第34話 「死神の御死事(おしごと)2」

第三十四話 「死神の御死事(おしごと)2」



「えー、第17回アサイラム対策会議を開催したいと思います」


「パチパチパチパチ……」


 第17回アサイラム対策会議の主催、藤原 壇重朗(ふじわらのだんじゅうろう)が、いつの間にか17回目になった会議の開催を高らかに宣言する。

 壇の主催する会議の会場はみんな大好き高級焼き肉店。会場はいつにも増して熱く盛り上がっているが、これは、テーブル中央の炭火焼コンロから放射される赤外線のせいだけではないだろう。

 ちなみに、死神など序列を持たない『お偉いさん』の会合には、円卓が使われるのが一般的である。


 初回の緊急会議を含め、18回を数えるアサイラム対策会議は、会議というよりもただの飲み会なのでは?というツッコミが来そうなほどの軽いノリだが、初回からそういう趣旨だったので苦情は受け付けられない。

 10日置きの開催ということは、日数的に約180日、つまり半年が経過していることになる。その間、5人の会議参加者は主催を持ち回りで開催し、1度もその流れが崩れていないのは驚きである。彼らが思った以上に真面目で熱心なのか、暇なのか、或いはただの宴会好きなだけなのかわからない。いずれにしても独立心が強く徒党を組むのを嫌がる死神の定例会議が半年も続いたのは、太平洋戦争以来のことである。


 いつの間にか17回目を迎えたこのアサイラム対策会議だが、もう1度その主な目標をおさらいしておいたほうがいいだろう。

 この会議の発足当初から一貫している達成目標は、この世界、アサイラムを掌握できる力を持つメインキーと呼ばれる特別なアバターを、死神の陣営に取り込むことである。

 この特別なアバターの中身は、中田 中(あたる)というくたびれた中年男性である。彼が、ある裏技を使って女性アバターとなってチュートリアルをクリアしたことで、アサイラムの世界は本来の姿になって正式に動き出した。

 これまで好き勝手に振舞って無双状態だった死神たちは、本来の仕様になったアサイラムの世界から強制的に退去させられ、強大な権限が奪われてしまう。

 正式なアサイラムにおける死神の権限は、エージェントを派遣して間接的にアサイラムに関与することができるというものである。

 しかし、アサイラムの面白さに心奪われた3人の死神オタクらは、それをよしとせず、あくまで主導的な立場でアサイラムにかかわろうと、他の2人の死神を巻き込んだ5人で、本気でメインキーの奪取方法を議論しているというわけである。


 メインキーを獲得してアサイラムの実権を握るというのが、この会議の最終目標である。

 この目標が達成されれば、アサイラムを地獄の一画として位置づけ、現状満員御礼で立ち見どころか、罪人が溢れ出している地獄の収容状況を大幅に改善することができる。

 死神たちにとっての悩みの種は、エージェントを派遣しての間接関与しかできないことである。

 この、かゆいところに手が届かないもどかしい状況で、如何にしてエージェントを自身の手足の様に動かせるかが攻略のカギとなる。


 この会議における目下の課題は、メインキーの中田 中(あたる)の捜索の為の活動範囲を広げることと、情報を各死神のエージェントたちに効率よく伝達させる情報ネットワークの構築である。

 現状では、メインキーの性別が女性ということ以外、捜索のヒントになるような具体的な情報は何一つ入手できていない。これでは、まるで雲を掴むような話である。

 しかし、頼蔵にはその雲を掴む自信があった。

 メインキーと呼ばれる特別なアバターには、世界に干渉できる恐るべき能力が隠されている。なぜそれが分かるかといえば、頼蔵自身がアサイラムの制作者、河上和正に自分専用のチートアバターを用意するように密かに命令していたからである。

 頼蔵に家族を殺されて、しかも眷属にさせられていた河上は、表面上は頼蔵に従ったふりをしていた。そして、チートアバターの適合者が現れた瞬間、全ての死神をアサイラムから追い出すというトラップが発動し、河上は見事に復讐を果たしたというわけである。

 この河上という男が今もなお行方不明で、アサイラムのどこかにいると思われるが、追っ手から逃れるために逃げ隠れしているだけで、恐れる必要はないというのが頼蔵の見解である。しかし、頼蔵の見解ほど役にたたないというのが会議の見解であり、河上の捜索は行動範囲を広げる傍ら副次的な目標としてエージェントたちにオーダーをかけることになっている。

 アサイラムをこんな状況に追い込んだのは、周囲にバレずに自分だけ得をしようとした頼蔵の所為であり、だいたい良くない事件の原因に頼蔵が含まれるのは、もはや当たり前となってしまっていた。

