第33話 「冒険者適性検査」

第三十三話 「冒険者適性検査」



「衛士長、ただいまー」


「おかえりなさい、ミリセントさん」


 何の変哲もない日本語の挨拶。

 ここは西カロン地方の南西部に位置するナントと呼ばれる小さな城塞都市である。

 異国といえば異国だし、異世界なのか?と問われれば、そうかもしれないと答えるしかできない。完全に別次元の世界ではないと思うが確証もない。

 ここは所謂日本のあの世であって、見た目は日本とはだいぶかけ離れていても、本質は日本で間違いない。つまり、日本人が考えた、日本文化を踏襲した見た目だけ中世ヨーロッパ風の世界――というのが正しい表現となる。

 そう思うのは、言語や文字が日本語だからというのが大きいだろう。

 もしかしたら、日本語を話しているようで、実はカロン語なるオリジナルの言語が翻訳されているだけなのかもしれない。文字なども同様にカロン言語で書かれた本を日本語に脳内変換しているだけかもしれない。

 しかし、それも違うと、やはりここは日本なのだと断言できるある理由があった。

 その理由とは、『ただいま』と『おかえり』のやり取りを見たからである。

 挨拶の様式は、それぞれの地域や民族、宗教で『お国柄』が出る。例えば、お互いの頬にキスをする欧米人の挨拶を海外の映画やテレビ番組でよく見かけるだろうが、日本人でこんな挨拶をする者はまずいない。いたらいたで変な目でみられてしまう。

 この『多様な挨拶語の交換』は、日本特有の挨拶文化で、行動を伴う文化的様式を中訳なしで翻訳することは不可能である。


 何気なく交わされた『ただいま』と『おかえり』のやりとりを見て、ここが日本の文化圏を継承した世界だということが理解できる。

 ふと、こんなことを思った。

 もしこの世界がキリスト教圏の、例えばアメリカをベースにした異世界だったらどうなっていただろうか――と。

 『ただいま』に該当する英文自体は存在するらしいが、そもそも、決まった挨拶文を交換する文化がないので、仮に該当する英語訳で日本人と同じように帰宅のやりとりをしても、アメリカ人には違和感があって馴染まないらしい。

 言葉の意味をそれぞれの言語に訳すことは容易でも、それを実際に用いて他国の文化を模倣しようとしても、『私たちはこんなやりとりはしないし、したくない!』という結論に落ち着いてしまう。


 もし、転生した先の異世界が、ロシアとか或いはアラブ世界だったりしたら、上手く立ち回って生き残れるだろうか?正直、生きていける自信がない。

 異世界における『おかえり』と『ただいま』から急に地元の大切さを意識してしまい、思わず考え込んで電池が切れたように固まってしまった。


 穏やかな表情で『おかえり』と迎えてくれたのは、トゥール・サイト衛士長である。

 彼はナントの街のガードリーダーで、ガードというのは衛兵のことである。

 ガードシステムを導入した冒険者ギルドでは、衛兵をガードとカタカナで表記するのが正式だが、漢字表記でももちろん意味は通じる。

 冒険者ギルドという組織自体は、東カロン地方に本拠地を置き、ここ西カロン地方とはこれまで交流がなかった、いわば外国の組織といえる。

 同じカロンを冠して、その位置関係で東西に区別しているので、外国というのは少し違うのかもしれないが、永らく交流が無かったので、恐らく文化的な相違がかなり多いものと思われる。例えば、かつて東西にわかれていたドイツのように。

 現在の日本でも外来語をカタカナで表記するが、恐らくそれと同じようなもので、冒険者ギルドに関しては正式名称はカタカナになる。

 敢えて漢字にする場合は愛称や尊称で用いられる場合が多く、つまり衛士長をガードリーダー、単にリーダーと呼ばないのは、『そういうこと』である。

 だから皆、敬意を込めて彼を衛士長と呼ぶ。

 そして、ガード・インスペクターのリッカー・モンブランが『がーぺ』という蔑称ともとれる略称で呼ばれるのも、『そういうこと』なのである。


「どうかしましたか?」


「あ、いや、何でもない!何でもない!あはは……」


 急に美少女から真顔で見つめられたものだから、衛士長もさぞ驚いたことだろう。中身を知ったらもっと驚くだろうが……


「衛士長、銀輪隊商警備の出発を見届けてきました」


 そこへ、アクィラら銀輪隊商警備を見送った、間の悪さに定評があるフィミオ・ティシガーラが報告をしに戻ってきた。


「ご苦労様です、フィミオさん」


「はー、やっと行ったかー」


「って、ミリー?何で戻って来たんだ?」


「え?帰ってきちゃまずかった?もしかして、まだ、アクィラがいるの?」


「いや、そうじゃなくて、さっきもう二度と来ないと言ってなかったか?」


「ああー、あれは、ああ言っておけば、あの変態もあきらめると思ったからよ。ウソも方便っていうでしょ?」


「そういうことか……てっきり、エグザール地方に帰ったのかと思ったよ」


 正直、誠実、真面目さを、優しさと筋肉で包み込み、それが鎧を着て歩いているのがフィミオという男であり、人を疑うことをどこかに置き忘れてきてしまったらしい。この気質は正直ガードとしてはどうかと思うのだが、それはともかく、純粋で真面目な人柄は好感が持てるので、彼にはずっとこのままでいてほしいものである。


「荷物そのままだし、戻ってくるに決まってるでしょ?」


「それは、まー、確かに……」


 少し考えればわかることだが、それが分からないのがフィミオのフィミオたる所以である。


「ミリセントさん、少しお話が……」


 衛士長が改まって声をかけてくるので、彼の席の前に歩み寄って話を聞く態度をとる。すると見慣れた愛用のバックパックを机に置いた。

 ただ返してくれるだけなら普通にそう声をかければいいだけなのに、話があるなどと前置きするということは、何か重要なことがあるのだろう。


「話って?」


 バックパックを受け取り中身を確認しながら問う。


「水筒を無断でアクィラさんに渡してしまいました。申し訳ありません」


 バックパックの中には大切なお宝である六分儀の形をした測量に特化したアーティファクトと、スティック状に加工した携帯食数本と粗末なメモ帳と筆記用具だけで、長細い円筒状の水筒が収まっていたスペースはすっぽりと空いていた。


