第38話 「旅は流れに沿って」

第三十八話 「旅は流れに沿って」



「この大馬鹿者!ワシの命の恩人に何てことしてくれたのじゃ!」


 マカト・イノーエーは、息子のセージを激しく罵倒している。

 普段なら罵られても全く意に介さず敢然と抵抗しているセージだが、今は大人しく言われるがままになってうなだれていた。

 喧嘩の絶えないこの親子であるが、自分の不始末とはいえ、ここまでの罵声を浴びせられたのはセージも初めての経験であった。

 マカトの腰が普段通り何ともなければ、この罵声は鉄拳と合わさって大惨事になっていたかもしれない。今頃セージの頭はたんこぶだらけで、一般的に見ても平均以上の所謂イケメンも、原型をとどめている保証はないだろう。

 それほどまでにマカトの怒りは激しく、脳の血管が今にも破裂しそうな勢いである。


「すまん、親父……」


「ワシに謝ってもしようがないじゃろ!まったく、バカだと思っておったが、ここまで愚かだとは思わなんだわい!」


「本当にすまん……」


 父親の命の恩人に矢を射かけ、さらに愛剣の錆にしようとした自身の失態を恥じて猛省するセージ。

 ミリセントのカルマが犯罪者のそれと同じであることを事前に聞いていたセージ。あの時、血塗れのこん棒を持った彼女を見て、てっきり父親が殺害されたと思い込んでしまったのである。

 自らが放った矢をアクィラが叩き落としたことすら覚えていないほど、怒りと悲しみに感情が支配されていた。

 父親が生きていると分かった時の喜びも束の間、自身の過ちに愕然としたセージは、その場でへなへなとへたり込んでしまった。

 最初、父親はこちらを騙す目的でウソをついていると真剣にそう思っていた。そんなことは絶対にあり得ないという思い込みが、真実から目を背けさせていた。

 取り返しのつかないことをしてしまったという思いが芽生えた時には、もう手遅れだった。

 父親から受ける一方的な罵声は、セージを打ちのめしたが、その一方で彼の心を救いもした。過ちを正しく叱ってくれることは、とても重要なことなのだ。


「…………」


 怒りの収まらないマカトは、怒鳴れば怒鳴るほど腰の激痛は酷くなる一方で、遂に痛みに我慢が出来ずに失神してしまう。しかし、痛みでまた目を覚ましてしまった。そして、それを最後に目を閉じて死人のように押し黙ってしまう。

 道の真ん中で仰向けに寝ているマカトの横で、正座をしてうなだれているセージ。

 しばし、この重苦しい沈黙の時が続いた。


「(まったく、しょうがない親子ですねー。ミリさんはそんなこと気にするような器の小さい人ではないですよー)」


 この世の終わりのような、そんな今にも闇堕ちしそうなオーラを纏うセージを尻目に、敬愛を通り越して溺愛しかけている少女を、そう評価するアクィラ。親バカ的な発想で、お前に自分の何がわかるのか?というミリセントの苦情が聞こえてきそうである。

 ここで言う闇堕ちとはすなわちカルマブレイクを引き起こすことである。

 もし、セージが自分の犯した罪を自己正当化しようものなら、カルマは一気に反転してしまう。それを防いだのは、マカトの罵声である。セージに素直な反省の念を植え付けたマカトの激怒は、意図せずセージの心を救っていたのである。


「ミリさん……」


 逃した獲物は大きかったという思いで、少女の消えた北東の空を無言で見つめるアクィラ。

 どんな手を使ったのか、まんまと逃げられてしまった。

 一見するとなんの能力もなさそうな少女だが、常人では目視できない失明の矢を目で追ったのである。自分の天賦が反応しているのだから、ただ者ではないことだけは確かである。


「(私は、ミリさんのことを過小評価していたのかもしれない……)」


 自分ごときでは、あのピンクの髪の少女に釣り合わないのかもしれない。

 アクィラの中でミリセントに対する思いに変化が生じ始めていた。

 マカトを助けたことも、見えない矢を目視したことも、そして、セージを恨んでいないことも、それらは全て彼女の能力のなせる技なのだ。


「(もしかしたら、私は凄いものを見つけてしまったのかもしれない……)」


 あれだけのことをしたセージに犯罪フラグが立っていないのは不思議でならない。ミリセントという少女にとって、あれしきのことは罪に数えるようなものではないということだろうか?