 頼蔵の告白から、メインキーには凄い能力が備わっていることにもはや疑う余地はなく、そんな凄い人物であればすぐに噂になるだろうというのが会議の総意である。

 その凄い能力を携えて台頭しようとする女性の存在を、噂が世界に広まる前に見つけ出すのが理想で、それを可能にするための高度な情報網の構築が必須となる。


 目標を達成するためには、適当な能力を有するエージェントたちを適正な位置に配置し、効率よく仕事をこなせる仕組み作りが必要となる。

 アサイラムに入ってアバター化すると、当人の記憶は書き換わって、アバターごとに設定された人格を元に勝手にロールプレイを始めてしまう。これはエージェントたちも同じで、彼らは自分たちが死神の眷属であることを完全に忘れてしまうのだ。

 それでどうやって命令を出せばいいのか疑問に思われるだろうが、そもそもこのアサイラムと命名した世界は、死神が作った世界なので、最初からエージェントに命令できる仕様なのである。正確には、死神の命令によって人間界からスカウトされた河上というプログラマーに作らせた世界である。当然、外から管理する仕組みが最初から備わっている。

 管理者特権であるエージェント派遣システムによって、死神は、眷属であることを忘れたエージェントたちに対し、オーダーという形で10日に1回、命令書を発行することができる。

 エージェントは、そのオーダーに絶対服従を強いられることになるが、実行不可能な命令を出したりすれば、責任をとって自害してしまうこともある。そのため、命令を出す側も実行可能な命令かどうかを事前に精査しなければならない。

 対策会議は参加者の意思疎通と命令書の精査をするために設置したものである。決して飲み会をする名目として利用しているわけではないのである。


 その命令を出せるタイミングで開催されるアサイラム対策会議では、現在は主に活動エリアの拡大に向けた組織づくりと、その具体的な活動内容について話し合われてきた。

 その具体的な内容とは、ほぼ全域が踏破され地図が完成している西カロン地方から、カロン海河を挟んだ東側にある未踏の東カロン地方攻略と、各エージェント同士の情報伝達を迅速に行うための情報網の構築である。

 前者は、武を司る平 伴達磨(たいらのばんだるま)が担当し、後者については、今回の会議の主催者である壇こと藤原 壇重朗が担当する。


 アサイラムでは、人と人との繋がりにおいて非常に重要なカルマという指標が存在する。単純な善悪の指標ではないのだが、ほぼ同義なので、ここでは敢えて悪のカルマ、善のカルマとしておこう。

 善の方向に偏ったカルマ帯の集団と、その逆方向に傾いた悪のカルマ帯の集団同士は、総じて険悪な関係になる。つまり、大きく分けて善、悪、そのどちらにも属さない、或いは属することができる中立のカルマ帯が存在することになる。厳密に言えば、嗜好や経済力の違いでそこから更に細分化されるがここでは割愛する。

 西カロン地方に情報網を築く際、問題になるのがこのカルマ帯である。善と悪は相容れないので、同じ組織に属することは不可能である。

 片方のカルマ帯に属すれば、もう片方の情報網から締め出される。そうならないようにするには、双方と交流を持てる中立のカルマ帯の組織が必要で、そこから善と悪双方との繋がりを持つというわけである。

 敵対勢力同士が仲介役を通じて裏で取引をするのは、よくある話で、この組織を安倍 浄妙(あべのじょうみょう)が担当する。

 ちなみに、悪のカルマ帯(低カルマ帯)を担当するのが橘 頼蔵(たちばな らいぞう)で、善のカルマ帯(高カルマ帯)を担当するのが源 菖蒲丸(みなもとのあやめまる)である。

 それぞれのカルマ帯がそれぞれの情報を得て、浄妙がそれを統合してオーダー(死神)に報告し、死神はそれを会議にかけて、次の支持として命令書を発行する。その命令を浄妙の組織が受け取って、頼蔵と菖蒲丸のエージェントたちに伝達するという流れである。一応同じ組織に属するが、頼蔵と菖蒲丸の各組織はお互いの繋がりを全く知らないことになる。

 情報系統を一本化することで、1枚の命令書で死神のエージェント全員に命令が行きわたることになり、つまり10日間の間に5回命令を出すことが可能になったというわけである。

 命令を出した後、10日間の結果待ちをする必要がなくなったことで、一気にスピード感を増したのは言うまでもないだろう。


 全国規模のネットワークといえば、陸上運輸組合、河川舟運組合、冒険者ギルド、暗殺ギルドなどがあげられるが、今のところ陸上運輸組合と、暗殺ギルドにエージェントを潜り込ませることに成功している。河川舟運組合もいずれ掌握するつもりだが、冒険者ギルドだけはガードが固く、派遣ガード以上の役職に就くことは不可能だった。

