第39話 「異種族交流」

第三十九話 「異種族交流」



 エグザール地方の家を出てから、かれこれ一月くらいが過ぎた頃だろうか?

 いろいろなことがありすぎて、日付や曜日の感覚が完全に麻痺している。

 曜日といえば、そんなものがあったな――程度にしか覚えていない始末である。

 カレンダーのない生活に最初は戸惑いこそしたが、今はもうすっかり慣れっこになっていた。だいたい、電車や車などの交通手段がないこの世界においては、移動に時間がかかり過ぎて、分刻みでスケジュールを組むなど不可能である。何事もだいたい3日くらい――とか、そういうレベルの時間間隔になるので、体内時計もどんぶり勘定にならざるを得ないのだ。


 ふと、これまで起こった出来事を振り返ってみる。

 2秒で思いついた内容分だけでも、どれも災難と呼ぶべき事件、事故ばかりで、良い思い出などほとんど見当たらなかった。

 それでも、衛士長やフィミオらとの出会いは、とても有意義だった。敵しかいないような、こんな世知辛い世界においても、自ら望んで味方になってくれる存在がいたことは収穫である。

 周囲が敵ばかりだからといって、こそこそ逃げ回っていれば、そうした良い出会いからも逃げてしまうことになる。

 旅はまだ始まったばかり。旅は道ずれ世は情けともいうし、思わぬ出会いが待っているはずである。


 と、そんな前置きをした理由は、クリプトへ向かう予定を一旦保留し、茂みに消えた謎の集団を、よせばいいのに追いかけてしまった言い訳をしたかったからである。


「(どこいった?……お?いたいた)」


 南に去って行く外輪船を尻目に川から離れる集団を追う。そして、3キロメートルほど西に移動したところに、先ほどのゴブリンと思しき集団がたむろしているのを発見した。

 この辺りは、広大な麦畑とダーヌ川の河川敷の境界線に広がる遊水地と思われる空白地で、人の手が入った形跡が全くない。周囲を鬱蒼とした立木と茂みに囲まれた秘密基地のような場所だった。

 そこはどうやらゴブリンたちが野営地として定めた場所の様で、戦利品であろう物資が山積みになっていた。さながら前線基地の様相である。

 護衛をケチったいくつかの隊商が、ゴブリンの被害にあっているとマカトから聞いていたが、その犯人が彼らなのだろうか?

 襲われた隊商に人的被害がなかったらしく、物資の一部を強奪されたとのことである。そして、今回の外輪船襲撃も船側に人的被害が出ていない。この手口は、同一グループ、つまり彼らの犯行で間違いないだろう。


 彼らの拠点には、約10騎ほどの襲撃部隊以外の留守番組もいて、広域調査で確認できる限り総数は15匹といったところである。何匹か偵察に出ている可能性もあるが、周囲の人気の無さを考えると、ここにいるのが全てかもしれない。

 彼らの乗物でもあるイノシシもたくさんいて、まだ赤ちゃんである8匹のウリ坊も含めると30匹以上もいる。

 鉄兜を取ってリラックスし始めている彼らの顔は、人間が変装したものではなく、明らかにゴブリンのそれである。小さいゴブから大きなゴブまで体格がバラバラで、その体格に合わせた大きさの異なる騎乗用のイノシシがいた。

 一際大きな個体は物資の運搬専門なのだろう、身体に荷物を固定できる装具が付いている。

 彼らは、その辺に勝手に湧き出すゴブリンとは明らかに異なり、どこかの軍隊に所属しているような装備の充実ぶりである。

 何故、こんなところにゴブリンの精鋭がいるのだろうか?非常に気になるところである。


「(何者なんだろう……)」


 待機組のゴブリンたちは、大きなイノシシから戦利品の木箱を下ろして決められた場所に運び始めている。

 出撃していたゴブリンたちは、戦果に満足して仲間内で楽しそうに笑い合ったり、乗っていたイノシシの労を労っている。

 命令系統と役割分担が決められている正に軍隊である。

 出撃していたイノシシたちは、世話係と思われるゴブリンに呼ばれると、きれいに整列して装具を解いてもらう順番待ちを始めた。よく躾けられているようだ。

 彼らは、よく訓練された精鋭部隊であると同時に、とても仲の良い家族に見えた。


「(どうしようかな……)」


 茂みの中で這いつくばり見つからないように遠目から観察するが、この後どうすればいいのか具体的な行動に迷ってしまう。

 ゴブリンは駆除の対象で、本来なら皆殺しにすべき存在なのだが、彼らには明らかにカルマが存在し普通のゴブリンとは完全に異質である。


「(私のカルマは人間から見れば敵側に位置しているんだよね。だから、初対面の人からは嫌われるし犯罪者扱される。ゴブリンも人間にとっては敵側だし、これってつまり、私とゴブリンたちのカルマは似たり寄ったりってこと?)」


 どちらも人間に嫌われるという点で共通である。であるならば、嫌われ者同士仲良くはできなくとも、敵対しなくて済む中立関係になれないだろうか?

 これまで倒してきたカルマのないゴブリンたちには、生理的な嫌悪感が強かったが、今、目の前にいるゴブリン達にはそうしたものを感じない。それどころか動物を大切にする者同士、シンパシーを感じるのだ。


「(それにしても……)」


 さっきからイノシシの赤ちゃんであるウリ坊たちに目が釘付けで、正直、ゴブリンはどうでもよくなっていた。


「(かわええー、ウリ坊ちゃんを抱っこして、そのまま拉致したい!)」


 イノシシの赤ちゃんは、その縞瓜のような模様からウリ坊と呼ばれている。

 その殺人的可愛さを見てしまうと、なでなでしたり頬ずりしたくなって辛抱たまらなくなる。

 カワイイは正義である。よって、その正義を執行する上で立ち塞がる困難を排除するための戦いは、それすなわち聖戦なのだ!


「(…………ん?)」


 この時、何故かアクィラの顔が思い浮かんだ。今、ウリ坊をウリウリしたいという抑えられない感情と、アクィラが変態的衝動を生み出した感情は同じだったのではないだろうか?


