第6話


プロローグ6


「よろしい」


大佐は満面の笑みで僕を見ていた。

なんかね、よーしうまくいったぞという感じの笑みと言ったら解ってもらえると思う。


「よし、ひるめしにしよう。何が食いたい?」


えっ、どういうこと?

食堂へ行ってただ飯を食わせてもらえると聞いていたけど、このまま食堂へ行くのじゃないの?

振り返って軍曹を見たら、どうやら、僕の表情が不安な顔をしていたみたい。

軍曹の顔はだいじょうぶだ、しんぱいするなという顔している。


「司令のご厚意に甘んじたまえ」


その言葉にさらにびっくりした。

えええ、この大佐、203駐屯地の司令官 ・・・・・ 一瞬、腰が抜けそうになって椅子から落ちそうになったけど、踏ん張ったよ。


 陸軍駐屯地司令官と直々に面接していたなんて、ひゃーと全身に緊張が走る。

まさか、駐屯地のいちばんのVIPと会っているなんて思っていないから、そりゃびっくりするよ。

たぶん、椅子に座っていなかったら、まちがいなくよろめいていたと思う。


「な、なっ、なんでもけっこうです」


僕の返答は恥ずかしいぐらい声が裏返っていた。

僕がスットンキョーな声で返事をするものだから、大佐はプッと噴き出している。


その大佐の様子は僕がびっくりしているのを、まるで楽しんでいるようだ。

満面の笑みで「軍曹、A食を二人分頼む」

「了解しました」

「あ、三人前だ、君も付き合え」

「ありがとうございます。ご相伴に与ります」


軍曹が壁に掛かっている電話で何か指示をしていく。食堂にA食とやらを注文しているみたい。

大佐が駐屯地司令官とわかってからは緊張しまくりだった。部屋に入る時の緊張感を一とすると、今は三倍以上の緊張感になっている。

まさかこの駐屯地のトップの人と面接をしているなんて、普通にびっくりする。

そんな僕の様子をニヤニヤしながら大佐は見ている。


「それじゃ、日当を振り込む口座を作る必要がある。

軍曹、書類を」


軍曹が用意していたバインダーを僕の目の前までもってくる。バインダーに挟まれた用紙を僕に示して、「ココとココにサインを」と言ってペンを渡してくれる。

間違えるな、ココだとばかりに指で指し示して、すぐに書けとバインダーに挟まれた書類を目の前にもってきてくれる。

軍曹がしっかりと保持してくれている書類に、すぐにその場で自分の名前を書き込んでいく。


「つぎはココ」


すぐさま、別のバインダーを目の前に出してきて、また指でここに書けと指示してくる。

そのまま、同じようにして指図されている所にサインを書き込むと、軍曹は直ぐにまた別のバインダーを僕の目の前に持ってくる。


 そのバインダーには軍務信用金庫と書かれた通帳が挟まれていた。

軍曹はバインダーから通帳を外して、僕の目の前までもってくる。

それを指し示して「氏名は間違いないな、確認だ」と僕に見せつけてくる。

表紙の部分には僕の名前が、手書きではなく、ちゃんと印刷されていた。

すごい、いつの間にか通帳が作られている。


「はい、間違いありません」


後で聞いたけど、参軍募集に応じた者にはすぐ通帳が作られるみたいだね。

その表紙をめくり、バインダーに挿み込み、2ページ目にある氏名の欄にサインだとばかりに指し示してくれる。

これもすぐにサインを書き込む。


「よろしい、右手人差し指を出せ」


そう言うと、インクパッドを出してきて指に付けろとばかりに目の前に出してくる。


「いいか、強く押し付けるな。これは特殊インクで透明になっている。軽く押せ、わかったか」

「返事は?」


「はい、わかりました」


特殊インクとやらを右手人差し指を軽く押しつけて見る。

透明だから、ちゃんとついているか判断できないが、そのまま、通帳の2ページ目、僕のサインの横に指を付けろと指図されていく。


「いいか、サインの横、そこも軽くゆっくりとだ。さあ、押したまえ、ゆっくりだ」


サインの横に人差し指をゆっくりと押し付けてこれで完了したとおもう。まあ、透明だからパッと見た目では全然わからない。


「よろしい、確認する」


軍曹はそう言うとポケットから小さな懐中電灯を取り出して、僕が人差し指を押し付けた部分に当てていく。

すると、僕の人差し指の指紋が光り輝くというか、浮かび上がってくるように見えてしまう。指紋のスジは極めて明瞭に出ていた。

へぇー軍ではこんなものを使っているのか。

透明インクって、いわゆる特殊インクなんだね。普通の光源の下では透明のままで、ある特殊な光源では発色するのか。

普通にスゲーと思ってしまう。ちょっと感心してしまう。

ちゃんと指紋が転写されているのを確認すると軍曹は、そのページのほとんどの部分に用意してあった透明シールを張り付けていく。

その手際がすごかった。際立っていた。

シールを張るときに皺とか空気が入らないよう慎重にかつ素早く処理している。

サッとめくり、張り付ける最初の部分をしっかり狙い定めて、すうぅぅぅと張り付けていく。

たぶん、何回も何回も処理しているから、手慣れてきれいに張り付けることができるんだろうね。

ああやって覆うわけはサインと指紋の保護と偽造防止だね。

一般の銀行なんかとは全然ちがう手法を用いるのか。単純だけど確実に偽造防止になっていると思う。


「完了した、これが君の口座の通帳になる。軍から支給される俸給・手当はすべてここに入る。

いいか、これは一生君の人生にいろいろと金勘定の記録簿とし重要になるからな。

最初の俸給が支給されたら、これは君に返却される。

それまで軍が預かる。何か質問はあるか」


質問はあるかと言われても、質問するだけの基礎知識も何もないから、質問しようがない。

まあ、思ってることをそのまま口にしてもマズイよね。

