第40話 「帰還」
第四十話 「帰還」
西カロン地方中部東岸に面した自由都市クリプトは、東カロン地方から派遣されたエルフたちによって造り替えられた比較的新しい都市である。正式名称は、自由交易都市クリプト。しかし、この街特有の制度から『冒険者の街クリプト』と呼ばれることが多い。
西カロン地方は、北部にピュオ・プラーハ、中部に独立都市国家群、南部にカント共和国と、主にこの3つの勢力で構成されているといっていいだろう。
クリプトは、位置的に独立都市国家群に含まれるが、自由という言葉が示す通り、他勢力の支配から常に自由である。
独立都市国家群で最も東に位置しているが、これの意味するところは、カロン海河沿岸に面しているということで、2つの大国以外で唯一海に面した独立都市国家であることがクリプトの地理的特徴の一つになっている。
このクリプトには、他の都市にはないクリプトだけの特徴を複数持つという特殊な立ち位置にあり、それが今日の自由都市を生み出した土壌になっていた。
その特徴は、いずれも地理的な条件によるもので、1つは前述の都市国家群の中で唯一海に面していることである。そして、ダーヌ川に面していない都市国家でもあるというのも大きな特徴の一つである。
西カロン地方においては、2つの大国も独立都市国家群も全てダーヌ川に領地を接している。中央の独立都市国家群が大国に飲み込まれずに独立を保てるのは、蛇行するダーヌ川が天然の堀となって防衛に有利に働くことと、河川を利用して行われる水運業がもたらす富のおかげである。
また、いくつかある特徴の中で最も重要なものが、2つの大国と国境を接している唯一の都市国家――ということだろう。
この地理的好条件のおかげで、水運に頼っていた2つの大国間の貿易に、陸運という新しい選択肢が生まれたわけである。
北と南を大国に、そして、東側を海河によって阻まれている自由交易都市クリプトの西側には、2つの都市国家が存在し領地を接していた。
2つの領地といっても北西部のパルマー領との国境線は距離的にほんのわずかで、領地同士を結ぶ街道も存在しない。そのため領地を接しているだけのパルマーとは直接的な交流は無かった。
西側の国境線の大半は、現在ピュオ・プラーハ領となっている旧ヴァスカヴィル領である。
クリプト周辺の風土は、東にカロン海河と西にはなだらかな山地を望み、その文言だけを並べてみれば山海の幸に恵まれた風光明媚な素晴らしい風景を思い浮かべるだろう。
しかし、実際に目に映る景色は予想に反してひどく殺伐としている。景観を目当てに訪れた旅人は、その景色を見て落胆することだろう。
西に見える山並みは、ガスビン鉱山を有するガスビン山地である。
鉱物の精錬に必要な燃料の為に樹木の伐採が行われ、今は、素人に散髪を任せてしまったような、みすぼらしいまだらな禿山が残るだけである。鉱山地帯の宿命とは言え酷い有様である。
保水力を失った山は、大雨が降る度にどこかしらで土砂崩れを起こして山の形は毎年の様に変わっていく。その変化はもちろん悪い方に――である。
廃鉱となって久しく、最近ようやく低木が定着し緑が復活しつつある。
山肌がところどころ露出した低木の多い山並みを背に東の海を望めば、そこには津波のような濁流と轟音が延々と続くカロン海河が視界を埋め尽くし、見る人の気分を滅入らせる。
1日たりとも穏やかにさせてなるものかという強い意思の存在を錯覚させるかのような猛り狂うカロン海河の潮流は、深い谷を刻む山高い河川の急流を思わせる。カロン海河が何故『海の河』と呼ばれるようになったのか、この恐ろしい流れを見れば誰しもが納得のいくところである。流されれば間違いなく助からない。
濁流同士がぶつかりあって生じる波しぶきは、霧状に舞い上がって視界を遮り、さほど遠くはない対岸の景色を覆い隠してしまう。雲一つない晴天でも、海河の縁に立てば、今にも雨が降り出しそうに思えて落ち着かなくなるのだ。
そんな薄靄の中に、大樹を伐採した後に根っこを処理しきれずに放置された切り株のような影が、霧のベールに透けて見える。この影の正体は上部が崩落して低くなってしまった塔で、対岸にではなく海河の真ん中に中州のように存在している。この塔がここにあることで、ただでさえ悪い流れの海河をより一層悪いものにしていた。