 ここに本人がいれば全力で否定してくるだろう。しかし、ミリセントのカルマが何をしても犯罪にならないというルールがあったとしても、それは制度であって感情とは別物である。殺されそうになった相手に対し、復讐してやる!という負の感情が芽生えたとして、それは当たり前のことである。


「(あの去り際の態度、そんな負の感情は微塵も感じられなかった……)」


 感情が希薄なだけだろうか?それは違うと断言できる。

 実際問題、ミリセントはアクィラを嫌い、その言動や行動について激しく憤っていた。

 あの時、セージがマカトの息子だと知っていて、親思いの彼の怒りを分かった上で、そこから生まれる誤解を全て承知の上で受け入れ許したのだ。いや、許すというのとは少し違う。あの時はむしろ、セージの到来を心から歓迎し、本来あるべき形になったことを喜び快く道を譲った感じだった。


「(私はミリさんのことを何もしらなかった。でも、今日なんとなく分かった気がする……)」


 普段見せない険しい表情を両手でもみほぐし、よし、と気持ちを入れ替えてから面倒くさい親子のところに戻る。

 ミリセントに対する歪んだ欲望が消えうせ、今は純粋な尊敬の念だけがアクィラの中にあった。

 今は彼女を追うことよりも、敬愛するミリセントが助けたマカトの怪我の心配をするのが先である。これまで開店休業中だったアクィラの正常な判断力が、ようやく営業を再開したようである。


「これは、ズバリ!ギックリ腰ですねー」


 マカトを挟んでセージの対面に座ったアクィラは、症状を見てそう断定した。


「魔女の仕業じゃ!魔女の不意打ちじゃ!」


 あくまで魔女の仕業と言い張るマカト。

 ギックリ腰という表現は年寄りを連想させ、それを嫌がったマカトが、せっかく閉ざした口を開いて言い訳をする。


「はいはい、魔女の仕業ですねー」


 まるで、ベテラン看護師のように、老人を軽くあしらうアクィラ。

 マカトは決して悪い人ではないのだが、人当たりがきついため苦手意識を持つ者は多い。そんなとっつきにくいマカトに対しても、態度を変えない図太い神経を持つアクィラは、対マカト要員として銀輪隊商警備でも特別視されている。

 そんなアクィラにとって、マカトは「かわいらしいおじいちゃま」くらいにしか見えていないのだろう。

 そのマカトは当然、こんな無敵なアクィラが大の苦手である。


 アクィラは腰のポーチから平べったい円筒状の入れ物を取り出し、良く効く塗り薬だといって、マカトを無造作にひっくり返してうつ伏せにすると、無理やり服を引っぺがして腰に薬を塗りこみ始める。

 声にならない悲鳴を上げるマカトとそれを呆気にとられた様子で見ているセージを尻目に、作業を終えたアクィラは、患部をポンポンと叩いて、これでもう大丈夫ですー、などとのたまう。


「な、何をするんじゃ!……ん?」


「だ、大丈夫か、親父?」


「……痛くない……どういうことじゃ?」


「高名な錬金術師様が作った万能軟膏ですよー」


「エリーさんの薬か?」


「そうですー」


 驚く親子にニコニコしながら答えるアクィラ。

 アクィラは、エーリカ・ベルリーンという錬金術師の奴隷である。その主であるエリーから旅に必要な様々な薬や便利な道具を持たされていたのだ。この軟膏もその便利道具の一つである。

 ちなみに、品質に優れるエリーの錬金術アイテムは、駆け出しの冒険者が気軽に手を出せる値段設定にはなっていない。


「お、親父?もう立って大丈夫なのか?」


 薬を塗られた瞬間からウソのように痛みが引いてしまったマカトは、これまで怪我人のフリでもしていたかのように、スクっと立ち上がってしまう。


「うむ!もう何ともない!不思議なもんじゃ!」


「ただ痛みを取って誤魔化してるんじゃなくてー、ちゃんと治ってますよー」


 立ち上がったマカトは、痛みを感じなくなっただけだろうと思い込んでいたが、アクィラに言われて、半信半疑のままゆっくり腰を曲げたり伸ばしたりを繰り返して具合を確かめる。


