第41話 「ハーフエルフ」
第四十一話 「ハーフエルフ」
「リッカー・モンブラン、戻りました」
指名手配犯の逮捕及び護送の任を終えたリッカー・モンブランは、求めに応じガードセンター長官の執務室に出頭した。
「お疲れさまでした。長官は応接室にて閣下をお待ちです。どうぞお入りください」
ガードマスターの執務室でモンブランに応対したのは、ガードマスターの秘書官セギ・パウンドである。
パウンドは在任期間が半年にも満たなかった歴代の秘書官の中では珍しく、2年以上ガードマスターのそばにいる。癖の強いガードマスターの秘書を2年以上も続けられるのは大したものである――といのが、周囲の彼に対する評価だ。
どういう意味での大したものなのか――は、彼の上司をどう評するかで変わってくる。上司を悪い意味で捉えるなら、彼は良い意味で評価されるだろうし、逆なら面白みのない無感動、無感情な男――とみられてしまう。
そんなセギ・パウンドは、10も年下のモンブランを表向き快く出迎え、執務室に隣接した応接室へと大任を終えた彼女を案内した。
「ありがとう。では、失礼する」
飾り気のない質素で殺風景な執務室から、応接室へと姿を消すモンブランを見送るパウンド秘書官。年不相応な地位にある女性に多少の嫉妬心のようなものを感じつつも、彼女の難易度の高い職務内容を知っているの立場では文句の言いようもない。
「それにしても……」
尊大な彼女の口からありがとうというセリフを聞いたのは初めてかもしれない。
難しい任務をこなした優越感で気持ちが大きくなっているのだろう。この不思議な出来事に、パウンドはそんなありがちな理由を付けて一人納得して自分の席に着いた。
自由交易都市クリプトの治安維持の総責任者であり、全てのガードの頂点に立つアイーナ・シフォンは、秘書官の対応とは裏腹に、子飼いの愛弟子を諸手を挙げて歓迎した。
「よくきた!見事な働きじゃった!こ の任にお前を推したワシも鼻が高いというものじゃ! というか、あの任務はお前にしか出来んかったのじゃ!」
「恐縮です閣下」
「閣下はよせ!何度言えばわかるのじゃ」
「ありがとうございます、シフォン様」
「うむ!」
緊張がとれて笑みが漏れる部下を見て満足そうに頷くシフォン。
リッカー・モンブランの直属の上司であるアイーナ・シフォンは、自由交易都市クリプトの治安維持の全権と西カロン地方における全てのガードの頂点に君臨するガードマスターである。
東カロン地方の冒険者ギルドから派遣された第四期遠征隊のリーダーで、自由交易都市クリプトの創設者の一人である。
ちなみに、第四期遠征隊というのは200年以上前に編成された部隊である。
「(それにしても、いつ見てもすごい部屋だ……)」
殺風景な上司の執務室とは裏腹に、この応接室の豪華さは一体どういうことだろうか? 壁一枚で隔てられただけとは思えない、まるで異世界の扉を開いてしまったのではないかと錯覚するほどだ。
どこぞの王侯貴族を思わせる絢爛豪華なまるで異世界の応接室は、完全にシフォンの趣味である。そして、この趣味は金持ちの道楽的なものではなく、本物の貴族出身者による本場貴族の趣味を忠実に再現している。
ここで少し、アイーナ・シフォンについて説明しよう。
シフォンが東カロン地方を出たのは年齢600歳になろうとする頃で、今現在は800歳を少し超えている。
せいぜい100年が限界の人間の寿命では、アンデット化でもしない限り到達不可能な年齢である。
何故、800年もの命を保ち続けてこれたかといえば理由は簡単だ。アイーナ・シフォンはハーフエルフだからである。
近年、東カロン地方では、ヒトとエルフの混血は『稀に良くある』程度には見かけるようになった。
それより以前は、互いの寿命が違いすぎる両種族が生涯の伴侶として、異種族を相手に選ぶことは非常に稀なことである。特にエルフ側は他種族との交配を悪とし、ハーフエルフが生まれること自体が禁忌に触れる事件として扱われるほどだった。
異種族混合の比較的新しい都市などでは、ハーフエルフもそれなりに多く見かけるようになったが、必ずしも一般化したというわけではない。
良く言えば開明的、悪く言えば変わり者同士が苦楽を共にし、成るべくしてなった結果としての副産物が、ハーフエルフというわけである。
ちなみに、ヒトとエルフのカップルには統計的に見て顕著な特徴が見て取れる。その特徴とは、父親がヒト、母親がエルフの組み合わせである。
父がヒト、母がエルフ。このような組み合わせになるのには、誰もが納得出来る最もな理由が存在していた。
古代種であるエルフは、全種族の頂点に君臨する種族であるという民族的な自尊心が生まれつき備わっている種族である。
同じく古代種であるドワーフとは、有史以来のライバル関係にあり昔から犬猿の中で有名だが、新参種のヒトは端から対等な存在とは見なしていなかった。
こうしたエルフ族特有の根深い選民意識が、他種族との積極的交流を妨げていた。こんな彼らの精神構造においては、異種族同士の結婚などもってのほかだったのは言うまでもないだろう。
一方、新しいものを常に取り込み、世代交代を繰り返して急激に変化していくヒトが世界の覇権勢力として台頭しはじめると、長命で世代交代の遅いエルフは時代の流れに次第に取り残され始める。
ヒトが増長の極みに達したそんな時代、有能で野心に満ちたヒト種の天才魔導士が、自らを魔王を名乗って世界征服を目論み、人類に対し宣戦布告するという事件が東カロン地方で勃発する。これが『魔導大戦』である。
魔王は、人類種との戦争における主戦力にオークを用い、高度な階級社会を形成させ強い軍隊を育成した。この時生まれたオークの階級社会が文明として根付き、魔王が討伐された後の魔王軍の空中分解を食い止め、今現在のオーク帝国の礎となったのは言うまでもない。
この大戦による混乱は、魔王が討伐されたことで一寸治まったが、すぐにオーク帝国が勃興し、東カロン地方は混迷の度を深めていくことになる。
種族間を超えて一旦は協力して見事魔王を討ち払った人類だが、この期に及んでも種族間の対立がくすぶり続けていた。その一方で、オークが強固な帝政を布いて一つにまとまっていったのは皮肉なものである。
魔王討伐直後、戦線を一気に押し戻した人類だが、生き残ったオークにとどめを刺す前に、取り戻した領地の分配で揉めるという愚劣極まりない状況に陥って内乱が始まってしまう。
魔王軍改めオーク帝国軍として生まれ変わった混沌の軍勢は、反撃に転じて戦線を一気に押し返した。
