捨てキャラって……まぁでも習うより慣れろか」


「そうそう、僕なんか何百回もエージェントを作り直したよ。人間界ではリセマラとかいうらしいけどね」


「細かいことは追々教えてやるから、とりあえずやってみることだな。どんなにいいエージェントを引き当てても、俺らの10年もののエージェントにはかなわないけどな」


「頼蔵って1000回以上もガチャまわしたの?うー何てうらやましいヤツだ」


 壇の本当に悔しそうな顔を見て、ゲーム中毒の恐ろしさの片りんを見た気がした菖蒲丸だった。

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