第29話 「邂逅」
第二十九話 「邂逅」
かつてカント要塞と呼ばれていた、ここナントの街の冒険者ギルドに1人の美しい女性が現れ、そこにたむろする6人の若者たちに親しげに声をかけた。
「あ、いたいた。虹ノ義勇団の皆さん、もうすぐ出発なので準備してくださいねー」
彼女の名前はアクィラ・フォレスロッタ。銀輪隊商警備に所属する重装弓兵で、その美貌に似合わない武骨で非常に重そうな装備と特大の弓を携えている。しかし、それでいて身のこなしは軽やかに、ギルドに入ってくる時も鎧のパーツがこすれたりぶつかり合う騒音に近い金属音が全く聞こえてこない。これは高度に洗練された加工技術によって作成された芸術品のようなセット装備と高ランクの重装備スキルを所持していることを明確に示していた。
彼女の仕草は良く言えば優雅、悪く言えばのんびりといった印象で、容姿端麗女優顔負けの美貌とプラチナブロンドはどこぞの貴族令嬢を思わせる。
機能性を極限まで追求した飾り気のないフルプレートの胴体にその美しい人形のような顔というミスマッチに、造形者のデザインの発注ミスを疑ってしまいそうである。
一見すると眩しすぎて近寄りがたい印象を受けるが、語尾が間延びしたおっとり口調の非常に人懐っこい性格で、初対面の人でも物怖じもせず、常に誰かと楽しそうに話をしている。特に何もしていないときでも、なんとなく楽しそうにしているので、自然に周囲の空気を緩くほんわかとさせる、そんな不思議な女性である。
虹ノ義勇団のメンバーとも会って2秒で打ち解け、特に天賦持ちのハヤタ(あだ名はジミー)に至っては、いきなり抱き着いて頬ずりするという奇行で、その場にいた全員を驚かせた。
そんな少しおかしな美女アクィラだが、戦闘になれば一騎当千獅子奮迅の働きをし、ゴブリンの小集団なら近づかれる前に数本の矢を同時に放ってなおかつ必中させるという芸当をいとも簡単にやってのけ、前線に立てばタンクとして敵を引きつけ、持っている鋼鉄の弓でゴブリンの群れを殴打し撲殺する。長弓とセットである通常より長い弓矢を槍の様に振り回したかと思えば、矢をレイピアの様に扱い急所を的確に貫くという、相手を確実に殺すことに特化したといっても言い過ぎではない戦いぶりである。
冒険者の見習いである亡命者パーティー、虹ノ義勇団のルーキーたちは、その鬼神の如き戦いぶりを見て驚愕すると同時に、こんな田舎に何故こんな勇者が安月給で輸送業務に従事しているのかと不思議でならない様子だった。
隊商の同僚曰く、彼女は常識が通用しない変人で、残念な美人ということらしい。
「え?もうですか?出発は確か夜と聞いたのですが……」
虹ノ義勇団のリーダーであるアヤとしては、この街には他に仕事もないし、遊ぶところもないので、予定が早まったとて別に何の問題もなかった――というより暇だったのでむしろ早く出発したかった。そんなわけでアクィラの申し出はむしろ好都合だった。しかし、そうなった事情には興味があるので一応聞いてみる。
「指名手配中のかなりヤバイ盗賊さんを捕まえたとかで、急遽護送の仕事が入ってしまったんですよー」
困った顔で、しかし、口調はさほど困った様子もなく、事情をのんびりと伝えるアクィラ。
夜に出発するのは夜行性であるゴブリンの出没頻度の高いエリアを、無用な戦闘を避けるために明るいうちに通り過ぎるための単なる時間調整で、絶対に夜でなければならないというものではなかった。
今回の予定変更はガードセンター、強いては冒険者ギルドのお偉いさんからのたってのお願いとあって、これはつまり絶対に断れない案件ということで出発が前倒しになったというわけである。
「なるほど、了解しました。すぐに準備します」
「ごめんねーみんなー。せっかく休憩していたのにぃ」
「いや、ぜんぜんいいっすよ」
「ふんっ!調子いいなジミー」
地味という天賦の才をもつジミーは、それを見抜く慧眼という天賦を持つアクィラに大変気に入られてしまった。ちょっと残念だが美人は美人。そんな美人に気に入られて何かにつけて良くしてもらったらそれを嬉しく思わないほうがおかしいわけで、調子だって良くなるというものである。