「水筒だけで納得してくれた?」


 衛士長の意図はすぐに理解できたので、アクィラがどんな反応を示したか、そちらの方に興味が湧く。


「ミリセントさんとの接点を残しておいたほうが、アクィラさんも正気が保てると判断しました。その作戦通りとても喜んで頬ずりしていましたよ」


 そう言って、最後にクスっと笑う。


「うげぇ、まーでも、あの変態の魔の手から逃れられたのだから安いものね」


「他人の持ち物を勝手に誰かに渡してしまうのは本来犯罪行為になるのですが……」


 犯罪行為であるにもかかわらず、ミリセントに対してフラグが立たないのはおかしいのだが、衛士長は敢えてその特徴を利用させてもらったわけである。


「そんなの、身の安全を確保してもらったんだからチャラでいいわ。それより、いろいろ気を遣ってもらってありがとう」


 衛士長の気遣いに感謝しお礼をしてペコリと頭を下げる。

 スパルチウム製の軽くて丈夫な自慢の水筒だが、既にレシピも作成済みで資源も十分確保しているのだからいつでも複製が出来る状態である。もはや現物の有無はどうでもいいことだった。

 ただ、少し気になるのが、あの水筒の性能の高さが、この世界の技術力と照らし合わせてバランスが取れているかどうかである。特にスパルチウムはこちら側の地域には存在していないだろうから……

 保温性能が現代のステンレス製の水筒よりも高く、それが、こちらの世界の市場に流れる可能性がある。品質が噂になって出所を探られるかもしれない。そうなると死神の嗅覚を刺激してしまう恐れがある。

 しかし、あの変態アクィラなら形見のように肌身離さず持っているだろうし、誰かに売ったり譲渡したりするような真似はしないだろうから、その心配は恐らく考えなくていい。


「よし!後顧の憂いも去ったし、ギルドに行くぞ!フィミオ!」


「は?ギルドに?何故?」


「何故って、ギルドで冒険者になる手続きするからでしょ?自分から付いていってやるって言ったの忘れたの?」


「あ……ああ!!そうだった!」


「もう!しっかりしてよ」


 フィミオは3日分の仕事をしたような疲労感があったので、気分的に終業前の感覚になっていたのである。

 思えば、2人でガードポストを出発し、ギルドで例の事件に遭遇してからまだ3時間しか経っていない。

 プンスコしながらいつものやる気が開店休業中の疲れた表情のフィミオの尻を叩いて容赦なく急かすが反応が悪い。


「あ、でも、ギルドのねーちゃんは事情は理解してるんだよね……行けばすぐに手続きしてくれるかな……あ、フィミオやっぱいいわ1人で行く!」


 フィミオも疲れているようだし、そもそも、気合の足りないフィミオなど、気の抜けた炭酸飲料みたいなもので本来の役目を果たさない。居ても邪魔なだけだろうと判断した。


「あ、ミリー!ちょっと待……って、もういない……」


 ぴゅーっとその場からいなくなってしまう少女の残像を見て、どうしようかと一瞬悩んだフィミオは、衛士長に振り向いて判断を仰いでみる。

 無口な衛士長は、ついていって上げてください、という感じで諭すように頷いた。


「では、行ってきます」


「あっ、少し待ってくださいフィミオさん。恐らくこれが必要になるでしょうから預かっておいてください」


 フィミオは元気のよい少女の後を追おうとしてガードポストを出ようとしたが、そこで衛士長から呼び止められ、そこである書類を手渡された。

 その書類の意味を確認し納得したところで、ちょうどギルドの方から少女の叫び声が聞こえた。恐らく、また引き戸を押して倒してしまったのだろう。

 衛士長とフィミオは顔を見合わせてお互いの苦笑を交換した。

 ミリセントがガードポストに住み着いてから、笑う機会が極端に増えた気がするが、これは気のせいではないだろう。


「やれやれ、では、一旦持ち場を離れますので、後をよろしくお願いします」


「はい、よろしくお願いします」


 ナントのい街の長い1日の始まりが、ようやく訪れたのである。




 冒険者ギルド カント共和国支部 ナント出張所前。


「たのもー!ってうわあああぁぁぁーー!!」


 引き戸であることをすっかり忘れていた。同じ過ちは二度としないつもりだったが、変態からの解放感ですっかり気が大きくなって行動も思考も雑になっていたようである。

 引き戸は、最初から外れやすい設計なのか、材質も粗末で軽い。おかげで倒れても下敷きになって怪我をする危険性は少ないのである。


「うう、ごめんなさい……また、やっちゃった」


 ため息をつきながら慣れた手つきで倒れた引き戸を所定の位置に戻すメイド服姿のギルド員。その横で壊れたおもちゃのように腰を直角に何度もペコペコ謝る。

 このギルド員の女性は、先ほどあの集団の中にいた人と同じ、ミーオ・クォーズィミである。そういえば最初に引き戸を倒した時に直してくれたのも彼女だった。たぶん、倒れた引き戸を戻した回数の記録ホルダーで間違いないだろう。


「いらっしゃいミリセントさん。ご用件は?」


 2度も醜態を晒してすっかり名前も憶えられてしまったようである。しかし、一度目の時に比べ不満そうな様子はなく、予めこうなることを予想していたかのように、そしてその予想が的中したことを半ば喜んだ様子の含んだ笑みを口元に浮かべていた。みっともない姿をさらして恥ずかしかったが、その笑みを見てアウェー感が薄れ緊張がほぐれた。


「そういえば、ギルド入会の手続きでしたっけ?」


 こちらが質問に答える前に答えを言われてしまう。

 ガードポストを出る際に、衛士長とアクィラの会話が耳に入ったのでこちらの事情を把握して先回りしてくれたのである。

 彼女はガード・インスペクターなどとたいそうな肩書を持つリッカー・モンブランが失神するような負のカルマオーラを喰らっても持ち堪えた、なかなかの剛の者である。一見すると酒場のおねーちゃんだが、頭のキレる歴とした正規のギルドの職員である。こんな格好をしているのは、今日たまたま酒場の給仕当番だっただけなのだ。


 うんうんと首を縦に振ってミーオに応えると、酒場ではなく冒険者用のカウンターに案内される。

 ギルドの間取りは、入口正面右側が、奥の方まで伸びる長いカウンターが続き、その手前側が酒場用、奥側がギルド用で間仕切りされている。仕切りの割合は、冒険者用が1、酒場用が3くらいである。

 入口から見て左側が大きなテーブルが並んいることから、ここが酒場の部分だろう。ちなみに客は1人もいない。

 向かって正面奥の壁、ギルド用のカウンターのそばに冒険者ギルドになくてはならない大きな掲示板が見える。しかし、掲示板には特にクエストは貼り出されておらず、今のところ仕事がないか、或いは、貼り出すほどのことでもないということだろう。