 ちなみに、各運輸組合は壇、暗殺ギルドは浄妙が担当する。

 全国展開する運輸組合に浸透した壇の下に浄妙が情報仲介役のダミー会社を置き、善悪のカルマ帯と東カロン攻略組が繋がっている。これが、今現在死神達が構築したネットワークである。


 しかし、全てが順調なわけではない。


 主に壇が担当する西カロン地方の情報網の掌握が順調に進んでいるのとは裏腹に、伴の担当する東カロン地方進出を目論む攻略組の進捗状況に黄色信号が灯っていた。ようするに、攻略が全く進んでいないのである。

 これは、戦力拡充のために、子供たちを積極的にスカウトして亡命者の数を増やし、そこから有能な人材を発掘する(これを死神たちはガチャと呼んでいる)という作戦が事実上失敗し、軌道修正を余儀なくされたからである。

 失敗の要因は、2つ挙げられる。

 大人からみれば圧倒的に能力が低い子供をスカウトして数だけ増やしてみたものの、将来有望な人材を得られる確率が想定のはるか下で、非常に効率が悪い作戦だったことが判明してしまったのだ。しかも、百数十人スカウトした中で唯一の天賦持ち、それもステルスという神クラスの天賦持ちが、攻略組に参加しなかったのが痛手だった。亡命者をまとめて集団で取り込めば効率的だと思われたが、その集団にも派閥が出来るなど全くの想定外だったのである。

 もう1つの理由として、現実世界で短期間に子供たちが大勢亡くなるのは社会問題になりかねないし、いくら死を司る死神でも、やりすぎれば他者の怒りを買ってしまう。実際、鬼子母神や複数の子供好きの怒りを買ってしまい、死神としても不要な対立は本意ではないので、この作戦から撤退せざるを得なかったのである。

 以上の理由から、子供たちの積極的スカウト(ガチャ)は中止となった。


 その後、医事を司る死神、菖蒲丸の提案で、病気や怪我などで先が長くない者の中から有能な人材をスカウトする方法にシフトする。

 人間界では医者として振舞っている菖蒲丸は、植物状態にある者が既にアサイラムの住人になっている事実を突き止めていた。

 その最初の発見者が鷹森 晶(たかもり あきら)、アサイラムではアクィラ・フォレスロッタを名乗る成人女性である。彼女は、壇のエージェントの部下として一時期活動を共にしていた。

 さらなる調査で判明したのが、鈴木江里佳(すずき えりか)、アサイラム名エーリカ・ベルリーンである。

 鷹森 晶同様、鈴木江里佳も植物状態に近い状況にあった。そして、偶然なのか、エーリカとアクィラは、現在アサイラム内では主従関係にあったのである。

 現実世界での2人には全く面識がなく、先祖に何か因縁があるのかと血統を遡っても接点が何もない完全に他人であった。

 ただ、唯一の共通点があり、それは、鷹森 晶も鈴木江里佳も不運な生い立ちで、若くして人生をリタイヤせざるを得なかったことである。


 この2人は、アサイラムが始動する以前に植物状態になっている。そのため、閉ざされた今のアサイラムに当時と同じ条件が通用するかは未知数である。

 現状、アサイラムに入るための正規の資格は、『親より先に亡くなった子供』、或いは単純に『亡くなった子供』の条件を満たす者だけにある。

 しかし、どこかに抜け穴があるかもしれない。菖蒲丸は、その抜け穴が鷹森 晶らのように、どちらともつかない植物状態にあると考えている。

 現在、菖蒲丸は、アサイラムの正式開始後、植物状態の人間がどのような動きをするのか調査し、何度かその結果と成果を過去の会議で発表してきた。

 結論を言えば、かなり限定的な条件をクリアして、ようやく確率が五分になる程度にアサイラム入りが可能だと結論づけられた。

 そして、今回の第17回目の会議で、実験ではなく正式な運用のための最終試験として、誰かをアサイラムに送り込むかの決定について話し合うことになっていた。


「アサイラム入りできる最良の条件は?」


 浄妙がいつも通りの態度と口調で簡潔に問う。


「仏教とか、あの世とか、賽の河原とか、漠然としたものでいいから、そういう知識があると自然に三途の川に迷い込んでくるわね。あと、後悔はあっても現世に強い未練があるとダメね」