塔から噴煙のような煙が昇っているのが見えることから、中身は空洞で煙突状になっていると思われる。恐らく、海河の底の更に下層に広がる海底トンネルと繋がっているのは間違いないだろう。
この海底トンネルはアリの巣の様に無限に広がっていると云われ、東西のカロン地方双方を物理的に繋げているとされている。トンネルの入り口は風穴のように無数にあると云われているが、十分な広さを持つ安全な入口は西カロン地方においてはクリプトにしか確認されていない。
カロン海河の対岸の状況を、冒険者ギルドは公開していないので全くもって不明である。
東カロン地方の冒険者ギルドから派遣されたエルフが、西カロン地方に同様のギルドを設立したのは歴とした事実である。しかし、だからといって、その東西のギルドが密接に繋がっているのかと問われれば、答えは否となる。
東から派遣されたエルフは、行き来することを前提として派遣されたのではなく、一か八か危険を承知で海河を渡ってきた文字通りの冒険者である。
今現在、東西のギルドは連絡が取れていないのが現状で、その不明な状況を明らかにするため、東カロン地方への逆進出を目論んでいるところである。
東カロン地方からも冒険者がトンネル内部全体の探索と、西カロン地方へのルートの開拓を行っているらしいが、未だ東西を結ぶルートは発見されていない。
クリプトという都市が築かれる以前は、棄てられた古い都市の遺構しかなく、その地下から大量のゴブリンが湧き出す西カロン地方でも有数の危険地帯の一つだった。
旧プラーハ王国が、ガスビン鉱山を開く際に行った大規模なゴブリン掃討作戦で功のあったクリプト卿にこの地を領地として与え、遺跡の封印のための小要塞を建設したのが城塞都市クリプトの始まりである。
この遺跡こそが、海底トンネルの入口だったのだが、当時はその地下に巨大なダンジョンが形成されていることなど思いもよらないことで、何百年もの間、遺跡の価値を知らずに蓋をしてきたのである。
今現在、東カロン地方に広く展開している冒険者ギルド本体の目標は、西カロン地方との魔法的接続である。最終的には西カロン地方からの海洋進出による新天地の開拓と、南海からのオーク帝国侵攻である。
南方をオーク帝国、北方と東方を異教、異種族、異文化に阻まれこれ以上の開拓が困難な状況にあった東カロン地方の冒険者ギルドとしては、危険を承知の上で未知という希望が存在する西カロン地方に進むしか勢力拡大の道がなかったのである。
西カロン地方を橋頭保とする西方進出事業は、当初の予想に反して困難を極めた。
対岸までの距離が50キロメートルにも満たない2つのカロン地方の間には、カロン海河と呼ばれる天然の障壁が立ち塞がっていた。
この海は、激しい潮流による物理的な渡航を困難にするだけではなく、東西の異なったマナが衝突して生じる不安定な魔法磁場が障壁を形成していたのである。
これは、東と西のマナ密度の違いによる断層化現象で、例えば高気圧と低気圧の境界線に生じる前線のようなものである。
前線付近では大気が不安定になり大雨や雷雨をもたらすのと同様に、目に見えない魔力の嵐が常に渦巻いている危険な状況になっているのだ。
カロン海河は、海面だけではなくその地下や上空にも魔法的な断層が生じており、飛翔や転移の魔法による移動が不可能になっている。
この障壁は、東西の行き来を阻む障害になるだけではなく、海底トンネルに住む魔獣やドラゴンの外部流出を防ぐ役割も果たしており、魔法的障害は、むしろ人々に安全という莫大な恩恵をもたらしているといえた。
だからこそ、この障壁を消すという手段を取れず、人海戦術による物理的な突破が敢行されることになったのである。
マナ断層の影響により複雑に入り組んだ海底トンネル内での探索系魔法は全く意味をなさなかった。そのため、徒歩による危険な探索作業を続ける以外に方法がなかったのである。
遅々として進まない探索作業に業を煮やした東カロン地方の冒険者ギルドは、オークの様に船に乗って物理的に海河を突破する以外にないという単純かつ明快な結論に至った。