 申し訳なさそうに端っこに3枚ほど貼られている掲示物の内容は、軍の入隊募集や、農場の働き手の募集、そしてギルドのお仕事募集記事である。最後の1枚を見て、どれだけ冒険者の仕事が少ないのかと思って若干引いてしまう。これでは冒険者ギルド兼酒場ではなく『酒場(ギルド)』ではないか?いっそのこと『冒険者ギルド(笑)』と改名してしまったほうが潔い。


 奥のカウンターに案内されると、別のギルド員が既に席に着いていて出迎えてくれた。事前に話は通してあったのだろう。初対面ではだいたい変な目で見られることが多いのだが、担当のギルド員は愛想よく応対してくれた。

 こちらのギルド員は、ミーオのような酒場の給仕用のメイド服ではなく、ホテルの従業員の制服のような落ち着いた服装である。なんとなくモンブランの着ていた衣装に似ている。

 ガード・インスペクターもギルドの組織の一部なので、支給される制服のデザインが似ていたとしてもおかしくはない。


 これからいよいよ冒険者の手続きをするというところで、ギルドの引き戸が開いて全員の視線がそこに集中した。フルプレートに身を包んだ巨漢が現れたので、一瞬アクィラの再襲来を警戒したが、シルエットを見てすぐに違うと判断できた。あれは間違いなくフィミオである。


「フィミオ?何で来たの?来なくていいって言ったのに」


「いや……衛士長から一応ついていってやれと……」


 せっかく付き添いできてくれたというのに冷たくあしらわれるフィミオは、少しいじけたようにそう言い訳をする。

 そして、その言い訳をし終える前に、フィミオの登場で中断していた手続きが始まり、1人ぽつんと入口に取り残される。彼はこういう役回りが妙に似合う。


「本日、冒険者適性検査及び、冒険者免許証の発行手続きを担当させていただきます、サーリィ・オーキーと申します。どうぞ、よろしくお願いします」


「あ、ど、どうも、ミリセントです」


 所在なさげなフィミオを尻目に、カウンターの向こうに座る肩まで真っすぐな茶髪に眼鏡姿のギルド員と向かい合って座る。

 一瞬、メガネのギルド員と目が合う。

 自分と髪型が若干かぶるギルド窓口の担当者だが、こちらは鮮やかなピンク色で何かの罰ゲームかと思うほどかなり目立つ。

 誰かに顔を見られる時、まず先にこの異様に目立つ髪を見ていることに気付くのだが、彼女もそれに漏れず最初に髪を見てきた。やはりこの髪色はこの世界でも珍しいのだろう。

 中の人は元からブサイクだったおかげで、見られるにしてもネガティブな視線が多かった。そのせいか彼女の瞳の奥にある僅かな羨望の光が、これまで経験したことのない、ある種の快感を与えてくれた。

 なるほど、見た目が良いということは、こういった視線を集めるということで、否応なしに自分の容姿に敏感になってしまうものなのだ。

 モテない男の視点で見れば、何故こんなにも人が外見を意識するのか理解できなかった。しかし、この視線は確かに癖になるし、人格や性格に大きな影響を及ぼす、大きな力になると確信できた。

 まぁ、カルマを見れば、そんな羨望も一瞬で恐怖に変わるのだろうけど……


「それでは、まず鬼籍本人手帳の提示をお願いします」


 鬼籍本人手帳の提示を求められ、いよいよ冒険者の手続きが始まる。

 冒険者ギルドに限らず、身元の確認には、この鬼籍本人手帳の提示を求められる。この世界に限らずどこの世界でも、それはかわらないだろう。

 最初にこの街にやってきて速攻で捕まった時も、同様に鬼籍本人手帳の提示を求められた。ちなみに、その時対応したのがフィミオである。


「ない!」


「え?」


「ない!」


「鬼籍本人手帳をお持ちではないのですか?或いは見せられない事情でも?」


 サーリィは困った顔で、メイド服姿のミーオと顔を見合わせる。愛想の良かった作り笑顔の表情の裏に、面倒くさそうな本音の顔が見え隠れする。

 この顔はどこかで見た記憶がある。そう、役場で身分証の提示の際に、当たり前に求められた運転免許証の提示要求に対し、免許証は持っていないとドヤ顔で返した時の役場職員の顔だ。


「えーと、紛失ですか?」


「そんなものは最初からない!」


「……本当にないのですか?」


「しつこい!ないといったらない!」


「……そうですか……」


 下町のオヤジの様に、居直って偉そうに胸を張って応える。本当は土方の力で分解してしまったのだが、そんなことどうやって説明していいのか分からないし、それを説明するということは、土方の力の存在を公にしてしまうことになる。だからウソをつくしかないのである。バレなければどうということはないのだ。


「えーと、困りましたね……」


「それがないと冒険者になれないの?」


「いえ、絶対に必要ということではありませんが、鬼籍本人手帳がないと冒険者免許証と紐づけできませんから、かなり不便ですよ?」


「どう不便なの?」


「冒険者ギルドと提携していない施設では当然ながら使えませんし、結局そういうところでは鬼籍本人手帳は必ず必要になります。それとクエストの管理や報酬の振り込みができませんから、常にギルドの窓口を行き来することになります。さらにクエストの共有ができません」


 とりあえず、冒険者になってギルドの大図書館を利用するという目的が果たせればそれでいいと思っている。だから、今説明されたことに関しては、正直どうでもよかったりする。

 ちなみに、何故大図書館を利用したいかというと、白馬運輸商会のサダール・サガ氏から頼まれている馬車の修理に必要な部品の知識を得るためである。


「うーん、そのあたりは別にいいや。冒険者の免許証さえもらえたら」


「なるほど、ペーパー冒険者ですね。確かに冒険者向けに開放している施設を無料で利用するためだけに免許を取得する方も多いですねー」


「そうそう、私もそれ」


「ですが、ギルドへの貢献が無いとすぐに免許は失効されますよ?更新にはそれなりの金額が請求されますし……」


 ギルドの貢献度が高ければ更新にお金はかからないらしい。


「マジかー、そんな美味い話はないか……」


 とは言うものの、図書館を1、2回だけ利用できれば事は済むはずで、その後に失効するなら別に構わない。


「えーと、どうなされます?」


「もちろん、手続きはするわ」


「分かりました。では、手続きを進めますね。えーと、鬼籍本人手帳の代わりに、保証人の書類や保証人本人の同行が必要になりますけど?お持ちですか?」


「はぁ?何で今更そんなこと聞くの?そういうのは先に言ってよ!」


 これだからお役所仕事は困る。そんなもの持っているわけないし、手ぶらで来たのを見ればすぐに察しがつくはずである。


「お持ちではないのですか?」


 鬼籍本人手帳がなければ、それに代わる物があって当然で、無い方がどうかしているという態度である。ちょっとイラっとしたので声を荒げる。


「そんなものあるわけないでしょ!」


 そこは譲れませんといった毅然とした態度で首を横に振るサーリィ。似合っているメガネが余計に苛立ちを募らせる。ムカついたので、サーリィなんて洒落た名前で呼んでやるものかと、『ぱっつんくそメガネ』と勝手にあだ名をつけてしまった。

 とは言うものの、考えてみれば、身分を証明できなければ免許証が発行できないのは当たり前のはなしで、彼女の言うことはもっともである。スーパーのポイントカードを作るのとは訳が違うのだ。


「……しっかし、困ったな……」


 身分証もなければ、身分を保証してくれるような家族もいない。エグザール地方の我が家に戻れば、家族同然のクマゴローがいるが、クマではお話にならないだろう。ましてや、馬も宇宙人もミュータントも同様である。それにしても、何故か友達に人外が多いのはどういうことだろうか?