「(いや、私はあんな変態じゃない!)」


 自分のことを棚に上げ、ブルブルと首を振ってあの変態のイメージを振り払う。


「(どうにかして、あのウリ坊ちゃんたちとお近づきになれないかな)」


 ミニオン(宇宙人)との決闘の際に無理やりはめられてしまったイヤーカフに翻訳機能が備わっているので、ゴブリンの言語は理解できなくてもコミュニケーションは可能である。

 実際問題、遠く聞こえてくるゴブリンたちの会話の内容が、しっかりと理解できている。間違いなくゴブリンたちとの意思疎通は可能だ。


「(本丸を攻めるなら、まずは外堀から……つまり、先にゴブリンたちと友達にならなければ……)」


 地を這う芋虫のように匍匐前進で忍び寄り、仲良くなる方法について考えてみる。


「(……いや、さっぱり思いつかない……)」


 ゴブリンたちと対話する上での話の切り出し方など知らない。会話の糸口になりそうな、笑いのツボとか、通じるギャグとかも全く思い浮かばない。

 語尾にゴブとつければ親近感を持ってもらえるとか?


「(スポ根アニメとかなら、殴り合いで……)」


 拳で語り合う的な定番が、彼らに通用するだろうか?


「(いっそのこと……)」


 友達にならずとも、力で屈服させて言うことをきかせるというのも一つの手である。死なない程度に完膚なきまで叩きのめし服従させれば、イノシシたちも従うはずだ。


「(作戦プランとしては、偶然を装った遭遇戦から説得交渉を試みて、成功すればそれで良し!失敗したら戦闘という流れがいいだろう。向こうから攻撃をしてくるなら正当防衛になるしカルマにも影響がないはずだ!よし!この作戦で行こう!)」


 作戦は決まった。しかし――


「(後は通りすがりを装って……って、しまった!ウリ坊に気を取られて、思いっきり接近してしまった!これじゃ、完全に伏兵状態じゃないか!)」


 ウリ坊たちに吸い寄せられるように、気付けば目と鼻の先である。遠目から気づいてもらう作戦だったが、これでは、もう通りすがりを演じられないではないか。

 ゴブリンは夜目は効くがそれ以外は鈍感で、あの大きな鼻や耳は見掛け倒しだ。各パーツの性能は良くてもそれを制御するお頭が弱いと宝の持ち腐れなのだ。

 そして、恐らくあのイノシシたちも、家畜化されて野生をだいぶ失っているはずだ。


「(あいつら全然気づいてないな……ん?)」


 その時、背後から茂みをかき分ける音がして、中型のイノシシが現れる。そして、こちらに興味を持ったのか鼻を鳴らし、服をもくもくと食みはじめる。


「(ちょ、まっ!それは食べ物じゃない!あっちいけ!)」


 中型といっても、なんとか主みたいな神様っぽい名前がついていそうなデカい個体に比べての『中型』なので、日本にいるような普通のイノシシよりはるかに大きい。ちなみに、小さい個体でも本州で見られるイノシシの成体くらいである。

 群れの1匹に見つかってしまったことが引き金となって、他のイノシシたちもわらわらと寄ってきてしまった。これは大変まずい状況である。


「ん?ヘビでも見つけたか?」


 イノシシたちが急に茂みの一画に集まって地面にある何かをもくもくしはじめたので、気付いたゴブリンが興味を示して近づいてくる。


「(やばい、見つかる!)」


 イノシシの世話担当らしきゴブリンが何事かと近づいてくる。

 どうする?戦う?逃げる?それとも――


「おい!そこに何かいるぞ!」


「(見つかった!こうなったらプランBだ!)」


 そんなプランは最初からなかったが、こういう時はこのセリフを言うお約束である。そして、このセリフを言えばだいたい上手くいく――はずなのだ。


「や、やー!ゴブリン諸君!初めまして!私はミリセント!ただのミリセントでそれ以上でもそれ以下でもない、通りすがりのただの美少女よ!」


 目元にVサインをあて、キラーンと茂みから登場してみせる。

 自分で言ってて恥ずかしくなったが、相手の意表を突くにはこれしかない。

 戦うにしても、逃げるにしても、取り敢えず相手の反応を見てからでも遅くはない。


「に、人間だ!ここに人間がいるぞ!」


 一仕事終えてリラックスしていたゴブリンたちは、突然の敵襲の報で一斉に臨戦態勢になる。

 その静から動に変化する機敏な動きは、まるで映画のワンシーンのようだった。


「ちょっと待って!私は人間だけど、あなたたちの敵ではないわ!」


「はぁ?人間だろう?ならば敵だ!殺せ!」


「そうだ!そうだ!」


 10匹のゴブリンに一瞬で半包囲される。


「待って!敵ではない証拠に、この子たちは私を敵とみなしていないでしょ?」


 イノシシたちは警戒どころか、心を許したようにわらわらと集まってくる。

 試しに1匹の頭を撫でてやると、隣の1匹が俺を撫でろ!と割り込んでくる始末である。初対面なのに何故ここまで好かれてしまっているのか理解出来ていないが、この状況を利用する手はない。


「お前!いったい何をした?」


 ゴブリンたちもこれにはビックリである。

 戦闘態勢を崩さないゴブリンたちとは裏腹に、「どうしたの?」と言った様子でまるで緊張感のないイノシシたち。そして、こんな状況になっても「俺も!俺も!」と突然現れた謎の少女にイノシシたちが殺到してくる。さらに、巨大なイノシシがゴブリンの半包囲陣形の中央を突破してやってきてしまう。

 以前から薄々気づいていたが、この状況で確信した。どうやら自分は動物に好かれてしまう体質らしい。


 このミリセントというアバターが活躍した今はなきアサイラムというゲームの中に、獣使い(ビーストテイマー、単にテイマーとも)と呼ばれる不人気職業があった。

 犬や猫を手懐けてペットにしたり、ランクが上がればオオカミやクマなどの猛獣、更にはモンスターである魔獣やドラゴンまで飼いならしてしまうのがテイマーという職業である。