「な、何だよ?どうせみんな暇なんだろ?」
ジミーの言い訳もいつもより早口で声のトーンも高い。焦ってごまかしているのが見え見えだ。
「ジミーうれしそう……」
「べ、別にそんなことないってば!」
メープルもアンに同調するように面白くなさそうに応じている。なぜ面白くないのか当の本人も分かっていないようで、そのもどかしさがより面白くない状況を更に面白くなくしているのだ。
この幼馴染同士で集まった青二才パーティーの間には、当然色恋の話は一欠けらもなく、恐らくこれからもないだろう。何故なら彼らはそれらを『置いてきて』しまったのだから……
ただそれでも、何か忘れものをしてきたという記憶の残滓だけは今も頭の片隅にこびりついている。魂が記憶していると言った方が適切だろうか?この残滓が、意味不明なあだ名に現れたり、この面白くない感情の正体なのだが、それを彼らは理解できない。
「暇すぎて死にそうだったから問題なし!30秒で支度するぞ!」
しかし、そんな微妙な空気を吹き飛ばすように、いつも通りの不思議ちゃんのユウナが親指をぐっと立てて話を締めくくる。
普段ならアヤがパンパンと手を叩いて、ぐだぐだするパーティーメンバーを急かしているところだが、今回ばかりは惰眠をむさぼるのに飽き飽きしていたので珍しく自ら率先して行動を開始する。いつもこうならよいのにとブツブツと口の中で文句をいう、何故かユウナにイインチョーとあだ名されたリーダーのアヤだった。そして彼女は最後にこうつぶやいた。
「あれ?30秒だっけ?40秒じゃなかったかしら……」
そうは言ったものの、何故40秒だと思ってしまったのか、当のアヤ本人も理解不能だった。
ガードポストを出ると、通りを挟んで向こうに見えるのが、酒場を兼ねた冒険者ギルドの建物である。ガードポストに負けず劣らずの石造りの立派な建物である。酒場を兼ねていると聞いたがそれとわかりそうな目立った看板は見当たらない。
近くに酒場とすぐにわかる看板が出ているお店が見えたので、そちらに気でも遣っているのだろうか?
通りの幅は広く、行ったことはないが渋谷のスクランブル交差点くらいはありそうな雰囲気である。通り一本挟むだけの距離なのにギルドまでは意外と遠く感じる。
「ギルドはあそこ……で、こっちのごつい建物は何?」
見ると小さな砦のような建物が見える。
「あれは駐留軍の本部だ」
付き添いのフィミオ・ティシガーラが親切に教えてくれた。
元々要塞にあったあの本部の建物を中心に街の区画が整理されたとのことである。
プリズンウォールマウンテンの南端、その東側に位置するナント市街は、西側の切り立った斜面を利用して、要塞の西部を丸ごと天然の城壁として利用している。よって人の手で積み上げた城壁は北と南、そして東のコの字型となる。そして街の出入り口は3方にそれぞれ1箇所ずつ計3箇所となる。
3箇所の城門から中央に通路が伸びて、それらがちょうど重なる場所に軍の本部施設がある。ガードポストからは、その本部が見えるので、つまり今立っている場所は、街のちょうど中心あたりということになる。
ぐるっと首をめぐらして全方位眺めてみるが、南の城壁だけ高いので、目の錯覚なのか中心にいるようには感じない。
蛮族の襲来に対応するために南側の城壁だけ異様に高く、更にその南城門には更に高い見張り塔がある。ここから見える景色は絶景だそうだ。帰りに寄った時にでも登ってみようかと思う。
ギルドを含め主要な施設が街の中心にあるのは、どの街でも普通のことかもしれないが、繁華街のど真ん中に駐留軍の本部があるのは、店を利用する側としては少し居心地の悪い立地条件だろう。
ガードポストや冒険者ギルドが一等地にあるのは、そこにあった軍の施設を土地ごと買い取ったためである。当初施設をそのまま再利用しようとしたが、思ったよりも施設の老朽化が進んでいたため、それを理由に建て直したとのことである。