 エグザール地方の流刑地が今も機能していれば、長老に必要な書類を発行してもらえたかもしれないが、既に撤退してだいぶ時間が経ってしまっている。

 冒険者という存在を教えてくれたカーズ・サトゥー(独身)とも、その後何の音沙汰もない。

 この街のどこかに鍛冶屋のおっちゃんことテッサン・マティオがいるらしいが、既にエグザール地方における公人としての身分は失われているだろう。つまり今はただのハゲオヤジである。


「……むー、やっぱ、ダメか……」


「これは、どうだ?」


 ほとほと困り果てていると、そこにフィミオがやってきて、背後から肩越しに1枚の書類をカウンターの向こうのサーリィに手渡す。


「えーと……あら?これは衛士長さんの推薦状ですね。これなら冒険者100人分の署名にも勝りますね。いいでしょう、これで冒険者免許証の発行を許可します」


 ミーオにもその書類を見せて確認をとり、正式に冒険者としての手続きに入ることを宣言する。


「やったー!流石フィミオ!バンザーイ!バンザーイ!バンザーーーーイ!」


 席を立ち、先ほどまで邪険にしていたフィミオの前で万歳三唱をして、その喜びを全身で表現して彼の功績を称える。調子のいいミーオも真似をして一緒に万歳をしてくれた。

 そして、ガードポストの方を向いて、そこにいるはずの姿の見えない衛士長に手を合わせて、声に出して感謝の意を示す。神様、仏様、衛士長様である。

 本当に衛士長はすごい人だと感心してしまう。こんな上司の下で働きたかったと、向こうの世界での上司運の無さをついつい思い出してしまう。


「まったく現金なヤツだな……」


 そうは言うものの褒められて嬉しいらしく、鼻の穴が広がる素直というか単純なフィミオ。


「コホン、では、さっそく冒険者適性検査をしましょう」


 しばし茶番に付き合ってくれた寛大な心の持ち主の『ぱっつんくそメガネ』さんだが、フィミオの顔に免じて、その不名誉なあだ名は取り消してあげよう。

 そんなこと知ってか知らずか、サーリィはひとつ咳払いをする。そして、カウンターの下から大きな水晶玉のついた何かの装置を「よいしょ」と重そうに取り出す。


「おお?こ、これは!」


 心の中ではキタァ!と叫ぶ。皆まで言わなくてもわかる。この水晶玉に手を乗せて生体情報を読み取り、その情報を紙や羊皮紙などの媒体に書き写して免許証を作るに違いない。そういう描写を何かのアニメで見たことがある。こういうのを1度やってみたかったのでテンションが爆上げだ。


「この水晶玉に利き手の手のひらを乗せてください」


 持ち上げていたフィミオから興味を失い、何事もなかったかのようにさっと身をひるがえして席に戻る。もうフィミオは用済みである。

 そして、言われた通り右手を水晶玉に乗せる。

 ずっしりとした重量感が右手全体から伝わってくる。ただ透明なだけのガラス玉とは違い、光が内部で折り重なって複雑な虹色の模様を浮かび上がらせている。

 冷たいのかと思った水晶玉の表面は、まるで生きているかのように、ほんのりと温かい。これがマナの力なのだろうか?マナと言う言葉は散々聞いたのに、それをその身に感じたことは一度もなかったりする。


「(どきどき)」


 きっと、ピカー!っと水晶玉が輝くに違いない。


「…………?」


「(どきどき)」


 さらに『こ、これは、凄い!このステータスならどんな職業でも就けてしまいますよ!』とかなんとか言われて、福引で1等のハワイ旅行でも当てたかのように、鐘をカランカラン鳴らしてもらえるに違いない。


「…………(あれ?おかしいな……)」


「(どきどき……まだかな?まだかな?)」


 サーリィの表情が心なしか青ざめているように見えるが気のせいに違いない。そういえば、冒険者になったら職業は何がいいだろうか?すばしっこいから、シーフがいいだろうか?でも、個人的には錬金術師になりたい。一応土方の錬金術師とか勝手に肩書を決めてしまったが、大鍋をぐるぐるーっと回す、古式ゆかしい錬金術を体験してみたいのだ。


「……あれ?」


「え?」


「あはは、ちょっと調子が悪いみたいですね。一旦手を離して10秒経ってからもう1度手を乗せてみてください」


 何か様子がおかしい。血圧を測る装置の使い方を間違えたのか、結果が血圧ゼロと出て焦っている看護師さんの姿とだぶる。

 その焦りが周囲に伝播したのか、他の2人も空気を読んで静かに見守っている様子が背中に伝わってくる。

 一旦手を離して、かいてもいない手汗を服で拭ってからゆっくりと10数え、念のためにさらに5つ数えてから水晶玉に手を乗せる。


「どうだ?」


「……あれぇ?おかしいな……」


 おばあちゃんのようにメガネを半ずらしして、少しオーバーアクションで装置を確認するサーリィ。動揺を隠すためか、頑張ってるアピールか、上手く事が運ばない時は、こんなふうに動作が大げさになるのはしようがないことである。


「どうやら壊れてるみたいですね……少しお待ちください。別のを用意しますから……」


 散々迷った結果、装置が壊れていると判断するサーリィ。

 何かを調整するようなスイッチやネジも見当たらず、眺めるしかできなかった。恐らくこの装置の中身はブラックボックスで、専門家以外修理することができないのだろう。

 サーリィが、3人くらい並んで座れるカウンターの隣の席に移動し、その席で使用する装置を代替えとして持ち出してくる。名称不明の謎の装置はかなり重たいらしく、標準的な成人女性より若干やせ型のサーリィにはかなりの重労働である。

 装置を運ぶのではなく、こっちがとなりの席に移ればいいとアドバイスするにはタイミングが遅すぎたので黙ってその作業を見守ることにした。この辺の気の利かなさが女性にモテなかった理由の一つなのだろう。