 ペットを使役した総合的な戦闘力が非常に高く、かなり強い職業にも関わらず何故不人気なのか?これにはちゃんと理由があった。

 その理由とは、人間と敵対関係にある魔獣と心を通わせる行為が、人間社会からアンモラルな行動と捉えられてしまうからである。

 獣使い=アウトローとみられてしまうので、必然的に犯罪者予備軍扱いになり、常に後ろ指指される生活を強いられる。

 戦闘面では圧倒的に有利で楽な反面、街などで行われる経済活動にはほとんど関わることができない、いろいろな意味で上級者向けの職業だったのだ。

 そして、何を隠そうミリセントのアサイラムでの職業が獣使いだったのである。

 たった今気づいてしまったが、野生児でアウトローで、クマやイノシシといった野生動物と仲良くなれるこの現状は、完全にアサイラムのミリセントと同じなのだ。


「(これって、完全に今の私と一緒じゃん!)」


 つまり、サーバー内のデータでしかないアサイラムのアバターが、外見だけではなく中身までこの世界に引き継がれてしまっているのだ。

 これは、果たして偶然なのだろうか?死神とは関係ない別の力が影響しているのではないかと疑ってしまう。


「た、確かに……何で皆無警戒なんだ?」


 無警戒どころか、わーい!といった様子で完全に手懐けられている。

 大小さまざまなイノシシたちにもみくちゃにされている変な人間を目の前にするゴブリンたち。

 恐らくリーダーであろう、一番身体が大きく立派な鎧に身を包んだゴブリンが不思議そうにイノシシたちに囲まれた少女を観察している。


「隊長!何で俺たち人間と会話できているんだ?」


 正確に言えば会話をしているわけではない。宇宙人の翻訳機の力によって自動的に脳内変換されているだけである。


「隊長!俺たち人間としゃべってるぞ?」


「ホントだ!人間の言葉が分かるぞ!」


 隊長というより、親分!というセリフが似合いそうな、小物感漂う小さなゴブリンたちが、今更ながら重要な事実に気付いて騒ぎ始める。

 彼らにとって人間との不意の遭遇より、会話できている事実の方が衝撃的で大問題となっていた。

 何故人間の言葉がはっきりと理解できてしまうのか? ゴブリンたちの間に、不安と興味が混ざり合った微妙な空気が広がっていく。


「(これは、いい流れかも? 上手く言いくるめることができれば……)」


 何か共有できる共通の話題が欲しいところであるが――


「こいつ、テイマーじゃないのか?」


 ここで思いがけずタイムリーな反応を示すゴブリンが現れる。

 テイマーという知識があるということは、イノシシたちの世話係的な立場にいるものではないだろうか?


「そう、私はテイマーよ! だからこの子たちは私を敵だと思ってないのよ!」


 テイマーではないかと疑うゴブリンのセリフに間髪入れず乗っかる。

 この理解不能な状況に対し、誰もが納得できる理由を求めるのは自然な流れである。その流れに逆らわずに話を合わせれば上手く誘導できるはずだ。


「テイマーか……確かに、それならこいつらが警戒していないのも納得だが……」


 隊長と呼ばれたゴブリンのセリフが脳内で翻訳される。

 翻訳機の意訳とはいえ、ゴブリンとは思えない知性を感じさせる台詞が脳内で展開されていく。

 ここまでの対話で分かったことは、テイマーという職業の意味を彼らは充分理解しているということである。これは、彼らにも職業の概念があることを暗に教えていた。

 やはり、この高度に組織化された武装ゴブリンたちは、他のゴブリンたちとは完全に別の生態系にある存在だ。


「あなたたち、他のゴブリンと全然違うわね……育ちが違うというか、なんかカッコイイ……」


 あまり深読みせずに、率直に思ったことを口にしてみた。

 しかし、このセリフが彼らの琴線に触れる結果となった。


「あ、当たり前だ!俺たちは他のゴブリンたちとは違うんだぞ!」


「そうとも!俺たちはエリートなんだ!」


「そうだ!そうだ!俺たちの隊長は偉いんだ!」


「俺たちを他の雑魚と一緒にするな!」


 下っ端丸出しの小さいゴブリンたちのセリフからはエリートらしさは微塵も感じなかったが、隊長と呼ばれたゴブリンには確かに有能のオーラを感じる。

 つまり、自分たちの隊長は凄いんだぞ! だから自分たちも凄いんだ!という論調だろう。

 その態度は一見すると怒っているようにも見えるが、自尊心を刺激され溢れ出す喜びを必死に隠すための照れ隠しにも見えた。

 この小さいゴブリンの知能はあまり高くないようで、理性よりも感情で動く性格のようである。彼らは決して子供というわけではないようで、これでも一応成体らしい。

 その一方で身体の大きいゴブリンたちは無駄口を一切叩かず、隊長と呼ばれる一際目立つゴブリンの周囲を固めるようにして臨戦態勢を崩さない。

 ただ、これも自分たちの有能さのアピールと、それを表に出さないためのジェスチャーともとれる。

 ようするに、量産型のゴブリンとは違う!特別なゴブリンと呼ばれて、物凄く機嫌が良くなってしまったのだ。


「隊長は、オーク帝国海軍第二七艦隊でもエリート中のエリート、栄えある第十戦隊第二強襲揚陸部隊所属、第三強襲偵察部隊の隊長なんだぞ!」


 この紋所が目に入らぬか! といった勢いで、聞いてもいないゴブリン部隊の所属を向こうから教えてくれた。彼らは自分たちの所属に対し強い誇りを持っているエリート軍人なのだ――という強い意思だけは伝わる。

 しかし、そんな自慢話をされても、どう凄いのか良く分からない。海軍所属らしいが、旧日本海軍か或いは自衛隊といった具体的な何かで例えてもらわないとわからない。


「――その脱走兵だけどな」


 3匹のウリ坊を同時に抱きかかえ、上機嫌で話を聞いているところに、隊長らしきゴブリンが何やら意味深な言葉をポツリと付け加えた。そして、こちらに歩み寄って、正面にドカッとあぐらをかいた。

 話を聞いてもらおう――的な神妙な態度に呼応して、こちらも4匹目のウリ坊を抱えるチャレンジの手を止めた。


「え?脱走兵?」


「ああ、俺たちは大規模な揚陸作戦中に船団ごとはぐれてこっちに流れ着いてしまったんだ」


 追われている身で、少しでも自分たちが有利になるように話をでっちあげているだけかもしれない。取り敢えず話半分で聞く。

 それにしても、このゴブリンたちは、本当にゴブリンなのだろうか? 特に隊長と思しきゴブリンは紳士的で、ゴブリンの概念が崩れてしまいそうである。

 中に誰か別の人が入っているのではないのかと、つい、背中のファスナーの存在を疑ってしまう。


「そうなんだ……ってことは、この土地を侵略するつもりじゃなかったのね?」


 そうなんだ、と、遭難をかけてみたが見事にスルーされる。おそらく、言葉は翻訳できても、ユーモアまでは通じないのだろう。

 使えない翻訳機だなと八つ当たりするが、単純に親父ギャグがつまらないという発想に至らないのが、おっさんのおっさんたる所以である。


「ああ、あれは不幸な事故だった」


 ゴブリン隊長は、長い爪で大雑把な地図を地面に描いて、出発地点と揚陸予定地点、そして実際に漂着した場所を記して教えてくれた。

 地図はカロン海河を中心に、西カロン地方の東岸部と東カロン地方の西岸部が、本当に大雑把に描かれていた。西カロン地方にくらべ東カロン地方は長大な海岸線を有し、特にオーク帝国があるとされる南側に大きく広がっていて、単純に見ても西カロンの10倍の面積があった。内陸部までは描かれていないが、海岸線の長さだけみても東カロン地方の広さがあるていど予測できた。