「なるほどー、じゃー、例えばお寺の住職とかはどう?」


「彼らは知識はあるけど、それを本当に信じているかはまた別の話。最近はビジネスでやってる生臭坊主がほとんどよ」


 いつの世にも、金の為に住職や神主をする輩は一定数存在する。


「大きな寺院で真面目に修行しているヤツとかはどうだ?」


「修行している時点で現世に強く縛られているわ。亡くなっても修業が終わってないことを悔やんで死にきれないでしょうね」


「三途の川まで来れば、強制的に引き込むことは出来ないか?」


「そこまで来てくれれば8割がた成功ね。後は、賽の河原、つまりアサイラムに迷い込むかどうかは運次第」


「確実に入れる方法はないのか……まいったな」


「鷹森 晶や鈴木江里佳に共通しているのは、不運な境遇と絶望、それから死にたいという欲求、或いは、そう思うことすらできない最悪の現実」


「なるほど、絶望と自ら死にたいと望む強い欲求か……」


「拷問すればいいだろう?簡単だろう?」


 浄妙のつぶやきに、実に頼蔵らしい反応が返ってくる。


「鷹森 晶の境遇については前に教えてもらったけど、鈴木江里佳の境遇も参考までに知りたいわね」


 菖蒲丸は、浄妙の求めに応じ、鈴木江里佳の経歴を簡単に説明する。


 4歳の頃に父親を亡くし母親と暮らす。

 7歳の時に母親が再婚する。義父には4歳の娘がいて義妹ができた。

 しかし、2年後の9歳の時に母親が病気で急死してしまう。そして、12歳の時に義父が再婚。翌年、弟が誕生する。

 母親が亡くなった時点で、この一家との血縁が無くなり、当然のように継母との関係が悪くなった。

 血縁上完全に他人になってしまった家にはいずらくなり、高校進学と共に働きながら通える定時制高校に進学。

 働きながら必死に勉強し優秀な成績を修めて卒業。

 貧乏暮らしの経験を生かして、節約やアイデアグッズ等をブログや動画投稿サイトで紹介し投銭や広告収入を得る。これを学費にあて通信大学を卒業する。

 教員免許を取得し塾の講師などをしつつ、副業もこなし生活はかなり安定した。

 しかし、ネット上で急に誹謗中傷が増えはじめる。

 人気が出れば多かれ少なかれこういった誹謗中傷はあるもので、これまでも何度かそういったトラブルはあり、その都度弁護士に相談して解決してきた。

 しかし、この時の誹謗中傷は常軌を逸していた。家族しか知らないような個人情報の流出が相次ぎ、身の危険を感じ引っ越しを余儀なくされた。しかし、誹謗中傷と個人情報の流出は止まらず、引っ越し先がすぐにばれてしまう。

 4度目の引っ越しで耐えきれず警察に相談。かなり悪質だと判断し刑事告訴に踏み切る。

 そこでこの犯行が元家族らだったことが判明する。

 血の繋がらない他所の子と疎まれていたことは分かっていたが、ここまで憎まれているとは思っておらず、この現実を受け入れられずに強いストレスで精神が不安定になる。

 最初は軽い気持ちだった、という元家族の反省の色が見えないテンプレートな言い訳。そして、家族間の問題でご迷惑をおかけしましたという無責任な形ばかりの謝罪。これがとどめになり、完全な鬱状態になってしまう。

 本当に恐ろしくて家族を信じて相談していた裏で、それをネタに誹謗中傷していたのである。

 血は繋がらなくても家族だったはずだ。その信じていた家族に裏切られる絶望は計り知れず、衝動的に自死に走った。しかし、精神錯乱状態の彼女は自死に失敗してしまう。

 その後に残ったのは廃人となった鈴木江里佳の形をした何かだった。


「鷹森 晶とはまた別の意味で不幸だな」


「やっぱり家族の問題は血みどろで威力が半端ないよね」


 言葉とは裏腹にとても楽しそうに言う壇。


「血が繋がっていない家族など、そもそも家族ではないではないか!こんな偽物の家族さっさと殺しておけばよかったのにバカなヤツだ」


 気に入らなければ殺せばいい。実に頼蔵らしい意見である。


 死神という存在は、人間に対する同情など欠片も持ち合わせていない。

 歩いていて気づかずに踏みつぶした蟻や、うっとうしいハエを反射的に叩くのと同様に、その死をいちいち気に留めることはないが、それでも、無駄な殺生はしないと気を付ける。死神にとって人間とはその程度の存在である。

 人間の殺害を生業とする死神は、その作業に特別な感情は持たない。それでも、命を頂く者としての最低限の礼儀は持っている。

 命を頂くという意味で、『いただきます』と、命とそれを処理した者に対する最低限の礼儀を体現するのは人間も死神も同じである。

 死神とは、人間の及びもつかない異次元の存在ではなく、同じ死生観を共有する同郷の存在であり、単に奪う者と奪われる者としての立場の違いしかない。

 人間が生きるために他の命を奪って糧にするように、死神は人間の命を奪うことが存在理由なのだ。


 浄妙は、人間の不幸な生い立ちにいちいち感傷などしない。だが、鈴木江里佳の境遇に同情の念くらいは持つことができる。人間だって、道端の生き物の死骸を見て可哀そうにと一瞬思うことはあるだろう。それと同じである。