以後、戦略的な意味も戦術的な目標もなく、ただ戦力の疲弊と補充を交互に繰り返すだけの不毛な消耗戦が繰り広げられる結果となった。
東カロン地方の南部はオーク帝国の単一勢力のみで支配されている一方で、北部には未だ統一国家は存在せず、その時々の情勢で連合を組んで事態にあたる状況が続いていた。
オーク帝国と国境を接している国とそうでない国との間で生じる温度差や、戦争を食い物にする内憂が割拠するなど、一向にまとまる気配はなかった。
そうした状況で、安心して外患にあたれるように内部の治安を安定させる組織が誕生した。これが冒険者ギルドである。
治安維持に特化したガードシステムの発明によって後方が安定し、戦力を効率よく戦線に送り出せる体制が整い始めた。
一時的に戦線が安定し、膠着状態という名の僅かな平和の時が訪れた。
ちなみに、陸上侵攻に行き詰ったオーク帝国軍が、次にとった戦術が海河を縦断する強襲揚陸作戦で、これは今現在進行形で行われている作戦でもある。
ハーフエルフの話に戻そう。
東カロン地方のまとまりのなさの要因の一つが、プライドの高いエルフの各部族国が連合を嫌がって単独で事態にあたったことである。
小さな部族から巨大な王国まで無数の国を有していたエルフだが、この大戦の矢面にたってその多くが滅亡してしまい、故郷を失った流浪のエルフが大量に発生した。
そもそも、この魔道大戦というのは、エルフに虚仮にされたヒト種の魔導士の反骨心がモチベーションとなって始められた私怨の戦争で、これに同調するヒト種の魔法使いは意外に多く、大勢の魔導士がこの戦いに参加している。
当初は、それらの魔法使いが将軍となってオーク軍を率いてエルフと戦い、莫大な戦果を上げたのである。
エルフ側にしても、ヒトを嫌う理由はこれだけで十分というものだろう。
エルフの多くは、他のエルフの国に亡命するなどして統合されていったが、そのまま流浪を続けたエルフも大勢いた。
この流浪のエルフをノーマッドエルフと呼んで国を持つエルフたちと明確に区別しているが、彼らが冒険者ギルド創設の力になって活躍するようになったのは自然な流れかもしれない。ちなみにヒトの街やドワーフの里などで見かけるエルフはこのノーマッドエルフたちである。
そして、ノーマッドエルフは、ほぼ全て女性である。何故なら、男はほとんど戦争で亡くなり、戦える生き残りは他のエルフの軍勢に糾合されたいったからである。
男性のノーマッドエルフを見かけたとすれば、それは名誉ある戦いから逃げた、臆病で卑怯者というレッテルが貼られたルーザースエルフだ。これはゴブリン以下という意味で、非常に屈辱的なレッテルである。
話が長くなったが、これが、ハーフエルフの両親の性別の偏りの理由である。
そもそもエルフという種族は混血を望まない傾向が強いことや、寿命が違い過ぎるなどの諸々の理由で、異種族カップルが成立しないのだ。それでも、中には物好きが少なからずいるわけで、ハーフエルフの数は緩やかな右肩上がりが現状である。
アイーナ・シフォンは、その数少ないハーフエルフの一人である。
しかも、彼女の場合、父親がとあるエルフの国王、母親がそのエルフの国に嫁いだヒト種の王女殿下である。
このような稀有な組み合わせが出来てしまったのは、全て戦時の混乱のなせる技だろう。
理由はそう難しいものではなく至って簡単である。ようするに、国境を接して対立していたエルフとヒトの国同士が、オーク帝国という共通の敵を相手に同盟を結ぶ必要に迫られた末の苦渋の選択によるものである。
仲の悪い者同士の同盟は、常に裏切りという名の疑念が付きまとう。これを防ぐために最も効果的なのが婚姻を通じて2つの国が親戚同士になる政略結婚である。
これはどの国、どの時代で頻繁に行われた鉄板の同盟方法といえよう。
ちなみに、アイーナの母親は、当時16歳で、彼女の実家――つまりヒトの国に嫁いだ姫君は300歳を超えた『うら若い』エルフである。更に蛇足だが、エルフ側では無事アイーナが誕生したが、ヒト側に嫁いだ姫はすぐに出戻ってしまい同盟は破棄されてしまった。
更に蛇足の蛇足だが、アイーナの母は、当初、当然の如くエルフからは歓迎されていなかったが、自ら戦場に出て戦い、何度も味方の窮地を救って武功を重ね、義勇兵部隊をまとめる将にまで上り詰めていた。実家との同盟が破棄され、人質の意味をなさなくなってからもエルフ王に対する忠誠は揺るがなかった。
この母親の忠義のおかげもあって、ハーフエルフでありながらアイーナ・シフォンは、貴族の地位を与えられ国が亡ぶまで、その地位にふさわしい待遇を受けてきたのである。
アイーナは、両種族の王家の血と能力を受け継ぎ、ハーフでありながらエルフと同等以上の魔法使いとして頭角を現す。アイーナが50歳を超えた頃、母親は寿命で亡くなってしまうが、武芸に秀でた母親の全ての能力を継承して更にパワーアップしてしまう。
その後の顛末は後述するとして、アイーナのような特殊な事例は後にも先にも、この一例だけである。
西カロン地方で最も古い血筋であるプラーハ王家でも、ここまで絢爛豪華な調度品を揃えられるのだろうか? などと思わず唸ってしまいそうな応接室に招かれたリッカー・モンブランは、勧められるがまま上司の正面に座らせられる。
応接室はそのまま彼女の私室にもなっており、執務室と反対側の扉は寝室だそうだ。入ったことはないが、恐らく天蓋付きのベッドは基本として、泡でいっぱいの浴槽が広い部屋の真ん中にドンと置いていある贅沢な浴室なども備わっているに違いない――と、妄想が捗るモンブランである。
仕事場と私的空間を混同させているなどけしからん! というのは現代人の感覚だろう。そもそもこの大きなお屋敷のようなガードセンターの建物自体がシフォンの私邸なので、どう扱うと彼女の勝手である。
しかも、このクリプトの街自体が彼女達、クリプト創設者の私物のようなものなのだ。そこに他国や異文化の常識を持ち込むのは全く以て無意味である。更に言えば、冒険者ギルドの前身となる陸運業社が、貴族であるアイーナ・シフォン個人の出資で作られた組織なので、ギルドもガードも全て彼女の私物といっても過言ではないのだ。
自由交易都市クリプトは、冒険者ギルドのギルドマスターであるケーヘン・ノッケルンが表向きの代表者だが、実権の多くはアイーナ・シフォンが握っている。これがクリプトの現状なのである。
派手に振舞っているわけでもないのに、隠し切れない滲み出る貴族の血が所作の全てを華麗にして優雅に演出している。