「ミリセント、分かってるな?冒険者ギルドでも大人しくしているんだぞ?」
この街に来る前にも誰かに同じようなことを言われた気がしたが、何だか遠い昔のことのように感じる。
別に自分から騒ぎたてて迷惑をかけた記憶はないのだが、どうも他人からはそんな風に見られているらしい。そう見えるのは全部このカルマが悪いというのに。
「ミリーでいいわ。みんなからはそう呼ばれてるし」
自分でいうのも何なのだが、ミリセントという名前は日本語の発音としては少し言いずらい。だからというわけではないが、知り合いは皆ミリーという愛称で呼んでいる。フィミオはいいヤツなので、愛称で呼ぶことを特別に許可することにしよう。
今改めて気づいたのだが、この世界の言語は誰がどう見ても間違いなく日本語である。他の既存の言語やましてオリジナルの言語というわけでもない。知らない文字や言葉が頭の中で自動的に翻訳され、日本語として理解できるというわけでもない。ただ普通に日本語である。ちなみに通貨は円だ。
時代背景など関係なく普通に現代語で読み書きがなされている。漢字、ひらがな、カタカナ、ローマ字、簡単な英語まで全て現代の日本に準拠している。
お店の名前などは、わかり易さを重視した漢字表記だったり、かっこよくローマ字やカタカナのいわゆる横文字だったりと、今の日本と全く違いはない。
例えば、大工仕事や鍛冶仕事で使う金槌なら、トンカチでもかなづちでもハンマーでもhanmmerでも意味は通じる。まー、元になっているあの世がそもそも日本のあの世なのだから、当たり前と言えば当たり前である。
とはいっても、こちらの世界にはない――例えばスマートフォンなどの単語は正確な意味で伝わらないだろう。ただスマートという単語だけならもちろん通じるし、だが電話がないのでフォンに該当するものは発音が似たものに代用されるなどして、意味がまったく異なってしまうだろう。スマートはスリムな体形を指したり、しなやかと洗練された、などポジティブな意味として用いられたりする。だから、スマートフォンときけば、スリムな何かといった意味に伝わるだろう。
死神に見つからないようにする――という西カロン地方における行動指針を自ら課したので、周囲から奇異の目を向けられないため――つまり目立たないようにするため、最近の言葉は極力使わないことにしようと決めていた。死活問題になるので、なるべく今風な単語、特に近近の流行語などはこちらの世界に持ち込むべきではない。
「それじゃミリー、くれぐれも……」
「もう、わかったから先行くよ!」
「やれやれ、それじゃ行くか」
「おー!」
軽く号令をかけてフィミオより先に歩き出す。いよいよ念願の冒険者である。自然と足取りが軽くなるというものだ。
筋肉質で背の高いフィミオは、分厚い鉄板を曲げて筒状に加工しただけのような単純な構造のフルプレートに身を包み、カシャカシャとやかましい金属音を上げてついてくる。ゆっくり歩いているようだが、歩幅が違うので歩くスピードに違いはない。
彼がどういった経緯でガードになったのかは想像の域のものでしかないが、ガードに適した性格で職業選択の際にガードが天職という結果だったということは、もう聞くだけ野暮というものである。ようは正義感が強い熱血漢ということだろう。うっとうしいところもあると思うが、個人的には嫌いではない。
人によって様々な職業適性があり、複数の天職を持つ者もいるらしい。その反面、天職どころか何一つ適性がない者もいる。そういう人は将来どういった道に進むことになるのか興味がある。それは一見して不幸なことのように思えるが、選択肢は自由というとらえ方もある。ある意味やりたいようにやれると前向きに考えて好きに生きることができてかえって幸せなのかもしれない。
能力的には適性があったとしても性格的に無理な場合もあるかもしれないし、結局のところ、なってみないとわからないのだ。