 運び終えたサーリィの肩が大きく上下運動していたので、落ち着くまでしばし待つ。気の利いた労いの言葉でもかけてやりたいが、気まずさがそれを思いとどまらせた。

 そして、頃合いを見て先ほどと同じように水晶玉に手を乗せる。


「ええー?何で?」


 やっぱり作動せず、思わず天を仰ぐサーリィ。


「ちょっと待って!まさかと思うけど……」


 そこにミーオの待ったが入る。

 装置が1機ならず2機同時に壊れるなどあり得ない。もしかしたら、ミリセントに問題があるのではないかと閃き、被疑者の後ろから乗り出し、左の肩口から手を伸ばして自分の右手を水晶玉に乗せてみる。

 すると、水晶玉がピカーっと白く輝き始める。


「あ!作動した!」


 鉄製の重いプレートから飛び出た台形の台座の上に水晶玉がはめ込まれており、そのはめ込んだ台座の隙間から、レコードプレーヤーのトーンアームのようなパーツが伸び、膨らんだ先端に下向きに針が見える。このアームは宙に浮いている感じで微妙にゆらゆら動いている。

 アームの先端部の下に免許証の無記名の台紙が予め置いてあるので、針の先からレーザーが出て情報を印字するのではないだろうか?

 或いは、針で突き刺し、その圧力で台紙の下地の色を滲ませる、ドットインパクト式の印刷法かもしれない。

 いずれも、こちらの世界では古い技術の仕掛けだが、こちらの世界では最先端になるのだろう。


 光を反射するだけの水晶玉は、ミーオに触れられると、自ら真珠色に輝きだし、不安定なトーンアームがピッと固定され、その後、カクカクと初期動作を始める。

 装置は何も問題なく動作しているようである。

 壊れたと思ってカウンターの横にずらしていた最初の装置を、今度はサーリィが試してみたが、やはり問題なく作動する。

 この状況を受けて、ミーオとサーリィは顔を見合わせ、その後ゆっくりと目の前の少女に視線を向ける。


「え?何?私のせい?」


 ギルド員の女性2名とフィミオの訝し気な態度に、自分で自分を指さして、装置が正常に作動しない原因が、もしかしたら自分にあるのではないかと周囲に確認する。

 皆、うん、と頷く。

 念のため、サーリィを指さしてみたが、ミーオとフィミオまで大きく首を振る。もう一度自分を指したら皆うんうんと頷く。


「私が悪いの?何で?」


 もう一度、ミーオが離した水晶玉に手を乗せてみる。


「…………」


 たった今、生き生きと輝いていた水晶玉は、触れたことに気付かないかのように沈黙を保ったままだ。

 自分が装置の管理を怠って壊してしまったのではないかと勘違いして、責任を感じて青くなっていたサーリィは心底ホッとしたような様子である。恐らく弁償となったら、給料の数か月分が一瞬で飛んだに違いない。


「それにしても、何故?」


 その疑問は当然だろう。今までこんな経験はなく対処法も教わっていない。

 特定の人物だけ装置が作動しないというのは、どんな原因が考えられるのだろうか?

 フィミオもやってみてと、無理やり水晶玉に手を置かされる様子を尻目に、2人のギルド員が必死に唸っている。


 この装置は、水晶玉に込められた魔力によって、触れた人の生体情報を吸い出し、免許証となる台紙にその情報を送り込んで、さらに本人と魔法的にリンクさせるものである。

 通常であれば鬼籍本人手帳も装置のどこかに挿入して、本人と免許証、そして鬼籍本人手帳を魔法的にリンクさせて、各種手続きや口座の紐づけなど冒険者免許証1枚で済ませるようにするわけである。

 どのような働きをするかというと、保険証、預金通帳、マイナンバー等の機能を1枚の免許証にまとめられるという感じである。


 ギルドに登録して冒険者免許証、或いは生産者免許証を作ると、個人ボックスという貸金庫のような専用ストレージを獲得できる。金庫といっても書類をしまえる程度の非常に小さなもので、ここに鬼籍本人手帳の原本を預けることができ、代わりに普段使い用の手帳の写しを利用できるようになる。

 鬼籍本人手帳には、本人の本当の名前、諱(いみな)が表示されている。諱は忌み名とも書き、隠された本当の名前をいう。死後にあの世で名乗る名前でもあり、呪術的なものに利用されないように、他人には教えないのが普通である。

 現代に置き換えれば、通称である字(あざな)がID、諱がパスワードになる。

 具体例を挙げると、フィミオ・ティシガーラが字でIDとなり、恐らく諱はテシガワラ・フミオ、漢字で書けば勅使河原文雄になるのだろうが、これが誰にも知られてはならないパスワードである。

 何故、この仕組みを理解しているかといえば、死神から直接ネタバレをされていることと、自分自身の鬼籍本人手帳を分解して、中身を確認しなかったおかげで、向こうの世界の人格のまま、この世界のアバターになってしまったからである。

 あの時、鬼籍本人手帳を見てしまったら、恐らく記憶を失って、手帳に書かれた通りの人物としてこの世界を生きることになっていただろう。


 冒険者の職業には盗みを得意とする職業やスキルが存在し、鬼籍本人手帳が盗まれる可能性が往々にしてある。その為、ギルドは盗まれても諱が明かされないように、鬼籍本人手帳の原本を厳重に保管して預かるサービスを同時に行っているのである。


 鬼籍本人手帳の写しに冒険者免許証を貼り付けると、身分証、銀行口座、クエストの管理、パーティー管理、メッセージ管理、遠隔注文など、様々な機能がこれ一冊で全てまかなうことができる。

 これは、現代に置き換えるとスマホのような感覚になり、冒険者が手帳を覗き込んで何やらいじっている、今と大して変わらない光景をクリプトなどでは多く見かけるらしい。


「おかしいですね……」


「何でスキャナーが作動しないのかしら?」


 この装置は、正式名称かどうかはわからないが、スキャナーと呼ばれているらしい。


「あの、思い当たることがあるんだが……」


 メイド服と制服姿のギルド員2人が、原因不明の事態に陥ってにっちもさっちもいかなくなっているところに、フィミオが何故か申し訳なさそうな顔で手を挙げる。


「ミリセントはエグザール地方出身なんだ……」


 フィミオは途中まで言いかけてその先の話を濁らせるような歯切れの悪い説明をする。2人のギルド員は、その後に何か言葉が続くのかと思って、間が一瞬あいてしまう。その後、だから何だ?といわんばかりの表情で、フィミオを見ていたが、彼の言っている意味を理解して急に色めき立った。