運良く大金を手に入れ、形だけの貴族の真似事をしても、その立ち振る舞いでお里が知れてしまうのが目に見える。彼女を見ているとそう痛感してしまうモンブランだ。
彼女の存在だけではない。この部屋全体が彼女の為だけに存在しているかのような印象を受ける。
扉と窓以外の壁全面を埋める絵画や調度品はどれも名画名工ばかり。まるで美術館や博物館だ。調度品を飾る飾り台ですら、高名な細工師に作らせた価値の高い工芸品である。調度品に合う家具を見つけてきたのではなく、調度品用に家具を特注したのだろうか? 部屋全体のバランスを考えた全て計算ずくのコーディネイトなのだろう。
貴族であることと美的センスは無関係と言いたいところだが、センスを磨くには環境が物を言うのだと、無慈悲な現実を痛感させられることしきりである。
ナントの街で任務をこなしていた時に出会った、ピンクの髪の少女が所持していたあの六分儀という面白いデザインのアンティークなら、この部屋に飾っても見劣りはしないだろうと考えたので取引交渉を試みた。しかし、残念ながら専用アイテムのアーティファクトは取引不可能なのであきらめるしかなかった。
珍しいものが大好きな上司のために、何か特産品でも手に入れて持ち帰ってくればよかったと、自身の気の利かなさを後悔してしまう。港湾都市アリアドなら、異国の品が手に入ったはずなのに……
上司の影響で、骨董品に興味を持ったモンブランだが、目利きには多少なりとも自信がついたが、それを手に入れるための機会が圧倒的に少なかった。いや、少ないというより、もっと貪欲に手を広げる努力をすべきだろう。
モンブランの上司は、金銭的な価値を重視しないタイプで、気に入ればそれがいくらかなど関係ない。ただ、彼女が気に入る物の値札には、決まって天文学的な数字が記されているだけである。
育ちの違いをまざまざと見せつけられ人知れず打ちひしがれている可哀そうな部下の心情に気付く様子もなく、自らお茶を淹れてちょっとした茶会と洒落こむシフォン。自らといっても自身の手足を動かすのではなく、魔法で茶器を操作して――である。
シフォンは組織の中で最高位の位置にあるが、普通こういった立場にある者は護衛や従卒をそばにおくのが一般的で、お茶を淹れるなどの雑用は彼らの役目である。
しかし、彼女はそばに従卒も護衛も置かない。これは全てを魔法でこなせる上に、人の手が行うよりも迅速かつ正確に作業を行えるからである。しかも戦闘においては並ぶ者がいない実力者でもあることから護衛など全く以てその必要性を感じないのだ。
仮に、規則だからと護衛や従卒を付けたとしても、彼女を満足させる仕事をこなせる人材など容易に見つからない。無理にその任にあたった者は、彼女を満足させることができず、すぐに栄転という名の体の良い厄介払いをされるだけである。まさか、クビにする理由に『お茶の淹れ方が下手だから』とは流石にできないからだ。
だからといって、クビにする部下を気遣って出世させても、世間はその理由を『お茶の淹れ方が下手だから出世できた』と受け取ってしまう。これでは格好がつかないどころか不名誉なレッテルを貼られて今後に支障が出てしまうだろう。
初めからそばに誰も置かなければ、誰も不幸にならないのだ。
身の丈とはよく言ったもので、違い過ぎる身分の者同士が同じ組織に所属するのは、何かと軋轢が生じるものなのだ。これは、上司や部下の関係だけではなく、例えば、冒険者のパーティーも、男女関係にも言えることである。
そもそもの問題として、ガードマスターという警備会社のような組織のトップの地位が、高貴なアイーナ・シフォンの身分にふさわしくない。そして、更に不幸なことに、一商業都市のクリプトには彼女にふさわしい地位など初めから存在しないのだ。
クリプトにおいて、今現在最も高い地位にあるのが冒険者ギルドのマスターである。東カロン地方の冒険者ギルドの創設にも一枚かんでいるアイーナ・シフォンなので、西でもそれなりの地位が与えられてしかるべきと考えるのが普通だろう。
しかし、自分以外全ての創設者がエルフであるクリプトの中枢で、ハーフエルフがトップに立つのは好ましくない。その危険性を良く知っている賢明なシフォンとしては、ケーヘン・ノッケルンあたりをトップに据えておくのが良いと考え、今現在の地位に甘んじているわけである。
もう一つ、シフォンがそばに人を置かない理由があった。
その理由とは、彼女の容姿である。
容姿が問題といっても、醜悪とか何かが足りないとか、或いは多いとかそういう類のものではない。
アイーナ・シフォンは容姿も端麗で、造形の才能に恵まれた彫刻家によって命を吹き込まれた彫像の様に美しい。
では、何が問題なのかと言えば、ずばり『見た目の年齢』である。エルフ族の年齢で800歳とえば意外と若い部類に入り、人間で言えばまだまだイケてる30代前半くらいである。
しかし、彼女の場合、人間でいう20代どころか10代、いやそれ以下の8歳程度にしか見えない姿なのだ。
つまり、現代のあるジャンルでいうところの『ロリババア』である。
ハーフエルフは、ヒトとエルフの混血を指して言うが、体質の異なる種族同士の交配は問題が多く、成長障害が起こりやすい。
理由は良く分かっていないが、ヒトの寿命換算で成長が止まることが稀にあるらしく、例えば、ヒトであれば肉体的に20歳前には完全に成長は止まる。しかし、エルフは長い時間をかけてゆっくりと成長し、500年以上かけて身体が成人になる。
そのゆっくり成長するエルフの成長スピードが、ヒトの時間単位で停止してしまうことで、見た目が完全な子供で肉体が固定されてしまうのである。
エルフは20歳程度だと、身体はまだまだ子供なのだ。
自由交易都市クリプトは、多数の人間を20名にも満たない少数のエルフ達が支配しており、彼らは基本表には出てこない。
街を運営しているのは選ばれた人間の行政官で、あくまでも人間の街としてクリプトは機能している。
ハーフエルフはもとより、エルフの存在すら西カロン地方ではほとんど知られていないのに、『8歳くらいにしか見えない少女がハーフエルフで800歳で自分たちより年上』と言われても、何言ってるのかわからないというレベルの話である。
実質トップの地位にあったシフォンだが、幼子と侮られ人間たちとの交渉事では、まともに相手にされずに話し合いの障害になってしまった。これ以後、彼女は裏方に徹することになった。
事情を知らないとはいえ、自分よりも年下の老けた顔をした小童共(旧クリプト領主)に心ない言葉や差別を受けたシフォンの心は、ささくれてすっかり人間嫌いになってしまったのである。
