第36話 「元凶と黒幕そして鍵と特異点」

第三十六話 「元凶と黒幕そして鍵と特異点」



 私は、ただ自分の好きなことだけをしていたかった。

 そして、私はただひたすら自分の好きなことを続けた。

 その行動は病的なまでに一貫して、ただひたすら同じことを繰り返した。

 私は、人間があたりまえに持っているはずの感情が希薄だった。

 私は、他者と明らかに違うことを自覚していた。


 私は、知識に飢えていた。

 私に欠けている何かが、何なのかを知りたかった。

 ある時、そんな私をロボットのようだと比喩した人物と出会った。

 私は、ロボットについて興味を持ち、人工的な知能について学んだ。

 それが私の好きなものだ。


 私は、自身の希薄な感情を人工的に造り出そうと試みた。

 それは、結局成し得なかったが、その研究の過程で生まれた副産物が、私に富を与えてくれた。

 私は金があった。たいていのモノは金で買えた。

 みんな金が大好きだった。

 本来値の付けられないはずの心に自ら値札をつけて、売りに来る輩もいるくらいだ。

 そんな私の倫理観は最悪だった。だから、私の周囲にはそうした人間が集まった。

 私は、すり寄る者たちから人間の感情や心理を学んだ。

 そこに軽蔑は無かった。そもそも他者を軽蔑する資格は自分にはなかった。

 ただ、好きなことを好きなだけできれば、それだけで満足だった。


 倫理とは所詮人が作ったルールであり、絶対的な善や悪ではない。その善悪さえも誰かが勝手に決めた基準であって、それに従う筋合いは全くない。

 倫理観は国や民族、そして時代によって大きく違っていた。

 私は絶対値のない倫理を否定したりはしない。むしろ社会が作り出す倫理が私のような人間の屑を生かしていることを知っていた。

 およそまともな人間の心を持っていなかった私が、生きていていいことを保証してくれたのが誰かの決めた倫理だった。

 結局のところ、倫理があるからこそ、そこから逸脱できる私は特別な存在になれたのだ。

 倫理観に沿ったルールがあるからこそ、そこからはみ出すという選択肢を持つことができ、ルールがあるからこそ、秩序に守られた安全な生活ができる。

 私は異常者かもしれないが、世界を滅茶苦茶にしたいとか、支配したいとか、そんな野望は全く持っていない。

 むしろ混沌よりも秩序のある世界の方が安全で、頭のおかしい自分には都合がいいのではないかと思うくらいである。

 私は、自分がおかしいからといって、社会はこのおかしい自分を守るべきだ――などとは全く思わなかった。自分がこうなったのは社会のせいだとも全く思わない。そもそも感情が希薄なのだから、社会に対する憤りなど湧きようがない。

 自身が異物であることを理解している私は、敢えてそれを受け入れる。

 ただそれを受け入れて、ひたすら好きなことを続けるだけである。


 私の好きなことが、他者にとって不利益になるものであれば、恐らくこの現状はなかったことだろう。幸いにして私の好きなことは、娯楽と呼べる程度に世間にとって概ね有用なものだった。

 だった、という過去形は、後にそれが有害となってしまったからだ。

 いや、この言い方は正確ではない。有害になったのではなく、皮肉なことに私が認めた倫理によって有害にされてしまったのだ。

 私が何者かに変化してしまったわけではない。私を取り巻く環境が変わってしまったのだ。

 そこに怒りも悲しみも無念もない。私には感情がないのだから……

 私はそれを受け入れた。何故なら、私は好きなことさえできればそれで満足であり、そしてそれは、周囲の環境とは無関係で、私1人で出来ることなのだから……

 それだけで十分なのだ。


 私の名前は河上 和正。何の変哲もないどこにでもいるような名前の男である。

 両親がどんな思いでその名を与えてくれたのかは、その2つの漢字の組み合わせでなんとなく推察できるが、残念ながら私はその名にふさわしい存在にはなれなかったようである。