「いえ、ありません」と無難に答えた。

これがベストの回答だね。


「よし、書類は済んだな、隣でめしを食おう。こっちだ」


大佐が僕の後ろ側へ、そこにはもう一つドアがあり、大佐が入れとばかりに開けてくれる。

そこはどうやら会議室として使われている部屋みたいだった。

楕円型の長机が置かれており、10名程度が対面で座れるようになっていた。

大佐が真ん中へ座れと手で指図してくる。

ガチガチに緊張しながら指し示された椅子に座り込む。

そう、まさか、駐屯地司令と一緒に昼飯を食うなんて、思いもしなかった。


僕が緊張しながら、座り込んでいると「A食とは来客用の昼食だ。

今日は若鶏と豚肉のサラダロールのフライだ。

うまいぞ、しっかり食べたまえ」


軍曹がA食の内容を教えてくれる。


大佐が注文したA食とやらは、椅子に座って、しばらくしてからやってきた。

廊下側のドアが開くとそれはしずしずと、高級レストランみたいにワゴンで恭しく入ってくる。

厨房担当の兵士なんだろうな。

軍の作業服の上に高級レストランのウェイターが身に付ける大型のエプロンをしている。

素人目にも高級なエプロンと言うが解かる。確かギャルソンエプロンだよな。

軍の作業服の上にギャルソンエプロン、その取り合わせが不思議な感じになっている。

見た目にものすごく格好いい。颯爽としてワゴンを取りまわして、部屋の片隅にと運ばれていく。

ワゴンの上には3皿分、ドームカバーが載っていた。

それがワゴンで運ばれてきて、大佐が満足そうに頷いている。

それが合図なんだろうね、運んできた兵士が恭しく一礼してから、ワゴンに用意しているなにやら布を僕たちの前に置いていく。

この布ってなんだっけ、そうだ、プレースマットだ。

それから、ギャルソンエプロンの兵士は、ワゴンの上に乗せてあった白手袋を取り出して、僕らに見せるようにしてその手袋していく。

そこからはまるで儀式のように僕の前のマットにホォークにナイフ、スプーン・・・いわゆるカトラリーを素早くきれいに並べていく。


 カトラリーを素早くきれいに並べていくのだけど、まるで芝居掛かったような独特の手つきで、優雅に並べていく。

ひえー、あの手つきは何回も練習しなければできないと思う。

そのぐらい、何と言っていいか、優雅な振る舞いでカトラリーをセットしていく。

ただ単に定食を運んで、お客にはいどうぞと言う係じゃない。

単純に食堂の厨房で働く兵隊さんだと思っていたから、ぜんぜん違う。

その颯爽した雰囲気で、カトラリーを並べていくのは高級レストランなんかと一緒なんだろうな。

もっとも、僕にはそんな高級レストランでめしを食ったことがないので比較できない。

たぶん、そうなんだろうと勝手に思うだけなんだけどね。


駐屯地司令の目の前で出す食事、しかも来客用の昼飯。

つまり僕は来客扱い。

その意味でギャルソンエプロンの兵隊さんは高級レストランばりのサービスを施してくれているのか。

兵隊さんって、単純に考えていたけど、このギャルソンエプロンの兵隊さんみたいにちゃんとしたレストランでも通用する技能を持っている人がいる。

専門性について、きっちりとその技能を高めている証拠だよね。

よくよく考えたら、それってすごいと思う。

軍ていうところは技能集団の集まりだとを示している事だよね。

例えその技能が軍事そのものから外れていても、絶対に手を抜かず徹底するということか。何気にすごいよね。


 でも、なんにしても、やっぱり緊張する。


並べられたホォークにナイフは独特の鈍い銀色を放っていた。

あああ、これって銀食器だね、たぶん。

恥ずかしいけど、銀食器なんか使ったことがない。


銀食器を使う食事なんて ・・・・・・ 、

生まれてこの方そんな料理なんか食ったことがない。


・・・・・ ものすごく緊張してしまう ・・・・・・ 。


がきんがきんの緊張の中で、ギャルソンエプロンの兵隊さんが、鈍く銀色に輝くドームカバーの掛かったお皿をテーブルへと恭しく運んでいく。


その兵士が一礼して大佐の前にその「A食」なるものを置いていく。

僕の所まできて、また一礼、会釈しようとしたけど、なんだか、緊張でガチガチになっていた。

僕の前にもそれが置かれていく。


銀色に鈍く光るドームカバーに覆われて恭しく登場する昼飯。

そんなもん、食ったことがないよ。

ドームカバーが乗ったお皿の次は、小皿に野菜サラダと黒パンが置かれていく。

そして最後は、大ぶりのスープカップだった。


それもワゴンの中段に置かれていた大きな入れ物。

えっと、なんだっけ。そうだ、スープを入れるチューリンという名前の容器だと思う。

それをワゴンの上段に移してから、ひょいと右手で持ち、それから左手で底をしっかり保持していく。

空いた右手にレ-ドルを持って、大佐の所へ。

レ-ドルでチューリンからスープをすくうのだけどね、動作がなんというかね。

ものすごく芝居じみているというか、緩急をつけてスープカップに入れていくんだよ。

普通にすくって、さっと入れれば良いのにと思うけどね。

そこがサービスのこだわりなんだろうね。スープカップにスープを入れるだけなんだけど、そこはやっぱりね、プロとしての見せ場ということかな。

たぶんね、そうなんだろうね。

独特のしぐさでスープをすくって、カップに入れていく。

僕の所でも同じように緩急をつけてスープを入れていく。軍曹にも同じようにしてスープのサービス。

儀式だね。

 まあ、ただ飯を食べさせてもらうのだから、ダンスのステップでスープを入れてくれてもいいし、どこか外国の武道みたいに「ちぇぇぇぇぇぇすとっっっっ・・・」と大声を上げてからスープを入れてもいいよな。