「エグザール地方って、あそこは確かマナの枯渇地帯……」


「ミリセントさんは、そこで生まれたのですか?」


「うん、そだよ」


「なるほど、もしかしたらミリセントさんにはマナ抗体がないのかもしれませんね」


「マナコウタイ?何それ?」


 初めて聞く言葉である。そもそもマナというのも皆は当たり前に口にしているが、その存在を全く認識できないので、それ自体が眉唾だと疑っている。


「そもそも、マナって何さ?」


「マナというのは、『これがマナです』と実物をお見せできる類の物ではありません」


「ええー!そんなもの、どうして存在してるって証明できるの?」


「それは現にマナを原動力とした魔術やインフラが存在しているからです」


「うーん、納得できないな……」


 自称霊能者がそこに霊がいる!と言ったのを真に受けるほどピュアではない。それと同じで、マナは常にそこにあると言われてもはいそうですかとはならない。

 ただ、霊という存在に関しては、この世界にきて実感できた気がする。ちょっと信じられないと思うだろうが、ここにいるフィミオも含め、この世界の住人は既に亡くなっている人たちなのだから……


「マナは観測できませんが、実際に魔法の源、魔力と同義として扱われています。観測できないため、マナを概念と唱える学者先生もいますが、エルフといった一部の種族が、呼吸するのと同じように、マナを自在に操っています」


「そのエルフが、魔法の力でカロン地方を支配していたという伝承が残ってるし、実際にその力で西カロン地方は動いているのよね」


 後ろに立っていたミーオが付け加える。ギルド員は冒険者ギルドの力の源であるマナについて学んでいるようだ。いや、学んだというより刷り込まれたというのが正しいだろう。勉強とは得てしてそういうものだが……


「マナを物質として観測しようとする研究は今もなお継続中ですが、魔法に関してかなり個人差、地域差があることから、生命の根源的な『世界物質』と呼ばれる四大元素の混合物とか、別次元から漏れ出した力の残滓とも云われたり、諸説様々です」


 マナを根源とする魔力には、かなりの個人差、種族差があること。マナは一定ではなく、場所によって密度に差があること。特にエルフなどの長命の古代種と呼ばれる古い種族がマナの扱いに長けているといった事実などを総合的に捉えた時、ある一つの仮説が有力になった。

 それは、マナとは目に見えない微粒子(ウイルス)で、それに長時間晒されることで、体内に免疫に似た抗体がつくられるのではないか?という仮説である。

 電子顕微鏡の登場でウイルスという未知の生命体を発見した人類だが、これが開発されたのが西暦1931年、人類の歴史で見ればつい最近の出来事である。この世界の文明レベルでは、ウイルスを観測するのは不可能だろう。

 マナをウイルスと考えれば、抗体ができることに一応の説明がつく。

 この世界の歴史の中で、当初存在していたマナは強毒性のウイルスとして蔓延したと思われる。そして、人類のみならず世界を滅ぼしかけたと云う。その大量殺戮の中で抗体を作って生き残ったのがエルフを始めとした古代種族というわけだ。

 ウイルスは宿主に寄生しなければ生きられず、それ単独では生存し続けることができない。だから他者の肉体を依り代にして共生関係をつくろうと進化する。その進化とは、宿主を殺さない程度に弱毒化することである。そして、時間をかけて共生関係が構築される。

 そこにヒト種を始め新たな人類が現れるが、既に弱毒化して無害になったマナは、新参の種族に対して害にはならず、強い抗体は作られなかった。

 強毒性だった初期のマナの猛威を経験し、強い抗体を持った古代種たちは、そこで不思議な力に目覚めていることを自覚する。

 マナ抗体は、マナを殺すという本来の役割を果たすために、周囲のマナを取り込んでは自衛の為にマナを「この雑菌野郎!」と言ったかどうかはわからないが、そんな勢いで駆逐させていく。

 古代種はその免疫力発動を任意に行うことが可能で、意識を集中すると周囲のマナを体内に取り込み抗体によってそれを消滅させる。その時発生する消滅エネルギーが魔力であり、魔法というわけである。

 エルフのような古代種ともなると、無意識にその免疫反応が発動しているので、常に魔力の放出状態になるのである。


 時代が進み、新たな人類種であるヒト種が現れる。彼らの出自は不明で、少なくとも猿からの進化した姿ではない。考古学的に見て、ある時期を境に急に現れた種族である。

 エルフ系種族からの派生説、研究によって量産された人造生命体説、或いは異世界からの来訪者説と諸説ある。いずれにしても新参種族であることにかわりはない。

 ちなみに、人類種というのは、所謂人型のエルフやヒト、ドワーフ、オークやホブゴブリン、さらにゴブリン、コボルトなどの半獣人、亜人のことをいう。その中で善悪の価値観をある程度共有、或いは妥協して同じ社会秩序の中で暮らせる集団を人間種として区別している。

 その人間種には、エルフ、ダークエルフ、ヒト、ドワーフ、ノーム、半獣人、亜人などが該当する。彼らは決して仲が良いというわけではないが、オークを共通の敵として同盟関係にあるといえる。

 細かいところではあるが、半獣人というのは獣とヒト種のキメラで、亜人はそのキメラ同士が交配して生まれた雑種である。


 ヒト種と明確に敵対関係にあるのがオークを基軸とするオーク帝国で、東カロン地方の南半分を支配し世界征服を目論んでいる。

 オークは征服した国の民を奴隷として使役したり、ペット化した魔獣のエサにするなど、他者との共存を全く考慮していない、極悪非道の恐怖政治で帝国を力で支配している。


 厳密にいえばヒトだから味方で善、オークだから敵で悪という単純な構造ではない。オークの中にも帝国に属さない、むしろ抵抗勢力となっているオーク達も存在しているし、人間種でありながら、同じ人間種と敵対する集団も存在しているので、東カロン地方は混迷の極みにあるといえる。

 だからこそ、西カロン地方を経由した南方進出のモチベーションが生まれたのである。


 ヒトやオークは、エルフなどよりもはるかに新しい種族で、それらは古代種のエルフの視点から新参種と呼ばれている。意外にもゴブリンが古代種族として数えられている。エルフたちは否定しているが、ゴブリンはもともとエルフだったとも云われている。

 ちなみに、ゴブリンとホブゴブリンは名前はゴブリンで共通だが、完全に別の種族である。

 古代種はドラゴンを筆頭とした最強クラスの魔獣、エルフ、ダークエルフ、ノーム、フェアリー、獣人などである。この獣人というのは、半獣人と勘違いされることがあるが、変身能力があり限りなく不死に近いライカンスロープのことで、人狼、ワーウルフと呼ばれる非常に強力な力を持つ種族として恐れられている。