 はるか南方にあるオーク帝国の軍港からカロン海河の激流を利用し、一気に地上の戦線を飛び越えて、敵地(人間側の勢力)の後背に上陸する作戦だったらしい。

 途中、船団の大半が激流で撹拌されてしまい艦隊は壊滅。沈没を免れた頑丈な大型艦艇が西カロン地方、カント共和国の沿岸に漂着したというわけである。

 近年、こうした遭難事故が多発していたカント共和国だったが、件数は多いものの1回の遭難オークの数が少なかったのが幸いして通常の警備活動で対処できていた。しかし、つい先日、大型艦船と大量の揚陸艦の残骸や漂流物、そして大量のオークが流れ着いて大問題になっていたのである。

 そして、壊滅したオーク艦隊の生き残りであるゴブリンたちは、その混乱のどさくさに紛れて部隊を脱走してきたというのだ。


 このゴブリン隊長は、有能な人物の持つ別格のオーラを纏っている。しかも、単に武に秀でているだけではなく、しゃべり方も紳士的でかなりのインテリっぽい。恐らく、彼は指揮官として特別な訓練を受けたのだろう。

 他のゴブリンもそれなりに優秀そうだが、いかにもゴブリンという感じであまり知性を感じない。しかし、この隊長は明らかに物が違うという印象である。

 この感覚は、最初にアクィラを見た時に感じた印象と似ていた。実力はアクィラには遠く及ばなそうだが、少なくとも変態ではないところが好印象で高評価に値する。

 この表現が適切かどうかわからないが、東大卒のゴブリンという感じである。

 ちなみに、こっちはデザイン専門学校卒の実質高卒である。完全にゴブリン隊長に負けている感じだ。


「脱走ってことは追われてるの?」


 脱走兵は死刑というのが定番である。


「司令官以下司令部全て海の藻屑になった。残存部隊をまとめ組織を再編できる有能な指揮官はもういない。我々が生きていることも逃げたことも誰も把握できていないだろう」


「なるほど、そういうことね」


 オーク帝国海軍のエリートであることを自慢していたゴブリン達だが、隊長の話を聞く限り、軍に対して未練はなさそうである。


「それにしても、乗艦が沈んだのに良く助かったわね」


「俺たちはこいつらのおかげで助かったんだ」


 こいつらとはこのイノシシたちのことである。

 先ほど外輪船を襲う見事な手際を見たが、何の躊躇もなく川に飛び込んで、ぐんぐんと泳いで船に迫っていたこの子たちの泳力を見れば納得である。


「他の生き残りはいないの?」


 合流できた仲間はここにいるだけだが、もしかしたらはぐれた仲間はまだいるかもしれないとのことである。


「オークの精鋭は皆重装備だった。そのせいでほとんどが溺死しているだろう。軽装の者や船員の一部は運よく海岸に流れ着いて助かったようだが……」


 助かったオークを無視して脱走するということは、オークに対する信愛も忠誠心も全くないということだろう。なんとなく、オークとゴブリンの関係性が見えてきた。


「もしかして、オークは嫌いなの?」


「当たり前だ!あのクズども……帝国はオーク至上主義で、他種族はゴミ扱いだ。俺たちにはこいつら(イノシシたち)がいたおかげで、斥候として利用価値があった。だから待遇が他より少しマシなだけだ。どんなに無能なオークでも、オークであるということだけで特別で、俺たちは自動的にそれ以下の扱いになるんだ」


 オーク帝国は非常に強固なカースト制が敷かれ、ゴブリンは奴隷階級というわけである。

 無能な奴隷はゴミの様に扱われ、有能な奴隷は道具として酷使される。彼らはその後者にあたり、奴隷の中では待遇は良いほうだったが、それはあくまで奴隷の中だけの話である。

 頭の弱い小さなゴブリンたちは、他のゴブリンとの待遇差で自分たちを特別と捉えて自慢していたが、頭の良い隊長クラスともなれば、決して自慢にならないことだと理解できている。


「なるほどねー」


 あぐらをかいて憤っているゴブリンの前で足を崩して話を聞いている。

 その周囲でイノシシたちは輪になって横になっている。もう完全にリラックスモードである。

 イノシシの面倒を専門にしているゴブリンが驚きの様子でそれを見ているのが印象的だった。


「この後どうするつもりなの?」


 彼らは難民で、食うために略奪行為に手を染めながら内陸部に移動してきたとのことだ。しかし、そんな生活をこれから先も続けていれば、いずれ軍や冒険者に追われることになるだろう。この西カロン地方では、ゴブリンというだけで駆除の対象になるのだから。

 カント共和国の冒険者や軍の実力は不明だが、少なくともあの変態アクィラは常軌を逸した強さがある。いくらこのゴブリン達が手練れだとしても彼女1人に敵わないだろう。もし、このゴブリン達がアクィラの所属する銀輪隊商警備と遭遇したら一巻の終わりである。


 ゴブリン隊長から自分たちの境遇を説明される。これがウソ偽りのない真実かどうかは分からない。ゴブリン隊長の人となりを見るにウソは言っていないだろうと思う。

 そこで、返礼がてらカント共和国軍の配置状況や冒険者など、知っている限りの有益と思われる情報を提供してみる。


「どうやら俺たちはお尋ね者になりそうだな……分かってはいたが」


 そう言ってギロリと睨むゴブリン隊長。その一瞬に殺気めいたものを感じた。

 これは、必要な情報を手に入れたから、もう用済みということだろうか?

 こちらとしては、最初から戦闘になる可能性を考慮した上での接近で、戦おうというのであれば望むところである。

 ナントの街では大人しく捕まってやったりと、何日も足止めを喰らったあげく変態の到来で結構ストレスが溜まっていたところである。周囲に人の目はないので、ストレス解消がてら久しぶりに能力全開で戦闘ができそうで内心楽しみだったりする。

 実は、情報を気前よく与えたのも、生かして返す気がない――と、半分本気でそう思っているからであり、それを相手に悟らせるためでもあった。そして、案の定ゴブリンたちは戦いを選択しようとしているのだ。


 目に見えない駆け引きが始まっていることを理解しているゴブリンが、この場にどれほどいるのだろうか?