その具体的な方法とは、第一段階として、南方のオーク帝国深くに侵入し、海岸に橋頭保を築き、そこから船で海河の急流に乗って北上しつつ西側の陸地に無理やり辿り着くという、生還を前提としない非常に危険なものだった。
少数精鋭の冒険者ギルド部隊は、密かにオーク帝国領内深く侵入し、数年かけて橋頭保となる拠点を築いてカロン海河の渡航を試みることになる。
3度目の挑戦で見事渡航に成功し、その後も同じ方法を10数回試みて人員を西側に送り続けた。
無事渡航に成功しても、それで終わりというわけではない。むしろ、ここからが困難の始まりだった。
東カロン地方の者にとって、西カロン地方は完全に未知未踏の領域で、調査だけで数十年に及び、さらに活動拠点となる土地や都市の選定に20年の月日を費やした。
100年単位の長期的な計画で進められた西カロン進出事業は、ちょうど50年目に海底トンネルの出口の上に存在する小都市クリプトを発見したことで加速する。
そこから、30年かけてクリプトに浸透して実権を握り、さらに150年かけて今現在の自由都市クリプトの姿に成長させたというわけである。
この長期的事業は、100年も生きられない定命のヒト種には到底不可能なもので、よって、この事業の参加者は全て長命のエルフ及びハーフエルフである。今現在の冒険者ギルドとその関連組織の長がエルフ族であるのは、その名残である。
彼らには人間のような代替わりという概念が存在しない。現職は当時の過酷な旅の記憶を鮮明に残したまま、今日も変わらず粛々と任務に精励しているのだ。
旧クリプトは、冒険者ギルドが浸透工作を始める以前は、遺跡(海底トンネル)の入口を封鎖し守護する城塞都市だった。規模は、今現在のナントほどの小さな都市で、当時は、守備隊とその家族が人口の大半を占めていた。元々ゴブリンの支配地域を無理やり占領した土地で、人の往来から自然発生した街ではないのである。
ガスビン鉱山の好景気に牽引される形でガスビン市街の衛星都市的な立場に移り変わっていった。冒険者ギルドがこの地を訪れたのがこの時期である。
ガスビン鉱山という名称は、元々は鉱山を形成するガスビン山地全体を指していたのだが、冒険者達のいう今現在のガスビン鉱山とは、精錬所跡と廃墟となった旧市街地を指す狭いエリアに使われている。
精錬所跡は、塔のように細長く切り出した岩山をベースに鉄で補強した半人工の山で、内部には巨大な精錬工場が存在する。鉱山全体を管轄する中枢組織もここにあった。
精錬所を構成する塔は、ダーヌ川から引き込んだ三日月型の人工池の上に存在し、その池の周辺に市街地が形成されている。今は、それらの廃墟をひっくるめた場所を指してガスビン鉱山と呼んでいるのだ。
ガスビン山地全体に張り巡らされた坑道から採掘された鉱石は、トロッコを使って精錬所に運び込まれる。
精錬所から四方に伸びた高架橋の上をトロッコが滑るように流れていく当時の光景を記憶している者はエルフ以外にはもう存在していないだろう。今はそのほとんどが崩落してしまい当時の面影はない。
バブルが崩壊した後、客足が遠のいた温泉街を思わせる旧市街地の廃墟群は、今はゴブリンの楽園である。
ゴブリンと人間は無条件の敵対関係にあるのは周知の通りだが、実はゴブリンを嫌う種族はヒト種だけではなく、嗅覚に優れたコボルトを始めとした犬系由来の魔物や亜人種とも無条件の敵対関係にあった。
この相関関係を利用して、かつてのガスビン鉱山では、本来敵であるコボルトを隷属化して対ゴブリン用の番犬としたり、鉱夫として使役していた。
その名残で、人が去った精錬所と人口池周辺はコボルトの支配下になっている。
このコボルトたちは、ケーブコボルトと呼ばれ人間に対しては敵対せず中立関係にある。
敵の敵は味方というように、ゴブリンという共通の敵がいるおかげでケーブコボルトとは友好的中立関係が成立しているのだ。
しかし、精錬所以外の坑道に住むコボルトは、精錬所付近のケーブコボルトの支配下から脱して完全に野良化しているので、こちらのコボルトは冒険者の狩りの対象となっている。
