第30話

プロローグ30


「案内する。付いてきたまえ」

言われるままに少佐のあとに続く。

廊下をかなり進み階段を上っていく。

海軍の礼服を着こんで歩くなんて ・・・・・

こんな堅苦しいことはない。体がなんだか緊張して強張る。

軍人さんが礼服を着る時は当然それなりの式典になる。

でも宣誓の儀に礼服を着るって事はない ・・・ らしい。

陸軍ならば、普通の制服で ・・・ たしか ・・・ 集団で行う。

前に大学の会報に宣誓の儀の写真が掲載されたことがあった。

それには50人とか、100人とか、まとまった人数で代表者が出て、その声に合わせて宣誓している写真が載っていた。

 そんな風にまとまった人数で宣誓の儀をするのが一般的にやり方のはず ・・・・

僕の場合は、ちゃんとした海軍第二種礼装という名の礼服を身に纏って、

僕が単独で宣誓をする事になっている ・・・ らしい。

現に僕は真っ白な海軍礼装服を身に纏っている。

だから ・・・・ 今  これは現実だよな。

もしかして、白日夢 ・・・・


バーカ 現実だよ いいかげんしっかりしろ


もう一人の僕が罵倒している。

あの4才の僕が心配そうに ・・・・ 僕を見ていた。


たのむ ・・・ そんな心配そうな顔でみないでくれ。


とにかく、僕は海軍の礼服を着ている。この格好で宣誓の儀を行うのは間違いない。

僕の海軍の礼服には ・・・・ 階級章がない。

階級章が無くて海軍の礼服を着るって ・・・・

それは、いいのか、わるいのか、さぁ、どうなんだろう。

こんな形で宣誓するは無いみたいだ。


しかも、宮様と呼ばれる高貴なお方がご臨席になる。


皇族の方なんて ・・・ 僕にはまったくの雲上の人 ・・・ 


そんな方と出会う事なんか ・・・


夢の中でも ・・・ 僕は考えた事は無い。

そんな高貴なお方が僕の『 宣誓の儀 』に立ち会ってくださる。

ものすごく ・・・ ものすごく緊張する。

正直 ・・・・ パスしたいよ。


また廊下をかなり歩き、その部屋までやってくる。

儀典室の看板ネームプレートが出ていた。


・・・・ 逃げたい ・・・・


バーカ もうひとつ バーカ 逃げられないのは解かっているだろ


僕の中のあの斜に構えている僕が嘲笑っている。

解かっている。 ・・・ わかっているよ。

だけど、放り出して逃げたかった。

たまらなく緊張する。


そこはこじんまりとした講堂みたいな部屋だった。

厚い絨毯が敷き詰められいて、室内は重厚な雰囲気。

儀典室とあるからには、それなりの儀式が行われる特別な部屋なんだろう。

室内を一通り見渡したら、奥にその人がいた。


 宮様だった。


身なりですぐ判った。写真でしか見たことのない皇族の衣服を身に纏っておられた。

僕より先にその部屋で、僕が来るのを待っておられた。

その事に気づいたら、僕は一気にカチンカチンになっていた。


目と目が合う。


一礼する。

でも、自分でも判るぐらいにぎこちない動き。


宮様 ・・・・  宮様は、ガーネット宮家の長男で皇籍順位第十三位。

そして、海軍技術少将。

少佐がそう教えてくれた。

控室でその事を聞かされた僕は、緊張でがんじがらめになって控室をあとにした。


宮様は、少佐の上司に当たる人だった。

僕の父より、二つか三つ年下になる。


だめだ ・・・・ ものすごく ・・・・

    ・・・・ 緊張する  ・・・・


宮様はニンマリと笑っている、そして、僕を観ていた。


どんな表情をすれば ・・・・・


宮様がニコニコしながら、ゆっくりと僕に近づいてくる。


だ ・・・ だめだ 足が震えそうになる。

いや ・・・ 足が震えている。止めようとしたけど、下半身に力が入らない。

そして肩も震え始めていく。


どうしようもなかった。