ただ飯の為の儀式なんだから、じっと儀式をみていればいいや。

 緊張しながら、僕は妙に冷めた感覚でそれを見ていた。

ギャルソンエプロンの兵隊さんがコップに水を入れて、真っ先に大佐へと、僕へと、そして軍曹にと用意してくれる。

 それで準備万端整ったみたい、大佐がギャルソンエプロンの兵隊さんに顔を向けて頷いている。

それが合図なんだね。

ギャルソンエプロンの兵隊さんが一礼して、僕の横へやってくる。

ひゃー、なんとも緊張してしまう。

ギャルソンエプロンの兵隊さんにとっては、僕が大佐の大切なお客さまなんだ。

正直、かんべんしてよと思う。

その人がサッとそのドームカバーが外していき、「A食」なるもの、それとの御対面となる。

豪華な定食だった。

うまそうなフライが目の前にある。量もたっぷりあった。

見た目にも豪華な「A食」なるものが堂々と鎮座されている。

あー、これは値が張るよね ・・・・・ 。

学生の身分ではなかなか食うことができないと思う。

値段の高そうな昼飯、しかも、陸軍第403駐屯地食堂謹製とくる。

僕はありがとうございますと礼を言ってから、とりあえず用意してくれた水をひとくち含んだ。

ギャルソンエプロンの兵隊さんが、大佐と軍曹のドームカバーを次々にと外していく。


目の前には、うまそうな「A食」なる昼飯がある。


明らかに優遇されているよね。


なぜ、大佐は僕をこんなに優遇してくれるのだろうか。


思い切って、その疑問を口にしてみた。


「大佐殿、質問があるのですがよろしいでしょうか」


「うん・・・」

「なんだね 、 答えられる範囲で回答しよう」


「はい、 なぜ、 僕に・・・・・ 、  こんな優遇してもらえるのでしょうか」


「ふふふ、そこか」


「それはだな」


「君には、 ・・・・・ 軍人に向いている素質があるからだ」


へっ、ほんとかよと、正直そう思った。


僕の表情が不審そうにしていたかもしれない。大佐はニコッと笑いながらさらに答えてくれる。


「私は18才で陸軍大学校に入学し、それ以来足掛け40年軍にいている。

いろんな奴を見てきた。

 その中でこいつはやるなという光るモノを持っている奴がいる。

数は少ない、 ホントに数が少ない。 両の手の指の数より少ない」


ここで大佐は一息ついた。

まるで、過去の記憶を掘り起こしている、そんな感じの表情だった。

それから僕の顔をじっと視てくる。

眼光する鋭い軍人に射すくめられてしまう感覚と言ったら解ってくれると思う。

でも、その視線は鋭いのだが、僕の身体を傷つけるような視線ではなかった。

もっと違うモノを含んでいる視線。

何というか、学校の先生に愛でられている視線と言ったら解かってくれるかな。

あっ、あれだ。

思い出した。

学芸会で生徒を指導する先生の眼、あれだ。

とにかく、そんな眼で僕を視ている。

そして、言葉を紡いでいくように、ゆっくりと僕に語り掛けてくれた。


「そんな奴らには、ある共通する行動パターンがある。

まず、なによりも決断が速い。

そして決断したら、すぐ行動を起こす。

それが彼らと君の共通点だ。

君が出頭命令書を受領したのは、昨日だね。

軍から出頭命令はだいたい午後から個別に配達されていく。

昨日の午後に受け取った軍からの呼び出し対して、翌日に出頭している。

つまり、君は即行動してここに来ている。

実によい反応だ。

そして、君の心理分析の結果は、君がある特定の心理傾向を示している。

その心理傾向のパターンの特徴は ・・・・・・ 機密だ。

教えられない。

だが、その結果の意味するところは、つまり、君は軍人に向いている。

だから期待しているよ。

さあ、食べたまえ」



大佐の言葉は、僕にある種の眩暈みたいな感覚をもたらしていく。

ちょっとショックだった。


軍人に向いている・・・・・・・・・・。

期待しているよ・・・・・・・・・・・。


大佐のその言葉からは、【 君は軍人になるべきだ 】という言葉がまるで炙り出しのように現れて、僕の心にまとわりついていく。


  ・・・・・・・ 職業軍人になるなんて ・・・・・・・


         僕にはそんなつもりは無い。

 