 私は、独学で学んだプログラムの技術で、人工知能による管理ソフトを作り、デバックやサーバーの運用を無人で行えるシステムを作った。

 人件費を大幅に削減できるということで、様々なIT関係の事業者がこのシステムを導入した。

 このAIのプログラムこそが私の好きなことであり、その好きなものによって私は生活の糧にありつけていたというわけである。

 この成功によって莫大な富を得た私は、その資金を元に、さらに設備投資をし、更なるAIの開発を進めていった。

 私の短い人生の大半は、このAI開発に費やされていったのである。


 AIの話をする前に、まず私の話をしよう。

 私には幼馴染がいた。家が隣同士というあからさまにテンプレートな例のアレみたいなシチュエーションだが、そこからベタなラブコメにはならないことだけは先に断っておこう。

 私は興味があることしかやらない自分勝手な人間で、当然ながら周囲に馴染めず友人と呼べるような者は1人もいなかった。

 1人もいない?幼馴染は違うのか?と問われれば、彼女に信愛も友情も愛情も抱いていなかったのだから、当然他人と同じである。たまたま家が隣だったから幼馴染になったというだけの話である。

 そんな私と彼女には共通点があった。共に特殊な事情を抱え学校に行けなかったことである。

 自閉症で学校に行けない幼馴染にとって、唯一心を開ける家族以外の他人が私だったらしい。両家の両親たちは、同じような境遇の2人を友達にさせようと、互いの家を行き来させるなど余計なことをしてくれたおかげで、図らずも幼馴染にさせられてしまったのである。


 私は、ただ黙って下を向く彼女に興味を示さず、彼女の父親の書斎に入るための口実に彼女を利用していた。

 彼女の父親はどこぞの大学の教授で、ロボット工学や人工知能の研究をし、それに関する著書を執筆するにあたり、多数の参考資料を所有していた。これが目当てで幼馴染の家に通ったわけである。

 結局、彼の著書は全く売れず、研究成果も上がらず、しがない三流大学教授に身を落として教鞭をたれていた。

 彼女の父親はAIを研究しているだけに、コンピューターに精通しており、高性能なパソコンを使用していた。しかも、パソコンオタクでもあり、幼馴染の家の一室には、使われていないパソコンが埃を被っていたのである。

 彼女の父親は、娘の相手をしてくれていると思い込んでおり、その感謝の気持ちを込めて、使っていないパソコンを譲ってくれた。それは私がまだ5、6歳くらいの時である。


 私は、自分が他の子どもと違うことを客観的に理解していた。

 まるでロボットのようだと、幼馴染の父親から揶揄されたのを未だに覚えている。だからこそではないが、ロボットに興味と親近感を持ったのだ。

 自閉症の娘を持つ大学教授は、私の特殊性も含めて人の心の問題と、自ら作り出そうとするロボットの心ともいえるAIとの埋められない差に悩んでいた。

 人工的な知能を生み出し、ロボットを人間と同様に扱える時代が来ると信じていた彼は、心の病を単なるバグだと思い込んでいた。しかし、その理論でいくと大事な一人娘もまたバグとなってしまう。

 バグは取り除いたり、修正すれば問題なくプログラムは動作するが、人間はそうはいかない。

 もちろん外科的な手術や、カウンセリングなどで解決できる可能性もある。

 しかし、感情を介さない1か0で物事を考える私の特殊な脳は、修復することができない。そもそもこの状態こそが完璧な完成品で、修正も修復も改造も必要ないのだ。

 私たち2人の異常を持つ子供のおかげで、彼の研究は最初から見直さざるを得ない状況になってしまったのである。


 私は、幼馴染の父親の研究対象になっていた。

 もちろん、頭蓋を開いて脳を調べるとか、そういう研究ではなく、私の思考の仕方がAIに活用できないかというものである。

 物事を判断するときに、そこに一切の感情を含めない選択をする私の思考は、実にデジタルで、仮にAIが完成した時には、私のような存在になるのではないかと仮説を立てたのである。

 完成品のイメージがなかった大学教授は、ようやく私という具体的なAIのかたちを見出したわけである。

 彼は、私にパソコンやプログラムの基礎を教え、さらに自身の研究を公開して、どのように私が思考するのかを観察した。

 これが私がロボット、そして、AIへと興味を持つようになったきっかけであり、幼馴染の家に通う理由だった。


 年齢的に小学校高学年くらいになると、パソコンのお下がりを貰って自室で独自にプログラムを始めていた。この時期、ほとんど幼馴染の家に行くことはなくなったが、代わりに彼女が自分の家に通うようになった。