このように、ガスビン鉱山周辺は、他では見られない独自の生態系が生まれたのである。
そして、ガスビン鉱山の衛星都市だったクリプトは、廃鉱によって急速に衰退していくことになる。
冒険者ギルドの浸透工作がそうした衰退期を好機と見て一気に加速するのは当然の流れだろう。表向き運送業を営み資金も豊富だった冒険者ギルドにとっては渡りに船だが、斜陽にあったクリプト領主側にとってもそれは同じであった。
当時のクリプト領主は、自身の生活の保障と引き換えに街を冒険者ギルドに売却してしまったのだが、今現在のクリプトの総資産額を考えると、安売りし過ぎたことを後悔しているに違いない。
ちなみに、ガスビン鉱山を有する旧ヴァスカヴィル領は、ピュオ・プラーハの直轄地で、隣接するクリプト自体はどこにも所属していない独立した中立都市という立場である。
隣接する大国ピュオ・プラーハにいつ吸収されてもおかしくない小国クリプトだったが、周辺の政治情勢がそれを躊躇わせた。
ガスビン鉱山を有する旧ヴァスカヴィル領は、今現在は中立都市国家群の中にあって、宗主国のピュオ・プラーハとは国境を接していない離れた位置にある。所謂飛び地で、パレスチナ自治区におけるガザ地区のようなものである。
原因不明の鉱山事故によって住人の大半が消えてしまったガスビン鉱山の影響で、旧ヴァスカヴィル領の価値も一気に落ちて領地全体の人口が激減、今はゴブリンやコボルドが覇権を争う危険な土地になってしまっているのだ。
ピュオ・プラーハと国境を接していないことや、近隣諸国と係争中であること、さらに領内の治安が最悪になってしまったこと、それら諸々の事情によりガスビン鉱山の調査がなされない状況が長く続いてしまう。
この状況は、ピュオ・プラーハと敵対する中央の独立都市国家群にとっては都合が良かった。何故なら鉱山収益が完全に遮断されることで、大国ピュオ・プラーハが確実に弱体化するからである。
そんな情勢の中、注目を浴びるのが旧ヴァスカヴィル領と国境を接するクリプトである。
クリプトという土地は、地理的には二大大国に挟まれている交通の要所に見えるが、これは今現在の地図を見ているからそう思えるだけである。
西カロン地方がプラーハ王国一国に統一されていた時代は、当時物流の中心だったダーヌ川の水運網から大きく外れた交易に適さない僻地というのがクリプトの位置づけだった。
情勢が大きく変わった今現在だからこそ、大国同士を最短で繋ぐ要地としての価値が一気に高まったわけで、昔は陸の孤島のような場所だったのである。
降って湧いたかのように急に重要都市の一画に躍り出たクリプト。この土地がピュオ・プラーハ領になってしまうと、飛び地になっているヴァスカヴィル領と地続きなると同時に、南のカント共和国と直接交易が可能になってしまう。
カント共和国とピュオ・プラーハの交易に高い関税をかけて莫大な利益を得ていた中央の都市国家群としては、この最大の利権を手放すことは国の存亡にも関わる大問題だった。
彼らはクリプトの中立性を守るためにあらゆる手段を講じてピュオ・プラーハに対し、熱心にそして執拗に妨害工作を行ったのである。
独立都市国家群は、ピュオ・プラーハに対する妨害という名の嫌がらせをする一方で、衰退したクリプトに対するテコ入れが必要だという認識で一致していたが、地理的に直接的な支援が難しい状況でもあった。
その支援の実行部隊として名乗りを上げたのが運送会社を隠れ蓑にして活動していた冒険者ギルドである。
冒険者ギルドの、この支援と称した一連の行動は、事実上の乗っ取り行為である。しかし、ピュオ・プラーハにとっては痛手になるので、中立都市国家群としてはやぶさかではなく、むしろ歓迎されることになる。
独立勢力として独り立ちすることに成功したクリプトは、ピュオ・プラーハの影響力を排しただけではなく、ヴァスカヴィル領への連絡を遮断する結果となったことで、ガスビン鉱山の復興を頓挫させる結果となった。
これは、ピュオ・プラーハ側とすれば許しがたいことで、中立都市国家群としては完全にしてやったりである。
しかし、冒険者ギルドが支配したクリプトは、中立都市国家群の連合には参加せず、距離を置いて逆にピュオ・プラーハとは友好関係を結んでしまう。