「本当じゃ!動かしても何ともないどころか、普段の腰痛すら無くなっとる!」


「エリーさんの薬は本当にすごいな」


 実際に何度か使ったことがあるセージは、エリーの作る薬が冒険者向けに販売されている医療キットやポーションよりもはるかに効果が高いことを知っている。そして、それに比例し値段が良過ぎて気軽に手が出せないことも知っていた。


「ところで、ここで長居してていいのですかー?」


「はっ!そうじゃ、ここで油を売ってる場合ではない!」


 マカトはこれからプラナトへ向かわなければならず、さらにゴブリン大量発生の兆しが現実のものになっていることを報告しなければならない。具体的な対処も考えなければならないだろうし、事態は一刻を争っているのだ。


「隊長、私、隊商に戻ってもいいですかー?」


 ミリセントはクリプトに行くと言っていた。つまり、来た道を戻れば、また出会えるチャンスがある。

 アクィラの意図を察したセージだが、ミリセントに借りがある自分が行くべきだと判断する。

 

「いや、それなら、オレが戻る。アクィラは親父をプラナトまで送ってくれないか?」


「ええー!」


 苦情の声を上げるアクィラに思わず苦笑するセージは、プラナトへ向かうルートでもミリセントに出会える可能性を考慮し、一先ず本隊との合流はアクィラに譲ることにした。


「わかったよ。ただ、もし、あの娘に会ったら――もちろん後で直接謝罪するが、先に謝っておいてくれないか?できれば隊商で拾ってクリプトまで案内してやってほしい」


「了解ですー!任せてください!今度は逃がしませんよー!」


「あ、いや、そこまでしなくても……」


 アクィラは嬉しそうにそう応えると、セージの言葉を聞かずにそのまま馬に戻って駆け出していった。

 その場に残された親子は、アクィラの馬影が見えなくなるまで見送った。

 そして、しばらくするとマカトがおもむろに語り出した。


「すまんかったなセージ」


 わざわざ引き返してきてくれたことに感謝の意を示すマカト。


「いや、俺の方こそ……本当は、親父を送る方を優先すべきだったのに……俺にもう少し力があったら……」


「まだまだ、ひよっこじゃからな……まぁ、継続は力じゃ。せいぜい頑張るんじゃな」


 それは、これまで猛反対していた、隊商警備の仕事を認める発言だった。


「お、親父……」


「なんじゃ、そんな顔しおって!シャキっとせんか、シャキっと!」


 まさか父親の口からこんなセリフが出てくるとは思ってもみなかったセージは、一瞬何かを言おうとして口ごもり、代わりに嗚咽をもらしはじめた。


「だがなセージ、後から農場を継ぐなどとほざいても許さんからな!」


「ああ、分かっている。親父の営農の才能は弟たちに継がせてやってくれ」


「ふん!そこまで覚悟して今の仕事をしてるのなら、もう何も言わんわい」


「すまん、親父……俺はどうしても今の仕事を成功させて、国やギルドに頭を下げなくて済む、そんな強い会社を作りたいんだ。罪人の移送なんかより、親父を運ぶ方が大事なんだと胸を張って無茶な依頼を突っぱねられるようになりたいんだ。今回みたいなのはもうこりごりなんだ」