とにかく、国民の義務である11か月ある軍事教練を済ませたい、それだけ。


それだけの思いで僕はここにいる。

そして面接官の大佐と一緒に昼飯を食っている。


それからは何というか、大佐が用意してくれた来客用昼食---A食と呼ばれている昼食をいただいているのだが緊張のあまり味がよくわからない。

マナーは一応知っているけど、やっぱり場慣れしていないというか、銀食器を使うなんて初めて。

だから力加減がよくわからずもカチャカチャと音を立ててしまう。

日頃から銀食器に慣れて食事をしていたならば音を立てることなくナイフとフォークを操れると思う。

でも実際問題として、日頃から銀食器を用いて食事する家庭って、大金持ちか、貴族の家柄だよ。

僕みたいな農民の息子には全く関係ない話だ。

だけど、音をたてないようにとして、目いっぱい緊張しながら食った。

まあ、味覚的に確かにおいしいのだけど、そのおいしさは緊張しているせいでそのおいしさをじっくり堪能できなかった。

鶏肉と豚肉を薄くスライスして、野菜を巻き込んだ物のフライ。

ソースが掛かっていて、それがフライを引き立てていく。

何のソースがよくわからない。味的には魚貝系だと思う。

魚貝系の手のこんだソースが掛けられていた。初めて味わうソースだよ。

香味が口の中いっぱいに広がって、フライにピッタリなんだろうけど、音を立てず食べる事、それに意識いっぱい。

 うん、文字通り、いっぱいいっぱいだった。

それが軍曹の説明してくれた若鶏と豚肉のサラダロールのフライなんだけど、緊張無しで食べたかった。

でも、お腹が減っていたのは間違いないわけで、出されたA食は残さず食べることができたよ。

緊張が無かったらもっとおいしくいただいたと思う。


ただ、ほんとうに ・・・・・ あんな緊張の中でのひるめしは御免被りたい。


今日は来客用の定食だったけど ・・・・・ 、

普通の兵隊さんはどんなものを食っているのだろうか。

軍に入隊すれば営舎の食堂で食事をとるはずだ。

僕の好きな魚のフライは出るのかな。

肉料理なんか、特に鳥料理なんかリクエストができるのかな。

僕はヒヨドリの蒸し焼きが好きだ。リクエストできるかな。

海藻サラダとかなんかはあるのだろうか。

お代わりはどの位できるのだろうか。

お菓子なんか持込できるのだろうか


僕はいったい何を言っているのだろうか。


 軍人に向いていると言われて、動揺している僕だった。

 