中立都市国家群は、それぞれが独立国だが、反ピュオ・プラーハで団結した事実上の連合国である。当然ながら彼らの言い分として、クリプトもその連合の一翼であるという認識である。しかし、新参である冒険者ギルド側からすれば、そんなくだらない権力闘争には関わりたくないわけである。
魔法インフラとガードシステムという強力な力を持つクリプトは、短期間で西カロン地方の一勢力として無視できない存在となっていった。
そして、どの勢力にも加担しない中立を宣言し、全ての勢力と公平な取引をする自由交易都市を名乗るようになったのである。
現在のクリプトは、当時のクリプトに比べ、面積でいえば10倍、経済規模では実に1000倍以上に膨れ上がっており、西カロン地方有数の大都市に数えられるまでに成長していた。
冒険者ギルドがもたらし、クリプト一都市から始まった魔法インフラと治安維持システム(ガードシステム)は、西カロン地方の在り方を大きく変えてしまった。
そして近年ようやく冒険者の質量ともに成熟期を迎え、東カロン地方へ向けての攻略が本格化しはじめたところである。
ここまで来るのに、実に200年以上の月日を費やしたわけだが、その成果が目に見えるようになるには、更に100年単位の月日を消費しなければならないだろう。
それでも、エルフたちの時間感覚でいえば、些細な誤差でしかないのかもしれない……
眼前にそそり立つ自由交易都市クリプトの『豊穣門』と呼ばれる南城壁門を潜り抜けると、たくさんの馬車と人でごった返した大通りに出る。
通りの左右には、港湾都市アリアドでも見かけた大きな倉庫とクレーンが見え、荷物が宙を舞う光景が目を引く。
初めてここを訪れた者は、商業都市としてのクリプトの姿に驚嘆するだろう。しかし、ここは厳密に言うと『まだ』クリプトの市街ではない。内と外を隔てる城壁門の内部に過ぎないのだ。
クリプトに存在する巨大な城壁門は、それそのものが城郭を持つ小都市と同じであり、ここが交易の中心地でもある。
クリプトは独立した都市国家であり、北のピュオ・プラーハも南のカント共和国も『他国』である以上、出入国の手続きは当然必要になる。例えば、カント共和国からピュオ・プラーハへ荷物を届ける際は、豊穣門で入国手続きをして、北側の城壁門である『王国門』で出国の手続きをすることになるのである。
各所に配置されている城壁門の内部は、まだクリプト市内ではなく、ここでの商取引には税金がかからない。同じ品物でも内と外では値段が違うので、安く取引が出来る城壁門内が自然と賑わうという寸法である。
城壁門は、外門と内門の2つの門で仕切られており、ピュオ・プラーハとカント共和国を行き来するには、豊穣門と王国門の各2か所、計4か所の門をくぐる必要があり、簡単に素通りすることはできない構造である。
「ようやく帰ってきたぞー!」
「何だか久しぶりだねー」
「1か月振りくらいかな?」
「少し見ない間にクリプトもだいぶ変わったなー」
「いや、全然前と同じ」
「ひと月でそんなに変わるわけありませんよ」
自由交易都市クリプトの南側に位置する豊穣門に、ルーキーの亡命者パーティーらしき6人がたむろして何やら騒いでいる。
この6人は、豊穣門から出発した時は、名もないただの無名のルーキー集団でしかなかったが、戻ってきた時には『虹ノ義勇団』などと立派なパーティー名を引っ提げた無名のルーキー集団になっていた。
「なんだよ、みんなノリが悪いなー」
パーティーのトラブルもといムードメーカー的役割を果たしているアンが、仲間のノリの悪さに苦情を言うが、これはいつも通りの展開である。
「馬鹿言ってないで、銀輪隊商警備のみなさんに挨拶するわよ」
そして、リーダーのアヤがアンを嗜めるまでがテンプレートである。
「一応、契約ではコンコードまでになっていたが、今回は急な別件が入ってしまったからな……」
「どのみち私たちはクリプトに戻りますし、何も問題はありません」
銀輪隊商警備のリーダーであるセージ・イノーエーは、こちらの都合でスケジュールが変わってしまったことを詫びながら、ここで虹ノ義勇団との護衛契約が満了したことを宣言する。