 唇を噛みしめ悔しさをにじませるセージの背中をポンと優しく叩くマカト。


「うむ、ワシも役所やギルドは大嫌いじゃったわい。奴らの言いなりにならないよう、今は力を蓄えることじゃ」


 冒険者としてひと財産築いた後、すぐに農家に転向したギルド嫌いのマカト。


「うう……」


「しかし、あの娘の件は、ちゃんと落とし前をつけるんじゃぞ?」


「もちろんだ。どんな償いでもするつもりだ」


「どこかであの娘にあったら、うちの農場に連れてきてくれ。ワシも命の恩人に何か礼をしなくてはならん」


「わかった」


 先に、歩き出したのは父親の方だった。

 その後、親子2人、1頭の馬に便乗してアクィラの後を追うように慌ただしく出発していった。


「……」


「…………」


「………………」


「ふむ、やっと行ったか……」


 無人のはずの道端のどこからともなく少女の声が聞こえてきた。

 すると、声のした辺りの地面に、直径60センチメートルほどの丸い溝が浮かび上がり、そのまま円状に地面が上にせり出してくる。

 まるで押し出される心太の様に、地面から何かがにゅーっと出てくる。

 その出てきた物体は、マンホールの蓋のような『地面』を頭に載せたピンク色の髪の少女だった。


「ふふふ、これが土方の力なのだ!うはははははは!!」


 地面から出てきて勝ち誇った態度で高笑いをする少女の名前はミリセント。ただのミリセントであってそれ以上でもそれ以下でもない、名前だけのただのミリセントである。


「見たか!変態アクィラめ!ざまぁ!」


 アクィラはまんまと逃げられてしまったと思い込んでいたようだが、なんてことはない、地面の下に隠れてやり過ごしていただけである。

 この地面を掘ったり埋めたり積み重ねたりを簡単にできてしまえる力、これが、自称『土方の錬金術師』の『土方の力』なのである。

 このミリセントにかかれば、地面を掘って、地面と同じ土の蓋をして隠れるなど造作もないことである。

 たったこれだけの簡単な作業だが、手作業でこれをやるとなると大人でもけっこう重労働である。

 たいして凄くなさそうで、実は凄いのが『土方の力』なのである。


「しかし、ええ話や」


 マカトとセージの仲の悪い親子が思いがけず和解したシーンを、地中とはいえ間近で目撃してしまい、ちょっとウルっときてしまった。

 しかし、その一方で、どこか遠い世界のおとぎ話の様にも感じている自分がいることを自覚してしまう。

 家族との関係が希薄だったせいもあり、親子愛や兄弟愛というものをいまいち理解できず、そんなものが本当にこの世に存在するのだろうかと疑ってしまう。

 まぁ、家は家、他所は他所である。


「さて、と――」


 一人取り残されたかたちでたたずむピンクの髪の少女は、しばし物思いに耽る。

 今直近で気になっているのが、カルマについてである。

 クリプトまでの道中のことではなく、何故カルマなのかといえば、マカトを看病していた時に、冒険者等について、強いてはカルマ等について有益な情報を得ていたからである。これは、逃げずに地中に隠れるという選択をした理由にも繋がることである。


 カルマオーラの中でも極めて劣悪で危険なオーラは、建物や障害物といったオブジェクトを貫通し、どこにいても居場所がバレてしまう。

 ただ、これはあくまでガード圏内と呼ばれる街や安全地帯といった特定エリアに限定され、今いる道端では機能していない。

 ナントの街にいたころは、どこにいてもガードやカルマフィルターをオンにしている者からは、居場所が筒抜け状態だったが、外はその限りではない。

 この情報を知らなければ、地中に逃げてもオーラでバレると思い、普通に地上を逃走するしかなかったのである。もし、そのまま地表を逃げていれば馬を駆るアクィラから逃れるのは不可能だろう。

 今にして思えば、そのまま捕まって隊商と共にクリプトに連行されたほうが楽だったかも?と後悔していたりする。


 カルマオーラを見通すカルマフィルターが機能する安全地帯は、例えばこれから向かおうとする三叉路と呼ばれる停留所のようなもの――現代風に言えばパーキングエリアだろうか?――が、それに該当する。

 つまり、ここを通過する際、街中と同じように、危険人物として拘束されてしまう可能性があるのだ。

 街のガードであればいきなり殺されることはないだろう。しかし、普通の警備兵ではそうもいかないだろう。正規ガードと雇われの派遣ガードでは、その性質が大きく異なるように、警備や護衛の兵も正規ガードとは大きく異なっているはずだ。もちろん、良い方ではなく悪い方にだ。