街の通りは閑散として静まり返っている。普段は兵隊が忙しく動き回って巡回の準備や帰還した部隊などで通りは常に人馬で溢れかえっていたらしい。しかし、今はそんな様子はまったく感じられない。
こんなカルマで兵隊がたむろする通りを歩いたらどうなっていただろうかと、想像するだけでげっそりする。兵隊のいない時にこの街に来れて本当に幸運だった。
「ん?待てよ?あっ!そうか!兵隊がいないから、あの盗人たちがここを潜伏場所にしたってことか!」
思いついたことを反射的に口にしてしまう。
「ん?あー、確かに……なるほど、そういうことか……そうなると、悪党はまた集まってくるな……うーむ」
急に話を振られたフィミオは最初は、んなばかな!という感じだったが、すぐに思い直してこの仮説に同意するどころか、今後の対策まで考え始めてしまった。
それで調子に乗って次の大言を吐いてみた。
「奴らにとって不幸だったのは、この私がこの街にいたことだな!」
「はは……うーん、たしかにそうかもしれんな……」
ウケを狙ったつもりが、フィミオは最初笑って2秒で真顔になってしまい、結局突っ込んでもらえなかった。フィミオはユーモアが通用しない少し堅い性格のようだ。ウソをウソと見抜けない、お人よしの騙されやすい性格かもしれない。フィミオってば実はガードに向かないのでは?と本人に言うと真に受けてショックで立ち直れなくなると思うので黙っておくことにしよう。これに関しては衛士長も恐らく十分承知していることだろうし。
それにしても今回の件は、自分で言うのもなんだが無抵抗で相手から一方的にやられまくるという作戦によって、相手を調子に乗らせて油断を引き出したことが勝利につながっていると思う。これは貢献度大として本来ならご褒美とかあってもよかったのでは?と思わなくもない。
それとも、誤解を受けるであろうギルドとのやりとりを考慮してフィミオが付いてきてくれることそれ自体がご褒美ということか。
そんなことを考えながら足を止めずに歩いていると、すぐに冒険者ギルドに到着してしまった。
冒険者ギルドの外観はガードポスト同じ石造りで頑丈そうで立派なものだが、華美な装飾は一切ない。しかし、それでいて特に質素という印象はない。これは恐らく、石材や木材など品質の良いものを使用しているからだろう。土方の力で調査解析をしてみても、非常に品質の高い資源が採れるという情報をゲットできた。思わず構造解析をしてレシピを盗みたい衝動にかられるが、ここはよだれをすすって我慢するしかない。
建造物はその構造や外観そして装飾など、それぞれの国柄や文化を映す一種の鏡といえるだろう。カント共和国は聞けば農業中心の言ってみれば田舎なわけで、文化面では裕福な中央都市部のような華美な建築様式とは無縁だったのだろう。
ガードポストと明確に違う点は、窓が多いことと木製のドアでしっかりと入口が閉ざされているところだろうか。ガードポストは基本年中無休なので入口を閉ざす必要がなく常に開けっ広げである。そもそもドアを開け放っているのではなく、ドアそのものがついてないのだ。
「どうした?中に入らないのか?」
入口の前で建物を眺めているとフィミオが後ろから急かせてくる。
中は一体どうなっているのだろうか?アニメやマンガに出てくるようないろいろなファンタジー作品のイメージを思い起こしてみる。こんな風に想像している時間が一番楽しいのにフィミオときたら無粋な真似をする。
背中を押してくるフィミオに後ろに重心を移して背中で押し返す。よし、と気を取り直して入口のドアの前に立つ。
こういう時どうすればいいのだろうか?「ごめんくださーい」ってな感じでおどおどしながら入ればいいのだろうか?しかし、気弱なヤツだと思われて、他の冒険者に舐められるかもしれない。だからと言ってガラ悪く入っていくのはもってのほかだろう。何せ自分のカルマはあまりにも特殊過ぎて、絶対にヤバイのが来たと思われるからだ。
冒険者ギルドに初めて入るシチュエーションを過去に見たアニメやマンガの中から脳内検索をしてみる。やっぱりこれかな?