「銀輪隊商警備の皆には悪いが、このまま囚人をガードセンターまで護送してほし――あっ、すまん続けてくれ」
銀輪隊商警備と虹ノ義勇団が向かい合って挨拶をしている場に、空気を読まずガード・インスペクターのリッカー・モンブランが割り込んでくる。
間の悪さに定評があるモンブランというレッテルが、彼らの中でデフォルトになってしまった今となっては、この流れはすっかり見慣れた光景である。
自分のことだけで周りが見えていなかったモンブランは、解隊式に気付いて前に進める足を引っ込めてその場で見守る。
このような自重を覚えただけでもたいした成長ぶりである。当初のモンブランであれば、解隊式すら蹴散らす勢いで囚人の移送を優先させていたことだろう。
2つないし複数のパーティーを合同させ1つの組織として運用することをアライアンスを組むと言う。今回の隊商護衛は、銀輪隊商警備と虹ノ義勇団との間で組まれたアライアンスというわけで、これを解隊する際は、その場で報酬等の清算をするのが一般的である。
冒険者ギルドが関係する報酬のやりとりでは、鬼籍本人手帳に紐づけされた冒険者免許証を利用したキャッシュレスが基本である。クエストなども達成条件を満たした時点でギルドに報告が飛んで、報酬金が自動的に個人またはパーティー共有口座に振り込まれる。報酬が物品である場合は、ギルドに設置されている報酬ボックスから受け取ることになる。
「それでは、みんな元気でな」
「また、ご一緒できればいいですねー」
「みんな、死ぬんじゃないよ」
「ありがとうございましたー!」
隊商警備の面々から労いと激励を受けたルーキーたちは元気よく挨拶を返し、囚人移送の車列を見送った。
「……いろいろあったけど、終わってみれば楽しかったな……」
ジミーがポツリとつぶやく。その微妙な間から一抹の寂しさのようなものが感じられた。
アクィラ・フォレスロッタを始め歴戦の強者揃いの銀輪隊商警備のメンバーがいなくなり、急に心細くなったのかもしれない。これには、他のメンバーも同意のようである。
虹ノ義勇団にとっては、多くの実りある経験と同時に自分たちの弱さを痛感した旅でもあった。
「私はミリセントさんにまた会いたい。次は気絶しない」
不思議ちゃんのユウイが、今回の旅で出会った中でも極めつけにおかしい人物の名を挙げる。
「いやいや、あいつめっちゃやばいでしょ?」
一個人のカルマを見ただけで泡を吹いて気絶してしまったという不名誉を与えてくれた少女の顔を思い出し、ユウイの言葉をアンは思い切り否定した。
「私は、アクィラさんの行動のほうがびっくりだったよー」
「少し変な人だとは思っていたけど、あそこまでとは……ね」
メープルの言葉にアヤも苦笑しながら同意する。
普段ののんびりした雰囲気とは打って変わっての戦闘時の鬼神の如き強さ。この温度差で風邪を引きそうである。そんなアクィラの更に常軌を逸した変態ぶりは、若い6人の記憶に強烈に刻み込まれてしまったようだ。
「僕は、知らないところで重大な事件が起こっていたことに興味がありました」
「確かに、凶悪犯の移送の護衛とか、なかなかあることじゃないよな」
ハカセことショーターの意見に同意するジミーことハヤタ。
「っていうか、かなり冒険者ポイント稼げてるよね?……ほとんど移動ばっかだったのに……」
アンが手帳を広げて今回の稼ぎを確認している。配達の仕事は金銭的にも冒険者ポイント的にも大した稼ぎにはならない。数をこなしたとはいえ、予想の3倍以上の冒険者ポイントが稼げていたことに気付き驚きの声を上げている。
それを受けて、他の5人も同時に手帳を開く。
人と物でごった返する城壁門内部の大通りを避け人気の無い隅っこで、スマホに夢中な現代人のように、手帳を食い入るようにみている6人。便利な道具に行動が縛られてしまうのは、いつの時代も同じだ。
冒険者ギルドから発行される冒険者免許証と紐づけられた鬼籍本人手帳の写し(コピー)は、ギルド等から発行されるクエスト等の最新情報や自身の口座の状況などを閲覧できる機能が搭載されている。手帳自体に免許証以外の許可証やポイントカード等と紐づけできるので、使い込むほどに機能が充実して、やがてそれなしでは生活できなくなっていくのである。