僕は震えながら立ちすくんでいた。


「 だいじょうぶだよ、君を取って食う訳じゃないから 」


し ・・・ 死にそうになる。

僕はよっぽどヘンな顔をしているみたいだ。

宮様は場を和まそうとしてくれているのは、僕でも解かる。


でも ・・・・

     僕は ・・・・

         いっぱいいっぱいの

               いっぱいいっぱいで ・・・・


              カキンカキンだった。


「 うん、君も初めての事だから、緊張するのはよく判る。

  リラックスしてごらん。

  はい、ゆっくりと深呼吸してごらん 」


宮様は微笑みながら、諭すようにゆっくりと、


     僕の緊張を解きほぐすようにしゃべってくれる。



少佐がかるく咳払いする。


僕を視て仕方ない奴だなと言う表情だった。

「 ううん。

 宮様のお言葉だよ。

 さぁ、ゆっくりと息を吸ってごらん。

 そう。

 ゆっくりと吐いて。

 すって ・・・・

 はいて ・・・・

 すって ・・・・

 はいて ・・・・ 」


ありがたい ・・・・ 少しマシになってくる。


ひとつふたつみっつ     深呼吸する。


僕の肺の中に酸素が入って来る。少しだけ落ち着く。 


でも、咽喉がカラカラで、舌が強張るのがわかる。

「すいません 

 ありがとうございます」


それしか言えなかった。

たぶん、あのままでは ・・・ 僕は緊張のあまり卒倒か、なんかして ・・・

この場が大騒ぎになっていた気がする。


たぶん、    たぶん    大丈夫だ。


僕は、宮様を見て、少佐を見て、中尉を見て、二人の伍長を見た。

みんな心配そうに、僕を見ていた。

今度は宮様が、僕を見て、そして、みんなを見ていく。

「 彼が、ちよっと緊張しているから ・・・・・

 落ち着くまでお茶でも飲もうか。

 宣誓の儀が終わったらね、みんなでお茶と思っていたのでね。

 おいしいお茶を用意している。

 先にお茶にしよう」

ニコニコと笑って僕を気遣ってくださる。

ものすごく恥ずかしくてたまらなかった。

でも ・・・・ でも・・・・ 正直ありがたい。


奥に案内される。豪華な椅子が用意されていた。

たった10歩か、12歩ぐらいなのに、歩くのがふわふわとした感覚。絨毯が高級な物だからそうなるのだけど、緊張のあまり僕は精神的にもふわふわとした感覚だった。

 少佐に、ここに座れと指示された椅子まで ・・・・ 必死だった。


なんとか ・・・ 僕は椅子に腰を掛ける事ができる。

座ると ・・・・ 

    ・・・・


 どよーんと眩暈にも似た感覚が僕に纏わりつく。


     ・・・ 大丈夫 何とかなる。


ゆっくりと深呼吸 そう ゆっくりと ・・・・


さっきよりも落ち着く。

ようやくいつもの僕になる。少しだけこの環境に慣れてくる。


それは豪華な椅子だった。たぶん貴賓者用の物。

それと斜め右には、お茶と茶菓子が置ける小型の卓子ある。

それも重厚な感じで鈍く紅黒色で耀いている物。間違いなく貴賓者向けの物だった。

若い女性の事務員だと思う。その人が会釈して、卓子にお茶とお菓子を置いていく。


「 さぁ、お茶を飲んで少し緊張を解きたまえ。

 君らの為に用意したものだから遠慮なんて無用だからね 」


宮様がニコニコしながら、優しく、優しく話してくれる。

少佐の顔は飲んでいいぞと肯定している顔だった。

恥ずかしくてたまらないけど、どうしようもない。

もう一度、卓子に置かれているお茶碗を見る。

紅や碧そして金なんかが入った豪華なお茶碗じゃない。

白磁に鈍く銀色の模様が二本入っていて、清楚な感じの器だった。白と銀の組み合わせは、豪華という感覚から一線を引いて、「単純シンプルですけど極めて高級な器ですよ」とジンワリと自己主張していた。