「まったく傑作だな。ここまで不幸をこじらせる前に、大量殺人でもやらかして死刑にでもなったほうが気持ちいいだろうに」


 実際にそうやってたくさんの人を巻き込んで死ぬ人がいたりするので笑えない話である。


「あはは!確かに!」


「もぐもぐ、もぐもぐもぐもぐ(どうせ、最後は死ぬのにな)」


「ええい!食いながらしゃべるな!この脳筋が!」


 その一方で、その見事な不幸っぷりを嘲笑って、文字通り他人の不幸で飯が美味いを地で行くのが橘 頼蔵という死神である。

 人間に対する特別な感情はないものの、この不幸な境遇を哀れだと思う程度には良心が備わっている菖蒲丸としては、この頼蔵の態度に怒りを通り越して脱力しかない。

 これは、蟻の行列に小便をたれて巣穴を水攻めにしたり、踏みつぶして無敵感を味わっている悪ガキと同じである。

 頼蔵が本物の悪ガキならまだ救いようがあったかもしれない。そして、伴も壇も、頼蔵ほどではないにしろ、基本は似た者同士なのである。


「で、人選はどうするんだ?」


 一見すると冷徹そうに見える浄妙だが、人間に対する感情は菖蒲丸と同じで、一定の礼儀をわきまえている。だからこそ、この男3人の態度に苛立ちを感じ、議長の壇を差し置いて会議の進行を促してしまう。


「まずは、オレの部下を……」


「待った!攻略組の強化が先でしょ!」


「攻略組のトップが会議に参加していないのだから、そんな奴に人材を回す必要はないだろ?」


 見れば攻略組を取り仕切る伴が、食べるのに夢中で全く会議に参加していない。


「伴!食べてばかりいないで会議に参加してよ!もう、次から、場所変えるからね?」


「うぐっ!うぅぅおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉーー…………ゴクン!」


 壇の最後の言葉が刺さったらしく、ハムスターのような頬袋いっぱいの肉を一気呑みして案の定喉を詰まらせる伴。このまま絶命でもしようものなら一生笑い者になって永久に語り継がれたことだろう。

 喉に詰まった肉にさらに肉を追加して押し込んで、無理やり飲み込むことに成功した伴は、三途の川が見えた、などと笑えない冗談を言って場を和ませようとしたが、白い目で見られていることに気付いて面目ないと頭を掻いて謝罪する。


「ちゃ、ちゃんと話は聞いていたぜ?いよいよ本番ってことだろ?」


 コップ一杯の水を一気に飲み干して一息つく伴。その後にぶはーっと吐いた息が、正面斜めの席にいた菖蒲丸に届いてしまい、その不機嫌そうな顔を見て、苦笑いしながら手を合わせて謝罪する。


「どんな人材が必要なの?」


「欲しいのは生産職系、裏方だな……職業は挙げたらキリがないが、強いて言えば……まずは大工かな」


「大工?」


「ああ、10日程度の遠征ならキャンプで問題ないんだが、それ以上になると屋根のある部屋で寝ないとコンディションが下がったまま回復しなくなるんだ」


「コンディションの低下は食事面でカバーできない?」


「高コストの食事を用意するには、それなりの料理人と設備が必要だしな。無理ではないんだが、今後のことを考えると、恒久的に機能するコテージをダンジョンに複数配置して拠点化したいんだ」


「なるほど、一定レベルの拠点になれば、ガードを派遣してもらえるかもしれないし、長い目で見れば建築系の人材を厚くしておくといいかもね」


「だろ?」


「つまり、攻略は長引くってことだな……まぁこの際仕方がないだろう」


「そういう頼蔵の準備はどうなの?」


「こっちは順調に育ってるぞ。街で落ちこぼれているクソガキどもを騙して、引導を渡してやる。生きる価値のない役立たず達だ、せいぜいオレたちのポイントになってもらおう」


 アサイラムは、賽の河原をベースにした機能拡張版である以上、子供たちの石積業は必須要件である。この石積みの作業が冒険者としての成功と失敗のスパイラルである。

 元々頼蔵が自身の目的のために造ろうとした世界なので、アサイラムの基本仕様は替えることはできない。できるとすれば、それはメインキーを獲得した後である。


「菖蒲丸の慈善事業の邪魔はするなよ?」


 悪に偏る頼蔵に、子供たちの救済で対立する善側の菖蒲丸の邪魔をするなと釘を刺す浄妙。アサイラム内でもこの2人は対立関係にある。


「ガキ共の供給バランスくらいは考えてるさ」


 アサイラムにやってくる亡くなった子供たちの人数は、頼蔵が気まぐれで殺してまわれるほど多くはない。需要と供給のバランスを考えずに殺しまくれば、あっという間に枯渇してしまう。