それでも大人の対応をし、人間の一生分の忍耐力を使い果たしたシフォン。このストレスを容赦のないクリプト簒奪作戦のモチベーションに換えたのは言うまでもないだろう。
もし、当時のクリプト卿がシフォンを丁重に扱っていれば、傀儡としてではあるがクリプト領主として君臨し、近代の歴史が少し変わっていたかもしれない。
ソファーに小さな腰を埋めてそばに立つ部下を見上げている可愛らしいハーフエルフの上司は、嬉しそうに向かいのソファーをモンブランに勧める。
アイーナ・シフォンは、ガード・インスペクター最年少のリッカー・モンブランよりも若い、まるで少女のような姿をしている。
その少女から醸し出される品の良いオーラは、どこぞの貴族のご令嬢を思わせる育ちの良さが感じられた。しかし、よく彼女を観察してみると、少女に似つかわしくない洗練された一連の所作に違和感を覚えるだろう。しゃべり方も少女のそれではない。むしろ、それはまるで老婆のようでもある。
この違和感は、それを受け入れられるかどうかは別として、理由を知れば頭では納得できるはずである。
アイーナ・シフォンは齢800歳を超えるハーフエルフなのだ。
リッカー・モンブランは、この800歳を超える少女を幼い頃から知っている。そのためか、シフォンの姿が少女のままでいることに何の違和感も感じていない。むしろ成長して姿かたちが変わってしまうことのほうに違和感を覚えてしまうだろう。
「失礼します」
勧められたソファーに腰を浅く下ろして手を太ももの上で組む。上司といってもただの上司ではない。クリプトの重鎮の1人に数えられる最古参の1人である。よく見知った仲とは言え、親しき中にも礼儀ありである。
しかし、執務室ではなく応接室に呼ばれるということは、今はプライベートということで良いのだろうか? その少しの戸惑いがかしこまった態度に出てしまった。
「そう固くなるな。難しい任務を見事にこなして見せた可愛い部下の労を労おうと思うてのささやかな茶会じゃ」
本心でそう言っているのか判断に迷ってしまいそうな、そんな少し意地の悪そうな笑みを浮かべるシフォン。彼女の年齢が見た目通りであるなら、それは他意のない無邪気な笑顔と受け取れるが、800歳のセリフと考えるとまるで逆のことを言われているように邪推してしまう。
上司とはかれこれ15年以上の付き合いなのだが、未だに彼女の本当の姿が見えてこない。
テーブルの上に既に用意されているお茶のセットが、ハーフエルフのしなやかな指の合図で、まるで命を吹き込まれたかのように動き出す。
アイーナ・シフォンの固有魔法である念動による物体の自動操作である。
「(見事なものだな……)」
所謂念動系と呼ばれる物を自在に操る魔法である。
魔法のカテゴリには大きく分けて2種類ある。スキル魔法とオリジナル魔法である。
スキル魔法とは、魔法使いの適性があれば誰でも覚えられる魔法で、自ら研究して身に着けるオリジナル魔法とは違い、手続き一つですぐに使用可能になる。魔法というより戦士の戦技スキルと同じカテゴリと表現したほうが正確だろう。
前者は術者の能力に依存せず動作や威力もほぼ一定だが、後者となると完全に術者の能力に依存される。同じファイアーボールの呪文でも、前者は誰が唱えても同じような効果になるように予め設定されているが、後者は、極端な話をすると術者の能力次第では世界が滅んでしまうような凄まじい威力になることも理論上ありえるのだ。
アイーナ・シフォンは念動魔法の使い手で、誰に学んだわけでもなく自身の研究によって生み出された彼女のオリジナル魔法である。同じ念動魔法でも、使い手によって個性が出るが、彼女の場合は日常生活と魔法を組み合わせた生活魔法を好む。
ちなみに、魔法を開発してオリジナルを創り出せるのは、エルフ族を始めとした古代種と呼ばれる古い民族たちに限られてしまう。
人間の中にも極稀に魔法を自在に生み出し操る天才が出現するが、寿命が短いために世界に大きな影響を及ぼすことは稀である。こうした天才魔法使いの中には、無限の時間を欲して、不死の魔法で自らアンデット化する者が多い。
エルフ種とヒト種の間には魔法的に超えられない壁が存在しており、リッカー・モンブランもまた、その超えられない壁の向こう側の住人なのである。
それでも、彼女には生まれ持った魔法の才能が備わっており、それを認められて子供の頃からアイーナ・シフォンのそばに置かれ、変身魔法を伝授されたのである。
この2人の関係は、上司と部下というだけでなく、師弟関係でもあるのだ。
この変身魔法は固有魔法に分類され、素質のあるものだけが身に着けることが出来る特殊魔法である。
変身魔法は、容易に誰かに変装してなりすますことができ、悪用もできるある意味危険な魔法である。リッカー・モンブランが、何故、治安維持の責任者に見初められたのか? 道を外さないように監視し、手の内で利用するという政治的意図も往々にしてあったのだろう。
「さぁ、どうぞ」
面白そうな顔でお茶を差し出すシフォン。差し出すといっても、ティーカップが宙を舞って向こうからやってきただけだが……
それにしても、今日はやけに機嫌が良い。任務の成功を祝うというより、これから何か楽しいことが起こると分かっていて待ちきれないという感じだ。
「……いただきます」
いたずらな笑みを浮かべるシフォンの表情を見ていると、紅茶に何か仕込んでいるのではないかと勘ぐってしまい、口をつけても喉の奥に流し込むのを躊躇ってしまう。いや、そうした葛藤をさせて楽しんでいるだけかもしれない。
これまでも、人を試したり、茶化したりして、こちらを困らせてきた実績があった。
「どうした? 毒の味でもしたか?」
毒と聞いて思わずティーカップから口を離す。しかし、毒の味とは何ぞやと、からかわれていることに気付き眉が複雑な動きをしてしまう。
「え?いえ、いただきます(やっぱり楽しんでる……)」
今度はしっかりとすすり、琥珀色の液体を喉に流し込む。毒の味は分からないが、いつも通りの美味しい紅茶の味である。しかし……
「む?はぁ?こ、これは?お酒?」
「わはははは!どうだ、ワシの酒の味は?」
してやったりといった表情のシフォン。
「え?確かに紅茶の香り、味も紅茶だったのに……」
「喉に入るとワインに戻る変身魔法の応用じゃ」
「ケホッ、ケホッ」」
アルコール特有のむせ返るような酒気が咽頭を逆流して鼻から抜けていく。
口に含んだ時は確かに紅茶だった。しかし、喉に落とした瞬間にアルコールに変わった。いや、この場合、戻ったというべきだろうか?