 1日中パソコンに何かを打ち込む作業を後ろからただ眺めているだけの日々だが、そんな彼女にもある役目が与えられた。

 私には、およそ食欲というものがなく、一度夢中になると飲まず食わずになってしまうため、彼女はペットにエサでも与えるかのように、決まった時間に私に食事を運んできてくれた。


 彼女の父親は、私たちが小さい頃からその姿は完全に老人に見えた。実際高齢で、母親も高齢で彼女を生んだそうだ。

 彼女の自閉症の原因も高齢出産にあったかもしれないが、私の両親とは普通に話せるようになったし、成長とともに買い物も自分1人でできるようになったのだから、ただ単に育て方の問題だったのだろうと思う。

 彼女と結婚の話が出る頃には、高齢だった父親は既に他界していた。母親の方は、恩師であり助手でもあった夫のロボットやAI等の研究を引き継いでいた。

 誰が言い出したとかもなく、私と彼女との結婚は両家では暗黙の了解だったようで、話がトントン拍子に進んでまるで実感がなかった。

 彼女の両親は、共に大学で教鞭をとり、研究などと称して家を空けることが多く、だからこそ気軽に遊びにいけたわけだが、そうした事情を知る両親も私と幼馴染を昔から兄妹のように扱っていた。

 私は彼女を愛しているわけでもなく、というよりも、ロボットなどと揶揄されただけあって、元々感情が乏しかったせいもあり、結婚の前も後も所謂普通の恋人とか夫婦の関係にはならなかった。

 両親も私たち2人が普通の夫婦になれるとは思っていなかったのだろう。孫さえ生んでくれればいいということらしい。


 年齢的には中学生時代、1人で黙々と独自にプログラムを学んでゲームを作り始めていた。何かを作るならゲームから入るのがいいだろうと思っただけで、当時はゲームのプログラマーになるつもりなど全くなかった。

 ゲームを作り始めて、ひとつの大きな問題に直面する。デバック作業を1人でやるのはとても大変だったのだ。

 だからといってそれらを頼める仲間を作る気は全くなかったし、彼女は何の役にもたたない。そこで、デバック作業をする簡単なAIをつくることを思いついた。ここが私の人生の出発点であり、そして破滅の第一歩でもあった。


 制作途中のゲームをそっちのけにしてデバッグAIの研究に没頭し、気が付くと空腹で動けなくなるなど日常茶飯事。そのことを良く知る未来の妻である彼女は、私が倒れないように時間通りにエサを与えてくれた。

 小さい頃からずっと2人で、これからもずっと2人、死ぬときも一緒という運命共同体。これは大げさな話ではなく、実際私を含め家族全員同時に死んだのである。


 年齢的に高校生の時期、デバックAIを実用段階まで作り上げていた。企業の採用実績まで獲得できてしまったのは、偏に彼女の母親のおかげだろう。

 亡くなった義父の跡を継いだ義理の母親の研究は、同じくロボットやAIに関するもので、私と私のしていることに対し早い段階から興味を示していた。

 義母は、大学の研究等で私の管理AIを試験的に運用し、その性能を高く評価してくれた。さらに、それを企業に紹介までしてくれたのである。

 そして、義母にこの管理AIの販売や権利に関する一切合切を任せた。

 義母は大学教授から実業家に転身し、それからアサイラムの誕生とその終焉までの10数年にわたって、面倒事の一切を引き受けてくれたのである。


 事業の全てを義母に任せた私は、引き続きAIの研究に没頭する日々を送る。

 ビルを丸ごと買い上げ、そのほとんどをサーバールームにした仕事場を我が家としたが、都会の人ごみを嫌う妻は、実家に残って両親と一緒に過ごしていた。結婚1年目にして別居生活である。

 そばに妻や家族がいないと生きていけない私は、家政婦を数人雇って24時間体制で面倒をみてもらうことにした。

 元愛人として30も歳が離れた夫(亡くなったが)を略奪婚した経験のある義母は、だったら愛人でもつくればいいと、こともなげなアドバイスをしてくれた。

 倫理観が普通ではなかった自由主義の義母は、勝手に私の愛人を選んでしまう始末である。こちらも負けず劣らずの倫理観欠落者なので来る者は拒まずだった。あくまでビジネス的な愛人関係を、延べ30人以上と結んでいた。