 年間200人前後アサイラム入りする亡命者の中から最低3%程度、冒険者として立派に独り立ちしてもらわないと、ベテランの数が減少に転じてしまう。そうなれば、当然、攻略組の人材確保にも影響が出てくるのは分かり切ったことで、頼蔵もそこまで愚かではないということだろう。

 橘 頼蔵という死神は、三度の飯より人殺しが好きという最悪の人格以外は、死神としてはかなり有能な部類といえるのだ。


「建築家ね……」


 頼蔵の声が自動的に遮断される器用な耳を持つ菖蒲丸は、伴の希望に沿うような人材のピックアップをすぐに始める。

 菖蒲丸は、日本中の医療施設、健康診断の記録などを掌握しているので、必要な人材を探すときは、必要な職種からではなく病歴や基礎疾患等の記録から検索している。

 以前、36人の子供たちをアサイラム入りさせた時の手口が正にそれで、基礎疾患を持つバスの運転手から希望条件をヒットさせたのである。

 今回も同じ方法で、数名の二等建築士をピックアップした。二等建築士に絞ったのは、要求される施設の規模が比較的小さいものしか建てられないダンジョンの中だからということと、検索対象は出来るだけ絞りたいからである。

 この条件でヒットしなければ、一級建築士や、下働きの職人、工務店の従業員と手を広げる。要は資格の有無ではなく能力であり、実際に現場で働く下職の方が有能だったりするのは、1000年前から同じである。

 そして、有能な者ほどよく働くので、事故、怪我、ストレスにさらされやすく、検索にヒットしやすいのだ。逆に怠け者程健康で、勝手にフィルタリングされる。


「えーと、確実にアサイラムに引き込むために、3人くらいで試しましょうか?」


「大工はいくらでもいるだろうが、死にたいヤツはそんなにいるもんなのか?」


 もぐもぐしながら問いかける伴の意味不明な言葉を脳内で翻訳して理解する菖蒲丸。読唇術ならぬ読頬袋術が可能なのは、それなりに長い付き合いのおかげだろう。あきれている浄妙はともかく、頼蔵も壇も何を言っているのか理解しているようだ。


「現場で働いている職人なら、事故で負った怪我が元で半身不随とか、自殺を考えてもおかしくない事情は多いでしょう?」


 冥界にいる時間より現代の医療現場にいる時間の方が相対的に長い菖蒲丸は、デスノートとでも言うべき個人用のタブレット端末を見ながら、いつもの口調で事も無げなことをつぶやく。

 頼蔵が嫌いで嫌いで仕方がない菖蒲丸だが、常に時代の最先端を行く彼からもたらされる向こうの世界の最新技術は、最新医療に携わる菖蒲丸にはなくてはならないものになっている。しかも、普段は嫌味で恩着せがましいくせに、最新技術は気前よく周囲に配るのだ。これが頼蔵と縁を切りたくても切れない理由なのである。

 損得を考えず感情論だけで頼蔵から距離を置いた死神達が、あっという間に過去の存在に成り下がっていったが、菖蒲丸としては我慢を総動員しても時代の最先端にいることに価値があると割り切ったのである。

 このタブレットもその我慢の甲斐があった、いわば努力賞である。


 小柄な菖蒲丸の細くしなやかな指先が、お気に入りのタブレットの画面をチョイチョイと下から上に弾く。その姿は可愛らしく、遠目には年端のいかない少女に見えなくもない。しかし、その端麗な容姿と思慮深げな表情が、その印象を180度かえてしまうだろう。

 そんな菖蒲丸が作業に没頭しはじめると、今まで五月蠅かった男3人が静かになった。

 地獄の一丁目の繁華街の一画にある高級焼き肉店。そのVIP専用の個室が急に静かになったので、店員が不思議に思って様子を見に顔を出すが、頼蔵があっちにいけという手仕草をして追い払う。

 死神各自に割り当てられている殺してもいい人数枠を、菖蒲丸からシェアしてもらっている3人は、いろいろな意味で彼女に頭が上がらない。そして、彼女が最も嫌うことが作業を邪魔されることであることを彼らはよく知っている。