深緋色こきあけいろの受け皿との対比でより美しく見える。

お茶椀をのせているその受け皿を取り上げる。

少しだけ震えてカチャカチャカチャと音を立ててしまう。

マ ・・・ マズイ ・・・ よな。

このままでは、たぶん、カチャカチャと音を立てて、そして、溢してしまう。

もう一度、紅黒色の卓子に僕はお茶を戻した。


さぁ、深呼吸だ

 ゆっくりと ・・・・

 すって はいて すって はいて すって はいて  ・・・・

よし いいぞ

だいじょうぶだ だいじょうぶだ だいじょうぶだ だいじょうぶだ


視線を感じる 


でも 顔を上げてその視線を受け止めるのは ・・・・

無視だ 無視しろ ・・・・


もう一度、受け皿とお茶をとる。


今度は手が震えることは無かった。


僕はついこの間まで、ただの学生だった。

皇籍につならる高貴な方と面談する機会があるなんて ・・・・・

僕は宮様と呼ばれるような方と面談できるような者じゃない。

どうしよう ・・・・


おめーよ いまさらそんなこと言っても仕方ねーよ

しっかりしなよ 現実を受け入れろ


あの斜に構えている僕がニヤつきながら話してくる

ニヤニヤ顔が癇にさわる

わかったよ 言うとおりにするよ

そう答えて僕は斜に構えている僕に同意した

そんな考えがアタマの中を駆け巡る。

でも、いい香りが鼻を擽って、僕のつまらない考えの空回りを止めてくれた。


 それはお茶の香りだった。


その銀色の線模様が入っている清楚なお茶碗からは、

            はなやかな香りが立ち昇っている。


あああ ・・・ なんていい香りなんだ ・・・・


素晴らしい香りが僕の鼻腔をくすぐる。

あのお茶とおんなじだ。403駐屯地で飲んだあのお茶。

大佐が淹れてくれたお茶とおんなじ香りだった。

お茶を一口飲んだ。

旨い ・・・・・

ものすごくいい香りと旨味が口中に拡散していく。


すごく美味い ・・・・・


ゆるりゆるりとお茶が咽喉のどを下っていく。胃の腑に温かみが拡がるのが判る。


あぁぁ ・・・ お茶のエキスが身体にしみ渡っていく。


ただ ただ おいしい。


一口飲んだだけで心地いい。

お茶の香りとその旨さが僕の緊張の鎖を解いてくれる。

もう一口飲む。

芳醇な香りが僕の身体の強張りを緩めてくれる。

なんとなく、カチンカチンになっていた僕の身体が ・・・ 

元に戻っていく。


旨い ・・・・・

お茶の香りと旨味、そして、ちょうどよい熱さが ・・・・

ほろりほろりと僕の身体を心地よくしてくれる。


「 おいしい ・・・・ シバリー産のお茶ですね 」


お茶が ・・・ お茶が僕のこころの緊張を解いてほどいていく。

そのせいか、僕のアタマの中に浮かんだ思考が、そのまま口から漏れ出てしまう。


「 ほう、大したものだね、シバリー産と言い当てたね。

  香りが強いからね、みんな、ダンガリー産ですねという事が多い。

  でも、実はシバリー産なんだけどね 」


宮様がそう答えてくれる。その答えにハッとして顔を上げたら、宮様がニコニコして僕を観ている。まさか宮様が僕の独り言に声を掛けてくれるなんて。


明らかに宮様は僕の返答をお待ちになっておられる。

なにか返答をしなければ  ・・・ 失礼になる。

そう思ったら、とっさに言葉がこぼれてくる。

「 秋摘み茶葉の割合が多いという事ですね 」

宮様はさらにニコニコしながら説明してくださる。

「 君はお茶に詳しいね、そのとおり。

  秋摘み茶葉が6割強、春摘み茶葉4割弱になっている。

  それだけじゃない、もちろんのこと貯蔵年数がそれなりの年数だからね 」

「 やはり12年ですか 」

「 ほう ・・・・


  12年を当てたね、やっぱり君はお茶に詳しいね。

  一口二口飲んだだけで、12年物と言い当てられる。

  それをできるのはお茶これを生業にしているお茶師だよ。

  ふつう何年もかけて経験を積んでいないと年数なんて当てられない。

  君の若さでこのお茶の産地や年数を判定できるなんて、すごいね。

  君の御実家はお茶を作っていのかい 」


ど ・・・ どうしよう。


あああ ・・・・ ご  誤解だ。


宮様は僕がお茶に詳しいとお思いになられている。

たまたま403駐屯地で飲んだお茶が最高級の物だったからに過ぎない。