「一気にいってくれれば、もっと楽しいことになっておったのにのー」
モンブランを応接室に呼び出した時は、展示品のお人形さんのようにしおらしかったのに、5分と経たず本性を現してしまうシフォン。
あのまま一気飲みでもしてくれれば、もっと面白いことになっただろうと、残念がっている様子は子供の無邪気な悪戯か、或いは小悪魔の仕業である。
「マスター!」
「まぁまぁ、そう怒るでない。今、お前の飲んだ酒は400年物の白じゃぞ?任務達成のご褒美じゃ」
「ご褒美でしたら、普通に飲ませてください」
「それでは面白くないじゃろ?それに、これを使えば誰かを毒殺する時に便利だと思わんか? キヒヒヒ」
魔女の様に笑うシフォン。実際魔女なのだが、その笑い方は年老いた魔女にこそ似合うものだろう。いや、少女でも問題ないか……
「わ、私で練習しないでください!」
「相変わらず頭の固いヤツじゃな」
そう言って、紅茶を偽装した高級ワインをティーカップでグイっといくシフォン。
見た目は10歳にも満たない少女、いや幼女とでもいうべきか? その小さな身体にギルド職員と同系統の軍服のようなデザインの衣装を纏っている。これはモンブランのものと基本同じだが、小さなマントのようなボレロジャケットが彼女の身分の高さを強調している。
冒険者ギルドとガードセンターは同じ組織の別の部署という関係で、制服等のデザインは色が違うだけで基本的に同じである。ちなみに、冒険者ギルドの制服がグリーン系で、ガード関係はパープル系である。そして、偉くなるほど色が濃くなり、刺繍といった装飾が増えて豪華になるのだ。
軍隊とは違うので、階級章のようなものは身に着けないかわりに制服のグレードで身分を表しているというわけである。
「我々ガードインスペクターには悪意を見抜く力がなくては務まらん。常に悪意の存在を意識し、その技を熟知していなければならんのじゃ。それはつまるところ、どんな悪党よりも我々はより上の悪党でなければならんということじゃな」
悪党を出し抜くためには、その悪意よりもさらに上の悪意を知り身に着けることである。しかし、それは自身もまた悪人になってしまうことを意味し、行き過ぎればカルマを曇らせブレイクさせてしまう。それでは、本末転倒もいいところである。
飲み物を偽装して騙す他愛のない悪戯程度なら、カルマを汚さずにすむだろうが、このまま悪意を追い続ける日々を過ごせばいずれ本物の悪党に成り下がることだろう。罪は犯さなくても悪意を持ち続ければカルマは穢れていくものなのだ。
実際問題、何人ものガードインスペクターが、日々悪意と向かいあったことで自らのカルマを穢してその職を辞し、暗殺ギルドの執行者へ鞍替えしているのだ。
「おっしゃる通りです。閣下」
「閣下はよせと言うとるじゃろ?」
「けれどシフォン様、我々は今のところ、それら悪党を上回っているようには到底思えませんが……」
今回の2名の指名手配犯の逮捕劇は、あの少女と衛士長のファインプレイによるもので、連中がナントに潜伏していること自体寝耳に水だった。
追跡専門のガード・トラッカーらが総力を挙げて獲得した最新の情報によれば、彼らはボスコニアかウインザーに潜伏していることになっていたのである。明らかに偽の情報を掴まされ、まんまと踊らされていたのだ。
そうした背景を基に客観的に判断すれば、ガード組織は犯罪者に対して優位に立っているとは到底思えないのである。
「それでいいんじゃよ」
「言っていることが矛盾してませんか?」
「矛盾が悪とでもいうのかい?」
「え? それは……」
矛盾が悪いものという先入観を持っていることに気付いて次の言葉が出なくなるモンブラン。
「さっき、紅茶に偽装したワインを飲ませたが、あれはワシの無邪気なただの悪戯じゃ。じゃが、やりようによっては暗殺にも使えるじゃろ?」
「ええ、まぁ」
「常日頃から悪党のことばかり考えるから、本人が気づかんうちに自分自身が悪党と同じ心理状態になる」
「そうならないためにはどうすればいいのですか?」
「だから、ワシがさっきやって見せたじゃろ? 遊びでやるんじゃ」
「遊び……ですか?」
「ゲームじゃな。簡単にひっくり返る正義感など海河にでも流して、クイズ感覚で楽しくやるんじゃ。そうすればカルマが穢れることもない」
「…………なるほど」
「……ふむ? 以前ならムキになって否定してきたと思ったが、数日見ぬ間に何かあったかの?」
不真面目な上司に苦言を言うのが日課になっていたモンブランが、大人しく戯言に耳を傾ける様子は、驚きと同時にこれは良い傾向だと歓迎するシフォン。
「え? いえ、いろいろあって勉強になることもありましたが……」
「そうか、そうか、お前もそうなのじゃな。ヒト、いや人間とは面白いものじゃのー。ある日突然変わる時がくる」
「そうなのですか?」
「そうなのじゃ」
「はぁ……」
上司がお年寄りのようにしみじみと呟くのを見て、彼女が800歳を超えていることを思い出す。
「連中にしてみれば、人生を楽しく謳歌しておるのじゃろうな。偽の情報を流せばそれに釣られて片方に寄って反対側のガードがゆるくなる。相手の身になって考えてみよ。こんなに面白いゲームはないじゃろ?」
連中とは今回捕らえた2人組の盗賊のことだけを指しているのではなく、そういう輩をまとめた総称として用いた言葉である。
「……それはそうですが、我々はそんな彼らに対してどんな遊びを仕掛ければいいのですか?」
「そんなもの自分で考えろ――と、言ってもわからんのじゃろうな」
「すみません、さっぱりわかりません」
シフォンは部下を責めているわけではなかったが、モンブランとしては自身の無能を糾弾されているように感じて少しシュンとなってしまう。