「たのもー!」
やっぱりこれしかない!私が来た!と言わんばかりに、勢いよくギルドの門を叩く。これで冒険者たちの注目を浴びてやろうなどと思ってドアを両手で叩くように勢いよく前に押した。
「ガッ!」
しかし、このドアは開かなかった――というか、何故かドアが外れてしまった。信じられないことに、このドアは開き戸ではなく引き戸だったのだ。
「おわーーっ!」
勢いよく押してしまったので当然引き戸は外れて前に倒れる。それと同時に元気のよい若い女性の悲鳴が上がってドアが外れる大きな音をかき消した。不幸なことに外れたドアの前に人が立っていたようでタイミングよく――いや、タイミング悪く倒れた扉の下敷きになってしまったのだ。
「おわぁぁぁーー!ごめんなさぁーーい!」
何で引き戸?というツッコミを入れる暇もなく、ドアの下敷きになって見えない被害者に平謝りする。もう今まで考えていたことが吹き飛んで頭が真っ白である。
はわわというセリフをリアルで口にするなど考えてもみなかった。運んでいる料理をひっくりかえしたり、しかもそれが客の頭に乗っかったりした時くらいでしか、こんな声は絶対出ないだろう。
「はわわわ、どうしよう?」
脇を閉めたまま両手を前に出して宙を虚しく掴んで、周囲を見渡し反応を伺う。
「あら?」
少し冷静になり周囲を見る余裕ができた。そこで気づいたのは皆一様に笑いをこらえる顔をしていたことである。
「あたたた、ちょっとあなた!気をつけなさいよ!」
「す、すみません!ほんとすみません!」
腰からほぼ90度に身体を曲げて何度も何度も平謝りで謝る。
右と左で2枚の扉――というか引き戸は思ったよりもだいぶ軽いようで、下敷きになった幼さの残る若い女性が軽々と持ち上げて立ち上がり、そのまま元の位置に建てつけようと試みている。
それを見て、メイド服のような服装の女性がカウンターの方から出てきて、それを手伝い、もう1枚の戸を慣れた手つきであっという間に元通りに直してしまう。
「…………」
ドアを壊してしまったことをもっと周囲から責められるかと思ったが、まるでいつものことのように冷静に対処している。
子供というか若者というか、自分と同じか少し上くらいの男女6人。彼らは若い駆け出しの冒険者のパーティーだろうか?その6人とは別に美人が1人。メイド服っぽい衣装の女性は酒場のウエイトレスだろうか?というか、ギルドの中はテーブル席だけの居酒屋という感じで、思っていた冒険者ギルドとは少しイメージが違っていた。そういえば、ギルドの受付と酒場がいっしょになっているのはよく見る設定で、とくに変ではないか……
奥の壁に定番の掲示板があって張り紙がたくさん――いや、ちょこっとだけ貼られている。貼り出されているクエストは少ないようだ。
「驚いたでしょう?初めての人は開き戸だと思って押すのよねっていうか、酔っ払いの兵隊が乱暴にドアを開いてしょっちゅう壊すから、引き戸にしちゃったのよね……で、ギルドに何の御用ですか?かわいいお嬢さん」
「…………すみません」
向けてくる笑顔がわざとらしく、戸を外して余計な手間をかけさせてくれたという嫌味が含まれていたので、改めてギルドの従業員と思しきメイド姿の女性に詫びをいれる。
「で、ギルドに何の御用ですか、かわいいお嬢さん?って、あら?フィミオさん?どうしてギルドに?」
同じ町のギルドの人とガードが知り合いなのは当然と言えば当然だろう。ただ、この言い方からして、ガードとギルド間の密な交流はないようである。
「ああ、ちょっと野暮用でな。お?アクィラもいたのか?ということは、こっちは亡命者のルーキーさんたちか?」
「…………けた」
「ん?どうしたアクィラ?」
フィミオとギルド員、そしてアクィラと呼ばれた超絶美人は顔見知りのようだ。周りが知り合い同士で完全アウェーというか急にぽつんと取り残された気分になる。
それにしても、アクィラと呼ばれた女性、ただ美人というだけではなく圧倒的存在感というか強者のオーラが見えるようで、周りにいる若者はおろかフィミオや衛士長と比較しても明らかに物が違うのが理解できる。装備だけ見てもわかるが、彼女は一騎当千の化け物だ。
「(それにしても、さっきからあの美女にずっと見られているんだが……)」
入口周辺にこれだけ密集しているということは、若者たちは今から外に出るところだったのだろう。その中にアクィラと呼ばれた美女もいて、こいつだけさっきからこちらを見つめている。それもチラ見とか様子見とかそういうレベルではなく、人目をはばからず露骨にガン見してくるのだ。凄みを効かせて威嚇目的で睨む所謂メンチを切るのとは少し違うようだがなんとも落ち着かない。何かこちらに落ち度でもあったのだろうか?