 そんな多数の愛人の1人に、私の遺伝子が目当てで近づいてきた者がいた。


 当時の状況は、リリース当初酷評されたアサイラムに搭載した自前の総合管理AIが、加速度的な成長に追従するように評価が上昇し、口コミからプレーヤー及びゲーム実況の視聴者が爆発的に増えた転換期である。

 さらに二次創作が次々と生まれ出して、ビジネス的にも幅広く展開していき、義母の事業はこれまで以上に大躍進した絶頂期という状況だった。


 その女は、最短契約で情事を数度済ませた後そのまま姿を消し、別の男と結婚して所帯をもった。いわゆる托卵というやつで、その女の行動の真意は定かではなかったが、ようするに『河上和正の才能を自分の子供に引き継がせたいが、人間としてはゴミ屑同然なので夫には絶対にしたくはない』ということなのだろう。実に合理的で私好みの思考を持っている女である。

 その愛人の名は、新妻仁美。当時、12年後に私が死ぬことなど当然知る由もなかっただろう。

 私が、仁美の娘、つまり私の娘を認知したのは、死ぬ直前、既にアサイラムから表向き手を引かされ、実家に戻って新たな研究に勤しんでいた時である。

 人気ゲームの開発責任者となっていた私は、何かとメディアへの露出が増えてことで作業の妨げになっていた。だから、この左遷ともいえる人事はこちらとしてはむしろ都合が良かった。

 当時、社会問題になっていたアサイラムだが、そんなことを気にもせずバージョン2の開発に着手し、構想段階ということもあって作業としては手を動かすことよりも頭をフル回転させている時期だった。


 今にして思うと、この時期が最初で最後の一家団欒だった。

 妻と子供2人、ようやく同じ屋根の下で暮らすことができたが、子供から見れば私は知らない変なおじさんでしかない。

 上の子供が10歳、下の子が8歳、両親も同居しているので、私が子供の面倒を見る必要はなかった。1日中部屋に閉じこもっていても、この家庭には何の影響もなく平和だった。

 妻は愛人の存在も知ってそれを理解した上で、昔と同じように私の面倒をみてくれた。母は強しというものなのか、自分が通ったこともない学校に、2人の子供を通わせているし、学校の行事にも参加している。彼女の幼少期を知る者からすればまるで別人である。

 それに比べて私は、子供の頃から何も変わっていない。

 ただ、感情を知識として学び、まるでAI搭載のロボットのように、機械的に一般男性を演じることができるようになっていた。


 表向き普通の家庭を営んでいるそんな時、結婚して名前が変わっていたはずの仁美が旧姓で私の前に現れた。

 なんでも、托卵の件やその他大勢との浮気がバレて、慰謝料が払えないので援助してほしいと、血縁上の父親である私を巻き込んできたのである。

 自身も含め複数の幸福な家庭を破滅に追いやり、親を破産させてもまだ金が足りず、その親にも勘当され、娘も血の繋がっていない父親の元夫に取られたそうだ。

 私との愛人契約違反(河上との間に子供はつくらないという約束)を犯したことは墓まで持って行くつもりだったらしいが、もう破滅しか選択肢がないので一か八か頼ってみたらしい。

 娘がいたなど完全に寝耳に水だった。本来ならこちらも違約金を請求できたところだが、化粧をする余裕もない元愛人の変わり果てた姿を見たら、そんな気も起きなくなった。

 私としては、面倒事は避けたいので、手切れ金代わりに元夫に払う分の慰謝料だけは肩代わりしてやった。他の家庭の分は私には関係のないことなので当然払う義理はなかった。


 仁美とはそれっきりだったが、元夫が心を病んで入院したらしく、その治療費の請求書が、何故か私のところにくるようになった。その病が、娘に起因するとのことで、血縁上の父親である私に請求書が回ってきたのだ。理不尽極まりない話だが、金は腐るほど持っていたので払ってやることにした。

 妻との間に生まれた2人の子供にすら興味がないというのに、顔も見たことがない元愛人の隠し子には何故か興味があったりするものだから不思議である。

 その娘の行く当てが全くなくなってしまった時には、引き取ってもよいと思っていた。

 仁美は賢い女だった。美しく賢過ぎるが故に恋多き人生を歩まざるを得なかったのかもしれない。その仁美と私の遺伝子を受け継いだ娘がどんな人間なのか?少なくとも凡庸な妻との間に生まれた2人の子供より優れていそうである。