軍人になんてものになるつもりは無い。

これから先の将来、もっともっとしっかりと考えなきゃと、頭の中で考えていると、大佐がお茶を淹れてくれていた。

素気ない何の飾りのないティーカップ、だけど、そこに淹れられたお茶の香りはタダモノじゃない香りだった。

ものすごくイイ、というか、とんでもなく良い香りのするお茶だった。

あきらかに値の張るお茶を大佐は用意してくれていた。


「いい香りだろ。

飲んでみたまえ。

味も特別だから」


大佐が自慢気にに笑いながら声を掛けてくれる。

ひとくち飲んだ。

何とも言えない美味おいしさが口の中に広がり、芳醇な香りが鼻へ抜けていく。

美味い、とんでもなく美味い。

その美味さが舌から脳へと伝わり、脳から脊髄へと巡り、そして脊髄から全身へと周りだしていく。


まじまじと僕はその素気ないティーカップに淹れられたお茶を眺めた。

信じられない、なんて美味しいお茶なんだ。

二口目のお茶、飲むとともにまたまた口の中に香りが広がり、そして身体がリラックスしていくのが解かる。

美味い。

ものすごく美味い。


「美味いだろ」


大佐がニコニコしながら、僕がお茶の味の良さにびっくりというか、あまりにも美味いので感動しているの見て満足している。


「おいしいですね、お茶がこんなに美味しいものって知りませんでした」


「これはシバリー産の12年モノの茶葉だからね。

なかなか手に入れることはできない。

私の妹の嫁ぎ先がこの茶葉を作っている。

だから、少量だけ手に入る。

自慢のお茶だよ」

大佐はニコニコしながら僕にそう語ってくれる。


大佐のその言葉にどう反応していいか、困ってしまう。

うんうんと頷きたいけど、シバリー産の12年物って何を意味しているのか、僕にはトンとわからない。

12年モノ、たぶん、12年間どこか貯蔵しているのは間違いないよな。でもそれがどのくらい凄いのか、僕には判らなかった。

適当に相槌を打つのは、やっぱり憚れる。

知らないことをあたかも知っているように装うのは、僕にはできない。


たぶん、たぶん・・・・・・。

知っている振りをすると、この後の会話でボロが出る気がする。

だから正直に、大佐に何を言っているのかわからないと言うしかなかった。


「あの、大佐殿、・・・・・、恥ずかしい話なんですが、・・・・・、

その・・・・・大佐の仰るシバリー産の12年モノの茶葉・・・・、

たぶんものすごい事なんでしょうけど、・・・・・、

茶葉の基本知識がないので、正直、大佐の仰っていることがよく解かっていません。

すごくおいしいモノを飲ませていただいて、ありがたいのですが、このままだと何も知らない青二才にたぶん高価なお茶を飲ませてお終いになると思います。

後学の為にできるならば、何がどのように凄いのか、この機会に教えていただければ幸いなんですが」


「ほう、私にお茶のウンチクを語れと君は言っているわけだね。

よろしい、よく聞いてくれ」

僕の受け答えに、大佐は上機嫌の様子だった。

どうやら大佐のご機嫌を巧く取れた気がする。

ならば、教えて進ぜようとばかりに、大佐はにこやかにお茶の蘊蓄を教えてくれた。

それは僕の知らない事ばかりで、僕も機会があれば大佐みたいに語りたいものだとその時は想ったよ。


「お茶の産地で有名な処はダンガリ産とシバリー産なんだ。

ダンガリではチョコも有名だな。シバリーではお茶以外ではナッツミルクが有名だね。

お茶にはね、春摘と秋摘とがある。

それぞれの茶葉の特徴はね。

春は甘い、しかし、香りが弱い。

秋は香りが良い、しかし、渋みが強い。

それぞれ春と秋の品質を見極めて、ブレンドする。その配合の仕方がお茶師の腕の見せ所になる。

適性な配合にした物を日陰で干して、そしてそれを甕に入れて発酵熟成させるわけなんだ。

凡そ10日間、それで初期発酵が始まり、次は温度を下げて熟成させる。

どうするかと言うと、つまり土の中に入れてゆっくりと熟成させることになる。