20数年しか生きていない人間の小娘相手に800年の歴史を積み重ねたハーフエルフが満足できる答えを出せるわけがない。この要求は流石に酷である。
ここは、一先ず空気を換えるために、話題を変えるのが得策だろうと賢者は判断した。
「……軽く通信報告を読ませてもらったが、今回は非常に幸運じゃったな。ナントにはあの男がおったし、イレギュラーも存在した」
あの男というのは、ナントの街のガードリーダーで、衛士長と呼ばれ部下から厚い人望を獲得しているトゥール・サイトのことで間違いないだろう。
シフォンの口ぶりから、衛士長に対する上司の信頼は厚いと思われる。
「イレギュラー? ああ、ミリセントのことですね?」
「そう、そのミリセントじゃ。一度会ってみたいものじゃな……」
正式な報告書はこれから作成して提出する予定だが、魔法インフラの機能の一つである遠隔メッセージで、事の顛末をかいつまんで事前報告をしていたモンブランである。
シフォンは、そこに記されていた謎の少女に興味を示していた。
「彼女のカルマは危険ですが……」
「お主はまだ、カルマフィルターなんぞに頼ってるのか? あんなもの百害あって一利なしじゃ!」
テーブルを叩いた勢いで立ち上がり部下を叱るシフォン。
「しかし、悪党を発見する為には……」
「そう言って、何度連中を取り逃がしたのじゃ? 世の中には、家族を守るためにやむを得ず人を殺してカルマを穢した者も大勢おる。そいつは悪人か? お前が捕まえた盗賊のカルマは穢れていたか?」
「そ、それは……」
反論できず、ぐうの音も出ないモンブラン。前にも上司に叱られたが、カルマで善悪を判断する癖が中々抜けずに今日まできてしまったことを後悔する。
反省の色を見て一旦怒りを抑えて、ソファーに座りなおすシフォン。
「……その極悪なカルマオーラを出すミリセントという少女は、カルマ通りの悪党だったか?」
「……いえ。善良で模範的な人格では決してありませんでしたが、少なくとも悪人ではありませんでした」
これは実物を見ていない上司への先入観にならないようにするためのモンブランなりの素直な感想だった。
「年相応の普通の娘ということじゃろ?」
「……はい、その上、田舎者で野生児的な……」
野生児と聞いて、何故か猿か猫系の獣人を連想するシフォン。
「リッカー・モンブラン。今後カルマフィルターの仕様を禁じる」
「え? しかし、それではどうやって判断すれば?」
「そんなもの、勘に決まっておろう!」
「か、勘ですか?」
「そう、勘じゃ! ちょっとした視線の動きや挙動、歩き方。それにどんな意味があるだろうという気づき。そしてこれからどうなるかと想像せずにはいられない好奇心。それを実際に突き止めようとする探求心。フィルター越しでは見えない、リアルに散らばっている様々な痕跡をパズルのように組み立てる。これがインスペクターの仕事じゃ!」
密偵の様に周囲に放っているトラッカーと呼ばれる追跡者を統括し、主にクリプトの組織側に所属する者たちの不正を探り、それを暴くのがインスペクターの仕事である。インスペクター自身がその辺をうろうろして事件の発生を待つというものではないのだ。
「わ、私には無理そうな気が……」
「何を言う? 実際に、犯人を捕まえたじゃろうに」
「それは運が良かっただけで……」
「運も実力のうちじゃ。今回は特にお主の能力が最大限に生かせたしの。そういう巡り合わせも重要なのじゃ。わしが見たところ、お主は運が良い。これも立派な資質じゃ」
「……ど、努力します」
こんな自分に過大なほどの期待を込めてくれる敬愛する上司に対しては、こう答えるしかないだろう。
「うむ! では、話の本題に入るとするか」
「ええ! 今までのは何だったのですか?」
「再会祝いのお茶会じゃ」
何故か嬉しそうなシフォン。部下を驚かせて楽しむのが彼女の趣味である。
期待を裏切らないモンブランの表情に満足するSっ気のある上司。その表情は心底楽しそうで、この時だけは本当の少女のような無邪気な笑顔を無防備にさらしていた。
「ゴホン――さて、話というのはお主が捕らえた2人の今後についてじゃ」
「通常は裁判にかけるところですが、わざわざここで話をするということは、違うのですか?」
「良い勘をしているが、そういう勘を普段効かせてほしいものじゃな」
「ゴホン――それはそれとして、犯人を捕らえた私には、犯人について予断を挟む行為は禁止されていますが?」
苦労して捕まえた犯人に対しては、担当者が過剰に重刑を要求したり、或いはその逆で、関心を無くしてどうでもよくなったりと、普通の判断ができないことがある。その為、裁判やその他諸々の手続きからは完全に除外される規則があるのだ。
「規則は破るためにあるのじゃ。知らなかったのか?」
「聞かなかったことにします」
「先ほど、お主はミリセントという少女について非常に客観的なつまらない意見を述べた。同じようにあの2人を評してみよ」
「…………」
「これはプライベートな空間じゃ。記録には残らんし、そもそもここはワシの城じゃ。都合の悪いことは全てもみ消せるし、改竄も自由自在じゃ!」
「これも聞かなかったことにします」
「で、どうなのじゃ?」
「その前に、上の方はあの2人に対し、普通とは違う扱いをするということなのですか?」
「勘の良い娘は嫌いではないよ? お主の言う通り、評議会はあの2人の盗賊に対して司法取引を持ち掛けるつもりなのじゃ」
「ええ? それは本当ですか?」
「ウソじゃ!」
真顔で部下を混乱させるシフォン。
「え? ちょっと! どっちなのですか?」
「本当じゃ!」
「ふざけないでください!」
「怒った顔もええの!」
「シフォン様!」
「いやー、すまん! すまん! 何かちょっと見ない間に、表情が豊かになったような気がしての」
「え?」