 自分に利のある人物に対して便宜を図るのはどの世界でも共通である。

 そんな4人の関係を興味がなさそうに眺める浄妙は、菖蒲丸の表情の変化を見て、何か名案めいたものを見出したことを悟り、彼女の第一声を肉を頬張りながら静かに待った。


「(ふむ……この人間は面白そうね)」


 菖蒲丸は、ある人物を見つけてそれをタブレットの画面いっぱいに表示して、隣に座る浄妙に手渡す。

 受け取った浄妙は、菖蒲丸がアタリをつけた人物のプロフィールを画面をスクロールさせながら読み込んでいく。そして、読み終わると表情を変えずに、隣の頼蔵の顔を見ずにタブレットを手渡す。

 頼蔵の隣の伴が乗り出してそれを覗き込み、伴と菖蒲丸の間にいた壇が我慢できずに席を立って頼蔵と伴の間に割り込んでくる。

 悪態をついて追い払おうとする頼蔵のことなど気にする様子もなく、壇がテキストを読み上げていく。


 要点だけをかいつまんで説明すると次の通りである。


〇今回のターゲット

 森永 日出夫(もりなが ひでお) 54歳


〇家族構成

 妻、仁美(旧姓:新妻)42歳

 長女、永久恋愛(えくれあ)13歳 いわゆるキラキラネーム

 

 森永工務店を経営

 12歳年下の仁美の猛烈な求婚のすえ結婚、すぐに長女、永久恋愛(えくれあ)を出産。

 結婚8年目に、仁美の浮気が発覚。興信所の調査で複数人と結婚以前から関係が続いてることも同時に判明する。当然離婚。

 永久恋愛(えくれあ)は、父親の日出夫に引き取られる

 しかし、永久恋愛が結婚前に関係していた男との間に出来た子供で、日出夫とは血縁関係にないことが判明する。

 ショックを受けた日出夫だが、一人娘に対する情があったので、養子という形で引き取り、これまでどおり自分の娘として育てることになった。

 しかし、事はそう簡単に割り切れるものではなかった。

 浮気が発覚した当時、永久恋愛はまだ幼さの残る小学生だったが、成長と共に仁美に似てきたことで、日出夫の精神が次第に蝕まれていく。


「……なるほど、こいつは、いろんな意味でやばいな」


 伴がボソっと呟き、皆も同意する。

 誰が言ったか不倫は文化などとうそぶかれるが、動物としての本能なのか、男女共々浮気の話は昔から絶えた試しがない。そもそも浮気が悪なのか?と問われると答えに窮してしまう。

 愛の形は様々なので、本能から生じる衝動を社会制度の枠に全て収めようとするのが土台無理な話なのである。要は『バレないようにやれ』という一言に尽きるのだ。

 日出夫には何の罪もない。が、ここまで酷いと悲劇を通り越して喜劇になってしまいそうである。

 浮気性の仁美、その性癖がそのまま文字として表現したような娘のキラキラネームが、この笑えないおかしな話に輪をかける。まるで出来の悪い作り話のようであり、伴の言うやばいの多くは、この名前のことを言ったものだろう。


「日出夫は、もうダメだろうな……」


 頼蔵たちからタブレットを返された浄妙が、もう一度念入りにプロフィールを読む。


「モリナガ エクレアか……美味そうだな。で、母親の旧姓は…………っ!」


 これまで無表情だった浄妙の目が一瞬カッと見開いた。目聡い菖蒲丸でなければ見逃していた一瞬の変化。間髪入れず右手で口元を覆って顔を背ける浄妙の背中が小刻みに震えている。

 2秒後、何事もなかったかのように背筋を正し、咳ばらいを一つしてからタブレットを持ち主に返す。


「……新妻永久恋愛」


 菖蒲丸が浄妙だけに聞こえる程度の小さな声でポツリと呟く。


「くっ!」


 また口を押えて込み上げてくる衝動を必死に堪える浄妙。

 菖蒲丸は、鉄壁の浄妙のツボを知れて得した気分になった。しばらく、このネタで浄妙を揺さぶって楽しもう。


「娘のえくれあちゃんが、成長と共に浮気性の元奥さんに似てきたのよね」


 この世で最も軽蔑する女性と瓜二つな娘。その意味するところを事細かく説明するのは野暮というものである。


「この世で最も愛する者の姿が、この世で最も憎む相手の姿に変わる……」


「忘れようとしていたトラウマが再び鎌首をもたげて襲い掛かってきたってことか。俺なら別に気にせず殺すだけだけどな」


 自分の卵を他者の卵とすり替えて、自分は何もせずに仮親に托す行為を托卵というが、この行為を人間でやったというわけである。


「托卵なんて昔からあるのに、何でそんなに血の繋がりにこだわるんだろうね?」


 壇が不思議そうに問う。地獄というところは、不実不貞な連中が常日頃からたくさんやってくる場所であり、死神の視点ではそう珍しいことではないし、それで大事になるなど理解不能なのだ。