一番良いものが12年間も寝かせた物になる。

単純に土の中に埋める訳じゃないんだ。

君も知っていると思うけど、シバリー地方は寒冷地だ。 

あそこは真冬になるとね、マイナス20度ぐらいになる時がある。

真冬は、それぐらい外気温が下がる寒い所だ。

甕を適当において置くと、凍ってしまっては発酵熟成なんて無理な話だね。

逆に凍ってしまって茶葉がダメになってしまう。

だからどうするからというとね、土の中に埋める訳なんだが、単に埋めるわけじゃない。

マイナス20度になる処だから、当然、地面も凍ってしまう。

地面から下、6カール***作者注意 作中世界の長さ単位 およそ7.2メートル***位まで凍結してしまう。

それぐらい寒い。

それがマイナス20度の寒さなんだ。

だから、地面が凍らない処まで穴を掘ってそこに埋めるようにする。

実際には土中深く倍の12カール***およそ14.4メートル***程度までの深さまで埋める。

そこまで掘ると土中の温度は年中7度から8度なんだ、つまり低温で一定に保たれている。

 その低温を利用して、12年間寝かせて熟成させていく。

12年もお茶を甕に入れて寝かせると硬く締まって、カキンカキンになる。

そのカキンカキンになった一番の真ん中の部位、そこが一番上質な部分なんだ。その中でも一番良いものを帝室に献上されていく。

その部分を取り出して粉末化する。それ以外の部分はそれぞれ吟味して等級がつけられて出荷されていくのだよ。

12年も寝かせて美味しいのならば、13年ならもっと美味しいだろうと誰でも思う。

しかし、物事はそう上手くいかない。

12年以上寝かせると逆に劣化して味がわるくなる。12年が最上のものになっている。

今、淹れたお茶なんだがね、これはね、シバリー産の12年物の中でもさらに特上の物だ。

帝室に献上されるモノと同じものだよ。だから、市場に出回ることはない。

妹のコネがあるがゆえに、手に入る逸品モノだよ。

まあ、そんなわけだから、じっくりと味わってくれたまえ。

私もめったに飲むことが無い。

まあね、こうやっていろいろ理由を探し出して飲むわけだ」

ニコニコしながら、僕にそう解説してくれる。

ありがたい事だね、そう思ったから「教えてくださってありがとうございます」と礼を言ったら、「残りのお茶だ、飲みたまえ」と最後のお茶を入れてくださった。

僕はそのお茶をひとくち口に含み味わった。やっぱり美味しい、香りとその味わいの良さ、絶品だった。


帝室に献上されるお茶なんて・・・・・・・・・・、

普通に飲む機会なんてないよな。

お茶がこんなにおいしいものだって、知らなかった。

・・・・・・ まあ、ラッキーと言えばラッキーな状況 ・・・・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・。


でも正直、不自然にラッキーな感じがする・・・・・・・・・。

でもね、それをいろいろと考えてもね。答えは・・・・あるかな?


うーん、どうだろう。


あんまり深く考えても意味無いような気がする。

そして、そもそも解答なんて無いような気がする・・・・・・。


 なんだろう、深く考えても答えなんか出てきそうもない事に、思考の力を使うのは意味はないとは言わないけどある程度の折り合いをつけた方がいいよね。


だから、僕はこの状況をそのまま受け入れることにした。

その途端にものすごくリラックスしてしまう。

美味しい昼ご飯に、美味しい帝室献上のお茶、幸運だね、それだけでいい。

そう思って、お茶をすすったらもうなかった。


「お茶も無くなった頃合いだから、じゃ検査へ移ろうか」


軍曹が僕に仕事だぞという顔で語りかけてくる。


「はい、お願いします」と僕は答えた


それで昼食はおわり、日当の出る検査を受けるべく、僕は部屋をでた。




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