この拡張版の鬼籍本人手帳は、冒険者ギルド会員だけではなく、商工業ギルドや卸売業や各種運輸業ギルドでも広まり始めている。
そのためか、街中で手帳を覗き込んでいる人を多く見かけるようになった。
「配達クエストってこんなに美味しかったっけ?」
「まさか……」
「ポイントが多くもらえているのは、初回特典みたいなものですね」
「初回特典?ハカセ、何ソレ?」
「初めて行く街、初めて倒した敵、そんな初めての諸々にはポイントにボーナスがつくんですよ」
冒険者の見習い的立場にある亡命者たちには、冒険者ギルドからのはからいで、様々な特典が与えられている。その一つが初めての経験に対する初回特典である。
実は、移動距離にもボーナスが付く。これは、冒険者ギルドの目的が新天地を目指しているという建付けの組織だからで、フロンティア精神旺盛な文字通りの冒険者を育成するためだからである。
「そいえば、そんなのがあったわね……特に気にもしてなかったけど……」
優等生で通っているリーダーのアヤは、稼げるお金やポイントにはあまり頓着しない。こうした点を一番気にするのはアンである。アンは順位とか優劣をとにかく気にするタイプで、それは稼ぎにおいても同じである。
最低限の労力で最大限の利益を得ようとするのは何もアンに限ったことではない。ほとんどの冒険者の目指すところは、結局のところ効率なのだ。
それとは逆に、リーダーのアヤは報酬よりもクエストの成否によってもたらされる影響を考慮にいれたクエスト選びをする傾向でなる。具体的には、鉱山に籠ってゴブリンを狩るより、街道の警備や隊商の護衛をするほうが喜ばれる――と、公を意識した実に優等生らしい選択を好むのだ。
今回のカント共和国における『護衛配達クエストキャンペーン期間』を提案したのがアヤで、効率よく稼ぎたい派のアンは当然ながらこれを嫌がった。
しかし、ハカセから稼げるとお墨付きを得ていたので、渋々応じたのである。
本来、配達や護衛のクエストは、稼げないクエストの双璧と言われて、育ち盛りの亡命者ルーキー達の間では不人気クエストだった。
しかし、初回、初見のボーナスの存在は完全に盲点だった。これに気付いたハカセは流石である。自称データベースは伊達ではないということだろう。
「新人指導要綱(ルーキータスク)に追加報酬の件は書いてありましたよ?新しい街、ランドマーク、それに移動距離もその対象になりますから、今回の旅はその達成ボーナスでかなり稼げたと思いますよ」
「流石、ハカセだな」
素直に称賛するジミー。
地味だからジミーというあだ名を拝命されてしまったハヤタは、自身の持つ地味の天賦によって天然の隠密能力を有し、戦闘においては無類のアタッカーとして活躍する、パーティーになくてはならない人材である。
地味の天賦は、スキルを取得しなくてもSランクの隠密スキルが自動で発動するという、とんでもない天賦である。ただし、天賦というのは、スキルのようにオンオフが不可能なため常時発動状態である。そのため、日常生活においても気付いてもらえないこと多々で非常に不便である。6人で初めて行く食堂では、必ず5名様ですねと言われてしまう。笑い話の様だが本当のことである。
トップギルドならどこでも欲しがる超優秀な天賦を持つ彼だが、その地味さ故に他者からほとんど認知されず完全に埋もれた人材となってしまっていた。
パーティー内での彼の役割は、索敵などの情報収集と、戦闘においては強力なバックスタブ(不意打ち・闇討ち)による一撃必殺の超絶アタッカーである。
彼の持つ索敵能力によってもたらされた情報は、パーティー内の司令塔であるアヤやショーターらによって分析されパーティーの行動を決める材料に用いられる。
この個性的で職業バランスも悪いパーティーが、これまで何とか生き残ってこれたのは、偏にジミーのおかげだといっても過言ではない。
はっきり言ってしまえば、このルーキーたちにはもったいない人材であるが、その地味さ故に皆彼を過小評価してしまうのである。そして、ジミーもまた自分自身の凄さを全く認識しておらず、自己評価も極めて低い。この自己評価の低さが地味という天賦の最低限の資格なのだろうか。