 こうしたカルマフィルターが効く停留所は、街道沿いに点在しているらしいので、このまま道なりに進むのは危険だろう。


 カント共和国は、中部から西部が農地で、東部はガスビン鉱山を形成するなだらかな山地がコンコード周辺まで続いている。この南北に連なるガスビン山地の西側にはダーヌ川が流れている。

 このダーヌ川は、西カロン地方の北部から中部を各都市を結ぶように蛇行し、ガスビン山地にぶつかってそのまま真っすぐ南下する。そしてプリズンウォールマウンテンの北部から始まるダーヌ川の長旅は、コンコードの街で終わりを迎えるのだ。


 見渡す限りの黄金色の麦畑は中央に進むにつれ瑞々しい緑の絨毯へと変化していく。そして中央から東部へ移るとそこには何もない休耕地が広がっていた。

 いくつかのエリアごとに耕作地を切り替えているのだろう。これは、恐らく収穫量の調整や連作障害を防ぐためのものだろう。

 麦畑をかき分けて進む必要がなくなり旅自体は楽になったが、景色が殺伐としてきて、気分もどこか辛気臭くなってくる。


「と、言うわけで、麦畑をかき分け乗り越えやってきましたダーヌ川!」


 眼前に大きな川が見えてきた。恐らくダーヌ川で間違いないだろう。

 自由都市クリプトがあると思われる北東の方角からやや東寄りに進路をとり、大きな街道を1本横切り、なるべく人目に触れずにここまで無事辿り着くことができた。

 現在地がどこか分からないが、全体の行程の半分といったところだろうか?

 この川を渡り向こうに見える山を越えれば、その先にあるのはカロン海河である。そして沿岸沿いに北に進めば自動的にクリプトに辿り着くことができるはずだ。

 ここまで5日ほど要したが、人目を避けながらの移動だったので急げば1日くらいは短縮できただろう。


「うーむ」


 豊かな山並みをダーヌ川の水面に移した絶景を期待していたが、完全に肩透かしを喰らった感じである。雨が降り出す気配はないが、どんよりとした天気で気が重い。

 ダーヌ川はとても広く流れも非常にゆっくりで、日本で見られるような急流の川とは完全に別物である。実物を見たことはないものの、大陸を流れる大河がこんな感じではないかと想像してみる。

 自然造形を担当する神様の美意識が貧弱だっただけなのか、或いは、単にサボっただけなのか、何のひねりもなく単純に南北に真っすぐ流れているだけである。

 水面は滑らかでまるで水流を感じさせない。川というより貯水池とか湖の類である。

 入浴剤のような緑色の水面はドブ川のそれで、どれだけの種類の魚が生息できるのだろうか?

 ダーヌ川は、人口密度の高い中立都市国家を複数跨いでいるとのことで、工業、生活排水で完全に汚染されてしまったと考えるのが妥当である。

 背後の山並みは、ごつごつとした岩がむき出しており、みすぼらしい斑な禿山が続いている。緑が全くないわけではないところが救いといった感じである。

 ガスビン鉱山に連なる山地ということなので、これはある意味しようがないのだろう。


「この川渡れないかな……」


 入ることを躊躇わせる汚い川辺を見渡すと、北側の遠くに大きな石橋が見えた。中部と東部にある街道を結ぶ連絡道が通っているのだろう。あれを渡ればダーヌ川の向こう岸に行けるが、人目に付きたくないので別の手段を考える。


「あれは……」


 その時、独特の形状を持つ外輪船が橋をくぐって近づいてくるのが見えた。

 両舷に水車のような推進機という独特のシルエットを持つ外輪船。背後に丸太を組み合わせた筏を引きながらゆっくりと川を下っていく。恐らく上流で伐採した木材を下流のコンコードに輸送しているのだろう。