「(この人間は一体何者なのか?)」


 歴戦のゴブリン部隊と少女1人である。戦えば勝敗は目に見えている。間違いなくこの少女は殺される――と、誰もがそう判断するだろう。

 しかし、目の前の小さな人間は、精強なゴブリンの一団を見ても、イノシシたちとのコミュニケーションに夢中で笑顔でリラックスしている。こちらを恐れている様子が全くない。これは、この危機的状況を理解できない単なる愚か者だからだろうか?

 本当にそうだろうか? いや、違う。頭では殺すべきだと判断しているが、本能がそれを拒んでいる。


「(この人間は、こちらに敵意がなく自然体だ……何故だ? 何故この状況でこんな態度でいられるんだ?)」


 これが駆け引きなら、侮られないように虚勢の一つも張ってしかるべきである。或いは媚びへつらって相手を油断させるという手もある。

 この態度は、こちらに全く脅威を感じていないことを示している。もしこれが、高度な演技だとしても、イノシシたちならそれを看破できるはずである。しかし、どうしたことか、イノシシたちは完全に実家にいる安心感を漂わせていた。


「(……ゴクリ)」


 ゴブリン隊長は迷っていた。

 好戦的で知能に劣る小さなゴブリンたちはともかく、多少頭が働く者なら何かを感じているはずである。

 殺害命令を出してもそれが成功するビジョンが見えてこない。それどころか、何故か返り討ちにあう未来しか見えないのだ。


「(我々は今、死と隣り合わせにいるのではないか?)」


 ゴブリン隊長から殺気が消えた。


「(あれ? 戦う気がないのかな?)」


 せっかく戦う口実を与えるために見せている隙が無駄になってしまいそうだ。

 自分たちの置かれている状況が分かる程度に賢いのであれば、もう少し情報を与えてみてもいいだろう。どんな反応を示すか興味がある。

 そこで、カント共和国だけではなく、西カロン全体の状況や、冒険者ギルドの存在など、知っている範囲で教えてみる。

 彼らは強いが、彼らの存在が西カロン地方全体の戦局に大きな影響を与えることはあり得ない。さっきも言ったが、彼らを鎮圧するのにアクィラ1人で事足りるのだ。

 仮に、教えた情報を基にゴブリン達が脅威となって大問題に発展したとしても、情報を漏らしたことがバレなければどうということはない。


「……お前は何者なんだ?何を企んでいるんだ?」


 この返答を受けて、彼らは戦うという選択肢をひとまず保留にしたことが理解できた。

 やはり、このゴブリン隊長は他のゴブリンとは違う。


「私はミリセントよ。さっきも言ったけど、それ以上でもそれ以下でもないわ」


「ビーストテイマー・ミリセント……か」


 彼らはこちらを格上の獣魔使いだと認識しているようだ。

 こちらの手の中で完全に野生を喪失してしまったかのように、リラックスしているイノシシたちを見れば、そう信じたくもなるのも無理はない。


「で、あんたら、この後どうするつもりなの? どの道長くもたないと思うけど?」


 揚陸作戦が失敗した時点で彼らに未来はなかったのである。

 生き残りのオーク達と一緒にカント共和国軍と戦争をするか、逃げて冒険者たちに追われるか、そして、ここでビーストテイマーと戦うか。どれを選択しても全て結果は同じなのである。先に死ぬか、後に死ぬかの違いだけしかないのだ。


「逆に聞くが、俺たちはどうすればいいと思う?」


 どうすれば助かる?とも取れる逆質問である。というより、土地柄の無いゴブリンたちにどうすればいいのか聞くのが無謀だった。


「うーん、そうだなー……とりあえず、これまで通り人殺しはしない方がいいわねー。人殺しとか家畜を盗めば絶対に冒険者ギルドの指名手配に挙げられるだろうし、さっきみたいに貨物船とか隊商から物資をカツアゲしていく感じ?あ、あと、他のゴブリンを退治するってのはどう?」


 彼らがこの先生き残れる僅かな可能性を考えてみる。


「他のゴブリンを?」


「隊長、このあたりのゴブリンはゴミばかりだぜ」


 隊長の重苦しい雰囲気を察してか、今まで黙っていた小さいゴブリンたちは、スイッチが入ったように騒ぎ出す。

 話しぶりからすると、彼らは既に雑魚ゴブリン狩りをしているということである。


「あいつら臭ーし、ゴブリンの風上にもおけねーぜ!」


「あんなゴミと俺たちゴブリンライダーを一緒にするな!あいつらは狩りの対象だ!」


「そうだ!そうだ!」


 相変わらずの小物感たっぷりで威勢だけはいい小ゴブたち。

 その一方で、身体の大きいゴブリンたちは大人しく口数が少ない。そして、何故か物欲しそうにこちらを見ている。恐らく、イノシシたちに囲まれているのが羨ましく、そして恨めしく思っているのだろう。自分の騎乗するイノシシが赤の他人に骨抜きにされているのを見れば、彼らの複雑な心境も理解できるというものである。


「この子たちは、何ていう種族なの?」


 こちらを見る無口なゴブリンファイターの目を見て尋ねる。


「……スワンプボア、沼地のイノシシという意味だ」


 こちらを羨ましそうにみているゴブリンから、沼地のイノシシという回答を得た。なるほど、泳ぎが達者なのは、沼地など水辺に生息していたからだ。と、いうことはこのゴブリンたちの種族の正式名称はスワンプゴブリンということだろうか。ゴブリンライダーというのは種族ではなく兵科の名称だろうか?そして、それを率直に聞いてみたら、案の定答えはイエスだった。


 彼らは沼地で生きるゴブリンたちで、ある時、彼らの村はオーク帝国に攻め滅ぼされてしまう。敗れたスワンプゴブリンの一族は、オーク帝国に隷属を強いられ、尖兵となって最前線に投入されることになった。

 オーク帝国の軍略は、侵略した土地から根こそぎ物資を略奪し、そこに住んでいた住人を全て奴隷にするというものである。そして、戦えそうな者は全て尖兵として最前線で弾避けの捨て駒にし、戦えない者は収容所で死ぬまで強制労働を強いられる。どちらに転んでも3年以上生き残ることは不可能に近かった。

 スワンプボアを駆る沼地のゴブリンたちは、その機動力と生き残りたい執念で、多くの戦果を上げた。そして、その戦果を無視できなくなった帝国軍は、彼らを正規部隊として扱うようになったのである。