そうい言われて、顔を気にして両手で頬を抑えるモンブラン。
「何の話じゃったかの?」
「な、何でしたっけ? ああ! 司法取引の件です」
「そうじゃった、そうじゃった! で、お主の率直な意見はどうじゃ?」
文字だけを見れば老婆のセリフだが、10歳にも満たない幼女の口から発せられる凛とした『どうじゃ』は、平衡感覚を失わせるような何とも言えない甘美な魅力がある。これは薬物をキメる感覚に近いのかもしれない。
「どうじゃ?と言われましても、上の判断にゆだねるしか……」
「その上にいる者として、判断理由が欲しいんじゃ!」
「そ、そうですね……一見すると彼らは気の良い冒険者にも見えました」
モンブランはあの2人の盗賊、カツィ・クゥバーシとコジー・ホーダについて、相対した一部始終と所感を上司に述べた。
「なるほどな。まぁ、考えてみれば当たり前か。悪人がそれとわかるようでは悪人失格じゃしな」
この上司の意見を聞いたモンブランは、あからさまに負のオーラを放つピンクの髪の少女を思い出した。それと分かるカルマオーラを放ってはいたが、彼女と話してみて悪人には感じなかった。いや、もしかしたら本当は悪人なのにカルマオーラを隠れ蓑に、出自を偽ってありもしないご先祖様のせいにしているだけかもしれない。
正直なところ、何が真実で何がウソなのかわからなくなってくる。疑い出したらきりがない。
「物を盗むというより、情報を操作するとか、弁舌で相手を巧みに誘導するとか、どちらかというと詐欺師みたいなものか」
詐欺師に近いのであれば、情報収集や心理戦が得意そうである。これは、ガードセンターの各スタッフに決定的に足りないスキルで、アドバイザーとして迎えるのはアリかもしれない。
「司法取引で味方につけるのも一理あるかもしれんの……」
ふと思ったことを言いかけて、チラリとモンブランを見るシフォン。
この後の言葉の後に何か言えという合図だろうと上司の真意をくみ取るモンブラン。
「彼らは、冒険者ポイントを不当に稼ぐ詐欺行為に手を染めましたが、それは恐らく強くなるための彼らなりの方法の一つとしての選択だと思います。ですが、その一方で、追跡を逃れるスリルを楽しんでいる――ようにも感じました」
逃げうせる時の彼らの勝ち誇った顔が印象として強烈に残っている。
「うむ!つまり、彼らは詐欺活動を天職と捉えている――と、いうことじゃな?」
「そうだと思います」
ガード2名から逃走劇は、それは見事としか言えなかった。ただ、あの時はそれを計算にいれたうえで相手を出し抜いた衛士長が一枚上手だっただけである。
「(……いや、待てよ? 衛士長とシフォン様は繋がっている。つまり、あの作戦はシフォン様が……なるほど、私はまた手柄を与えてもらったのか……」
何かを悟った表情を見せた可愛い部下の心情を察したデキる上司は、変身魔法の存在が作戦成功の肝だったことを強調して慰めた。
「まだまだですね……私は」
「そう、まだまだじゃ! 話の流れ的にあの2人はこちら側の人間になるじゃろうから、やつらから色々学ぶとよい」
「やはり、そういう流れになるのですか?」
「わざわざ、評議会から事前に通達してきおったからな」
クリプトの中枢にある東カロン地方出身のエルフ族で構成された評議会では、決定手段として多数決を採用している。全会一致が原則で、採決の際にスムーズに進むように事前に調整作業をする。
「シフォン様も賛成と?」
「ワシはどっちでもよい。問題があったとしても、どうにでもなるじゃろ?」
詐欺師が暗躍して誰かが大損し、しかも犯人を取り逃がしてしまったとしても、それが何か問題か? というのがエルフ達の総意である。
冒険者には明確な成長限界を講じたのが彼らエルフであり、最上位の職業に到達し、必殺の技を身に着けても、そのシステムを生み出したエルフ達には敵わないように始めから仕組まれているのだ。
この大前提があるので、シフォンらは余裕で構えていられるのである。
「それに、やつらもあと50年も現役でいられんじゃろ? 英雄は100年に1人じゃが、大悪党も似た様なもんじゃ」
長命のエルフ族にとって人間の一生はほんのわずかである。悪人をのさばらせても、一時目を瞑っていればすぐに居なくなるのだ。
無駄に命を腐らせるなら、多少の被害が出たとしても悪党の悪知恵を学び、対抗策を準備したほうが有意義と考えるのが彼ら長命種である。
「あはは、敵いませんね……」
人間の視点では考えもつかない犯罪対処方に、流石に敵わないと首を振るモンブランだった。
数日後、リッカー・モンブランのオフィスに、ガードカウンセラーとして特別採用された元盗賊の2名が出頭した。
「カツィ・クゥバーシ、ガードカウンセラーとして着任しました」
「コジー・ホーダ、同じくガードカウンセラーとして着任しました」
「ご苦労。かれこれ一週間ぶりか? それにしてもここまで制服が似合わないのも珍しいな」
「全く以てその通りですよ」
「これで街を歩くんですか?勘弁してほしいですね」
「いや、ガードセンターに来る時だけでいい。普段は街に溶け込んでガードに不正行為がないか、その兆しがないかを注意深く監視する。これがお前たちの仕事だ。楽な仕事だろう?」
「楽過ぎて、ホントにそれでいいんですか? って感じですが……」
「本当にこれが俺たちの仕事でいいんですかい?」
「ああ、それで構わない。不正を見つけたり気になる点があれば、10日毎の報告書にまとめて提出してくれ。くれぐれも現行犯逮捕などはしないでくれよ」
現行犯逮捕はガードの仕事で、インスペクターやカウンセラーの仕事ではない。
「……まー、そういうことでしたら、こちらも特に文句はありませんしね」
「そういえば、お前たちはクリプトでは真っ当な冒険者として通っているのだろう?」