 現代であれば、観光地以外で見かけることが難しい骨董品も、この世界では最新の乗り物なのかもしれない。

 マカト情報によれば、西カロン地方では河川舟運も盛んで、特に中部の都市国家群における主な交通手段は水運らしい。


「動力源は何だろう?煙突がないから蒸気機関じゃないだろうなー……魔法かな?もしかして人力?或いは家畜とか……」


 外輪船の歴史は古く、古代ローマや中国などにおいても記録が残っている。

 ほとんど慣性で動いているような遅さからすると、中で人が踏み車を踏んでいる単純な構造かもしれない。


「あー構造解析したいなー、レシピほしいなー」


 土方の力のひとつ『構造解析』によって設計図を入手してしまえば、同じ物を複製することが可能になる。もちろんタダではなく、オリジナルと同等の資材があればである。

 しかし、この構造解析は相手の持ち物を盗む窃盗という犯罪行為に該当し、許可なくそんなことをすれば完全な犯罪者になってしまう。ただでさえ犯罪者予備軍のように扱われているカルマの上に、さらに悪事を積み重ねていけば、いずれご先祖様のように永久犯罪者になってしまう。


「ってか、何で追いかけてるんだ?私……」


 クリプトに向かおうとしているのに、そこから遠ざかるように船を追いかけて南に走っている自分に気付く。このばかばかしさに思わず語尾に括弧笑いを付けたくなる。

 外見は女の子だが、中身は男である。男というのは車とか飛行機とか船とか乗り物に目がない。普段お目に掛かれない外輪船なるものが目の前を通り過ぎれば、近くで見たくなるのは当然である――と、言い訳をしてみる。

 このまま追いかけても何も得られないので、立ち止まって川下へ去って行く外輪船を名残惜しそうに見送る。


「さて、と――ん?」


 クリプトへの旅路に戻ろうとした時、そこで異変に気付いた。ダーヌ川の川縁に外輪船を追う一塊の集団が見えたのだ。

 それは何かの動物に乗る人型で、大小様々な10体程が一団となって猛然と船に迫っている。

 よく見ると、その乗り物は四つ足で走っている。馬とは明らかに違うずんぐりとしたシルエットで、どうやらブタとかイノシシとかそんな形である。

 それに乗る人型は、明らかに人間ではないことだけはわかった。ところどころから見える肌の色から察するとゴブリンの類だと思われる。ゴブリンといっても数日前に戦った――というか、一方的に撲殺した弱いゴブリンとは明らかに様子が違う。完全武装だ。

 彼らの纏う鎧は、適当なガラクタの寄せ集めではなく、各自の体形や体格に合わせ、かつデザインが統一されていた。まるで正規兵の軍装である。

 こんなところにゴブリンの兵隊がいるというのだろうか?或いは、人間の盗賊がゴブリンに偽装している?


「あの船を襲おうとしている――のか?」


 ゴブリンたちの乗っているイノシシの脚は速く、脚の遅い外輪船にすぐに追いついて並走し始める。一部が集団から離れて先行して船の頭を抑えるような動きをする。

 何をするつもりだろうか?海賊、いや川賊行為だろうか?しかし、岸と船は30メートル以上離れている。川をどう渡るつもりだろう?

 この後の展開に興味が持てないなら、冒険者を目指すべきではない。

 この状況にじっとしていられないなら、冒険者としての資質は充分である。

 まだ、職業としての冒険者には就いていないが、冒険だけは人一倍こなしてきたつもりだ。その実質冒険者としての直感が「追え!」と言っている。


「よし、追うぞ!」


 じっとしていられず船とゴブリンの集団を追って走り出す。

 しかし、いざ追いかけたはいいが、その後どうすればいいのか咄嗟に思いつかない。

 今、河川敷の一番高いところに立って川岸を眺望しているという状況である。川縁は石や砂利が多い河原になっているが、岸から少し離れると鬱蒼とした雑木林になっている。

 河原に近づくにはまず、人の入った形跡がない自然のままの雑木林を突っ切らなければならない。これはなかなかしんどい作業になるだろう。

 取り敢えず、状況を観察するだけなら河川敷の端に連なる自然の堤防の上を走りながら追いかけるのがいいだろう。

 だいたい、こっちは誤解されやすいカルマ持ちなので、助けにいったつもりが賊と間違われる可能性が高く、迂闊に近づくのは危険である。実際、数日前にマカトの息子に誤解され、攻撃されたばかりである。