MMORPGなどで相手の装備を盗み見する時に、こちらにそれを報せるメッセージが出たりするが、無断で相手を調べる行為をマナー違反だと主張する人たちが一定数以上いる。自分はそんなこと気にしたこともなかったが、実際にこうやって見られると確かにマナー違反と思わなくもない。実はこちらもここにいる人のことは土方の力で既に確認済みなので、他人のことをとやかく言える義理ではない。もしかして、能力を見破る的な力があって、こちらの土方の力をこの美女は見破ったということだろうか?或いは見破ろうとしてガン見しているとか……
何か嫌な予感がして、背筋に冷たいものが走る。
「見……けた……」
「ん?」
「……ついに見つけた……」
今見つけたと言わなかったか?いや間違いなく今ついに見つけたと言った!
何を見つけたというのだろうか?彼女は何を探していたというのだろうか?
まさか……
「(もしや死神のエージェントか?もう見つかってしまったのか?)」
背筋に走った冷たい汗が一瞬で凍り付いた。
こんなに早く見つかるとは思わなかった。こんな片田舎に不釣り合いな実力を持った存在。ただ者ではないと思っていたが、向こうは積極的にこちらを捜索し、現れそうな場所に張り込んでいたのだ。
完全に油断した。
「(やばい!逃げないと……とりあえずエグザール地方に……)」
立ち入り禁止のエグザール地方に隠れてしまえば安全である。
冒険者になることはあきらめるしかない。フィミオには悪いがここまでである。
「ついに、ついに見つけましたよ!」
表情に影を落とし、じりじりとにじり寄ってくるアクィラという名のエージェント。
「くそっ!」
一刻の猶予もない。さっと振り向いてフィミオの脇をすり抜けて、紛らわしい引き戸をけ破って外に飛び出そうとする。しかし!
「逃がしませんよー!」
少し低めの語尾が間延びした独特の口調の緊張感のない女性の声が背後で聞こえた次の瞬間、背中からタックルを受けて、軽トラにでも轢かれたかのように物凄い勢いで顔面から引き戸に突っ込んで、そのまま外に吹き飛ばされる。
これは明らかに街中での人に対する敵対行為、有害行為であり、普通なら犯罪フラグが立つところだが、何故か全くその気配がない。
フィミオの横を少女に続いて美女が物凄いスピードで通り過ぎる。そして背後の引き戸が吹き飛ぶ様子を驚きの表情で振り向いて見送るフィミオ。
「ぐほっ!」
背中から腰にかけて受けた強い衝撃で一瞬息が詰まったが、身体の前の方に受けた衝撃の方が強く、気を失う暇も与えてもらえない。まるで拷問である。
身の危険を感じ、その場から一刻も早く逃げ出さなければならないという切実な生存本能に従い、うつ伏せのまま這うように両手で必死に地面を掻いた。しかし、身体は微動だにしない。そう、さっきの女がタックルしたまま腕を回してこちらの細い腰をガッチリとロックしているのだ。足をバタつかせても彼女の身体が覆いかぶさって全く自由が効かない。
「ふっふっふっふ……つーかーまーえーたー」
背中に覆いかぶさってくる美女に振り向くと、まるでホラー映画さながらに、じりじりと背中を這い寄ってくるのが見えた。髪の毛が乱れてまるで例の映画を見ているようだった。
「ひええぇぇーー!!」
恐怖のあまりクロールのように両手を交互に回して涙目になって必死に地面を引っ掻く。しかし、前に進むどころかどんどん吸い込まれるように後ずさっていく。
「ふぉおおー!」
地面とキスしているような狭い視界が急にふわっと浮いて一瞬青空を見た。その後正面を向いて前方にスタート地点のガードポストが見えた。
後ろを向くとあの女が背中に顔をうずめるようにして直立している。比較的背が高い――と思われるその女に後ろから抱え上げられている状態で、足が宙に浮いて視界が高い。話の前後を知らない通りすがりの人からは、ふざけて遊んでいるように見えるか、遠くを見るために持ち上げてもらっているか、或いは組体操か何かに見えたことだろう。