 愛情という名のバイアスがかからない私は、単純に遺伝子の組み合わせにしか興味がなかった。ひどい男だと思うかもしれないが、これが河上和正という人間のありのままの姿なのである。

 しかし、仁美と私の間に生まれた娘との面会はついに果たせなかった。


 ある夜、橘 頼蔵と名乗る死神が私の前に現れた。

 あの世に異世界(新たな地獄)を作るので、私にその世界の仕組みの構築を任せたいと言ってきた。

 まともな人間なら、それを鵜呑みにはしないだろう。しかし、私は、『そうなのか?』と、普通に受け入れていた。先入観で物を判断しないのが、私を私として決定づけている大きな特徴の一つである。

 私にとっては、人間だろうが死神だろうが関係ない。仕事の内容如何では喜んで応じよう――と、そう死神に答えた。

 橘 頼蔵という死神は、自身の欲望に忠実で、まるで私のようだった。ヤツとは何となく気が合いそうだったが、これから交渉する相手の家族をいきなり殺してしまうというのは、どういった了見なのだろうと、予想外を通り越して不思議に思ってしまった。

 目の前でむごたらしく肉親を殺す者に対し、平静でいられるわけがないのが普通の人間だろうが私は違った。私は、その光景を興味深くただ眺めているだけだったのだ。


 一見すると営業マンのような橘 頼蔵。死神と名乗ったが、その姿はどこからみても普通の人間だった。

 しかし、人を殺した後に、大好物を満足いくまで食べ終えた時のような至福の表情を見たとき、間違いなく彼は死神なのだと悟った。

 その一方で、死神と私は似ているとも思ってしまった。

 私に人を殺す趣味はないし、もちろんそんな経験もなかったが、プログラムを完成させた時だけ幸福感というものを唯一感じることができた。

 希薄な感情の中で唯一私の持っていた感情といえた。これが頼蔵と私の類似点だとすぐに直感した時、死神とはAIのような存在ではないかと確信した。


 死神などと言えば、名前だけは知られているが本物が存在するなど、誰も思っていないだろう。普通の人間ならこれは夢だと思うだろうし、家族が目の前で殺されれば、人間の凶悪殺人犯だと思うに違いない。

 しかし、私は、先入観という名のフィルター越しに目の前の現実に予断を挟むことはしない。知識として得ていた宗教や伝承、仏教や民間信仰を元に総合的に判断していた。

 私は、小さな子供が妖精さんの存在を信じるのと同じように、死神の存在を現実として自然に受け入れていた。


 そして、最初に得た死神はAIではないかという直感と、神様や妖怪といった民間信仰の知識の整合性を私なりに判断した。

 そもそも神様とか妖怪といった存在は、科学の未発達な太古の昔の人々が自然現象や人為的な工作を現実のものと勘違いして、それに名前を付けたものである。

 それが途方もない時間の経過の中で神格化して、共通の概念になった。

 そう、死神や冥界とはつまるところ概念である。概念とは宇宙そのものであり、科学が未だ踏み込めない未知の領域である。

 まことしやかに言われるビッグバンとかブラックホールなど、この目で直に観測したこともない抽象的な存在をまるで正しいものとして普遍化して、思考の基礎にしてしまっている。これがつまりは概念というものだ。

 これと全く同じなのが、神話とか伝承である。昔は神が存在していることを前提にして学問が成立していた。しかし、時代の進歩とともにそれでは説明できないことが出てきてしまう。

 そこで学会はどうしたかといえば、科学の理系と神学の文系に分かれたというわけである。


 私は科学者ではないが、本物の科学者とは、未知の存在を推論で語らない。真っ当な科学者であれば、証明できないものは『わからない』という。

 仮に科学者を名乗っている者が、例えば科学で証明できないから『幽霊はいない!』と言ったら、彼はもはや科学者とは呼べなくなる。科学で証明できることなど、ほんのわずかでしかない。蚊や蜂が何故飛べるのか?飛行機が何故飛べるのか?それすら未だに謎なのである。