 それらのカテゴリーに当てはまらない唯一の種族が吸血鬼で、その始祖は完全な不死であり、肉体が滅んでその灰が地層に埋もれて化石になっても、数万年の地殻変動を経て再び地上に君臨すると云われている。

 いくつかの氏族に分かれ、同じ吸血鬼始祖同士でも性質が全く異なっており、彼らは彼らで秩序と混沌、或いはそのどちらにも加担しない中立と、それぞれの立場に分かれて水面下で勢力争いが行われているという。


「マナって、ようするに一種の病原菌みたいなもので、みんなには既にその抗体があって、私にはないってこと――でいいのかな?」


「その認識で間違いないと思います」


 ヒト種は、元々マナ抗体がない種族だが、エルフがもたらしたワクチンによって後天的に抗体を得ている。その後、何世代も経てマナ抗体を持つ種族になったというわけである。混血して高いマナ抗体を得た例もあるだろう。

 そして、冒険者になることで、その抗体を極限まで強めてエルフと同じように魔法を利用できるようになるのだ。


「エグザール地方は元々マナがないから、そこで生まれたミリーは、マナ抗体がないというわけか――なるほど、そう説明されるといろいろ納得がいくな」


 フィミオがミリセントに対してガードスキルが発動しなかった謎が解け、霧が晴れた思いになった。

 その当事者であるミリセントとしてもいろいろ合点がいった。

 昨日の大捕り物で、モンブランが衛士長に変装して皆を欺いた例のアレを最初から見破っていた。あれは見破ったというより、マナ抗体がない相手に対してマナに依存した魔法やスキルが影響力を発揮できず、騙すことができなかったというのが正しいだろう。

 それはつまり、マナに由来する魔法の一切合切が無効になるということではないだろうか?


「(え?これって実はすごくない?)」


 そう思ったのは自分だけではなかった。その場にいた3人が真顔でこちらを見つめてくる。

 魔法が効かないということは、この地方の冒険者ギルドが作り上げたあらゆる魔法を無力化できるということになる。

 炎や雷など損害を与える魔法や、能力を低下させる魔法などあらゆる魔法からも無敵になれるし、さらに言えば、魔法によるセキュリティーにも反応しなくなる。つまり、魔法で厳重に保護されたエリアなどに誰にも感知されず簡単に侵入できてしまうのだ。

 これは、冒険者に対してやりたい放題ができるということではないだろうか?

 しかも、こちらには秘密にしている土方の力がある。元々この力はご先祖様がそうであったように、圧倒的な力で相手をねじ伏せ戦争を一瞬で終わらせた力なのだ。

 単純に考えても、始祖ヴァイセント・ヴィールダーと同じことが自分にもできてしまうということである。


「(はっ!やばい!みんなもそれに気づいてしまったかも?)」


 3人の訝し気な視線が突き刺さる。どうみてもこのマナ抗体がない特異体質について、ネガティブに捉えているようである。

 しかし、その値踏みする視線は長くは続かなかった。恐らく大丈夫だろうという結論に至ったようである。

 彼らは秘密にしている土方の力の存在を知らない。だから、単に魔法が効かないだけの非力な少女としか見えてないのだ。ただ、アクィラだけがそのことを見破ったのかもしれないのが、実際のところはどうだろう?

 魔法に対して無敵であっても、無力な1人の少女の力では何もすることができないし、魔法が効かなければ効かないなりに、アクィラがしたように普通に捕まえればいいだけである。

 それよりも、魔法インフラの巨大な恩恵を受けられないことのデメリットの方が大きくて、警戒心よりも同情の念の方が大きくなってしまったようである。

 背後に立っていたミーオから肩をポンと叩かれ、強く生きろよ!という励ましの表情を向けられてしまった。

 そうやって侮ってもらったほうが、こちらとしては動きやすいので、一先ずそういうことにして下手な言い訳はせず相手の好きにさせておこうと思う。能ある鷹はなんとやらである。


「犯罪フラグが立たないのも、ストップシャウトが効かないのも、マナ抗体がないからなのか……」


「魔法といっても魔法使いが使うファイアボルトやスリープの呪文だけが魔法ではありません。フィミオさんが使うストップシャウトも犯罪フラグを認識するスキルも全てマナを根源とする魔法としてひとくくりにされます」


「なんていうか、ようするに改造人間になってるんだね」


「まー、言い方はアレですが間違いではないですね。人はもともとマナ抗体がほとんどありませんから、冒険者になるには体内に大量のマナを充填しなければなりませんので……」


「私たちの身体は充填されたマナによって活性化された魔力に満たされているのよ。そこに予め用意されている職業というアセットを組み込んで、スキルというオプションを追加して強化していく――って感じね」


「オプションを挿入するというのは感覚的にはそうですが、仕組みとしてはちょっと違いますよ」


 ミーオの感覚的な説明に対し、サーリィがダメ出し、いや正確に補足する。


「職業に就いた時点で、その職業の持つ全ての能力を獲得しているのです。しかし、最初は制限だらけで、それをスキルポイントというクレジットを払ってアンロックしていくというのが正しい説明になります」


「冒険者ポイントとスキルポイントの違いは?」


 昨日捕まえた2人の盗賊は、ガードの仕事をすることで冒険者ポイントを稼いでいた。今彼女が言ったスキルポイントとは違うものらしいので聞いてみる。


「各職業で定められている規定の行動をとったり、クエストをこなしたり、或いは、新しいエリア、敵、物に遭遇したりなど、冒険者としての経験に対する報酬が冒険者ポイントですね。この冒険者ポイントで、クレジットやアイテム、情報などと交換したり、スキルをアンロックさせるスキルポイントと交換するのです」


「スキルを使えばスキルポイントも少しずつ増えていくけど、獲得できる量が圧倒的に多い冒険者ポイントと交換して一気にアンロックさせるのが一般的ね」


「なるほどねー」


 アニメやゲームの設定としては比較的ありがちで、もとよりアサイラムと全く同じシステムである。さほど驚くようなことではなかったが、無知の田舎者を演じるには、大げさに感心してみせるのがいいだろう。

 それにしても、ゲームと違って実際に得体の知れないマナなるものを体内に充填し、肉体を改造するというのには少し抵抗がある。これは、整形手術に抵抗があるのと似た様な感覚かもしれない。これは古い考え方なのだろうか?