 オーク正規軍の武装は質の面で非常に優れていた反面、機動性に乏しかった。その機動力を補ったのがスワンプボアを駆るゴブリンライダー軍団である。

 彼らは、各方面で戦果を挙げ続けたことによって昇格していき、最終的にオーク帝国海軍精鋭部隊にまで上り詰めた。

 戦果を上げても、待っているのはより危険な戦場だけであり、戦いの度に仲間の数は減り続けた。そして揚陸作戦の失敗によって更に数を減らし、生き残ったのはたった15匹だけとなってしまったのだ。

 現地に残ってオークたちの盾となって死ぬくらいなら、見知らぬ土地で生存の道を選んだ方がマシだと考えるのは自然な流れかもしれない。


「この辺りのゴブリンを狩りまくって、人間の役に立ってみるってのはどう?」


「はぁ?何故人間の役にたたなきゃならねーんだ!人間は敵なんだぞ!」


 一番小さくて五月蠅く、そして弱そうなゴブリンが、目の前に来て大げさな身振り手振りで抗議の声を上げる。

 オークの上官から人間は敵だと教えられた小物ゴブリンたちは、それを盲目的に信じている。しかし、最初からオークを信用していないゴブリン隊長ら賢いゴブリンたちは、そこまで盲目的にはなれないでいる。そもそも、スワンプゴブリンという種族は辺鄙な土地に住むレアなゴブリンで、彼らはオークに攻め滅ぼされ、戦争に駆り出されるまで人間を見たことがなかったのである。

 少なくとも目の前にいる人間は、不思議なことに対話が出来ている。この事実だけとっても、これまでの常識を疑わなければならないのだ。


「ま、別に勝手にすればいいわ」


 これ以上話をしても無駄で、交渉決裂の合図になるように、お手上げの仕草で煽ってみる。


「……それをやると、我々に何か得になることでもあるのか?」


 交渉を止めたくないと、ゴブリン隊長が割って入って強引に話の続きを求める。


「今、この国の西側には兵隊がいなくてゴブリンが大量に湧き始めて困ってるのよね。人間の困りごとを解決すれば、討伐対象にはならないかもよ?」


 害虫を捕食するクモなどは、人畜に有益な益虫と呼ばれているが、その一方でその独特で異様な姿を忌み嫌う者も少なくない。これをゴブリンに当てはめてみるのはどうだろうか?

 駆除の対象になっているゴブリンを人間の代わりに狩ることで、スワンプゴブリンたちを益ゴブと見なしてもらうという作戦である。これに成功すれば、何とかこの土地で上手くやっていけるかもしれない。


「隊長、どうします?」


「俺たちに似てる雑魚連中は目障りだから狩り尽くしてやりましょーよ!」


「そうだ!そうだ!」


 相変わらず威勢だけはいい小ゴブたち。まるで、少年野球で声援や野次を飛ばす控えの年少者たちのようだ。

 それとは対照的に、隊長や幹部と思しき連中が押し黙って考え込み始める。


「あなたたちの兵科は何なの?」


 結論が出るまでの間、暇なので騒ぐゴブリンたちの部隊における役割を聞いてみた。


「俺たちはゴブリンライダー&スリンガーだぜ!」


 スリンガーとは、スリングで投石する投擲兵ということである。


「ほほう……石を投げるのか……」


 スリンガーと聞いてひとつ閃いてしまった。


「な、何だよ!そのオークより邪悪な顔は!」


 何かを企むとすぐに顔に出てしまう。だが、反省はするが改めるつもりはない。


「え?オークってそんなに可愛いの?」


「んなわけあるか!」


 ちゃんとツッコミをいれてくる小ゴブたちに対する好感度が一気に上昇する。


「いいから、私に石を投げてみて」


「は?当たったら死ぬぞ?」


「そうだ、お前のような弱そうな人間は、俺たちの投石でイチコロだ!」


「そうだ!そうだ!イチコロだ!」


 さっきから、そうだしか言わないゴブが気になる。


「いや、私にぶつけるんじゃなくて、私の前の――この辺を狙って投げてみて」


 お気づきの方もいるかもしれないが、投石でバッティング練習をしようという魂胆である。

 そして、バックパックの横に取り付けた、ドリンクホルダーならぬバットホルダーから、血塗れバットを抜いて構える。


「後ろ危ないから散った散った」


 そばに寄ってくるイノシシたちを追い払い、さあこい!と構える。


「そのこん棒で石を打つのか?」


「そんな細いこん棒じゃ当たらないぞ!」


「そうだ!そうだ!当たらないぞ!」


 何となくこちらのしようとしていることを察するゴブリンスリンガーたち。いくらお頭が弱くてもそのくらいは分かるというものである。


「一体何がはじまるんだ?」


 これから何が始まるのかと固唾を呑む隊長以下その他のゴブリンたち。


「そうそう、この辺狙って投げてみて」


「そこなら下投げがいいな」


「そうだ!下投げがいい!」


 スリンガーなどと専門職らしい名前だけあって、いろいろな投げ方があるようである。


「いくぞー!」


「さぁ来い!」


「おりゃ!」


 革紐に挟んだ石を縦に一回転させると、地面ギリギリからストライクゾーンめがけて勢いよく飛んでくる。石の軌跡は、上投げの所謂オーバースローではなく、下投げのソフトボールと同じだった。


「コーン!」


 しっかりと脇を閉めた右打席のフルスイングが炸裂すると同時に、木製バットの良く通る乾いた打撃音が周囲に木霊する。

 固唾を呑んでいたゴブリンギャラリーから「おおー」というどよめきが上がる。


「くぅ~、気持ちいぃー!」


 ボールを投げることは1人で出来ても、バッティングは投げる相手がいないと成立しない。これまでは、ノックの要領で1人で石を打ち放っていたが、こうして生きた球を打つのは、この世界にきて初めてである。

 先日、マカト防衛戦でゴブリンの投げた石を打ち返したが、あんな小さな子供が投げる程度の勢いの死んだ石を打ち返しても全然気持ち良くなかった。

 しかし、スリングから放たれた生きた速球をバットの芯でとらえるのは快感である。


「コーン!」


 ゴブリンのスリングから放たれた、ちょうど野球のボールほどの大きさの石は、バットの真芯を捉えて、向かって斜め左上を真っすぐ飛んでいく。野球で言えばレフトとセンターの間、左中間を真っ二つに割くツーベースヒットといった感じである。