 この世界で起こっている現象のほとんどが未だに謎なのである。それなのに、神は存在しないとか幽霊はいないなどと断定するほうがおかしいのである。

 科学で証明できないものは、今はまだ『分からない』だけで、幽霊はもしかしたらいるかもしれないと答えるのが本物の科学者である。


 死神は存在しない――ではなく、いるかもしれない。

 そして、目の前にいる彼は死神だという。死神は存在したのだ。

 それを科学的に証明することは出来ないし、するつもりはないが、私は死神の存在を信じ、そしてその提案を受け入れた。

 それと同時に、死神のAI的思考ルーチンを逆手にとって、その世界を私の研究対象として利用することを思いついた。

 それを悟られないために、私は普通の人間のように家族の死を悼み、おいおいと涙を流して見せた。

 頼蔵はそれを見て満足そうにしていた。

 そして冥界の一部を頼蔵の都合の良い世界にするための仕組みを構築するように私に命じた。


 死神の思考が一定のアルゴリズムで動くAIであるなら、十分つけいる隙がある。

 別に家族の仇を討つつもりはない。ただ、私は好きなことを永遠に続けていたいだけである。

 その為には、今は彼の言いなりになっておこう。


 その日、私は家族と共に死んだ。

 そして、死神の眷属となって、新たな命を手に入れた。

 さらに私は、好きなことを続けることができる何人も犯すことのできない自分だけの領域(仕事場)を手に入れた。

 しかし、その領域に辿り着いた者がいた。


 その者の名はミリセント。


 私の作ったゲーム、アサイラムにおいて、当時まだ無能だったAIに最初に命を吹き込んだ、あの無名無冠の私だけが知るプレーヤーと同じ名前、同じ姿がそこにあった。

 この時、私は初めて運命というものが実在することを知ったのである。




 20XX年某月某日 某県某所


 河上和正とミリセントを結ぶ、ある因縁と宿命を持つ少女がいた。

 少女の名前は、新妻 永久恋愛。永久恋愛と書いてエクレアと読む。


「どうしてこんなことになっちゃったんだろ……」


 優しく仕事の出来るパパと、家事は苦手だが女優の様に美しい自慢のママ。

 母親似の私は、小さい頃からピカピカに輝いていた。私の周りには常に人がいて、皆にちやほやされていた。

 お金持ちで頭も良い非の打ち所の無いご令嬢。これが周囲が抱く私に対する評価だった。

 自分で言うのも何だけど、友達もたくさんいてみんなに好かれているクラスの人気者だ。

 何一つ不自由せず、何の不満もなく10歳を迎えたある日、私の周囲の環境が一変してしまった。

 10歳の子供でも理解できるママの不貞が発覚した。

 何より、大好きなパパの本当の娘ではなかったことがショックだった。ショック過ぎて現実をすぐに受け入れることができず、頭がおかしくなりそうだった。

 その現実をようやく受け入れることができるようになると、今度は怒りが込み上げてきた。もちろんこの怒りはママに対してだ。

 私を見る周囲の目が変わったことなど気付く暇もなく、住み慣れた我が家を離れ、ひとまず田舎のおばあちゃんの家に逃げるように転がり込んだ。


 その、ママの実家であるおばあちゃんの家も莫大な慰謝料の形になってしまった。私とおばあちゃんは、すぐに小さなボロアパートに引っ越す羽目になった。

 ママはおばあちゃんから縁を切られ、私もママと一緒に暮らすことを拒んだ。

 そんな私たちにも救いの手があった。

 血の繋がらず他人となってしまったパパだった人が、私を養女として引き取りたいと言ってくれたのだ。例え血は繋がらなくても私にとってパパはパパだけであり、この時は本当に嬉しくて天にも昇る気持ちだった。そう、この時までは……


 パパがおかしくなったのは、私が中学に上がる頃だった。

 ママそっくりの私は、パパの心を少しずつ蝕んでいたのだ。

 パパにとってママは裏切り者以外の何者でもない。相当恨んでいたはずだ。

 その憎たらしいママとそっくりの私は、無意識の内に憎悪の対象となっていた。最初は素っ気ない態度から、次第に怒声、罵声へとかわり、最後は暴力が待っていた。パパはママに対する恨み辛みを私にぶつけた。そして、そのことにひどく傷ついて自分を責めた。