「何でも自由にできるのも問題ですし、基礎的な能力や知識がない人に、強大な力を持たせるのは、当人にとっても大きなリスクになります」


「だから、ポイント制にして、実力に見合った能力を段階的に提供するシステムにしているのよ」


「まー、普通はそうなるだろうねー。でも、その仕組みは何も問題が起こらない?実際、悪用されてるみたいだけど……」


 このシステムは完璧ではない。これを悪用したのがカツィ&コジーの2人の盗賊で、昨日捕まったばかりである。捕まるまでに多くのポイントを不正に得てスキルをアンロックさせてきたのだ。認知されていないだけで、同様の犯行をギルドの影響力の低い場所で行われているかもしれない――というよりされていると見た方がいいだろう。

 アンロック方式は完璧なシステムではないだろう。例えば、ガードの様に緊急時に全ての能力がアンロックされ、強大な力を発揮できるわけだが、もし、これを任意に解除できる方法が発見されでもしたら大変なことになる。

 最初から最強職と最強スキルで暴れまわれることになり、ゲームで言うならチーターがはびこる完全なクソゲーということになる。

 この世界はゲームではないが、冒険者ギルドなる謎の組織が、世界をゲーム化させているような状況である。にもかかわらず、システムが破綻した時のリスクコントロールをどのように考えているのか全くの謎である。

 現実のゲーム化などあり得ないという人もいるだろうが、実際にこの現代社会がアニメに追いつきつつあるし、時代の最先端を行く技術者は、むしろアニメの世界を目指しているきらいもあるほどなのだから、あり得ない話ではない。

 それに、この世界がアサイラムとの類似性が多いことは既に感じている。そして、アサイラムを創ったプログラマー河上氏は、既に亡くなって鬼籍に入っている。彼の遺作があの世に生きていたとしても、今の自分のこの姿を省みて絶対に無いとは言い切れない。


「もちろん、そうした危険性はギルドでも把握しているでしょう。全てをアンロックしても、恐らくガードには及ばないようにバランスは調整されているようですし」


 そのガードを抑制する力を知りたいのだが、システムに対する盲目的な信仰は危険である。

 彼女らの言い分というか、こちらからは言い訳にしか聞こえないのだが、1つの職業の能力上限は低く設定されており、上を目指す場合は、複合職や上位職に転職するという段階を踏まえることで、仮に問題が発生しても、ここでシステムの破綻を緩和し、問題の進行を遅らせている間に対処するとのことである。


「そのガードを監視する部隊も用意してるしね」


 これはガード・インスペクターのことだろう。

 あの2人の盗賊がシステムの隙を突く不正プレーヤーなら、ガードは不正を監視し取り締まるゲームマスターで、モンブランらの役割はそれらゲームマスターが不正を働かないようにチェックする監査役ということだろう。


「それに、もう一つ文字通り免疫の役目を果たす存在もいるのよね」


「ほほぅ!で、それは何?」


 この世界がアサイラムと同じシステムなら、当然あってしかるべき組織が存在する。それは――


「暗殺ギルドよ」


「はぁ?暗殺ギルド?そんな物騒な看板下げてる組織が表立って存在してるの?」


 知っているが、わざと驚いてみせる。


「確かに名前は物騒だけど、敢えて物騒にしているという感じですね」


「で、その暗殺ギルドが免疫ってどういうこと?」


「普通はルールに従って行動する人がほとんどなのですが、中にはルールに従わない人もいるんです」


「そりゃー、まー、いるだろうね、たくさん」


 どんなゲームでも必ず不正を行う者が一定数存在する。他者と競い合うようなマルチゲーム、更には超人気ゲームともなれば、取り締まりをしなければあっという間にチーターが蔓延してしまう程度に存在している。


「アクィラさんのように、不可抗力でカルマブレイクを起こしてしまうケースもありますし、中にはそれで性格が一変してしまう人もいるのです。特に偏った考えや行動をとる人は、カルマブレイクでこれまでの行動が反転することも多いのです。この性格反転を意図的に行って、これまでの失敗を無かったことにしようとする輩もいます。この恣意的なカルマブレイクはモラルに反する行為とされているのです」


「その禁止行為の具体的な抑止力と罰則装置になるのが暗殺ギルドの執行者と呼ばれる人たちで、犯罪フラグを感知できるガードと同じように、カルマの変化を察知して注意、警告、死刑執行を行うのよ」


 こんな連中の監視の目があれば、不用意なカルマブレイクは避けるだろう。

 表はガード、裏は執行者によって秩序を維持するという2重のセキュリティで守られる。

 ただ、暗殺ギルドは冒険者ギルドとは関係ない別の組織のようで、その実態は謎に包まれている。


「なるほど、そんなものがいるのか……でもさ、その執行者って私のカルマ見たらどうなるんだろう?」


 素朴な疑問である。

 ガードですら最初はとんでもない勢いで反応してきたのだから、執行者なんてやばそうな連中が無反応であるはずがない。


「…………えーと、それは、それとして――」


 そう言って引きつった側の頬を隠すように横を向いて目を逸らすサーリィ。ミーオは、「さて、仕事、仕事」と言いながら客が1人もいない酒場のテーブルに向かう。


「ちょ、ちょっと待ったー!」


「だ、大丈夫ですよ……タブン」


「な、何で目を逸らすの?こっちを見なさいよ!って、後ろ!何テーブルの掃除始めてるのよ!フィミオはもっと……いや、何でもない」


「ミリー、クリプト行きはやめた方がいいんじゃないか?」


 フィミオは自分がそうだったように、ミリセントのカルマを初めて見る者は、恐れるか、気絶するか、敵対するかの何れかになるのは間違いないと思っている。

 この小さな友人の身の安全を考えるなら、執行者の監視下にある大きな街には近づくべきではない。

 ナントのような田舎には、基本執行者は来ないのである。


「ぐはー!やっぱり、その執行者ってのは敵なのかー!」


「執行者は怪しいカルマを見逃さないからな……ミリーのカルマだと問答無用で襲ってくるだろう……」


 ミリセントと初めて会ってそのカルマを見た時、恐怖のあまり魂が委縮しそうになった。しかし、ドラゴンの咆哮にも耐えられるガード固有スキルの一つ『恐怖耐性』によって何とか正気を保つことができた。そんな危険なカルマを野放しにするのは、非常に危険であるのと同時に、常識的に考えて敵性分子――つまりモンスターの一種として、それ相応の対応をされるに違いないのだ。


「…………ま、何とかなるっしょ!で、冒険者にはどうすればなれるの?」


 最初のクマとの戦いも、クマゴローの救出も、宇宙人との闘いも、土方の力で何とかしてきた。そしてこの街で遭遇した様々な事件、出来事も、マナ抗体のない特異体質でなんとか切り抜けてきた。

 クリプトだろうがどこだろうが、何とかなる、いやしてみせる。

 もう腹は決まっている。

 いよいよ最初の街から出発の時である。

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