 真っすぐ飛んでいく石はやがて放物線を描いて茂みの向こうへと落ちていく。


「もう一丁!」


「今度は俺だ!行くぞ!」


 ゴブリンスリンガーは4匹いるのだが、四つ子と思えるほどそっくりで、誰がどれなのか判別できない。


「カツーーン!」


 今度は右中間を破った。ミリセントシフトを敷いていない限りどんな守備の名手であっても捕球は不可能だ。

 そこには存在しない野球のグランドを幻視しながら、夢中で野球に打ち込んでいた青春時代を思い出す。


「俺たちにもやらせてくれ!」


「え?どうしようかな……」


 小さな子供のように群がってくる小ゴブたち。


「そ、それ俺にも貸してくれ!」


 石が真っすぐ綺麗に飛んでいくのは、このバットにかけられた魔法のせいだと勘違いしたゴブリンスリンガーたち。

 貸し与える許可をする前に、強引にバットをひったくってバッティングフォームを真似る。そうこうしていると案の定バットの取り合いになって喧嘩を初めてしまう。

 そこに、ゴブリン隊長を含め、ゴブリン全員がバットに興味を示して群がってきた。ついでにイノシシたちも。


「しょうがないなー」


 暇を見つけては、バットやボールの作成をしていたおかげで、野球道具は既にレシピが存在する。一度レシピ化したものは、土方の力で簡単に複製することが出来た。

 喧嘩にならないように、1人1本、予備を含めて計20本のバットを贈呈する。さらに、ボールも100個くらいおまけする。

 このボールは、この世界に来た初期の頃に、植物の繊維質から糸紡ぎ、それを撒いて自作した思い出のボールの最終改良型である。高校野球などで実際に使っていた硬球を模し、牛革をシカ革で代用しただけで、重さや使用感は完全に硬球である。

 バットも、ただの木の棒ではなく、実際に野球で使うバットの形や重さ、重心を再現している。

 一応グローブも作ってあるが、ゴブリンのゴツくて長爪の手に合うものはなかったので与えていない。


「おおおお?」


 何もない宙空から十数本のバットが地面に落ちて転がる。さらに、まん丸の球がボトボトと地面に落ちて周囲に転がって散乱する。イノシシたちが食べ物だと思って口に入れてみるがすぐに吐き出す。

 ゴブリンたちは何の魔法かと驚いて見ていたが、すぐに新品のバットとボールに興味が移って、各自好き勝手に遊び始める。


「……そうだ!この世界に野球を流行らせよう!なんてね!」


 新しい野球道具を手に入れて喜んでいる野球少年時代の自分の姿と彼らが重なった。


「ひーふーみー……15人か……私も入れると16人」


 18人いれば野球の試合が出来るが少し足りない。まー正式な野球である必要はないだろうし、楽しめれば何でもいいのだ。


「よーし!私が投げるから構えて!」


 血塗れバット争奪戦に勝利した小ゴブに、握ったボールを見せる。


「こ、こい!」


 右打席の構えだが手が逆である。しかし、素人は最初はこんなものだ。構わず、こちらは正しいオーバースローのモーションでボールを投げてやる。

 右手に握ったボールに左手を添え天高く掲げる。左足を上げ重心を前にずらしながら、腕を回してねじり引き絞る。足、腰、腕、そしてボールに力を伝えていき、しなる腕から最後に人差し指と中指で弾くように送り出す。

 きれいに縦回転するボールは、風を引き裂いて20歩先に立つゴブリンの前を一瞬で過ぎ去っていく。

 驚いたゴブリンはその場で尻もちをついてしまった。


「ヘイヘイ!バッタービビってるー?ちゃんと球を見ないと当たらないよ!」


 まるで少年野球だなと思いながら野次を飛ばす。こんな野次を飛ばすのは何十年ぶりだろうか?

 野次馬のゴブリンたちはその様子を見て、腹を抱えて笑っている。

 仲間に笑われたゴブリンスリンガーの1人は、めげるどころかムキになってもう一丁と次の球を要求する。

 失敗する者を責め、責められた者は自信を無くす。そんな悪循環が当たり前の昨今だが、このゴブリンたちの負けず嫌いは大したものである。この気概は現代の日本の子供たちにも見習ってほしいものだ。


 次の球は逃げずにバットを振れたが、振るタイミングもバットの位置も大きくずれている。

 しかし、何度か同じように投げてやると段々タイミングが合い始め、8球目でバットにかすり、10球目でようやく球を前に打ち返すことができた。

 その時の小ゴブの喜びようといったら、それはそれは嬉しそうで、周囲もやんややんやの大騒ぎである。もうこれは優勝でいいだろう。

 そして、これを見たゴブリンたちは、見様見真似で勝手にボールを打ったり投げたりをし始める。


「まさか、ゴブリンに野球を教えることになるなんてね……」


 イノシシたちが、明後日の方に飛んで行ったボールを競い合うように追いかけ、くわえて戻ってくる。まるで犬だなと思わず苦笑してしまう。

 このイノシシたちは、犬の様に忠実で、牛馬の様に働き者だ。家に住み着いている5頭の居候はこのイノシシたちを見習ってほしいものだ。


「さて、そろそろ帰るか……」


 日が暮れて、そろそろボールが見づらくなる頃である。しかし、夜目の効くゴブリンたちはまったくやめる気配がない。楽しくてしかたがないようだ。

 もう勝手にすればいいと、投げやりとは違う感覚で、彼らの輪から離れていく。

 彼らを倒してイノシシを奪うなんて考えは、とうに消えて無くなっていた。野球好きは味方である。

 帰り支度を始めると、その気配にいち早く気づいたイノシシたちが、服を引っ張っていかせないようにする。こんなことされたら、帰りたくても帰れないではないか!

 それを見たゴブリンの1匹が声を上げ、それを受けて皆我に返ったように遊ぶのをやめて集まってくる。


「そろそろ帰るわね。バットとボールはあんたらにやるから好きにしていいわ」


 すっかり手に馴染み愛着まで湧いてしまった血塗れバットだけは返してもらい、バックパックのホルダーに挿す。


「これを、ただで貰うわけにはいかない」


「こんなの、ただ同然だから構わないわ。それとも、殺してでも奪いとるつもり?」


 不敵に笑って見せる。

 こちらに戦う意思はもうないが、向こうが戦う気ならその限りではない。

 しかし、賢いゴブリンの隊長は、こちらの挑発には乗らなかった。


「いや、我々はお前と戦うつもりはない。だから取引しないか?」


 思わず「マジメか!」と突っ込みたくなる。誠実過ぎて逆に気持ち悪い。ただで野球道具をくれてやるというのだから、素直にもらっておけばいいのに。ゴブリンのくせに生意気だ!