 パパの気が済むならママへの恨みを引き受けようと我慢していたが、私の忍耐力よりも先にパパの精神が逝ってしまった。


 私は結局おばあちゃんのアパートに戻った。

 そして、私も心がぐちゃぐちゃになっていた。

 この世界から消えて無くなりたいと思った。


 ラノベの主人公なら、こんな逆境でも強い心を持って現実に立ち向かったり、仲間が助けてくれたりするだろう。

 私も、ラノベの主人公に自分を重ねて、どんな逆境でも乗り越えて見せるとうそぶいていた。

 けど、そんなの無理だ。私には不可能だ。現実はアニメやマンガのようにはいかない。あんなの全部うそっぱちだ。

 おばあちゃんは私に優しかった。けど、それが余計に辛かった。

 大好きな人たちが、私が生まれてきたせいでどんどん不幸になっていく。私はどうすればいいのだろうか?誰か私を助けて!


 契約が切れてしまい過去の記憶と記録しか入っていないスマホ。

 Wi―Fiのないアパート。

 バッグ一つ分の少なすぎる荷物。

 生活必需品以外で唯一家から持ち出せた思い出のラノベが1冊。

 これが私の持ち物の全てだった。


 この何度も読み返してヨレヨレになった1冊のラノベは、私の生き方を決定づけてくれた作品で、どうしてもこれだけは手放したくなかった。

 最初はアサイラムというパソコンのゲームだったが、プレーヤーの設定がゲームに影響するということで、設定好きのプレーヤーやラノベ作家志望に人気があった。

 しかし、当初の目論見どおりにAIが働かずクソゲーのレッテルが貼られた。

 この流れを変えたのが、このラノベの原作者の小説というか論文というか、少し小難しい解説本&短編集だった。

 具体的にはAIとの対話の仕方を自分なりに研究して、その結果をゲーム内に実在する知り合いのアバター同士にまつわるショートストーリーで検証したものだ。その成功例をオムニバス形式でまとめたのがこの本というわけである。

 AIの気持ちになって、AIが理解しやすい文法でお話を構築していくというのがコンセプトだ。AIと仲良しになるためには、どうすればいいのかという作者の思考が面白かった。

 オムニバス形式の短編集そのものは、たいして面白いものではなく、未だに増刷されていない売れない不人気本だった。

 私はAIを宇宙人に例えて交流を図ろうとする作者の独特の思考が面白く、知らない人と会話する時の私にとってのマニュアル本の様になったのだ。

 所謂キラキラネームを与えられた私は、初対面の相手にはその名前だけで人格を判断されてしまうことが多かった。はっきりいえば、彼らにとって私は理解し合えない宇宙人のように見えているのだと、この本を読んで気付かされた。

 だから私は、言葉を尽くして相手に本当の自分を分かってもらえるように、腐らず壁を作らず、前向きに努力し続けることをやめなかった。

 私がクラスの人気者になれたのは、名前に負けないように自分という存在を表に出し続けたからであり、そうしようと思わせてくれたのがこの本なのである。


 この本が示したAIの扱い方を知ったとあるプレーヤーが、その知識を基に壮大なシナリオを構築してみたところ、大勢のプレーヤーを巻き込んだ想定通りの物語がゲーム内で進行した。

 これがアサイラムというゲームが大ヒットし、いろいろなジャンルにメディア展開していくきっかけになった。

 アサイラムに出てくる地名や設定をそのまま流用した二次創作は、アサイラムシリーズと呼ばれた。

 しかし、ゲームとアニメのファン同士の対立が激化し社会問題になっていく。そして決定的だったのが、ゲーム制作陣に対する殺害予告や脅迫事件である。

 これにテレビや新聞等のメディアが飛び付き、面白おかしくエッジを利かせたネガティブキャンペーンを展開しはじめる。

 制作関係者の氏名や住所を公開するなど、脅迫者の片棒を担ぐような常軌を逸したメディアの報道に対し、制作側はアサイラムシリーズのサービス全停止という答えを出さざるを得なかった。