このままこの女がエビ反りしてブリッジでもしたら、プロレス技の所謂バックドロップになってしまう。
「おうふ!」
次に何をされるかわからず受け身のために思わず相手の出方を待ってしまったが、視界が急に下に落ちて地面に足がついただけだった。
女はそのまま地面にペタッと正座を崩した所謂女の子座りをして、そのまま膝の上に腰を下ろしたような態勢にさせられる。
「やっと見つけた……」
「…………」
締め付けていた腕の力が弱まると、まるで犬や猫でも愛しむように背中に顔をうずめて大きく息を吸ってくる。向こうの世界には、猫に顔をうずめて息を吸う「猫吸い」なるものが存在するが、まるっきりソレである。
愛玩用ペットに飼い主がよくやる愛情表現にも似た行為だが、何故小動物ペットがストレスで死ぬのかその理由が分かった気がする。
逃げようとして力を込めると、その倍の力で締め付けてくる。しようがないので、力を抜いてこの状況を受け入れる。すぐに放してくれるだろうから……
それにしても、「やっとみつけた」という意味が理解できない。こちらの存在を予め知っていて、そして必死に探し回っていてようやく見つけることができたという意味だろうか?或いは、手がかりもなくただ彷徨い探し求めていた理想の人に偶然巡り合えたという意味にもとれなくもない。
個人的な事情として、『死神に追われている』という現実があったおかげで、このタイミングでの「見つけた」というセリフは完全にそのことだと思ってしまった。しかし、彼女の態度からどうもそんな雰囲気ではないようだ。
そう思う根拠の一つに、この女のキャラクター性がある。この女、かなり変である。失礼を承知で敢えて素直な感想を言えば「完全無欠のまごうことなき変態」にしか見えないのだ。
手がかりの乏しい広い世界で、誰か特定の人物を探すのであれば、もうちょっとマシな人材を登用すべきではないだろうか?これは明らかに人選ミスだ。
それと地元のギルド員やガードのフィミオと顔見知りらしく、ということはこの変態女は元々ナント周辺で活動している冒険者という可能性が大きい。
ただし、今考えたようなことはあくまで自分の理解の範囲であり、この世界での自身の基礎知識の不足が判断を誤らせている可能性もある。いろいろな意味で分からないことが多いので、皆がこの状況をどう見て、どう感じているのか客観的に判断したほうがいいのではないだろうか?
少し冷静になって考えてみる。
このアクィラという変態のとっている行動を客観的に見ると、大好物を目の前にして自制心が吹き飛んでむしゃぶりついている――ように見える。
目的のためなら手段を選ばないどころか、手段が目的になっているように見えなくもない。とにかく他人の迷惑を省みずに自己中心的な行動をとり、かつこの状況にある自分自身に酔っているようにも見える。自己中でさらにナルシスト的な要素もあるということだろうか?そうなると輪をかけた無敵の変態でしかない。
この変態的な行動をここにいる皆はどう思っているのだろうか?もしそれを見て特に驚いている様子がなければ、この世界では普通のことか、あるいはこの変態女の奇行が常態化していることを示すことになる。それを確かめるために、この不当な扱いを声を大にして訴えてみるのがよいだろう。
「ちょっと!なんなのよ!放してよ!」
「いやです!離しません!あなたは私のものです!」
とんでもないことを言う。この女、想像以上に頭がおかしい。
「私は私のものよ!」
「じゃー私があなたのものになります!」
さらに斜め上の返答がきてしまい、思わず真顔で聞き返してしまった。
「はぁ?何それ?」
オレのものはオレのもの、お前のものはオレのものというジャイアンの理論は、傲慢なガキ大将キャラの定番だが、ここにきてオレはお前のものというのは新しい理論だ。これは完全な押しかけ女房の理論である。
つまり、この女に気に入られてしまったということか?面識は全くなかったし、これは完全に一目ぼれというやつだろうか?ズキューン!と来たのだろうか?