「昔は誰の子かなど気にしても調べようもなかったが、今はDNA鑑定とやらが簡単にできるご時世だからな」


 頼蔵が、綿棒のような道具1本で簡単に血縁関係を調べることができると、専門の菖蒲丸のかわりに皆にドヤ顔で教えてやる。


「えくれあちゃんが中学生になると、母親そっくりになって、父親の日出夫は鬱病になって精神病院で隔離生活ね」


「そこまでおかしくなるものなの?」


 また、壇が不思議そうに問う。


「人によるとしかいえないわね。日出夫は元妻をかなり憎んでいたけど、その憎しみの対象と愛する者が同じ姿になるのは、頭では理解できても心が受け付けられなかったのよ……」


「心と身体の不一致による魂のブレは本質が揺らぐ。これは人も妖も死神も同じだな」


「俺たちは、そんなヤワじゃないだろ」


 死神はちょっとやそっとのことでは軸がブレることはない。しかし、人間は心も身体も儚く脆い。簡単に心を患って、自ら肉体を掻きむしってしまう。

 死神とはそうした生きながら死んでいる者に引導渡すのが本来の仕事だったのかもしれないが、今は昔と違い人が多過ぎて死神の仕事も雑草を抜くような大味な作業にならざるを得なくなったのだ。


「とにかく、こいつはアサイラム入りは確実ってことか?」


「今はまだ正気が若干残っているわね。でも、間もなく一線を超えるでしょうから、期を見計らって回収しましょう」


 これまでの実験や、鷹森 晶などの例から、今回の件は100%成功すると確信する菖蒲丸。


「了解した。んじゃー第2ラウンドと行こうか。肉だ!肉持ってこい!」


「あっ、網かえてくださーい!」


 とりあえず、今回の第17回アサイラム会議で決めるべき案件はもう終わった。後は引き続き宴会を楽しむだけである。


「本当にうまくいくのか?」


 浄妙が何故か口元を押さえながら警戒心を含んだ小声で問いかけてくる。


「病気や怪我のような肉体的な消耗から患う精神の異常は、生物としてはある意味健全といえるのよ」


 因果関係がはっきりしている症状とそこからもたらされる死は、生物としては正常である。これは生と死の両方を知る者でないと理解不能だろう。生しか知らない人間のままでは、到底考えつかない思考領域である。


「なるほど、鷹森 晶、鈴木江里佳、そしてこの森永日出夫に関しては、そういうものとはだいぶ違うな……」


 いずれも、結果として死を選ぶのは同じだが、そこに至るまでの順序が違う。身体が先に弱って後に心が弱るのではなく、この3人の例でいえば、先に心が弱っている。


「魂は循環するのは知っての通り。その魂の器たる肉体も心も、初めから壊れる(死ぬ)ことを前提に作り出される殻でしかない。だから自然に死ぬにしろ、殺されるにしろ、自殺するにしろ、それは正しいことなの。でも、身体と精神がズレで魂が器からはみ出すような心の病は、この循環からみればバグよ」


「その異常事態に陥った魂の持ち主が、まるで生霊のように彷徨うというわけか」


「でも、完全に死んではいないから、三途の川までが精いっぱい」


「三途の川にある賽の河原、つまりアサイラムに流れ着くのは自然な流れというわけか」


「この実験が成功すれば、他の神様たちに難癖つけられずに済むわね」


「森永日出夫のような案件だと、私の司法の力も役にたつかもしれないな」


 不貞を働いた理由で離婚という結果になったわけだが、こうした事例は司法が介入できる余地があり、浄妙であればそこから心身を病みそうな人物をピックアップできる。

 浄妙と情報を密に共有できれば、菖蒲丸の検索精度も格段に上がるだろう。


「データベースを共有できれば、検索も容易になりそうね」


「わかった。あとで接続キーを渡そう」


「ありがとう。ところで浄妙、新妻永久恋愛ってそんなに気に入ったの?」


 感謝の意を示しつつ、気になっていたことをいたずらっぽく尋ねてみる。


「くっ、やめろ!」


 今回の森永日出夫を使った実験は無事成功し、それにより今後のアサイラム対策会議の方針は、必要な人材選びに重点を置くことになる。

 これ以後、アサイラムには能力の高い人材が訪れるようになり、死神たちの攻略組の人員が順次強化されていくことになる。


 しかし、この時、無視していたもう1人の存在がやがて彼らに立ちふさがるイレギュラーになることを、死神たちはまだ知らない。

 人間のちっぽけな心を理解しようとしない死神たちは、そのちっぽけさに足元をすくわれるのである。

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