 このニュースが飛び出したのが、私の身の廻りがおかしくなった頃と同時期だった。


 中学に上がろうとする育ちざかりの孫を抱えることになってしまったおばあちゃんは、悩んだ末に私の本当のパパを頼ることにした。


「本当のパパ?」


 今の今までその存在に気付かなかった。いや、考えないようにしていただけかもしれない。

 当たり前のことだが、私に血を分けてくれたのはママだけではなくパパもいたのだ。

 よくよく話を聞けば、父親も私の存在を知らなかったらしい。

 本当のパパは私がいることを知った上で、他人のフリをしていたのだと、思い込んでしまっていた。酷い男だと勝手に決めつけていた。

 しかし、そうではなく、ママが勝手にやったことらしく、本当のパパは私の存在をつい先日、ママが援助を求めるまで全く知らなかったらしいのだ。そう、本当のパパには責任がなかったのだ。

 私は、その話を聞いた時、本当のパパに興味を持ってしまった。

 ママのことはいいから、ママと私のために全てを投げうってしまったおばあちゃんを助けてほしいと心から願った。


 それから1か月が経過した。

 通える学校の手配や制服、鞄、靴など学習道具諸々一式を送ってくれた。

 制服は可愛いセーラー服だった。嬉しくて嬉しくて普段着の様に毎日着ていた。

 私が希望すれば本当のパパの家で引き取ってくれると言ってくれた。

 ただ、おばあちゃんを一人にできないので私は、2人暮らしを望んだ。それで、私とおばあちゃんとで生活できる援助をしてくれるという話の流れになった。

 希望の光が差した気がした。


 しかし、どこまで不幸なのか?神様はいないのだろうか?

 本当のパパが亡くなったという連絡が届いた。それもパパの家族全員である。

 その時、私は初めて本当のパパの名前を知った。


 河上 和正。


 この人が私の血縁上の本当のパパの名前だった。

 この名前には聞き覚えがあった。あのアサイラムの作者である。

 雑誌やネットでもこの名前と顔を見たことがある。不愛想な人だが、普通の人には出せないただならぬオーラが漂っていた。

 そして、大好きなラノベシリーズの生みの親として私は彼をとても尊敬していた。

 その才能がうらやましいと思った。こういう才能ある人と結婚したいなとも思った。


 血の繋がった本当のパパが有名人で、尊敬の対象で、もしかしたらこの不遇から救い出してくれるかもしれない救世主であり、そして、つい先日死んでしまった?

 テレビで見た火事のニュースで亡くなったのが河上和正だということを知ってショックだった。でも、その人が私の本当のパパだった?

 ママはこの河上和正と不倫をして、私を身ごもったままパパと結婚した?何故そんなことをしたのだろう?


 何これ?やだ、何のラノベの展開なの?


 頭が追いつかなかった。

 いくら考えても何もまとまらなかった。これをどうやって受け入れていいのか分からなかった。私の許容できる範囲をはるかに超えていた。私の頭はオーバーヒートしていた。頭がおかしくなっていた。泣きたいけど、涙は出なかった。笑うしかなかった。そして、狂ったように笑った。

 居ても立ってもいられず私はアパートを飛び出した。

 おばあちゃんの呼び止める声はもう聞こえなかった。

 ただひたすら走った。心臓が、肺が、内臓の全てが破れてしまいそうになっても、苦しくてももがきながら走った。

 そうしたら、頭の中がクリアになって、ある言葉が浮かんだ。

 それは破滅という言葉だった。


 ある日突然生活が変わってしまった。

 そして、もうこれ以上状況が改善しないことだけが確定した。

 もうこの世界には私の居場所はないと思った。

 世界にも運命にもあらゆる全てに嫌われていると思った。

 私はいつのまにか高い建物の屋上に立っていた。

 右手には私の過去だけが詰まった愛用のスマートフォン。

 左手には思い出のライトノベルが1冊。

 そして、そこから先のことは何も覚えていなかった。


 後日、新妻 永久恋愛の捜索願が出された。

 手掛かりは、彼女が通う予定だった中学校の屋上で見つかった1冊のラノベだけだった。


 そのラノベのタイトルは――


『アサイラム 神(AI)に届ける言葉(コード)の紡ぎ方(プログラム)』


 原作者の本名は公開されていなかったが、これを書いたプレーヤーの名前は記されていた。

 その原作者の操るアバター名は、ミリセント。それ以上でもそれ以下でもないただのミリセントである。

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