そういうことであれば、死神から送り込まれたエージェントという線はかなりの確率で消えたことになる。これについては朗報だが、正直複雑な心境で手放しに喜ぶことができない。
とりあえず死神の追跡者疑惑という一難は去ったが、今度は押しかけ女房というもう一つの難問が立ち塞がってしまった。相手の迷惑を考えない押しかけ女房的な思考は、上手くいかなければ無理心中的な破滅を選ぶ傾向になるのではないかと、先入観でそう思ってしまう。
今の自分が元のおっさんの中田 中(あたる)であるならば、美人に言い寄られて嬉しくないわけがなく、今頃鼻の下を伸ばしていることだろう。いや、こんな美女だと逆に孔明の罠ではないかと勘ぐって、思わず走って逃げだすような案件だと深読みするかもしれない。最近よく聞くハニートラップというヤツだ。
どちらにしても、今は男ではなく少女なので、このハグ状態は男女間の恋愛問題とは全く無関係であることだけは確かなのである。
と、いうことは――だ
今自分は少女、いや美少女の形をしている。つまりこの女は、同性のしかも子供に興奮するロリコンの変態なのだ!
いや、待てよ?ロリコンは正義ではなかったか?ということはこの女は正常なのか?そもそもの問題として中学生くらいはロリコンに含まれていいのだろうか?という重大な問題も並行して考えなければならない事態が発生する。
もう何が正しくて何が間違いなのかわからなくなってきた。恐らく自分自身も頭の中がおかしくなってきているに違いない。もうこれは「天狗の仕業だ!」とか言って現実逃避するしかないのか?
「おい!アクィラ!何してるんだ?」
フィミオが後を追って外に飛び出し、後ろから抱き着かれてどうしていいか分からない私のところに駆けつけてくれた。このフィミオの言動などから察するに、やはりこのアクィラとよばれる女の行動は普通ではないのだ。つまり変態で間違いないということだ。
6人のガキ共――失礼、若者たちとギルドの職員も続々外に出てくる。首を傾けて横目でその様子を見る限り、彼らの表情は一様に驚いている。これは、アクィラ変態説を裏付ける決定的な材料になる。
それにしても、この状況は完全に見世物のようになっている。野次馬が集まってくる前に何とかしたいところだ。
「放してってば!」
両手の自由は利いたのでなんとかしてアクィラの腕を掴んで振りほどこうと試みたが、少女の力ではびくともしない。こっちが非力なのもあるが、それよりもこの女の凄まじいバカ力がそれを許してくれそうにない。
「嫌です!」
「ぐぉ!」
嫌々するとロックする腕の力が増して胴体が締め付けられる。これ以上圧迫されたら身が出てしまう。
大切なものを取られないように必死に嫌々する姿は、可愛らしく思えるだろうし周囲はそんな目で見ていて、事態が収束したのか?と少しホッとしているようだ。しかし、拘束されているこっちはいい迷惑で、徐々に精神的にも体力的に削り取られているようだ。
「フィミオぉ~たすけてぇ~」
フィミオに助けを求めると、アクィラと呼ばれた変態の肩をゆすって拘束を解くように説得してくれた。
しかし、相変わらず嫌々して動こうとしない。嫌々するたびに締め付けがきつくなる。
フィミオ自身この状況を持て余しているようだ。ガードの仕事としては犯罪者やその予備軍を取り締まるのが役目で、それを可能にするために犯罪行為、つまり犯罪フラグに対し非常に敏感になるわけである。
背後からのタックルや、それをそのままドアに衝突させたり、さらにはこうやって当人の合意もなしに不当に拘束し続けているこの状況、どう考えてもアクィラに犯罪フラグが立っていなければならない状況で、しかし不思議なことに全くその反応がないのだ。
ようするにこの状況は全て合法ということになる。これはガード的に明らかにおかしいのだ。
これは一体何が起こっているのだろうか?
たいしたことではないように見えて実はかなりやばい状況になっているとフィミオは感じていた。
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