 戦場記者にでもなったつもりで、脳内で実況をしながら目の前で起こっている事態を観察する。すると、並走するゴブリンたちが何やら武器を構え船に対して叫び始める。止まれ!止まらないと撃つぞ!的な感じだ。これで彼らが賊、水賊であることが確定した。

 走りながらその様子をさらに観察していると、小柄なゴブリンたちがイノシシに乗ったまま、投げ縄のようなものを器用に振り回し始める。

 ロープを引っかけて乗り移るつもりだろうか?いや、これは距離的に無理だろう。これは投げ縄の技術云々の話ではなく、30メートルという距離が問題である。それよりも、投石で船体や推進機を破壊して足を止めると考える方が現実的だ。

 外輪船は船の命ともいえる推進器がむき出しになっているので防御が脆く、投石でも十分脅威となる。そして、ダーヌ川西岸から丸見えの右舷の推進機を損傷させることに成功すれば、左右の推進力のバランスが崩れて真っすぐ進めなくなる。左舷の推進力が勝れば、船は自然と面舵を切った状態になり、こちら側に向かうことになる。

 そうなることを予測した上での作戦だとすれば、彼らは船の性質を熟知している頭脳集団だといえる。


 筏状に組んだ木材を牽引するだけの小さな外輪船なので、乗員も数名程度しかいない。襲われることを想定していないのか武装らしきものも見えず、船として何とも心もとない。

 それでも、陸から離れた水上にいるなら安全だろうと高を括っているのか、船員たちはゴブリンの要求に何も応えない。これは応えないというより、言葉の意味が理解できないだけかもしれない。

 業を煮やしたのか、ゴブリンの1匹のスリングから何かが放たれる。そして、その何かは、右舷の水車型の推進機に見事に命中した。

 この一投の後、またゴブリンたちが騒ぎ立てる。

 これで状況を理解したのだろう、船の乗組員たちは何やら相談し始め、その後慌ただしく木箱を数個川に落とし始めた。


「なるほど、これで見逃してくれってことか?さて、賊の方はどうするつもりかな?」


 木箱を囮にしてその隙に逃げるという作戦かもしれないが、中身が空っぽとか変な物が入っていようものなら、騙されたゴブリンたちは彼らを絶対に許さないだろう。地の果て、いや川の果てまで追って沈めてしまうかもしれない。そして、あのゴブリンたちには間違いなくそれを可能にする能力があった。


 スリングを振り回していた小さいゴブリン達は、乗っているイノシシごと川に次々と飛び込んでいく。そして木箱に鉤縄をくくりつけると川岸に戻って縄の端を陸地に残る身体の大きいゴブリンたちに渡す。

 木箱が投棄されたのを受けて船の追跡をやめ、川縁に待機していた大柄のゴブリンたちは、渡された縄を引いて木箱を手繰り寄せる。そして、岸辺に引き揚げた4つほどの木箱の一つを開け中身を確認する。

 戦果に満足したゴブリンたちは、一際大きなイノシシの身体の横に、その木箱を左右バランス良く吊り下げた。

 未だ船を追跡している先行組の跡を追うように本体が撤収し始める。そして先行組と合流を果たしたゴブリンの一団はそのまま雑木林の中に消える。

 1分も経たないうちに、その一団が河川敷の堤防に現れ、そのまま西へと走り去っていった。

 この間、僅か5分程であった。


「おお!すごい!何かプロっぽい!」


 これは強盗?略奪とも違う。一番近いのは恐喝、つまりカツアゲだ。実際、双方に被害は出ていない。脅して向こうから物を差し出すように仕向けたのだ。

 それにしても、目的達成後、速やかに撤収するそのお手並みは見事としか言えなかった。


「何者なんだろう?」


 ゴブリン――のような者たちも気になるが、乗用イノシシの方も気になってしかたがない。何故なら、もしあのイノシシを手に入れることができれば、今後の旅が楽になりそうだからである。


「……追いかけよう」


 路地裏の黒猫を追いかけたらそこに素敵な出会いがあった――的なお約束の展開を期待するわけではないが、そこにきっと何かがあると信じて茂みに消えていった謎の集団を追いかけることにした。

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