第40話 訓練  8 圃場4

きつかった。

僕が吐いたので、それでプールの訓練は一時中断になった。

へとへとのヘロヘロで、身体が動かない。

伍長が心配そうな顔で見ている。

中尉は涼しい顔で見ていた。

「基礎的な体力が足らんな」と ・・・・・

「食堂に緊急飲料水がある。それ二箱ほどもってきてくれ」

中尉の指示にずぶぬれのまま伍長が、食堂から緊急飲料水を持ってきてくれた。


「ほれ。

 みずだ。

 ただの水じゃない。

 緊急飲料水だ。

 身体に必要なミネラル・塩分なんかちゃんと入っている。

 口を濯いで、飲め」


それで口を漱ぐ。

ごくごくと水を飲み干す。

はあはあはあと息が苦しい。


「小休止どころじゃないな。

 1時間の大休止にする。

 息をを整えろ」

はあっ、1時間の休みか、ありがたい。

10分間ほど横になっているとようやく呼吸が整ってくる。

きつかった。

ホントにきつかった。

30分もするとようやく体を動かせる。

初日からしんどかった


中尉はそんな僕を涼しい顔で視ていた


「海軍所属なんだから、こんくらいで音を上げてどーする。

 海軍の端艇カッター訓練なんかじゃないぞ。

 あれはもっときついぞ。

 手にマメができて、それが破れて血だらけになる。

 それだけじゃない。

 尻の皮が剥ける。

 痛いどころの騒ぎじゃないぞ。

 今やったのは単に泳げ、それだけだ。

 陸軍ならな、戦備行軍訓練をする。

 背嚢を背負い、銃を持って、なんやかやと完全装備で普通に

 50ルンカール(約60キロメートル)ぐらい行軍する。

 そんな訓練してないからな。

 ただ泳げ。

 それだけだからな。

 いかに自分の体力がないか、自覚してくれ。

 お前さんは海軍だから、重装完全装備で歩けとは言わん。

 万が一の時つまり、乗っている船から放り出されたりとか、

 退艦命令が出て海に飛び込むとか。

 そんな場面を考えての体力増強の訓練をこれからしていく。

 まあ、単純に服を着たまま泳げだ。

 だから、がんばれとしかいえないなぁ。

 万が一の時、自分の体力がすべてだ。


 退艦命令が出て、海に飛び込む。

 そんな時はたいがい負け戦だ。

 負け戦で命を散らすなんて。

 もってのほかだ。

 当り前だが、誰だって死にたくなんかない。

 生きて帰る。

 それがすべてだ。

 生き残れ。

 いいか。

 敬礼がどーのこーの、隊列がどーのこーの。

 ベッド整備がどーのこーの。

 軍命に従う為の理不尽な訓練は山ほどある。

 いいか、ここではしない。

 ただただ、生きて帰る。

 その為の体力錬成を行うからな。

 わかるだろう。

 死にたくないだろ。

 ここで体力をつけろ。

 毎日泳げばだんだん長く泳げるようになる。

 気をぬくなよ。

 ここのプールは深い。

 溺れるぞ。

 こんなところで死にたくないだろ。

 その意味で、 ・・・・・

 ここは戦場と同じだ。

 お前さんなら ・・・・・

 オレが何を言いたいか。

 わかるよな」


中尉はその涼しい顔で話しかけてくる言葉は、僕のこころに突き刺さってくる。

退艦命令か。

ぞっとする。

今の僕にはプール3往復の体力しかなかった。

死にたくなんかない。

地雷で足をふっ飛ばされるのも嫌だ。

飛行機で墜落して死ぬのも嫌だ。

溺れて死ぬのも嫌だ。

やるしかない。


中尉が手ぶりで伍長さんらにもっと近くまで来るように指図する。


「いいか、3人ともよく聞いてくれ。

 絶対にひとりでプールに入るな。

 ここのプールは深い。

 2.5カール(約3メートル)ある。

 事故の可能性は常にある。

 溺れたら間違いなく死ぬ。

 ごくごく普通の家の風呂でも、毎年何人も事故で死んでいる。

 そう、ちっちゃな風呂で毎年何人もの人が溺れて死んでいる。

 水のあるところ、溺れる可能性は常にある。

 溺れたら、間違いなく死ぬ。

 いいか、ここで死ぬために訓練しているわけじゃないぞ。

 軍人としての基礎体力を錬成するのが目的だ。

 軍人としての基礎体力とはどんなものか。

 それは生き残る。

 その為の体力だ。

 敬礼とか、行進とか、基本動作だ。

 普通ならば最初にそれをする。

 陸も海も憲兵でも ・・・・

 でもな、そんなもの、どうでもいい。

 君の場合は将来にそれなりの船に乗るだろう。

 どんな船かは、知らん。

 でもな、船はある意味、ここのプールと一緒だ。

 溺れるなよ。

 泳げ。

 ひたすらに。



 訓練は3人一組でする。

 誰かが限界になれば、助け合え。

 そうだ。

 サータン戦と一緒だ。

 俺たちは民間人移送でがんばった。

 あの時はひとりのばーちゃんだったが、今回はこの子だ。

 但し、最初から手助け厳禁だ。

 限界に来た時だ。

 わかるな」


そう言って中尉は僕たちの顔を見ていく。

二人の伍長さんが僕を見ていた。


僕は「おねがいします」と言って頭を下げた。


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