「取引?何と交換する気なの?」


 それでも、取引と言われれば何と交換するかとても気になるところである。


「人間から奪った戦利品が大量にある。好きな物を持って行ってくれ」


「ちょっと待って!それって盗品でしょ?私に盗人にでもなれっていうの?」


「お前も人間に追われているのではないのか?」


「失礼ね!私はこれでも一応まだ一般人よ!」


 人間から犯罪者扱いされるだけでも悲しいのに、ゴブリンにまで同じ目で見られるとは……


「そうだったのか……てっきり、同業者かと……」


「……別に見返りはいいから……それじゃーねー!」


「待ってくれ、お前はテイマーだろう?なら、これでどうだ?」


「え?ま、まさか……このウリ坊たち?」


「そうだ、全てお前にやろう」


「ま、マジで?マジで貰っていいの?」


 彼らは逃亡中の身でもあり、小さなウリ坊は足手まといになる。また、現状15匹のゴブリンの群れに対し合計30匹のイノシシは多すぎるのだ。

 現状ゴブリンとイノシシとのバランスが悪いのは、助からなかったゴブリンが助かったイノシシより多かったからである。

 このウリ坊たちの全てが騎乗用として成長するわけではなく、半分以上は使い物にならないらしい。そして、それら使い物にならないイノシシは、いずれ食糧として解体されることになる。

 周囲を見ると、騎乗用の装具を付けたイノシシとそうでないものがいる。装具の無いイノシシは騎乗に適さない食肉用の家畜だったのだ。


「遠慮はいらない。全て持って行ってくれてかまわない」


「いや、全部はちょっと……」


 このまま家に帰れるなら8匹全部頂いてしまうところだが、これから行くのはクリプトである。

 8匹のウリ坊の歩調に合わせてクリプトまでゆっくり歩かなければならないとなると、とんでもなく時間がかかってしまう。残念だが全部は不可能である。


「別に何匹でもかまわないが、それでは対価として不充分ではないのか?」


「え?充分!充分!ぜんぜんOKよ!」


 ゴブリン側のウリ坊の価値はさほど高くないようで、8匹全部でも割に合わないと考えているのだろう。こちらとしては、1匹でも十分おつりがくる。。

 ちなみに、ウリ坊は放っておくとワカメのようにどんどん増えるらしい。


「こいつがオススメだ!」


 イノシシたちの飼育員らしきゴブリンが、1匹のウリ坊を抱きかかえて渡してくれた。


「どのへんがオススメなの?」


「他の子より足が太く蹄の幅が広いだろう?これは泳ぎが達者になる証で、スワンプボアとして将来有望だ」


「泳ぎは別にいいか……一番大きくなりそうなのは?」


「大きさは育ってみないと分からない。ただ、最低条件としてやはり足の大きさだ。そしてたくさん食わせること。それと雄であること。で、その条件の全てをクリアしてるのがこの子だ」


「なるほど!んじゃこの子を!」


「1匹だけでいいのか?雌がいれば増やせるぞ?」


 なるほど、増やして売る!肉屋でも開くか!


「んじゃ、あなたがオススメを見繕って」


「わかった。えーとコイツだな、あとコイツもいいぞ」


「あ、いや、2匹でいいわ。3匹だと抱えて歩けないし」


 2匹なら両脇に抱えて走れるが、3匹だと口にくわえないと運べない。いくら小さくて可愛らしいウリ坊でも、身体の大きさが自分の顔ほどあるので、流石にウリ坊三刀流は無理である。


「そうか、でも、本当に2匹だけでいいのか?」


「ええ、充分よ!ありがとう!」


 手渡されたオススメの2匹を小脇に抱える。なんかイイ感じに収まる。ウリ坊との合体でパワーアップしたパーフェクトミリセントの誕生である。


「これからどこへ向かうんだ?」


 取引が無事成立したのを確認すると、ゴブリンの隊長が話しかけてくる。


「クリプトってとこだけど、あんたら知ってる?」


「いや、全く……」


「ですよねー」


 彼らは遭難者であり西カロン地方全てが謎に包まれているのだ。聞くだけ無駄だった。

 しかし、土地勘がないのはこちらも同じである。むしろ彼らは山向こうの東海岸からこちらに移動してきているので、少なくとも彼らのほうが詳しいことになる。

 そのことに気づいたので、彼らの知る限りの東側の状況を聞いてみた。


「ここから川を渡り、低い山を越えると森が広がり、さらに進むと街道に出る。その街道を横切るとすぐ海が見えるはずだ」


 彼らはそれらを逆に辿ってここまで来たというわけである。

 大雑把な情報だが何も知らない側からすれば貴重な情報といえる。マカトの情報とも合致するし、彼らがウソを言っていないこともわかった。


 ここで情報の整理をする。


 面倒ごとを避けるために、クリプトまではなるべく人目につかないようにしたい。これは大前提である。

 そのためには先ず、橋を使わずに川をどうにかして渡り、山を登って森に出たら、街道には向かわず北寄りに進路をとって、街道と並行して北上したほうがいいだろう。

 ガード圏内に入れば、ナントの街に初めて到着した時のようにガードの方から危険を察知して飛んでくるはずだ。後は、さっさと捕まって1週間くらい大人しく牢屋で過ごせば晴れて自由の身になれるだろう。


「ふむふむ、よし!何とかなりそうね」


「街道の手前まで送ろう」


「え?いいの?」


「もちろんだ」


「ラッキー!」


 運賃代わりにバットとボールの追加をして、ゴブリンの野営地を後にした。




 野球を通じて異種族間交流を果たした結果、この逃亡兵のゴブリンたちとの間に友好関係が結ばれたようである。

 彼らがこの先生き残ることが出来るかどうかわからない。出来れば生き残っていて欲しいと今はそう思っている。そして、次に会う機会があれば、競技としての野球を教えてやりたいと思う。


「ビーストテイマー・ミリセント。一つ聞きたいのだが?」


「何?」


「アレは何という武術なのだ?」


「え?武術?ああー、野球のこと?」


「やきう? なるほど、やきうというのか……」


 風の噂にゴブリンを狩るイノシシに乗った謎のゴブリン集団の話が聞こえ伝わってきた。

 その後『やきう』なる球技がカント共和国で流行するが、それは、また別の話である。

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