この虹ノ義勇団では、ハカセことショーター、イインチョーことアヤ、そしてアンの3人がパーティーの主導的立場にあって、具体的な目標を設定することが多い。
普段威勢の良い言動でパーティーを主導しているように思われているアンは、実は超がつく慎重派。言動とは裏腹に失敗を極端に恐れて、積極的なアヤとの間で度々対立する。
ジミーからもたらされた情報を分析したショーターが具体的な成功率を上げてアヤの作戦を評価してアンを説得する――というのが、このパーティーの基本的な流れである。
ジミーは基本的に受け身で、自ら積極的に意見は言わない。言ってもアンなどに頭ごなしで否定され喧嘩になってしまうので自分からは意見を言わないようにしていた。
パーティー内ではジミーと同じように過小評価されているメープルも同じ理由で意見は言わない。
ちなみに、不思議ちゃんのユウイは、そのどちらでもない孤高の地位を確立している。彼女は積極的に物を言うが、あまりにも突拍子もないことを言い出すので、誰にも相手にされないという点で唯一無二の存在なのである。そんなわけで、別の理由で彼女は意見を言わないグループに属することになったのだ。
これは、必ずしも自分を押し殺して我慢しているわけではない。皆が皆、勝手なことを主張していたのではパーティーは上手く立ち行かないと、何度も何度も失敗を重ねた結果、皆で話し合ってこのような形に落ち着いたのである。
特にカルマ傾向がバラバラなこのパーティーでは意見の衝突は避けられない。適材適所で得意分野はある程度おまかせしてしまった方が、良い結果を生むことになることをこれまでの経験で学んだ結果である。
「それに、今回、凶悪犯の囚人護送クエストがありましたからね。これが予想外のボーナスになりましたよ」
新しい発想を生み出す点においてはパーティー内最低ランクのハカセだが、知識を蓄え必要に応じて取捨選択する点においては右に出る者はいない。
亡命者特権をフル活用して最大限の利益を上げたパーティーのデータベースでも、流石に今回の囚人護送の緊急クエストは予測できなかったようである。
「便乗とはいえ、これが高難易度Aランクのクエストになったみたいね。ガードセンターから多額の謝礼金が入ったわ」
「Cランクのクエストすら達成できなかったのに、Aって……すごい!」
「これで、スキルと装備を更新できそうね!やったー!」
アヤらの言葉にアンは歓喜の声を上げる。これは別にアンだけのことではないだろう。皆表に出さないだけで嬉しくてたまらないのだ。
スキルや装備がワンランク上がれば狩場も変わる。そして収入も増える。
「その前に何か食べよう」
せっかくの雰囲気に水を差すユウナ。不思議な感性を持つ彼女は、パーティーの空気を換える別の意味でのムードメーカーで、深刻な状況でもポーカーフェースで全く動じない。彼女がいればどんなピンチでもなんとかなりそうな大物のオーラを醸し出している。しかし、、醸し出しているだけで何も起こらないのがユウナのユウナたる所以である。
「確かに、ここで立ち話も何だし、今日はワンランク上のお店にしましょうか?」
「いいね!」
「(ぐぐぅ~)」
絶妙なタイミングでメープルの腹時計が鳴る。
彼女はこのパーティーでは一番身体が大きく、そして、食いしん坊である。
身体は大きいが小心者のメープルは、常に誰かの視線を気にしておどおどして、目立たないようにしている。しかし、身体が大きく装備もごついフルプレートなのでとても目立ってしまう。
そんなメープルも、パーティーが上手く回るようになってからは自信がついて背中を丸める必要もなくなり、そして、良く笑うようになった。
「えへへへへ……」
皆に笑われて、テヘヘと照れ笑いをして見せるメープル。
スキルや装備の更新などの積もる話は、飲み食いしながら楽しくしたほうがいいだろう。
メープルの腹時計を合図に、虹ノ義勇団の6人は豊穣門を後にし、冒険者の街クリプトへと向かって横並びで歩き出した。
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