少なくとも僕はお茶師みたいな専門家じゃない。

それを ・・・・ はっきりと ・・・ させないと。


「 み ・・・ 宮様 ・・・・・、

  こ ・・・  こ  こんな美味しいお茶をありがとうございます。

  あ  あの あのう ぼ 僕は  ・・・

  実は ・・・ お茶に 詳しい訳ではないのです。

    ・・・・                             」


恥ずかしい、まるで5歳児だ。それぐらい、たどたどしく僕は話している。

止まれ、もう一度ここで深呼吸。


 ・・・・


よし。


「 宮様、たまたま、 ここ最近に ・・・・

  シバリー産の最上級のお茶を飲む機会がありました。

           ・・・・

  それは、このお茶とおなじ香りと美味しさでした。

  だから『 あっ、シバリー産のお茶だ 』と気づく事ができました。

  ほんとに、たまたまの偶然です。

  その時に、春摘みと秋摘みの違い、そして土の中で12年貯蔵する事、

  そんな事を色々と教えていただきました。

  けっしてお茶に詳しい訳ではないのです。

  たまたま、その経験があったので、

  こうして宮様とお茶の話ををする事ができています。

  単に運がいいだけです、僕の場合は 」


「 なるほど、君はいい機会を持ったね。

  このお茶はシバリー地方のお茶組合からの献上品でね。

  毎年、彼らが丹精込めて作り上げた物を私たちはいただいている。

  だけでも、こんな美味しい物をいつもいつも飲めるわけじゃない。

  そもそも献上されるお茶の量がね、少ないからね。

  各宮家で取り合いじゃないけどね。

  そこは皇籍順位である程度の差はついてしまうからね。

  何かの催し物でしか、こんな美味しいお茶を飲む機会が無い。

  だからね、今回は君の宣誓の儀という事もある。

  そしてね、今朝の献花式だ。

  正直言うとね、私は驚いたんだよ。

   私的な献花式にね。

  憲兵に囲まれて君が軍務省ここにやってくる。

  それを見てね、もしかしたらと思ったからね。

  確認を取るとやっぱりだ。

  

   花環をありがとう。

  

   心から感謝する。

  

  君の年齢ではね、正直言うとなかなかできないと思う。

  それができる君に、是非に会ってみたいとね。

  だから、本日の宣誓の儀に立ち会わせてもらうよ。

  それで、美味しいお茶とお菓子を用意してみたんだ。

   実は君に会ってみたいという理由は、それだけじゃない。

  君は帝都に来てすぐに、

  帝都治安総局の特別手配犯の逮捕の切っ掛けを作ったそうだね。

  話は聞いている。

  お手柄だね。

  これもね、なかなかできない。

   うん。

  本当ならば特別手配犯人逮捕に協力という事で、それなりの顕彰があってね、

  しかるべきなんだ。

  それについて何か説明を受けたかい」

僕が首を横に振ると宮様はそうだろうと表情をなされた。

「 顕彰とは、善行などをたたえて広く世間に知らしめることだよね。

  聞いていると思うが、君がこれから関わる軍の計画は秘匿されている。

  それ故に参加する君もこれから秘匿されることになる。

  つまり、顕彰とは全くもって真逆の物になる。

  本当ならね、帝都治安総局でね、新聞社を呼んで大々的に記者会見をする。

   君はあの忌々しいひったくり犯を懲らしめて、

   帝都の治安維持に大いに寄与したとね。

  こんなふうにね、普通は顕彰する。

  だがね、すまない。

  今回は計画が計画だけに、君の事を世間に大っぴらには出来ない。

  わるく思わないでくれ。

  たぶん、君が任官する時には埋め合わせる事ができると思う。

  その事を責任者としてね、ちゃんと君に説明したかった。

  そんな訳で、今日、君の宣誓の儀にお邪魔することにしたんだ。

  なんだか、立ち会う事で君にはものすごく緊張かけているね。

  それも、わるく思わないでくれ 」

  

宮様はにこやかに、お言葉を掛けてくださる。

僕は只々 ・・・ 呆然とするだけだった。

  


  

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