「ええ、そのおかげで田舎街の派遣ガードの職にありつけましたからねー」
田舎町とはナントの街のことで、派遣といえどガードはガード、素行の良い冒険者でなければ採用されないのだ。
「古い馴染みと顔を合わせるかもしれないが?」
「いやいや、俺たちは一匹、いや二匹オオカミなもんで、そういう付き合いはありませんよ」
「まー、そういうことにしておこう」
ここで話を一旦区切り、扉の前に並んで立つ2人を執務室の机の前に呼んで辞令をそれぞれ手渡す。
かしこまった場でもないので、モンブランは適当に辞令を片手で渡し、相手も片手で受け取る。
「これが身分証だ。ガードに職質でもされたら提示するといい。当然ながら不携帯だとガードポストで取り調べだ。くれぐれも注意するように。以上、何か質問は?」
「うちらはどこで生活すればいいんです?」
「ああ、すまん、忘れていた。お前たちの官舎は豊穣門の内門側の城壁塔にある。いい眺めだぞ。門の詰所にいる主任にその辞令を見せると言い。話はついているはずだ」
「了解です」
「他に質問は?」
「…………」
「何か言いたそうだな?」
「まぁ、なんていいますか、閣下はこの人事に不満はないのですか?」
「無いように見えるか?」
「表面上は……」
「正直、せっかく捕らえたものを裁判もかけずに、私の部下として有効利用するという上の判断には驚いている。だが、私は私で、この件に関してはしっかりと色を付けて評価してもらったからな」
「なるほど」
「それに、仮にお前たちが何かをしでかしたとしても、私に責任は及ばないことになっているし、私としても再びお前たちを捕らえて手柄にすればいいだけのことだ。そうなれば私自身の立場は今よりも更によくなるだろう」
「閣下も、案外お人が悪いんですなー」
親の仇のように追っていた盗賊に対し、意外とサバサバした態度でいるモンブランを訝しく思っていたカツィ&コジーは、この言葉を聞いて腑に落ちた。
「仲間の不正を暴く立場だ。善人には務まらんよ。違うか?」
上司であるアイーナ・シフォンの顔を思い浮かべ、彼女が降臨して乗り移ったかのようにうそぶいてみせる。
モンブランは、この時『なるほどこういうことか』と上司との面談の意味と意義を理解した。
「まー、それを聞いて安心しましたよ」
「閣下の手柄にされないように、せいぜい頑張りますよ」
「うむ、では下がってよい」
2人が退室し、その足音が聞こえなくなると、前かがみだった上体を椅子の背もたれに預けて伸びをし、その後ほうっとため息を漏らすモンブラン。
「んんーー!! ふぅ」
彼らがこのまま大人しくガードカウンセラーの任務を全うできるのか甚だ疑問だが、上の命令である以上従わなければならない。
盗賊である以前にベテランの冒険者であるカツィ&コジーは、有能であることに間違いはないだろうが、それ故にガードの地位に甘んじ続けることが果たして出来るのだろうか?
一抹の不安を覚えるモンブラン。しかし、こちらには彼らの知らない強い味方がついている。
2人が例えベテラン冒険者だとしても、アイーナ・シフォンには絶対に勝つことができない。
「連中の不幸は、クリプトの真の支配者を知らないことだ……そして、それを知った時が彼らの破滅の時だろう」
敬愛する上司の顔と声を思い出しながら執務に戻るモンブランだった。
一方、与えられた官舎に無事辿り着けたカツィ&コジーは、似合わない制服を脱ぎ捨て、運び込まれていた私物の荷物にあった私服に着替えてようやく一息つけた。
「こりゃ、破格の待遇だな」
官舎に与えられた城壁塔内部の空間は、戦時であれば大量の射手が配置されるであろう場所である。
窓が幾つも並んでいる横に広い部屋で、中央に立派なローテーブルとソファーがありまるで客間である。
全方位石造りの空間で、見ようによっては牢屋のようにも見えなくもないが、床にはラグ、壁には豊穣門を示す緑と黄と白のストライプのペナントが一定間隔で下がっており、少なくとも人が住む部屋の体裁になっている。
横に長い部屋の両端に衝立で間仕切りされており、その向こうにベッドがあるということは寝室、プライベート空間ということだろう。
「すげー眺めだな」
既に開け放たれている外に開く大きな木製の開き戸を備えた窓の外に目を向ければ、豊穣門内の様子が一望できてしまう。
ホテルなら、展望の良いスイートルームになるだろう。備え付けの家具もパっと見ただけでもかなり値の張る物とわかる。
「こっちは寝室か……カツィ、お前はどっちがいい?」
「ああ? どっちでも同じだろ?」
コジーは、カツィが外を眺めている間に、部屋全体をくまなく調べて、部屋の入口から見て右側のベッドを選んだ。
「気に入らんな」
「何が?」
「この部屋の位置だ」
「そりゃ、そうだろ。脱出ルートは2つ。この窓と下のガードポストしかない。つまり、袋の鼠さ」
「連中もここを選ぶのに苦労したんだろうな」
はるか向こうに見える豊穣門の外門にも同じような部屋があるのだろう。そして、そこからこちらを監視しているというわけである。
「しばらくは休暇だと思って大人しくしているさ」
「そうだなって、うん? あれは……」
「どうした?」
「ふっ、どうやらそうも言ってられなくなったな。あれを見てみろ」
「どれ? ……あ、あれは! はははは、こりゃー面白いことになりそうだ」
「ああ、ナントの街なんて目じゃないってくらい、クリプトが大混乱になるぜ!」
「上手くいけば、逃げるチャンスが来るかもしれんしな」
「だな」
2人の元盗賊は、大勢のガードに囲まれ連行されていくピンク色の髪の少女を楽し気に見下ろし、今後の展開を予想してほくそ笑むのだった。
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